2024年3月 6日 (水)

巡礼 長野順子 銅版画展 龍の在処

龍が舞う幻想の世界、龍は「自然神社」の巫女

 

長野順子の銅版画展が、岐阜の画廊「いまじん」で開催されている。

 

1

1_2

 

Dsc03818s

.

自然の恵み

 その版画を見て、龍の存在を通して大自然の偉大さを改めて見直し、畏敬の念を新たにした。

 花が咲く。それは龍が花を運んできてくれたのだ。龍は大自然が遣わした巫女の化身である。大自然が春夏秋冬、生老病死の世界を演奏している。その姿を長野さんは絵にした。

 

 大人は夢物語で、子供たちに危ない場所に近寄らないようにと、河童や鬼の話をして、危ない川や夜の山、夜の森に近寄らないようにした。嘘も方便である。大人が怖い話をするが同時に夢の世界も語るので、子供はそこに幻想的な夢をみる。それを具現化した絵を、長野順子さんは銅版画で表現した。

 

 

Dsc037841s

  風光る    龍が季節の花を運んでくれる

Dsc03796_1s

  森へ行きましょう  森の精霊たちと遊ぶ

.

 冬の寒い朝、地中に潜んでいた精霊が地表に星屑をまき散らし、龍がそれを飾り付けをする。冬のシャンデリアである。夢見る少女には、その舞を見て、至福の時を満喫する。メルヘンの世界である。

Dsc037921s

  星屑の贈り物

.

大地の鼓動

 地震が起きた。それも大自然が生きていて、地殻が生命活動をしている証しである。地震の被害に遭うのは、日本に住み着いた日本民族の宿命である。宇宙根源の理からは、地震は単なる自然界の一現象である。一事象には何の善悪もない。

 地震の被害に遭いやすい土地や川の氾濫にあう土地に「勝手に」住み着いた人間様が悪いのだ。大昔に大地震が起き、大津波が来て、ここまで津波が襲ったという記録を先人は残してくれた。大雨で川が氾濫する土地には、龍ヶ丘とか、龍の名をいれた土地名にした。それは先人が警告として残した知恵の名である。

 

 それを無視して、危険な場所に家を建てた後世の人が津波の被害にあった。そんなことは数百年前から分かっていたことだ。人間の愚かさは昔から変わっていない。そんな思いを抱かせてくれる長野順子さんの銅版画である。

Dsc037981s

 宙の鼓動     東日本大震災をイメージして描いた  2012年

.

Dsc03808_1s

   祈り    龍は祈りの対象

        西洋のドラゴンは化け物だが、東洋の龍は神さまである。

Dsc037881s

  花神の旅路   自然と人間の建造物と一体化して龍は舞う

   人類はバベルの塔を造っているのではないか。

  その正否は龍の舞が教えてくれる。

Dsc03819_1s

  約束  アクリル画
 

2024-03-06  久志能幾研究所通信 2841号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2024年3月 5日 (火)

モノを捨て過ぎると、人間ではなくなる

  

 モノがない究極の部屋が監獄の独房室である。

 モノがない究極の部屋が病院の霊安室である。

 今、断捨離、ミニマリストが流行している。私はそれを疑問視している。モノがあり過ぎるのは問題だが、モノを捨て過ぎて、モノが無さ過ぎるのも問題である。モノには思い出が詰まっている。その思い出を捨てると、その記憶も薄れていく。モノがあるから、記憶を保持される。そしてそのモノから当時を振り返り、反省して、自分の人生の品質の向上が出来る。

 

 夫婦でも、親子でも共通の記憶があるから、夫婦であり、親子である。記憶を無くした相手とは、話が合わない。記憶喪失になった肉親は、家族とは思えない。姿かたちは確かに肉親だが、行動は全くの異星人になっている。

 

自分を買う

 モノを買う、モノを保管する、それは自分を買い、自分の歴史を創っているのだ。モノには自分の人生史が詰まっている。

 動物はモノを溜め込まない。動物はモノに興味がない。動物が執着があるのは、食いものだけである。高度な精神性があるヒトのみが、モノを残す習性をもつ。

 

蒸留水

 私は家の中に何もないミニマリストと付き合いたいとは思わない。ミニマリストの目的は、カネを使わないことのようだ。そんな人間は、薄っぺらな人間だと思ってしまう。そんな人といると、まるで無菌室のクリーンルームに放り込まれたような感じで、心が休まらない。まるで蒸留水を飲まされているようなものだ。蒸留水など飲めたものではない。蒸留水は自分の大事な要素まで吸収されてしまい、病気になる。ミネラルの豊富な人間味あふれた人と付き合おう。

 

 蒸留水を飲み続けると、人体が持つミネラルやその他の成分を溶かして排出させてしまう。それが原因で、カルシウムや鉄などの必須栄養素であるミネラル類が不足して、免疫力を低下させる危険性がある。 

 

5Sと文化

 ミニマリストになれというのは、単に5S(整理整頓清潔清掃)が出来ていないだけである。5Sが出来れば、モノがあってもゴミ屋敷になることはない。

 

