2020年1月26日 (日)

魅惑の「二号さん」を手に入れ、天国と地獄を見る

 この2年間ほど魅力的な「二号さん」にハマってしまって、人生道を迷ってしまった。最近、「二号さん」に乗らないときの「お手当の額」の余りの大きさに愕然として、「彼女」と別れる決断をした。「二号」さんには、いい思いをしたが、高い買い物であった。しかし佳き人生の極楽を経験して、人生の勉強になった。買ってはダメなものは、実際に買ってみて痛い目を会わないと、智慧にならない。知識だけはダメなのだ。

 

「二号さん」の維持費(年間)

 減価償却費 600,000

 自動車税   88,000

 自動車保険  88,000

 車庫代   264,000

 車検    100,000

 ガソリン  100,000

 予備費   100,000

 年間合計  1,340,000円

 

 これとは別に、本妻(車歴20年の車)の維持費も年間70万円ほどかかる。それプラスである「二号さん」の維持費が多額である。しかし二号さんと別れる時の手切れ金(売却損金額)は、想像以上であった。

 しかし、そんなことを気にするような貧乏人では、高級車を買ってはいけないのだ。高級車の所有者の9割が法人(会社経営者)である。個人で高級車を保有している人はごく少ない。会社経営者は、会社の経費で落とせるから、高級車に乗れるのだ。要は税金対策である。中小企業の社長は、会社で儲かった利益を圧縮するために、敢えて高すぎる車を買うのだ。

 

税金対策

 例えば、2000万円のベンツSクラスで、1年乗ると、売却価格は半値になる。高い車程、その値下がり率は大きい。中小企業の社長は、ぼろ儲けした利益を圧縮するために、敢えて高い車を買うので、値下がり率など気にしていない。だから不格好なクラウンでも、新車が出るたびに(税金対策で)買い替えている。だからクラウンが売れている。だから各地のクラウンを扱いうトヨタディーラは強気で、個人客を相手にせず、法人客に力を入れる。

 そのトヨタ系ディーラは、今年の5月からトヨタ系全店で全車種を扱うようになるので、淘汰されるだろう。今まで汗をかかない営業をしてきたので、そのツケが回ってくると思う。私はクラウンを扱っていた店に行くつもりはない。

 

妾と別荘

 岡野工業の岡野雅行社長は親父から「いくら成功しても、妾と別荘は持ってはならない」と教えられたという。「なんで?」と聞いたら「一生、維持はできないから」と。岡野雅行社長は痛くない注射針を開発した。

 妾とイチャイチャして妾に乗っているときは楽しいが、乗らないときの維持費が大変なのだ。そして妾から多額のお小遣いをせびられる。別荘も、たまに行っても、その別荘の草取りで時間を取られ、固定資産税等で金ばかりかかる。両方とも、そのうちやっていけなくなる。

 なにせ中小企業は、1年後の生存率は40%、5年後は15%、10年後は6%、20年後は0.3%、30年後は0.02%である。

 それは社長が、創業当初の志を忘れ、会社の利益を交際費や妾や別荘に身を入れ込むから、会社を維持できなくなるからだ。要は天罰である。

 

高級車は妾と同じ

 妾と同じく金がかかるのは、高級車でも同じである。中古のベンツでも、車検は60万円かかる。部品が少し傷んだだけでも、ディーラは「ベンツ規格ですから」と、どんどん部品を交換してしまう。イタリアの某高級スポーツカーの車両価格は、そんなに高くないが、車検60万円、延長補償費40万円で、合計100万円が車検ごとに消える。知人の社長が嘆いていた。だから個人ではとても所有できない。

 

高級中古車の販売価格

 ベンツやBMWやレクサスは、新車価格に対して2年落ちの中古車価格は新車の60~75%ほどで販売されている。しかしそれを売る場合は、ディーラや中古車業者の手数料が間に入るので、現実には30~50%でしか、引き取ってもらえない。それも高級車ほど、値下率が高い。高い車は、おいそれとは業者も売れないから、不良在庫になってしまう恐れがあり、その分が引き取り価格を安く設定される。買う方も、高いほど税金対策が出来るので、中古車よりも高い新車を買うようだ。

 却って、安い500万円くらいの中古高級車が、経年変化の値下がり率が低く、人気があるので売れ筋となり、お買い得という。

 

高級車製造メーカは太鼓持ち

 中小企業の社長は、本来、儲けた利益を税金として納めないといけないのに、それを馬鹿らしいと、高級車を買って利益を圧縮する。それは本来、税金で国のインフラを整備する金が、娯楽遊行費として消えると同じである。車メーカもそれに便乗して、過剰に高い価格設定にしている。自動車メーカが、いうなれば中小企業の社長からピンハネをしているようだ。だから高級車は過剰に高い。

 

税金は社会インフラの使用料金

 企業は、税金で作った国のインフラ(道路、橋、高速道路、通信網)を利用することで、金儲けをしている。企業が納める税金はそのインフラの使用料金である。それを正しく払わないのは、お天道の道に反している。キセル乗車と同じである。税金は沢山払うほど、社会に貢献しているのだ。それを、高級車を買って払うべき税金をちょろまかす根性では、会社経営がうまく行かなくなるのも、故ある事である。天はよく見ている。

 

極楽の心境

 個人の私が、この高級車を出来心で買っても、九州から中部地区におみえになった馬場場恵峰先生ご夫妻を送迎できたし、自分の病気治療のため、通院用に半年運転して、ずいぶん楽な思いをした。恵峰先生ご夫妻にも喜んでもらえた。今でも奥様からその喜びと感謝を伝えられる。自分も通院でも安全に快適に走れてそのメリットは大であった。今は月に2,3回しか乗らないので、それでお役目が終わったと思い、手放すことにした。私は決断すれば、行動は早い。それで今まで知らなかった「高級車の闇の世界」も知ることが出来た。それで後悔はない。普通では買えないものを買えたのは、良きご縁であり、幸せであった。高級車を手に入れ、天国と地獄を見た。人生、何事も経験である。

 

2020-01-25 久志能幾研究所通信 1461  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

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2020年1月25日 (土)

