恐ろしい大垣都市伝説(5/7)ウィーンのご縁
文化面の功績
小倉満市長は文化芸術にも理解があり、ドイツのシュトゥットガルト市との友好都市として交流を深め、日本の百選に選ばれている大垣市の音楽堂建設やベーゼンドルファーのピアノ導入にも尽力された。小倉市長はシュトゥットガルト市の第五市長と特別の交流があり、両市のスポーツ交流にも尽力された。
1987年には、小倉市長は、ウィーンの楽友協会資料館館長のビーバー・オットー博士を大垣に招いて、ウィーンとの音楽交流をされた。それは戸田伯爵夫人極子さんとブラームスとのご縁から始まる物語である。詳細は、当ブログのカテゴリー「m_大垣からウィーンへ架ける六段」に掲載中です。
私はそのご縁で、2017年4月、ウィーンに出かけ、楽友協会資料館館長のビーバー・オットー氏に表敬訪問をさせて頂いた。近い将来、この関係の本を出版予定です。なかなか進まず焦ってはいます。
折角のご縁をぶち壊し
1987年に小倉満市長が作ったウィーンとの音楽を通しての友好関係を、小川敏市長は放置し、結果としてぶち壊したことになる。そのご縁は、大垣藩最後の藩主である戸田共氏公の戸田極子伯爵夫人が作ってくれたご縁である。戸田共氏公は明治天皇の意向を得て、時の明治政府が抱えた欧米との不平等条約解消の為、ウィーンで外交官として奮闘していた。戸田極子伯爵夫人が、日本文化の広報のため、ウィーン公邸での夜会で琴を弾いて外交活動を陰で支える奮闘していた。その夜会に出席していたブラームスが、その琴の音色に耳を傾け、その時の資料が発見させたご縁で、楽友協会のビーバー・オットー博士が大垣を訪問された。ビーバー・オットー博士と大宮真琴教授が、この歴史資料の発見に尽力されためである。
楽友協会は、毎年、ニューイヤーコンサートが開催されるウィーンの音楽の殿堂である。その時はプレミアがついて、そのチケットは10万円でも手に入らない。
人は付き合う人を見れば、その人の人格がわかる。いわば上流階級の楽友協会と付き合うか、下流階級のギネスと付き合うかで、おおよそその人のレベルが断定できる。
戸田極子伯爵夫人が草葉の陰で泣いている
なぜ折角の大垣市政百年行事で、3億円余も散財するのに、ウィーンの楽友協会とのコラボレーションがないのか。なぜその行事の目玉が、爬虫類の脳を刺激する「水まんじゅうギネス挑戦」なのか。戸田共氏公と戸田極子伯爵夫人が草葉の陰で、泣いている。
「ウィーンと大垣をつなぐ音楽のかけ橋」(大垣市刊)より
ビーバー・オットー博士 近影 楽友協会にて 2017年4月24日
私とのツーショットの写真で、私の姿はカットしました。
ご縁の伝承
私は前職では技術者として、得た技術、技術ノウハウは後進に伝えるように、文書や図面で残すようにしてきた。
「自分のしてきた事を、いつか人に伝えれなかったら、何もしてこなかったと同じである」 アーウィン・シュレジンガー
私も先人の文書、書籍、図面から多くを学び、それを発展させて技術開発をすることができた。ゼロからでは、進歩に制限がある。これは技術だけでなく、全ての分野に通じる話だと思う。政治も経済も文化・芸術も同じである。先人が切り開いた境界、環境、歴史、ご縁を伝承してこそ、効率的な技術、文化、遺産、伝統、ご縁の伝承があると思う。
大垣藩最後の藩主戸田氏共公が築いた大垣の文化・教育思想、ウィーンで築いた日本文化伝承の遺産、先代の市長が築いたウィーンとの友好関係、それを無に帰するのは、歴史の財産を破壊する犯罪行為である。それでは後進はゼロから始めなければならぬ。
市長職には、先代が築いた業績、ご縁の伝承がある。それを全て否定して、自分の新しいことをやるのは、いかにもカッコいいが、多くの先人の財産を捨てることになる。変えてはならないものがある。変えなければならないものがある。その取捨選択のレベルで市長の能力が問われる。小川敏現大垣市長は、小倉満前市長のすべてを否定しているようだ。それでは文化は育たない。だから下品な食い物競争での世界記録を目指す爬虫類の行いになってしまうのだ。
ベーゼンドルファー工場を見学
その時のご縁で、小倉市長は大垣の音楽堂を建設し、そこにベーゼンドルファーのピアノ・インペリアル280を導入された。音楽堂は日本の百選にも選ばれている名ホールである。
私は、2017年4月にウィーンを訪問した折、ベーゼンドルファー本社を訪問してピアノの工場見学と、試弾をさせてもらった。ベーゼンドルファーのピアノを設置したホールを持つのが夢で、叶わぬ大きな夢を持って生きるのは長生きの秘訣です。
本社隣接のショールーム
ベーゼンドルファーの試弾室
命を削る酒
小倉市長は、酒好きであって、酒の量が多すぎて病気になられたようだ。人情に厚い市長ともなれば宴会も多かろう。大垣市長として多忙で酒でそのストレスを紛らわせたのかも。付き合いも大変である。それが命を縮めたようだ。
2017年11月10日、第37回霊山顕彰会岐阜県支部の研修旅行として、東福寺と旧三井家下賀鴨別邸、京都霊山墓地、霊山歴史館を訪れるバスツアーに行ってきた。その時、故小倉満市長の奥様も参加されたので、ご一緒させて頂いた。これもご縁であった。
詳細はブログのカテゴリー「o_大垣の歴史」内の「第37回 霊山顕彰会研修旅行」を参照ください。
2018-07-09 久志能幾研究所 小田泰仙
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