トヨタ自動車とのご縁
そのトヨタ自動車が今あるのは、明治時代初期に豊田佐吉翁が自動織機の発明に没頭し、豊田式自動織機の特許をイギリスに売却した資金で、新事業への展開したことにある。豊田佐吉翁は、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」と言い残した。企業・産業を起こすものは、志が必要である。単なる金儲けが目的では、目指す次元に差がでる。御国(公共)に尽くすためには、材料、設計、工作機械、生産技術の全てを自前で国産化しないと、当初の理念が達成できないとの考えから、車作り、人作り、会社のしくみ作りを始めている。そこに今のトヨタの礎がある。
トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)のモックアップ
産業技術記念館にて
モノづくりの原点
国の産業の発展を目的に全て自分達の手で開発したことから、トヨタ生産方式、カンバン方式、現地現物といった日本のモノづくりの原点、手法が生まれてきた。実際に手を汚し、苦労をしないとモノつくりの技は手に入らない。設計図から生産設備まで買ってきて、金儲けのために日本で生産を始めた日産からは、そんな開発の苦労話から生まれたノウハウの伝承は聞こえてこない。
豊田喜一郎氏は米国のフォード工場に視察に行った時、切削油タンク中の切りくずを確認するため、ピカピカのスーツ姿のまま、ワイシャツやスーツが汚れるのも厭わず、その汚れた廃油の中に手を突っ込み、切りくずを取り出しハンカチに包んで持ち帰ったという。欧米の経営者なら絶対にしないことだ。
企業DNAの影響
企業DNAの影響の恐ろしさは、50年後、100年後に影響する。トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)と日産初の乗用車ダットサン12型(1933年)の外観をトヨタと日産の二つの初代乗用車を並べてみると、技術は未熟ながら純日本文化の繊細な造りこみをしたトヨタ車と、欧米式のがさつな日産の車つくりの差が一目瞭然である。(著作権の関係でその写真が掲載できないので、両車の車の形は、画像検索でネットにて確認ください。)
日産からは検査員の不祥事とか、成果主義での葛藤の生臭い話が多いが、不思議とトヨタからはそんな話がない。持っている企業DNAの差のような気がする。
VOLVOのDNA
下図は私が1985年のVOLVO出張時に、VOLVO担当者から贈られたVOLVO車模型。右はVOLVO初代の車。角ばった1927年のデザインは、その後のVOLVO車を象徴する。会社のDNAは遺伝する証だ。左の車は、私が開発した研削盤で研削するクランクシャフトを搭載したVOLVO740。100年経ってもその企業DNAは脈々と受け継がれている。だだボルボがチャイナの資本に吸収されたのは悲しい現実である。理念だけあっても算盤勘定がないと生きていけない。
自分はどんなDNAを子孫に残すのか。それが日々の生きざまで問われている。子孫は己の後ろ姿を見ている。
2017-12-29
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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