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2021年7月18日 (日)

墓誌と院号  恩徳に骨を砕いて謝す

 

 昔は一人一墓であったが、墓の土地供給の問題もあり、一家で一つのお墓となってきた。いわば一戸建てから集合住宅になったようなものと解釈している。それで問題になるのは、誰がそのお墓に入っているかである。改建前のお墓はそれが曖昧であったので、2015年改建のお墓には墓誌も併設することにした。

 

墓誌

 墓誌では様々な書き方があり、戒名、命日、俗名、享年に更に叙勲の有無まで書くような例も見受けられる。当初、父の弟で五男の方が勲八等を叙勲されており、それを記入する方向で話が進んでいた。

 しかし、死ねば沸の世界では全て平等であり、俗世間の位など何の意味もない。思い直して、記入は取り止めとした。

 また命日の日付も人が見てあまり意味がないと考え、両親の命日は子供が一番知っている事項である。あえて墓誌に書く必要もなく、個人情報の類であるので、止めることにした。

 弥勒菩薩は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。弥勒菩薩が来訪するという56億7千万年の尺度からいえば、40年や80年の享年に差があるわけでもあるまいし、誤差範囲である。この世に生を受け、しかるべきこの世のお勤めをして旅立った人に、寿命の多少で偉さに差があるわけでもあるまいと、書くのを止めることにした。

 結局、改建のお墓の墓誌は、戒名と俗名だけとした。簡潔な美しい墓誌となぅた。ちなみにトヨタの大番頭と言われた石田退三氏の石田家墓誌には、石田退三氏の戒名だけしか記されておらず、俗名さえ記されていない。石田退三氏は旧勲一等瑞宝章(瑞宝大綬章)を授与されている。ご遺族が故人の意思を継いで、戒名だけの墓誌を作られたと思う。頭が下がる。さすがに倒産寸前のトヨタを立て直した大番頭に相応しい墓誌である。

 

故人に院号を頂く

 現在、父の五男に当たる小田五郎に戒名に院号が付いていないので、今回の墓誌を新設するにあたり、英霊への後供養として院号を付けて頂くことにした。夫を亡くし二人の子供が戦死をした当時、祖母は院号を付ける経済的余裕がなかったと思わる。当初、祖父小田成健の戒名にも院号がなく、叔父が祖母の亡くなった時に、祖母と一緒に院号を付けてもらった。

 戒名とは引導をされる僧侶が弟子にするために授ける名前である。院号とは贈り名とも言われ人の死後にその徳を称えて贈る称号である。業績のある方のためにお寺を建てると同じように、亡くなられた方の心の中にお寺を建て、来世の名前を戒名として授け佛として修行をしてくださいと供養する意味である。

 院号はお金を出せば付けてもらえるものでもなく、相応の功徳ことがないと付けてもらえないという。お寺によっては、いくらお金を積んでも付けてもらえないという。

 私の叔父の小田五郎さんはビルマで昭和19年に戦死された英霊であり、「戰勲至誠居士」と立派な戒名が付けられている。至誠とは吉田松陰が好んで説いた『孟子』離婁上の言葉である。今回、お寺さんのご意向で、「護國院戰勲至誠居士」との立派な院号を付けていただくご縁を頂いた。

 

戒名の意味

 この世でいくら金を貯めても、どれだけ贅沢をしても、此の世に残せるのは、戒名と院号だけである。何もあの世に持って逝けない。自分のために金を使えば使うほど、それは毒となって己の体を蝕ばみ、病気になって早死にするのがオチである。因果応報とはよく言ったものだ。

 それよりも生きている間に、受けた恩に骨を砕いてでも感謝すべきなのだ。生きている間に、世に貢献して旅立ちたいという念を新たにした。

 院号についても今ままではあやふやな知識で、今回初めて詳細な知識を得ることが出来た。人生知らないことばかりである。

Photo_2 馬場恵峰書

          『志天王が観る世界』p176

  

2021-07-18   久志能幾研究所通信 2093  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月16日 (金)

蓮華の模様

 

 2015年に再建したお墓つくりで最後まで悩んだのが蓮華の模様の有無である。簡素に華美に走らずの基本方針で、お墓つくりを進めたが、蓮華の模様をつけるかどうかで最後まで悩んでしまった。最初は蓮華の模様無しで進めたが、親戚の助言や蓮華の意味を考えて、伏せ蓮華の模様を付ける事に変更した。受け蓮華だと結構目立つのだが、伏せ蓮華ならそんなにも華美とは見えないことを確認して決断した。ご先祖供養としての気持ちとして伏せ蓮華の模様も許されると判断した。

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 伏せ蓮華の模様 字は馬場恵峰先生の揮毫

 

