ウィーン楽友協会を表敬訪問 亡き人に出会う初体験
2017年4月24日11時から1時間、楽友協会記録室長のビーバー・オットー博士を表敬訪問した。彼の室長室は楽友協会の奥の院のような場所にあり、迷路のような館内で辿りつくのに、セキュリティの厳しさもあり苦労をした。
博士にお会いして、守屋多々志美術館の図録(ブラームが戸田伯爵夫人の琴の「六段」を聴き入る屏風絵を含む)と中井館長の挨拶状、私からの挨拶状、自著「魂が観るウィーン六段の調」(英訳併記)(初版)を贈呈した。1981年、守屋画伯がローマ法皇ヨハネパウロ2世に表敬訪問・拝謁して、バチカン美術館に寄贈した「ローマ法皇のもとに伺候する天草四郎の凛々しい馬上姿」の絵が、贈呈した絵画目録の図書の中にあることを話すと博士は大変喜ばれた。
前日、ウィーン中央墓地のブラームスのお墓に参拝したこと、前日の古楽器演奏会を開催したブラームスホールにある模様は、蓮の花であることを話すと、博士もこのことを初めて知ったと驚いておられた。
私の家のお墓の改建の話と黄鶴楼の故事の件をお話すると大変興味深い話と聞き耳を立てて頂いた。私の280年前のご先祖が、能の謡曲の歌い手で名人であったと推定され、そのお墓の揮毫を馬場恵峰先生にお願いしたことをお話した。そのおり「馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集」をお見せすると興味を持たれて、正式出版したら贈呈することになった。これもご縁です。用があるから行くのではなく、行けば用ができる。それがご縁の始まり。
私のピアノの先生である河村義子先生が「六段」のコンサートを8回も企画・演奏を開催されていること、アップされているyoutubeのこと、河村先生が共演したティム、バルトロメイ、親交のある原教授のことにも話しが及んだ。
最後に一階廊下のブラームス胸像の前で博士と記念撮影をして約1時間の楽しい友好的な会合が終わった。大垣市を始め関係者の皆様へよろしくとのこと。
彼の名刺の裏を見たら、そこに日本名があり「音 美波」とあった。素晴らしい名前だ。博士が来日したおり、サントリーホールの社長が漢字の名前を付けてくれたとか。
ベーゼンドルファーの営業マンは、「楽友協会はめちゃめちゃ敷居が高く、日本以上にお役所的であるので、返事は2、3週間後」と言っていた。それで半ば諦めていたら、面会依頼のメールを発信して僅か2日で返信が来たのは驚きである。その依頼メールも楽友協会の責任者に宛てたのであって、ビーバー・オットー博士宛てではない。その博士から返信が来たので驚嘆した。私は、彼は亡くなっていると聞いていた。私の心の中では、博士は既に亡き人であった。亡き人にこの世でお会いするのは初体験である。この縁は稀有な仏縁である。
その経緯を「これは極秘情報ですが」と声のトーンを落として重々しく「日本では、ビーバー・オットー博士は亡くなられていると伝聞されている」と話したら、博士は急に胸を張って、「I am fine」とポーズをとり大笑いとなった。
下図はウィーン楽友協会 1812年建設。楽友協会ビルの裏側にベーゼンドルファーのお店がある。楽友協会がある場所が「ベーゼンドルファー通り」
PCで見るのとスマホで見るのとでは表示が変わるんですね!
PCでアーカイブをクリックすると6月分が全部一括表示されます。スマホでは1件(1日)毎の表示で、青いタイトルで分割表示になっています。
なので、1件毎のアクセスランキングが出るんですね!
投稿: 宮本 謹彰 | 2017年6月 5日 (月) 12時30分