豊田佐吉翁のご縁
江戸時代の鎖国から開国への転換は、井伊直弼公の決断に起因する。それがもとで桜田門外の変(1960)が起きて、井伊直弼公は暗殺される。私のご祖先は桜田門外の変のとき、武士ではないが、その大名行列の中にいた。
時代は幕末の騒動を経て、明治維新(1868)を迎える。開国して西洋の文化が入ってきて心をときめかせた若者が、三河の片田舎の豊田佐吉である。スマイルズ著『自助論』に啓発され、母が内職で夜遅くまで手織りの織機に苦労をしている姿に発奮し、母を助けようと自動で機織機の矢を動かす発明に没頭した。それが豊田式自動織機の始まりである。彼は1890年(明治23年)11月11日、豊田式木製人力織機を発明して、特許申請をした。彼は、その後、豊田式織機株式会社を設立して、成功者となった。後年、その特許を英国に売却したお金で、トヨタ自動車が生まれる。
『自助論』は、300人以上の欧米人の成功談を集めた成功哲学書である。本書は、佐吉の歴史も知らず、訳者竹内均氏の生き方に感銘を受けて、竹内氏の訳本だからと読んだ本である。本書は「桜田門外の変」の前年1859年に刊行された。そして明治になり開国で豊田佐吉が手にする縁が生じた。その100年後、自分もその本を手にした。
産業技術記念館の見学
2001年から8年間、私は会社で技術者教育に携わり、新人・中堅技術者の教育の一環として、産業技術記念館の見学を引率した。トヨタグループの産業技術記念館は、豊田佐吉が明治44年に自動織機の研究開発のために創設した試験工場の場所と建物を利用して建設された。ここは展示機械の全てが動く状態で展示されている世界最大の動態博物館である。
最初に、豊田佐吉翁の伝記ビデオを鑑賞してから、豊田式自動織機の実演や、自動車の部品を製造する工程や自動車を組み立てる工程を見学した。実際に鍛造のプレスマシンで、素材から製品が出来上がるのを目の前で見せられて、若手技術者は興味深々であった。
豊田式自動織機の実演に見入る中堅技術者
拝金主義、成果主義の弊害
下図は新会社の新入社員を引率して、産業技術記念館を見学した時の写真。これが若手の成長を祈念した最後の引率研修となった。「余分な事は教えるな。技術だけを教えればよい」という成果主義に染まった上司と教育方針が合わず、ある理不尽な事件を機に、私は閑職に飛ばされた。教育の成果は10年後であるが、拝金主義者の目は、そこまで見ていない。
私の後任の担当者は教育には全く熱意がなく、この見学教育講座は立ち消えとなってしまった。なにせこの講座を実施しても、自分の業務成果として貢献しないので、成果主義に染まった会社では、誰もやる人がいなくなってしまった。この見学研修は、バスを仕立てて遠方からの見学出張となるので、教育担当者には手間がかかるので嫌がるのである。同じトヨタグループがこの種の教育を若手技術者にしているのにと、歯がゆい思いで私は会社を去った。金儲けオンリーの成果主義者には、10年後の若人の成長など、知ったことではないのだ。自分の時代に成果が上がればよいのだ。
2009年から2010年にかけてトヨタが、米国で言いがかりのクレーム(「トヨタ・バッシング」)に苦しめられている時、豊田章男社長が、米国通商省の長官と娘さんをこの産業技術記念館に案内して面目を取り戻したというエピソードもある。
(この一連の騒動は、2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局による最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された)。
2017-12-29
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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