オリンピック狂団の洗脳工作、見限ったトヨタ
オリンピックの洗脳
パリオリンピックの話題がやっと落ち着いた。ひどいオリンピックで、話題が尽きなかった。オリンピック協会は悪徳宗教法人のようだ。オリンピックの大会には巨額の金が動く。それに甘いものに目のない害虫が群がる。
我々はその実態に目を向け、税金が無駄に使われないかを監視しなければ、増税でますます生活が苦しくなる。
その金権体質、汚職まみれの運営を見て、堪忍袋の緒が切れたトヨタとパナソニックが、オリンピック協会を見限り、TOPスポンサーから下りる顛末となった。
この大会で、フランス人の本性が暴露された。平和の祭典で、マリーアントワネットの断頭台のイメージを彷彿させる開会式を演出するのは狂気である。フランスの持つ悪魔的化けの皮が剥がれて、めでたしめでたしである。
フランスの洗脳工作
日本人はパリの優雅な虚像に騙され続けてきた。その優雅さの陰に、アフリカ諸国からの植民地搾取がある。戦後80年も経つのに、今でもフランスはその搾取を止めない。その金でフランス人は贅沢をしている。昔のフランスの貴族は、濃度から搾取したもので優雅な生活をした。それを暴力革命のフランス革命で壊した。そのフランスが、今はアフリカ諸国から搾取である。
そのため、フランスの人種差別は酷いものだ。先年、アフリカ系の青年が軽微な交通違反をしたのを、警官が有無も言わさず射殺して、暴動に発展した事件があった。それがフランスの本性である。
清水寺管主は佛の眼で観る
9月8日、名古屋のお寺で清水寺管主森清範師(84歳)の法話を聞いた。その中で一番感銘を受けた話は、オリンピックの話である。オリンピックで選手が金メダルを取ると、国歌が演奏され、国旗が掲揚される。それはオカシイと言われる。
オリンピックはあくまで個人の戦いで、国家間の戦いではない。それはオリンピック憲章にもハッキリと謳われている。しかし現実は、国家間のメダル獲得数を煽って報道もされている。
「オリンピックは平和の祭典で、国と国との名誉の闘い」と洗脳されているのが日本人である。マスコミも国別のメダル獲得数を競って報道する。マスコミがそのオリンピック憲章を全く理解していない。そのため、メダルが取れなかった円谷選手がその重圧から、1968年、自殺に追いやられた。宗教団体の洗脳と同じである。当時のマスコミもその責任の一端はあるはずだが、それは無視された。その弊害は円谷選手の悲劇から56年経っても変わらない。
オリンピック協会自体が、オリンピック憲章を守っていない。大国間の利権で動いている。その陰でオリンピック委員会の委員が甘い汁をすっている。だからトヨタ、パナソニックはスポンサーから下りた。
大国の国威発情(国威高揚?)
人口が多ければ、統計的にオリンピックで優勝する人が出てくる確率が増えるのは当たり前だ。人口の多い国家は、メダル数が多いのは当然だ。それを大々的に報道するマスコミは狂気である。その大国が共産国家なら、国家のカネで英才教育、ドーピング工作、強制練習など当たり前。N国などでは、メダルが取れなければ、処刑か強制労働送りである。それをマスコミは報道しない。オリンピック狂団の広報のままに報道する。マスゴミは報道の使命など、知ったことではないのだ。
オリンピック憲章 1996年版 (財)日本オリンピック委員会
9.オリンピック競技大会
- 1- オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会は、このような目的のために個々のNOCによって指名され、IOCがその参加を認めた選手たちがしn一堂に会し、当該IFの技術的指導のもとに競技をおこなう大会である。
- 2- オリンピック競技大会に関するあらゆる問題についての最終的な決定をくだす権限はIOCにある。
- 3- オリンピック競技大会は、オリンピアード競技大会とオリンピック冬季競技大会で構成される。両大会は、下記条4の規定を条件として、それぞれ4年に1度開催するものとする。
オリンピックの変質
1936年のベルリンオリンピックはナチスの威信宣伝大会。
2022年の北京オリンピックは中共の国威発露の宣伝大会であった。
2024年のパリオリンピックは、ギロチンイメージを出してフランス暴力革命を正当化する宣伝大会であった。
オリンピックの陰に政治の暗闇がある。特定の国が開催するオリンピックには、変質した目的がある。人々を洗脳する目的、競技の見学に熱中させて政治から目を逸らす目的、そのスポンサー金で汚職をする目的、人々を痴呆化させる目的がある。
日本人は、オリンピック報道に浮かれていないで、政治に目を向けて、目を覚まさねば国が亡ぶ。このままでは政治の腐敗が進み、また増税である。
政府に忖度しているマスコミは正しい報道をしない。マスコミは権力に忖度した洗脳教団である。注意して付き合おう。
2024-09-18 久志能幾研究所通信 2944号 小田泰仙
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