2021年3月 6日 (土)

大垣市長候補者を鑑定する

 

 先日、大垣市長候補者と偶然に出会い、名刺を押し付けられた(ある集会場で名刺を配っていた)。私はこれ幸いと、「これから大垣をどうするつもりか、どうしてここまで大垣が没落したと思うか」と問うたら、「大垣には良いところが一杯ある。今までの政策では焦点が絞れてなかった」とおっしゃる。

 「これから大垣をどうするのか?」と聞いたら「今から計画を作ります」である。

 「こりゃダミだわ」と、その候補者のお粗末さに呆れた。なにせ集会のどさくさに紛れて、名刺を配る根性が気に食わない。

 

市長立候補の決意

 市長に立候補するなら、皆の前で何のために市長に立候補したのか、現状の分析(何故大垣市は没落したのか)、その対策、将来のビジョンを述べるべきだ。その前提が己の信条である。どういう信条・信念を持って生きてきたのか。それを語って欲しい。大垣の未来の夢を語って欲しい。なにせ16万人の生活がかかっているのだ。

 

2021-03-06 久志能幾研究所通信 1940 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月 5日 (金)

つまらない人生とは

 

つまらないを務めるのが自分。

それを、つめないから、つまらない人生となる。

     2013年5月9日 知己塾 馬場恵峰師談

 

 朝起きて、会社の平凡な仕事を非凡にこなす。

 当たり前を当たり前にこなすのを精進という。

 つまらないと思う仕事を、雑にするから雑用の人生となる。

 どんなつまらないことにも、それを極めれば達人になれる。

 神は細部に宿る。

 石の上に3年で達人、30年で偉大、50年なら神業。

 どんなことも1万時間(3年)やれば、プロになれる。

 千日(3年)を鍛、万日(30年)を錬として、鍛錬が修行である。

 当たり前のことを当たり前に継続しないから、中途半端な人生で終わる。

 己は何人の三日坊主を殺したことか。坊主殺しは罪が重い。

 お坊様は、葬式の時、あの世への案内をしてくれる導師である。大事にしよう。

Img_4213s  馬場恵峰書

2021-03-05 久志能幾研究所通信 1939 小田泰仙

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2021年3月 4日 (木)

未知なる道を歩む (磨墨智151-2) 

Photo

 2010年頃の自宅で

 

 2000年頃、東山魁夷展(神戸市美術館)で入手した上図「道」のポスターは、気に入っていてずっと部屋に飾っていた。ご縁があり2011年に、この絵のリトグラフ(1,000部中の一つ)が、バーゲンセールで激安で手に入った。リトグラフと言っても当時は定価80万円もして、私には手が出なかった。中古でもなかなか市場に出回らない作品であった。しかし長い間、欲しいと思い続けていると不思議と向こうからやって来る縁が生じるようだ。

 思いが通じて、2016年には、青森の現地を訪ねることも実現した。

 

人生の岐路

 道にはまっすぐな道、曲がりくねった道、二股に分かれた道がある。どの道を通るかは、その人の選択である。

 道を歩いていると、回りには魅力的な風景が目に入り、わき道に逸れがちだ。この東山魁夷の「道」では、回りの風光明媚な風景を消し去り、己の歩く道だけを幻想的に浮かび上がらせている。

 人生は余りに多くの魅力的な道が目の前に出現する。その中から、狭き道を選んで歩むのが御正道である。広い道を選ぶから、迷いが多くなる。ただ己の信ずる道を歩めばよいのだ。その歩いた跡が道になる。誰にも真似できない道である。

開発、創造、人財育成を思う時、東山魁夷画伯の「道」が思い浮かぶ。

 

道の誕生

 この絵は敗戦後の混乱の続く昭和25年に描かれ、日展に出展され、特選となり、当時の日本人に勇気を与えた。この絵から人生が見える。

どんな技術開発でも、人生の歩みでも、やってみなければ分からない。それを惑わす周りの状況も出現する。あそこまで登ればと、やっとの思いで目標地に達すると、その上に道は更に続いている。時には断絶した道も出現して,跳ばねばならない場面もある。まさに技術開発の姿、人の人生を象徴している。