 家の中に文化の香りのない場所は、野蛮な場所である。文化の反対語は野蛮である。家に絵の一枚も飾っていないミニマリストは野蛮人である。文化人なら好きな絵を飾っている。それでその人に文化度が分かる。「文化」の英語は「「culture」であるが、その語源は「耕す」である。心を耕さない人は、野蛮人の脳である。

 

 私は心を耕そうと、あちこちの美術館、画廊を訪れて、目と心を耕している。それが心と共鳴すると、その絵をつい買ってしまう。そしてモノが増えるのだ。ミニマリストの反対の極致である。その絵を買うとは、その芸術家を応援することだ。それが文化活動への参加だと思う。フィレンツェで花開いたルネッサンスは、銀行家メジッチ家の支援があって、芸術の花が開いた。芸術にはお金がかかるのだ。それで一銭の儲けにもならない。無駄をすることが、芸術で心の耕作である。ミニマリストには理解不能の境地である。

 人の精神が昇華すると、祈りとなる。芸術家は、芸術の神様に祈りを捧げる。動物は決して祈りはしない。ミニマリストはそういう境界には無感心であろう。

 

 

2024-03-05  久志能幾研究所通信 2840号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2024年3月 4日 (月)

毛が抜ける理由、抗がん剤治療を拒否した理由

 

 船が大嵐に会い、沈没の危機に際した時、船長は沈没を避けるために、船で不要なものを捨てる。それが船乗りの危機管理である。

 

 抗がん剤を打つと癌患者の毛が抜ける。それは上記の理由で、命の危機に際して、体は生命維持に不要なもの(毛)を最初に捨てているのだ。抗がん剤が投与されると、体は命に危機が迫ったと判断する。

 

毛が抜ける医学的原因

 抗がん剤(化学療法)は分裂が活発な細胞に強く影響する。そのため、細胞分裂がとても盛んな毛母細胞(毛を作るもとになる細胞)は、抗がん剤(化学療法)の影響を受けやすく、毛根がダメージを受けることから脱毛が引き起こされると考えられている。

 とりわけ、毛母細胞の働きがさかんな髪の毛は、抗がん剤(化学療法)の影響が大きく、脱毛を生じやすい部分といえる。

 

 猛毒の物質や、エボラ出血熱等の患者と接する場合、看護婦は完全なる防御服を着てその作業をする。看護婦の身を守るための処置である。

08797201

    AXELで販売されていた防御服

.

 看護婦はその防御服を着て、ガン患者に猛毒の抗がん剤を打つ。抗がん剤は猛毒で、その原料はナチスが使っていた毒ガスが主成分である。

 そんな猛毒の抗がん剤を体に入れて、ガンが完治するとは思えない。抗がん剤は正常な細胞も同時に攻撃する。抗がん剤に、正常な細胞と癌細胞の区別はつかない。無差別爆撃とおなじである。ガン細胞はやっつけました。がんは治りましたが、患者は死にました、が末路である。抗がん剤治療に耐えられる体力のある若い人は良いが、高齢者の私には無理である。

 だから私は抗がん剤治療を拒否して、薬剤医師とけんか別れをした。

 抗がん剤治療を受けている人を見ると、ガス室に連れていかれるユダヤ人を連想してしまう。

 

抗がん剤ばく露防止に関する国の動き

 2014年5月29日厚生労働省労働基準局は、「発がん性等を有する化学物質を含有する抗がん剤等に対するばく露防止対策について」(基案化発0529第1号)を各関係団体会長宛てに発出しました。この通達は、看護師や薬剤師等が抗がん剤を取り扱う際に、意図せずばく露した場合に健康障害を発症する恐れがあるため、必要な防止対策への取り組みを求めています。

   日本看護協会のHPより

 

 抗がん剤投与には、コロナ菌対策のような完全な防御服を着て行う必要がある。それほどに抗がん剤の投与には危険があるようだ。それを癌患者には投与しても良いのか

 

抗がん剤は儲かる

 米医薬コンサルティング大手のIQVIAによると、2022年の世界のがん治療薬市場は前年比11・1%増の約1974億ドル(約28兆円)で、全疾患領域で最大の市場規模だった。 日本市場だけ見ても22年度は前年度比6・2%増の約1兆7839億円で、拡大傾向にある。2023/06/23

 

 IQVIAは2月26日、2023年の国内医療用医薬品市場が前年比3.1%増の11兆2806億円(薬価ベース)となり、初めて11兆円台に乗ったと発表した。最大市場の抗腫瘍剤市場が前年比10.5%増と2ケタ成長したことや、ラゲブリオが前年から2.5倍の1280億円を売り上げたことなどが国内市場の拡大につながった。7製品で売上1000億円を超えた。ただ、23年第4四半期にはラゲブリオを含む新型コロナ治療薬の売上が急減したほか、24年度薬価改定(改定率▲0.97%、医療費ベース)なども控えており、国内市場が24年も11兆円台となるかは不透明な状況だ。公開日時 2024/02/27 04:52

23年国内医療用薬市場 初の11兆円台 抗腫瘍剤市場が2桁成長、勢い回復 1000億円超に7製品 | ニュース | ミクスOnline (mixonline.jp)

 

 なぜ病院は抗がん剤治療を継続するか、利益率が高く、それは儲かるからだ。止められない、止らない、で病院は抗がん剤投与の中毒になっている。

 

 日本の抗がん剤は全体の16%を占める。日本の抗がん剤市場は、世界の中で6.4%を占める。日本人の人口は全世界の1%しかいないのに、その6倍の抗がん剤が使われている。異常である。

.

