2020年2月16日 (日)

磨墨智624 お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんである。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 葬儀の時、お坊さんは故人の生前の生き様を親族から聞き出して、その人に見合った戒名を授ける。しかしそれは応急処置である。本来は生前に戒名を授かるのが正規である。事前にお坊さんとお話がしてあれば、事前に個人の性格が分かり最適の戒名を授けてもらえる。時間節約にもなる。あの世で後悔をしない。

 

戒名とは

 戒名とは、導師が故人に弟子として授けるあの世での名前である。あの世で、戒名(戒めの名)を背負い、その名に恥じないように仏道を修行する。生まれた時の本名は、両親がこの子はこうあって欲しいと名付ける名前である。往々にその名前に恥じる現世を送る人が多い。

 戒名はあの世で、こうありたいと願って住職が名づける。今度こそ、名前に恥じない佛道を歩みたいもの。

 

私の戒名

 私は今回の癌の手術をして、覚悟を決めて終活準備の一環として戒名を授かった。導師より提案のあった戒名候補から選定した。その戒名を馬場恵峰先生に揮毫もしてもらった。お墓は2015年に建立スミで、墓誌も手配した。そして葬儀と50年間の法事の段取りもした。そのお金も払った。準備万端である(?)。我ながら、あきれている。

 本来、生前に戒名を授かるのが正規である。今回それを初めて知った。人生知らないことばかりである。まだ死んだ経験がないので(?)致し方なし。

 

人生最大のイベント

 死とは人生で、最大で最高のイベントである。それまでに何をこの世に遺せるか、人生の課題である。そのお祝いが死のセレモニーである。そのイベントを立派に成就するために精進をしたいと思う。

 癌死では(確率50%)、生前の食生活と生活習慣が「狂っていた」とみなされたのだ。人生道を暴走して、人生道の通行違反切符を切られたようなものだ。安心安全健康運転違反である。

 認知症(確率25%)で死ぬのでは、そのやってきたことが理解できなくなり、生きてきた甲斐がなくなる。それでは人生の作品の完成がままならぬ。仕事で気ばかり使って、頭を使わなかった校長先生や警察署長が認知症になりやすい。仕事一筋で、仕事以外の世界を知らず、定年後にやることがなくなると、認知症を発病しやすい。

 老衰では(2%)、無為無策のようで未練が残る。

 不慮の死(1%)では、人生の危機管理ができていなかった証である。

 前向きに倒れるようにぽっくり死は(1%)である。それが理想だが、狭き門である。

 立派に死ぬためにも準備と努力が必要だ。その前提条件は健康管理である。

 

理想の死

 死の直前まで人生の作品の仕上げに命を捧げたいと思う。そうすれば納得できる死を迎えられる。あの世に悔いがなく逝ける。だから今を全力で時間を忘れて働きたいと思う。

  よく働いた一日が安らかな眠りを誘う様に

  よく働いた一生は安らかな死を迎える。

             レオナルド・ダ・ビンチ

 

エピソード

 その戒名を墓誌に刻むにあたり、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらったが、行き違いがあり、墓誌に戒名を彫った後でミスが見つかった。相手が石なので修正がきかない。それで墓誌を再製作するという顛末になってしまった。それで100万円近くが消えてしまった。なにせ自分の戒名を彫るのは、初めての体験なので、ミスがあっても致し方なし(?)。

 墓誌、位牌の戒名の名には、意外と間違いが多いようだ。普通は誰も気が付かない。以前もご先祖の戒名の間違いに誰も気がつかなかった事例があった。

 今回の間違いは、仏様から「まだ浄土に来るには早い、死に急ぐな」と言われたと自分の都合の良いように解釈した。昨年、癌の手術後、医師からは余命2年と言われてから1年が経過した。だから後1年で死ぬ(?)予定が、急遽、死ぬことを諦めた(?)次第である。健康管理は己の責任だが、死は神仏の管轄範囲なので、私には管轄外である。だから自分の出来る健康管理に精進するしかない。

039a34191s

  馬場恵峰書

 

2020-02-16 久志能幾研究所通信 1482 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月15日 (土)

磨墨智33 タイマツ(心の霊光)を掲げよう

 早朝の薄暗い時には相手に認識してもらうため、ヘッドライトを点燈して走行しよう。夕刻で暗くなったら、早めに点灯しよう。雨が降り出して見通しが悪くなったら、点灯しよう。1985年当時でも、スウェーデンでは昼間でも車走行時はヘッドライトの点灯が義務付けられていた。

 それは自分の車の前方を見るためではない。相手に自車の認識率を高めるためで、それが事故防止になる。事故を起こさないのは重要な時間節約である。

 

周知徹底

 自分が何をやろうとしているかの志を掲げるのが、周りに知らせるのが効率アップである。そうすればみんなからの援助がある。一人では小さな力だが、皆が力を合わせれば、大きな力となる。リーダが組織のベクトルを合わせるため、スローガンを立てるのが、そのスローガンも松明の一種である。

 暗夜に一燈を灯そう。

 自由の女神は、自由のタイマツを灯して、アメリカへの移民を迎えた。欧州を追われたやっと米国にたどり着いた移民は、それでどれだけ勇気づけられたことか。私も1994年にニューヨークを旅行した時、その自由の女神像を見て、感銘を受けた。私も一旗揚げようという気になった。

Photo

 フェリーから眺める自由の女神(左側)とウォール街のビル群(右側)

 一番高いビルが国際貿易センタービル(2001年9月11日、テロで崩壊)