アウトプットはスピード最優先 「非事勿主義」

 私のアウトプットは文書である。その出力の付加価値を上げるためには、スピードを最優先として処理している。

 私の文書に誤字脱字が多いと指摘する人がいる。過去の仕事仲間では、そういう人は、仕事の出来ない人が多かった。末梢的な事にこだわり、仕事の本質を後回しにする人である。文書を書いて仕事をしていない人たちである。

 

雑誌原稿のチェック体制の例

 私が前職で技術広報誌の編集業務をしていた時(実質的に編集長)、最終原稿を校正者5人ほどで集まって校正するのだが、それでも誤字脱字が見逃されることが多い。人は活字になるとそれが正しいと思い込んで、そのミスが発見されにくい。ましてやPCの画面上ではミスは発見できない。他人でも発見できないのに、本人ではなおさら発見が難しい。

 またその英文原稿を現地人に校正・添削してもらったが、その校正レベルが酷かった。現地人が英文の正しい英語に精通しているわけではない。英文でも、テクニカルライティング的にしかるべき書き方がある。それが印刷だと正しく見えてしまう。

 特にチェック者がいなくて自分だけで作る資料は、そのミスが多い。私もブログにアップする前に印刷して4,5回は紙でチェックをして修正をするのだが、それでも一人だけのチェックではミスを見逃すことが多い。ミスを無くすことにかかる時間は膨大である。

 それよりも、多少のミスを覚悟して、スピードと量で世に問うほうが、結果として良質な仕事が出来る。完全無欠の文書を作成するために、誤字脱字の校正に時間をかければ、その生産量は半分以下になるだろう。それでは仕事が回らない。

 

私の文書作成方針

 私がこだわるのは、文書の論理構成と文書の伝達意図の明確化、分かりやすい文言、スタイル、構成である。如何に早く理解してもらう文書構成にするかに心血を注ぐ。

 他人が私の文書で、誤字脱字を指摘するからには、その意味は通じているので、それをヨシとしたい。意味が反対に取られなければヨシとしたい。私はカネを貰って文書を書いているわけではない。出版する場合とは別である。多少の誤字脱字は愛嬌であるとしている。人は神ではないのだ。早く情報を伝えるのが最優先である。

 

な言葉よりも正しい論理構成

 往々に誤字脱字のない正確な文書は、竹下登元総理のような言語明瞭・意味不明の文体が多い。「誤字脱字のない文書でも、それで何を言いたいのだ」との文書にそれが顕著である。

 それより多少は言い間違いが多い田中角栄元総理の論法が、愛嬌があり、私は好きだ。それで角栄の言いたいことは理解できる。だから田中角栄総理は竹下登総理より多くの仕事をした。

 仕事でも多少のミスを覚悟して、前に進めた方が、多くの仕事と己の成長が出来る。石橋を叩きすぎて、その石橋を壊してはならない。それはお役人の世界である。

 

正確を期して何もしない役人

 だから役人に支配された日本はデフレ経済から脱却できない。間違えないように、指摘をされないようにと、慎重すぎて、役人は仕事をしないからだ。仕事を変えないからだ。そうやって、大垣の役人が何もせず、大垣を衰退させていく。

 

私の決断

 私が物事を決める場合、スピードを優先して決めている。決めて、間違っていることが分かれば、修正すればよいのだ。経営上の最大のミスは、間違った階段に上ったら、メンツで降りて別の階段に行くことをしないことなのだ。間違いは誰でもする。その間違いは早い方がよい。早い方がその軌道修正が楽だのだ。始めなければ、その間違いも気が付かない。命の時間は有限である。その時間を無為に過ごしてはならない。

 

アイデアが大事

 私はブラインドタッチで、頭に思いついたことを、消えないように早くキー入力することに全神経を使ってる。早くタイプするので、タイプミスも多い。当時、オアシスの親指シフトキーボードを使っていた時は、人の2倍の速度で入力をしていた。今は環境の変化で、しぶしぶローマ字入力だが、それでも超スピードで入力である。

 

スピードが優先

 1980年当時、私はローマ字入力、かな入力、親指シフトキーボード入力を入力速度を上げるために習得した。パソコンが出始めた1980年頃、高速キー入力を習得するため、BASIC言語でタイピングソフトも自作して練習に励んだ。全てはスピードを上げるためである。スピードを上げるとタイプミスも多い。そのミスよりも、浮かんだアイデアを大事の育てることを優先して仕事をしてきた。

 

人物鑑定

 それを文書内の枝葉末節である誤字脱字を自慢げに指摘する輩に出会うと哀れに見える。その人が仕事の出来ない人だと分かるからだ。文書を書いたことのない人だと分かるのだ。仕事の優先順位を考えることができない人なのだ。それも私が人物鑑定をするときのデータである。

 

人生はスピードによって決まる

 私は昔からよくいわれる「石橋を叩いて渡る」ということはやらない。石橋だったら叩かずに渡ってしまう。大丈夫だと思ったら時間をかけない。スピードを重んじる。私はスピードによって人生というものは決められると信じている。

 我々には神様から与えられた一定の人生しかない。それゆえ、与えられ、限られた間に、自分の要求をどれだけ満たすかといことが人生最大目標であるかから、それはスピードが絶対必要である。----本田宗一郎談

                 1995.07.22の書き抜き

 

 石橋を叩かずに渡ることによって被るデメリットよりも、人生をスピードアップすることによって得られるメリットのほうがケタ違いに大きい。

城山三郎・他著『本田宗一郎の「人の心を買う術」』(プレジデント社 1991年)

 

2020-01-24 久志能幾研究所通信 1460  小田泰仙

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2020年1月23日 (木)

狂った大垣教育行政、働き方改善、児童を犠牲

何かおかしくないか?