死亡原因

 人はガンで死なない。人は体力が弱り、抗がん剤で免疫力が下がり、肺炎等を起こして死ぬ。人の体はウイルス、他の病原菌の攻撃を免疫力で防いでいる。それの防波堤を抗がん剤で破壊するから、肺炎等の炎症(延焼?)を起こして自滅する。

 ガンになったのも、がん細胞を免疫酵素が殺せなかったためだ。ガンは毎日、5000個も生まれている。それを免疫酵素が殺している。

 .

ガンへの姿勢

 がんを治すより、ガンにならない生活を目指そう。自分の免疫力を上げる生活をしよう。私はそうやってがんを克服しつつある。

 がんは進行する病気で、治療を行わないと、がん細胞は増え続け、健康な細胞や組織を侵害し、進行していく。そう医学書には書かれている。ある意味では真実だろう。

 確かに、何もしないと上記の状況だが、ガンになった原因を探し、それを無くす生活をすることで、ガンは再発しない。それを医師は明確に言わない。

 普通の医師は、ガンの手術後、今まで通りの生活で良いという。父の場合も私の場合もそうであった。それでいて再発防止として抗がん剤治療を標準治療として強要する。おかしい。がんになったのには原因がある。それを取り除かねば、ガンが再発するのは自然の理である。

 

 体に入れるものには、最大の注意を払おう。ガンの専門医は、自分がガンになったら、絶対に抗がん剤を使わないそうだ。

 

知識と知恵

 知識は力である。多くの知識を総合して、どれが正しいか、判断するのが知恵を使った賢さである。医師は偏差値が高い頭脳を持っている。医学大学に進学するには、膨大の知識を記憶せねばならぬから、頭脳明晰でないと務まらない。日本の大学は知識量の記憶量で評価する。しかし頭の記憶能力と賢さは別である。この抗がん剤治療を俯瞰して、その金儲けに汚染された医師の知識の頭に、私は呆れている。

 

 抗がん剤治療はお天道さまの道に反していると思う。あくまで私の意見である。私は医師ではないので、それしか言えない。私は医師のお世話にならないように自然の摂理に反しない生活を送っている。

 

 

Dsc065732s

 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

Dsc065661s

 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

.

2024-03-04  久志能幾研究所通信 2839号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

夜間尿意を寝技で仕留め、夜間トイレ回数をゼロに

 

 自分の体は神の如くの働きで動いている。自分の体には神通力が備わっているようだ。寝ていても心臓も肺も休まず働いていてくれる。首を吊って自殺する時でも、最期まで生きてくれよと、血液を送り、肺を動かしている力を神通力・佛の力と言わず、なんという。自分の体は神佛が作られた国土であり、神通力が満ちている。

 

 その私も加齢のため神通力が少し衰えてきた。神通力も生老病死である。最近は夜間に尿意を覚えて、トイレに行く回数が増えた。それが死亡率を2倍にすると言う記事を見つけ、対策をすることにした。

 

死亡率が1.98倍になる「夜間頻尿と死亡率」の関係

 実は、国内の研究により、夜間排尿の回数が一晩に2回以上ある高齢者は、1回以下の高齢者に比べて、死亡率が1.98倍になるという報告が上がっています。

 また、「夜間頻尿と死亡率の関係」に関する複数の研究結果を統合したところ、夜間排尿の回数が一晩に2回以上あると死亡率が29%増加し、3回以上になると46%増加するという結果が出ています。

「夜中に尿意で目が覚める」は早死のサイン…専門医が指摘する"寿命とトイレ"の知られざる関係」  PRESIDENT Online より引用

 

国土強靭作戦

 体力、免疫力向上こそ、身体強靭化である。夜間にトイレに行きたくなるのは、腎臓の機能が加齢で低下しているのが原因である。そのために、老化速度を速める生活習慣を止め、体力を維持させる、である。腎臓の処理能力の低下は、全体の体力のバロメーター値の表れである。だからその対策をすればよい。   

 

冬将軍対策

 相手は強力な冬将軍である。その得意技は、夜間尿意部隊の攻撃である。相手は冬将軍の寒さなのだから、寒さの弾を防ぐ防弾チョッキを纏えばよい。

 私は、カッコ悪いが腹をくくって腹巻で防備した。また通販でみつけたカシミヤアンダーべストで二重に冬将軍への防備を固めた。

 これはてきめんの効果で、それ以来、夜間にトイレに起きる回数はゼロになった。

 やはり内臓は温かくすることが大事である。

 

Photo   カシミヤアンダーべスト(通販サイトより)

  私が以前に入手したカシミヤ入りアンダーべストは、カシミヤ分が5%しかないが、それでも温かい。今後は100%カシミヤのアンダーベストにしようと思う。

.

