私の人生じまい
ヒトは、人として生まれると、致死率100%の人生病になる。多くの人は、会社に入社して、「会社人間」として育ち、60歳になると定年という「死」が訪れる。それと同じで、人として生まれると平均で80歳、早いと60歳前、長くても120歳には死が訪れる。
私の1年後輩の会社仲間は52歳の若さでガン死である。私の師は94歳で亡くなられた。生は偶然だが、死は必然である。死を意識せず生きて、死の床でやり残してたことを後悔しても遅い。人として、時間は永遠ではないのだ。
人生じまい
人生じまいを考えるとは、自分の人生の考えることだ。今までは会社生活が忙しく、仕事に没頭し過ぎて、それを考える時間が無かった。定年後の時間は、それに費やすためにある。
本当の人生じまいは、自分が人間になったかの確認作業である。人間として未完成なら、人として、その手直し作業をせねばならぬ。財産の処分や、お墓を建立とか、戒名を授かることは、小さな一工程である。もっと大事な人生工程は、人間になる仕上げ工程である。
人は動物として生まれ、人間になるために修行の工程を経る。残念だが、多くの人は、人間にならず動物のまま死んでいく。「人間にならず」ではなく、「人間になろう」としなかったので、結果として、人間になれなかっただけだ。人は学ばなくなると宿命的な存在に堕ちる。つまり学ばなかったので、動物の本能のまま生きて、宿命的な犬畜生に堕ちるのだ。そうならないようにすることが、人間としての学びの修行である。最近の悲惨な事件を数多く見せられると、それを強く感じる。
死ぬまでにやりたい100項目
人生で、「死ぬまでにやりたい100項目」を書き上げるのも自分の人生を振り返るための行動としてよいことだ。それで自分の今までの生き方と、出来たことできなかったことが明確にされ、今後の生き方を明確にできる。原稿の締め切りでも、志望大学の入試日でも、仕事の締め切りでも、期限を目前にして、初めて自分の過去の行動を悟るのだ。期限を目の前に突き付けられないと、悟らないのが人間だ。それで私は何度も一夜漬けをしてしのいできて後悔している。しかし死の準備は、そういうわけにはいかない。
ある時、突然の事故死や突如の余命宣告を受けることがあるのが現代である。何時そうなっても良いようにしておかなければ、悔いが残る。
宇宙根源の理が死を教える
還暦を過ぎると、体のあちこちに不調を感じ、がんにもなり、周りの仲間も次々と鬼籍に入っていく。そうなれば嫌でも自分の死期を意識せざるを得ない。私もがんになり、それに目が覚めた。天がその死を教えてくれる。太陽も朝に日が昇り、何時かは日も沈む。時には天が真っ黒な雲に覆われ、暴風雨が来て、実質的に一日が終わる日もある。人の人生も同じである。
死が分かっているから、やりたいことをやり切って旅立ちたいものだ。そうしないと、やりたいことが出来る体力がなくなってしまう。人生は生老病死である。最近は、自分の体のことで、「昔はこんなはずではなかったのに」と思う日々である。
紅顔いずくにしか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし(修証義 第一章)
馬場恵峰書
2023-05-24 久志能幾研究所通信 2692号 小田泰仙
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