l2_志天王が観る世界 Feed

2017年12月29日 (金)

トヨタ自動車とのご縁

 そのトヨタ自動車が今あるのは、明治時代初期に豊田佐吉翁が自動織機の発明に没頭し、豊田式自動織機の特許をイギリスに売却した資金で、新事業への展開したことにある。豊田佐吉翁は、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」と言い残した。企業・産業を起こすものは、志が必要である。単なる金儲けが目的では、目指す次元に差がでる。御国(公共)に尽くすためには、材料、設計、工作機械、生産技術の全てを自前で国産化しないと、当初の理念が達成できないとの考えから、車作り、人作り、会社のしくみ作りを始めている。そこに今のトヨタの礎がある。

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   トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)のモックアップ

   産業技術記念館にて

モノづくりの原点

 国の産業の発展を目的に全て自分達の手で開発したことから、トヨタ生産方式、カンバン方式、現地現物といった日本のモノづくりの原点、手法が生まれてきた。実際に手を汚し、苦労をしないとモノつくりの技は手に入らない。設計図から生産設備まで買ってきて、金儲けのために日本で生産を始めた日産からは、そんな開発の苦労話から生まれたノウハウの伝承は聞こえてこない。

 豊田喜一郎氏は米国のフォード工場に視察に行った時、切削油タンク中の切りくずを確認するため、ピカピカのスーツ姿のまま、ワイシャツやスーツが汚れるのも厭わず、その汚れた廃油の中に手を突っ込み、切りくずを取り出しハンカチに包んで持ち帰ったという。欧米の経営者なら絶対にしないことだ。

 

企業DNAの影響

 企業DNAの影響の恐ろしさは、50年後、100年後に影響する。トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)と日産初の乗用車ダットサン12型(1933年)の外観をトヨタと日産の二つの初代乗用車を並べてみると、技術は未熟ながら純日本文化の繊細な造りこみをしたトヨタ車と、欧米式のがさつな日産の車つくりの差が一目瞭然である。(著作権の関係でその写真が掲載できないので、両車の車の形は、画像検索でネットにて確認ください。)

 日産からは検査員の不祥事とか、成果主義での葛藤の生臭い話が多いが、不思議とトヨタからはそんな話がない。持っている企業DNAの差のような気がする。

 

VOLVOのDNA

 下図は私が1985年のVOLVO出張時に、VOLVO担当者から贈られたVOLVO車模型。右はVOLVO初代の車。角ばった1927年のデザインは、その後のVOLVO車を象徴する。会社のDNAは遺伝する証だ。左の車は、私が開発した研削盤で研削するクランクシャフトを搭載したVOLVO740。100年経ってもその企業DNAは脈々と受け継がれている。だだボルボがチャイナの資本に吸収されたのは悲しい現実である。理念だけあっても算盤勘定がないと生きていけない。

Volov

 自分はどんなDNAを子孫に残すのか。それが日々の生きざまで問われている。子孫は己の後ろ姿を見ている。

 

2017-12-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月28日 (木)

児玉家墓所にお参り

 松居石材商店の店主さんの案内で、彦根市の長久寺にある児玉一造氏(東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)の創設者)のお墓にお参りをした(2015年7月2日)。そこには豊田佐吉翁の長女、愛子さんも分骨されて眠られておられる。児玉一造氏の弟の利三郎氏は、愛子さんの娘婿である。豊田利三郎氏は豊田自動織機製作所の社長(初代)とトヨタ自動車工業の社長(初代)を務めた。

 児玉一造氏のお墓は先祖代々のお墓として建立されている。墓石は六甲の御影町の本御影石(現在採掘禁止)で、立派な造りの墓所である。

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 豊田家家系図

 

豊田家とのご縁

 約42年前に、5代目社長の豊田英二氏(当時社長か会長)が、センチュリーではなく、カリーナEDで自ら運転してここにお参りに来られた。その後、多賀町の石田退三氏のお墓にお参りに行かれた。当時、私も入社後の10年目にして始めて車を購入し、それがカリーナであったことを思い出した。私は、豊田英二氏(当時会長)とは直接の会話はできる立場ではなかったが、仕事の関係で至近距離にてお目にかかったことがある。

 今回のお墓造りの過程で、北尾家の叔母の父の木下重兵衛氏(豊田紡織専務)が、石田退三氏からたいへん可愛がられたとの話を聞いた。また叔母の夫の父の和田善次郎氏が豊田英二氏を教えた間柄であり、豊田英二氏がお通夜に弔問に和田家を訪問したとのこと。それを見て、お寺さんが急遽、お経代を2倍に値上げしたとかで、ぼやかれていた。叔母は石田退三氏の自宅(刈谷市)のに連れて行かれたこともあり、豊田章男氏(現トヨタの社長)の幼少の頃の姿を見たことがあるとのこと。

 

二宮尊徳翁のご縁

 もう一つの話しが、二宮尊徳翁とのご縁である。北尾家の叔母の夫君の母の在所が、下館で油問屋を営んでおり、その家の離れに二宮尊徳翁が半年間暮らしたとの話を今回聞いた。世間のご縁は不思議な繋がりを持つことを知った。

