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2023年3月 1日 (水)

がん患者同士で意気投合 山路徹個展の最終日

 

 現代日本では2人に一人ががんなる。3人に一人が、がんで死ぬ。がんは日本人なら、誰でも人ごとではない。

 それで、がんになり、医師から余命宣告を受けても、黙って死を待っていてはダメである。息をしているうちは、まだまだやることがあるとの仏様からのメッセージである。待っているだけなら、人は平均80歳で骨になり、その80年後には、土に還ってしまう。そう思って、私もこの4年間、がんの治療と再発防止を模索してきた。

 それの戒めの画として、今日(2月28日)、山路徹先生のスケッチ「骨になるまで」を購入した。価格1万円。

 山路先生のSaganでの個展の最終日に「骨になるまで」を買おうと出向いたら、そこでHさんに出会ったのはご縁であった。

 

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 山路徹画

 山路先生の個展の最終日(2月28日)、山路先生の知人のHさんが来ていた。話しているうち、お互いが、がんを患ったことを知り、その話題で意気投合してしまった。がんの治療での苦労を話し合い、再発防止の方策を納得しあった。皆さんのがんの治療、予防のためになると思い、記述する。

 

Hさんが守っている食生活

 牛肉、牛乳、卵をたべない 

  私も牛肉と牛乳を食べない。牛肉は月1だけである。

  牛肉、牛乳、卵は、食の生態系で全てが集約した食物である。

  だから毒も集約されている。大型の動物の食用は危険である。

  マグロ等の大型魚は、水銀等の含有率も多い。

  私は卵をタンパク質補給のためよく食べているが、再検討である。

 完全禁酒

 練りものを食べない

   私も食べない。練り物は多くの添加物が入っているからだ。

 16時間断食

   食べたものが完全に消化されるには、16時間が必要。

 少食(一日2食)

   食べる量が少ないと、腸が必死に栄養分を安全吸収してくれる。

   だから便がきれいになる。

   食べ過ぎるから、消化不良で消化器系の病気になる。

 塩は、天然塩

   伊勢神宮に奉納する昔ながらの製法の天然塩である。

   特別のルートで入手しているとか。私も検討する。

 お米は玄米

   私は、玄米を医師から禁止されているので食べない。

   これは諸説あり、何が正しいか、不明。 

 やりたいことをやって、ストレスを溜めない

   全く同感である。

 

2023-02-28  久志能幾研究所通信 2629  小田泰仙

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2023年2月26日 (日)

木育 積み木が崩れる時

 

 今日(2月26日)、愛知県国際展示場(中部国際空港内)で開催際されていた「キャンピングカー展示会」に行ってきた。そのブースで山路徹先生の積み木展が開催されていたからだ。

 その場所は、山路先生の知人のキャンプ場支援団体が、イベント会場の一角を提供してくれた。本来、このイベントの主催者がボランティア活動として場所を提供すべきと思う。山路先生はボランティアでこの活動をされている。

  その現場で日本の教育の問題点を見付けた。

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「積み木」でエコプロダクト優秀賞

 山路徹先生は、1996年、この「積み木」でエコプロダクト優秀賞(一般社団法人 産業環境管理協会)を受賞した。エコプロとは、毎年12月に東京ビッグサイトで開催されている環境配慮型製品・サービス(エコプロダクツ、エコサービス)に関する一般向け展示会のこと。主催は一般社団法人サステナブル経営推進機構と日本経済新聞社。

 山路先生が受賞した同年、マツダがアイドリングストップで、エコプロダクツ大賞の「エコプロダクツ部門 国土交通大臣賞」を受賞した。マツダは企業の受賞だが、個人として山路先生が受賞したのは珍しいことである。

 私は実際のイベント会場の積み木の実演を見るのが初めてであったので、興味をもち出かけた。当日は日曜日でもあり、会場は大勢の人がおり、その一角で10人程の子供達が積み木の積み上げに熱中していた。

 

あるお嬢さんの行動

 周りの子供たちは、立法体の積み木をお互いに重ねながら、崩れないように積み上げている。それに熱中している。ほほえましい姿である。きちんと理屈にあった積み上げ方をして、忍耐強く頑張れば、高さ2mにも積み上げることが出来る。それで子供たちに理屈(物理)の大切さと忍耐の教育が出来る。

