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2022年9月16日 (金)

伝えるとは、學ぶこと

 

「知りたることを人に伝えざるは、借りた金を返さざるが如し」

  石川理紀之助(1845年~1915年)

   石川氏は、秋田県生まれの老農(篤農家)・農業技術指導者。

 

 その知りたることも、多くのご縁があってのこと。その知識を得るのに相手は多大の人工をかけているはずだ。

 そのカネを返すにしても、感謝をもって返さないと相手に心が伝わらない。その伝え方が前向きでないと相手に伝わらない。ただ返せばよいものではない。相手はATMではないのだ。

 

 伝えるとは學ぶこと。學ぶとは、真似る事。伝えるとは、最低2人との共同作業である。受け手も感謝で受け取らないと、伝わらない。自分も相手から、その姿勢をまなぶのだ。

 

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技術者教育講座

 私が技術企画部で新入社員教育、中堅技術者教育を計画し、運営し、その講座を持った時は、真剣にその準備に時間をかけた。毎年、同じ名の講義を続けたが、毎年、大幅な内容の更新をした。

 私が企画して運営した講座で、他の講座の講師の傍聴もして、その講師の評価も行った。その出来が悪いと、翌年は首にした。教育とは、講師が知りたることを、受講生に伝える神聖な場なのだ。それをいい加減にする教師は許せなかったからだ。

 

Img_0552s 私は必ず、全講座の講義ぶりを後ろから観察した。

 2004年 技術者教育講座

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稟議書の伝えかた

 会社で起案する稟議書だって、自分が知っていることから、会社のためにカネを使う投資を提案している行為である。その伝える相手に応じて話し方を変えないと、借りた金が返せない(内容が伝わらない)のだ。技術担当の役員には、必要な技術開発の要点を説明すればよい。しかし技術の分からない経理担当役員には、その投資でどれだけ会社が儲かるかを説明せねば説明にならない。それで自分もその行為を学ぶのだ。

  それはどんなプロジェクトの説明でも同じである。人に説明(知らせて)して、自分の行動を第三者の目で再確認するのだ。そこに大きな学びがある。

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ブログの情報

 私のブログでも、私が知りたることを、更に付加価値を付けて発信している。私を育ててくれた師への恩返しであるからだ。師から教えてもらったことを右から左に受け流しているのではない。自分でさらに調べて、自分の学びを追加して発信である。それが師への恩返しだ。それが世の誰かのためになれば、私が生きている価値がある。馬場恵峰先生はそういう生き方をした。

 

人物評価

 私は、報せた相手の反応で人物評価をしている。伝える、たかが伝える、されど伝える、である。

 

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 馬場恵峰書

 

2022-09-15  久志能幾研究所通信 2491  小田泰仙

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コメント

いつも、勉強になる内容をありがとうございます。
教えて頂きたいのですが、
こちらには、
「知りたることを人に伝えざるは、借りた金を返さざるが如し」

  石川理紀之助(1845年~1915年)

とあり、別のブログには、
私は「知りたることを、人に教えざるは、借金をして返さざるが如し(福沢諭吉翁)」の言葉を大事にしている。
とあります。

これは、どちらかの方が引用されたのか、それともお二方ともこういったことをおっしゃっていたのか…

ご教授願えたらと思います。

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