蓮の世界

 蓮華とは蓮の花のことで、蓮は仏教の世界で最高の花である。蓮の花は泥の沼の中に美しく咲く。それに対してワサビは清純な山の中の清流の中に咲く。人間社会の中で正義を貫きすぎると自身はワサビの存在となってしまう。正義とは狭義な存在である。神仏の身でない人間は、清濁併せ呑む大きな度量が必要である。清らかな環境で育って清純な心を持っても、人としてワサビの存在になっては佛になれまい。それを仏教は蓮華の花で教えている。

 お釈迦様は世間と断絶したお寺で修行をされたわけではない。俗世間の泥にまみれた中で修行をされた。

 

人は泥沼の人間社会の中で、いかに美しい華を人生で咲かせるかが問われる。回りが泥だらけでも、自分の心をいかに清らかにするかである。

 

 蓮(LOTUS)は、古代エジプト、インド、ギリシャ、ローマの神殿にもさりげなく彫刻されている。西洋でも高貴な花として認められている。ギリシャ神話では、その実を食べると現世の苦悩を忘れるとされた。ギリシャ神話の世界では、神の世界にも現世の苦悩があるとされ、生々しい神の恋愛話や武勇伝が神話を彩っている。

 私も2010年、2011年とローマやシシリア島に20日間の旅行をしたが、当時はそんな意識が無いので、目に入らなかったが、写真で神殿等を見ると確かにLOTUSの模様がある建築物が多くある。

 2017年にウィーン楽友協会の黄金ホールを訪問した時は、目を凝らして探したので、あちこちにLOTUSの模様があることを発見した。

P1010063s ウィーン楽友協会の黄金ホールで

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  馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵  2014年4月17日撮影

     志天王が観る世界 p174

2021-07-16   久志能幾研究所通信 2091  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月15日 (木)

御本尊様の納佛

 

 2014年末に家のリフォームも完成した。その折、仏壇に納めるご本尊の釈迦如来像(白檀)を明慶先生に特別に製作をお願いし、2015年2月23日に納佛して頂いた。明慶先生は高野山からの依頼の中門の四天王像を製作が終わったところである。明慶先生がそのことを回想して、仏師として一番油の乗り切った時に、高野山からその依頼が来たことは佛縁であったという。私にとっても、その時期に明慶先生にご本尊の製作をお願いできたのは有難い佛縁であった。

 その過程で、昨年(2014年)が母23回忌、父13回忌であることに気づき、大慌てで法事の準備を始めた。昨年は諸般の事情が多く、法事の件を欠念していた。3月3日、菩提寺の職様に開眼法要をして頂いた後、両親の法要を執り行った。菩提寺が井伊直政公の菩提寺というのが何かのご縁である。

 

日暮れて道遠し

 法事には当初7名の方が参列予定であったが、直前に確認すると入院、病気、車椅子生活のため2名のみと激減の法事となった。思えば母が亡くなって23年、父が亡くなって13年が経ち、両親の同世代の親戚が床に伏すか鬼門に入るのも必然である。今回参列いただけるのは、私と同世代である従兄弟の2名である。その従兄弟と話をしていて、今回が最後の法事になるようだという。彼も昨年に法事を計画したが、姉が入院したため法事を中止したという。歳月は人を待たず無常である。次は己の番である。それまでには、やるべきことをやり遂げたい。両親の法事が命の有限さを教えてくれた。日暮れて道遠し、道を急ごう。

 

お釈迦様の入滅

 お釈迦様は悲しむ弟子達、鳥、動物達に囲まれ、眠るが如く涅槃されたという。お釈迦様はあの世があるともないとも仰らなかった。ただ精進せよとだけ言い残された。

 お釈迦様は死ぬまで托鉢をされ(乞食)、必要な時、必要なものを、必要なだけ托鉢で頂いてくる修行を続けておられた。まるでトヨタ生産方式である。教祖様として最期まで精進を続けて、その結果としての穏やかな死は、仏教と言う教えの背景となっている。争わず、比べず、足るを知り、己の魂と対話をして、自然と民衆と共生する生きかたである。立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。それ以上にあれば病気になる。人は裸で生まれて裸で死んでいく。

 

他山の異士

 2014年末、隣国の大財閥サムスンのドンが急性心筋梗塞で倒れ、相続争いで長男と長女が裁判で争うという醜態を見せている。ドンは意識もなく会話もままならぬ病状で7年間も過ぎ、2020年10月に死亡した。遺産が4兆円とも言われる。いくら財産があっても、倒れてからは使えず、昏睡状態を7年間も続けた。何のために汗水たらして稼いだのか。その相続税の支払いで財閥が危なくなるとも噂された。その後継者は汚職の罪で収監された。巨大財閥が国の財を独り占めにして、庶民は貧富の格差に喘ぎ、その結果として世界第三位の自殺大国に陥っている。この佛様は良き反面狂師役として、やってはいけないことを演じている。ありがたい曼荼羅の教えである。