 大垣市興文小学校の校舎のドアは、朝7時45分にならないと開かない。校舎の門は用務員さんが6時に開いているのに。地域の人は、子供の通学を見守るために、7時から立哨をしているのに。

 寒い朝、登校している児童生徒達は、学校がドアを閉ざしているので、校舎内に入れない。職員室には教師は来ているのだ。子供たちの教育の場として疑問を感じる。

 不登校で学校に行けない子供さえいる現代、学校に早く行きたいと意欲ある子を締め出すのは、なにか違和感を覚える。

 大垣の小学校は、早く学校に来て皆とお話をしたいという子供たちの向上心を拒絶している。それが大垣の教育現場である。何が子育て日本一を目指すというのか。

 私は町内の某母親から、子供が通う小学校の門の開門時間が遅くなって、外で待つ子供がかわいそうだとの声で、2020年1月15日に現地で実体調査をした。

 

学校側の言いわけ

 学校側の説明では、教師の勤務時間の増大の負荷が増えるのを抑えるため、子供たちに早く学校に来ないように指導をしているという。それでも生徒たちはだんだんと早く来るようになったので、7時45分まで校舎のドアを閉ざすようにしたという。この処置は昨年の第二学期(2019年9月)からという。

 朝、校門で生徒を入校の誘導していた先生に確認すると、「今後、もっとその開門時間を遅くする」という。狂気の沙汰である。

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P1070529s  教室に入れず、寒い外で待つ児童達

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 やっとドアが開いて入室 2020年1月15日、07:48

 

学校は街の支援を無視

 街の自治会では、当番で朝7時から、子供たちの通学路で児童の安全を見守っている。この場所から学校まで徒歩で7分である。それなのに学校が校舎の門を閉じて子供の入室を拒絶している。不審者が校舎の前で待っている子供たちを襲ったらどうなるのか。子供たちに付き添った緑のおじさん達は、生徒が校庭に入ったら、後は安全だとして、その場を離れてしまう。

 学校の説明では、子供たちだけで教室に放置すると危険だと言い訳をする。しかし、現状の方がよほど危険である。容易の不審者が近づける。

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 自治会のボランティアが各所の通学路で立哨 朝7時から(2020年1月15日)

 

子供が犠牲

 要は、「先生の働きかた改革」という美名の元で、子供たちが犠牲になっている。これでは、大垣の学校は、「既定の時間になったら教育というコンベアラインが回り出し、「生徒に教育を施す工程」の工場扱いである。それが「子育て日本一」を目指すと口先の魔術師・小川敏が長期独裁政治を行う大垣市の教育の実態である。

 言い換えれば、大垣市が教育への予算を県下最低のレベルに落としているので、先生たち一人当たりの負荷が大きくなり、結果として子供たちに犠牲を強いているのだ。諸悪の根源は、教育費を自分たちのために「食べてしまった」小川敏市政である。

 

口先だけの働きかた改善

質問:本市の「教員の働きかた改善」の具体的な実績と方針は?

回答:大垣教育委員会では平成30年3月に「学校における働きかた改善プラン」を策定して、教員の働きかたを推進している。プランでは、「1か月あたりの時間外勤務を60時間以内、中学校では70時間以内にすること。」を目標として、各学校においては、運動会や宿泊研修などの学校行事の縮減、さまざまな会議の回数・時間の削減、学校閉庁日、ノー残業デーの設定による働きかたの見直しなどの取り組みを進め、勤務状況が改善されてきているところです。」

  答弁は山本譲教育長  令和元年12月大垣市議会での質疑応答で      

 

県下最低の教育費

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルである。それでいて市職員の給与は県下一である。大垣新市庁舎の市民一人当たりの負担額も県下一の高さである。

 2018年では、小中学校へのエアコン導入率が、大垣市は2.1%と県下最低であった。他市は100%であるのが殆どであった。要は大垣市の役人が、子供たちへの教育予算を食べてしまったのだ。一事が万事である。

 それなのに、口先の魔術師・小川敏は、「大垣は子育て日本一」を目指すとはほざく。上記のように、常軌を逸した児童の扱いが、大垣市の教育の実態である。子育ては、幼児だけでなく、子供が高校を卒業するまでの期間である。それを小川敏は、ごく幼児期の一時期だけを取り上げて、「子育て日本一を目指す」(日本一になったとは言わない)と宣伝するのは詐欺のような手口である。

 

大垣市の教育は県下最低レベル

          一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

多治見市    735    158    8,862  

岐阜市     529    114    32,074  

可児市     517    111    8,352   

大垣市     465    100    14,400  

各務ヶ原市   445     96    12,525   

刈谷市(愛知県)918    197    11,120  

 

 

 

大垣市職員の給与は県下最高レベル

大垣市議の年収   942万円 全国115位

大垣市役所職員年収 685万円  全国67位( 全国792市中で上位)

           岐阜県下一位(岐阜市より多い)

岐阜市役所職員年収 672万円 (全国117位)岐阜県下二位

岐阜市民の年収   344万円 全国170位

大垣市民の年収   320万円 全国280位

 

 

教員ファーストの大垣市の醜態

 子供を朝に教室に受け入れるのに、人手がなく、教員の負荷が大きいなら、予算をつけて人を増やせばよい。ボランティアでも地域の支援を求めればよい。手はいくらでもある。教育は子供ファーストである。それが教員ファーストで、ドアを閉めておしまい。それが、大垣ではまかり通っている。まるで病気になったから、薬を飲ませるという対処療法を行っている。病気になった原因に目をつぶっているのだ。

 昔は教師が子供のために己が犠牲になっても、子供を育てた。それが聖職者としての教師の姿である。しかし大垣市は子供を犠牲にして、教師や役人がのさばっている。

 

平目の舞いを演じる大垣行政マン

 だから、朝の寒い時に、児童達を校舎から締め出しを食らわして、学校も役所も平然としている。それを行政の誰も疑問に思わない。大垣市の関係者は自分たちの利権だけを大事にしているようだ。汗をかくことを忘れてしまったのだ。教員はその職が、聖職ということを忘れて、教育工場ラインの作業者に落ちぶれている。それは20年弱の小川敏の無能独裁政治で、行政マンの感覚がマヒしているのだ。それが小川敏の腰巾着と揶揄される山本教育長の議会答弁である。

 

世間の目を逸らす姑息な小川敏

 大垣を良くするために、市民の皆さんは、もっと大垣行政に目を向けて欲しい。小川敏はその目くらましとして、何処に行っても新市庁舎の自慢話ばかりである。各地の新年互礼会でも、小川敏はその自慢の挨拶ばかりである。新年の挨拶なら、もっと大事な今後の市政方針の夢を語るべきだ。

