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2021年2月 1日 (月)

写経とは人生を考える修行  苦集滅道

 

 次頁2つの軸は、60軸中でも圧巻の軸である。下地は絹のため、ゆっくり書いては墨が滲んでしまう。速く書けば墨が掠れてしまう。一定の速度で心を整えて書かなければならない。梵字もヘラのような筆で書く。

 写経は一日に1行で良いから、その意味を考えながら、書くと良い。写経とは人生を考えること。そう恵峰師は説かれる。師は今までに15,000字の経を書かれた(2015年当時で)。

 般若心経とは、玄奘三蔵が万巻の経を276文字に集大成した経である。人が生きていくための真理の言葉である。万巻のお経の核言を集めたと言える。玄奘三蔵が629年に国禁を犯して、陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行った。玄奘三蔵は16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還した。その苦難苦行で獲得した真理が般若心経に詰まっている。

 

苦集滅道

 般若心経の中央にかかれた真髄の言葉が「苦集滅道」である。この世に「苦」があるが、それは苦しい思いをして、母のお腹の中からこの世に生まれてきたからである。何事も楽をして物事は生まれない。生を受けて、楽を求めて生きている間に、いつしか「苦」の因を「集」めてしまう。

 それを「滅」しようと、神社のお札を貼り、お布施をし、祈願しても「苦」は「滅」しはしない。それではショートカットである。ショートカットでは、人生でやるべき修行を放棄することだ。

 今までの狂った生活で、その「苦」の原因を「集」めてしまったのだあ。それを無くすには、正しい道(正八道)の修行で、人が人になる訓練が必要である。道を外れた人に教えを与えるには、「時間」を選び、「時(季節)」を選び、「国(場所))を選び、「順序」を選ばなければなるまい。

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2  馬場恵峰書

 

2021-02-01 久志能幾研究所通信 1907  小田泰仙

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