2023年12月 2日 (土)

志を持て!龍になれ 孤龍興雨 in Sagan

 

 岐阜市川原町 Gallery Sagan で辰を特集した「辰づくし展」が開催されている(12月1日~12月26日)。その龍たちを見て、下記の感想を持った。

 龍は架空の動物である。その架空の動物をいかに本物の生きもののように表現するかで、芸術家の力量が問われる。各作品をそういう目で見ると、興味深い。

 龍は縁起物である。来年は辰年である。この展示を見て、龍になる勇気をもらった。

 

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志は龍になる 

 高い志を持って行動すれば、同志は自然に集まってくる。最初は一人で始めた行動でも、強い信念と強烈な熱意があれば、それが起爆剤となり、人を動かし、世の中を動かし、世間に恵みの雨を興す。

 龍が空で高く吟ずると雲が起こり、霧が湧いてきて雨を降らす。龍は水の神様である。

 力量のある人物がものを言えば、この無心な自然界も自ずからそれに沿って動き始める。そんな人には龍が宿っている。

 だから弁財天の頭には、宇賀神様の龍が彫られている。弁財天の起源は古代インドの聖河サラスバティーを神格化した女神である。水の神であり、豊穣をつかさどる神として、信仰をあつめた。弁財天の頭上には農耕の神・宇賀神(髭を生やした老人で、体は白蛇体)を頂くお姿として祀られるようになった。日本人は一木一草にまで神仏が宿るとして、自然を崇拝してきた。龍もそんな信仰から生まれた架空の神様である。日本人は自然を畏敬の念で接している。それが龍の存在で象徴されている。

 それに対して西洋では、人に理解できない様な生物を恐怖の対象として 「ドラゴン」と称していた。キリスト教が世界で実権を握るようになると、 キリスト教に逆らうモノ・・・悪魔や異教の神を ドラゴンと称して「悪しきもの」とする様になった。自然とは、征服するものという観念で見ている西洋人と日本人の差は、「ドラゴン」の扱いでも明確に差が出ている。

 最近は西洋の拝金主義者が唱えるグローバル経済主義に汚染されて、世界と日本社会がおかしくなった。戦争が起こり、行き過ぎた脱炭素運動が展開されている。

 日本の元からある自然との共生、社会との共生を元にした人生観自然観を大事にしたい。その象徴が龍である。世界の中で日本一国だけでも、その志を大事にして世界に恵みの雨を降らせよう。

 

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 吉川充作  青磁 香入れ

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吉川充作  青磁 香入れ

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 下田心一 作

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  下田心一 作

 

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 池田彩恵 作

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 樋口ナオミ 作

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 樋口ナオミ 作

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  田中暁子 作

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  田中暁子 作

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  田中暁子 作

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 長田けい子 画

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 中島法晃作

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 中島法晃作

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 中島法晃作

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   鈴木信子 作

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鈴木信子 作

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 鈴木信子 作

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 鈴木信子 作

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2023-12-02  久志能幾研究所通信 2781号  小田泰仙

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2023年12月 1日 (金)

人生の大地を耕す

 

 工場は、社長がその工場の現場に足を運んだ回数分だけ良くなる。それでその工場の生産性がよくなる。それは、社長が現場で第三者の目で問題点を見付けて、指摘し改善をさせるから、生産性が上るからだ。トヨタ生産方式では現地現物が基本である。

 農地は、農民が数多く鍬を入れて耕した土地が豊かな実りを得る。耕せば、土地の内部の微生物が活性化して、土地が肥沃になるからだ。

 恋愛という大地だって、数多く会えば、自ずと相互理解と愛情が耕され、お互いが豊かになれる。

 

文化

 英語「culture」の訳語は「文化」である。その語源はラテン語の「colore」である。「colore」は、「耕す」、「住む」、「崇拝する」などの意味がある。この「耕す」という意味が、現在の「文化」と深い関連がある。耕すという行動によって、人間は自然に手を加え、自分たちに都合のよい土地に作り変えてきた。

 

 人生という大地は、その大地を自分の鍬(体験)で、耕してこそ、よい人生を創ることができる。その大地も、何度も何度も耕してこそ、よき人生経験を得て、人格が豊かになる。たった一度だけ鍬を入れただけでは収穫物は少ない。何度も耕してこそ豊かな収穫物が得られる。

 人が経験したことを、何度も振り返り、それでは、その時、どうすればよかったかと、何度も考えることが、人生経験を耕すことなのだ。それで思考が深まり、その後の人生で同じような経験に出会った時、良き行動がとれる。それだけ人生経験が豊富になり、人格が上がるのだ。そのめぐり合わせのご縁は、盲亀流木のご縁である。

 