   1994年5月3日 著者撮影

Photo_2

 フェリーから望むウォール街

 一番高い2つのビルが国際貿易センタービル

   1994年5月3日 著者撮影

Photo_3

 国際貿易センタービル106階からの眺め

 手前の移民局と自由の女神の位置関係がよく分かる。

   1994年5月3日 著者撮影

 

大垣の燈火

 大垣を良くするためにタイマツを掲げよう。現状の小川敏の独裁政治の問題点を照らし、大垣を良くするための皆の認識を共通化するのも、タイマツを掲げるのは、大垣を良くする手段である。

 だからこのブログは言葉の灯台である。灯台には妨害の嵐も吹けば雨も降る。だからこのブログを誹謗するコメントも襲来する。それは小川敏軍団にまつわりつく利権集団の手先である。

Dsc004751s

 馬場恵峰書

 

2020-02-15 久志能幾研究所通信 1481 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

夢の実現に「健康オタク」あり

 金は金を大事にする人々のところへいくものだ。金持ちになろうと欲しながらなれなかった人間がいるならば、探してみるがいい。しかし、私が言うのは、本当に金持ちになりたいと欲した人間のことだ。単に希望するというのは、本当に欲することではない。

   アラン 『幸福論』宿命について

 

真なる願望

 以上は人生全ての真理を言い表している。対象の「金」を「健康」、「女」、「地位」でも、欲しいものは全てに当てはまる。それと同じことを道元禅師も「切に願うことは遂げるなり」と述べられている。

 その対象は何でもよいが、それが自分の人生の付加価値を上げ、幸せになれるかどうかは、別問題である。熱望した「女」を手に入れて、その女に破滅させられることもあるだろう。それはゴーンの行動を見ると分かる。欲望の暴走の陰に女アリ。

 研究者が原子爆弾やサリンガスの開発に成功を熱望して、それが実現しても、それが幸せかどうかは、神のみぞ知る。

 大垣市長の長期政権の座を熱望しても、それが本人の幸せと市民の幸せとは別問題である。組織の長の座に居座るとは、自分の自由な時間を無くすることなのだ。腐敗政治の氾濫である。それが人生で何の為かを理解しないと、人生を無為にする。

 

「健康」の場合

 健康は健康を大事にする人々のところへいくものだ。健康になろうと欲しながらなれなかった人間がいるならば、探してみるがいい。しかし、私が言うのは、本当に健康になりたいと欲した人間のことだ。単に希望するというのは、本当に欲することではない。

 

「大垣市長」の場合

 市長の座は、権力としての市長の座を大事にする人々のところへいくものだ。市長の座に長期間居座ることを欲しながら居座れなかった人間がいるならば、探してみるがいいしかし、私が言うのは、本当に市長の座に座りたいと欲した人間のことだ。単に希望するというのは、本当に欲することではない

 現職は強いのだ。現職として、対抗馬を現職の強みで利権や恐怖を餌に蹴落とせる特権がある。地方紙の紙面で事前選挙運動を合法的にやり放題である。だから5選が3期無投票当選で実現した。5選を終え、6選をめざすとは、よほどの利権と旨味があるのだろう。東大まで出た知識ある人間が、20余年も政権に就く独裁政治が正しかどうかの判断が出来ないはずがない。それを上回る「美味しいモノ」(利権?)があると考えるのが常識である。大垣の未来のために、6選は阻止せねばならぬ。神仏様が良きようにしてくると信じている。

 

夢の実現の為の財産・道具

 健康とは財産の一つである。その財産は夢の実現のために道具でもある。健康は維持するものではなく、蓄えて増やしていくものである。その反対に健康を大事にしなければ、それが日々害されていく。健康でなければ夢の実現は無理である。だから死んでもいいから(?)、健康が大事である。

 壮大な目標と偉大な仕事をやり遂げるためには意思が必須である。その意思は、体力と持久力の2つの要素からなる。体力は天からの恵みであるが、持久力は、自分を律し、身を守り、常に耐え忍ぶ訓練で獲得できる。それは弱小者にもできることだ。

 力の要らないはずの知的生活でも、その前提は健康な肉体である。健康とは健やかな体と健全な心である。体と心が正常であってこそ、知的生活も送れる。

 

夢の実現

 たった一つの小さな棘が刺さっても、人は正常ではありえない。ましてや病気を持てば、偉大な仕事を遂行するのに支障が出る。まずは健康である。今回、私も大病をして、それを痛感した。また夢を持つことは、病気を治そうという気概を持たせてくれる。夢のない人間は病気を治せない。夢の実現の為、死んでたまるか、である。そのために健康管理最優先である。

 

2020-02-14 久志能幾研究所通信 1480 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月13日 (木)

悪縁の人とは交わらない

 人生の師を選び、共に成長していく良き友、道連れを選ぶ。そして悪しき者とは交わってはいけない。 

  塩沼亮潤師の師匠の言葉  P33

  塩沼亮潤著『毎日が小さな修行』 致知出版社

 

 塩沼亮潤師は大峯千日回峰行者(大行満大阿闍梨)。 1999年9月2日に金峯山史上2人目となる千日回峰行を達成した。翌2000年9月28日から四無行を満行、2006年には八千枚大護摩供を満行した。 その後、帰郷して慈眼寺を建立、住職となる。

 私は師の図書に感銘して、その著書は全て読み、師の講演会を4回も聞いた。

 

ご縁は有限

 悪縁の人と交わると自分の運が悪くなる。一生の間で、真に付き合う人は50名くらいだろう。長年、年賀状を出す人の数も約50である。300枚も500枚も年賀状を出しても、真に付き合う人は50名もいまい。日本に1億人がいようとも、一生の間で付き合える人は、たった50名である。だからこそ、付き合うべき人を精選せねば、人生で沈没する。時間は命なのだ。その命を削って悪縁の人と付き合う必要はあるまい。