スパイかく乱戦法対策

 睡眠の質を低下させる最大の敵は、深夜のテレビ番組である。相手は商品を売ろうと洗脳教育に必死である。あれ喰え、これ飲め、これ買えと、CMで洗脳攻撃である。なにせ奴の生活がかかっているのだ。

 そんなテレビ、スマホ、パソコンのブルーライトを就寝前に浴びれば、神経が興奮して、睡眠の質が低下する。だから夜間に目が覚める。

 それよりも哲学書や宗教関係の本を読めば、難しいので自然と眠気を誘ってくれる。

 私は就寝前に法華経を2ページ音読している。

 

薬物対策

 寝る3時間前のコーヒはご法度である。厳密には18時以降はコーヒー等のカフェインの入った飲料は飲むべきではない。

 

領空侵犯対策

 やすらかな国土に、無神経に領空侵犯してくるのは、スマホの着信、メールの着信音である。それに出てしまえば、安らかな眠りにつく心が妨害される。まるでC国の領空侵犯で、スクランブル発進をするが如く、心の平静さを乱される。

 私は寝室にスマホを置いていない。

 

暖房

 もったいないが、命にかかわるので、冬の間は、就寝中もエアコンはかけっぱなしである。電気代をとやかく言っておられない。低温で過ごすと、寿命が短くなる。どうしても腎臓が過敏になって、夜間尿意を覚える。

 

「18度未満の寒い家」は脳を壊し、寿命を縮める 最新研究でわかった室内温度リスク | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

寒い部屋でガマンしていると健康寿命が4年縮まる…最新研究でわかった「住宅と健康」の怖い関係 9割の住宅が「不健康になる室温」になっている | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

2024-03-03  久志能幾研究所通信 2838号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2024年2月29日 (木)

「死が教えてくれた幸せの本質」 究極の幸せ

 

「生と死を考える会」2月度例会で、船戸崇史医師が「死が教えてくれた幸せの本質  (究極の幸せはあった)の講演をされた。その内容を自分の体験と重ねて要約する。

 (2024年2月10日、中部学院大学各務ヶ原キャンパスでの講演)

 

 船戸崇史先生には、私のガン再発防止治療でお世話になった。私は手術をした病院が標準治療として強要する抗がん剤治療を拒否して、医師とけんか別れをした。それで全国に代替治療を探し回り、養老町の船戸クリニックに出会い、船戸先生から治療を受けた。手術後、5年間、幸いがんは再発せず、今を生きている。感謝である。しかしいくら治療が成功しても、人は何時か必ず死ぬ。

 

Dsc02263s

   船戸崇史医師       2024年2月10日

.

命を全うする

 死に際すると、自分が本当に幸せな人生を送れたかが分かる。お金を貯めたとか、やりたいことをやったとか、そういう次元ではなく、真の幸せを感じて命を全うできたか、である。

 船戸崇史医師は、2000例の臨終に立ち会ったという。その中で、一人だけガッツポーズをして逝かれた方がみえたという。その人は真の幸せを感じて命を全うされたのだろう。その他の患者も船戸先生の診療で、死に際して安らかに、人生を満足して旅立たたれている。

 

今の形

 「生き様は死にざま」でもある。死に際だけを切り取っても意味がない。生き切った先が死であるだけだ。あるのは永遠の今があるだけである。今が、今までの自分の選択の結果である。それが今の「形」である。それを考えると、自分で自分の人生を創造することが出来る。

 人生は選択の連続である。どれかを選ぶということは、もう一つの選択を捨てること。しかしどの選択を選んでも、30年後には必ず、死がある。それは長い人類の歴史の前には、誤差範囲の長さである。だから自分で納得いく選択をすればよい。

 

人生最期の言葉

 「ごめんね」「ありがとう」「愛しているよ」「また逢おうね」「さようなら」の5つに集約される。

 送る方の言葉は、「後は任せてね」という引導である。それで臨終の人は安心して逝ける。生命は生老病死である。それを「死なないで」と引き留めるのは禁句である、それは拷問である。その人は後ろ髪を引かれて、逝くに逝けない。

 

病気にも意味がある

 現代医学の「死なせない医療」は、必ず敗北する。死なない人はいない。病気が治っても、人は何時かは死ぬ宿命である。それを死なないようにするのは拷問である。多くの管を体に繫なぎ、暴れないように手足を縛り、食べたくないのに、無理やり胃瘻で栄養を流し込むのは、人権無視の拷問である。それでは安らかに逝けない。

 病気になったのには原因がある。病気は神仏からの啓示で、病気になった原因を正せと言っているだけで、死ねとは言っていない。

 私はがんになり、その原因を何故なぜと何回も繰り返し、今までの生活習慣、食事習慣、精神的生活習慣の全て変えた。おかげでがん手術後5年間、無事に生き延びられた。

 

リース物件

 人はおぎゃーを生まれると、余命80年と宣告されて、終末に向かい生きていく。生物は生老病死である。いわば、人は終末医療にお世話になっている。貸与された人体を無神経に使うと、物件が早く傷む。それで神仏が早くリース物件を返せと督促する形で病気になる。病気とはそれだけのメッセージである。いわば生活改善命令書である。だから貸与された体は、大事に使うべきなのだ。

.