 その中で、一人の女の子(5歳くらい?)が、両親に見守られながら積み木をしていた。しかし安定性のある積み上げ方ではなく、独自の方法で、積み上げることに熱中していた。理屈抜きに単に積み上げているだけだから、安定性に欠け、すぐ崩れてしまっていた。その繰り返しであった。

 そこで山路先生が手を出して、「こうやると良いよ」とそのコツをその子に伝授すると、その子は突然泣き出し、父親に縋りついて泣きじゃく始めた。我々は唖然としたが、その若い母親が、「この子は女王様気分で育っているから、口出しするといつもこうなるの」と嘆いた。そして父親が子供を抱き上げ、あやしながら、外に連れ出していった。

 

躾の問題

 私はそれで人生を見た。世には蝶よ、花よと育てられ、我儘一杯に育ったM子さんがいたことを思い出してしまった。親がきちんと躾けていないから、わがまま放題に育ち、国民に後ろ足で泥をかけるような振る舞いをするのだ。全ては親の躾教育の問題である。子供は親の後姿を見て育つのだ。

 山路先生の積み木は、木を通して子供を育てるという「木育」である。だから、エコプロダクト優秀賞を受賞したのだ。積み木は単なる道具である。その道具からも、またどんなモノからでも学ぶ気があれば、学べるのだ。

 

役人の躾

 それは大人の世界でも同じだ。大垣市の市長、役人や議員達は、自分達のやりたい放題にしている。ガツンと市民が鉄槌を下さないから、ますますつけあがりるのだろう。次の選挙で市民の声を伝えるべきだと思う。この狂乱物価のおり、ゴミ袋有料化を推進した首謀者たちに鉄槌を下すべきだ。ゴミは減っているのに、「ゴミが増えている」と大嘘をついて、ゴミ袋有料化をごり押しした。利権に目のくらんだ政治家どもは、市民の怒りが見えないようだ。

 

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 山路徹先生 「キャンピングカー展示会」会場で 2023年2月26日



2023-02-26  久志能幾研究所通信 2627  小田泰仙

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2023年2月18日 (土)

待つ人生から仕掛ける人生へ。シュールからリアルに

 

 私が山路徹個展「絵・詩」で、山路徹先生スケッチ画「骨まで待つわ」を見て感じたことは、いとしいことを待つだけでは、シュール、死ゆる、であった。待っているだけでは、死の状態だ。私はまだ「リアル」に煩悩にまみれて生きていきたい。

 「シュール」とは、「現実離れ」「非現実的」という意味である。「シュール」には、そのほかに「不条理」「極めて独創的」「非日常的で理解不能」などの意味も含む。

 

仕掛ける人生

 この歳まで生きてきて、思うことは、人生で待つだけの時間を作ってはならない、だ。黙って待っているとは、何かに洗脳された状態だ。人生で待っている時間を過ごすよりも、それを仕掛ける時間にするべきだと思う。

 仕掛けるとは勉強することだ。充電することだ。動くことだ。勉強すれば、動けば、何かが変わる。何もしないでも、生命は冷酷に死に向かって老化がすすむ。普通は80年で命が尽きる。待っているだけでは、骨になってしまう。骨になっても、80年も経てば土に還って消えてしまう。それだけは避けたい。

 

天中殺

 長い人生では、何をしても報われない時期がある。その期間はただ待つだけで時間が過ぎている。占いの世界ではそれを空亡(四柱推命)、天中殺(算命学)、『六星占術』の「大殺界」という。

 私も若い頃は占いに凝り、空亡や天中殺に振り回されは、人生の決断を誤ったこともある。今思うと占いに「洗脳」されたのだと気が付いた。自分が弱いと、人生の選択で占いに左右される。それも麻疹のような経験だと、今にして醒めた眼で回想できる。私も煩悩にまみれた凡人だから仕方がない。

 