 一人の悪縁の人と付き合うと、本来付き合うべきもう一人の大事な人とのご縁(時間)が無くなるのだ。時間を無くすとは、命を無くすのだ。此の世でご縁を頂ける人の数は有限である。人生の時間は有限である。その命は日々尽きていく。

 

危機管理

 その人から悪いご縁を感じたら、そっとその縁から遠ざかるべきだと思う。縁なき衆生度し難し、逃げるが勝ち、君子危うきに近寄らず、である。

 日本マクドナルドを作った藤田田氏は、一度でも裏切られた人とは、決してヨリを戻さなかった。彼はそれをユダヤ人の人生哲学から学んだという。その哲学で、彼は日本マクドナルドを日本で成功させた。ユダヤ人は社会から差別され迫害されてきた長い歴史がある。ユダヤ人は、自分の身を守る哲学が明確である。

 私でも一度でも裏切られると、再度、その人から裏切られる確率が高いことを体験している。だからその人とはご縁がなかったとして、ご縁を切っている。だから今、私は無事に生き延びている。

 私が過去に縁を切ったのは、街の整備会社の悪徳社長、悪縁ディーラ、口先だけの講師・知人、恩をあだで返す人等である。

 

2020-02-13  久志能幾研究所通信 1479 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月12日 (水)

「病気という使者」とのご縁

 病気とは、己の生活習慣の間違いを教える仏様からの使者である。要はご先祖から預かった大事な体を酷使したのだ。だから「病気と闘う」という姿勢は間違っている。病気になったのも、郵便ポストが赤いのも総て己が悪い。それなのに他に病気の原因を求めるから、病気が再発する。己の内なる鬼(魂)から鉄槌を受ける。

 病気になったら、「病気様」と真剣に向かい、病気様の真意を聞き、病気様が来た意味を考えるべきだ。病気になっても、直ぐ死ぬわけではない。仏様は、自省して、生活を正すための時間的猶予を与えてくださる。それを無視するから、早死にする。

 P10409731s

赤い郵便ポスト理論

 若い時、遊ばずに、受験勉強を猛烈に頑張って、東大に行き、役人になり、郵政政務次官に出世すれば、「郵便ポストは赤色」という政令を出すこともできたのだ(?)。みんな勉強をしなかった私が悪いのだ。

 

病気というご縁 

 私も病気というご縁に出会ったから、医師の門を叩き、自分の生活習慣を見直し、正しい道に進むご縁を頂いた。感謝である。それで突然死が防げた。

 人生に目標がなければ、病気は治せない。

 

危機管理として

 下記の手順は危機管理として、ビジネスのトラブルにも応用できる手法である。逆に、私が今まで実社会で学んだ危機管理手法を、自分の病気の治療に応用したといえる。

 

病気への対応手順

 1 まず病気の状況を直視する。

 2 病気の症状を取り除く。

   まず病気を対処療法で良いから処置をする。

   まず火事の火を消すことが最優先。

   ただし医師の言う事を盲信しない。自分で考える。

 3 自分なりに病気になった真因を考える。

   なぜなぜを5回繰り返し、真因を見つける。

   真因を見つけるためなら、日本全国に足を延ばし、名医を探す。

 4 真因に基づき、治療をする。

   それは病気との闘いではなく、怠惰な己との闘いである。

 5 再発防止をする。

 6 病気を研究し、水平展開をする。

    個人でも、家でも、会社でも、国でも、大垣市でも病気になる。現在は、共産中国が病気になっている。中国では一部の金持ちが利己主義に走り、金儲けのため、誰も住まないマンション建設に邁進した。金持ち達は国のことを思わず、国のために金を使わなかった。そのため、環境がますます悪化して衛生状態が悪くなり、コロナウイルスの繁殖を増長した。全て因果応報である。

 大垣市も小川敏が金をケチるだけで、大垣の未来のために投資の金を使わなかったので、大垣市は病気になり、この小川敏市政19年間で衰弱の一途であった。小川敏は無為無策無能であった。小川敏は「未来を創造してくれる子供達」への教育費も自分たちでお手盛りとして「食べて」しまった。

 その原因は「汚川」に発生した癌細胞である。知識偏重の癌細胞が大垣を衰退に導いた。知識偏重からは智慧は生まれない。今はそれが自己増殖して現在に至っている。原因のない病気はないのだ。

 7 人にその情報として伝達して、その害をくい止める。

   知りたることを人に教えざるは、金を借りて返さざるが如し。これは佛様の教えである。

 

私の高血圧治療

 当初は降圧剤を20年間程、医師の指示通りに服用していた。私は肥満が高血圧の原因だと、必死に減量に努めたが、中間管理職の宮仕えの身の悲しさで、早朝より深夜まで働き、ストレス過多、食事は早食い、深夜の夕食、脂っこいものを多食、運動不足で、なかなか減量は進まなかった。

 高血圧への降圧剤投与は対処療法で、根本治療ではなかった。

 3年ほど前、ネットで高血圧症の原因が、血管内部に溜まったプラークのため、血管内部が細くなり、それが高血圧の原因であるとの記事を見付けた。私には機械設計者として、至極納得できる理論であったので、すぐ久留米市の真島消化器クリニックに出かけ、血管内に溜まったプラークを測定してもらい、その原因を突き止めた。真島先生の食事療法指導で2年がかりで高血圧症を治した。今は降圧剤の薬は飲まなくて済んでいる。今では20年間飲んだ降圧剤も、私の癌罹患の遠因と推察している。

