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2018年8月 7日 (火)

貴船神社(大垣)の例祭に参列

 2018年8月5日、元気ハツラツで本町通りをぶらついていたら、町内の放送で、「本日11時から貴船神社で例祭を行いますので、町内の皆様はご参列ください」とアナウンスがあった。ご縁を感じて参列することにした。

 見れば高校の仲間が、この町内のお役目として、この神事で走り回っていた。当日の例祭で忙しいので、当日の同窓会も欠席とか。大垣に還って8年間で、この神社には数百回もお参りしているが、例祭に参加したのは、初めてである。よきご縁をいただき感謝である。

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貴船神社の宮司の挨拶

 一通り例祭の儀式が終わり、最後に、京都の貴船神社禰宜の三木金房様より、挨拶があった。テレビにも頻繁に顔を出される有名なお方とか。それをまとめると(一部、三木様の解説に私論を補足)下記のようであった。

 

日本人にとって神様

 日本では、水の神様、風の神様、太陽の神様、海の神様、山の神様、と昔から日本人は自然に神が宿るとしてあがめてきた。日本人は自然と一体となって生活をしてきた。

 世界には800の活火山があるが、そのうち1割が日本にある。日本の国土面積は全世界の国土面積中で0.25%の占有率なのに、驚異的な割合である。それだけ日本の土地は生きているといえる。

 日本は、世界の国から見れば、温暖な気候で自然との融和が大事にされてきた。砂漠の極暑の気候や、シベリアのような極寒の地域ではないことに感謝である。日本では太陽は恵みの源と表現されるが、インドでは太陽は灼熱の光を与える悪魔と忌み嫌われる。同じ自然でも地域によって全く感性が異なる。日本人は豊かな自然の恵みを素直に受け止められる、自然と一体となって暮らすことができる幸せな民族なのだ。西洋では、登山に成功したら、自然を征服したなどと、傲慢な表現が多い。日本人はそんな表現はしない。

 

神仏一体

 しかし、自然の神様と人間とは尺度が多少は違うので、程よい自然環境とはなかなかなりがたく、神様の基準とは折り合いが悪かった。それが時として自然災害として人を襲う。しかし自然災害で人が亡くなっても、日本人は自然を恨むでもなく、人生の定めとして、亡くなった人を丁重に弔ってきた。そこに仏教が入ってきて、弔いの仏教儀式を日本人はすんなりと受け入れられた。日本人の神と仏の両方を崇める自然な姿勢が培われた。

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 京都の貴船神社禰宜の三木金房様の挨拶

貴船神社(京都)

 現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある貴船神社の総本社。例祭は6月1日。

概要

 絵馬発祥の杜を表す。貴船神社は、水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされ、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

 古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあることから絵馬が発祥したとも言われる。

 また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。

 

大垣貴船神社

 京都・貴船神社の分社である。大垣は水の都といわれるので、一番ご縁の深い神様でもある。主祭神は、高龗大神、家津御子命大神。例祭は8月5日。

由緒

 戸田氏鉄が摂津国尼崎藩藩主の時、京都の貴船神社から分社して祀ったのが始まり。戸田氏鉄が尼崎藩藩主の期間は元和2年(1616年)~寛永12年(1635年)であるので、分社はこの時期と推測される。

 戸田氏が寛永12年(1635年)に美濃国大垣藩に移封された際、当神社も大垣城内に移転した。

 明治4年(1871年)4月頃、大垣城下の本町の住民が旧藩主の戸田氏共に願い出、大垣城内の貴船神社と熊野神社を本町の鎮守として祀る。

              この項、wikipediaより編集

 

2018-08-07  久志能幾研究所 小田泰仙  

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