2022年8月19日 (金)

いのち、霊止

 

 お墓作りの全ての工程が終ったので、2015年12月1日より、予定通りトイレと玄関のリフォームに取り掛かった。築45年の自宅の耐震補強を兼ねた第6次のリフォームである。

 床と壁をめくると白蟻に喰われた跡が出てきた。2年前のリフォーム時に対策をしてあったが、その痕跡のようである。床や壁を剥がさないと分からないので始末が悪い。知らないうちに家の内部を犯す白蟻は、自分の体の中に潜む病巣に似ている。心して対応したいもの。

 白アリも生きるためには、食べねばならぬ。お互いの領分を守るために、家の白アリ対策は必須である。自分の城は自分で守れ、である。白アリにとって日本家屋は、ご馳走である。白アリだって、人類と200万年も共生してきたのだ。その白アリと共生する知恵を持てばよいだけだ。

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 リフォームで壁と床と天井を剥がした玄関    2015年12月1日

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  白蟻に喰われた床材

 

命を捨てる

 そこにまた不思議なご縁があった。2015年12月2日の朝、大垣八幡宮神社の横の川辺で、70歳前後の女性が首を吊っているのが発見された。その話を今回リフォームの仕事の業者から聞かされた。彼はいつも早朝にジョギングに行く道筋であるが、当日は私の家のリフォームの仕事があるので、その現場に遇うことを避けることができたと、私に感謝をしてくれた。そんな姿を見ればトラウマのように頭に残ってしまうと。下手をすれば彼が第一発見者になっていたかもしれないと。

 私にとっても、その現場はいつもの朝の散歩コースであるし、私もリフォームに取り掛からなければ、その現場に行き、私が第一発見者になっていたかもしれない。つくづくと佛縁を感じた次第である。

 

 その道は子供達に通学路にもなっており、子供達が見たら大変なことになる。自殺した人を責める訳にはいかないが、せめて人様に迷惑をかけずに世を去って欲しいもの。覚悟の自殺なら、山奥で人目につかず一人で死ぬものだ。しかし、人目のある場所で死ぬのは、その直前まで誰かに助けてもらいたい気持ちの未練があったようである。

 死ぬ気になれば何とでもなる。生んで育ててくれた親を思えば、死を踏みとどまれるはず。捨てるならその命をくださいと泣いている難病の人がこの世には数多くいる。1973年入社後の頃、設計ミスでトラブルに困っていた時、指導員の太田博さんから、「人間が作った問題は、人間がなんとか解決できる」と教えて頂いた。その言葉が今でも頭に残っている。

 

佛の力

 首を吊り、意識が遠のく間でも、少しでも生きてくれよと心臓を動かし、肺を動かし、血液を全身に送る作用が、佛の力である。その佛の力を振り切り、死に向かうのは、人の道に反している。最後の最後まで、自分を捨ててはならないと思う。死は神仏の管轄で、人間の管轄ではない。どんな人間でも社会から恩恵を受けて成長した。その恩に報いるためにも、生き続けなければならぬ。

 

 自然界の生命体は、ただひたすらに生きる。自然物は無所属、無条件でひたすら立ち向かう。太陽や雨や風は、たた照り、ただ降り、ただ吹く。風は「何のために」とは考えない。人間も自然界の一つの存在だ。猫も犬も「何のために」とは考えず生きる。生命体は、ただひたすらに生きる。それは人間も同じだ。それが生命に与えられた使命である。それに反してはならない。犬畜生と人間の違いは、人は他人の喜びの為に働くことだ。

 

佛の教え

 佛の最大の教えは、人のものは盗ってはならない、人を殺してはならない、堕落してはならない、である。自殺とは、己を殺す殺人である。

 人は最低一人を幸せにする義務がある。その一人が自分である。

 

霊止

 今回のお墓作り、家系図作り、ご先祖探しの工程と加齢による体の衰えと病気で、命の不思議さ、ご先祖から頂いた命の大事さを再確認した。病気は自分の体の管理の怠慢であるが、生死は自分では管理できない佛縁の営みであると信じている。頂いた命は、限りある限り永らえてご先祖や社会にご恩返しをすべきだと思う。

 

揮毫

 2014年夏、恵峰先生にお願いして下図の「いのち」の書を書いてもらった。前の書には無かった「霊止」が追加されていた。「ひと」を「霊止」と書くとは意味深長である。

 

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2022-08-19  久志能幾研究所通信 2467  小田泰仙

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2022年8月18日 (木)