共産党という洗脳

 今でも共産党を支持する老人世代が1%ほど存在する。50年前の学生運動で全共闘活動を見て過ごした世代である。その洗脳がまだ溶けていないようだ。先進国では共産党の設立が法律で禁止されている。それなのに、日本では国政選挙で共産党を支持する人が1%もいるとは、狂気である。その団塊の世代は50年前の洗脳が融けていないようだ。洗脳とは、かように怖しい。そんなに共産党が素晴らしいと思うなら、中国、北朝鮮に移住すればよい。

 つい最近も、ある共産党党員が党首の選挙を民主化して選ぼうと提案したら、その人が除名されたというニュースで世間が湧いている。

 オウム真理教の信徒でも、いまだその洗脳が融けていない人が多くいるようだ。統一教会も洗脳という手段で信徒を縛っている。多くの新興宗教は同じ手口である。

 

「骨になるまで」

 私待つわ

 骨になるまで待つわ

 私、待つわ 待つわ

 いとおしい

 あなたを待って

 夜明けのダンスを

 踊るため

 骨になるまで

 待ち尽くす

 ああ、私の魂が

 水のように

 流れ出した

 悲しい海へ

   山路徹作詞

 

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 山路徹画

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 馬場恵峰書

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シュールの風景 山路徹個展「絵・詩」

日時  2023年2月4日~2月28日

    11;00~17:00(最終日は16:00まで)

    水・木定休 19日臨時休業

場所  画廊 Sagan

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2023-02-18  久志能幾研究所通信 2619  小田泰仙

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2023年2月17日 (金)

山路徹作品  不思議植物

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山路徹 画と詩 「不思議植物」10号 油彩 ¥38,000円

 

 

自然の力にはかなわない

一雨あれば地上の若木が

いちみりいちみり葉を延ばして育つ

くるり地球が回れば太陽の光が

降り注ぎ またみりみり育つ

やがて赤い目立った実をつける

はるばる遠くからやってきた

空腹の鳥たちが見つけて

それを食う

鳥たちの遠くまで

飛ぶ力となり

腹の中を

通って

種になり

糞まみれの

こやしとなって

あっちこっちに

降り注ぐ

新しい森が

生れれる

何千年も

前から

何千回も

その地球への

造林を繰り返している

あとからやってきた

地球人が

朽ち果てた高い木の

てっぺんに新しい

若葉の誕生を見て

びっくりしている

こうして森から生まれた

水蒸気 空気 いい匂い

を感じて 熊 猪 粟鼠

さまざまな森の生き物を真似て

森のすみかを作り

森の木を使い 家を作り

家族で生きてゆくようにした

木で幾つも生きてゆく為の

子どもたちに木の玩具を作ってやり・・・

今やっと森や自然を育て

自然や森に力をつけさせようと地球人はしている

  作詞 山路徹

 

 

シュールの風景 山路徹個展「絵・詩」

日時  2023年2月4日~2月28日

    11;00~17:00(最終日は16:00まで)

    水・木定休 19日臨時休業

場所  画廊 Sagan

 

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2023-02-17  久志能幾研究所通信 2618  小田泰仙

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2023年2月15日 (水)

豊田章一郎 座有銘 天地人知仁勇、決断の成果

 

 豊田章一郎氏が2月14日に亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

久志能幾研究所通信: 豊田章一郎の座有銘 天地人知仁勇

yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2022/09/post-fff9.html

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 私は、豊田章一郎氏の座有銘「天地人知仁勇」を知り感銘を受けた。

  喜一郎はよく「天地人知仁」といっていた。企業にとって大切な要素がそれらだということです。タイミングがよくないといけない、場所もよくないといけない、それから人の和ですね。知は「知恵」、仁は「思いやり」。私流の解釈ですが、私はそれに「勇気」の勇をつけて「天地人知仁勇」を座右の銘にしております。(豊田章一郎)

 私は、トヨタの中興の祖・三代目社長石田退三が大事にしていた児玉源一郎のことばも大事にしている。

 「何でもわるいことに使う金でなければ、あとからそいつは何とでもなる。金のことをトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている」  石田退三著『トヨタ語録』P174 WAC