エピソード

  松居石材商店の店主の案内で、彦根長久寺にお参りをしたら、ここは皿屋敷のお菊さんのお墓があるお寺だと言う。驚いてネットで調べたら、下記の情報が得られた。

 

長久寺・お菊の墓   (滋賀県彦根市後三条)

 あのお菊さんの幽霊が出るという「皿屋敷」伝説は、全国で約50箇所ほどあるらしい。その中の1つが彦根に残されている。しかも、問題の“お皿”まで保存されているというから、驚きである。

 彦根藩の譜代藩士である孕石(ハラミイシ)家の嫡男・政之進と、そこへ奉公する足軽の娘・お菊は相思相愛の仲であった。ところが、政之進には亡くなった親が取り決めた許嫁がいた。しかもお菊と政之進とでは身分が違いすぎる。そこで思い余ったお菊は、孕石家の家宝である、藩主拝領の10枚組の皿の1枚を割ってしまう。家宝の皿を割ることで、家か自分かどちらが大事なのかを確かめたかったのである。政之進は最初、お菊の過ちであると思い、その罪を許した。だが、割ったのが 自分の本心を知るための手段であるとわかった政之進は、残り9枚の皿を刀の柄で叩き割り、お菊を手討ちにした。そして自らも仏門に入り、お菊の冥福を祈ったという。

 上の伝説を読んで、違和感を覚えた人もいるかもしれない。“お菊”という名前の女性と“皿を割る”という行動、そして“奉公していた女性を手討ちにする”ことだけが共通点で、後は全く通説とは違う話なのである。

 この話であるが、実にディテールが詳細であり、却って本物の「皿屋敷」伝説の方が陳腐なものに感じるほどである。実際に彦根藩には孕石家が存在し(しかもかなり上級の家柄)、政之進の代で本家は断絶し、跡を継いだ分家が今も続いているらしい。また長久寺の 無縁墓の中にはお菊さんの墓が存在している(本来は長久寺の末寺にあったのだが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、現在この地に安置されている)。そして何と言っても、この悲劇の元になった皿が存在するのである。

 現存する皿は全部で6枚。話によると、残っているはずの3枚は展示会などで貸し出している最中になくなってしまったとのこと。由来としては、関ヶ原の合戦の時に藩主井伊直政が徳川家康から拝領し、大阪の陣で孕石家の当主が褒美で頂いたことになっている。時代的なものを考えると、相当立派な作りの皿であるこ とがわかる。

 さらにこの寺には、お菊さんの供養のために、藩主正室以下、江戸屋敷にいた女性292名の名を連ねた寄進帳が存在する。かなり身分の低い者のために、これだけの人数の者が供養のための記帳をするのは、きわめて珍しい。言い換えれば、それだけの手厚い供養が必要な“事態”があった証拠ではないかと推測できる物件なのである。

お菊の皿は、 長久寺に保管されているが、通常は非公開。予約をすれば拝観可とのこと。

http://www.japanmystery.com/siga/chokyuji.html

 

 この世は、どこまでいっても男女のドラマがある。ご先祖を思えば、どこかで踏みとどまれるのにと思う。何か為す時に、ご先祖様に手を合わせれば、間違った道へ進むのを止めていただける。

 

2017-12-28

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2017年12月27日 (水)

墓標から見える指導者の人徳(改題)

石田退三氏の墓所参拝

 作成した自家の家系図を眺めるほどに、ご先祖に不幸が多いことが気になり、2015年7月7日、ご先祖供養として総諷経を長松院で上げていただいた。その日の午後、松居店主の案内で多賀町(彦根市の隣町)の石田家の墓所を参拝した。石田家の墓は1尺2寸の竿石の大きさで立派な佇まいである。華美ではなく品のある厳かなお墓であった。三河の牛岩石を使い、威風堂々としたお墓であった。この時、松居店主が気づいたのが、石田退三氏の法名であった「豊光院釈精進」とあり、「豊田を光らせた釈迦のような精進をした者」と表現された法名である。お釈迦様の最期の言葉が「精進せよ」であった。法名はその人の生前の威徳を偲ぶ名前である。トヨタの大番頭と呼ばれた石田退三氏に相応しい法名である。

 

石田退三氏の人柄

 「石田退三氏はきわめて腰が低く、私どものような人間にも対等にお話をして頂いた」と先代の松居店主が回顧されている。6代目の現松居店主は、直接に石田退三氏と話したことはないが、奥様やその子孫の皆さんとお話をする機会が多くあり、その人たちも偉ぶらず誰とでも対等のお話をされるという。やはり石田退三氏の後姿が、家風として奥様や子孫に伝わっているようだ。

 腰が低くても、トヨタの大番頭として、やるべきことをやるべきときに決断をして、トヨタを大きく成長させた。その前提として徹底した節約で金を貯め、トヨタの戦後の危機を乗り切り、貯めた金を設備投資に回した。児玉一造氏から薫陶を受けたDNAがあったからだ。