 

道の語源

 象形文字の「道」の語源は、古代中国人が生「首」をぶら下げて、「十字路(しんにゅう)」を恐る恐る歩いてできた跡が道である。古代中国では、街の城壁の外は魑魅魍魎の住む怖しい世界であった。それで城壁の外に行くときは、異国人の捕虜の首を切り、その生首を魔除けとしてぶら下げて歩いた。

 現代人が、新しいことに挑戦する時と、同じである。新しい道は、自分の人生の首をぶら下げて開拓しよう。

 

皮肉な現実

 日本のお役所で、新しいプロジェクトを行う場合、エリートから外れた人が責任者になるケースが多い。それは失敗した場合、心置きなく首を飛ばせるからだ。役所の上層部は、将来を担う大事なエリートを、そんな危険な新しいプロジェクトには回さない。そんな事なかれ主義の役人根性が蔓延しているから、日本の社会が停滞している。

 大垣市の小川敏に率いられた大垣役人軍団は、この20年間、なにも挑戦しなかったから、没落の一途であった。エリートと呼ばれる人間は、失敗をすると経歴に傷がつくのを恐れて、新しい道には絶対踏み入れないし、冒険も絶対にしない。

 東大出ではない福岡市の高島市長は、新しいことに次々と挑戦したから、福岡市は全国一の経済成長率を達成した。大垣の小川市政と大違いである。

4k8a93791s  馬場恵峰書 2017年

2021-03-04 久志能幾研究所通信 1938 小田泰仙

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2021年3月 3日 (水)

危機管理 エスカレーター事故、咄嗟に声が出ず

 

 危機管理で大事なことは、事故が起きたらすぐ周りに大声で知らせることだ。しかしこれは場数を踏まないと身に付かないようだ。また問題点はすぐ管理責任者に報告すべきである。

 2021年2月17日、愛知県がんセンターのエレベーターで事故を目撃した。情けないことに、その時、私は声が出せなかった。

 

状況

 杖をついた老人と付き添いの老女が、登りのエスカレーターに乗っていた。登りの中央部付近で老人が崩れるように倒れた。それを付き添いの老女が慌てて支えて、そのまま上に運ばれていった。

 私はその横の下りエスカレーターに乗っていたが、中央部なので何も手が出せなかった。その時、声を上げればよかったが、検査・診療後で疲れていたためか、咄嗟の声が出せなかった。また周りに非常ボタンも見当たらなかった。

 幸い、老人は座り込んだまま、エスカレーターで最上部に運ばれて、そこで人が集まって騒ぎとなった。

 

問題点

とっさに非常ボタンを押そうにも、何処にあるのかわからなかった。

とっさで、私は声が出せなかった。

エスカレーターの非常停止ボタンは、気が付きにくい場所にある。今回、初めて目が行った。

エレベーターの速度は、他の場所の一般のエレベーターと同じ速度である。

 京都駅新幹線ホームのエレベーターの速度を実測したら、10段の動く速度が7秒で同じであった(2021年2月27日)。体の不自由な人の利用の多い病院なら、急ぎ客の多い新幹線ホームのエレベーターよりも速度を遅くすべきである。

 

対策

 私はその事故の後、問題が起きれば、管理者に報告して対策を打つことを助言すべきである。私が責任者に報告しなければ、誰も報告しなかったようだ。

 私はすぐ責任者と面会して、現状の事故の報告と問題点の指摘をした。

 感心したことには、責任者は真摯に話を聞いてくれて、すぐ対策をすると約束したこと。

 

結果と再発防止

 2021年3月3日、私が検査で病院を訪れると、エスカレーター前の掲示板が「杖をついた人は利用禁止」の警告の表示になっていた。病院側の真摯な対応に感謝である。

 私が愛知県がんセンターに通いだして、2年になるが、今までも同じような事故が度々起きているようだが、実質的な対策が打たれたのを初めて見た。私は良き危機管理行動を取れたと安堵した。