終末医療のメッージ

 人は必ず逝く。しかし死は終わりではない。その人の生き方が、周りの人に受け継がれる。病気や困難で、自分の本当の使命に気が付き、それを達成して、後世の人に伝える。それがその人の存在意義を示す。目指すべきことは、自分らしく幸せに生き切ることだ。

 

 両親は私に生き方を後ろ姿で教えてくれた。だから今の私がある。感謝である。

 馬場恵峰先生は94歳で、最後まで現役として人生を終えられた。その生きざまは、私の中に生きている。感謝である。

 私はブログを通して、少しでもその知識、知恵と智慧を伝えていきたいと願ってブログを発信している。

 

P10700601s

.

「幸せに生き切る」ための3条件

1 痛みがない事

   肉体的痛み、精神的痛み、社会的痛み、霊的痛みがない事

2 今を自分らしくあること

   今、人生を俯瞰して、そのために生れてきたと言えるか?

3 今を幸せでいること

 

死は恩寵

 患者は生きて痛みに耐えるほうが辛い。死はガンによる激しい痛みから解放してくれる。家族も介護の地獄の苦しみから解放してくれる。家族にとって死は悲嘆の絶頂であるが、同時に苦しみを除く最高の恩寵でもある。永遠の魂にとって、肉体の死は一つの通過点でしかない。

 魂は家族の心の中で生き続ける。家の中のあちこちにその遺影が残っている。それを意識するだけで、まだその人は生きている。私の両親の思い出は、実家のあちこちに存在している。だから実家を取り壊さず、リフォームで対処した。我が家では、両親が使った足踏みミシンも大事に保存している。その両親の記憶が消えた時が、本当の死である。

 

死合わせ

 できるだけ、今を自分らしく、幸せで、痛みなく生きれば、いざという時、「死合わせ」の境地になれる。そして万感の思いで「ありがとう、後は頼んだよ」と。

 送る方も「ありがとう、後は任せて」と笑顔でほほえむだけでよい。そして命のバトンが受け継がれていく。

4k8a99231s

 文責は著者、書は馬場恵峰師

Dsc02272s

   船戸崇史医師 の著書 

  書  名 :「死」が教えてくれた幸せの本質

      二千人を看取った医師から不安や後悔を抱えている人へのメッセージ

  著 者 名:船戸崇史/著  出 版 社:ユサブル  税込価格:1,540円

.

2024-02-27  久志能幾研究所通信 2837号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2024年2月27日 (火)

死ぬ間際に知る「人生で無駄な時間」とは

 

無駄な時間とは、自分の人生に付加価値を生んでいない時間。

死ぬ時になって後悔する時間。

それは真の幸せをもたらさなかった時間である。

 それが死の間際に分かっても遅い。今からそれを考えよう。

 

「幸せ」を貯めていない時間(お金を直接稼いでいない時間)

  ただし「幸せ」とは、お金だけの問題ではない。

意思決定に費やしていない時間

知識、経験が増えてない時間

死を考えず、使うことをせず、貯めるだけの時間。

使うことを考えずに、働くだけの時間。

  人は還暦を過ぎたら、何時死んでも不思議ではない。

  還暦時に、一緒に働いた仲間が24人も死んでいた。

 

健康を害している時間。

 一時間、くだらないテレビを座って見ると、24分間の寿命減

 体を蝕む毒食を食べていると病気になり、時間が奪われる。

 手術台に裸で載せられて、初めて自分の過ちを思い知る。 

 その時には、カネも権力も無力である。

食べ放題での至福の時間

   飽食は死への片道切符。皆、食べ過ぎで病気になる。

P10702501s

.

酒を飲んでグダグダ言う時間。

 酒は殺時な飲み物である。少量でも発がん性物質の凶器である。

 医師を盲信して、薬を飲んで、奪われる時間

  例えば、降圧剤は、単なる対処療法で、体に害の影響の方が多い。

  降圧剤で、高血圧は治らない。

  私は20年間、降圧剤を飲み続け、がんになった。

  父も降圧剤を飲み続け、ガンになった。

  抗がん剤治療は、正常な細胞まで攻撃され、寿命を短くする。

  私は抗がん剤治療を拒否して、今生きている。

洗脳されている時間(精神が害されている時間)

  TVCM、特に食べものCM

  下劣な番組

    ジャニタレの番組を見て幸せになりましたか?

    韓流交じりの紅白を見て幸せになりましたか?

  週刊誌のゴシップ記事を読む

    それで自分の付加価値が上がりましたか?

  偏向したマスゴミに時間を盗られる。

  それで誤った先入観に洗脳される。

 

付き合い残業

カラオケでの飲食

  聞きたくもない他人の下手な歌を聞かされる付き合い。無駄な時間の最たるもの

会社のOB会への出席

  退職後なのに、前職での職位でゴマすり、自慢話の花が咲く。

  そんな話など聞きたくない。

  一度、会社のOB会に出て、懲りた。

 

偽善の人との会話時間

  それで自分が成長しましたか

 

安さ求めて遠くに出かけてランチ

ランチ、スィーツのために、行列に並ぶ

  移動、待つで、一分100円のコストがかかっている。

  浮いたお金より、失った時間を考えよう

  自分の残り時間を考えよう

 

義理の冠婚葬祭

義理の年賀状

宝くじに並ぶ、くじに応募、当選番号を調べる時間

無料景品に応募する時間

  世の中に只のモノはない。

 

