ウィーン楽聖のお墓に参拝
2017年4月20日午前、ウィーン中央墓地に参拝した。ウィーン中心部から車で15分ほどの場所にある中央墓地墓地に着き、正面の第2門をくぐり、しばらく墓地の中央の道を進むと、白亜の教会の左手前の一角が、ブラームス、モーツアルト、ベートベェン、シューベルト達の楽聖達のお墓がある名誉地区に着く。あいにく小雪混じりの天候で、春服の身には寒かったが、よき参拝であった。各お墓の前にはお花も添えられていている。楽聖の功績を称えて、世界から墓参する人が絶えない。静寂な雰囲気で、格調高いお墓の作りである。
ヨハンシュトラウスの墓所は、美術館に展示されるべきレベルの彫刻で、さすがオーストリア国歌を作曲した音楽家の墓所である。音楽の都の威信を表しているようだ。
惜しむらくは、ここでもチャイナ人達がうろうろして折角の荘厳な雰囲気が台無しである。チャイナのグループが、ブラームスのお墓の前でスマホの自撮りをしてはしゃいでいたのには幻滅である。墓所は観光地ではない。異教徒であっても、故人の墓所には敬意を払うのが、人間としての最低のマナーだ。それがないから、日頃の生活が殺伐として、血なまぐさい宗教がらみのテロが頻発する。
その後、正門からみて正面奥に建つ白亜のカール・ルェガー教会に参拝した。その内部はユーゲントシュティールの装飾が施され、美しくも華美でない荘厳な雰囲気である。内部に数人の観光客がいたが、しばらくして皆さんが退出されたので、静寂な教会内の祈りのベンチに腰を掛けて、しばし思索にふけった。死んでしまえば、キリスト教も仏教も宗派は関係ない。生あるものは必ず死ぬ。その手続きとしての方便で宗教があるだけで、生前にいかに世のために尽くしたかが、問われるだけだ。静かな教会内でその思いを新たにした。
ウィーン到着日の4月27日、ネット情報で尊敬する渡部昇一師の訃報に接して、虚しい思いに駆られた。師はその著書で95歳まで生きる術を述べられていたので、まさか86歳で亡くなられるとは意外であった。ご冥福をお祈りします。師の訃報に接して人生を急がねばとの思いも湧いてきた。
興味深かいのは、死の場所にある教会と生の現場にある教会の内部の造りの差である。現世の場の教会は荘厳ではあるが、壮大で威圧的である。それに対して死の場所の教会は優しく穏やかな時が流れる雰囲気である。
図1 上:ウィーン中央墓地 楽聖の名誉墓地区域 2017年4月24日
左からベートーヴェン、モーツアルト、ヨハンシュトラウス、ブラームスのお墓
図2 ブラームス(手前)とヨハンシュトラウス(奥)のお墓
図3 墓所で自撮りをするチャイナ人グループ
聖なる場所で自撮りしてはしゃがないで欲しい。不敬です。
図4、5 カール・ルェガー教会の礼拝堂
死の場所にある教会で静かで端正で厳かである
図6 ウィーン市の中央に建つ市最大のカルス教会の礼拝堂
生の場所にある教会で荘厳で威厳がある。石の文化の象徴の建物。
久志能幾研究所 小田泰仙記 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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