70にして69の非を知る

 そのご縁を当時の資料を見て、思い出し、自分の行動を疑似体験して反省する。そうやって私は過去50年分のスクラップ資料(再整理して現在、総計115個のボックスファイル。重量約1.1トン)を日々見直している。そうやって「70にして69の非を知る」を体感している。

 

 人間だもの、最初の出会い(経験)では失敗もあるだろう。次の出会いで、それを修正すればよいだけだ。私の人生は失敗だらけである。そのための過去の体験資料の見直しである。私は失敗の資料を大事に保管している。

 

久志能幾研究所通信  人生の譜面 振り返り

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

 

2023-11-30  久志能幾研究所通信 2780号  小田泰仙

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2023年11月29日 (水)

死の気配 死活の演出 死後の法要

 

 私は最近、生と死を真剣に考えるようになり、自分の死後の段取りを見直すことにした。「終活」ではなく、その後の「死活」である。

 死後の段取りを再検討すると、死後50年間の法要が明確に決まっていなかった。それで11月28日に、菩提寺に行って、住職さんと打ち合わせをした。

 私が5年前にがんになり、手術後、死後の各種段取りをしたが、約5年が経ったので、その見直しである。幸い、まだ死の気配がない?

 

何回忌まで、法事をするのか

 誰の葬儀でも、何回まで法事をするのか、決めておいたほうが、当人も遺族にも良いだろう。生前にその意思を確認しておいた方が良い。

 最近は7回忌で終りという家も増えている。通常は33回忌までが一般的である。50回忌まで勤める家は少ないようだ。当家では50回忌まできちんと執り行っているので、自分も50回忌までの手配をした。

 2年前に祖父の100回忌が回ってきたので、ご縁と思い執り行った。今年は祖母の50回忌を執り行った。

 

法事のレベル決め

 法事と言っても、親戚に集まってもらうわけではなく、お寺さんが私のためにお経を読んでくれるだけである。だからお花も特別な飾りもいらない。そう思って法要を簡素にしてもらうようにした。それで50年間で、約50万円の節約である。

 その法事の目的は、自分に対してお経を上げてもらうだけではない。その時の法事と同時に、当家のご先祖代々の諸精霊にもお経をあげてもらうことになる。それが主目的である。

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置いて逝く遺産

 この法事も自分がこの世に置いてゆく遺産である。それで安心して逝けるなら、幸せである。手を合わす対象があるということは、幸せである。カネと女と欲望だけの人生では空しい。それは畜生の人生だ。自分が此の世に生を受け、生きてこられたことに感謝することが人間としての務めである。病に倒れ、戦争で命を奪われたご先祖を思えば、自分は幸せである。手を合わす対象があると意識することが霊長類の資格だと思う。動物は、先祖に手を合わせない。

 知人に私の33回忌に参列してくれませんかと(冗談で)お願いしたら、拒否された? そこまでは生きていないとか?(笑)

 死後では自分では何もできない。しかし生前で、かつ元気であれば、そのプロジュースをすることが出来る。

 今回の打ち合わせで、自分の存在が死後50年間の法要に値するか、今後の生き方を考えるよい機会となった。今から後世に何を遺すのか、課題が見つかった。

 

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葬儀

 葬儀やり方も戒名も事前に決めた。墓誌に戒名も彫った。葬儀と戒名のお金も払った。看取りをされる段取りもした。看取り士の資格を取得中である。死亡の病名も決めた。老衰である(希望?)。

 

死に場所

 死に場所も決めた。自宅である(希望?)。数多くのチューブに繋がれて、身動きできず、苦しみながら病院で死にたくはない。病院にとって死は敗北であるようだ。だから患者が苦しもうが、拒否しようが、家族の希望が有れば、延命治療を強行する。それは患者を苦しめるだけだ。どうせ死ぬのだから、安らかに逝かせて欲しい。

 

位牌を手配

 来年、自分の位牌を手配することにした。そうすれば自分が納得出来る位牌になる。位牌の戒名で「○○院○○◎◎居士」と記された◎部を朱で書けばよい。没後、朱の部分を金箔で覆えばよい。それを仏壇の中ではなく、仏壇の横に置いておけばよい。

 お墓は8年前に改建すみである。改建当時、自分も入ることは全く頭になかった。人は必ず死ぬのだ。それに思い足らず、自分でも愚かであったと思う。

 戒名は既に頂いていて、墓誌にも刻字すみである。私はまだ生きているので、墓誌の戒名には朱を入れている。

 

遺影を準備

 5年前の手術前に、覚悟して写真館で遺影の写真は撮った。CDに記録はしたが、それを正式の写真として印画することを忘れていた。うかうかすると、何処にしまったのか忘れてしまう。だから、印画を実施することにした。

 

家系図

 お寺さんと打ち合わせをして、良かったことは、ご本尊様の扱いを決めたこと。位牌堂に入れる品を再確認できたこと。その中に家系図を入れることを住職さんから提案され、決めたこと。

