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2022年12月15日 (木)

CANON一眼レフからSONYミラーレスに乗換

 

 私は河村義子先生の主催する音楽会で撮影を担当した。当初は一眼レフのキヤノンEOS5Dmark2を利用した。

 しかし一眼レフはシャッターを切る際、ミラー音が出て、静かな環境では使用が許されない。だからリハーサルの時しか使えなかった。そこでミラーレスを検討した。当時、キヤノンEOS5Dのミラーレス版の発売を待っていたが、ちっとも発売されないので、しびれを切らし、ソニーのミラーレスα9に乗り換える決断をした。

 

ミラーレスへの転向

 キヤノンのミラーレスを買うにしても、ミラーレスのボディでは、現在所有のレンズがアダプターをかませると性能が100%発揮できない。だからキヤノンのミラーレスに変えてもレンズも一式変えねばならぬ。それならカメラのブランドが変わると同じである。またキヤノンは大企業病にでもなったのか、ソニーの開発スピードに対してキヤノンのそれを遅く感じることが多かった。

 

顧客創造

 要は、顧客が欲しい時に必要な製品を提供できないと、企業戦争に負けるのだ。企業の最大の仕事は顧客の創造である(ドラッカー)。その競争に負けたら企業は発展できない。

 この場合の顧客とは、機構がシンプルで軽く、画質が良い、シャッター音のしない無音カメラの客である。一眼レフの跳ね上げミラーがあると、その分、レンズを離して設計しなければならないので、設計に無理が出る。ミラーレスの方がレンズとセンサの距離を短くできて画質が良くなる。

 だから事業を維持・拡大するには、ミラーレスを欲しがる顧客の創造が必要なのだ。キヤノンのように一眼レフの顧客を多く抱えていると、その転換時にそれが逆に足かせとなる。強い企業が勝つのではなく、市場の変化に一番早く適応した企業が生き延びる。ダーウィンの法則である。

 

両社の比較

 レンズの品揃えはキヤノンの方に分があるが、画像センサはソニーに分がある。唯一の不満は、ソニーのレンズの品揃えがキアノンに負ける事。しかし一番多く使う書画撮影用のシフトレンズは、アダプターをかませてソニーのミラーレスに装着できることでカバーできる。その際のオートフォーカスの信号の遅れは問題ない。なにせシフトレンズでピント合わせは手動である。その他は、使うレンズがソニーでもそろっている。

 それで一大決心で主力機をキヤノン一眼レフからソニーのミラーレスに乗り換えた。

 幸い、現有のキヤノン製品をカメラのキタムラが下取りをしてくれたので、買い替えの敷居が低くなった。

 

大企業病

 2020年、御手洗富士夫氏が御年85歳で社長業に復帰する「事件」にも違和感を覚えていた。当時の感想で、私は「キヤノンは大企業病にかかった」と感じた。名馬も老いれば駄馬に負ける。いくら御手洗さんが名経営者でも85歳で社長業に復帰では疑問を感じる。要は、キヤノンは社長の後継者が育っていないのだ。つまりカメラの性能は、社長の経営力に影響される。

 

 それに比べてソニーに優れた開発スピードを感じた。キヤノンのように大企業になると、今までの製品との整合性やレンズ資産が多くあるので逆にその資産の縛りがあり、稟議決裁や開発のステップが大変なのだろうと推察した。

 だかこそ早い経営決断が必要なのだ。これは経営者の問題だ。技術革新のスピードが速い時期は、逆に胡坐をかいた先行企業に逆風が吹く。だからどんな優秀な企業も、大企業病にかかるのだ。

 その防止策として、管理職には役職定年がある。役員でも定年がある。しかしキヤノンには社長の定年が無いようだ。人は生老病死である。いくら元気な社長でも、企業の新陳代謝の為、社長も変わらないと老害となる。それでキアノンの経営に疑問をもった。

 

 その後、キヤノンのミラーレス版のEOS5Dが発売されたが、その性能は私には期待外れであった。かつ私には発売日が遅すぎた。キヤノンからソニーに乗り換えて正解であったと自分の判断と決断に自分で褒めてあげた。

 

P1070643s

 演奏会用で、無音シャッターで撮影

P1070645s

 ソニーのボディにキヤノンのシフトレンズをアダプターをかまして装着。

 馬場恵峰先生の書画撮影用


2022-12-14  久志能幾研究所通信 2567  小田泰仙

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