 「自分の城は自分で守れ」が信条であった。私の前職の会社も一時期、左前になって親会社のトヨタに援助を仰いだら、「自分の城は自分で守れ」とのありがたいお言葉だけの援助を頂いた。確かに自助努力をしないのでは、企業は生き残れない。単なる金の援助だけでは、一時しのぎの援助となり逆効果である。

 松下幸之助翁は、石田退三氏を師と仰ぎ、松下電器の役員はたびたび石田氏のところに行って話を聞くのが通例となっていた。

 

エピソード

 以下、先代の松居店主が石田退三氏から直接聞いた話である。石田退三氏がまだ児玉商店に奉公をされていた頃、児玉一造氏の家に豊田喜一郎氏が訪ねてきた。その時、児玉氏は外出しており、いつ帰るか不明であった。石田退三氏が喜一郎氏に「上に上がってお待ち下さい」と何度言っても、豊田喜一郎氏はじっと土間でかなりの時間、待っていたという。豊田喜一郎氏は児玉一造氏に、自動車造りのために資金の援助をお願いに来たのだ。帰ってきた児玉一造氏は、豊田喜一郎氏から話を聞き、細かい取り決め無しで資金を用立てたという。それを見て石田退三氏は、児玉さんが豊田さんに対して全幅の信頼を持っておられる姿に感動されたという。その後、石田退三氏は児玉一造氏の薫陶を受けて、経営手腕が磨かれた。それがトヨタが倒産の危機に瀕した時、そのトヨタを再興するために、それが役立ったようだ。後年、石田退三氏は児玉氏から言い含められてトヨタに経営を助けるために派遣された。本人はトヨタなどには行きたくなかった(?)とかいう噂もある。それでも石田退三氏は、児玉氏が全幅の信頼を寄せていた豊田喜一郎氏に誠心誠意、尽くしてトヨタを大きくした。それで今のトヨタがある。

 児玉一造氏を師と崇めていた石田退三氏は、お墓も児玉家墓所のデザインを踏襲して、少し小さいサイズのお墓を建てた。それが、私が参拝したお墓である。

 

近江絹糸の因縁

 それと対照的なのが彦根で繊維会社を創業した夏川嘉久治社長である。近江絹糸(後のオーミケンシ)は1917年に滋賀県彦根市で創業された。私の父が勤めた会社である。その夏川嘉久治社長は、いかにも大企業の社長であるような態度で業者に対応したという伝聞がある。謙虚さが無く、驕りで頭が高ったのだ。その会社は3代続かなかった。子孫は彦根を離れ、近畿に住まいを移して、そのお墓もお参りがされてないようで、荒れていた。いくら立派なお墓でも、手入れがされていないとお墓も荒れる。住まいを遠方に移すとは、そのご先祖のお墓も置いて去るということである。墓参りも疎かになりがちである。諸行無常を夏川さんのお墓を見て感じた。

 同じ時代に生きた石田退三氏と夏川嘉久治社長の因果が興味深い対照を見せる。トヨタは世界的な企業に成長し株価8,116円であるのに、その近江絹糸の株価が74円の会社に没落した現状は、鮮やかな対比である(株価は2015年7月7日現在)。それがお墓の現状の姿に冷酷に投影されている。我が家の家系図での歴史に照らして、考えさせられる因果応報である。

 繊維業界の環境が激変したのは事実であるが、東レや帝人のように炭素繊維や医療品分野等の最先端技術で、現在でも世界に羽ばたいている会社も存在する。すべてトップの人徳と先見性と指導力次第である。 

 私の家族の生活を支え、育ててくれたオーミケンシにはご恩を感じるが故に、その夏川社長の会社経営としての顛末に忸怩たる思いがある。

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 壊される直前のオーミケンシ大垣工場 2010年

3img_2918   家族と父の定年まで過ごした社宅・大井壮 2010年

  壊される直前の姿

墓石の品質の差

 石田家のお墓は昭和37年に建立されている。傷みも無く立派な佇まいのままである。それに比較して昭和38年に建立した我が家のお墓の石(並松(なんまつ))に、綻びが目立つことに思い至った。石田家の墓石は三河の牛岩石で、今は稀少石材になってしまい、1尺2寸もの大きな竿石の石材は枯渇して入手不能という。あっても小さい材料しか手に入らない。高いものにはワケがある。それを石田家のお墓が53年の年月で実証した。高価で高品質と安価で低品質の石の差は、年月が明らかにする。

 

ダーウィンの法則

 強いもの(企業)が生き延びるのではない。いかに素早く環境に適応したものだけが生き延びる(ダーウィン)。それには組織を指導するリーダが、謙虚に素直にものごとや時代の流れを見極めて経営判断をしないと、没落・滅亡である。一人の指導者の如何で組織は繁栄もするし、滅亡もする。組織のリーダの配下には、多くの部下、従業員、家族がぶら下がっている。それに責任があるリーダの頭が高くては、判断に誤りが出る。

 

大垣市の墓標

 今の小川敏大垣市長には、頭が高く人の話を聞かないという噂がある。それが遠因で小川敏市長の行政17年で、大垣市は衰退し、大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろしたという現実がある。下した商店のシャッターとは、大垣商店主達の墓標である。大垣市商店街の墓標である。シャッターには、商店に伝わる歴史がある。シャッターを下ろすとは、その商店の死である。