 大垣新市庁舎の建設費用は、市民一人当たり県下最高の負担額である。それだけ贅沢をすれば、分不相応の立派な市庁舎も建って当たり前だ。自慢もしたくなるだろう。それは他人から巻き上げた金でモノを買って自慢するガキの挨拶である

 

新市庁舎比較

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

岐阜市   406千人  266億円  65千円 

各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

多治見市  107千人   52億円  48千円

 

 

2020-01-23 久志能幾研究所通信 1459  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月22日 (水)

「萬燈行」で人生と大垣を照らす

萬燈行

 内外の状況を深思しましょう。このままいけば日本は自滅するしかありません。我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。我々が何もしなければ、誰かがどうしてくれましょうか。我々がなんとかするしかないのです。

 我々は日本を易えることができます。暗黒を嘆くより一燈になりましょう。我々がまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。手の届く限り、至る処に燈明を供えましょう。一人一燈になれば萬人萬灯です。日本はたちまち明るくなりましょう。これ、我々の萬燈行であります。互いに真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。 

                  安岡正篤

 

 以上は日本の敗戦後の荒廃した日本社会を見て、安岡正篤師が記した言葉である。私は時折、B5カードに書いたこの言葉を見て、勇気づけられている。この言葉は私が安岡正篤師の本にあった言葉に感銘して、2005年5月5日にカードに書き写した。昨日、カードを見直していたら、その言葉が目に飛び込んできた。

 

大垣の未来、日本の未来

 このまま小川敏に大垣市政を任せれば、大垣は自滅するしかない。大垣は日本の縮図で、このままいけば日本さえこのままいけば自滅である。日本は世界第3位の経済大国というが、教育は荒廃し、政治は幼稚化し、経済はデフレ化の一途で、マスコミは忖度ばかりでフェイクニュースを垂れ流す。フェイクニュースとまでいかなくても、新聞・テレビ番組を売るために不安を煽る記事が垂れ流されている。企業は拝金主義に邁進して、日本精神の荒廃に拍車をかけている。

 まず大垣を良くしないと日本もよくならない。我々が大垣を照らす一燈になり、少しでも大垣を良くする取り組みをしたい。

 大垣を良くするためにも、その前に自分の家庭・子供の躾を見直そう。ゲーム機やスマホばかりにかじりつている子では、将来の大垣、日本を背負えない。その躾の責任は親である。

 自分の住む街の行政に目を向けないと、行政はやりたい放題で、街が衰退の一途である。無能政治の小川敏大垣市政のように。

 私はその啓蒙活動の一環として、このブログを書いている。

自燈明 

 此の世で、最優先でなさねばならないことは、自分の心を照らす燈明を持つことだ。それが師の言葉であり、背中で示す言葉である。現在がいくら暗くてもよい。己が一燈を掲げて、暗夜の国から光の国を目指して歩めばよい。明けない夜はない。自分の一燈を頼ればよいのだ。

Dsc004751s 馬場恵峰書

 

2020-01-22 久志能幾研究所通信 1458  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月21日 (火)

小川敏、6選に向け猛烈ダッシュ

フライング

 巷の噂では、小川敏は2021年4月の市長選に向けて、組織を動かし始めたという。昨年末に、大垣の高級料亭で大垣財界の寄り合いがあった時、6選への出場を表明して、財界陣の了承を取り付けたという。

 

知能犯

 小川敏は吝嗇と噂された母親から、市長選に出る時「政治は金がかかるから止めて欲しい」と泣いて止められたという。だから彼は、カネのかからない選挙を考え出した。対立候補が活動する前に、現職の強みを生かして最大限の事前選挙活動をして対応した。選挙が公示されたときは、対立候補が手も出せないようにしてしまった。それで今まで3期連続の無投票当選である。小川敏は、民主主義の原則を踏みにじっている。

 

子供を泣かして、ヒラメの舞

 小川敏市政は現在5期目で、満期になれば20年間の長期痴政である。そのため取り巻きはヒラメ状態に陥っている。取り巻きにも、家族もあり生活がかかっているのだ。小川敏に逆らって飛ばされたら、市民の平均年収2倍の市役所職員手当が危うくなるのだ。

 大垣市の職員の給与は、岐阜市を抜いて県下一の高さである。それに比較して、大垣市の児童一人当たりの教育費は、県下最低なので、児童生徒はその待遇に泣いている。2年前のエアコン導入では他市が100%だったのに、大垣市のそれは2.1%しかなかった。その費用を大垣市政が食べてしまったのだ。大垣市は、国に泣きついてその費用を出してもらった。

 

長期独裁政治

 今回もこの姑息な作戦がうまく行けば、4期連続無投票当選である。これでは民意が踏みにじられる。市長6期では24年間の独裁政治となり、腐敗がさらに浸透する恐れがある。北朝鮮の将軍様顔負けである。長期政権で腐敗をしなかった歴史事例はほとんどない。

 

市議会自民党の動き

 最近、大垣市自民党の内部が、市長派と反市長派に分裂したという。利権が絡んで怪しい動きが密かに動き出した。市長派も小川敏が言う事を聞かないなら、すぐ反市長派に転向するぞと暗黙の圧力を小川敏にかけている。それは利権の渦巻く世界である。要は、小川敏が市長として6期目の当選を目指すというのが市会議員の間で知れ渡っている。

 

手口

1 御用新聞をフル活用

 御用新聞社の岐阜新聞社を使って、過剰に行事に出る小川敏の顔写真を、過剰に新聞に載せる。中日新聞と岐阜新聞の西濃欄を比較すると明らかに、岐阜新聞は裏で小川敏とつながっていると推察される。

 

2 寄付がエサの売名行為に

 大垣財界に声をかけ、市に寄付をさせて、僅か数十万円の寄付で功名心をくすぐり(売名行為)、それにかこつけて小川自身の宣伝のツーショットの写真を岐阜新聞に掲載しまくる。大垣財界トップも小川に任せれば、己たちは企業活動でやりたい放題にできるので、都合が良いようだ。それこそ利権にまみれたギブアンドテイクである。こんな低落の大垣財界首脳陣が大垣経済を牛耳っているから、大垣市は衰退した。

 