 事故や問題が起きれば、管理責任者に報告して対策を打つことを要請すべきである。私が責任者に報告しなければ、誰も報告しなかったようだ。

 

 残念ながら、エレベーターの速度は遅くなっていない。機構的な問題で、速度は変えられないようだ(ACモータを使用と推定)。米原駅設置のエスカレーターは乗り降りする場所だけ速度が遅くなる機構となっている。そういう仕様が望ましい。

 がんセンターを訪れる人は、全員が病気である。体の弱った人を考慮したエレベーターの仕様決めが必要だ。

 時間的に、非常停止ボタンを別途に設置はできていなかった。最終的に誰でも目に付くように、大きな非常ボタンボックスの設置が必要。

 病院なので、杖をついた人は、エスカレーター使用を止めるように、近くの職員が案内するとよい。今回、使用禁止の掲示がされたが、皆さん楽をしたいので、エスカレーターを使用するだろう。だから危機管理が必要だ。

P1140365s  事故のあったエスカレーター 愛知県がんセンター 2021年2月17日

P1140369s 事故のあったエスカレーター 愛知県がんセンター 2021年2月17日

P1140364s  非常停止ボタン 愛知県がんセンター 2021年2月17日

P1140431s  改良後 愛知県がんセンター 2021年3月3日

 

P1140432s_2   改良後 愛知県がんセンター 2021年3月3日

P1140434s_2   改良後 愛知県がんセンター 2021年3月3日

P1140373s  地下鉄 自由ヶ丘駅のエスカレーターの非常停止ボタン(わかりにくい)2021年2月17日

2021-03-03 久志能幾研究所通信 1937 小田泰仙

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2021年3月 2日 (火)

写経専用室の新設を計画中

 

 自宅に写経専用室を作ろうと決断した。馬場恵峰先生の49日の法要に参列し、その帰路に思いついた。G線上のアリア(環境)での発想である。馬場恵峰先生は生前、1万五千字以上の写経をされた。

 

写経室の新設を決断

 経典とは人間の生き方の指針を示してくれる言葉が溢れている。しかし人間の脳は、忘れることができる仕組みになっている。いくら大事なことを覚えても、何時かは忘れてしまう。だから繰り返し、目で見て思い出す必要がある。そのため、経典を10遍読むより、1回写経をすればよく頭に入る。

 静かな清楚な部屋で、写経をして人生に思いを馳せれば、残された時間を有意に考えることが出来ると思い、写経室を作る決断をした。(もう残された時間は38年しかないのだ??)

 またその部屋で書道の勉強もできる。今まで書道の勉強をしようとは思っていたが、なかなかできなかった。恵峰先生が亡くなられて、遅かりしだが、恵峰先生のお手本は沢山あるので、自習を始める決断をした。

 

写経の目的

 恵峰先生は、写経の目的はご先祖の供養で、写経が一番の供養だと言われた。ご先祖にあの世で仏道に精進してくださいと書くのが写経である。佛になるための指針がお経に書かれている。

 何時かは己も寂滅してご先祖になる身である。今回、馬場恵峰先師の導師である鏡圓寺の和尚さんがお経の意味を解説された。それを聞いて、まず自分がこの世で佛になる修行を積まねばならぬと悟った。その指針が経典に書かれている。だから写経するのは、自分のためでもある。

 人は佛のような純真な心の赤子で生まれ、俗世間の荒波を受け、汚れた心になって還暦を迎える。その汚れた心を写経で洗い流し、あの世に旅立つ。生老病死が人間の一生である。

 

写経専用室の準備

 2021年3月2日、山路先生に相談したら、よいトチの板があるとのことで見せてもらった。それで写経机を作ることを決めた。机の完成は2週間後である。それが搬入されれば、写経専用室の完成である。

P1140428s  

2021-03-02 久志能幾研究所通信 1936 小田泰仙

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2021年3月 1日 (月)