 大垣市を久しぶりに訪れる人が「大垣はずいぶん寂れたね」という声をよく聞く。すべて小川敏大垣市長の愚政が原因である。なにせ最高学府を出たという意識があるようで、人の話を聞かない。大垣の活性化には逆の効果となる政策ばかりに17年間も執着して、経営の基本のPDCAを市の経営で回さず、滅亡に向かって盲進している。先を見る眼が無く、100年先の計画も無く、目先のカンフル剤のようなイベントばかりに力を注ぐ。その挙句が、ドローン墜落人身事故である。頭は良くても経済音痴である。大垣が衰退するのも故あること。

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  大垣駅前商店街のシャッター通り

  お昼時の商店街で誰も歩いていない。2017‎年‎9‎月‎8‎日(木)‏‎14:03 

1201709221  大垣駅前商店街 赤はシャッターを下ろしたお店  2017年9月現在  

2017-12-27

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2017年12月25日 (月)

人生の原点復帰

 自分は何処から来て、何のために生きて、何処に行くのか、それが分からないと人生で迷いの世界に入り込む。人生の不動の原点とは、ご先祖様のお墓である。お墓は、改建等で場所が移動することもあるが、原則的には不動である。それが今回のお墓作りと20年間の研削盤開発設計の経験から得た結論である。何時かはご先祖と一緒にお墓に入る自分である。それが分かればこの世の覚悟ができる。その墓がない人生とは、はかない人生である。人生の岐路に立ち向かったとき、ご先祖のお墓の前で手を合わせると、心が落ち着き、迷いの無い決断が下せるのにはワケがある。ご先祖様が背中を押してくだっている。

 

研削盤と人生

 私は円筒研削盤設計開発に20年間従事した。研削盤とは、砥石を高速で回転させその切れ刃で、主軸の取り付けられた工作物を回転させながら工作物を真円に加工する工作機械である。いまになって、研削盤での加工とは人生の縮図であるとの思いに至った。

 砥石は自分自身である。工作物は自分のやるべき仕事である。工作機械のベッドは己の社会的基盤である。研削液は社会との潤滑剤としての社交性である。土台がしっかりしていないと、わずかな振動や事件に揺れてビビリの原因となる。それは自分の基盤も工作機械のベッドも同じである。

 砥石が固定金具で偏荷重なく正確に固定されていないと、高速回転中に砥石割れの事故を起こす。人間がきちんとした自立心がなく育つと自殺や事故に会うのによく似ている。

 

人生の剛性

 自分の人生も研削盤も、仕事への体制は、こなす仕事や加工物への計算上のモデルとして、バネで支えられた剛体として例えられる。支えるバネが弱いと、加工する反力に負けて、効率的に加工ができない。自分を支える思想や体力がないと大きな仕事に対処できないと同じである。

 

振れ止め

 剛性の小さな工作物(例:クランクシャフト)を加工する場合は、加工する砥石の反対方向に、振れ止めという装置で支えをする。そうしないと工作物が撓んで、精密に加工ができない。人生で捉えどころがない対象物に取り組む場合は、目に見えない社会のご援助を頂いて取り組むから成功する。それは己の人徳とご先祖の力がなせる業である。

Photo  研削加工の数学モデル図

 

潤滑剤

 いくら切れ味のよい砥石で研削しても研削液がないと焼けの原因となる。いくら頭が良くて頭が切れても、世の中を渡る潤滑剤としての社交性を持たないため、世の中に受け入れられない輩が多いのも現実である。

 砥石で加工すると表面が荒れて磨耗するので毎回、ドレス(目立て)をしなければならない。その度ごとに砥石は小さくなっていく。自分の体を消耗させ寿命を短くしながら人間社会で仕事をしていく己の姿である。

 

自分の位置検出

 砥石が磨耗すると、砥石が工作物と接する最先端の位置が分からなくなる。遮二無二働いて、何のために働いているか自分を見失うとき、自分の位置づけが分からなくなると、仕事への真摯な対応が出来なくなる。同じように、加工する砥石最前端位置が分からないと正確な寸法に工作物を仕上げることができない。砥石自体は砥粒とボンドと気泡でできた石の結合材である。まるで人の心のように掴み所のない存在である。そのままではとても鉄を削れない。鈍角を持つ砥粒が高速で回転すると、鋭角の刃物のように鉄を削ることができる。心が志を持つと社会を動かす力があるのに似ている。

 その砥石の表面は高速で回転しているので、直接には砥石寸法を測れない。そのためAE(アコーステックエミッション)センサーを用いてその位置を検出する。センサーが砥石と当たり破断する音を感知して間接的に位置を割り出すのである。人間も仕事や試練との遭遇で、自分の対応や結果で、自分の心の成長を悟り、その社会的位置を確認するのと全く同じである。

 