3 1年以上前からの事前選挙対策

 小川敏は、3期前の市長選挙の1年以上も前からずっと、事前選挙活動を密かに始めていた。手始めに大垣財界の了承を取ってしまう。その企業の組合の支持をも取ってしまう。これで対立候補に対して絶対的優位に立てる。

 

4 表敬訪問を悪用

 大垣市長を表敬訪問する人とツーショット写真を岐阜新聞に頻繁に掲載させる。表敬訪問する人の写真を乗せるのは記事として必要かもしれないが、市長の顔写真は不要である。その公共の報道に不要な写真を、中日新聞は載せないが、岐阜新聞はあえて載せる。小川敏は公共の報道機関を私物化している。

 福岡市は日本一成長している。その福岡市の高島市長は、「表敬訪問は市の発展に寄与しない」として、表敬訪問を受けないという。高島市長はその時間があれば、市の発展のための仕事をするという。自己宣伝ばかりの小川敏と大違いである。要はド田舎の政治屋のやることなのだ。だから大垣市は没落した。

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 2018年5月30日付の岐阜新聞西濃地域欄に、「褒章受章の喜びを語る」の記事が掲載されていた。要は、天皇陛下から拝受した章を報告しに行った表敬訪問である。主役は授章者で、市長は何の功績もない。掲載された写真では、まるで小川敏が褒章受章を拝受したような写真である。正に自己宣伝に使っている。市長の小川敏への表敬訪問の記事はこのレベルばかりである。

 

他市の例

 長崎新聞では、その表敬訪問の写真に長崎市長は写っていない写真を新聞に掲載する。長崎新聞と岐阜新聞社のレベルの差である。

 2020年1月9日、オランダ駐日公使が長崎市長を表敬訪問した記事が長崎新聞に掲載されていたが、オランダ公使の写真だけが掲載されていた。これが岐阜新聞なら、過去の例から見て、必ず小川敏とツーショットの大きな写真になるはずだ。

 他市では、寄付をする人の写真などは掲載しない。ましてや寄付に全く貢献しない市長の写真を載せるのが非常識である。寄付は陰徳であるのに、新聞紙上にしゃしゃり出て、私が寄付しましたと新聞に掲載させるのは、売名行為である。大垣市民として、全国に恥さらしで恥ずかしい。

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オランダ駐日公使が長崎市長を表敬訪問  長崎新聞 2020年1月10日

 

なぜ辞めないか

 小川敏は、19年間の無能政治で大垣市を没落させても、責任も問われず、退職金を含めて5億円も手当てを貰い、濡れ手で粟の豪華な新市庁舎を建設した。市民税である。人口一人当たりの負担では、県下一高い負担の新市庁舎である。それは人口11万人弱の多治見新市庁舎(2024年完成予定)よりも65%も豪華なのだ。新市庁舎の居心地の良い椅子に座れば、その椅子にしがみ付きたくなるのが餓鬼の根性である。乞食と大垣市長を3日やれば、やめられなくなるのだ。

小川敏の成果

 大垣市は、小川敏が市長になってから経済は年率1%で衰退し続け、公示地価が19年連続で下がり続けた。こんな都市はない。結果、大垣市の公示地価は49%に暴落してしまった。大垣駅前商店街は80%がシャッターを下した。

 その大垣市がなぜ、県下一の費用をかけて新市庁舎を建設したのか。

 

新市庁舎比較

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

岐阜市   406千人  266億円  65千円 

各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

多治見市  107千人   52億円  48千円

 

佛のお裁き

 佛は小川敏に人並み以上の(記憶力だけは秀でた)才能を与えた。それで東大に入る機会を得た。しかしその能力は、大垣市を衰退させ、利己的な利益のために天から与えたのではなかろう。世のためにその能力を使うために与えられたのだ。それに反した20年近い無能政治に、きっと「佛のお裁き」が下るだろう。

 

2020-01-21 久志能幾研究所通信 1457  小田泰仙

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2020年1月20日 (月)

漢詩創作練習 写経展、狂った食

 2016年晩秋、馬場恵峰先生が卒寿記念として波佐見町で写経展を開催した。その時、感想で下記の漢詩を作られた。

 私は漢詩の作成練習として、それを元に次に漢詩を作ってみた。生まれて初めての漢詩作品であるが、ベースがあると意外と簡単で、漢詩の創作は面白いことを発見した。漢字辞典をめくり、漢字の語源や意味を調べるのは楽しい知的な遊びである。

 

九十壽記念写経展終感

 競書展盛写経静

 寂生入滅実在星

 従容弄書冊静泰

 随寓而安完余生

  2016年晩秋17日恵峰詩

 

読み下し

 競書展盛んなり。写経展静なり。

  (技を競う書道展は盛んである。

   それに比較して写経書道展は静かである。)

 寂なり生入滅は実在、星なり。

 従容として弄し書冊を静泰す。

 随寓(気ままな自宅で)而して安じて余生を完す。

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4k8a9031s   馬場恵峰 写経展 波佐見町 2016年12月9日

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最近の食の乱れを見て作る。

 狂食界盛正食静 

 癌死与惨正死清

 従容弄正活静泰

 随寓而安完余生

  2020年1月20日夜 泰仙作詞

 

読み下し

 狂食の界は盛なり。正食は静なり。

 癌死は惨を与え、正死は清なり。

 (老衰日本人の半分が癌になる。癌死は日産である。老衰死、ポックリ死は正しく清らかな死である。老衰死は理想である。しかし日本人は、癌死が50%、認知症が25%、老衰死は3%、ぽっくり死は1%である。)

 従容として弄して正活(正しい生活)は静泰なり。

 随寓、而して余生を完うして安んずる。

 

漢詩の作法

 漢詩の作詞法則として、1,2,4行目の最後の漢字に韻を踏む。恵峰先生の詩では「静、星、生」の3文字である。私の試行漢詩では「静、清、生」である。3行目の最後の漢字は韻を踏まない。

 各行の最初の2文字が主語で、真ん中が動詞、もしくはその行の形容句である。最後の2文字が目的語である。

 

2020-01-20 久志能幾研究所通信 1456  小田泰仙

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2020年1月19日 (日)

学法実践知己人生道

 生活知法者静温

 命不有物存親恩

 学行省己報恩情

 静黙治道念平穏

 