 お釈迦様とサムスンのドンの事例を比較すると、自分の「人生という本」の最期の頁をどう記述するかを考える上で、良き師の教えとなる。反面狂師は、自分の心を照らす「他山の異士」である。

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来坐像

 

2021-07-15   久志能幾研究所通信 2090  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月15日 (日)

人生の墓標を建てる

履歴本の作成

 人生の再就職を目指して、履歴書ではなく、履歴本を作った(2015年)。今までやってきたことを少しの解説と写真をつけてまとめたら、履歴書ではなく20頁の小冊子の履歴本になってしまった。これはこの数年、自分史として書き溜めた文書(約300頁)の集約版である。

 履歴書としてまとめてみて、当時、半年も2年もかけて取り組んだプロジェクトが、たった1行に集約されてしまう。その一行に命をかけてきた懐かしい思い出がある。履歴書とは、自分が一瞬一瞬を生きてきた証の墓標である。どんなに栄華を極めても、最期に生きてきた証として残るのは墓標だけである。自分の名前が人の心の中にどれだけ長く残せるかが問われる。墓石や墓誌に書かれた名前のみが、現世と来世をつなぐ絆である。

 

叔父の履歴書

 私の叔父が、76歳になって履歴書を作成して、それを父の所に送ってきた。父の遺品を整理していたら、それを発見した。叔父は「父は43歳で、大津で死亡したことはご承知のとおりですが、その履歴書がないため、経歴がよく分かりません。そこで私は自分の履歴を子供達に分かるように履歴書を書きました。これをみれば私の歩んできた人生が大体わかると思います。」(平成元年7月12日に私の父が受領) 自分の両親の履歴は意外と知らないものだ。

 その履歴書を見て、叔父が原田観峰師から指導を受けて、免許を授かっていたことを知った。原田観峰師は馬場恵峰先生の師である。そこに不思議なご縁を感じた。私は今、馬場恵峰師に付いて指導を受けている。

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  原田観峰師の書 

  馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集   「報恩道書写行集」(2016年)

  久志能幾研究所刊 p104

運命のからくり

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と私は馬場恵峰師に指導された。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

 

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  馬場恵峰書

 

ご先祖とのつながり

 現世と来世は繫がっている。今の世が単独で急に発生したわけではない。原始生物から始まり、40億年の年月をかけて今の人間の姿になった。今の自分が急に単独で生まれたわけではない。多くのご先祖のご縁があって今の自分が存在する。多くの人のご縁があって今の自分に成長させていただいた。漆の表面を何回も上塗りするがごとくに、先人の技術や人徳の蓄積の上に、自分のささやかな貢献を塗り重ねることができる。その自分の存在も名前だけが後世に受け継がれて残る。

 

お墓つくり

 人生とは、はかないが故、今の生きている時間を大事に、という想いが新たになった。ご縁があり、その年の秋(2015年)に自家のお墓を再建することが出来た。お墓は作ろうとして出来るものではない。当初は、お墓を作る気は全くなかったが、出来てしまった! 正に「天之機緘不測」であった。目に見えない不思議なご縁のつながりで物事が進んでいることを実感した。

 お墓の字も馬場恵峰先生に書いて頂き、お墓の開眼法要に馬場恵峰先生ご夫妻が九州から来ていただけるご縁まで頂いた。感謝。

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2019-09-15   久志能幾研究所通信No.1338 小田泰仙

『志天王が観る世界』より

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月11日 (水)

人間性分析 1/2  総論

 人間性とは、人生と組織の運命を左右する。その理論をもとに、田中角栄、菅直人、大村智博士、小川敏現大垣市長を実例で検証する。

 

自分とは何か(組織論)

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、何者かによって生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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自分とは何か(人間として)

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 人は知識でその人間の偉さを選別してきたのが、今までの偏差値教育である。それで人に順位付けをして、組織の構成をしてきた。人間の属性的要素(知識、学歴)だけを尊重した人間評価で組織を動かすから、往々に組織が壊死してしまう。その悪例が、東電、三菱自動車、日産、タカタ、三菱重工、大垣市の行政である。

 人は不完全な存在であるからといって、完全なる神を目指してはなるまい。それでは人でない存在を目指すこと、人でなし、になってしまう。あくまでも人間として欠点もありながら、それを人間味として、徳性を育成して角熟した人間に昇華した人生を目指したいと思う。本質的要素と付属的要素をバランスよく成長させる。その過程で自分の発見がある。

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新人教育資料「修身」 2004年  小田

 

自分とは何か(神仏鬼神として)

 自分とは何かを追及すると、己の心には佛も住めば鬼も住む。神を住めば魔モノも住む。それを超越して自然と佛と一体になること、それが仏教である。それを目指すのが人間であることに行き着いたのが、弘法大師である。