 この考えが、現地現物やジャストインタイムのトヨタ生産システムを生み、トヨタの世界展開を推進し、業務改革を推進し、世界一の自動車メーカに成長する礎となった。

 また、この考え方は、古希を迎えた私が、新しい家を買う決断を後押しすることになった。豊田章一郎氏の「天地人知仁勇」と児玉一造氏の「悪いことに使うのでなければ、カネは何とかなる」の教えを守ってきた因果である。トヨタ教の教義である。

 児玉一造は、明治から大正期の実業家で、東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)を創設した。児玉一造は、豊田利三郎トヨタ自動車工業初代社長の実兄である。石田退三氏の上司でもあった。

 

その決断の2年後

 私がその家を購入後、2023年で2年が経過した。その結果として当時、無謀な決断のように言われたが、現在、その決断をして良かったと回想している。

 この家は、現在、自分の仕事部屋、仕事の来客用の応接間、ピアノ室、写経室としても活用している。

 また自宅で溢れる本を収納するの書庫としても活用している。今回、本箱を12台も新設した。80 ×25 ×180㎝の本箱を12台である。

 現在、その家の倉庫は、町内の会議室として活用している。また町内の防災準備として水、食料品、防災トイレの仮保管庫としても提供しており、町内から感謝されている。

 また馬場恵峰先生の書の展示室としても活用している。山路徹先生作のテーブル等の作品も多数、設置出来ている。町内の会議室用として、山路先生にトチ材のテーブルを特注で作ってもらった。残りの4つのテーブルは、山路先生から無償提供を受けた。有難いことだ。きっと仏様からのご配慮だろう。だから今「悪いことに使うのでなければ、云々」の言葉を噛みしめている。

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 仕事部屋 兼 応接室  3つの机は山路徹先生作

 右手の机は、立って仕事をするための特注机。だから椅子はない。

 左手にあるドラフターの設置は長年の夢だった。

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 馬場恵峰先生書を展示する座敷

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  座敷  机と椅子は山路徹先生作

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 写経室 机は山路徹先生作

 

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 ピアノ室のヤマハNS1000M  スピーカー台は山路徹先生作

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 ピアノ室

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 集会場 兼 仮防災倉庫 100インチの電動スクリーンを設置

 5つの机は山路徹先生作、 奥は防災トイレと水、食料品の置場

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  山路先生作のトチのテーブル

  椅子は飛騨木工産で、山路先生から格安で譲ってもらった。


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  防災トイレと水、食料品のストック

  現在、町内の住民の1日分の防災トイレと水、食料品を備蓄中。

  順次3日間分に増やす予定。

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2023-02-15  久志能幾研究所通信 2616  小田泰仙

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2023年2月13日 (月)

宿命の東日本大震災、運命の新しき風を起こせ、Keep up Japan 

 

 2023年3月11日で、東日本大震災が起きてから12年である。干支が一巡する。厳しい訓練を経た選手が世界一の成績を上げる。同じように、日本は厳しい自然災害の訓練というべき試練を何度も受けてきた。それだけ日本民族は、より強靭となり、防災意識も高くなった。運命共同体の結束意識も高くなった。災害に対する対策を続けて、国土も強固になった。多くの地震被害を受けて、耐震強度のある家が増えた。防災環境も整ってきた。厳しい自然現象が日本人を育てた。

 それと比較すると他国の脆弱ぶりが明らかになる。2023年2月6日に起きたトルコ大地震では、東日本大震災を上回る死傷者が出ている。トルコには耐震強度のある家が少なかったようだ。火事場泥棒も頻発している。隣国で起きた地震でも、建物倒壊は日本の比ではない。

 

危機管理

 人知を超えた自然災害は、人間の手では為す術もない。出来ることは、その被害を最小限にする事前対策と、その後の手段を考えておくことだけだ。防災対策こそが危機管理である。それをやることが人生の強靭化である。

 

人生の災害

 そんな大きな自然災害でなくても、自分の人生では、交通事故、突然死、肉親の死、会社の倒産、受験失敗、左遷等、それに匹敵する災難が目白押しである。それで挫折してしまったら、人生の終わりである。災難で倒れることが恥ではない。そこから立ち上がれないのが、恥なのだ。