読み下し

 生かされて活きる法を知る者は、静穏なり。

 命は物に有らず。親の恩に存す。

 学び行い己を省みて温情に報ず。

 静黙し道を治め平穏を念ず。

  平成30年4月20日 馬場恵峰詩出

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 馬場恵峰書

 

 2019年12月12日に馬場恵峰先生宅を訪問したとき、教室内の埋もれた軸の山の中で、「学法実践知己人生道」という軸の箱が目に入った。箱から出してみると、上記の詩と軸が入っていた。馬場恵峰先生作詩の漢詩と軸である。漢詩を見て感じるところがあり、即、この軸を先生から譲ってもらった。

 

使命

 「生かされて活きる法を知る者」とは意味深長である。我々は生きているのではない。生かされているのだ。私は昨年、大病を経験して、なんとかその峠を乗り越えられることができたので、この言葉の重みを実感した。

 生かされている有限な時間内で、誹謗・批難や人の噂に明け暮れていては、人生の大事が達成できない。それを気にしては時間を無駄にする。誹謗・批難する者は、殺時者なのだ。

 

反使命行為

 「狂った食事」を貪り、「狂った生活」に浸ると、自分の「人生の大事」の実現を妨げる病気や時間浪費の地獄に堕ちてしまうのだ。それではこの世に何も残せず、「佛様のお裁き」で早死にしてしまう。

 将棋の故米長邦雄永世名人は、若いこと師匠の家に内弟子として弟子入りした時、いろいろと用事を言いつけられて将棋の勉強ができなかったという。それで考えて、学校から帰宅したら、真っ先に将棋盤に座って将棋の勉強をするようにしたら、雑用を言いつけられなくなったという。

 それと同じで、人生で無意味なことに精を出すから、佛様から、「お前は閑そうだから、こちらに来い」と早めに冥途に呼ばれてしまう。人は人生の大事をわきまえ、脇目も振らず人生の大事に没頭すべきなのだ。

 恵峰先生はわき目も振らず人生の大事に没頭していたので、仏様があの世に呼ぶのを躊躇してしまったようだ。だから93歳で現役である。仏様が力を貸してくれたのだ。

 

使命を知る

 己が何の為に生かされているかを、認識すべきなのだ。それが使命である。命を使って、何をこの世に残すのかである。それを思うと、おちおち死んでなんかいられない。病気になんかに負けられない、という気になる。私は自分の城である体を自分で守らねば、との危機意識をもって日々を送っている。

 

漢詩の作法

 漢詩の作詩ルールとして、1,2,4行目の最後の漢字に韻を踏む。この詩では「温、恩、穏」の3文字である。3行目の最後の漢字は韻を踏まない。

 各行の最初の2文字が主語で、真ん中が動詞、もしくはその行の形容句である。最後の2文字が目的語である。

 現在では北京大学を首席で卒業しても、漢詩を作成できる人はいないという。馬場恵峰先生は、浙江大学で客員教授として中国の学生相手に漢詩の作り方を教えてみえる。だから恵峰先生が中国に行かれると、一目置かれる。

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 馬場恵峰書

 

2020-01-19 久志能幾研究所通信 1455  小田泰仙

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2020年1月18日 (土)

自惚れは持たねばならぬ。しかし自惚れてはならぬ。

 人間は自惚れがあるから生きていられる。自惚れが無くなれば死ぬ。「自分は馬場恵峰だ」との自惚れないと、先に進まない、生きていけない。だから、それに負けない仕事をせねばならない。そこに信用・信頼という財産ができる。

 自惚れは持たねばならない。自惚れは伸ばすべきだ。そうすれば、人から誹謗されても、それを感謝の気持ちに変えられる。

 

自己満足

 この世で自惚れを持たずに生きている人は、一人もいない。人は自分の自惚れを磨くために生まれて生きた。「あの人は自惚れている」と人を非難するのは、己が自惚れているからだ。それは何にもならない。

 自惚れられるのは、自分が努力をして技をみがき、世間がそれを認めるからだ。人間は自己満足して生きることが大切。その自己満足が自惚れである。

 不満足なら、満足するまで、思考して、努力を重ねることだ。学んで自惚れを磨くべきだ。思案だけでは、実にならない。自分の自惚れを育てるのは、自分である。自分が自惚れを勉強して、人からうらやましがられるような自惚れを育てることが大事である。しかしそれを自惚れてしまっては、もう成長はない。

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人からうらやましがられよ

 「書道を書くなら、人からうらやましがられるような字を書きなさい。自分の自惚れを大切に育てなさい。あなた方は、書道をすることで素晴らしい人生を歩んでいる。書道をしていない人に比べて、素晴らしい自惚れの道を歩んでいる。」と私(恵峰)はお弟子さんに伝えている。

 

人に学び、己に活かす。

それが自惚れの大切な道。我この道をおいて、我を活かす道無し。一事一心一念道。これが自惚れを活かす根本の方法である。日々精進して、自己満足を学んで、誇りを持て。自己満足は、人生最高の妙薬である。

 

佳気満高堂

 気を佳くして満足して己を高めていく。「高堂」とは自分の体のこと。

 

心足身常閑

 「心足」とは自己満足のこと。そうなれば、のどかである。人から何か言われたら、私が認められたと思えばよい。人から非難誹謗され、何か言われたら、感謝である。

 

 陰口が耳に入るようになったら、相当、自惚れている状態である。感謝せねばならぬ。人がそう認めてくれたのだから。そう思わないと、人の言葉で殺される。発想の転換が必用である。

 自分が出来ないから、非難誹謗する人が多い。それは逆に言うと羨ましがられている。だから人から羨ましがられるように、自分の自惚れを磨きなさい。そうなれば腹を立てないですむ。人からの「自惚れている」という誹謗に負けてはならない。

 

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佛の裁き

 努力もせず自分が自惚れていると、人が妬ましくなる。だから人を非難することに精力を使う。その鬱積した感情が、命を削る。

 人を誹謗する人間は、非難するだけで努力をしない。だから非難だけで時間を使い、世の中に何も残せない。だから私(馬場恵峰)を非難誹謗した人間は早く死んだ。自惚れを精進して努力する人を、仏様は助けてくれる。人を非難誹謗した人が墓穴を掘る。それを仏の裁きという。