洗脳教育、墓石に学ぶガン対策

 

 少しずつ、言葉巧みに毒を頭の中に沁みこませて行く。新興宗教団体が行う信徒獲得の手段である。それに染まると、長期間に亘ってもその洗脳教育が解けない。

 1995年のオオム真理教の地下鉄サリン事件から19年たった2014年に、指名手配されていた信徒が逮捕された。しかし信徒はその洗脳が解けていなかった。洗脳の恐ろしさが再認識された。

 2022年、統一教会の洗脳教育の害で安倍元首相が暗殺される事件が起きた。

 子供の幼年期における親の教育の大事さと、ブラック企業での洗脳教育、新興宗教での洗脳教育の恐ろしさを対比して考えたい。

 

テレビ教の洗脳教育

 日頃でもテレビの痴呆番組、グルメ番組、ファーストフード・医薬品の広告の氾濫で、知らず知らずに頭が洗脳され汚染され、ポテトチップをつまみ清涼飲料水を飲みながら、テレビを見続けるとテレビ痴呆信徒にされている。それが認知症とがんの原因となる。

 その洗脳が40年間続き、その結果が、日本人の2人に1人ががんになる時代となった。75歳以上は4人に一人が認知症になる時代である。すべて悪い食品の宣伝洗脳が原因と推定される。その対策は簡単だ。その洗脳の宣伝から遠ざかれがよいだけだ。何でも元を断たなきゃだめなのよ。

 

 昼から刑事ドラマで、毎日人殺しのテレビドラマが氾濫している。これでは凶悪犯罪が頻発するのも当然である。くだらない芸能人のよろめきゴシップで、日本人の品格が落ちるのも故あること。無料でテレビが見えるのは、企業の健康を無視した金儲けという悪魔が裏に潜んでいる。

 

銃乱射事件

 米国の銃の乱射事件が起きると、立て続けに同じような事件が頻発するのも、洗脳教育と同じ作用がある。犯罪が頻発するハーレムに育った子供が、犯罪に走るのに抵抗がないのも、同じ洗脳教育である。

 2015年12月の韓国人の靖国神社爆弾事件も、韓国政府が50年間の反日教育をしてきた「成果」である。柔軟な脳の発達期に反日教育で洗脳すれば、畜生の仕業をしても、国中で賞賛の声が満ちる国と成り下がる。反面狂師として興味深い狂育成果物である。

 人は、数多く見た通り、教えられた通りの人間になる。良きことを多く見ればよき人生が、悪いことばかりに取り囲まれて育てば悪しき人生が創り出される。

 

墓石の洗脳

 墓石でも同じことが言える。特に柔らかい石を墓石に使っていると、水が長年内部にしみこんでいる。その水に鉄分が含んでいると、一度墓石に染みこんだ鉄分は、高圧高温洗浄でもその汚れは落ちにくい。その水垢が落とすにはシュウ酸を入れた温水が必要となる。雨が降った後に水の染みこんだ墓石を見ていると、己の自我が確立していない状態で、洗脳教育を知らずに受けて地獄に堕ちる人たちの姿が墓石に重ねて見えてしまう。

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 雨の後で水を吸い込んだ墓石  石が柔らかいと水を吸う

 雨上がりの後に、墓地を訪れ、墓石の種類の差によって水の吸い方に違いがあるのを見比べると良い。水を多く吸う墓石は、寿命が短い。つまり冬に墓石の内部の水分が凍り、それが体積膨張して内部から石を破壊するからだ。私の家の墓石は、建立後60年で痛んできた。それで改建した。

 人間の心も洗脳されると、疲労破壊され、心がぼろぼろになる。

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言葉の毒

 日々使っている言葉が人を傷つけ、自分自身を傷つける。自分が吐く言葉の影響を一番受けるのは自分である。言葉に含まれる何気ない小さな毒が、長年に亘って心に蓄積すると、毒薬をあおるような被害を受ける。母の励ましが子供を育て、子供の心を傷つける言葉が子供を殺す。言葉とは「こと魂」である。人を傷つける言葉を吐く人とは、距離を置いたほうがよい。近づいてくる縁が全て善ではない。毒ある縁を避け良き縁に接せるのが、佛の智慧であるし、佛縁を大事にする心である。

 

変わらなきゃ

 みんなは、「変わらなきゃ」、「自己改革しなきゃ」、と大騒ぎをしている。しかし今だかってそれで変わった人などいない。暫らくすると元の木阿弥となっている。それは何故そうなったかを考えず、「変わらなきゃ」と言っているだけだからだ。それには洗脳された脳を変えることが必要だ。その洗脳は、一日に20回、一年365日、10年間も続けば73,000回も脳に与えた破壊工作なのだ。それを修復するには、相応の取り組みが必要だ。