あの世を考える時間。

 死んでみないと分からないことは考えない。

 今を精一杯生きよう。死後を考えるだけ無駄。

 心配しなくても、必ずお迎えが来てくれる。

 お釈迦様もあの世が有るとも無いとも言われなかった。ただ精進せよとだけ言い残されて旅立たれた。

 極楽浄土や地獄の話しは、後世の教団が仏教の拡販のために創り出したおとぎ話である。

 

Photo

 馬場恵峰書

 

2024-02-27  久志能幾研究所通信 2836号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2024年2月26日 (月)

巡礼 玲愛 幼年期の思い出 詩で詠い、絵で奏でる in Sagan

 

 玲愛さんの一連の幼年期の思い出は、連詩で詠い、絵が奏でるように流れていく。まるで絵巻物のような感じである。

 

 「星の寝所」は「ふるさと」

 「幸せの予感」と「やわらかさ」を連想させる「CANDY」だ

 「ありがとう」

 「記憶の陰影」に「花火」は「魔法の入れ物」

 「友達」と「オルゴール」の「気配」

 

 下図の絵のキャプチャーは、上記の詩の並びである。

 上段の左から右へ、下段の左から右へ

  

Dsc037572s

上段 「星の寝所」、「ふるさと」、「幸せの予感」、「やわらかさ」、「CADDY」、「ありがとう」

下段 「記憶の陰影」、「花火」、「魔法の入れ物」、「友達」、「オルゴール」、「気配」

Dsc037601s

 

  上側  「星の寝所」、「ふるさと」

  下側  「記憶の陰影」に「花火」

.

「玲愛 作品展 childhood」開催中。in 川原町 Gallery Sagan、2月27日まで

 .

2024-02-26  久志能幾研究所通信 2835号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

巡礼 玲愛 詩絵賛歌 in Sagan

最初に言葉ありき

 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意味である。

 聖書の言葉にあるように、絵を描くにも、最初のイメージを言葉で表して、それを具現化する。その言葉の想像力も画家の大きな才能であると思う。詩を詠う、そこから絵を生む出す。その流れで作品を生み出すのは、画家にとって必要な才能だ。

 玲愛さんの名付けるキャプチャーは、夢の世界に誘う。詩を詠うと同じである。彼女はその詩からイメージを膨らまして絵を描く。キャプチャーは、絵の命なのだ。

 

 玲愛さんは俳句も詩の朗読も好きで、それで言葉を磨く修練をしているようだ。それが絵のキャプチャーに現れている。並みの画家の付けるキャプチャーとは少し世界が違う。キャプチャーも絵の一部である。

.

「玲愛 作品展 childhood」開催中。in 川原町 Gallery Sagan、2月27日まで

Dsc037471s

 抱きしめる木 

 

Dsc037231s

  春の酩酊       アクリル    455×970  mm

 

Dsc037721s

 まだ夢をみられますか

   アガパンサス族(南アメリカ産)  花言葉は「愛」、「恋愛」

 

Dsc03774s

 優しくあるために   アガパンサス族(南アメリカ産) 

.
 

2024-02-26  久志能幾研究所通信 2834号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2024年2月22日 (木)

孟母参戦の教え(11)血生臭いエセ紳士の末路、国防には国語教育

 

母国語教育こそ防衛力

 今まで植民地獲得戦争のようなグローバル経済主義が横行して、日本語教育よりも英語教育が大事だと叫ばれていた。それは嘘で、国の未来のためには日本語教育が最重要である。英国の植民地支配は、その反面教師である。

 社内公用語を英語にした楽天の経営破綻が噂されている。自国語を無視した拙い経営の末路である。楽天の社長は頭は良いようだが、賢くはなかった。

 楽天の経営危機はグローバル経済主義に踊らされた末路である。グローバル経済主義は弱肉強食の植民地支配と本質は同じである。

 日本をグローバル経済主義帝国の植民地にしてはならない。歴史から植民地の不幸を学ぼう。

.

太陽の沈まない国

 大英帝国は日の沈まない帝国であった。18~19世紀の産業革命を経て、ヴィクトリア朝時代(1837~1901年)に大英帝国は絶頂期になった。この時期には世界の陸地の4分の1を植民地とした。支配する地域のどこかは陽光の下にあることから「太陽の沈まない国」と呼ばれた。それは勝者の立場での言葉である。

 

 イギリスの紳士の権威と英国王室の栄光は、植民地からのあがりで保っていた。先年、エリザベス女王が亡くなられたが、女王が在位した70年間は、多くの植民地人民の犠牲の上で成り立っていたことは知っておくべきだ。英国は植民地からのカツアゲを失ったので、今のイギリスの低落ぶりが現在の真の実力である。

 

 イギリスはインドを1857年の統治から1947年のインド独立まで約100年に亘り搾取を続け、インドでは数千万がそのために餓死した。それでイギリス人は紳士というのはブラックジョークである。大英帝国とは、世界の植民地から搾取をして成り立っていた。

 英国は中国にアヘンを売り、中国人をアヘン中毒にした。そのアヘン船が中国政府に没収されたことを因縁として、英国は中国にアヘン戦争を仕掛けた。それで中国に勝って、香港の百年間祖租借権を得た戦争行動は、常軌を逸している。

 それは当時の列強の価値観だから、今それを責めても意味がないが、その歴史的事実は覚えておくべきだ。

 

00030002s

 大英博物館 1991年 著者撮影

  植民地からの盗品の大展示場である。よくぞこれだけの大量の文化財を盗んできたかものだと驚嘆である。英国人には盗人の三分の理もない。

.