 非難され誹謗された自分(恵峰)は、それをバネに黙って人の2倍も3倍も努力をして、見返し、実績を世に残した。だから長生きできた。人さまが誹謗してくれたので、その力で元気をもらった。人様のお陰である。

 自惚れを持つ人間は、努力をしている。その自惚れを常に磨いている。だから世に仕事を残す。

 

私(恵峰)の成長

 私(恵峰)は師からくさされ、叩かれ、罵られて「己の自惚れ」を鍛えられた。だから私は師よりも10年も長生きしている。それを天が味方したという。しかし自惚れてしまえば、おしまいだ。自惚れを磨く、それが人生を伸ばす道である。人から「うぬぼれている」と言われるくらいに上手になりなさい。それが天の言葉である。

覚えて書く

 手本を見ていくら書いても上手にならない。それは猿真似である。中国の自惚れた書家の作品を学んで、自分に繋げていきなさい。「学んで書く、覚えて書く」のと「真似して書く」のは違う。

 

本物の自惚れ

  それを書展に出すと恥ずかしいと出さないから、上手になれない。それこそが、本物の自惚れである。自分が恥をかきたくないのだ。

 安い半紙にだけ書いて、己の腕を世の問わず、書展に出さないから、何時までも上達しない。半紙の練習ではなく、高い紙で真剣に作品を作らないと成長しない。

 仕事でも多くの場数を踏み、失敗して恥をかくから能力が向上する。その職位が人を育てるのだ。私(小田)もやり過ぎて多くの失敗をした。非難もされた。それが私の肥やしとなった。

 過保護で育てられたエリ―ト経営者は、修羅場を経験していないので、経営を誤り、会社をつぶす。私(小田)の前職の会社も、エリート経営者が決断をせず、事なかれ主義で経営をしたから、消滅した。

 

書道での自惚れ

 書を書く場合でも、私(恵峰)は間違えるはずがないと「自惚れ」を持っているから、間違えずに書を書ける。皆さんは間違えるかもしれないと思って字を書くから、間違える。

 私(恵峰)は、表装された軸に直接書く。だから表装代が節約できて、安く皆さんに分けてあげられる。

 

元手がかかっている

 皆さんは安い半紙に書いているから、上達しない。私(惠峰)は高い軸や高級な紙を使うから、真剣に、頭を使って書く。紙にカネがかかっている。人様が作ったもので上手にしてもらっている。

 上手に書くのでなく、感性を養うために書を書く。作品に仕上げることを頭に置かないと成長しない。お弟子さんは、他流試合をせず、練習ばかりしているから成長しない。私は、高い紙に失敗は許されないと思って書く。だから上達する。

 

無駄の効用

 無駄をしないように、しないようにとするから成長できない。無駄なことに成長の肥やしがある。私(小田)も相当な無駄なことをした人生である。仕事でも写真も文書も芸術品の収集でも、である。人様よりも多くの失敗をした。だから成長した。まずやって見る、買ってみる、書いてみる。失敗と分かったら、止めればよい。間違った道と分かったら、引き返せばよい。間違った経験が智慧となった。痛い目を経験しないと智慧にならない。

 

真剣勝負

 木刀で練習するのと真剣で練習するのとは格段の差がある。江戸時代の地方の道場の名人と言われる人は、江戸の名人に一撃で倒される。それは、江戸の名人は、多くの人と他流試合をして鍛えているからである。

 それは書道でも同じで、真剣に多くの紙に書き、書展で世の批判を浴びないと上手くなれない。批判を浴びて恥をかくから上達する。仕事でも真剣勝負で渡り合わないから、成長しない。

 

 上記は、2020年1月9日の恵峰塾での講義内容を基に、自分の経験に照らし、加筆、編集して記載しました。

  

2020-01-18 久志能幾研究所通信 1454  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月17日 (金)

「法人にあらずんば人にあらず病」 悪縁ディーラからの遁走記(6)

初めての車

 40年前に初めて愛知トヨタ店でカリーナを買った。買った時、車を大事にしたかったので、営業マンに貸しガレージを探してくれるようにお願いした。その営業マンは「愛知トヨタは、ネットワークが広いので、必ず探してご連絡します」と約束をした。しかしその後の連絡は全くなかった。そのうち、その営業マンは転勤でいなくなってしまった。

 

クラウンの検討

 2018年、乗っている車が20年になり、クラウンへの買い替えを検討した。それでクラウンの購入のため、岐阜トヨタの担当営業マンとは5,6回も打ち合わせをしたが、デザイン的に前クラウンは、好きでなく買う決断が付かなかった。そうしている間に新クラウンの発表があった。その営業マンから「新クラウンが発表され、実際に新車が店頭に置かれたら連絡をします」の約束があった。しかし、その時期になってもその営業マンから連絡はなかった。

 そのうち私は新クラウンに興味が無くなり、その営業マンとは疎遠になった。でも一度、実際の新クラウンを見に行こうとそのお店に出かけた。その時、お店にその営業マンは不在で、別の営業マンが出てきて、対応された。その営業マンは、「私が来たことを担当営業に、伝えておきます」といった。しかしその担当営業マンから、ついぞ連絡はなかった。常識的には、お店に見込み客がわざわざ来店したなら、担当営業マンが電話ででもお礼の連絡なり事務連絡をするものだ。

 そのお店は、私が来店すると、私の車のナンバーが登録してあり、フロントが担当営業マンに私の名前が「通報」されるシステムになっていた。私が営業マンを呼ばなくても、担当営業マンが出てくるシステムになっていた。これはネッツトヨタ南国で運営されているサービスである。しかし、この岐阜トヨタ店では、形を作っても魂入れずのシステムになっていた。単なるネッツトヨタ南国の形式的な物まねシステムになっていたようだ。

 

諸悪の根源

 これはクラウンという商品を売ることで罹患した業病のようだと納得した。クラウンは買う80%が法人客であるようだ。個人でクラウンを買う客は少ない。法人は、定期的に車を買い替えてくれる。クラウンは黙っていても法人車として売れる車である。だから営業マンは法人の方を向いて、そのご機嫌伺をしていれば、営業マンの成績は維持される。個人の客は大事にしなくても商売が成り立つのだ。