 だから今の日本を変えるのは大変である。しかしやらねば日本が亡ぶ。

 

2022-08-18  久志能幾研究所通信 2466  小田泰仙

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2022年8月17日 (水)

豊かになるための方法

 

そのために必要な行動

 1 健康優先の生活を送る。

 2 豊かになりたいという熱望を持つ。

 3 縁を神仏の恵みと考え、縁なき縁は追わない。

 4 よき師を選択する。

 5 よりよいものを求め続ける。

 6 利他の精神で、義務と権利のバランスをとる。

 7 余分に払う、「まけろ」と言わない。

 8 神仏を敬う。

 

私は豊かになりたいと願い、鍛錬を続けている。

 

豊かさの方程式

 この世の出来事は、全て人間の為せる技の成果だ。その技は一朝一夕には身に付かない。仕事の技も武芸の技も、豊かになる技も同じである。そのために練習や鍛錬を積んで、初めて手に入る。

 日本の武道には、「生涯無敗伝説の宮本武蔵が『五輪書』で強調した「鍛錬」という言葉がある。 『鍛とは千日(3年間)の稽古、錬とは1万日(30年間以上)の毎日欠かさずの練習』をさす。だから30年の練習でやっと一人前である。それで世間とは一線を画した技が手に入る。並みの技で豊かにはなれない。

 

 グローバル経済教では、いかに自分は楽をして他人のカネを巻き上げるかに、血道を上げる。そんな簡単に手に入ったカネは、簡単に飛んでいく。カネの神様は地道な努力が好きなのだ。

 

 豊かさとは、カネがあることではない。心が豊か、生活の質が豊か、身体が健やかであって、初めて豊かな人生を送れる。豊かさは、求めるレベルを欲望で割れば、その価値が計算できる。どんなにカネや資源の豊富さを誇っても、欲望のレベルが大きければ、限りなくゼロに近い。餓鬼に世界に迷い込む。欲望を小さくさえすれば、豊かな生活が生まれる。

 

 立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。どんなにカネを集めても、女を多く所用しても、どんなに家を沢山持っても、いくら車を数多く所有しても、一人の人間がそれに使える時間は限られる。飲みすぎ、食べ過ぎになれば、死が早くなる。どんなに金があっても時間は一日24時間しかない。健康寿命は72歳である。寝たきりになれば、カネがあっても使えない。豊かさの価値を考えよう。日本の富豪のように数兆円を集めても、あとどう使うの?である。

 

 豊かさの価値 = 理想の求める量 ÷ 欲望の量

 

1 健康

 どんなに豊かになっても、健康でなければ、絵にかいた餅である。豊かになるための第一条件には、健康が最優先である。

 自分の体は、神仏からの預かりものである。大事に使わないと、すぐ神仏から取り上げられる。それでは豊かになれない。

 エリートと称される人たちは、精神的には弱く挫折しやすい。心身が健康であって、初めて豊かなのだ。

 

2 熱望

 豊かであるためには、豊かになりたいという強い欲を持つことだ。誰よりも強く願うことだ。人生での勝負で、勝ちたいと思わないと、絶対に勝てない。皆が勝ちたいと思っている思っているから、その中で戦うは、闘争心が必須である。それは豊かさも同じである。

 豊かになりたいなら、豊かになる努力、鍛錬をすることだ。それなくして、豊かにはなれない。ただしどんな努力をしても、人間には器の大きさと人生のタイムリミットがある。それを忘れないようにしよう。

 

3 ご縁

 縁のめぐり合わせは人知を超えている。来た縁は大事にすることだ。また縁がない現実は、神仏が「縁がない」と言っているのだ。「縁がないという縁」を授かったのだ。そんな縁を無為に追うから豊かになれない。縁なき縁は追わずである。

 

4 よき師を3年かけて探す

5 何度も繰り返す

 どんなモノでも、最初から理想のものが手に入るわけではない。家だって3回立てないと満足した家にはならないという。それは万物に共通する。そのためには、最終的にどんな姿にするか長期ビジョンを持つことだ。最後の姿を目指して、鍛錬することだ。

 

6 分相応

 自分は全体の中の自らの「分」を頂いているだけだ。全体を考え(利他)、自分の義務を果して、初めて獲物が手に入る。そうでないと、分不相応として回りから嫉妬される。それでは豊かになれない。