原点復帰

 砥石の直径が分かり、砥石の最先端位置が分かって、砥石台がどの位置にあるかが不明である。そのために機械原点を設けて、加工をする前に原点復帰をして自分の位置を確認して、あるべき位置まで前進して研削加工を始めることが出来る。それが原点復帰である。時としてCPUが暴走して機械位置が分からなくなることがある。迷ったら原点復帰が必要なのは、機械も人間も同じである。

 今日は12月25日、クリスマスでキリスト様が生まれた日。キリスト様の原点は天国です。キリスト様は天国に生まれて、天国に帰って行かれた。この世で2000年にわたって人々の心に残る大きな仕事をされた。宗派の違いは、単に国の文化の違いである。どの宗教もその教えの本質は同じである。少しでも世のためになる仕事を残して旅立ちたいもの。

Photo_2  馬場恵峰書

たまたま、今回が第500通目の記事となりました。感謝。

2017-12-25

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2017年12月23日 (土)

いろはにほへと

 お墓を作る過程で、2014年に家系図を作成した。その家系図上を俯瞰すると、華々しい人生模様を形作るツワモノどもも、いつしか香も色も消え、全て墓石に記録を留める様は、勝者必滅を示す如きである。自分の人生を振り返り、青春を謳歌し体力に任せて無理を重ねた時もある。若い時には夢多き青春を謳歌したのに、何時しか時も過ぎ、体のあちこちに不具合を感じる頃になって、平家物語の祇園精舎の鐘の声や弘法大師の作と言われる「いろは歌」が自分に迫ってくる。

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。(『平家物語』)

 自分の肉体と心を持つ自分自身は、自分のものではない。沸様の預かり物と思うこの頃である。いつかは沸様の彼岸に返さねばならない。自分を含めて全ての一族は沸心一体として家系図を彩る様こそが、沸のなせる技である。自分は小さな存在であるが、この世で出来ることを夢見て過ごすことが、夢見ず無為に過ごす人よりも人らしい生き方であると思う。その夢が破れて涅槃に逝っても、夢見た証があれば、その後を追う子孫が生まれてくる。ご先祖が何時かは歩いた道を、生まれ変わった自分が歩いている。

 

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静

 三法印の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とは仏教のあるべき姿を現した標語である。「いろは歌」はそれを踏まえた歌として詠まれている。佛と自分が一体となってこそ人の人生である。

 

いろは歌

 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ

 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず

 無常なこの世の中を今まで歩いてきた。誰一人永遠の繁栄を遂げた人はいない。「今」まさに越えにくい深山に入ろうとしている(有為とは佛語で、直接間接の諸条件、即ち因と縁の和合によって作られている恒常でないもの)。軽薄な夢などは見ず、正気になって涅槃に逝く覚悟である。浮世の幸不幸や貧富の差は夢の如し。有為ではなく無為(因縁によって作られたものではなく、常住絶対の真実である悟り)の世界に向って歩くことが修行である。それが身沸一体の境地となる。今の世を夢と思わずに大きな夢を見つつ、その実現に向けて、一歩一歩絶えまず人生の旅を精進したい。

 

いろは歌とのご縁

 私が「いろは歌」の意味を知ったのは、高野山伝燈大阿闍梨中村公隆著『いのち耀いて生きる』を読んだ2014年7月(64歳)の時である。これも今川順夫氏が中村公隆師の米寿のお祝い会に招かれ、その時の中村公隆師贈呈の御本を私に贈って頂いたのがご縁である。その本を読み、他の著書も手に入れて得た知識である。今川順夫氏とのご縁がなければ、出会わないご縁であった。

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Photo  馬場恵峰書 2012年

24k8a0759  馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』より(久志能幾研究所刊)

2017-12-23

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2017年12月22日 (金)

志天王とは

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいと思う。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。その志が夢を作る。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

欲箭清浄句

「欲箭清浄句」と「般若理趣経」にある。宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよと説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。経済観念の無き、企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は畜生の餌漁りである。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつくかどうかだけの問題である。佛はどこにもいない、己の内におわします。誰でも志天王になる素質を持つ。「志を持って世に尽くせ」と佛が背中を押す。右手に「志」を掲げ、左手に「ソロバン」を持ち、背中に「我慢」を背負って歩むのが菩薩行である。

 

図2 馬場恵峰書「般若理趣経」 

師は三歳で死別した母のために、77歳、祥月命日供養として写経をされた。

真言宗のお寺では、理趣経読誦されますが、長文のため写経文として第17節の終わりにある百字の啓のみとすることもある。この恵船を三回繰り返せば、理趣経一巻読誦と同じ功徳があるといわれている。合掌。南無大師遍照金剛。

『報恩道書写行集 三寶齋恵峰』より

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2017-12-22

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2017年12月19日 (火)

お墓とは生の証し

 お釈迦様は、あの世があるとは言われなかった。ただ「死ぬまで精進せよ」とだけ言われた。お釈迦様は最期まで精進の旅を続けられて、旅の途中で涅槃に逝かれた。

 

お墓の起源

 太古からお墓は存在した。それが動物と人間を分ける印である。太古の時代は、人間が死後に化けて出てくるのが恐ろしく、化けて出てこないように足や腕を折って埋葬した形跡も見受けられる。それだけ死を恐れたのだろう。

