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2023年5月15日 (月)

私の墓はじめ

 

 墓じまいがあるから、当然、その前の墓はじめがある。人は還暦を過ぎると、残り人生の時間を意識するものだ。定年退職後の第二の人生はバラ色ではない。人は生物である限り、何時かは命が尽きる。

 

時間の感じ方

 特に歳をとるほど時間のたつのが早くなる。30歳の時の一年は、いままで生きてきた時間に比例して感じる時間の長さである。つまり30歳なら、次の一年は今までの人生の1/30 の時間である。それが60歳なら一年は1/60の感覚で、30歳の時の1/2の時間と感じる。「歳をとるほど時間のたつのが早くなる」は数学的に証明される。

 第二の人生を60歳から始めて、終りを平均寿命の81歳とすると、折り返しの歳は69.7歳と計算される。終りの歳を健康寿命の72歳とすると、折り返しの歳は65.7歳である。早く行動しないと期間の末期となってしまう。

 

 A歳からB歳までの間の折り返し歳Cの計算式

   C=√(A*B)

 

加齢病は致死率100% 

 人は還暦を過ぎると加齢病にかかる。加齢病は100%の致死率である。また統計的に、人はどんなに頑張っても120歳までは生きられない。日本人男性の平均寿命は81歳だが、多くの人の健康寿命は72歳である。65歳を超えれば15%の人は認知症である。その歳からは病院通いとなり、認知症、脳梗塞、心筋梗塞の発症危険に晒される。ガンになる確率も急増する。実際、私も癌になり死線をさ迷った。だから還暦を過ぎると、残り時間をどう生きるかが問われる。第二の人生は、終りから計画するのだ。

 

自分でお墓造り

 ある人は、自分の死後、息子たちが自分のお墓を作ってくれるか不安であったので、自分で自分のお墓を建てたそうだ。そうしたら、なぜか妙に心が落ち着いたというという。これは先日、懇意の石屋さんから聞いた話である。お墓とは、来世で自分が住む家である。それが未確定だと不安になるようだ。

 

 私がお墓を改建した時は、必要に迫られての墓の改建で、多くのお墓の合祀であった。その時は、私も元気一杯で、自分がそこに入るとは思っていなかった。冷静に考えれば、自家の墓なので自分も入るお墓である。当時はそんな考えはなかった。当時はオツムがお花畑であったようだ。結果として、来世で自分が住む家を確保して、どこか安心したのだろうと思う。

 

 人である限り、現世の家と来世の家を建てるのが必要である。結果として、私は早めにお墓を作れて幸せであった。お墓を作るには体力がいるのだ。お墓造りには、いろいろと走り回らねばならないからだ。私もお墓造りの為に、彦根市、京都市、京丹後市、岐阜市、養老町、と走り回った。遠方の親戚との面倒なやり取りも起きた。私はがんの手術をする前にお墓を完成させて、不幸中の幸いであった。何でも早め早めの対応が必要だ。人の明日は分からない。それはビジネスや人生での準備と同じである。

 その勢いで、戒名も授かり、墓誌に彫ってしまった。葬式代も死後50年分の法要の費用を払ってしまった。あとは死ぬだけである(笑)。

 

 

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   馬場恵峰書

 

2023-05-14  久志能幾研究所通信 2685号  小田泰仙

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