 

7 投資

 豊かであれば、金品サービスを提供してくれる仲間に、感謝を込めて余分に払うのが、ご正道である。回り回って、きっと倍返しで返ってくる。それが豊かさである。

 だから金品サービスを提供してくれる仲間に、「まけろ」などと言ってはならない。値引き交渉などしなくても、豊かになれば相手が勝手に安くしてくれる。

 そのための最大の投資先は、自分である。自分に投資をすることだ。勉強することだ。

 

8 神仏

 そのご縁は全て神仏の賜物だ。神仏にお願い事はダメである。神仏は、感謝をして敬おう。縁は理を超えたところにある。捨てる神あれば拾う神あり。仏様はもっと人情がある。天はお茶目ないたずらをする。それに従おう。

 

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馬場恵峰書

2022-08-17   久志能幾研究所通信 2465  小田泰仙

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為写経

 

 2015年、お墓の改建を機に、父の末弟の小田五郎に「護國院」という立派な院号を長松院住職様から付けていただいた。小田五郎は昭和19年にビルマで戦死された英霊である。また元の戒名が戰勲至誠居士であるので、吉田松陰が好んで使った「至誠」であるのも因縁である。

 住職様も英霊に院号を付けるというのは、住職としても人生で滅多にないことであり、大変名誉なことなので、その代金は不要と言われた。ありがたいことであった。

 その一連の過程で、小田家先祖代々諸精霊の位牌を作るとよいと長松院住職様からのアドバイスを受けて作成した。

 

 その位牌を納めに来た横田仏壇屋の奥様から、それなら為書きの写経をお墓に納めると良いという助言があり、早々に写経を始めた。書いているうちにそれならお墓に入っているご先祖様全員の為写経をしようという気になり、全33名分の写経をする大変なことになった。それでも8月15日から始めて、10月3日で33名のご先祖様の為写経を終ることができた。まだ時間があるので、更に写経を進めた。

 これも以前に、知己塾で恵峰先生より「般若心経の写経をすると書道の勉強にもなる」と言われて、その教材を入手していたご縁があって、直ぐに取り掛かれることが出来た。ありがたい恵峰先生からのご縁である。

 

 般若心経の一字一字を慎重に書いていると、その意味するところが伝わってくる。書いてこそ、その経の意味が理解できる。それが分かったのも大きな功徳であるようだ。

 

 馬場恵峰先生は、今までに1万5千文字の写経をされたという。先生でも1枚の般若心経を書かれるのに2時間を要するという。それも斎戒沐浴をしてからの写経である。ご縁があり、先生の書の写真集を出版することで、先生の書かれた経の写真を昨年から撮らして頂いている。次頁はその一部である。

 

 2015年10月3日、33名のご先祖様の為写経を終えて、小田五郎さんに新たな院号がついたことを思い出し、その位牌を作ることを思いついた。既に五郎さんの50回忌は終っていて、元の位牌はお炊き上げされているはずだが、諸般の事情で仏壇に位牌も祭られてこなかったようだ。英霊でもあるし、私の家にその関係遺品が残されていて、私が遺品を管理しているご縁もある。住職様と相談をして、位牌を新作することにした。結果として、2015年の半年間で3つの位牌を新作するという不思議なご縁となった。何かに導かれているようだ。

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  馬場恵峰書

2022-08-016   久志能幾研究所通信 2464  小田泰仙

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2022年8月16日 (火)

録音とは音入れ → おトイレ問題

 

とにかく具体的に動いてごらん。具体的に動けば具体的な答が出るから。

    相田みつを

 

 ネコサロンを作る計画段階で、専門家からアドレスを貰った。「トイレは単に1つだけ設置すればよいわけではない」と。つまり客席が70くらいのホールでは、車椅子でも使えるトイレも必要で、更に男女別のトイレが必要だとのこと。やはり餅は餅屋の領域があるようだ。人生老いても、知らないことばかり。

 

計画変更

 ネコサロンを建てる計画に変更したので、当初、音楽ホールにする予定だったハウスを会議室・展示室専用にする計画に変更した。それで、トイレを改造する段取り中だ。それで安易にトイレ改造を考えていて、ネコサロンにも適用しようとして、勘違いをした。そのスケッチ図は、山路先生が描いてくれた。感謝である。

 