「夢・目標ファイル」を新設

 

 今まで、手帳やファイルに年度の夢や目標値を書き、作成して、それをファイルして時々眺めていた。今回、馬場恵峰先生の49日法要に参加した折、電車の内、「G線上のアリア」式で、新しい目標管理方法を思いついた。

 今までの年度の夢や目標を作ってファイルしただけでは、たまにしか目にしないことが多々あった。それで、年度目標値のファイルを時々眺めるのではなく、毎日、夢・目標を紙に書いて、それを毎日、ファイルすることを思いついた。その夢や目標値を毎日、新しい紙に書けば、毎日、それが頭に叩き込まれると悟ったからだ。

 

洗脳教育

 人は、人生で一番多く見聞したことに影響(洗脳)される。子共が親の影響を受けるのは、毎日、親の言動の影響を受けているからだ。それが固定観念として脳に植え付けられる。

 また見るよりも聞いた方が、脳には影響が大きい。10回聞くよりも自分で紙に1回書いた方がより頭に入る。 

 

新方式

 2021年2月26日より、夢・目標値を毎日、紙の書くことを始めた。その用紙をファイルするようにした。これはきっと故馬場恵峰先生からの啓示だと思う。馬場恵峰先生は、今まで1万5千文字以上の写経をされた。そのお経の教えを書くことで、経典の教えが体に染みついていたと推定される。

 毎日、夢・目標値を毎日、紙の書いていると、それが本当に自分のやりたいことなのかを、毎日、自分で自分に問いかけることになる。だから、毎日書いていると、少しずつその表現が変わっていった。

 今まで夢と思ったことは、単なる手段の目標値であったことが判明して愕然ともした。

 それで「夢・目標」「夢・目標を達成するための能力の成長目標値」に分けた。今まで、目標と思ったことは、手段であった事項もあった。

本当にやりたいことは何ですか? である。

 

目標と手段の混同

 例えば、1億円稼ぐとの目標では、それは手段の目標値で、その金で何をしたいのかである。「1億円稼ぐ」とは、手段の目標値で、真の目標値ではない。

 要は手段として「一億円を稼ぐ経営能力を作る」「一億円が集まってくる人徳を養う」という手段目標をたてればよい。

 別の例えでは、「東大に入るのが目的」とした誤りと同じである。東大に入って何を学びたいのか、それが曖昧だから、東大に入っても、それで目標達成だから、真の学問ができず、ロクでもない人物が生まれる。

 

目標の立て方

 目標を立てるなら「東大の●●教授の下で物理学を学ぶ」という風に具体的にすべきだ。そのために「学力を偏差値●●にする」という手段目標値を立てるべきなのだ。それが出来れば、そのためにやることは何かと具体的手段を考えればよい。

P10504321s  馬場恵峰書  2017年

2021-03-01 久志能幾研究所通信 1935 小田泰仙

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2021年2月28日 (日)

「G線上のアリア」は厠上よりも最高

 

 文章を考えるのに適した場所としての欧陽修は「三上」を揚げている。その中でも、私は電車のグリーン車の線路上が最高であると思う。

 欧陽修は、中国の政治家・学者である。彼が友人の謝希深に語り、『帰田録』に書いた言葉が「三上」で「三上」とは馬上・枕上・厠上(便所)のことである。この欧陽修は唐宋八大家の1人である。

 

馬場恵峰先生の49日

 2021年2月27日は、馬場恵峰先生の49日である。2月27日に九州からの帰り電車は、コロナ禍の影響で電車はがら空きである。諫早から博多までの在来線特急「かもめ」は、乗客が私一人で、貸し切り状態であった。往路もほぼ同じ状態であった。山陽新幹線でもほぼ同じ状態であった。

 昔は馬の上が揺られながら考えるのが最高の環境であったが、現代はグリーン車の線路の上(G線上)で、ガタガタと揺られながら、考えるのが最高の環境である。グリーン車の1両を貸し切りで、ゆったりとした席で思考を練り、文書を作るには最高の環境(アリア(aria)は、イタリア語で、音楽の節・旋律を意味し、ほかに「空気」や「態度」の意味もある)である。

