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2018年5月17日 (木)

恵比須軕の歴史と伝説(4/4)

「えびす」とは

 えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として、日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神である。古くから漁業の神でもあり、後に留守神、さらには商いの神ともされた。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさんとも呼称される。

 「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。

 

文献上の初出と本地仏

 「えびす」の最初の記録は平安時代末期の『伊呂波字類抄』(三巻本)である。そこには広田神社の末社として10社が列記される中に「夷 毘沙門」「三郎殿 不動明王」の2社があり、夷と三郎はまったく別の神であった。少し時代が下がって鎌倉時代初頭の『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」「三郎殿 毘沙門」とあり、両者の本地仏が入れ替わっているが、これはどちらかが単なる誤りなのか、新説として後から修正されたということなのか、もとから両説が併存していたのかはわからない。が、次第に両者が混同されて「夷三郎」という神格ができていく過程が窺われる。この広田神社の末社という2社が統合されたのが現在の西宮神社の前身と考えられている。

 

漁業神

 恵比寿自体が大漁旗の図版として使われるほどポピュラーな漁業神であるが、日本各地の漁村ではイルカやクジラやジンベエザメなどを「えびす」とも呼んで、現在でも漁業神として祀る地域が多数ある。

 

福神

 平安時代末期にはえびすを市場の神(市神)として祀った記録が残っており、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮境内で市神としてえびすを祀ったという。このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れたとされる。同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱とされる。福神としてのえびすは、ふくよかな笑顔(えびす顔)で描写されている。

 

他の神との習合

 えびすは記紀に出てこない神であるため、古くから記紀の中に該当する神を探しだす説がいろいろ出てきた。蛭子、事代主神、少名比古那神、火々出見命(山幸彦)等の諸説があるが、えびすを祀る全国の神社では蛭子説と事代主神説が圧倒的に多い。

 

蛭子命

 記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったために流し捨てられたとされる。その神話を受け、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、2神は同一視されるようになった。このえびすを蛭子命と見る説は、室町時代のころに現われたものであり、えびすを夷三郎と呼ぶのは『日本書紀』において3番目に生まれたことによるとされるが、本来は夷と三郎は別々の神だったのが混同されたものである。

 蛭子命の漂着の伝承は各地にあるが、その代表が兵庫県西宮市の西宮神社とされている。西宮神社はえびすという名の神を祀った神社としては現存する記録上で最古であるため、全国のえびす神社の総本宮とされる。

 以上、wikipediaより編集

 

大垣の蛭子神社

 大垣八幡神社の近くにある蛭子神社の「蛭子」とは変な名前だなと思っていたが、今回の恵比寿の歴史を調べていて、記紀神話においての蛭子命であることを知った。大垣の蛭子神社の歴史と由緒を記載した立て看板をみたら、下記の如くその旨が記載されていた。今までこの看板を真剣に見ていなかったので、蛭子と恵比寿の関係には思いつかなかった。あれども見えず、である。今回、恵比寿軕の歴史を調べて出会ったご縁である。大垣まつりも、神話に基づいた恵比寿神を祀って370年の歴史を持つ。身近には歴史が埋まっている。昨年には、この経緯も知らず、この蛭子神社にのぼりを寄進したばかりである。商売繁盛の良きご縁であった。

以下、大垣の蛭子神社の歴史の看板

 

蛭子神社の歴史と由緒の概要

 一. 天正八年(約450年前)人皇第百録第正親町天皇の御宇無二オと云う人西宮神社の御分身(恵比寿大神の御分身)をお迎えして奉斎す。御神徳高く商売繁盛の福の神として参拝者多く社頭殷舞を極めしも何時しか衰退し其の名も世上より忘れられしが昭和二十年七月二十八日の空襲時に罹災御本堂及び諸建造物焼失せり。然るに御神体は奇しくも已に御出ましありて何の異常もなかりしかば氏子総代其の奇端に恐懼し崇拝者相寄り新本殿を造営奉斎し愈々御神徳の御発揚を祈念申し上げ崇敬の誠を致さんとす。

 二. 故に今日に伝わる一部の歴史を今回兵庫県西宮市西宮大社へ持参吉位宮司殿に提出せし処先方も文献と対照の上明らかに県下に唯一の御分身たる事を証明され・御神符・御守・御みくじ等一切を下付されました。

  蛭子神社

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神話と大垣まつり

 私の学校時代は、GHQの指令のせいか、学校で神話のお話は全く聞かなかった。GHQが禁止した。禁止したことさえ私は知らなかった。だから私は「蛭子命」も知らなかった。神話は史実ではないが、その国の建国に関する文化である。神様とは我が国を守ってくれる存在だ。その後継者が天皇である。日本と国民の平和を祈るのが主な仕事である元首は、世界でも天皇陛下以外にいない。世界一長い歴史と平和を愛するすばらしい伝統のあるこの国に誇りを持つように、子供たちを教育すべきだと思う。子供たちがお祭りに参加して、その文化の一端に接することは良いことだと思う。

 日本は、ヨーロッパから勝手に移住して800万人の原住民インディアンを虐殺して建国した自由の国、米国とは違うのだ。自国民の数千万人を虐殺して建国した共産国家とは違うとの誇りを持ちたい。大垣まつりは、日本の歴史を誇りに思わせてくれる。

 

恵比寿様は笑顔の神様

 幸せな笑い顔は、えびす顔といわれる。笑顔が人を幸せにしてくれる。一部の富裕層だけが儲けて笑いが止まらず、世の富の99%も独占するグローバル経済主義では、世界は幸せになれない。

 福沢諭吉は、その著書『学問のすすめ』で「孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。」と明言を述べている。恵比寿様は、それを諭す笑顔の神様である。

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2018-05-17

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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