 そういう試練は、神仏が己を試している。これでも幸せになれるかい?と試している。宇宙という大きな世界で、自分というちっぽけな世界で生きている人間は、儚い存在だ。この自然界で大災害が起きて当たりまえである。

 己が自然災害の多い日本に生れたのは宿命である。その宿命の中、運命を良い方に変える取り組みをすればよい。だから心身ともに強くなればよい。倒されたら、起き上がればよい。過去の悲しみを慈しみ、人を励まし、未来を見つめて前進する。それが日本人だ。そうやって日本は前進してきた。先人の歴史を学ぼう。

 今、私は2035年±5年に起きると予想される南海トラフ大地震の準備で忙しい。

 

試練に立向かう

 私も会社では辛い目に何度もあってきた。それを打破しようと多くの本を読み、師を探し、研修会に参加して、自分を成長させてきた。試練が自分を育ててくれた。

 だから皇室特権を利用して、ぬくぬくと試験等の試練をやり過ごしてきたKK親子に、国民が共感するはずがない。言われなきバッシングを受けてきた現皇后陛下雅子様に、日本国民は、より親近感を抱くはずだ。

「新しい風」

 私は東日本大震災の被害を受けた人々の姿を表現した中島清画伯の「新しい風」をデパートで見付けて、購入し、自宅に飾った。それを見ていると勇気をもらえる。

 絵の右部は、災害を受けて悲しんでいる姿である。それに寄り添っている子の持つ袋に「Cheer up! Japan」の文字がある。

 中央部は仲間が被害者を励ましている姿である。国民が支援している姿である。被災者を見つめる子の帽子に「FUKUSHIM」の文字がある。

 左部は、その悲しみを乗り越え、未来を見据える子供の姿である。帽子に「Keep up Japan」の文字がある。そこに新しい風が吹いている。

 

山路徹先生作の台

 その絵のイーゼル代わりに使っている台は、山路徹先生作である。その台はもともとスピーカー台用に作ってもらった。それが不要になったので、このイーゼルとして再活用した。サマになって気に入っている。

 

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 右側部  過去の悲しみと国民の慈しみの目

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 左側部  未来を見つめる目

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   山路徹先生作の台

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2023-02-13  久志能幾研究所通信 2614  小田泰仙

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2023年2月11日 (土)

「何処でもヘリ」と「愚かの素」で山路台を飾る

 

 私の家の玄関には、ラジコンヘリコプターと勤続20年記念時計、40年前のドットプリンターが展示してある。もう使わないからと断捨離などとんでもない。自分史の一頁を飾る品である。今でも大事に保管している。

 それを置く芸術的な展示台は、山路徹先生がプレゼントしてくれた。その台は、自分が人生の山有り谷ありの山路(やまみち)を歩いてきた象徴である。

 

ラジコンヘリコプター

 私はドラえもんの「どこでもドア」が大好きだ。そうありたいと身軽にあちこちに出かけて、どこでも出没している。人様も、私のフットワークの軽さに驚いている。その行動の象徴として、「どこでもヘリ」としてラジコンヘリコプターを玄関に飾った。これは山路徹先生が紹介してくれた骨董屋で入手した。このラジコンヘリは飛行可能のはずだが、飛ばす予定はない。あくまでインテリアとして1万円で購入した。それを眺めていると幸せホルモンが噴出してくるのを感じる。元気になる。

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記念時計

 時計は勤続20年記念として会社から1993年に贈呈された。勤務中のことで「会社を辞めてやる」と思ったことは多かった。宮仕えとは辛いものだ。しかし20年間も勤続すると、よくやったねと自分で自分を褒めてあげたい気持ちになる。その年、私は課長に昇格した。前年に母が亡くなり、課長昇格と同時に別工場の別事業部に異動させられた。私の激動の時代の始まりを象徴した時計である。その直後、リーマンショックが起き、リストラが始まった。異動した部署は仕事が忙しく、会社の稼ぎ頭であり、リストラどころではない。以前の職場からは、「良い時に異動したね」と羨ましがられた。何が幸いするか、まさに塞翁が馬である。