 病気の治療は病気になった真因を見付けないとダメなのだ。

 

私の癌治療

 昨年の年初、癌が見つかり対処療法として手術をした。

 その後、愛知県がんセンターの標準治療として抗がん剤治療を勧められたが、それは対処療法であり、延命効果があまりなく、副作用も大きいことから、その治療を拒否して代替医療を探して対処した。

 がんセンターの医師からは、その後の生活は今まで通りでいいと、癌再発防止の生活指導がなかった。それで自分で癌の発生原因を市販図書50冊ほど買い込んで、再発しない方法を自分なりに研究した。

 それで東京の某クリニックにも出かけ、癌の転移防止にはビタミンCが良いとの話を確認して、その点滴治療を地元の病院で半年にわたり受けた。

 その過程で、南雲クリニックの南雲吉則先生と巡り合って、師の唱える癌の発生原因説(狂った食事、狂った生活)に納得して、自分に展開をした。それで南雲先生の治療指導に従うことにして、現在に至っている。

 南雲先生の説が、今まで調査した中では、癌発生の真因に一番近いと確信した。その内容は、当ブログの「南雲吉則講座「命の食事」」1~6(2019/10/27~)を参照ください。

  

2020-02-11 久志能幾研究所通信 1478  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月10日 (月)

神ではなく、人を信じよう

 人生を豊かにするためには、信じられる人とご縁を結ばねばならぬ。アーメンと言って神を祈り、ナンマンダと佛に手を合わせても、神仏は己を助けてはくれぬ。助けてくれるのは、己であり、ご縁のある人である。人は人を信じないと生きていけない。人は人の中で、人となる。

 そのご縁を結ぶ前に、己がどれだけ人のために布施、報謝をしたか反省したい。見返りを求めての交際は、ご縁が商売の取引となってしまう。人はモノを獲得して幸せになるのではない、人に与えて幸せになれる。己に徳がなければ、己も人を助けまい。

039a3272s

 馬場恵峰書

 

知識の布施

 人から良き話を聞いたら、その話を人に話さなければ、仏道に反する「知りたることを人に話さざるは、カネを借りて返さざるが如し」と経典に書いてある。人に話さないのは知識泥棒である。その知識を自分だけのモノにするから幸せになれない。それは自惚れになる。人に有益な話をするのも、人助けである。それによって、人は人となる。

 

葬式坊主

 現代はお寺の経営は危機状態である。檀家の200軒が、お寺の損益分岐点で、それ以下は経営的に苦しいという。だから廃寺が止まらない。

 現代人は、葬式、法事しかお寺に行かないような状況に、お寺自身が追い込んだためである。本来、お寺で住職が、人生の生き方、仏教の教えをして、仏教としての生き方を広めるべきなのだ。それゆえお寺さんは高徳者でなければなるまい。それが、今はそうではない僧侶が多いのが問題である。僧侶の真偽を見分けないと、人生で沈没する。

 

僧侶は職業ではない

 僧侶は、一銭の得にもならないことを世のため、人のために誠心誠意を込めて行ずる。職業人として効率を求めるわけではない。しかし今の僧侶は、金儲け主義で葬式、法事を勤め、その金の多寡で評価するから、人が違和感を抱く。

 お寺の檀家で死にそうな人が、東におれば行って、こわがらなくてもいいよと慰め、病気の人が西におれば、行ってお見舞いをする。悩んでいる人がいれば行って相談に乗る。子供を集めて、学校では教えない人生の裏話を教える。例えば桃太郎の話し、浦島太郎の話しの仏教的な意味を教える。童謡の仏教的意味を教える。

 しかしそういう坊さんが現代は稀有なのだ。お寺さんは金儲けで忙しい。だからお寺に人が集まらない、仏教が廃れつつある。

 私が病気で入院しても、お寺さんは見舞いに来ますと言いながら、見舞いには来ない。

 以上は馬場恵峰師の講話を元にまとめました。

 

新興宗教の怖ろしさ

 普通のお寺さんに比べて、新興宗教は、怪しい金儲け集団が多い。ご用心ご用心。本来、正規の仏教宗派では、その宗派への入信勧誘は戒律で禁止されている。これはあまり知られていない。

 私の菩提寺が信徒大募集のキャンペーンをしていることは聞いたことがない。それは戒律で禁止されているからだ。それはキリスト教も同じである。だから勧誘する宗派は、まともな宗派ではない。その禁を新興宗教が破っているので、本物か偽物かの区別がつく。オウム真理教はその勧誘がすごかったようだ。

 

仏教の教え

 そのオウム真理教の「商売」拡販材料が、瞑想と超能力獲得である。人より優れた超能力を身に着けたいと入信した人が多かった。それは、「人と比べない、執着心をもたない、生かされていることを知る、諸行無常」という仏教の基本原則の教えに反する教義である。それは矛盾に満ちたオウム真理教の教義であった。己が超能力者になり、他人に優位になることに執着した「頭のいい人」は、それの矛盾に気が付かず、麻原教祖に洗脳された。洗脳されれば、もう教祖の奴隷である。

 新興宗教の手口が「貴方だけですよ、貴方は特別扱いですよ。貴方は大勢の中から選ばれたのですよ」とコチョコチョと貴方の弱い心をくすぐる。

 

私の新興宗教入会寸前体験

 私も10年ほど前に某経営研究会に入会して、あるはずみでその会の元会長から某新興宗教に勧誘された。それが、上記の勧誘キャッチコピーで、詐欺師の手口であった。紹介者が会社の社長で、経営研究会の元会長なので、つい信用してしまった。試しに入会して、ダメなら退会すればいいとの安易な気持ちで入会を承諾した。ところが、入会儀式直前に、仏様からの啓示があり、その宗教団体の異常さをネットで知り、慌てて入会を断った。くわばらくわばら。