 その家系図は、お墓を改建する時、ふとしたご縁から1734年前の最古参のご先祖の記録が菩提寺の奥の蔵から出てきた。それから後の家系図を完成させたことができた。それで約150名のご先祖の家系図を作成した。その調査のため東奔西走で大変であった。今の体力ではとてもできない。お墓造りも同じである。今では中国の経済状態が激変して、今では当時のお墓を作れない。お墓の石の加工は中国でおこなった。まさにめぐり合わせを感じるこの頃である。

 何ごとも、出来る時にやっておかないと、出来ない。だから死の準備は早い方がよい。だれにでも死は必然である。それもある日突然である。

 

死の気配

 住職さんの話で興味深かったのは、最近の檀家さんの動向のお話しである。最近、立て続けにお別れに来られた檀家が数名いたという。自分で死期を悟り、お別れに菩提寺を訪れたという。実際、その後しばらくして、亡くなられたという。住職さんも、その気配をその人から感じたという。

 ちなみに住職さんは私の顔色を見て、そんな気配はないという。それは今回、菩提寺を訪問して得た最大のご褒美である。

 しかし油断大敵である。人の明日は分からない。なにせどんな人でも、70歳になれば、30歳台に比べ、筋力量、免疫力は半分に減っている。脳の体積も40歳台に比べれば、15%も減っている。脳の体積は40歳以降、年に0.5%ずつ減っていく。

 80歳にもなれば、全員ががんを体内に持っている(老人医療の専門家・和田秀樹医師の話)。

どんな生物でも生老病死である。

何時までもあると思うな親と金、そして自分の命。

人生の日暮れは近い。人生の大事を急ごう。

死を意識することは、今を全力で悔いなく生きる事。

 

 

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 馬場恵峰書

 

2023-11-29  久志能幾研究所通信 2779号  小田泰仙

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2023年11月26日 (日)

魔女からの贈物 夢見るバイオリン弾き少女

 

 Gallery Saganで開催されていた「渡辺陽子人形展」で、渡辺さんが作る人形に何か惹かれ、「バイオリンを持つ少女」を入手した。

 美術品は講釈抜きに、自分が気に入れば楽しめばよいと思う。蓼食う虫も好き好きである。芸術の「芸」は「草冠」と「云」からなり、「云」は匂いのことである。つまり匂い草の象形文字である。匂いは、特定の時代、特定に環境、特定の人の場合のみに通用するものである。それが芸術である。だからゴッホの作品は、時代が変わらないと評価されなかった。

 きっと私は魔女の渡辺陽子さんに魔法をかけられたのだろう。渡辺さんは魔女の様に神出鬼没で(魔出魔没?)、人と話し込んでいると思ったら、いつの間にか、ほうきに乗ってどっかに飛んで行ってしまっている? 私は敬意をもって、渡辺さんを「魔女」と呼んでいる。

 

 当初、この娘をピアノの上に飾ろうと思って入手した。「彼女」は何故かこの人事異動?を拒否して、今も居間のテーブルの上に鎮座している。彼女は夢見るような目つきで遠くを見つめている。

 

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夢を見続ける

 私も叶わぬ夢を見続けている。夢があるだけ幸せなのだ。夢なき人生は虚しい。その夢を実現するために、前に向かって歩くのが人生なのだ。それも一生かかっても実現できない大きな夢を抱いて人生を歩くべきだ。夢の実現のため、道なき道を歩いてきた後ろに道が出来る。

 漢字の「道」の語源は、魑魅魍魎が住むと言われた古代中国の城壁の外を「生贄の生首」を魔除けとしてぶら下げ、恐る恐る歩いて出来た跡を「道」と称した象形文字である。シンニュウは、十字路の象形文字である。

 直ぐに実現できてしまう夢は、真の夢とは言わない。それは単なるルーチンワークである。

 人は全く可能性のない事を夢見ない。少しでも可能性があるから、夢として思い浮かぶのだ。誰も自分にアメリカ大統領になる夢を持てとは言わないし、自分もなりたいという夢は抱かない。

 どうせ夢を抱くなら「倍の大きさではなく、一桁大きい夢を抱け」が、トヨタ式の考えである。大法螺と言われてもよい。実現すれば、法螺ではなくなる。

 

 永眠してしまえば、夢を見ることが出来ない。夢を見ることは生きている証。生きているのに、夢を見ないのは、病院のベッドの上で生き永らえていると同じ。それは死んだ人生だ。夢を見るのに、齢は関係ない。老人だからこそ、今までの経験を元に大きな夢を持とう。実現できなくても、後継者がそれを叶えてくれる。

 

 夢の世に 夢みし夢は 夢ならで 

 夢見ぬ夢こそ 夢と知れ

 