 その後、私は定年まで勤めることが出来た。ところが、その勤めた会社は創業65歳で挫折して、合併して会社名が変わってしまった。何事も永続するとは、苦難の道なのだ。この時計を見ると、それを思い出す。

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プリンター

 テーブル下のドットインパクトプリンターは、40年前に購入したパソコン(オフコン扱い)のプリンターである。パソコン一式は定価500万円40Mの外付けハードディスクが100万円、このプリンターは40万円であった。定価500万円は当時の私の年収に近い。

 当時、初めて5Mのハードディスク付きで発売されたPC9001M3が40万円であった時代である。同時に40Mの外付けハードディスクを100万円で購入した。今なら100倍の容量の4テラバイトのハードディスクが1万5千円である。この性能のプリンターは、今なら2万円ほどで手に入る。当時の標準機扱いのPC9001との性能差は、軽自動車とベンツの差である。だから使っていて極楽であった。それで私はコンピューターにのめり込んだ。

 科学技術の進歩は、必ずしも先駆者を幸福にしない。しかし安くなるまで待っていては、時代に乗り遅れる。当時は、自分がこんな高いPCを買ってしまい、何と愚かなことをしたのかと、後悔半分で、買った勇気も褒めてやりたい気持ちであった。しかし愚かだからこそ誰よりも先に時代の最先端を行ける。ジョブズがスタンフォード大学でのスピーチで、「ハングリーであれ。愚かであれ  “Stay hungry, stay foolish.”言った。それが当時の自分であった。その勇気と愚かさを思い出させてくれる私の技術後悔遺産である。

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バタフライエフェクト

 このPCを買って、プログラミングに熱中したため、コンピューターに強くなり、構造化言語もマスターし、機械語もかじり、フローチャートにも精通出来て、仕事に役立てることが出来た。そのお陰でこのPCを使って実施したSQC研究事例で、論文を書くことになった。それは私の業務外の仕事で、上司も驚いたようだ。その論文を掲載した図書が、日本経済新聞社の1992年度の日経図書賞を受賞し、それで社内で社長賞を受けることになった。

 人生の成功とは、カネが貯まったことではない。仕事の達成感を味わうことだ。幸せになることだ。人生経営は、芸術なのだ。そして自分史に刻んだ思い出こそ、人生なのだ。その思い出が何もないなら、真剣に生きてこなかったことになる。

 

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2023-02-11  久志能幾研究所通信 2612  小田泰仙

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2023年2月 9日 (木)

童地蔵とタービンブレードの展示台 山路徹作

 

 写真の展示台は山路徹先生作で、童地蔵とタービンブレード用である。山路徹先生から贈り物であった。

 

 童地蔵は、東京で開催された松本明慶仏像彫刻展で、300体の中からお見合いをして決めた童地蔵である。毎回の松本明慶仏像彫刻展で約300体が売れるという。その300体の童地蔵だが、それぞれ微妙にお顔を違う。その中から選んだ仏さまである。

 

 

 タービンブレードは、2019年にセントレアで購入した。河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

 そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 その1週間後、私にがんが見つかり、生死をさ迷うことになった。

 

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縁の下の力持ち

  日本と欧州間の飛行を年間150回するとして、タービンブレード寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

 

河村義子先生の分身に出会う

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/01/post-d0c9.html 

 

賽の河原の石積み

 三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれる。賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。

 しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。

この項wikipedia より

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒をしよう、毎日散歩をしよう、毎日勉強しよう、毎日ピアノの練習しよう」と願をかけ、最初の数日間だけは実行する。しかし、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける鬼が出てくる。

 

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、散歩・勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは、鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか反省したい。

 幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 自分の心に住むのは「鬼」である。賽の石積みをしながら、それを壊すのは己の「鬼」である。そんな鬼を誰が育てたのか、自省したい。賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の怠惰な心が作る現世の己の姿である。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。 

 そんな思いを込めて、このブレードと童地蔵を玄関に飾った。

 

2023-02-09  久志能幾研究所通信 2610  小田泰仙

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2023年2月 7日 (火)

