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2019年8月24日 (土)

故今川順夫氏 お別れの会

 2019年6月21日、今川順夫氏がご逝去された。享年95歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 葬儀は親族だけで行われたが、8月19日、お別れ会が大垣フォーラムホテルで800余名の方が参列して、しめやかに開催された。

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 お別れの会 祭壇 2019年8月19日、大垣フォーラムホテル

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別室の懇親会場で生前のインタビュービデオを放映

 

 氏とは父がシベリア抑留の関係で、大垣ダモイ会に入っていたご縁で知り合いになった。色々とお話を聞き、お世話になったご縁である。

 生前、今川最高顧問からは、会社の写真集を作って欲しいとの依頼があったが、側近に調査を邪魔され、氏に会えなくなり、それもかなわなくなった。ご縁がなかったとして身を引いた。生前に今川順夫最高顧問と親しくお話をできたのが、ご縁として幸せであった。写真集が出版できなかったのは、悔いがあるが、それも縁であると思う。

 当時、今川最高顧問から、今の会社の利益が薄いとして経営分析を依頼された。最高顧問は部下にその営業データを私に渡せと指示されたが、渡してもらえなかった。担当役員に面会時間を約束して会いに行っても、面会をすっぽかされた。後でそのお詫びも無かったから、確信的に面会を拒否をしたようだ。部外者がそのデータを見ると都合が悪い部分があったのだろう。今川最高顧問は、その件でその部下を叱責されたが、その部下は平然として、蛙の面に水のようであった。それで聞き込み等で調査をしたが、側近に邪魔をされ、挙句に脅迫までされたので、身を引いた。知人の元銀行マンから命の危険があるから身を引けと助言を受けたためである。

 その後、丸順は人員整理があり、倒産の噂もあった。その後、丸順は東プレの資本が入り、実質的に人手に渡った。こんな部下たちがいれば会社もおかしくなると思った。それで、この件は縁がなかったと悟った。

 

 今川最高顧問に関する私のブロブ記事は、

新設のカテゴリー「w_今川順夫氏の歩んだ道」に集約して整理中です。ご参照ください。

 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1315 小田泰仙

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