 その新興宗教団体に入会すれば、合計で数百万円を嫌でも寄進させられることになる。またその退会が大変なのだ。退会するといえば、大勢の信徒が家に押しかけてきて「退会すると無間地獄に堕ちるぞ」と家の周りで大騒ぎをするという(ネット情報で)。無間地獄に堕ちるには、親殺し等の極悪な罪を犯さないと行けないのに、言いぐさがお笑いである。押しかけてくる信徒は教団から指示されていて、必死である。なにせ真面目に(?)に脅迫しないと、その刃が己に向かう。

 その修行の手口はオウム真理教のそれと大差はないようだ。その修行(洗脳)の手口は、ベトナム戦争で心の病になった兵士を治療するための「米軍開発の心理学療法」を悪用したものであった。だから洗脳効果抜群である。その威力はサリン事件を見れば納得できる。

 

2020-02-10 久志能幾研究所通信 1477  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 9日 (日)

小川敏、子供から生涯賃金 1億5千万円を奪う

 19年間に亘り大垣市を無能独裁政治で支配する小川敏は、大垣の教育環境を県下最低レベルに落とした。小川敏は、大垣の未来を背負う子供達を非正規社員(生涯賃金が1.5億円も少ない)にしかなれない確率を高める政治をした。小川敏は亡国の政治家である。

 

小学校卒の田中角栄の政策

 1972年に総理大臣に就任した田中角栄元総理は、1974年、日本の小学校教育の人材確保とその人材の質を高めるため、小学校の教員の「人材確保法」を制定して、一般職員よりも25%も高い給与にする政策を実施した。そうやって日本の未来を背負う子供たちのために教員を集めるため金をつぎ込み、日本の未来のために「投資」をした。

 田中角栄の政治は、未来に希望が持てた。日本列島改造論には夢があった。

 

東大卒の小川敏の愚策

 今の経済停滞、衰退の激しい大垣で、最優先課題は人の育成である。人こそが2倍にも3倍にも価値を創造してくれる。それなのに、無能無策の小川敏は、田中角栄元総理と真逆の政策を執り、大垣市の教員の給与を県下最低レベルに落とし、一般職員の給与を県下一の高さに引き上げた。今は岐阜市のそれより200万円以上の差がある。岐阜市や他市は教員の給与は、一般職員よりも高い。それは法律の準拠している。しかし、大垣市は教員の給与は一般職よりも約150万円も低い。岐阜市のそれより200万円も低い。小川敏の行政は、田中角栄が作った「人材確保法」に違反している。

 小川敏は、子供たちの未来のための予算を自分達の為に食べてしまって、19年間の極楽の生活を送っていた。

 小川敏は亡国の政治家である。小川敏のぶち上げる政策には「大垣の死」の匂いがする。

 

大垣の子供の未来

 大垣の教育予算が県下一低いので、結果として大垣市の子供の教育環境は他市に負ける。一例では、他市は小中学校のエアコン設備率が100%であったのに、大垣市のそれは2.1%でしかなかった(2018年)。大垣の子供のための予算を小川敏が横流しをしてしまったのだ。

 大垣市は教育への金をケチり、教師の残業代も出さないため、教師も「働き方改善」の美名の元、寒い冬の朝に意欲ある子供達が登校してきても、時間までドアを閉ざして校舎内に入れないという非情な教師に堕ちぶれている。

 こんな教育環境では大垣の子供達は、将来、正社員になれる確率が、他市よりも低くなると推定される。一生、フリータ、派遣社員では、年収で3倍の差がある。生涯収入では、正社員のそれとで約4倍、合計で1.5億円の差が発生する。その責任は全て小川敏である。

 幼児教育で「大垣は子育て日本一を目指す」と小川敏がぶち上げるが、大嘘である。子育ては、子供が社会に巣立つまでの期間である。大垣市の学校教育環境は県下最低である。小川敏は言葉の魔術使として、自分の価値なき功績を誇大に表現するだけが得意である。

 小川敏は、子供を持つ親に対して、恥ずかしくないのだろうか。今の子供が未来の大垣を創る。その子供の教育を軽視した小川敏は、大垣の未来を破壊した市長として、後世に汚名を残した。それで恥ずかしくないのだろうか。田中角栄が草葉の陰で泣いている。

 

 汚川でも 皆で汚食で 臭くない  (百舌鳥)

 

 

大垣市の教育は県下最低レベル

          一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

多治見市    735    158    8,862  

岐阜市     529    114    32,074  

可児市     517    111    8,352   

大垣市     465    100    14,400  

各務ヶ原市   445     96    12,525   

刈谷市(愛知県)918    197    11,120  

 

大垣市・岐阜市の職員給与

      一般職     教育職

大垣市   665.62万円  529.61万円  2016年

岐阜市   639.87万円  738.09万円  2014年

  給与.comより https://kyuuryou.com/city/212016/?nendo=2014

 

大垣市職員の給与は県下最高レベル

 大垣市議の年収   942万円 全国115位

 大垣市役所職員年収 685万円  全国67位( 全国792市中で上位)

           岐阜県下一位(岐阜市より多い)

 岐阜市役所職員年収 672万円 (全国117位)岐阜県下二位

 岐阜市民の年収   344万円 全国170位

 大垣市民の年収   320万円 全国280位

 