 東洋の思想では、人は全て佛性を持つとされる。悪人でも閻魔大王の前で、地蔵菩薩が弁護人として救済してくれるとの思想が生まれ、地蔵菩薩信仰が生まれたという。それゆえ東洋の宗教には救いがある。悪があるから善が映える。人間である以上、一度も罪を犯さなかった人はいまい。それに目覚めさせてくれるのが懺悔する心であり、ご先祖に手を合わせる環境である。

 

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 松本明慶先生作「童地蔵菩薩」

 

 

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは、神のお告げと神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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ご先祖

 自分の運命は、己に流れるご先祖の血が左右している。己の無意識の行為に、ご先祖様の姿がある。家系図でご先祖の後姿を見れば、己の血が分かる。善も悪もご先祖様の教えである。ご先祖はやってはいけないことの結末を、30年後に孫に見せている。その行動の全ては、すべて遺伝子に書き込まれる。それは「天網恢恢疎にして漏らさず」の結果となる。

 ご先祖様は家系図内で人生劇場を演じている。そこには平家物語もあれば方丈記、リア王の物語もある。東西の宗教の差や宗派の違いは、単なる派閥争いの類で、手を合わせ自省することは、宗派を超越した行為である。

 

人生の螺旋階段

 西洋では神が完全無欠の絶対的存在であるので、不完全な人間は悪でしかない。最期の審判で、人は天国と地獄に行き先を振り分けられる。敗者復活戦はありえない。その最期の審判を凝視する姿がロダン作「考える人」である。

 地獄の前で最期の審判を見なくても、家系図を見ればその人が分かる。自分の考え方を見れば、人生の結末が観える。両親の教育を見れば、人の行く末が観える。

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 「考える人」 大垣市興文地区センター前

 

運命を決める遺伝子

 最近の凄惨な無差別殺人の多発がそれを象徴している。自分の考え方、親の教育次第を見れば、人生の螺旋階段を昇るのか、地獄へ下るかは、おおよそ見える。親が子供へ与えるメッセージが子供の遺伝子に影響を与える。自分のこどもの将来は、親が握っている。

 人は組織として疎外感に苛まれて、起こす事件である。「利己」ではなく、「自分」という考えを持てば、そんな凄惨な事件は起すまい。全て利己が起こす事件である。人間として知識だけで評価されて、社会の底辺の突き落とされて起こす事件である。人間として、ご先祖を敬う躾を受けなかった咎で起きる事件である。

 

2019-09-11   久志能幾研究所通信No.1335  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 5日 (木)

いろはにほへと

 吾が家系図上で、華々しい人生模様を形作るツワモノどもも、いつしか香も色も消え、全て墓石に記録を留めるさまは、勝者必滅を示すごときである。

 歴史上でも、現代社会でも、栄華を極めたツラ厚きものどもも、いつしか化けの皮がはがれ、姿を消していく様は、天地が春夏秋冬、盛者必衰の経を唱えるごときである。

 自分の人生を振り返り、青春を謳歌し体力に任せて無理を重ねたときもある。若いときには夢多き青春を謳歌したのに、何時しか時も過ぎ、体のあちこちに不具合を感じる頃になって、平家物語の祇園精舎の鐘の声や弘法大師の作と言われる「いろは歌」が自分に迫ってくる。

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。(『平家物語』)

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   馬場恵峰書 「100m巻物」 日中文化資料館蔵  2014年4月17日撮影

 

諸行無常

 自分の肉体と心を持つ自分自身は、自分のものではない。沸様の預かり物と思うこのごろである。いつかは沸様のいる彼岸に返さねばならない。自分を含めてすべての一族は沸心一体として家系図を彩る様こそが、沸のなせる技である。自分は小さな存在であるが、この世で出来ることを夢見て過ごすことが、夢見ず無為に過ごす人よりも、人らしい生き方であると思う。その夢が破れて涅槃に逝っても、夢見た証があれば、その後を追う子孫が生まれてくる。ご先祖が何時かは歩いた道を、生まれ変わった自分が歩いている。

 三法印の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とは仏教のあるべき姿を現した標語である。「いろは歌」はそれを踏まえた歌として詠まれている。佛と自分が一体となってこそ人の人生である。

 

 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ

 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず

 無常なこの世の中を今まで歩いてきた。誰一人永遠の繁栄を遂げた人はいない。「今」まさに越えにくい深山に入ろうとしている(有為とは佛語で、直接間接の諸条件、即ち因と縁の和合によって作られている恒常でないもの)。軽薄な夢などは見ず、正気になって涅槃に逝く覚悟である。浮世の幸不幸や貧富の差は夢の如し。有為ではなく無為(因縁によって作られたものではなく、常住絶対の真実である悟り)の世界に向って歩くことが修行である。それが身沸一体の境地となる。今の世を夢と思わずに大きな夢を見つつ、その実現に向けて、一歩一歩絶えまず人生の旅を精進したい。

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  馬場恵峰書  2012年

  