 枕の上で考えではダメである。寝るときは真剣に寝ないと睡眠不足になる。良い考えも、目が覚めると思い出せないことが多い。また横になって考えることに、ロクなことはない。ゲーテもベッドの思考を禁止という。

 厠(便所)でも、現代は長時間のトイレは禁止である。トイレ時間が長いとは便秘であり、食生活が健康的ではない証しである。そもそも健康な動物は、排泄の行為は一瞬である。そうしないと排泄は無防備な状態で、敵に襲われる危険があるからだ。

 

動く書斎

 特急列車のグリーン車券は、わずかプラス1600円を払えば、グリーン車が1時間40分間、貸し切りになり、マスクもせず(乗客は一人だから)、車中で考え、本を読み、文書を作ることができるのだ。動く書斎を借りたと思えば安いものである。G線上のアリアの時間は値千金である。

 

 博多・諫早間の自由席特急券は 1,250円

        指定席券が   1,780円

        グリーン車券が 2,850円である。

 

 考えない人生は、野獣の人生だと思う。人間である限り、考えて人生を歩みたい。

 

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2021‎年‎1‎月‎3‎日、‏‎8:57 山陽新幹線 のぞみグリーン車

馬場恵峰先生の葬儀に行く途中

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2021‎年‎2‎月‎27‎日、‏‎16:37 特急「かもめ」 

P1140412s 特急「かもめ」 グリーン車

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2021-02-28 久志能幾研究所通信 1934 小田泰仙

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2021年2月27日 (土)

読みの省略 (磨墨智110)

 

 過去の経験や思考が、未来の事件を読む糧となる。時間節約の為、読むべきことを絞ろう。全てを読んでいては、絶対時間が足りなくなる。プロは、過去の血の滲む訓練を智慧に昇華する。それが定石と言われる手順だ。

 

人生の岐路の選択で、自分の定石を蓄積しよう。それが時間を略するテコになる。早く選択すれば、多く選択する機会が増える。間違いもあるが、それが貴重な経験となる。多く決断して多く間違いを経験しなければ、読みの練習にならない。痛い目に会って初めて智慧になる。

 

 大事なことは第一感で決めても、そんなに間違いはない。そこには過去の経験から獲得した智慧が出した結論だからだ。

 

 即決はしなくてもよいから、早く決断しよう。時間は無為に過ぎていく。強敵の時間は、待ったを許してくれない。

 

Dsc09255s  馬場恵峰書

2021-02-27  久志能幾研究所通信 1933  小田泰仙

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2021年2月26日 (金)

自分の部署に全力投球 (磨墨知139)

 

今の部署のことが出来てきないのに、他のことを考えるなんて!

不義理でもいい、まず自分の部署のことを完璧にこなそう。

自分の部署で出来てないことを他人に押しつける人とは不義理でいい。

八方美人になって両方の目的を潰さないようにしよう。

言い訳していると、自分の責任ではないと考えて、時間が浪費される。

 

自営業なら、その仕事に全力投球しよう。

今が悠々自適の定年後の生活なら、今の人生を充実させるために、生き方に全力投球をしよう。お世話になった社会に恩返しをしよう。公園の草取りでも、水路の掃除でもそれが社会への恩返しだ。もう最期までの時間がないのだ。

「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」にならないようにしよう。

 

今、採用試験を受けたら、今の会社は自分を雇ってくれるだろうか?

自営業なら、自分を自分が社長の自分は、己を雇うだろうか?