 夢の実現のためには頭の中だけではダメなのだ。具体的に動けば、具体的な答えを仏様は返してくれる。それで失敗しても、失敗ではない。やってはいけない失敗を早い段階で経験して、知見を増やせたのだ。後年の被害を少なくしてくれたのだ。

 

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  山路徹先生画 

 

2022-08-015   久志能幾研究所通信 2463  小田泰仙

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2022年8月14日 (日)

平和祈念の墓標

 

 先日、小田五郎氏(父の兄弟の五男)の為写経を終わったことに、なにか因縁を覚えた。明日8月15日は小田五郎氏の78回目の命日である。小田五郎氏は昭和19年8月15日、インパール作戦で戦死を遂げた。享年24歳である。

 為写経は、12人のご先祖の為に、順次、約10日に一枚のペースで行っている。たままた8月15日の目前に小田五郎氏の為写経が完成した。そのご縁で、インパール作戦を思い出した。

 

インパール作戦

 2015年10月8日、私が高野山に行ったとき、ビルマ戦線での戦没者慰霊碑を発見して、ビルマ・インパール作戦で戦死(昭和19年8月15日)された父の兄弟で五男の小田五郎氏の無念を思い、手を合わせた。インパール作戦では、日本陸軍の損害は、戦死者が第15軍の主力3個師団で計11,400人・戦病死者が7,800人・行方不明者1,100人以上(計20,300人以上)にのぼり、そのほか第15師団だけで3,700人の戦病者が発生した(『戦史叢書』による)。

 ビルマ・インパール作戦では、2万人余の戦死者が出た。その多くは戦死者以外にマラリアや餓死等であり、その主の原因は司令部のずさんな作戦ミスにある。戸部良一氏は、『失敗の本質』において、インパール作戦でずさんな計画が実行された原因について、牟田口軍司令官や河辺方面軍司令官の能力も影響しているが、より重要なのは「人情」という名の人間関係・組織内融和が優先されて組織の合理性が削がれた点にあると主張している。組織のトップがその責任を果たさなかった場合の結末は悲惨である。

 

父の兄弟の四男

 2016年1月6日、長松院で祖母の追善供養の法事の打ち合わせをした後、思いついて彦根護国神社内にあるシベリア戦没者慰霊碑に向った。その慰霊碑の裏面を見て、そこに父の兄弟で四男の小田史郎氏の名を発見して、改めて厳粛な気持ちになった。今まで数回ここを訪問しているが、裏面に小田史郎氏の名前があることには気がつかなかった。お墓の開眼法要も終り、戒名の訂正と祖母の追善供養の段取りが終った後での発見である。何か導かれたようだ。

 

共産主義という敵

 改めて共産主義国家ソ連の非道さを考えることになった。貧富の差をなくすため共産主義が生まれたが、実際は資本主義以上の貧富の差を生み、一部特権階級のみが極楽の生活を送る。現代の皮肉である。その轍を中国共産党が踏んでいる。1950年代の大躍進政策で、自国民推定で2,000~5,000万人を餓死させたことで毛沢東は、生涯でただ一度自己批判をして党主席を辞任している。5,000万人を殺しても責任を問われたわけではない。

 

グローバル経済教という敵

 企業が勝ち抜くためのベストプラクティスとして、資本主義社会でグローバル経済主義が横行しているが、結果は貧富の差の拡大があっただけである。常に企業のトップの一部の特権階級のみが、美味しい目を味わい、大多数の労働者はより不幸になる仕組みである。

 

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  彦根護国神社 シベリア戦没者慰霊碑

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 シベリア戦没者慰霊碑裏面 

 上段左から2人目が小田史郎氏の名    2016年1月6日撮影

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  高野山 ビルマ方面戦没者慰霊碑 2015年10月8日撮影

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 戦争は常に自己の国の利益を最大にしようとする利己主義から生まれる。病気との戦争も自己の欲望を最大にしようと極楽三昧の生活を送るところから発生する。己を滅ぼすのは己である。国のトップが狂えば、国が滅び、会社のトップが金儲け主義を邁進すれば、儲かるのは一時的で、長期的には衰退する。ご先祖から頂いた体をその欲望のままに生活すれば、病気になり早くあの世に旅立つのも故あること。

 

 ご先祖が戦争で非業の死を受けたことや、世界の多く人が理不尽な扱いで命を奪われた歴史の事実を凝視すると、自分が受けてきた諸般のことは、なんと小さいことかと思い知らされる。小さな人間の力では何も出来ないかと、無力感にも襲われる。しかし艱難辛苦を浴びたご先祖に比べて、今の自分の幸せさ、生きていること、生かされていることに報恩感謝の念が沸き、未来へ希望を持って生きていきたいとの想いが出てくる。