 

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 馬場恵峰書

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2023-11-26  久志能幾研究所通信 2778号  小田泰仙

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2023年11月24日 (金)

生と死を考える 戦時下の生と死と現在

 

 2023年10月14日、「生と死を考える会」で籠原明子氏の「戦時下における生と死と現在 (古川会長との対談形式)」の講演が行われた。約40名の参加者であった。

 戦前戦中の政府の無責任な政策で、国民が生死をさ迷った現実を籠原明子氏と古川会長が対談で紹介された。彼女は、1946年、家族が満州から引き揚げてきた時、まだ4歳の少女だった。古川秀昭会長は旧満州で生まれ、2歳の時、旧満州から引き揚げてこられた。

 私は満州移民政策の情報をおぼろげにしか知っていなかったので、その現実の悲惨さに驚いた。多くの日本人も知らないと思う。マスゴミ界でもタブーの話のようだ。それを紹介する。

 

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結論と戒め

 似非エリートどもは、自分の頭で考えず、外国の手法を取り入れて、立身出世しようとする。そんな輩が国に指導層に立つと、国を滅ぼすことになる、実際にそうなった。そういう話である。

 現代でも同じようなことが行われている。我々はしっかりと覚醒しないと殺される。現代でも利権まみれの政治家、官僚が日本を滅びに道に引導している。

 岸田は「日本で一番偉くなりたい」だけの目的で首相になった。日本をこうしたいなどというビジョンは皆無であった。増税クソメガネと揶揄される彼は、増税の政策ばかりで、日本の未来への施策は無為無策で、国民の生活を貧困化させている。彼は日本国を崩壊に導いている。増税クソメガネは、上級官僚と上級国民だけがいい思いが出来る国にしたいようだ。米国は30年前に比べて給与は2倍になったが、日本のそれは逆に30年前よりも下がっている。

 今年、日本では公費での葬祭費が過去最高の110億円を超えた。その件数が52,2561件(2023年10月速報値)となり、昨年度より7.7%も増え、無縁仏が激増している。だれがこんな情けない国にしたのだ。

 

満州移民政策、棄民政策

 昭和15年、満州への400万人の移民計画を、軍部のエリートが立案した。それは、西洋諸国の植民地政策を真似して手柄にしよとした似非エリートどもの仕業である。

 

 政府の半ば強引な移民政策で、27万人が満州に開拓農民として移住した。もしソ連と戦争になったら、棄民として移民させた国民を捨てる計画であった。移民者は各県にその数が割り当てられた。その移民先の満州の土地には当然、そこに住んでいた中国人がいる。その中国人の土地を極めて安い値段で買い叩き、元の住民を追い出した。それでは中国人に恨まれて当然である。同じ手法で、欧米列強はアジアを植民地化していった。日本の軍部はその手法を真似したのだ。

  政府は、中国人は劣った人種だと入植者に洗脳教育をして送り込んだ。だから入植者は、そういう目で相手を見て接した。入植者の子供もそういう風に教えられて、子供が現地の中国人を見下していた。

 終戦後、立場が変わり、そういう中国人たちがが恨みを持って日本人達を襲ってきた。そうでなく普通に接した人たちは襲われなかった。襲われる村とそうでない村とにきれいに分かれたと言う。因果応報を端的に表す事象である。因果応報は極限状態の時、現れるようだ。

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 満州の和泉村開拓団に302人が入植した。冬は零下30度まで気温が下がる厳しい土地である。敗戦後、生きて日本に帰れたのは155人だけ

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敗戦の混乱 

 昭和20年8月9日、ソ連が満州に攻め込んできた後は、ソ連と周りの中国人が全て敵となった。昭和20年8月15日に正式に終戦を迎え、昭和21年10月まで、流浪した日本人は帰還の船に乗るまで、約1年間を極寒の中国国土で乞食同然の状態で、逃げ出した開拓地から港まで約1000キロの道を放浪のように歩いたという。

 当時、攻めてきたロシア兵に若い女性を貢いで、村民の命を守ったという悲惨な現実を見なければならない。それで身ごもり、自ら命を絶った娘さんも数多くいたようだ。それを強いた村長を責めることはできまい。そういう状況に陥らせた国のトップの責任である。

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 旧満州は平均気温 2℃~8℃ , 最低気温は -20℃~‐40℃

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 多くの引揚者は、中国各地で生きるために乞食同然の生活を1年程過ごさねばならなかった。旧満州に移民した人の4割(約108,000人)が現地で悲惨な最期を迎えた。そして多くの中国残留孤児が現地に残された。2022年8月1日現在、永住帰国した中国残留邦人とその家族は20,911人。