今川順夫氏、中村公隆師、河村義子先生のご縁

 私が「いろは歌」の意味を知ったのは、高野山伝燈大阿闍梨中村公隆著『いのち耀いて生きる』(春秋社)を読んだ2015年7月の時である。これも今川順夫氏が中村公隆師の米寿のお祝い会に招かれ、その時の中村公隆師贈呈の御本を今川氏が頂いた。私が河村義子の演奏会の案内を今川氏にしたら、中村公隆師の米寿の祝賀会があるので、出られないという。その中村公隆師の著書を今川氏から頂いた。

 その本を読み、感銘を受け、他の著書も手に入れて得た知識である。今川順夫氏に河村義子先生の演奏会の話しをしなければ、ご縁がなかった本である。

 その今川順夫氏もこの2019年6月に他界された。河村義子先生も昨年の2018年末に他界である。「いろはにほへと」をしみじみと感じる。

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2019-09-05   久志能幾研究所通信No.1329  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 3日 (火)

志天王とは ― 魂の叫び

 佛の世界にも仏界の中枢の四方を護る四天王がおわします。四天王とは、持国天、増長天、広目天、多聞天である。その仏の世界を凝縮した自分と言うご本尊を護る佛が守り佛である。

039a0676s   高野山 中門 ‎2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影

039a0694s  高野山の中門を護る広目天  松本明慶大仏師作

039a0695s   高野山の中門を護る持国天  松本明慶大仏師作

私の守り佛

 私の人生の四方を文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、虚空蔵菩薩が守っている。そのうち、虚空蔵菩薩が私の守り佛である。

 この仏像は、松本明慶先生が高野山の四天王像の納佛が終わってから、製作をしていただいた。私の家の宝である。

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4k8a04251s  虚空蔵菩薩座像  松本明慶大仏師作

 

生ある万物は欲を持つ

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも、人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいものだ。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

大きな欲

 「欲箭清浄句」と般若理趣経にある「宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよ」と説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済とは

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経世済民」のことである。「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。要は「みんなが仲良くご飯を食べられる仕組み」の意味である。経済観念の無き企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は、畜生の餌漁りである。

 

経済無視の小川敏市政

 小川敏市政のように己の名誉欲だけで、18年間の無為無策で、大垣経済を衰退させ、大垣の地価を半分に暴落させ、大垣駅前商店街を消滅寸前にさせ、百貨店ヤナゲンをこの8月31日に閉店に追い込み、大垣の商業人口の8,800人の職を奪ったのは、「経世済民」に反しており、大垣市長として落第である。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつけば生き方が変わる。佛はどこにもいない、己の内におわします。自分の「魂(オニ)」が志天王である。「鬼」が「云う」と書いて魂である。自分の魂の叫びに耳を傾けよう。お陀仏教は、志天王が事業広報部長である。

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 「魂(オニ)」 松本明慶大仏師作

 

志天王シリーズ

 自分が、その志天王になった気で、我が半生記を綴ったエッセイを、本ブログのカテゴリー「志天王」シリーズに掲載している。ご参照ください。

 l1_吾が人生の師天王

 l2_志天王が観る世界

 l3_書天王が描く世界

 l4_詞天王が詠う老計・死計

 

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  我が家の仏壇に納めるため馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経

 

2019-09-03   久志能幾研究所通信No.1327  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2018年2月 4日 (日)

夏原家墓参から音楽活動支援基金の設立へ

 2015年8月11日、松居石材商店さんの案内で、平和堂の創業者夏原平次郎氏のお墓にお参りをした。自家のお墓造りの参考のためである。その夏原家のお墓は、昭和14年建立で平成の直前に改建されている。お墓は、町の自治会管理の墓地内にあり、お墓の周りは広々とした開放的な雰囲気である。そのお墓は華美ではないが、目に見えないところにお金をかけた品格のある立派なお墓であった。

  平和堂の創業者夏原平次郎氏は、昭和19年に生まれた長男に「平和」と名づけた。当時の風潮では勇ましい、「雄一」や「義一」等が一般的である。それを否定して、「平和」と名づけた先見性が光っている。太平洋戦争真っ最中に、その名前を役所に届けたら、当初、拒否され受け付けてもらえなかった(伝聞)。それを敢えて意思を通した平次郎氏の偉さがある。

 その2年半後の2018年1月13日のドレスデントリオの大垣公演で、その資金集めで、平和堂さんとご縁が出来ることになった。

 

彦根商店街の惨状

 現在、彦根市内の商店街の多くがシャッター通りになっている。滋賀県内だけでも平和堂が17箇所の出店をして、そのあおりで閉店を余儀なくされた商店主や小売業者は、平和堂に恨みつらみが多々あるようである。それは逆恨みである。それは自己改革をサボり、現状維持の安逸を貪った罰である。商店として置かれた環境や条件は同じはずである。平和堂が出店しなくても、関西や関東の企業が進出してきたはずである。