母国語の大事さ

 人権侵害(大量殺戮)での植民地支配は最大の罪だが、それと同じくらい大きな罪は、植民地支配で英語の強要をして、その土地の言語を禁止して、固有の文化を破壊し、発展を阻害した。それは植民地をそのままの状態に固定することで、人権侵害に匹敵する大罪である。

 

 母国語で考えるから、科学技術も文化も発達する。母国語が禁止され外国語の英語しか使用が許されなければ、その発達は阻害される。

 事例として、今、韓国が文化的背心的に発達せず、科学技術分野でノーベル賞者がゼロなのは、漢字の使用を廃止して、ハングル語に限定されたことにも一因がある。ハングル語はいわばひらがなで、24文字で全てを表現する言葉である。だから同音異義語が多量にある。それで科学技術分野の言葉の使用が制限される。科学技術の学習は、英語でしか出来なくなった。なおかつ、日本憎しで漢字を廃止したことで、自国の過去の記録が読めなくなった。お粗末な自縛行為で、自国の歴史を失った。それが韓国の悲劇である。

 日本人が日本語という母国語で、科学技術を学べ、哲学、文学を学べるのは素晴らしい事だ。先人の翻訳の尽力があってのことだ。福沢諭吉は、「経済」、「自由」、「社会」、といった英語を翻訳した日本語の言葉を創った。それがあるから、我々は母国語で西洋の最先端の概念を研究することが出来た。

 

 その名残りで、今の英国人でも、「英語」に絶対的権威があると信じている。私の昔の仲間が英国駐在員としてイギリス人と話すと、嫌味のように、それは「○○」ですね、とその発音をわざわざ訂正するという。当時の英国駐在員がぼやいていた。意味が通じているのだから、発音を訂正しなくてもよいのに、だ。

 国連でも、アフリカやアジア出身の国連総長のなまりのある英語で堂々と通じている世界なのに、英国人は英語に変なこだわりがある。それは植民地支配の後遺症だろう。

 

日本人は人間ではない?

 太平洋戦争が終わり、ビルマにいた日本人兵士は、英国管理のアーロン収容所に捕虜として収監された。そこで元京大教授の会田雄二氏は、英国人将校の妻の振る舞いを『アーロン収容所』(中公新書)に記録している。

 彼女は元日本人兵士の収監者を召使のようにこきつかい、贅沢をしていた。彼女は元日本人兵士を人間として見ていなかった。だから元日本人兵士の前で、平気で裸で着替えをしたそうだ。日本人兵士はそれを見て楽しんだともいう。一神教のキリスト教では、日本人は人間ではないのだ。男性の将校は、ビルマ人を射殺しても、「死んだ」とは言わず、「end」と表現して、アジア人を人間扱いしなかった。それは男性だけでなく、その妻も同じ意識であった。欧米人は、腹の底では、キリスト教以外の人間をそう見ている。英国紳士とは、キリスト教徒内だけの話である。

  この図書の読破は、私が高校生の時で、約57年前であるが、今でも鮮明にその内容を覚えている。英国人が日本人を人間扱いしなかった事実、ビルマ人の死を「end」と表現した事実が、鮮明な記憶として今でも残っている。

.

エセ紳士の末路

  英国王室の話題も騒々しい。どんな人間でもカネと閑があれば、堕落するよき例である。今、英王室はハリー王子、メーガン妃のスキャンダルでもめているが、過去の怨念が湧き出ているのだろう。メーガン妃の暴露本で、英国での有色人種への偏見が暴露された。だれのお陰でカネと閑が生れ、贅沢が出来ていたか、その自覚がないために騒動が起きている。英国貴族は血まみれの皿でメシを喰っている。

 エセ紳士の意識高い系の末路が、経済の混乱である。英国は脱炭素政策を盲信して、電気自動車一本やりの政策で邁進した。それで経済が混乱している。トヨタを追い落とそうと電気自動車普及に邁進した末路である。トヨタは恩知らずのエセ紳士に愛想をつかして、英国の工場を閉鎖して、英国から逃げだした。そう、逃げるが勝ちである。

.

2024-02-22  久志能幾研究所通信 2833号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2024年2月20日 (火)

巡礼 玲愛、口数の少い「窓ぎわのトットちゃん」in Sagan

 「玲愛 作品展 childhood」 Gallery Sagan

.

 黒柳徹子さんの機関銃のような喋りは、話芸の極致の芸術である。窓ぎわのトットちゃんは、金儲けのためにお喋りをしていたわけではない。感動したことを話したくて話していただけだ。それを、素直でなく、聞く耳を持たない大人が閉口しただけである。

 

 今回の玲愛さんの展示を見て、『窓ぎわのトットちゃん』を思い出し、この考えに至り、芸術家が絵を描く理由がやっと理解できた。芸術家も絵を描きたいから画いているだけで、それを売ろうとか、誰かの賛同を得ようとか、何かを変えたいという思いはないようだ。

 Saganで展示会を開いたどの画家に聞いても、「画きたいから画いている」としか、答えがない。古代の洞窟の中に素晴らしい動物画が残されている。あの絵でも売るために描いたわけではない。持てる思いを絵にしただけである。

 

Scan02181

Scan02192


Dsc037401s

Dsc03765s

Dsc03766s



.

