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2020年12月25日 (金)

賽の河原のピアノ弾き(改2)

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒、毎日6時間勉強」と願をかけ、最初の数日間だけは実行するのだが、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける。

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか。幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

内なる地蔵菩薩

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 

地蔵和讃

 賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の心に存在する。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。

  『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助翁)』。

 諦めるから、失敗になる。三日坊主を殺すのは自分の内なる劣等感という鬼である。邪気を振り払い、ひたすら目標に向かって、壊されても崩されて賽の河原の石を積み上げ続ける。そうすれば内なる地蔵菩薩が助けの手を差し伸べる。自分を救うのは自分である。

 Photo

 松本明慶先生作 白檀 地蔵菩薩  松本明慶佛像彫刻美術館蔵

  写真掲載には、松本明慶佛像彫刻美術館の許可を頂いています。

 

馬鹿じゃなかろうか

 賽の河原の石を積み上げ続けられるのは、純真な心を持ち続けた童だけである。中途半端に大人になり、純真さが薄れ、雑草が心に芽生えると、石を積み上げる気力も失せる。人から見て「馬鹿じゃなかろうか」としか思われないことをしなくなる。それは成長ではなく退化である。バカではないかと思われることを平然とやり続けられる人間になりたいもの。

 

 ピアノには誰しも憧れるが、習得は難しい楽器である。必死に練習をして、やっと弾けるようになったバイエルンの練習曲でも、翌日になると指が絡んで上手く引けないことが多々あり、自分の才能の無さに忸怩たる思いをさせられる。ピアノを習熟するには毎日8時間の練習を10年間すればよいというが、それだけの情熱をほかの面に向ければどんな道でも成功者になれる。プロ相当の腕になるには、賽の河原の石積の試練を乗り越える情熱が必要である。才能よりも弾きたいという情熱をいかに継続させるか。それを持続した人だけが、三日坊主の鬼の手から逃れられる。

250

岩崎洵奈さん  ベーゼンドルファーModel 250

 ベーゼンドルファー東京 2016年3月13日

 

 前写真のピアノはベーゼンドルファーModel 250で、ウィーンのオペラ座で100年間弾かれ続けた歴史を背負う。このピアノを弾ける舞台に辿りつく前に、賽の河原に消えたピアノ弾きは無数にいる。

 100年間も現役で活躍したピアノが存在することは稀有である。その修復が完了してベーゼンドルファー東京ショールームに展示された。2016年3月13日、ピアニスト岩崎洵奈さんの演奏で、このベーゼンドルファーModel 250と現フラグシップのModel 290 Imperialとの弾き比べのミニコンサートが開催された。招待を受け現地に出向いた。ミニコンサートの後、Model 271 を少し弾かせてもらって幸せでした。

 

三途の河で地蔵菩薩

 人生で情熱を傾けられる道を見つけて、人からは馬鹿じゃなかろうかと呆れられても、それを意に介さず、我が道を歩き続けられる人は素晴らしい。そういう人は、迷わず胸張って浄土へ向って歩き続ける。思いを心に刻んだ三日坊主が生きながらえると、三途の河で地蔵菩薩に逢える。

 宮仕えの時は、60歳までという期限があった。定年後はその制限が無くなる。レッスンの遅々たる進捗にめげず、悠々とレッスンを続けよう。こちらは死ぬまでにマスターをすればよい。死ぬまでにゆっくりと賽の河原の石積をすればよい。智慧と使える時間の量は、孫よりも多いと認識しよう。

 

2020-12-25 久志能幾研究所通信 1873  小田泰仙

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