 まるで井伊直弼公の断行した開国とよく似ている。開国しなければ、英米が進出してきて日本は欧米の植民地にされたかもしれない。鎖国を続けて、近代国家への脱皮が50年遅れた国が隣国である。その後遺症として、現在の愚かで醜い政争や民度の未成熟さに起因して起きた人災を世界に晒し嗤われている。平和堂を恨むのは、まるで井伊直弼公を呪うようなもの。そういう輩に限って己の自助努力はせず消えていった。ダーウインの言葉「生き残るのは、環境の変化に最も早く適応した種族である。最も強い種族が生き延びるのではない」は、本人の言葉ではないようだが、真理を言い当てている。

 

彦根商店街衰退の原因

 彦根市の駅前も悲惨である。日中は人がほとんど歩いていない。それに対して、南彦根にある大きなショッピングセンターは、大混雑である。市内の道路は右折だまりのない道ばかりで、市内はいつも大渋滞である。彦根行政は、彦根市民の事は考えず、仲間の足の引っ張りあい、利権、既得権利にまとわれて、彦根市の発展を妨げている。つい最近、彦根副市長が庁舎工事契約で法廷違反があり辞職したというニュースが流れた(2018年1月25日)。駅周辺の再開発の陰に黒い噂も聞こえる。行政がやるべきことを放棄した結果である。

 墓建立率が大都会ではドンドン下がっているようだ。まだ滋賀県内や彦根市はましであるという。それだけ、若い人の意識が変わっているようだ。先祖を敬わない心がけだから、経済が停滞するのも致し方あるまい。個人や商店街が利己的に振舞うほど、市の全体が縮小していく。意識改革が必要である。

 利己的に振舞って、結果として貧乏になるのは市ばかりでなく、個人や企業にも当てはまる。お墓を見て廻り、企業の事例を見ると、その例が各所で目にはいる。例えばビデオ規格のベータに意地のような囲い込みをして、結果として没落したソニーの例もある。才能(性能)や頭の良さだけで、世の中で成功するわけではない。それがお墓つくりに現れている。

 

大垣商店街の惨状

 大垣駅前商店街が現在はシャッター通りになりかけている。その原因は半世紀前の駅前の商店主達の先を見ない利己主義的な行動にある。当時、駅前通りと駅の裏側が東海道線で分断されていたのを、南北に連なる道路を作ろうと市が計画した。それでは駅前南側の商店街の集客が北側に流れるから、現在の商店街の売上が減ると当時の商店街店主達が大反対をして取りやめになった。もし南北の貫通道路が出来ていれば、大垣市はもっと発達したはずである。商店主達の想定外に、郊外のショッピングセンターが発達して、駐車場のない駅前商店街は寂れていった。大垣に車社会という「黒船」がやってきたのである。現在の大垣駅前のシャッター通り化は、半世紀前に商店主達が利己的に動いた佛罰である。自分達のことばかりでなく、もっと大きな利他的で将来を展望した視野に立てば、駅前商店街と大垣市はもっと発展したのにと思う。

 

ドレスデントリオ大垣公演の資金集め

 2018年1月13日、ドレスデントリオの大垣公演で、私はその資金集めで走り回ることになった。ヤナゲンさんに協賛金をお願いに行って快諾を頂いたが、その親会社の平和堂が大垣に居を構えているのに思い至った。それで彦根の本社まで協賛金のお願いに行こうと思い立った。その過程で、夏原平次郎氏が、個人資産40億円(伝聞で)を拠出して設立した平和堂基金の存在を知った。企業としての社会貢献活動である。その基金が、音楽活動等のイベントに50万円の協賛金が出ることが分かった。再度、詳細に調べたらその基金交付の対象は、滋賀県内の芸術活動に限定されていた。それも年度の前年に申請して、審査を通す必要があった。

 

大垣文化基金創立を目指して

 それで平和堂基金からの協賛金は諦めたが、その基金のシステムを大垣で作りたいと思いついた。そういう発想を与えて頂いたのが、最大の収穫であった。近い将来、大垣の企業が集ってそういう財団を作りたいと思う。音楽活動には企業の協賛がないと、運営が辛いのだ。

 大垣市は文化都市を謳っているが、現大垣市長は文化・芸術には疎く、その面には金を渋って出さない。今回のドレスデントリオ演奏会も先年9月のチェリストTIMM演奏会でも、大垣市は一銭もださない。我々有志が走り回って、各企業を回って協賛金を集め、この演奏会を実現させた。文化都市として情けない思いである。文化活動の無い都市は、心が荒廃する。

 

2018-02-04

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月30日 (土)