 川原町 Gallery Saganで、「玲愛 作品展 childhood」が開催されている。それを見て、『窓ぎわ際のトットちゃん』を連想した。幼年期の初々しい思い出を人に語りたい。それを筆で表現したのが玲愛さんの絵画である。

 玲愛さんの画にいわさきちひろの絵のイメージがある。彼女に聞いてみると、彼女は、いわさきちひろさんの大ファンだという。『窓ぎわのトットちゃん』の表紙はいわさきちひろの絵である。

 彼女の話では、いわさきちひろ美術館は長野と東京にあるとのこと。前から一度行きたかったので、良いご縁として行こうと思う。

 

 玲愛さんは、お喋りするエネルギーを絵に向けた。そんな印象である。その中で、玲愛さんの自画像はすこし怖いイメージである。自分を見つめる目が厳しい。それに対して、友人を描いた絵は、ほんのりとした温かさがある。凡人は、人に厳しく、自分に甘い人ばかりである。玲愛さんの絵はその逆である。限りなく人に優しいのだ。

 

 自分を見つめる厳しい目、友人を見つめる優しい目、その目が織りなす絵に、何か惹かれる。『窓ぎわのトットちゃん』のイラストのいわさきちひろさんの絵にイメージがかぶさる。

 

Dsc03767s

 幼年期の自画像と玲愛さん  自分を厳しく見る目

Dsc03769s

 友人の顔をやさしく見つめる目

 左側の絵は友人の顔、右側の絵は現在の自画像

Dsc037421s

 少し大人になって冷静に自分を見つめた自画像

Bk4770022026

 英語版『窓ぎわのトットちゃん』の表紙。講談社版 

 私は1985年、スウェーデンに出張した時、ある家庭に招待された。その折、その家の奥さんにこの本(英訳版)を贈ったら、大変喜ばれ、航空郵便で感激の礼状まで頂いた。当時は海外の知人とのやり取りは航空郵便で手書き文です

 私にとって思い出のトットちゃんである。
.

芸術家への教育?

 玲愛さんの絵の中に意思の強い芯を感じる。彼女が絵の先生に就いて習っていた時、その先生が、玲愛さんの描いた絵の半分を下塗りの絵の具で消してしまった。玲愛さんはそれが納得いかなかったので、また消されたと同じ絵を上から描いたという。そこに玲愛さんの強さを感じた。優しい玲愛さんは、後年、その描いた絵材が適材適所でなかったのだと納得したそうだ。

 描いた絵は、個人の心の表現である。小手先の技術で表現する範囲は限られている。それを己の価値観で人に押し付けるのは、正しい師ではないと私は思う。

 

 私の先輩の話で50年前の話だが、熱血漢の課長が部下の描いた手書きのA0の図面(当時はCADはない)が気に喰わないと、それを部下の目の前で破いてしまって、描き直しを命じたたという。図面一枚のコストは人件費を考えると、会社損害は10万円では済まない。それでも部下に指導のためには、図面を破るという行為に及んだようだ。芸術の世界とは少し違うが、部下指導では同じ考えだ。

 私も宮仕え時代は、上司から色々と「指導」をされたが、意に合わないことには、反発して素直には従わなかった。それは自分の人生の生き方と反するからだ。だだし宮仕えだから、面従腹背ではある。

 機械の図面作成は金儲けの世界、芸術の絵画の世界とは少し違う。何が正しい指導方なのかは、考えさせられる。私がその課長なら、それをする勇気?はない。その部下は図面を描くセンスが無かったのだろう。それが課長の逆鱗に触れた? それは人事の問題となる。センスのない人がいくら頑張っても、芸術作品はできない。それと同じである。

 

 彫刻家の平櫛田中は、生徒に何も言わない師であった。あるとき、ある生徒がたまりかねて、自分の作品を見せて「何かご意見はないでしょうか?」と問うた。平櫛田中は少し考えて、「もう少し何とかなりませんか」と指導したそうだ。それが本当の師である。その回答は、生徒自身の中にある。上から押し付けるものではない。

 

自分人生キャンパス 

 自分の人生も同じだ。誰かの指導でそのまま人生を歩いたら、ロボットである。自分で考えて、課題に対して答えを出す。自分と言う人生キャンパスに、色彩豊かな絵を描きたい。どんな色を使っても自由である。使わないのも自由だ。色とは自分の経験・才能である。私はそういう絵を自分人生キャンパスに描きたいと、模索を続けている。その人生キャンパスに、自分が歩いてきた道が描かれる。

 芸術の世界で、道なき道を切り開いている作家には、その生きざまが参考になる。私は作家にお会いする度に、いろいろとお話しを聞かせて頂いている。感謝である。

 

4k8a9380s

.

2024-02-19  久志能幾研究所通信 2831号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。