正規・非正規社員の年収比較 

 年齢    非正規社員 正社員

 15-19歳   110万円  210万円

 20-24歳   130万円  260万円

 25-29歳   140万円  310万円

 30-34歳   160万円  360万円

 35-39歳   160万円  420万円

 40-44歳   150万円  480万円

 ※1: 数値は厚生労働省、若者雇用関連データから作られたグラフから読み取った概算値。より詳しくは出典を参照。  出典:厚生労働省、若者雇用関連データ

 

生涯賃金の格差

 正社員の生涯賃金が約2億円、フリーターのそれは約0.5億円で、正社員の約4分の1である。

生涯賃金比較

 学歴       男性   女性

 中学卒      1.9億  1.3億

 高校卒      2.0億  1.4億

 高専・短大卒   2.1億  1.7億

 大学・大学院卒  2.6億  2.1億

            (単位:円、百万の位を四捨五入 )

  出典:(独)労働政策研究・研修機構(JILPT)のグラフから数値を読み取った概算値である。各数値をまとめると以下になる。

 

 非正規社員(推定値)  0.532億(根拠:年収140万×38年)

 非正規社員の生涯賃金はフリーターの平均年収(概算)140万円と、フリーターが定年まで働く年数である38年(22歳から60歳まで)で計算した。

 

 

参考

新市庁舎建設

 付加価値を生まない無駄なハコモノに金を使う小川敏の愚政。

 そんな金があれば教育に回せ!

 

新市庁舎の建設費、大垣市は県下一豪華

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

岐阜市   406千人  266億円  65千円 

各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

多治見市  107千人   52億円  48千円

 

2020-02-09 久志能幾研究所通信 1476  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 8日 (土)

「当ブログへの悪意あるコメント」を検証

 2020年1月23日付けの当ブログ記事「狂った大垣教育行政、働き方改善、児童を犠牲」に対して、匿名(ひまころ)のコメントが寄せられた。内容的に悪意ある妨害コメントである。彼は大垣市のまわしものと推定される。彼は大垣市を良くする運動の敵である。

 

道元禅師の教え

 「しるべし仏家には数の殊列を対論することなく、法の浅深を選ばず。ただ修行の真偽をしるべし」 道元禅師「正法眼蔵・辯道話」

 道元禅師は、教えが優れているかとかいないとか、そんな些細なことを討論するのではなく、その事の真偽、本質を問うべきで、それが正しかどうかだけを問いなさいと述べておられる。そんなことよりも自分が真実を行じ得ているかだけを問え、と教えておられる。

 

「ひまころ」氏は当ブログの主張を曲げて解釈

 この「ひまころ」氏のコメントの結論は、私が主張した「大垣の子供の教育環境が悪い」の論文の主旨を捻じ曲げ、論理を別に変えて論じている。要は著者の主張を妨害しているコメントである。

 「ひまころ」氏は、教員の給与は低いほど良いとの考えのようだ。1972年に総理大臣に就任した田中角栄元総理は、1974年、日本の小学校教育の質を高めるため小学校の教員の「人材確保法」を制定して、一般職員よりも25%も高い給与にする政治を行った。そうやって日本の未来を背負う子供たちのために教員を集めるため金をつぎ込み日本の未来のために「投資」をした。

 今の経済停滞の日本で、最優先課題は教育である。それなのに、教育行政に無能な小川敏は、田中角栄元総理と真逆の政策を執り、大垣市の教員の給与を県下最低レベルに落とし、一般職員の給与を県下一の高さに引き上げた。今は岐阜市のそれより200万円以上の差がある。それでは大垣市の子供の教育は他市に負ける。これでは大垣の子供達は、将来、正社員になれる人の数が減るはずだ。一生、フリータ、派遣社員では、生涯収入で正社員のそれとで2億円の差が発生する。

 「ひまころ氏」は、小川敏の肩を持つようだ。子供を持つ親に対して、恥ずかしくないのだろうか。大垣の未来を破壊する小川敏を擁護して、恥ずかしくないのだろうか。田中角栄が草葉の陰で泣いている。

 

コメント分析

 このコメントの内容を一文ずつ分析すると下記になる。要は、結論がない。思いついたことを書きなぐった。支離滅裂の出鱈目の論理構成である。何が言いたいか、全く分からない。悪意があり、文書の途中で論理をすり替えて、自分の都合の良い結論を出している。つまり当ブログを誹謗して妨害している。要は悪質な妨害メールであると結論付けられる。

 

ひまころ氏のコメント全文の検証

第一文  大垣の教育は低コスト体質でよい。

      (「ひまころ」氏は、大垣市の教員の給与が岐阜市のそれより232万円(ひまころ氏のデータで)も低くても問題とは思わないようだ。)

第二文  大垣市の人件費が一番安いと提示

(「ひまころ」氏は、教育に金をかけないのが素晴らしいと褒めている。要は大垣市の教員の給与や低いほど良いという考えである。それから推定すると、氏は教育行政以外の大垣市の行政関係者のようだ。普通の市民なら、こんな教員の年収データを出してこない。よほど深い関係のある関係者であると推定される。)

第三文  少ない予算で成果を出すのが評価される

      (「ひまころ氏」は、大垣市の教育の低コスト体質を褒めている。田中角栄元総理が知ったら激怒するだろう)

第4文  教職員の給与データ

       このデータの出典が明らかでなく、信憑性にかける。何時のデータで、誰が保証したデータなのだ。ここから分かることは、「ひまころ」氏は、緻密な仕事をしたことがない、仕事の出来ない人である。これでは出世は無理。)

第5文  大垣市職員の給与が一番高いが、微差である。

      (「ひまころ」氏は、だから大した問題ではないとしている。ここで論理が破綻している。だから「ひまころ氏」は、大垣市の行政関係者と推定される。)

第6文  大垣市の財政は県下二位

       (「ひまころ」氏は、だから大垣市職員の給与は高くて当然で、大垣市の教員の給与が低いのは知ったことではないと論理をすり替えた。)

第7文  大垣市職員の給与が高いのは時間外手当が多いだけ。

      (「ひまころ」氏は、だから大垣市職員の給与が県下一高くても知ったことではないと問題をすり替えた)

第8文  だから「久志能幾ブログは間違いだ」

      (「ひまころ」氏は、この一文を言いたいだけで、要は当ブログを妨害したいだけであると断定できた。)

 

 

コメント原文(ひまころ IP 221.45.6.2.)