 人は弱い存在で、何か目に見える形に手を合わせ拝みたいようだ。空中に手を合わせるのでは、掴みどころがない。その拝む対象を形にしたのが仏像であり、お墓ではないか。その故人を偲ぶ形を表す形態として、お墓が存在すると思う。だからそのお墓には、祭る人の意思が明確に表われる。

 文は人なりと言うように、お墓に建立した人の人格や家風が表われる。祖先を大事にする家は、それに見合ったお墓が建立される。

 

自家のお墓の再建

 2015年、ご縁があり100年は持つと保証されたお墓を再建した。埋葬された人の骨は80年で土に帰るという。お骨を大自然の大地に返す装置がお墓なのだ。それを知って、ご先祖様が土に帰るまで安心して眠りに付けるようなお墓にした。大地震が起きてもお墓が倒壊しないように、竿、本体、足が一体の墓石構成とした。お墓のベースも一枚板の石芝台とした。それは、芝台に雑草が生えないようにして、メンテナンスフリーにする目的もあった。

 

死の意識と生への希望

 人生はお墓を作ってからが本当に人生だと思うようになった。ミッチェル女史も『風と共に去りぬ』のラストシーンを書いてから、他の章を書き始めた。お墓に入る自分を想像して、お墓の格や先に入っているご先祖様に対して、恥ずかしくない人生を送りたいと思う。お墓建立は、自分の人生への決意表明なのだ。

 お墓を意識することは、当然、死を明確に意識することだ。死を意識するからこそ、今の生が明確に浮かび上がる。疎かにはできないご先祖から頂いた命である。近直の縁者だけでも、赤い8本の糸で繋がった吾が命。その糸が一本でも切れていれば、この世には存在し得ない吾が命である。そんな大事な命だからこそ、これからの命を日々輝かせる精進は、ご先祖への恩返しなのだ。

 

夢が己の墓標 

 自分の夢や人生目標が、死後に残る墓標である。それが自分の足跡を残すお墓と考えると、生きていくうえで励みになる。頑張ってその夢が実現できれば、それは人生の生きた証となり、金字塔となる。二度とない人生、己が建てる墓標は立派にすべし。

 

戒名

 今度、戒名を授けてもらう計画である。戒名は生前に導師より付けてもらうのが正式だと今回初めて知った。戒名とは、導師が弟子のために来世で自分用の寺院を建て(院号)、そこで修行に精進するために授ける名前である。お葬式のときに戒名を付けるのは、緊急的、簡易的な処置である。人生は知らないことばかりである。65にして64の非を知るである。

 

各界ごとの生老病死

 生物の死だけが、死ではない。どんなものにも生があり死がある。学校での界での生が入学であり、死が卒業である。学校での通信簿や卒業証書が墓標である。会社での生が入社であり、死が定年である。ある会社に就職すれば、必ず40年後に、定年という会社人生の死が訪れる。その期間に世に対して仕事で成し遂げたことが己の墓標である。その墓標を誇れるものにして、会社を去りたいもの。その後に、第2、第3の人生があり、それぞれに生があり死があり、その期間の精進の程度によって相応の墓標が残る。少しでも世のためになる墓標を残してその界に実績を残し、その界を去りたいもの。

1039a12111  馬場恵峰書 伊勢神宮ご神水で磨僕

2017-12-19

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月21日 (火)

縁は方円の器に遵う

 一円が集まり五円となる。一縁が集まり五縁となり、ご縁となる。一発勝負で宝くじのような縁を漁って歩いても、却って身の毒となる。一円、されど一円である。一縁を大事にする心構えが多くのご縁を頂くことになるのを65の年輪を重ねて、7世代の家系図を作って実感した。宝くじに当たって不幸になった人は多い。家の財産を独り占めにするのは宝くじにあたるようなもの。その結果として、家を衰退させた親族も多い。小さな器に、溢れんばかりのご縁、財宝を入れても器が破綻するかこぼれるだけである。器以上には水は入らない。溢れた水は凶器となる。まず己の器作りから、ご縁は始まる。

 

自分創り

 己の器作りとは、自分の人間性、人格の育成である。それをせずに、金儲けや、地位を先に求めるから、人生で失敗する。己の能力以上に地位を求めると、多くに人に迷惑をかける。学歴が高い、頭がいい(記憶力が高い)のを、人間性・実務能力が高いと勘違いすると、失敗する。人生経営で必要な能力は苦い経験から生まれる智慧である。全ての運命に、順う素直さである。上に立つ人間で必要な能力は、できない己をサポートしてくれる人材の発見と活用である。自分一人がガンバっても成果には限界がある。人のご縁と神仏の加護がないと、いくら才能やお金に恵まれても、世の中で押しつぶされる。それが我が家のお墓つくりの過程と我が家系図と大垣市政を俯瞰して得た私の智慧である。

 