 

2022-08-014   久志能幾研究所通信 2462  小田泰仙

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居間用の立ち机が完成

 

 2022年8月12日、山路徹先生にお願いしていた仕事用の立ち机が完成し、自宅に納入された。立ち机は仕事部屋には設置済みだが、今回は居間への増設である。

 先に立ち机を納品してもらっていたが、それはアールヌーボー調で、デザイン的に好きでなかった。それで再製作をしてもらった。前の作品は、先生が下取りして自宅で使うと言われる。今回の机は、僅かな追加料金で入れ替えて頂けることになった。

 

 立ち机に拘ったのは、座り続けることが健康に悪いことが分かってきたからだ。少しでも立って作業をすることにした。

 また立って仕事をすると、頭に血の巡りが良くなって、良い発想を得るようだ。

 山路先生が自宅工房でこの机を製作していると、通りがかった人が、「これは立ち机ですね」と声をかけてきたという。立ち机の件は、世間では結構知られてきたようだ。

 

座り過ぎリスク

 座り過ぎによる死亡リスクについては、「1時間座り続けると余命が22分縮まるという研究データも発表されています」と岡教授。

「1日の座っている時間が4時間未満の人に比べ、4~8時間、8~11時間、11時間以上と長くなるに従って、WHOが推奨する身体活動量を満たしていても、死亡のリスクが11%ずつ高まるという研究結果もあります」

1時間座り続けると余命が22分縮まる! “座りすぎ”のリスク|テレ東プラス (tv-tokyo.co.jp)

https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/lifestyle/entry/2021/023194.html

 

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2022-08-013   久志能幾研究所通信 2461  小田泰仙

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2022年8月13日 (土)

 

 人の命は精々100年である。それに対して仏像の命は1000年である。佛師は、佛像を彫る刃に自分の命を賭ける。

 自分の「作品」の命を想定して、自分は仕事をしているのか、自問したい。人は皆職人で、芸術家である。会社の一般職が扱うプロジェクトの命は、精々10年である。私はそれより長い命の「作品」を創ることに命を賭けたい。

 今計画中の音楽サロンは完成後、100年は使ってもらいたい。

 馬場恵峰先生の書も写真に撮って出版して、国会図書館に納めたから100年、200年は命があるはずだ。

 後藤大地さんが彫った龍は、今後1000年は人の目に触れるだろう。その龍は、ある都市の山車に付けられる。お祭りごとに人の目を奪う。うらやましい限りだ。

Dsc021241s     後藤大地さんが彫った龍

 人は100年の命を賭けて、何を作り、何を遺して逝くのか。それが人の生き方として問われている。私はその時期が迫り、それを意識せざるを得ない。

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     成長モデル

 

仕事、使命

 仕事とは、命を使うことだ。仕事に時間(命)を捧げるとは、自分の命を捧げる事だ。仕事とは「事」に仕えることだ。食い扶持を得るために仕事をしているのではない。それは作業である。人間として生きるなら、「業」を「作る」のではなく、仕事で「事」に「仕える」べきだ。犬畜生は生きるために、獲物を得る作業をしている。人間はそうであってはならない。

 日常の政治経済、生産、商業、農業の営みは、全て布施である。すべて世の中に貢献している仕事である。橋を作るのも、船を作るのも、すべて布施である。

 

 然あれば即ち一句一偈の法をも布施すべし、 此生佗生の善種となる一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝を貪らず自らが力を頒つなり、 舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産業固より布施に非ざること無し。(第21節) 

  道元禅師 修証義 第4章

 

 自分の命は、40億年続いたご先祖からのDNAの継承である。人とは「霊止」と書く。ご先祖の霊が、今の自分に宿っている。だから単に生き永らえるために、糧を求めるだけで作業をしてはならぬ。

 

地獄の業火

 グローバル経済主義で、金儲けだけが目的の「作業」だけで一生を終えては、人として情けない。米国のグローバル経済の邪鬼や、中国共産党のように、なるべく楽をして、他人からカネを集めるだけのことは、仕事ではないだろう。その「事」で、一人だけが幸せになり、99人が不幸せになるのは、「業」を作っているのだ。それは地獄の業火で焼かるだろう。

 日本の企業人がグローバル経済主義に染まり、金儲けだけ動いているから、日本の景気が良くならない。自業自得である。自分有限会社の経営は、そうならないように精進すべきである。

 

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 馬場恵峰書

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2022-08-012   久志能幾研究所通信 2460  小田泰仙

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2022年8月12日 (金)

身体の保全と危機管理、遺体の腐敗防止?