 満州に日本の未来があると騙して、強制的に満州に移民させた政府の高官の傲慢さの犠牲となった国民の末路である。それを宣伝した当時の新聞社にも責任がある。政府高官の傲慢さに国民がツケを払った形だ。

 

旧満州政策83年後の現在

 戦時中の昭和19年は、280万人が生まれた。しかし令和5年の現在、新生児は80万人台である(令和3年、新生児は 811,604人)。このままでは日本は滅亡である。

 前述の悲惨な経験があるから、籠原明子氏は、このまま死んでなんかいられない、現状の日本の何とかせねば、との思いで著書に記した。

 

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 籠原あき著『あなたはどこにいるのか』春秋社 1800円

 

 2023年の現代でも、昔と同じ構成の特権階級の施策で、国民が悲惨な生活を強いられている。昔とその構造は変わっていない。それを我々は変えて行かねばならぬ。少子高齢化になったのは、政治の問題である。

 

 日本のマスゴミの汚い話と合わせて考えると、日本を何とかせねばとの思いを新たにした。この話は、マスゴミに多くの責任があるが、この話はマスゴミの恥部のようで、「皆には黙っていよう」と口裏を合わせ、報道をしないようだ。だから多くの日本人がこの事実を知らない。私も知らなかった。

 

 我々がやるべきことは、先人の苦労、過ちを真摯に見つめ、自分はどうすべきかを考えることなのだ。それが無念の死を遂げたご先祖を供養することだ。人間は同じ過ちを何度も繰り返している。せめて同じ誤った道を通らないことだ。政治に関心を向けることだ。日本が世界地図から消滅しないために、意思表示をすることだ。

 

 

2023-11-24  久志能幾研究所通信 2777号  小田泰仙

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日本自治区『中国経済新聞』?は洗脳の先兵

 

 2023年11月12日、広島で開催されていた松本明慶仏像彫刻展に行く時、久しぶりに駅売りの『日本経済新聞』を買った。しかし当日の新聞で、読むに値する記事は2つだけで、愕然とした。

 数か月前に日本経済新聞の購読を止めて良かったと再度感じた。その理由は下記である。

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  松本明慶仏像彫刻展のチケット半券
 

何処の国の新聞社?

 『日本経済新聞』は中国が巨大市場と勘違いしいる日本財界が最大の読者層である。だから中国共産党に媚びを売る日本財界に気に入られようと、ヨイショ記事が多い。それ故、ある筋では『日本経済新聞』が『中国経済新聞』と揶揄されて呼ばれている。だから『日本経済新聞』は中国共産党に都合の悪い真実は報道しないようだ。

 

パンダ賛美

 パンダ様第一主義でパンダ賛美の記事が『日本経済新聞』紙面に氾濫し、呆れる。2021年の記事では「世界はパンダに恋している」(2021年1月27日)(全6段組み)という文化蘭の記事があり、『日本経済新聞』の露骨な印象操作、洗脳記事に恐怖を感じた。記事を書いたジャーナリストのノー天気ぶりに恐れを感じた。中国共産党のパンダ外交の政治の闇、経済的な闇には全く言及せず、一方的な感情の思いで論じている。ジャーナリストとして失格である。日本経済新聞は、そういう使いやすいジャーナリストを使って、洗脳作戦に余念がない。

 

 その目的は何か。日本財界と中国共産党に媚びを売り、日本人の中国観を良い方向に洗脳することだ。それで日本の未来に暗い影を落とす。この記事を筆頭に『日本経済新聞』の中国に関する印象操作に、第二次世界大戦前に、ナチスがドイツ国民に、ユダヤ人の害を宣伝した洗脳宣伝の逆バージョンと感じた。ドイツ国民はナチスに洗脳されて、ナチスのユダヤ人迫害を支持した。その後のユダヤ人虐殺の怖ろしい展開を見れば、その効果は絶大であった。そうやって為政者側は国民を洗脳しているのが歴史の事実である。

 

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  『日本経済新聞』2021年1月27日

  著作権の関係で、画像処理をしています。

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パンダ費用は税金

 パンダ1頭に年間1億円の賃借料がかかっている。和歌山では媚中派の二階俊博幹事長(当時)の尽力?で6頭ものパンダが飼育されている。アメリカでも今は2頭しかいない。それも、今は米中の軋轢が高じて、返却予定となり、ゼロ頭になるという。

 二階俊博議員を選出した和歌山の選挙民は、パンダの賃借料が毎年6億円も中国共産党に支払われていることを知っているのだろうか。上野動物園のパンダでも2頭である。

 カネが動けば、政治の世界では必ず裏で闇金が動く。だれもそれを追及しない。タブーなのだろう。

 