 

40年前の対応

 だから40年前に私が愛知トヨタ店でカリーナを買っても、営業マンの対応が冷たかったのも納得できる。当時、若造の私を真面目に相手にしなかったのだと今になって納得した。

 

2018年、岐阜トヨタの対応

 私に対応した岐阜トヨタの営業マンは、若い主任クラスであった。現在の私みたいに酸いも甘いも経験している初老のユーザーの相手に、主任クラスの若造では、話が合わなくて困るのだ。

 以前のビスタ店、ネッツ店では、私の担当営業マンには店長クラスの人が対応した。それから見ても岐阜トヨタ店は、法人に目が向いていた。

 

京都トヨタの対応

 知人で私と同じ世代の人がクラウンを乗っているが、法人でなく個人であるので、その京都トヨタ店の対応が事務的だという。なおかつ、そのクラウンはその人が買ったのではないので、それの扱いが露骨のようだ。定期点検のダイレクトメールが来て、出向いても、その担当者が決まっていなくて毎年変わるという。

 その京都トヨタ店でも、個人客は大事にされていないようだ。多分、全国のトヨタ店でも同じような扱いだろう。それこそが、法人相手のクラウン商売という特性に起因するのだろう。

 

淘汰の時代

 そんな殿様商売では、全トヨタ店で全車種が買えるようになると、そんなお店は淘汰されるだろう。トヨタは、系列ディーラでの全店舗全車種扱いの開始を2020年5月に前倒しすることを発表した。

 お店で殿様商売の匂いを嗅いだら、さっさと遁走である。だから私はクラウンを買うのを止めた。現在の愛車を乗り続けることを決めた。自分の足として21年目の車歴である。

 

クラウンの裏話

 中小企業の社長はクラウンを買うのが夢である。クラウンに乗ると人生観が変わるという。周りが己を見る目が一変するという。要はステータスなのだ。なおかつ車の経費は、会社の経費で落とせる。儲かって税金で持っていかれるより、クラウンを買おうである。

 ところが三河の中小企業の社長たちは、儲かってもクラウンには乗らない。そんな車を乗っていると、親会社から「だいぶ儲かっているようだから」と仕事で値引きのネタにされてしまうからだ。それを避けるため、高級車には乗らないという。堅実なのだ。

 

クラウンの顔が嫌い

 私はクラウンのいかつい「顔」が嫌いである。それでも売れるから不思議と思っていたら、社用車として乗るなら、その顔で代表されるデザインは二の次なのだ。要は中小企業の社長は「クラウン」であればよいのだ。それで周りの人が評価してくれる。それが中小企業の社長の実態である。

 

業病

 クラウンは国内向けだけの特殊な車である。だからトヨタ店の営業が、苦労しなくても売れる車なので「安易な営業姿勢病。法人だけが客で症。法人にあらずんば客にあらず病」という業病にかかっている。傲慢な病人に近寄ると、己も病を得る。そんな病気は伝染するので、君子危うきに近寄らず、遁走に限る。

 それよりカローラ店、ネッツ店のほうが、一般客に気持ちよく対応してくれる。ネッツトヨタ南国の真摯な営業内容には学ぶ点が多いが、一般的にトヨタ店からは学ぶ点が少ないようだ。

 安易に売れる商品を持つことは、努力をすることを忘れさせる。未来の衰退があるだけだ。

 

誰にも負けない努力

 親から財産や才能を与えられることは、努力をすることを放棄させる。結果として、自分の将来の成長の障壁となる。自分に財産や才能がないことを喜ぼう。それが奮起のエネルギーとなり、人よりも2倍、3倍の努力をするモチベーションとなる。自分で獲得した能力は、誰にも負けない力を与えてくれる。

 稲盛和夫氏は「誰にも負けない努力」をして、有名大学出でもなく、世間の支援もなく、売れる商品もない状態から、京セラを世界の京セラに育てた。その根源は利他の心である。

 ディーラから買うのは、車ではない。営業マンを買っているのだ。彼の利他心とその営業行為に共鳴して、車を買うのだ。私はいろんな商品をその観点で購入している。安いから買うわけではない。自分の命を大事にするために、担当営業マンを「耳を洗い、目を拭い」その本性を見極めよう。

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 馬場恵峰書

 

2020-01-17 久志能幾研究所通信 1453  小田泰仙

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2020年1月16日 (木)

悪縁ディーラからの遁走記(5)「売ってやる」営業

 1999年、先代のクレスタを10年間乗ったので、新車に更新しようと三河地方のトヨペット店に商談に行った。目当ては当時のベストセラー車マークⅡである。当時は月生産台数も3兄弟車で3万台を超えていたトヨタのドル箱商品であった。道を走ると右も左もマークⅡばかりという時代である。

 そのトヨペット店で見積もりを取ったら、その営業マンが超強気で「マークⅡは名車ですから。売れているのですよ」「売ってやる」のだという上から視線の口調が嫌になった。マークⅡが黙っても売れるので、営業は得意になって客を馬鹿にしていた。それで値引きもあまりない。そんな営業姿勢では、購入後のフォローも誠意が無かろうと早々に遁走した。

 

誰のお陰で売れた?

 マークⅡが売れている要因は、血の滲む開発をした開発陣とそれを支えた営業企画、生産体制のお陰である。その開発の陰では、徹夜もあっただろう。各部門の担当者が上司から叱られて泣いたこともあっただろう。試験がうまくいかず途方に暮れたこともあるだろう。親会社から無理なコストダウン要求で泣かされた協力会社もあるだろう。

 それをディーラの営業マンが売ったと威張るのは傲慢である。謙虚さがない。

 

人生の定年

 それで真摯に対応してくれたトヨタビスタ店で兄弟車を買うことにした。

 当時名車としてドル箱であったマークⅡも、マークχとして2019年で生産が終わった。一時は3万台を超えた生産も、最後は月700台程度に落ちていた。勝者必滅の掟である。どんなベストセラー車でも、定年あり、死がある。

 人生は好調の時にどう振舞うかで、その後の人生が変わる。人生にも商売にも謙虚さが必用だ。

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  馬場恵峰書

2020-01-16 久志能幾研究所通信 1452  小田泰仙

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