 日本は「農薬大国」で、年間約60万トンもの農薬が生産されている。農薬は主に殺菌剤、除草剤、殺虫剤として使われており、これらの中には、発がんリスクの高い猛毒を含んでいる。我々は普段の食事で、体によいと思って食べている野菜や果物と共に、そのような毒物も摂取している可能性がある。実際、日本人の体内脂肪から有機塩素材(農薬)の残留量が世界平均の3倍も検出されたというデータもある。

 最近の日本人は死んでも、昔ほどすぐ腐敗しないと言われる。つまり防腐剤が体にしみ込んでいるのだ。

 日本の年間約60万トンの農薬を一人当たり年間に換算すると、6kgの農薬を「浴びて」いる計算になる。輸入される外国の農産物に使われる農薬や防腐剤を含めると、恐ろしい量の「毒」を浴びていることになる。

 

日本はダントツの農薬使用量

 農薬の致死量は2グラムである。日本では、その3000倍の農薬が一人当たりに使われている。米国の使用量の4倍の量である。安全にうるさいスウェーデンの使用量の20倍である。下のグラフを見れば、中国の農作物が危険などと批判できない。

 

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▲ 出典:FAO「FAOSTAT」農地1haあたり国別農薬使用量(2018年)より弊社作成。

農薬https://musubi-ichiba.jp/blogs/syoku/noyaku-genjyo

 ブログ「産直 むすび」より引用

 

がんの大量生産

 1975年の医師数が約13万人、がん死者数は約13万人だった。その後の40年間で、医師数は約3万人増加し、がんに関する研究や治療は格段に進歩したのに、2014年のがん死者数は36万人を越えた。2021年には38万人になった。

 1970年代の日本の総医療費は10兆円であった。2021年には医療費総額は43兆円を超えた。しかしがん患者は減るどころか4倍に増えている。

 がん死は年々増加の一途である。政府はそれの事実を隠すために、年間1万人程の死者の新型コロナ禍を大々的に公報して恐怖を国民に植え付けている。その死亡者も疾患持ちの高齢者が大半である。

 新型コロナの恐怖を政府やマスコミが煽るのは、コロナ対策には兆円単位の利権がからんでいるのがその原因である。官僚の心ががんに侵され、堕落したのだ。現実は、がん死の方が、新型コロナ死よりも38倍も恐ろしいのだ。

 

農薬過多の原因

 日本人が自然に反して潔癖すぎる食品を求めすぎた結果、農薬を多く使わないと、農製品を商品として扱わないのが原因だ。多少は曲がったキュウリや虫食いの野菜を許容すれば、農家もここまで農薬を使わない。農薬を大量に使わないと扱う商社側が、農製品を買い取ってくれないからだ。売る方も消費者の求めるものを売っている。自業自得なのだ。

 農薬に殺される害虫は、人類と200万年も共生をしてきた。それを急に見てくれが悪いから殺す、では自然界の理に反している。害虫とは人間様からの一方的な位置づけ(差別)で、自然界ではそれで全体が回っているのだ。だからがん等の病気の増加は、日本人に「自然に帰れ」と警告しているのだ。

 

がん原因食品の増加

 1950年から2010年までの60年間でみて、平均的に肉の摂取量9.8倍、卵6.3倍、牛乳・乳製品が18.2倍と著増し、米が半分、芋類は10分の1と激減した。つまり、肉・卵・牛乳・バター・マヨネーズなどに代表される「高脂肪」の欧米食こそが現代日本人のがんの大きな原因の一つであると推定される。その証拠として、以前多かった胃がんや子宮頸がんなどの日本型のがんは減少して、肺、大腸、乳、卵巣、子宮体、前立腺、すい臓、食道がんなどの欧米型のがんが著増している。食生活を悪い方に変えたから、病気が増えたのだ。だからがん等の病気の増加は、日本人に「食生活を見直せ」と警告しているのだ。

 

宇宙音源の理に反した食肉生産

 畜産品は、利益最優先で牛、豚、鶏の成長を早めるため、成長ホルモンが投入されている。畜舎の中に過密状態で育てるため、伝染病にかからないように、多量の抗生物質が飼料に投入され無理に飼育されている。そうやって育った肉や乳製品を多く食べれば、病気にもなるのは「理」に合っている。「理」に適わない食品が体に毒になる。それは「宇宙根源の理」に反した食物である。