経済音痴

 『日本経済新聞』は経済学の基本が分かっていない記者が、政府の言いなりの記事を掲載して、国民を洗脳している。『日本経済新聞』は財務省の洗脳報道が氾濫である。国の借金が膨大でと言っているが、経済学上のバランスシート上での議論が出来ず、財務省に騙されて、そのまま記事にしている。その目的は、増税への地ならしである。その記事は、経済新聞記者の恥さらしである。

 

自社のご都合主義

 消費税が日本経済低迷の最大の原因なのに、自分達は特別優遇処置で8%であるので、紙面では全く反論しなかった。報道の使命を放棄している。

 日本経済が浮上しない最大の原因は消費税の増税である。世界で消費税を高齢化に備えて年金等の社会厚生費に使うと言っているのは、日本だけである。日本経済新聞はそれには口をつぐむ。

 政府は新聞社を消費税の特別優遇税制の餌で釣って、新聞社を黙らせたという構図である。要は公開賄賂と同じである。

 

闇は報道せず

 こういう状況で、『日本経済新聞』は肝心の報道すべき記事は載せない。それは他のマスゴミも同じだ。例えば、ウイグル族虐待、ジャニーズ問題、宝塚問題、朝鮮総連問題、韓国問題、中国の領海侵犯、領空侵犯問題、公明党の問題、旧統一教会問題、NHK問題等はほとんど報道しない。

 また日本経済新聞を筆頭にマスゴミは、政府の闇である木原誠二事件を頑なに報道しない。報道すれば、記者クラブへの出入りを禁止にする処置をすると暗に脅している。日本のマスゴミは政府に屈している。

 また米国大統領選挙でも、明らかにトランプ元大統領を貶めるような報道に終始していた。要はグローバル経済主義を掲げる新聞社は、トランプが当選しては困るのだろう。日本経済新聞は、グローバル経済主義が至上主義なのだ。

 電気自動車を推進する欧米の肩を持って、トヨタを非難しているのは日本のマスゴミである。電気自動車の欠点は全く報道しない。自国の基幹産業を貶める報道をするのは日本のマスゴミである。

 日本の少子化に真因は、日本企業の賃金が安すぎるのが原因である。だから若者が結婚できない。企業の味方の『日本経済新聞』はそのことは報道しない。『日本経済新聞』は日本財界の太鼓持ちであるからだ。

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前科

 マスゴミには前科がある。太平洋戦争前、散々戦争を煽ったのは新聞である。新聞社は戦争と言う景気が良い方が、新聞が売れるのだ。

 日露戦争後の賠償交渉で、その成果を正しく報道せず、日比谷焼打事件をそそのかしたのは、マスゴミであった。それで当時の交渉の功労者の陸奥宗光外相は窮地に追いやられた。

 北朝鮮がバラ色の国だと宣伝したのもマスゴミである。それで騙された多くの日本人が犠牲となった。それの訂正記事もない。

 満州に日本の未来があると宣伝し、国策として27万人の移民を推し進め、その印象操作をしたのも、マスゴミである。そのうちの4割の国民が、帰国できず、現地で悲惨な最期と遂げた。そして多くの残留孤児を生んだ。マスゴミはそれの懺悔をしていない。

 2000万人が殺された文化大革命を賛辞したのも日本のマスゴミである。当時の惨状をマスゴミは報道しなかった。

 そういう反省もせず、シラットして戦後、GHQの統制の元、せっせと政府の広報に努めたのはマスゴミである。

 日本人はお人好しである。そんな嘘ばかりつくマスゴミを何故信じるのか。ビジネス社会では、一度でも噓を言えば、その社会から追放されるのに。

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対策

 マスゴミによって壊れた日本を立て直すには、マスゴミを遠ざけるのが第一歩である。マスゴミは兵糧攻めにすれば、自然と衰退する。偏向テレビ、偏向新聞は見ないことだ。マスゴミの洗脳から脱しないと、自分が遠くない将来に地獄に堕ちることになる。事実、現在の失われた30年の経済不況がその証しである。バブル崩壊前は、米国のGDPを追い抜く勢いであった日本経済を、崩壊させたのは、政府と財務省の愚かさである。今は日米の経済格差は4倍に拡大している。

 政府と新聞等のマスゴミを信じると、国民は国賊の議員に投票してしまい、日本は敗戦・地獄に向かう。

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地獄の世界

  地蔵菩薩とは、地獄の閻魔様の前で、衆生が犯した罪を弁護してくれる仏さまである。また地蔵菩薩は閻魔大王の化身とも言われる。だから地蔵菩薩信仰が生まれた。

 地獄に堕ちた日本経済を救うのは、日本の現状に目覚めた我々である。地獄はあの世にはない、この世が地獄である。国民を地獄に堕とした真犯人を断罪し、マスゴミに鉄槌を与え、日本を救おう。その第一歩は、マスゴミを遠ざけ、選挙で投票に行くこと。投票率30%では日本を変えれない。日本衰退の一因は、国民が政治に無関心になったことだ。その一因は新聞が真実を報道しなくなったためだ。