児童一人当り教育予算が高いと一見良いように見えますが、逆に言えば高コスト体質ということなんですよね。

主な各市の教職員の平均年収を比較したら、大垣市が一番人件費が低いわけです。教育予算って大部分が先生の人件費ですから。大事なのは予算をたくさん使うことより、少ない予算でどれだけ成果を出せているかではないでしょうか。

 

■教職員の平均年収

 

大垣市 545万円

多治見市 585万円

岐阜市 787万円

可児市 667万円

各務原市 804万円

 

あと大垣市職員の年収が岐阜市より高いと言っても僅かな差ですし、内訳を見れば時間外手当てが多いだけですからね。

大垣市役所は岐阜市役所より労働の拘束時間が長いだけなのです。それがいいか悪いかはその人次第です。

 

あと財政力指数番付でいえば、大垣市は岐南町に次いで県内2位ですからね。岐阜市より全然いいわけです。

 

この記事は、都合のいいデータだけを持ってきて、都合のいい主張をしているだけだなと思いました。

 

投稿: ひまころ | 2020年1月27日 (月) 20時42分

 

コメント・メールの迷惑

 どんなメールでもコメントでも、それが掲示され、当方にメールで来ると、読まないといけない。それが妨害メールでも、である。その論理が出鱈目なら、それは仕事の妨害で時間泥棒である。それが今回の「ひまころ氏」のコメントに当てはまる。

 コメントを読むのは私だけではない。累計140,000回余を読んでくださった読者の時間を無駄にしているのだ。時間コスト一分100円で計算すると膨大な時間ロスである。いわば犯罪である。

 

IPアドレスは全世界で唯一

 IPアドレスは、各パソコンに付けられた全世界で唯一の名前である。だから、いくら匿名だとしてもその個人を特定することは技術的に可能である。ネット上に、そのアドレスで、各種のHP登録、アンケート投稿、商品購入、いいね」等のクリックで、そのアドレスの履歴が残り、それからその人の性格分析まで可能である。我々はIT技術の進化で、プライバシーが裸にされた世界に住んでいるのだ。「ひまころ氏」は、それさえ知らないIT音痴と推定される。文体も幼稚、論理構成もダメ、文書スタイルも幼稚なスタイルである。これでコメントをブログに流すと社会に害毒を流すことになる。こんな文書では、組織で出世もできまい。私が上司なら、左遷対象とする。

 なにより怒りが沸き起こるのは、大垣市と大垣市の教育、大垣市の未来を良く良くしようとしている活動を妨害したことである。要は「ひまころ氏」は大垣市の敵である。

 

2020-02-08 久志能幾研究所通信 1475  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「ながい坂」で出会う仏様

 何ごとにも人に抜きん出ようとすることは良い。けれどもな阿部、人の一生はながいものだ。一足跳びに山の頂点に上がるより、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局はおなじことになるんだ。一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろんな風物をみることができるし、それよりも一歩、一歩をたしかめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ、わかるかな。 

山本周五郎著『ながい坂』上巻 新潮社版 p21

     2006年8月15日 カードに書き抜き

 

 以上は、仕事で成果を上げようと焦っていた時、愛読書の『ながい坂』を読み返して、目に飛び込んできた一節である。会社の仕事で早く成果を上げようとするのは、愚かなことだ。自分に実力がないから、人よりも目立って、早く成果を上げたくなるのが人情である。そういう時に限って落とし穴にはまる。神仏がもっと落ち着けと啓示を示しているのだ。

 

人の幸せとは

 現代のグローバル経済主義の会社では、成果主義で毎年の成果で責め立てられる。中間管理職は、自分を自分で責め立てられるように仕事を進めざるを得ない。山の頂点を目指して必死に登っていくと、人生の途中の風景を眺める余裕はない。必死に登っていると、何時しか一緒に上っていた仲間が24人も遭難して帰らぬ人となっていた。

 前職では、人は幸せになるために仕事をしているはずなのに、深夜まで働かされ、家族の会話も無くなり、過労死や病気になり、己も家族も不幸にする人が多かった。中間管理職には組合の保護もない。部下は残業規制で早く帰宅させないといけない。そのしわ寄せは、中間管理職に来て、部下の仕事までもこなさねばならぬ。中間管理職は上と下からの突き上げで、ストレスも一杯である。休日は疲労困憊で寝ているだけ。家族を幸せにするために働いているのに、何か本末転倒の人生である。会社を離れた今から、10数年前の当時を振り返ると、なんと異常な世界であったことかと思う。

 

長い坂

 長い人生の長い坂を、焦って上るから短い人生になってしまう。人生の終着駅は「死」である。焦っても焦らなくても、終着駅は同じである。ゆっくりと登れば長い坂の道中で、風景を楽しみながら登ることが出来る。現代の若者は、中間管理職の激務をみているので、出世したいという若者は激減した。日本人の働くモチベーションが下がってきたので、経済成長がアジア諸国に負けても当然である。日本の教育と仕組みが、何かおかしい。

 人生道で焦れば、遭難する。ゆっくり登る道中で、世のため、後世の為に残る作品(遺産)を創ればよいのだ。人間は定年までの仕事が、社会への義務である。またそれは定年後のための充電期間でもある。定年後の人生が、個人として後世に作品を残すための実際の仕事期間である。

 

余命39年?