 「ハムや加工肉を日に50g以上食べ続けると大腸がんになる確率が18%増加する」とWHOから報告があったばかりである。ハムや加工肉は、防腐剤や添加物が多く入っている。そんな肉を長年食べれば、病気になるのが必然である。

 だからがん等の病気の増加は、日本人に「食生活を見直せ」と警告しているのだ。

 

食は生命

 2000年も前から漢方医学では「食は生命」としている。贅沢な欧米型の現代食生活を謳歌すると、20年後に病気と言う悪魔のサイクルのご縁を頂く。因果応報である。がんという病気を対処療法で治しても、その根本原因である食生活を直さないと病気は治らない。気づいた時には遅いが、それでも一日でも早く食生活を正すのが、ご先祖へのご恩返しである。

  

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

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2022-08-11   久志能幾研究所通信 2459  小田泰仙

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2022年8月10日 (水)

「働きかた改革」よりも「死にかた改革」

 

「私は死ぬために(行動し)、諸君は生きながらえるために(正論を唱える人間に死刑さえも宣告する)。もっとも両者のうちのいずれが、いっそう良き運命に出会えるか、それは神より外に誰も知る者がない。」

(久保勉訳『ソクラテスの弁明』岩波文庫

 死刑を宣告されたソクラテスはそう言って、毒杯を仰いで死んだ。

 朱記は著者。

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  Wikipedia 「ソクラテスの死」より

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「働きかた改革」

 政府は「働きかた改革」を推進している。しかしそれは血迷った政策だ。厚生労働省の役人は、「働きかた改革」の目的を、■働き手を増やすこと、■出生率の上昇、■労働生産性の向上と捉えている。

 下記は政府の働きかた改革のパンフレット

000474499.pdfをダウンロード

 つまり経済的な末梢的目的のための「働きかた改革」であって、人間の幸せを考えた本当の「働きかた改革」ではない。政府はその結果が思わしくないので、移民政策で逃げ道を探っている。

 日本人の幸せを政府は、増税、移民、がん増加原因の放置、医療費激増の放置、コロナ対策のデタラメで台無しにしている。すべて官僚の利権を確保するための働きかた改革である。

 

政府高官のああ勘違い

 政府官僚は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」、「働く人のニーズの多様化」の課題には、投資や改革による生産性向上と就業機会の拡大や働く環境の改革が必要だと考えて、多様な働き方を選択可能にして、成長と分配の好循環を構築し、働く人が将来の展望を持てるようにする、と綺麗ごとを述べている。

 

 この政策が実情にあわないから、また政策が間違っているから、全く成果が上がらない。しかし政府は間違いを認めず(高級官僚は自分の出世に響くから絶対に間違いを認めない)、だから政府はやけくそで、移民政策に逃げ道を求めている。

 その結果は、この30年間が雇用の減少と賃金の下落である。この30年間の日本の経済成長率はゼロである。誰が見ても政府の政策が間違っている。

 

洗脳

 「人は何のために働くのか」が曖昧のままだから、厚生労働省の「働きかた改革」のキャチコピーに騙されるのだ。「改革」とさえ言えば、国民を洗脳できると高級官僚は安易に考えている。

 人は何のために働くか。なんの為なら命を捧げてその仕事に一生を捧げることが出来るか、を明確にすべきである。日々、糧を得るためにだけ働くなら、犬畜生と変わらない。霊長類の頂点に立つ人間なら、その日暮らしでは情けない。

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 労働とは

 仏教では、ただひたすら働くことが説かれる。佛になるための修行である。 働くとは、利他行である。自分自身の我欲からの解脱である。

 欧米の考えでは、労働は神から与えられた苦業で、カネが出来れば早期引退が理想である。後の余生は遊んで暮らしたい、である。日本人は欧米とは価値観が違うのだ。特に米国はグローバル経済主義が蔓延してから、いかに楽をして他人からカネを巻きあげるかに血道を上げている。

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何のために

 もっとまじめに、何のために死ぬかを考えよう。そうすれば働きかたが変わる。人が生きるとは、何のために死ぬかが目的で、働きかたは、単なる一手段なのだ。その目的が明確なら、生涯現役で働ける。何のために死ぬかの意識がないから、定年退職後には、粗大ゴミ、ぬれ落ち葉、終わった人、徘徊老人、認知症になるのだ。

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 馬場恵峰書、文責は小田泰仙

 

2022-08-010   久志能幾研究所通信 2458  小田泰仙

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