トヨタのDNA

 長野県茅野市の蓼科山聖光寺は、トヨタ自動車が交通安全祈願と事故で亡くなられた人の供養、負傷者の早期回復祈願のために建てられたお寺である。毎年恒例の七月の夏季大祭が執り行われ、2017年は7月17日に交通事故者慰霊萬燈供養、18日に交通安全夏季大法要が執り行われ、トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長、内山田会長、豊田章男社長をはじめ関係役員とトヨタ自動車販売店協会などから多数の方々が出席された。協豊会からは信元会長と各地区の代表副会長が出席し、会員の皆様の交通安全を祈願した。詳細は下記、協豊会HPを参照ください。

http://www.kyohokai.gr.jp/whats_new/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%82%92%E7%A5%88%E9%A1%98-3/2017/

 

 この大祭の行事は、他の自動車メーカではあまり聞いたことの無い。これは豊田佐吉翁が、トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」との遺言と豊田綱領に「神仏に尊崇報恩感謝」と記したように神仏への敬いの心の現われである。豊田佐吉翁の頭には金儲けではなく、報国の精神があり、結果として事業が成功したのであって、金儲けがうまかったから、成功したのではないと思う。

 トヨタ中興の祖と言われる石田退三氏は、交通事故死者が1万人を超えていた交通戦争と言われた時代、会社の執務室に観音様(お地蔵様かも)の像を置き、毎日、犠牲者を悼み交通安全を祈念していたという伝聞がある。

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  聖光寺  2014718日  協豊会ホームページより

豊田綱領 (豊田の5つの精神)

 1.上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし

 1.研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし

 1.華美を戒め質実剛健たるべし

 1.温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし

 1.神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし

 昭和10年10月30日、豊田佐吉の6周忌にあたって、全従業員が整列した佐吉翁の胸像まえで、佐吉翁の信任が厚かった取締役支配人・岡本藤次郎が朗読・発表(試作車を完成させ、国産自動車生産の目処がたった時)

 

 社是に「神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし」とはなかなか書けない言葉である。その精神がトヨタのDNA中に流れているようだ。目には見えないご先祖や神仏を大事に精神が今のトヨタを創ったと思う。

 

欧米企業の会社理念

 欧米の企業の会社理念(社是)には、神仏への感謝、ご先祖、お国へのご恩返しの思想はないようだ。あくまで個人主義の延長で、会社として会社主義の極まりが多い。それの行き着く先が成果主義、グローバル経済主義で、結果として富の偏在、格差の拡大ではないか。

 

日本の自動車メーカの社是

 日本の主要な自動車メーカの社是を比べてみると、日産とマツダの社是にはミッションという言葉がある。日本企業の社是とは違和感がある。共に欧米の企業に乗っ取られた会社である。それが故、欧米の価値観が社是に表れている。

 ミッション(mission)とは、ラテン語のmittere(ミッテレ。送る、つかわす)から派生した語であり、人や人のグループに与えられた、特に遠方の地へ行き果たすべき役割、使命、任務である。イエス・キリストが弟子たちに与えた、遠方へ行き福音を広く人々に伝えるという使命には、強い目的意識、強い使命感等の意味がある(自分を超えた何かによって宣告されるように感じられる)。だからミッションと聞くと殉教者的な犠牲を強いられるイメージがあり、日本の風土に合わないと思う。リストラ後の日産を辞めた社員の言動を見ていて、つくづくとそれを感じる。それで会社として成果が上がるとは思えない。けっかとして創業90年後にルノーに乗っ取られた。その挙句、2017年に拝金主義に起因すると思われる検査員の不正事件を起こしている。その記者会見の場に、ゴーン会長は姿を見せない。誰がそんな拝金主義、成果主義オンリーの風土を作ったのか。

 

社是の位置づけ

 社是とは社員の目指すべき行動規範で、自分達に夢に実現のため会社としてやるべき規範である。「是」とは正しいこと、つまり会社として正しい道を示した行動規範である。神仏を敬いご先祖を祭り、自主的に仕事に仕えて社会に奉仕をする。結果として会社の業績が向上し自分達にも返ってくる行動と、神からの強制で社会に奉仕をする行動とを比較すると、その差がお墓つくりに重ね合わせて見ると興味深い。

 トヨタ以外の3つの会社の社是では感謝というメッセージが感じられない。「私達が偉いから車という最高の製造物を君たちに作ってやってあげるのだ」との上から視線が伝わってくる。

 日産のビジョン&ミッションは、提供、寄与、プログラム開発とか何か他人事である。過去の遺産を食い潰して、結果としてトヨタより儲かっていない日産の社長が10億円という報酬を得ているのは日本人として違和感がある。強欲の極みで格差社会の象徴のように感じる。

 

日産のビジョン&ミッション

 ミッション

  「未来への投資」

 未来を志向する人々が、“どのような社会に生きたいか”を実験し、体験し、思索する機会を提供する

 目標

  ミッションを実行することにより、社会的価値の創造に寄与する

 活動方針

  ・多様性を促進するプログラムを開発する

  ・社員の社会参加を促進するプログラムを開発する

 

