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2017年11月21日 (火)

縁は方円の器に遵う

 一円が集まり五円となる。一縁が集まり五縁となり、ご縁となる。一発勝負で宝くじのような縁を漁って歩いても、却って身の毒となる。一円、されど一円である。一縁を大事にする心構えが多くのご縁を頂くことになるのを65の年輪を重ねて、7世代の家系図を作って実感した。宝くじに当たって不幸になった人は多い。家の財産を独り占めにするのは宝くじにあたるようなもの。その結果として、家を衰退させた親族も多い。小さな器に、溢れんばかりのご縁、財宝を入れても器が破綻するかこぼれるだけである。器以上には水は入らない。溢れた水は凶器となる。まず己の器作りから、ご縁は始まる。

 

自分創り

 己の器作りとは、自分の人間性、人格の育成である。それをせずに、金儲けや、地位を先に求めるから、人生で失敗する。己の能力以上に地位を求めると、多くに人に迷惑をかける。学歴が高い、頭がいい(記憶力が高い)のを、人間性・実務能力が高いと勘違いすると、失敗する。人生経営で必要な能力は苦い経験から生まれる智慧である。全ての運命に、順う素直さである。上に立つ人間で必要な能力は、できない己をサポートしてくれる人材の発見と活用である。自分一人がガンバっても成果には限界がある。人のご縁と神仏の加護がないと、いくら才能やお金に恵まれても、世の中で押しつぶされる。それが我が家のお墓つくりの過程と我が家系図と大垣市政を俯瞰して得た私の智慧である。

 

涙と血の汗の経験

 日本の最高学府を出て、有名大商社に就職したが、わずか6年で退職して地元に帰った人がいる。我慢、忍耐が足りないのか、実務で使いものにならなかったのかである。

 入社6年目と言えば、やっと仕事を覚えて、仕事と会社の状況の回りが見えてくる時期である。私が主任に昇格したのは、やっと11年目であった。私が今にして、前職に就職して良かったと思うのは、大きな会社であったので、色んな部署の人と付き合えたことだ。技術部と研究開発部に配属されたので、会社の最先端の情報と多くの人に出会えた。海外経験もさせてもらえた。それが大企業で長く勤めたメリットであったと回想できる。

 それが6年間しか大企業で我慢ができない性格では、経営者として使い物にならないのではないか。その大事な経験という財産を放棄して、実務経験が不十分のまま、地元地方都市で東京の最高学府を出たというブランドだけで、市商工会等でちやほやされたのが、彼の不幸の始まりであったようだ。苦労もせず、若くして高台に登るというのは、人生三大不幸の一つである。市商工会等は、所詮サロン活動で経営のままごと遊びの世界である。涙と血の汗とを流す生々しい実務経営の勉強は、経営者仲間のお遊びサロン活動では経験できまい。

 京セラの創業者稲盛和夫氏や松下幸之助翁は、人生の辛酸を舐めて経営の経験を積んだ。仲良しクラブのサロン活動をして会社を大きくしたのではない。同じ汗と血の混じった涙を流した仲間が稲盛氏や幸之助翁を助けて、会社を大きくした。失敗や屈辱が、二人を大きくした。地方都市のサロンでちやほやされた人間には、理解できない経験である。

 地方の名人といわれた剣士でも、江戸の町道場主と勝負をすれば、簡単に討たれるという。それが地方では、多くの剣士との勝負の経験が積めないからだ。どんな分野でも、多くの血の滲む経験が無くては、名人にはなれない。

 

名経営者の墓標

 鉄鋼の町、ピッツバーグに眠る鉄鋼王カーネギーの墓石に刻まれた言葉;

 Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

「己より優れた部下を持ち、共に働ける技を知れる者 ここに眠る

   

Andrew Canegie (1835-1919)

 アメリカの実業家。英国スコットランドからの貧しい移民で、線路工夫から身を起こす。後に世界最大の鉄鋼会社となるユナッテッド・スチールを創業する。アメリカ資本主義発展期を代表する企業家、鉄鋼王とも称される。晩年、ニューヨークに音楽殿堂といわれるカーネギーホールを建設するなど公共事業に力を注いだ。

 

私は、いつの日かカーネギーの墓所で、彼の魂の謦咳に接したいと思う。

 

Photo

2017-11-21

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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