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2021年7月18日 (日)

墓誌と院号  恩徳に骨を砕いて謝す

 

 昔は一人一墓であったが、墓の土地供給の問題もあり、一家で一つのお墓となってきた。いわば一戸建てから集合住宅になったようなものと解釈している。それで問題になるのは、誰がそのお墓に入っているかである。改建前のお墓はそれが曖昧であったので、2015年改建のお墓には墓誌も併設することにした。

 

墓誌

 墓誌では様々な書き方があり、戒名、命日、俗名、享年に更に叙勲の有無まで書くような例も見受けられる。当初、父の弟で五男の方が勲八等を叙勲されており、それを記入する方向で話が進んでいた。

 しかし、死ねば沸の世界では全て平等であり、俗世間の位など何の意味もない。思い直して、記入は取り止めとした。

 また命日の日付も人が見てあまり意味がないと考え、両親の命日は子供が一番知っている事項である。あえて墓誌に書く必要もなく、個人情報の類であるので、止めることにした。

 弥勒菩薩は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。弥勒菩薩が来訪するという56億7千万年の尺度からいえば、40年や80年の享年に差があるわけでもあるまいし、誤差範囲である。この世に生を受け、しかるべきこの世のお勤めをして旅立った人に、寿命の多少で偉さに差があるわけでもあるまいと、書くのを止めることにした。

 結局、改建のお墓の墓誌は、戒名と俗名だけとした。簡潔な美しい墓誌となぅた。ちなみにトヨタの大番頭と言われた石田退三氏の石田家墓誌には、石田退三氏の戒名だけしか記されておらず、俗名さえ記されていない。石田退三氏は旧勲一等瑞宝章(瑞宝大綬章)を授与されている。ご遺族が故人の意思を継いで、戒名だけの墓誌を作られたと思う。頭が下がる。さすがに倒産寸前のトヨタを立て直した大番頭に相応しい墓誌である。

 

故人に院号を頂く

 現在、父の五男に当たる小田五郎に戒名に院号が付いていないので、今回の墓誌を新設するにあたり、英霊への後供養として院号を付けて頂くことにした。夫を亡くし二人の子供が戦死をした当時、祖母は院号を付ける経済的余裕がなかったと思わる。当初、祖父小田成健の戒名にも院号がなく、叔父が祖母の亡くなった時に、祖母と一緒に院号を付けてもらった。

 戒名とは引導をされる僧侶が弟子にするために授ける名前である。院号とは贈り名とも言われ人の死後にその徳を称えて贈る称号である。業績のある方のためにお寺を建てると同じように、亡くなられた方の心の中にお寺を建て、来世の名前を戒名として授け佛として修行をしてくださいと供養する意味である。

 院号はお金を出せば付けてもらえるものでもなく、相応の功徳ことがないと付けてもらえないという。お寺によっては、いくらお金を積んでも付けてもらえないという。

 私の叔父の小田五郎さんはビルマで昭和19年に戦死された英霊であり、「戰勲至誠居士」と立派な戒名が付けられている。至誠とは吉田松陰が好んで説いた『孟子』離婁上の言葉である。今回、お寺さんのご意向で、「護國院戰勲至誠居士」との立派な院号を付けていただくご縁を頂いた。

 

戒名の意味

 この世でいくら金を貯めても、どれだけ贅沢をしても、此の世に残せるのは、戒名と院号だけである。何もあの世に持って逝けない。自分のために金を使えば使うほど、それは毒となって己の体を蝕ばみ、病気になって早死にするのがオチである。因果応報とはよく言ったものだ。

 それよりも生きている間に、受けた恩に骨を砕いてでも感謝すべきなのだ。生きている間に、世に貢献して旅立ちたいという念を新たにした。

 院号についても今ままではあやふやな知識で、今回初めて詳細な知識を得ることが出来た。人生知らないことばかりである。

Photo_2 馬場恵峰書

          『志天王が観る世界』p176

  

2021-07-18   久志能幾研究所通信 2093  小田泰仙

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