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2023-11-23  久志能幾研究所通信 2776号  小田泰仙

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2023年11月21日 (火)

巡礼 福田公美 仏教美術の日本画 in Sagan

 

 西洋画の展覧会では、殉死、磔、煉獄、最後の審判等のキリスト教に関する絵画が多い。

 人は幼少の頃、家庭でどういう教育環境で育てられたかで、その人の性格が決まる。特に画家や芸術家の性格は、その影響度が大きいようだ。日本画家の祖父祖母の後姿を見て育った福田公美さんは、その影響が画風に出ているようだ。

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国別の子どもの教育方針は、

 中国人は、人に騙されるな。

 韓国人は、人に負けるな。

 欧米人は、権利を主張せよ。原罪を意識して愛に生きよ。

      神の前での最後の審判を考えよ。

 日本人は、人に迷惑をかけるな、お天道さまが見ている、である。

 その背景に神仏は一体、輪廻転生、一木総神仏という考えがある。

 

国別で人間は、行動規範を

 ユダヤ人は宗教に求める。

 ギリシャ人は哲学に求める。

 ローマ人は法律に求める。

 中国人は騙されないために、自分が法律主となり、人治に走った。

 日本人はお天道様に行動規範を求めた。それは自然との融合である。

 

福田公美さんの「転生」を見ていて、上記の事を思い出した。

 

宗教観と絵画

 日本では神仏一体の考えがあり、自然との融合の宗教観がある。自然の全てに神が宿り、動物や植物はヒトの生まれ変わり、という輪廻転生の仏教思想がしみ込んでいる。一木総神仏とか、自然界の生き物には全て神仏が宿る。

 だから狐の嫁入りやキツネに騙された話とかがあり、温かい物語として、親から子供へ昔話として聞かされる。また伏見稲荷のように、キツネ様への信仰等がある。

 古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていた。

 このような自然信仰(アミニズム)があり、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていった。日本は仏教が伝来する前から、自然信仰があり、農作物を荒らす小動物を退治するキツネを大事にする信仰が仏教と融合して育ってきた。

 そういうことを大事にする家庭に育つと、輪廻転生のような思想で自然界の風景を描くことが自然となる。

 西洋の絵が、多くはキリスト教の原罪、最後の審判に影響を受けた絵が多いのは、その思想の背景があるからだ。

 2023年11月、愛知県美術館で開催された「第86回 新制作展」で出展された絵画でも、そういう原罪、最後の審判をイメージする絵画が多くあり、日本画の花鳥風月、仏教画風の画調とハッキリと隔てられている。

     

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     第86回 新制作展    「罪をさし出す」木滑美恵 画

  賞をもらうだけあって、描写力は素晴らしい。

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  第86回 新制作展    「colourⅠ」「colourⅡ」 藤川妃都美 画

   日本画として、自然との一体感が良く描かれている。

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 仏教の輪廻転生では、時間の経過で世界は回っている。仏教は因縁と時間の経過を啓示した哲学の宗教である。それが西洋の宗教とは違った位置付けである。キリスト教はキリストの愛の物語である。後世に神学の哲学が結びつけられた宗教である。(石原慎太郎氏の分析)

 日本の仏教は古代のアニミズムと融合して、輪廻転生、お天道様崇拝、神仏一体、自然界に神仏は宿る、を受け継いでいる。

 

転生

 福田広美さんの描いた「転生」には、その思想が色濃く出ている。これは仏教美術である。

 二匹のキツネの一匹は口を開き、もう一匹は口を閉ざす。陰陽の世界である。東大寺の仁王様像も阿形は口を開き、吽形は口を閉じる。高野山中門の持国天は口を開き、広目天は口を閉じている。陰陽の現れである。

 二匹のキツネは円を描くように金色の世界を回って走っている姿が描かれている。輪廻を象徴した形である。

  2匹のキツネはSの字のようにも見える。私は卍の形を連想した。

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 福田公美画 「転生」

  第3回ぎふ美術展(2021年)  奨励賞

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福田公美画 「転生」 部分

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福田公美画 「転生」 部分

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 持国天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を開いた持国天。胸のトンボは、決して後ろ向きには飛ばないという決意を表している。

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 広目天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を閉じた広目天。胸のセミは、その鳴き声(仏法の教え)が、お寺の鐘の音のように、遠くまでが届くようにとの願いである。



エピソード

 私はこの絵が気に入って、売って欲しい言ったが、非売品ですと福田公美さんに断られた。それで良かったと思う(笑)? 「売ります」と言われたら大炎上である。今のままでは、こんな大きな絵を飾る場所が無い。もし入手できれば、5千万円の家を新たに買わないといけない。お金を作るため、銀行強盗でもしなくてはならない? それではお縄頂戴である。絵と家と人格はセットである。絵も適材適所、分相応なのだ。ウサギ小屋に50号の大きな絵は似合わない。それが名画の悩みである?

