国宝「彦根屏風」を見学
2018年5月4日、彦根城博物館で国宝「彦根屏風」を見学した。この屏風は年に4月ごろの1回しか公開されないので、なかなか見る機会がない。それ以外の時期は複製が展示されている。彦根駅の壁面にもこの実物大の写真が掲示されている。4月12日に、馬場恵峰先生をこの彦根城博物館に案内したおり、この屏風の公開日を知って、今回見学した。
彦根城博物館
彦根城博物館は、1987年、彦根城表御殿跡地にその復元を兼ねて建てられた博物館である。彦根は、徳川幕府の重鎮の井伊家が代々彦根藩主を勤め、城下町として栄え、数々の歴史・文化を育んできた。井伊家には豊富な美術工芸品や古文書が伝えられている。その数は約4万5千点にのぼり、彦根城博物館所蔵資料の中核となっている。その他、彦根および彦根藩に関する資料も収集しており、収蔵資料は9万1千件を超える。
彦根屏風
彦根屏風は、江戸時代初期に描かれた遊里の風俗画である。紙本金地著色、六曲一隻、縦94.0cm横271.0cm(本紙のみ)の中屏風画である。当時の風俗が良くわかる絵である。近世初期風俗画の代表作の1つで、浮世絵の源流とも言われる。描かれた場面は近世初期、京都六条柳町の遊里である。
着物の描写も胡紛で立体的に表現されていて細やかい。女性の髪の毛も緻密に描かれている。
右から4人目の遊女が男性の髷を結っているが、これが後に女性全般に広がった。当時の遊女はファッションリーダーでもあった。その女性の横に描かれた洋犬は、洋犬を飼うことが当時の最新のファッシンであったことを表している。
右から2人目の女性は、濡れそぼった髪を垂らし、華やかな場に不釣り合いな芭蕉文様の着流しを着ている。世の無常を説く謡曲「芭蕉」に登場する芭蕉の精が重ね合わされている。
屏風の中央に位置する禿(かむろ)は、屏風の絵の構成上で、室内と室外の描写をつなぐ重要な役割を担う。指先の構図の意味は、諸説がある。禿とは、遊女見習いの幼女である。禿は、最上級の太夫や、または花魁と呼ばれた高級女郎の下について、身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学んだ。
タバコ盆に描かれた喫煙文化は、南蛮貿易からもたらされた。
屏風中の後ろに描かれた屏風の画は、当時から150年も前に流行した周文様式の山水画をほぼ完璧に描いている。これなどから、この絵師が高い技量を持っていたと推定される。
製作時期
制作年代は、類品との比較や金地の使い方などから、寛永年間、特に寛永6年(1629年)前後から11年(1634年)の間だと推測される。この時代、風紀の取り締まりが厳しくなっていき、絵のような情景は急速に失われつつあった。この絵の発注者及び絵師は、かつて自分たちが楽しみ、今無くなりつつある情景を追憶するために制作されたとも推測できる。屏風や軸は当時の考え方や思想を反映している。絵は歴史の物語を秘めている。
屏風の購入者
この屏風の購入者は井伊直弼との説もあるが、その禁欲的な性格から見て考えにくく、洗練された美意識をもち、趣味も広かった井伊直亮が購入したとの説が有力である。
以上は、彦根城博物館内の説明資料、wikipediaを参考に記述。
美術品の撮影許可
この彦根城博物館では、フラッシュを焚かなければ撮影可というのが嬉しい。欧米の美術館では常識だが、日本の美術館や寺院では殆どが撮影禁止である。是非、この世界の常識を広めて欲しい。日本の美術館の常識は世界の非常識である。
寺院でも仏像の撮影禁止のお寺が多い。仏像は日本のお宝である。寺院の自己都合で撮影禁止にして欲しくない。仏様の意向に反していると思う。
なおこの屏風の詳細は、彦根城博物館のHP上で、「彦根屏風」をルーペで拡大して鑑賞することができる。彦根城博物館の配慮に感謝。
「彦根屏風」 http://hikone-castle-museum.jp/collection/331.html
文化の恩人
この屏風は井伊家の持ち物であったが、相続税支払いの関係で彦根から流失寸前であった。スーパーマーケットチェーン平和堂を一代で築き上げた夏原平次郎氏(1919- 2010)が、1997年に12億円を彦根市に寄付して、彦根屏風を彦根市に残す恩恵を授けた。彦根のお宝が守られて、ありがたいこと。感謝。
2018-05-18
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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