マツダの社是

 Vision(企業目標)

  新しい価値を創造し、最高のクルマとサービスにより、お客様に喜びと感動を与え続けます。

 Mission(役割と責任)

  私たちは情熱と誇りとスピードを持ち、積極的にお客様の声を聞き、期待を上回る創意に富んだ商品とサービスを提供します。

 Value(マツダが生み出す価値)

  私たちは誠実さ、顧客志向、創造力、効率的で迅速な行動を大切にし、意欲的な社員とチームワークを尊重します。環境と安全と社会に対して積極的に取り組みます。そして、マツダにつながる人々に大きな喜びを提供します。

 

ホンダの社是

 基本理念

  人間尊重   自立、平等、信頼

  三つの喜び   買う喜び、売る喜び、創る喜び

 社是

  わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす。

 運営方針

 ・常に夢と若さを保つこと。

 ・理論とアイディアと時間を尊重すること。

 ・仕事を愛しコミュニケーションを大切にすること。

 ・調和のとれた仕事の流れを つくり上げること。

 ・不断の研究と努力を忘れないこと。

 

日本国憲法が、日本国民、日本政府の行動を縛るように、会社社是は、会社の行動を決める。社是を見れば、その会社が分かる。

 

2017-12-30

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月29日 (金)

豊田佐吉翁のご縁

 江戸時代の鎖国から開国への転換は、井伊直弼公の決断に起因する。それがもとで桜田門外の変(1960)が起きて、井伊直弼公は暗殺される。私のご祖先は桜田門外の変のとき、武士ではないが、その大名行列の中にいた。

 時代は幕末の騒動を経て、明治維新(1868)を迎える。開国して西洋の文化が入ってきて心をときめかせた若者が、三河の片田舎の豊田佐吉である。スマイルズ著『自助論』に啓発され、母が内職で夜遅くまで手織りの織機に苦労をしている姿に発奮し、母を助けようと自動で機織機の矢を動かす発明に没頭した。それが豊田式自動織機の始まりである。彼は1890年(明治23年)11月11日、豊田式木製人力織機を発明して、特許申請をした。彼は、その後、豊田式織機株式会社を設立して、成功者となった。後年、その特許を英国に売却したお金で、トヨタ自動車が生まれる。

 『自助論』は、300人以上の欧米人の成功談を集めた成功哲学書である。本書は、佐吉の歴史も知らず、訳者竹内均氏の生き方に感銘を受けて、竹内氏の訳本だからと読んだ本である。本書は「桜田門外の変」の前年1859年に刊行された。そして明治になり開国で豊田佐吉が手にする縁が生じた。その100年後、自分もその本を手にした。

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産業技術記念館の見学

 2001年から8年間、私は会社で技術者教育に携わり、新人・中堅技術者の教育の一環として、産業技術記念館の見学を引率した。トヨタグループの産業技術記念館は、豊田佐吉が明治44年に自動織機の研究開発のために創設した試験工場の場所と建物を利用して建設された。ここは展示機械の全てが動く状態で展示されている世界最大の動態博物館である。

 最初に、豊田佐吉翁の伝記ビデオを鑑賞してから、豊田式自動織機の実演や、自動車の部品を製造する工程や自動車を組み立てる工程を見学した。実際に鍛造のプレスマシンで、素材から製品が出来上がるのを目の前で見せられて、若手技術者は興味深々であった。

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 豊田式自動織機の実演に見入る中堅技術者

3img_2584  鍛造工程の実演

拝金主義、成果主義の弊害

 下図は新会社の新入社員を引率して、産業技術記念館を見学した時の写真。これが若手の成長を祈念した最後の引率研修となった「余分な事は教えるな。技術だけを教えればよい」という成果主義に染まった上司と教育方針が合わず、ある理不尽な事件を機に、私は閑職に飛ばされた。教育の成果は10年後であるが、拝金主義者の目は、そこまで見ていない。

 私の後任の担当者は教育には全く熱意がなく、この見学教育講座は立ち消えとなってしまった。なにせこの講座を実施しても、自分の業務成果として貢献しないので、成果主義に染まった会社では、誰もやる人がいなくなってしまった。この見学研修は、バスを仕立てて遠方からの見学出張となるので、教育担当者には手間がかかるので嫌がるのである。同じトヨタグループがこの種の教育を若手技術者にしているのにと、歯がゆい思いで私は会社を去った。金儲けオンリーの成果主義者には、10年後の若人の成長など、知ったことではないのだ。自分の時代に成果が上がればよいのだ。

 2009年から2010年にかけてトヨタが、米国で言いがかりのクレーム(「トヨタ・バッシング」)に苦しめられている時、豊田章男社長が、米国通商省の長官と娘さんをこの産業技術記念館に案内して面目を取り戻したというエピソードもある。

(この一連の騒動は、2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局による最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された)。

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2017-12-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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