「何処でもヘリ」と「愚かの素」で山路台を飾る
私の家の玄関には、ラジコンヘリコプターと勤続20年記念時計、40年前のドットプリンターが展示してある。もう使わないからと断捨離などとんでもない。自分史の一頁を飾る品である。今でも大事に保管している。
それを置く芸術的な展示台は、山路徹先生がプレゼントしてくれた。その台は、自分が人生の山有り谷ありの山路(やまみち)を歩いてきた象徴である。
ラジコンヘリコプター
私はドラえもんの「どこでもドア」が大好きだ。そうありたいと身軽にあちこちに出かけて、どこでも出没している。人様も、私のフットワークの軽さに驚いている。その行動の象徴として、「どこでもヘリ」としてラジコンヘリコプターを玄関に飾った。これは山路徹先生が紹介してくれた骨董屋で入手した。このラジコンヘリは飛行可能のはずだが、飛ばす予定はない。あくまでインテリアとして1万円で購入した。それを眺めていると幸せホルモンが噴出してくるのを感じる。元気になる。
記念時計
時計は勤続20年記念として会社から1993年に贈呈された。勤務中のことで「会社を辞めてやる」と思ったことは多かった。宮仕えとは辛いものだ。しかし20年間も勤続すると、よくやったねと自分で自分を褒めてあげたい気持ちになる。その年、私は課長に昇格した。前年に母が亡くなり、課長昇格と同時に別工場の別事業部に異動させられた。私の激動の時代の始まりを象徴した時計である。その直後、リーマンショックが起き、リストラが始まった。異動した部署は仕事が忙しく、会社の稼ぎ頭であり、リストラどころではない。以前の職場からは、「良い時に異動したね」と羨ましがられた。何が幸いするか、まさに塞翁が馬である。
その後、私は定年まで勤めることが出来た。ところが、その勤めた会社は創業65歳で挫折して、合併して会社名が変わってしまった。何事も永続するとは、苦難の道なのだ。この時計を見ると、それを思い出す。
プリンター
テーブル下のドットインパクトプリンターは、40年前に購入したパソコン(オフコン扱い)のプリンターである。パソコン一式は定価500万円、40Mの外付けハードディスクが100万円、このプリンターは40万円であった。定価500万円は当時の私の年収に近い。
当時、初めて5Mのハードディスク付きで発売されたPC9001M3が40万円であった時代である。同時に40Mの外付けハードディスクを100万円で購入した。今なら100倍の容量の4テラバイトのハードディスクが1万5千円である。この性能のプリンターは、今なら2万円ほどで手に入る。当時の標準機扱いのPC9001との性能差は、軽自動車とベンツの差である。だから使っていて極楽であった。それで私はコンピューターにのめり込んだ。
科学技術の進歩は、必ずしも先駆者を幸福にしない。しかし安くなるまで待っていては、時代に乗り遅れる。当時は、自分がこんな高いPCを買ってしまい、何と愚かなことをしたのかと、後悔半分で、買った勇気も褒めてやりたい気持ちであった。しかし愚かだからこそ誰よりも先に時代の最先端を行ける。ジョブズがスタンフォード大学でのスピーチで、「ハングリーであれ。愚かであれ “Stay hungry, stay foolish.”」と言った。それが当時の自分であった。その勇気と愚かさを思い出させてくれる私の技術後悔遺産である。
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バタフライエフェクト
このPCを買って、プログラミングに熱中したため、コンピューターに強くなり、構造化言語もマスターし、機械語もかじり、フローチャートにも精通出来て、仕事に役立てることが出来た。そのお陰でこのPCを使って実施したSQC研究事例で、論文を書くことになった。それは私の業務外の仕事で、上司も驚いたようだ。その論文を掲載した図書が、日本経済新聞社の1992年度の日経図書賞を受賞し、それで社内で社長賞を受けることになった。
人生の成功とは、カネが貯まったことではない。仕事の達成感を味わうことだ。幸せになることだ。人生経営は、芸術なのだ。そして自分史に刻んだ思い出こそ、人生なのだ。その思い出が何もないなら、真剣に生きてこなかったことになる。
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2023-02-11 久志能幾研究所通信 2612 小田泰仙
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