山路徹先生と「袖すり会うた縁」

 

 山路徹先生とのご縁は、2011年、大垣のデパート・ヤナゲンで見つけた素敵なテーブルを入手した縁が始まりである。そのテーブルは山路徹先生が製作した芸術的な作品であった。

 

 私は2010年に定年退職して、大垣の実家に戻った。そこから築40年の日本家屋のリフォーム工事を始めた。そうしているうち、ヤナゲン2Fの服販売店で素敵なテーブルを見付けた。それはそのお店が営業用で接客用に使っていた。

 お店を訪れる客は、このテーブルを欲しいと思う人が多くいたのだが、既に家具が一杯入った家には置ける空間がないと諦めていたという。

 

古いものを捨てる

 幸い、私の家はリフォームをして古い家具の多くを捨てた後で、家中が空っぽの状態である。それもご縁である。リフォームをしなければ、先生とのご縁もなかった。新しいご縁を掴むには、古いものを捨てなければならない。何時までもしがらみを掴んでいると、新しいご縁はやってこない。

 新しい世界で生きていくためには、過去の遺産を捨ててなければ、真のスタートができない。エリートを呼ばれる種族が世間で成功できないのは、過去の栄光を捨てられないだ。だから思いっ切った改革が出来ない。

 

 それで新しいテーブルを買う交渉をした。聞けば、販売可能という。店頭で使っていたテーブルは高さ70センチの椅子用である。それを座敷用に低い脚に作り直してもらった。

 

出会い

 その時、初めて山路徹先生とお会いした。聞けば先生は、私の出身高校で美術を担当されておられた。私の高校時代と時期がずれており、直接の恩師ではないが、ご縁のある方であった。それから先生とお付き合いが始まった。

 それから先生に多くの特注の家具を作ってもらい、いつの間にか32点の家具が揃った。机やテーブルだけでも15点もある。またその半数近くは、好意で提供して頂いた。全て材料はトチの木や奈良樫の木である。

 

ご縁を掴む能力

 今、過去を振り返ると、良きご縁に出会ったと思う。ご縁をご縁として大事にするのも、一つの能力だと思う。またそのご縁を発見するのも能力である。今まで世界の80館以上の美術館を回り、鑑賞眼を養ってきた甲斐がある。

 2010年、2011年は、松本明慶大仏師ともご縁が出来た時期であった。松本明慶先生作の仏像を置く台も、山路徹先生に造ってもらった。2010年に会社人生を捨てて、新しい人生が始まった。

 

「柳生一族の家訓」

 小才は、縁に出会って縁に気付かず。

 中才は、縁に気付いて縁を生かさず。

 大才は、袖すり会うた縁をも生かす。 

 

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 リフォーム前の居間の状態

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 リフォーム後の居間

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 デパートの服販売店で商談用として使われていた。

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 テーブル搬入前の状態

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 テーブル搬入後

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   2011年 今より12歳も若き日の山路徹先生

 

 

2023-02-07  久志能幾研究所通信 2608  小田泰仙

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2023年2月 6日 (月)

山路徹 略歴

 

1940年 土岐市に生まれる

1963年 新潟大学 絵画科卒

公立岐阜県高校勤務

1996年 積み木でエコプロダクト優秀賞(一般社団法人 産業環境管理協会)

2000年 「沙羅アート」を創業。陶芸、デザイン関係を創作。

    「天然工房やまじ」を創業。芸術的な木工品を創作。

    「遊木創造」を創業。積み木関係の芸術品を創作。

近年 東京都上野森大賞展「老いるほど若くなる」等多数

 

山路徹の作品は、ブログ「久志能幾研究所通信」内の

カテゴリー「m-木魂 - 作品展示室」に、15個の記事を紹介しています。

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Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

 

 

 私は山路先生と2010年からの付き合いである。先生は、私の出身高校の美術の先生であった。それ以来、私の家には山路徹先生のデザイン家具が合計で32個もある。いつの間にか、こんなに増えてしまった。私の家は、別名・山路徹デザイン家具展示場である。

 

2023-02-06  久志能幾研究所通信 2606  小田泰仙

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