涙と血の汗の経験

 日本の最高学府を出て、有名大商社に就職したが、わずか6年で退職して地元に帰った人がいる。我慢、忍耐が足りないのか、実務で使いものにならなかったのかである。

 入社6年目と言えば、やっと仕事を覚えて、仕事と会社の状況の回りが見えてくる時期である。私が主任に昇格したのは、やっと11年目であった。私が今にして、前職に就職して良かったと思うのは、大きな会社であったので、色んな部署の人と付き合えたことだ。技術部と研究開発部に配属されたので、会社の最先端の情報と多くの人に出会えた。海外経験もさせてもらえた。それが大企業で長く勤めたメリットであったと回想できる。

 それが6年間しか大企業で我慢ができない性格では、経営者として使い物にならないのではないか。その大事な経験という財産を放棄して、実務経験が不十分のまま、地元地方都市で東京の最高学府を出たというブランドだけで、市商工会等でちやほやされたのが、彼の不幸の始まりであったようだ。苦労もせず、若くして高台に登るというのは、人生三大不幸の一つである。市商工会等は、所詮サロン活動で経営のままごと遊びの世界である。涙と血の汗とを流す生々しい実務経営の勉強は、経営者仲間のお遊びサロン活動では経験できまい。

 京セラの創業者稲盛和夫氏や松下幸之助翁は、人生の辛酸を舐めて経営の経験を積んだ。仲良しクラブのサロン活動をして会社を大きくしたのではない。同じ汗と血の混じった涙を流した仲間が稲盛氏や幸之助翁を助けて、会社を大きくした。失敗や屈辱が、二人を大きくした。地方都市のサロンでちやほやされた人間には、理解できない経験である。

 地方の名人といわれた剣士でも、江戸の町道場主と勝負をすれば、簡単に討たれるという。それが地方では、多くの剣士との勝負の経験が積めないからだ。どんな分野でも、多くの血の滲む経験が無くては、名人にはなれない。

 

名経営者の墓標

 鉄鋼の町、ピッツバーグに眠る鉄鋼王カーネギーの墓石に刻まれた言葉;

 Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

「己より優れた部下を持ち、共に働ける技を知れる者 ここに眠る

   

Andrew Canegie (1835-1919)

 アメリカの実業家。英国スコットランドからの貧しい移民で、線路工夫から身を起こす。後に世界最大の鉄鋼会社となるユナッテッド・スチールを創業する。アメリカ資本主義発展期を代表する企業家、鉄鋼王とも称される。晩年、ニューヨークに音楽殿堂といわれるカーネギーホールを建設するなど公共事業に力を注いだ。

 

私は、いつの日かカーネギーの墓所で、彼の魂の謦咳に接したいと思う。

 

Photo

2017-11-21

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月20日 (月)

人生の危機管理

 ある日突然、脳梗塞、心筋梗塞に襲われ、後始末の言付けさえ言えず、旅立たねばならない事態が多くある。そのことを我が家の家系図を作ってみて、身内に多く見た。いくら自分の健康に自信があり、身内に名医を抱えていても、心筋梗塞という閻魔様の一撃(ぎっくり腰は魔女の一撃という)には、全く手の施しようがない。

 桜田門外の変で命を落とした井伊直弼公も、なまじっか北辰一刀流免許皆伝の腕があったため、襲撃の予告があったが、そのまま江戸城に行列を進めた。組織で動いているので、護衛は部下に任せるのが上に立つ人の務めである。襲撃側の最初の一撃である短筒の一発が直弼公の腰を貫き、籠の中で身動きができなくなった。いくら腕があっても、後はなす術がない。時代の最先端の武器が、旧態依然たる防衛側の隙をついた。

 

佛の警告

 日頃から高血圧という佛様からのメッセージを無視すると、脳梗塞、心筋梗塞に襲われる。高血圧という体の警告が出ているのに、生活習慣を正さない愚かな人間が悲惨な結末を迎える。井伊直弼大老暗殺は、300年続いた泰平に世の歪が噴出して結末である。泰平の歪を直そうとして直弼公は荒療治をしたが、世の末の本質を理解しない暴走徒が、桜田門外の変を起こした。急激な治療が人間の体を痛めると同じで、江戸幕府の体制も瓦解に進んでいった。

 

己はブラック企業の社長?

 ブラック企業の経営者は従業員の健康を無視して過重な労働を強いる金儲け亡者である。それが原因で過労死になる従業員も多い。その家族が企業を訴える時代となり、問題が顕在化してきた。同じ理屈で、体に必要以上の食べ物やアルコールを摂取すれば、胃も腸も肝臓も大忙しで、己の細胞に深夜勤務の過度の労働を強いて食べたものの消化・分解の仕事をしなければならない。体の臓器が超過勤務をしても処理しきれない残物が、体のあちこちに脂肪として堆積される。それが体の閻魔帳である。だからその人の体を見れば食生活の全てが自明である。神佛は食べ物が体に入ってこれば、えり好みせず消化をするするという体のしくみを造られた。そんな大事な体に、ブラック企業のような仕打ちをすれば、病気という罰があたるのも自然界の「理」である。それが最高の結果なのだ。それを「なんで私だけが」というのは不遜である。

 

