人生のお宝と幸福
幸と福
幸せは自分で創るもの
創るものだから血みどろの闘いが必要だ。
小さな幸せを多く積み重ねていく生き方こそ、賢者の生き方だ。
効率ばかり、金儲けばかり考えている生き方は、餓鬼の生き方だ。
福は神仏からの授かりもの
それはご先祖が血みどろの闘いで勝ち得たお宝で、それの恩恵はご先祖が創ったお宝の利子である。
裕福だった家が2代目で潰れるのは、幸を作らず、福だけを浪費して喰い潰すからだ。
漢字の「福」とは、神への捧げものを置く台を象形文字で現した「ネ」、捧げものを表した旁からなる象形文字である。
神さまが分け与えてくれるものは酒である。福という漢字は酒さかだるをそれぞれ意味し、二ふたつを合あわせて作つくられている。神さまに捧ささげた酒を自分の酒だるにいただく(神福)ことを福とした。
だから「福」という漢字には「神さまから授さずかる助け」という意味もある。
幸福とは
幸福とはご先祖と自分が作り出すお宝の五重塔である。第一階は世のなかの無数の佛たち、第二階はご先祖、第三階は自分、第四階は子孫である。第五階は来世の佛の世界である。
人生のお宝とは
人生でのお宝とは、ヒルティによれば普通の思慮ある人が手に入れることができるもので、下記の項目だという。
道徳の高い人格、高い精神的な教養、愛の精神、誠実ある性格、仕事の能力、仕事の楽しみ、健康な肉体、幸せな家庭、少数の友人、少々の財産、である。
私の考えるお宝
私が考えるお宝とは、上記に追加して、「今日の用」、「今日行く所」、「天命としての仕事」と死生観である。
「きょうよう」と「きょういく」がお宝
「起きたけど、寝るまで特に用もなし」では認知症へまっしぐらである。お陰さまで、私は自治会長としての仕事があるから、ボケている暇がない。
天命
天命としての仕事は、お金儲けではない。生計をたてるために稼ぐための労働は、金をもらわねばならぬ。しかし仕事はお金のためではない。仕事とは、経験を得るため、思い出を作るため、自分の成長のため、世間への報恩感謝の行為である。
死生観
死生観とは、何時死んでもよいと、今を精一杯生きようとする覚悟である。それこそが生きることを意味化させるお宝である。それが有れば、いつ死んでも悔いのない。どんなことが起きても、無敵の護身の宝刀である。
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2024-08-08 久志能幾研究所通信 2899号 小田泰仙
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