  欲しい絵が手に入らないのは、自分の人格、財力が足りないよ、との仏様の啓示であろう。絵が持てることは、宇宙根源の理のバランスである。それは陰陽のせかいである。絵の価値に見合った人格を作れとの神仏からの啓示である。

 

盲亀流木のご縁

 人が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回当たると同じである(村上和雄筑波大学名誉教授)。福田公美さんの「転生」は第3回ぎふ絵画展で奨励賞を獲得している。それを考えると、福田公美さんの「転生」に出会えたのは、盲亀流木のご縁と同じである。そういうご縁に出会ったことに感謝である。

 

 

2023-11-08  久志能幾研究所通信 2775号  小田泰仙

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巡礼 陶と日本画展 髙山大 福田公美 in Sagan

 

 2023年11月3日~11月23日(21日は臨時休廊)、岐阜川原町のgallery Sagan で上記展示会が開催されている。

 

 髙山大さんは陶芸家であり、僧侶である。僧侶の眼で、仏法を陶器のオブジェの形にした芸術作品である。具現化とは、オブジェ「鳴舞耳得」である。

 

鳴舞耳得

 全てのモノには命があり、精霊が籠っている。モノは何かを伝えるため、鳴き、舞っている。だからモノは「耳」で見なければ、真の姿は見えない。見えれば得をする。その得を受けるには、人として感性が高くなければならない。その感性が高い人が、精神性が高い人である。

 「耳」とは「目」の文字の四方八方に角が伸びた形である。つまり全身を使って「観る」である。

 「得」とは佛語で、体験から得る利益・功徳のことである。仏教用語の「利益(りやく)」とは、「ためになること、益を受けること、功徳、利徳」をいう。 特に「仏の力によって授かる恵み」を意味する。

 

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 黒陶の焼成(籾殻燻炭)方法

 籾殻燻炭とは、 燻炭器を使用し、籾殻の山の中に作品を埋めて焼成(推定500度)する。約6時間後に窯出し、籾殻が焼けた煤が作品に吸着し、作品は炭化「黒陶」となる。

 1回焼成では大きな作品は黒くならないので、2回、3回と籾殻燻炭を繰り返す。焼成が6時間を超えると、籾殻炭は灰になり、吸着した煤が焼け飛び、作品は素地色に戻る。作品の一部分褐色は、籾殻の量が少なく炭化せず、黒陶にならなかった素地色の箇所である

 

 黒陶の作品の黒色は、陶芸技法の「黒陶」である。黒漆を塗ってはいない。漆は、あくまでも補強と防水のためのコーティングで、素地の黒陶が現れるように透き漆で拭き漆をしている。色付きの漆で着色する事は、陶芸家としての範疇を超えてしまうと髙山大さんは思っているので、黒漆や赤漆は使っていない。また、漆の定着方法も漆室を使わず、焼く事に拘り、電気窯で焼き付けをしている。

 

 

仏壇のリフォーム

 何か感じるものがあり、髙山大さん製作の黒陶の盃と蓮の形の皿を入手した。

 先日、祖母の50回忌を執り行った。そのご縁で、今回の髙山大さんの陶展に巡り合ったと感じた。それで30年経った仏壇の備品のリフォームとして、今までの市販の陶器の白い盃とプラスチックの茶菓用皿を髙山大さんの陶の盃と蓮の形の陶の皿に更新した。よき供養だと思う。

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2023-11-21  久志能幾研究所通信 2774号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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2023年11月19日 (日)

カテゴリー追加「生と死を考える階」

 

 先日、「岐阜・生と死を考える会」に入会して、毎月の例会で生と死に関する講演会を聴いている。今後、その記事を掲載します。

岐阜・生と死を考える会

https://www.chubu-gu.ac.jp/event/seitoshi.html

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 現在、看取り士の資格を取るため、講習を受けている。看取り士の受講講座の初級講座と中級講座が終わり、12月に上級講習を受ける予定である。

 どちらも、生と死を考え上で、良いご縁の出会いであった。そのご縁は、まさに「盲亀流木」のめぐり合わせであった。

 

看取り士は観音菩薩、死をプロデュースする

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2023/07/post-bbed.html

 

紹介「看取り士養成講座」 - 久志能幾研究所通信

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2023/07/post-3fff.html

 

 注):「生と死を考える階」の「階」は、「会」でなく意識して選択した。人間稼業を長年やってきて、やっと生と死を考える段階になった。その「階」である。

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2023-11-19  久志能幾研究所通信 2772号  小田泰仙

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