お墓の改建
今回(2015年)のご縁で、ご先祖の北尾道仙の墓、ご先祖の供養塔、小田家の墓を改建することにした。お墓を改建する過程で、様々なことが起き彦根市、岐阜市、京丹後市、養老町、京都市、長崎県大村市、大津市、金沢市に何回も足を運ぶことになった。お墓作りがこんなにも大変とは想像外であった。親戚からも横槍が入り、その対応で頭を痛めた。親戚とは物別れのようになったが、後からとやかく言われないような段取りを整えた。お墓造りは家系図作成との相乗効果で良い経験となった。一生の間でお墓作りに出会うのは、1回あれば上等である。私には52年前(2015年当時)に父と父の兄が今の墓を建立して以来である。それも3基同時のお墓造りである。そのご縁に巡りあっただけでも幸せと思う。
基本方針
お墓の建立で意識したのは、仰々しいお墓でなく、小さくても品のあるお墓になるように松居石材商店(創業文政12年)の6代目当主にお願いをした。
石の材質
現在のお墓の石材が柔らかい石(安価な石)を使っていた。墓石が50余年の風化で傷みが目立つようになったので、今回は一番硬い石を選定することにした。インド産の御影石を選定した。国産品はブランド力があり高価であるが、硬さではインド産に及ばない。
琵琶湖畔近くにあるお墓。
琵琶湖からの風雪により激しく劣化している。雪の降る寒冷地では、柔らかい石は雪と雨で水を吸い、夜の零下の気温で水分が凍結して膨張し、昼に気温が上がりそれが融解して収縮する。その繰返しで石の劣化が進む。
1935年建立(2014年6月8日撮影) 建立後80年でボロボロになっている。
水を吸った状態の墓石 。下側が水を吸った状態。
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阪神淡路大震災での住吉墓地のお墓の倒壊写真を日本石材工業新聞の紙面で見て、その耐震性を考慮して、お墓の構成要素の竿、本体、足を一体構成とした。お墓の外見から一体構成とは素人が見ても分からない。
予算的に3つのお墓全てにはとても対応できないと最初は諦めたが、後から後悔するよりはと思い直し、全て一体構成とした。それで当初の予算より6倍ほどに高騰して、ベンツ車が買えるほどの費用となったが、不思議と後悔はない。
普通のお墓の耐震構成は、阪神淡路大震災後から採用されてきたが、それでも未だ半数位しか適用されていないようだ。一般的な耐震構成は、竿石と本体の2つの石がステンレスの心金でズレないように固定されている。この松居石材店のように3つの石に全て心金を入れているような例は少ないそうだ。
一体構成に変更することに思い直したのは、石田退三氏(トヨタ中興の祖、トヨタの大番頭)の師である児玉一造氏の言葉を思い出したからである。
「何でも悪いことに使う金でなければ、後からそいつは何とでもなる。金のことでトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている」(石田退三著『トヨタ語録』)
阪神淡路大震災後の住吉墓地(日本石材工業新聞)
経年変化で隙間の出来た芝台
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石芝台は一般的な砂利を敷くと、その隙間から草が生えてくると無様で除草の手間も大変なので、一体構成の石芝台とした。要はメンテナンスフリーである。また一体構成の石芝台なら経年変化で枠石がずれるようなこともなく、耐震構成ともなる。一体構成の御影式の石芝台の大きさでは、個人建立のお墓では滋賀県内で一番の大きさとか。たまたま今回3基のお墓を改建することで出合ったご縁である。
納骨室の通気口
納骨室内が密閉では中が蒸れる。骨が土に帰るのに環境のよい状態で、枯れる様に土に返してあげたい。その室に風通しが無いのでは居心地がわるかろうと、通気穴を設けることにした。お墓とはお骨を土に帰す装置である。その点で納骨室に通気があるのが理にあっている。これは松居石材商店のご先祖のお墓を見せてもらったご縁の賜物である(2015年6月21日)。
通気穴からご精魂がお墓間で自由に行き来できるのも、ご先祖様への慮りである。
側面に通気穴のある松居家菩提
本稿の初稿 2015年12月9日
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2022年の今、この2015年のお墓造りを回想して、その時決断してよかったとつくづくと思う。今、このお墓を造ろうにも、私の体力、資金力、ご縁もなく、作れないだろう。ましてやこのコロナ禍のおり、先祖の調査のために走り回れない。このお墓の字や墓誌を揮毫して頂いた馬場恵峰先生も亡くなられてしまった。児玉一造氏の言葉に感謝である。
お墓を建立して4年後、私はガンになり生死をさ迷ったが、なんとか生き延びられたようだ。ご先祖さまが助けてくれたと感謝している。(2022年11月2日追記)
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2022-11-01 久志能幾研究所通信 2530 小田泰仙
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