 

今が悠々自適の定年後の生活なら、奥さんや子息、知人が我が人生の監督者である。他人の批判の声に真摯に向き合おう。

今のままの生き方で良いのか、自問しよう。あと何回、親と会えるのだ。後何回、孫と会えるのか。70歳なら平均寿命80歳として、孫ならあと10回しか会えないかもしれない。自分の親が遠方に住んでいるなら、後数回しか会えないかもしれない。残り時間が命である。

P107_720161119 

2021-02-26  久志能幾研究所通信 1932  小田泰仙

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2021年2月25日 (木)

時間節約とは勤勉の汗を流すこと (磨墨知144)

 

 若いころ勤勉の汗を流さなかったツケは、年老いて足腰の弱りとして涙を流す時間として帰ってくる。自分の足で動けないほど、自分の時間を無駄にする事象はない。自分が撒いた怠惰に対する天罰である。

 

 馬場恵峰先生は、93歳まで毎日の朝夕の2回、300坪の庭の掃除を欠かさなかった。だから広い庭に雑草が全くと言っていいほど、生えていない。ついでに隣の敷地の一部まで掃除をされていた。それが体を動かすことで、健康にもつながった。先生が昨年末に倒れられて1か月程は、それが出来なかっただけである。だから93歳と7か月までは現役であった。

 

 トヨタが世界一の自動車メーカになったのは、トヨタ生産方式の5S(整理整頓清潔清掃)を徹底したためである。トヨタは頭と体の汗をかいて、世界一になった。マネーロンダリングで稼いだわけではない。

 日産のゴーンは、必要以上に従業員の首を切り、先人が蓄積した資産を切り売りして、金を作った。それが強引な日産再生であった。そのツケが今になって露見している。

 

ある教徒の事例

 ある町に宗教を理由に町内の公園草取りの奉仕行事に全く参加しない家がある。当番で班長になっても、他人には公園の草取り掃除を強いても、家族の誰も公園の草取りには参加しない。日曜日は同じ宗派の寄り合いのお喋り会合で忙しく、町内の奉仕行事に行く気などさらさらない。娘が曰く「宗派の集会場に行っても最近は誰も来ないのでつまらない」と。

 この娘が何のために教団の集会場に行くのか明白である。家の状況と家人の言動を見ると、宗派の問題ではなく、それを大儀名文として言い訳をするだけだ。つまり単なる怠け者の家庭である。

 

 勤勉でなく、整理整頓清潔躾ができていない結果が、まだ70歳前後で足腰が立たず、動けない羽目になっている。その家の庭は、廃品回収業まがいのゴミ溜めとなっている。それを恥と思わない神経が哀しい。子供の自転車は雨ざらしで庭に放置されている。モノには魂がこもっているという。自転車で育ったのに、それを供養もせずに放置である。

 

 子供は親の後姿を見て育つ。放置された自転車を見れば、家の教育状況がわかる。家は保全する金がないため、ボロボロで町内の恥さらしである。勤勉であれば家を保全するくらいの金はできる。玄関の土壁は大きな穴が開き、玄関内は散乱、郵便ポストはサビサビ、軒下は垂れ下がり錆だらけ、塀は破れたまま。クーラもない防音設備のない部屋で、下手なピアノ騒音を近所に撒き散らしている。40年間の怠惰な生活のツケが、家相に表れている。

 

教義の教え

 美智子上皇后は、若いころクリスチャンの教育を受けて育たれたが、皇后として立派に日本国民の幸福を願い日本国の神事を司られた。クリスチャンの教育も日本の躾教育も、根本は同じ勤勉の思想である。宗教を理由に町内の奉仕行事をさぼり、自分達だけの幸せを願うのは、単なる利己主義の怠け者である。クリスチャンはその布教活動として、地域の奉仕活動には積極的に参加を推奨しているのがこの世界の常識である。それをしないのは、教義の教えに背く行為である。それゆえ、その町の誰もその家を相手にしない。

 

勤勉

 我々仏教徒としてでなく、人間として心がけなければならないのは、心に生える雑草の除去である。摘んでも摘んでも、怠惰な心があると生えてくる。その心の汚れを落とそう。汚れが付くのを防ぐのは勤勉である。当たり前当たり前のようにするのが精進である。

Img_63991s  馬場恵峰書  2006年

2021-02-25 久志能幾研究所通信 1931 小田泰仙

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