 私も、最終目的地に到達するまでに、あと39年間(?)も期間があると、自己暗示をかけて、人に冗談で広言して、毎日仕事をしている。松下幸之助翁は、若い時に医師から「24歳までしか生きられまい」と言われた虚弱体質であった。しかし松下幸之助翁は、自分は運がいいと信じて、120歳まで生きるのだと公言して、仕事をした。結果は94歳まで生きた。自己暗示の力は素晴らしい。長生きも、芸の一つである。私も長生きの芸を磨きたいもの。

 

2020-02-07 久志能幾研究所通信 1474  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 6日 (木)

モノを買うとは、自分を買うこと

 そのモノが自分の人生で、自分の分身として力になってくれると信じて「モノ」を買う。意識しなくても、潜在意識が、そうやって己の行動を支配している。浅ましい買い方をするとは、自分の心が浅ましいので、そういう行動を取らせるのだ。良い買い方をすれば、人生が豊かになる。

 私がご縁のできた人の家を訪問すると、そこの家にある品物を観察する。そこに、その人の人生観とセンスが観察できて興味深い。

 私はいつも自分の家にあるモノを、人に見られて誇れるか、恥ずかしいか自問している。

 

購入

 豊かな気持ちでモノを買えば、感謝でお金を払うことになり、売る方も買う自分も、モノに籠っている精霊も喜ぶ。それだから運命が良くなると私は思う。その逆では、世のためにも、自分のためにもなるまい。

 モノを買うとは、自分の時間を使いそのお店に出かけ、自分が稼いだお金(時間)を使い、自分が気に入ったモノを買うのだ。それこそが投資である。

 特に本の購入は、自分の時間(命)を捧げて、読まなければならない「モノ」である。その選択が人生を変える。

 

値切り

 私がモノを買う場合は、値切らない方針である。値切るとは、自分をディスカウントすることだ。自分が惨めになる。値切るなら、買わない方がよい(日本国内の場合のみ)。

 私は買うお店も店員も決めているので、上得意様として相手が勝手に「負けて」くれる。普通で値切るより、私が買う商品は、他の客よりも値引き率が高い。

 

購入失敗

 2年前に「高級車(二号さん)」を思わず買ってしまった。自分の一部として働いてくれた事も多かったが、それにかかる経費が想定以上に多く、却って自分の付加価値を上げる足かせになってしまった。それで今年の1月に泣く泣く手放した。分不相応のモノを買うと、それに資金が使われて将来の自分の価値を上げられなくなる。人生の「酔い」経験であった。実際に「二号さん」を買って、失敗してみないとその智慧はつかない。たまには失敗も良いものだ。高級車も、一度乗ってみると、ああこういうものかと、納得できて未練がなくなる。経験こそがお宝の購入品である。

 

イベント購入

 モノには、イベント、研修会、講演会、音楽会とかの「こと」も含まれる。自分の時間をその「モノ、コト」に投じるのだ。それの経験が自分の付加価値を上げてくれると思って、お金と時間をかける。その選択に自分の人生観が現われる。

 自分が今まで何の「コト」に投資をしたか、それが自分の価値を上げることになったか否かを検証しよう。

 私は馬場恵峰先生の「コト(人生の講話塾)」を「買って」人生が豊かになった。私も先生の作品を出版することで、先生に恩返しができた。

 

無駄遣い

 安易にテレビ番組を見るのも、大切な、二度とない時間をその番組に投資をしているのだ。その見返りは皆無に近い。それを考えず、愚劣で下らない番組を見るから、時間がいくらあっても「成果」が出ない。

 

ご縁を買う

 ある人とご縁ができるとは、その人の人生を買っているのだ。用があるからその人とご縁を結ぶのではない。ご縁を作るために、その人のご縁を買うのだ。結果として、その人から、その人の経験を買うことになる。

 その人とご縁を結ぶには、時間もお金もかかる。交通費もお土産代もかかる。ご縁を結ぶにも、手ぶらではいけない。自分のお土産(経験、支援、援助、土産話等)も必用だ。それも相手が喜び、相手の成長になるモノを提供しないと、そのご縁も長続きしない。ギブ&テイクであるのが原則であるが、それでは商売である。私はギブ&ギブを心がけている。

 

ご褒美

 何かの記念に自分へのご褒美で、モノを買う場合もあるだろう。それがご褒美である場合は、ついその選定が安易になり勝ちである。自分で自分へのご褒美は、お手盛りとなりがちであるので、なるべく避けるべきだと思う。

 

赤ちょうちん

 飲みに行くのも「こと」を買っている。飲み会は、時間とお金と健康を犠牲にしている。二次会に行くのも同じである。

最近の研究で、酒は微量でも、発癌作用があることが英国の学会の研究で発表された。赤ちょうちんは健康にもよくない。

その飲み会の時間を上司の悪口を言いあって、自分の人生の価値を上げられるだろうか、自問したい。タバコの煙が漂う酒場で、酔った頭で同じことを繰り返して話す二次会の付加価値とは何か、考えたい。

 私のサラリーマン時代は(幸い?)、車通勤であったので、赤ちょうちんに行く機会は少なかった。飲酒運転は、勤めた会社が車関係であったので懲戒解雇の対象である。良い環境であったと思う。

 

2020-02-06 久志能幾研究所通信 1473  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。