己は主

 「主」とは「王」座に立つ自分の姿「、」である。それは蝋燭台の炎を象徴している。どんな蝋燭も何時かは燃料が切れて消える。燃えて燈をともしている間に、何を照らすかが人生で問われる。自身の60兆個の細胞の王として、己は体を支配して、何を食べようと飲もうと夜更かしをしても自由であるが、その横暴な行いは全て自分に返って来る。

 

2017-11-20

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2017年11月 4日 (土)

祈りとは感謝

 祈りとは、頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚に反省する修行である。神佛やお墓の前で祈ることは、自分に与えられた神佛・ご先祖のご恩に感謝し、ご恩に報いる決意をすることだ。生存欲だけで生きていると犬畜生レベルに成り下がる。それでは魂の成長は、感謝の域には達しない。魂の浄化があってこそ、祈りと言う行為になる。犬猫が祈っているのを見たことは無い。

 

祈りの姿勢

 お祈り時間の長い人は不幸な人が多い。幸福な人はお祈り時間が短い。それはお祈りではなく、神仏・ご先祖への感謝の報告である。不幸な人が、自分のやるべきことを放棄して神仏へのお願いに時間をかける。そんな時間があれば、公園の草取りでも、家の前の道の掃除でも人様のお役に立つことをやればよい。お祈り時間の長い人は全て他力本願である。それで幸福になれるはずがない。

 「まず自分のやるべきことをやってくれ。そうすれば10年後に利子をつけて返してあげよう」が神佛の御心である。それを「お賽銭を入れた。人様以上に長くお祈りをした。直ぐに配当をくれ」では神も仏もあったものではない。神社仏閣は、お願いをしてお賽銭を入れれば、ご利益が出くる自動販売機設置場所ではない。そう信じている人は、お祈りの時間が長い。

 仕事とは祈りである。幸福な人は、仕事をすることで、社会に貢献している。そして儲かれば税金を納めて、社会のお役にたっている。幸せな人は奪う人ではなく、与える人である。祈りの長い人は、棚ぼたを信じて口を空け、待つだけの人である。

 

お祈り教の我儘

 図1の老女のお祈り時間は約20分間余と長い。ご丁寧にお寺の入り口に自転車を置き、入口を封鎖してのお祈りである。お参りにくる人に迷惑になるので注意したが、「片方が空いているので問題ない」と意地になって反論する。人様へのご迷惑は、己のお願いの祈りに没頭して眼中にはない。こうなっては仏様もお手上げだ。自己の祈りが利己的に埋没すると、祈りという行為が社会への奉仕という意味から乖離してしまう。社会の一員としての祈りであってこそ、真の祈りである。新興宗教団体の祈りも、同じようにその宗派だけの利益を願う。哀しい祈りである。

 その後、彼女は隣の八幡神社でも同じように長時間のお祈りをしていた。ここでも東口鳥居下のど真ん中に自転車を置いての他人迷惑なお祈りである。南園堂の不空羂索観音様や大日入来様、延命地蔵菩薩様だけでは心もとないので、八幡神宮の天照大神様にも二股をかけている。二股をかけられては、観音様も気を悪くするでしょうに。祈りに没頭すると、回りが見えなくなる。オウム真理教徒も、同じようであった。

 

「苦 → 滅」のショートカットキー

 人のことは笑えない。己が勤めるブラック的な「〇〇利益万能教会社」への盲従で、反社会的行為に手を染めていないだろうか。グローバル経済主義教に染まり、己の企業の利益だけを追求する経営をしていないだろうか。最近は有名企業の不正事件が後を絶たない。それは、成果主義の過大なノルマから逃れる為、正しい研究開発工程や正規の検査工程、正規の材料選択の工程(苦)を放棄して、苦労のない手抜き・データ改竄・不正で、目的を達成(滅)するというショートカットキーを使っているからだ。

 老女の姿から自らも反省をしたいもの。信心なきお祈りは、ショートカットのお守りのお札を貼るようなもの。フォルクスワーゲンの排ガス不正、日産の検査不正、近隣諸国の技術パクリなどは、拝金主義教が生み出した。

 

祈りとは修行

 祈りとは自分を謙虚にするための修行である。謙虚と感謝の気持ちがなければ、周りが見えなくなる。大義名分に囚われると、見えるものも見えない。あれども見えず、である。

 エネルギー総量一定の法則で、自分だけ幸せのエネルギーを独占すると、他の人は不幸になる。その落とし前はどこかでせねばならぬ。家系図で見えた結論は、その落とし前を子供や孫が被っている。人を不幸や苦労を自身が背負ってこそ、徳ある人の道である。

 他力本願の祈りとは、全能の神仏を超越し、ニュートン法則や相対性理論の宇宙法則を捻じ曲げて、己のためだけの欲望を願う行為。(アンブローズ・ビアス著『悪魔の辞典』)

 

 図1 お寺の入り口を塞いでの祈り

 図2 神聖な鳥居のど真ん中に自転車を置いての祈り

 図3 般若心経 馬場恵峰書

    無苦集滅道は般若心経の真ん中に書かれている。

 図4 苦集滅道とはPDCA

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2017-11-04

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