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2020年8月20日 (木)

仕事とは祈り

 祈るとは、頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚になり、反省すること。そこから時間創出の智慧が出てくる。喧騒たる働きだけでは智慧は生み出せない。傲慢な生き方からは、智慧は生まれない。

 

祈りの長い人

 お祈り時間の長い人は不幸な人が多い。幸福な人はお祈り時間が短い。それはお祈りではなく、神仏への感謝の報告である。不幸な人が、自分のやるべきことを放棄して神仏へのお願いに時間をかける。そんな時間があれば、公園草取りでも、家前の道掃除でも、人様のお役に立つことをやればよい。

 お祈り時間の長い人は全て他力本願である。それで幸福になれない。仏様の教えは「まず自分のやるべきことをやりなさい。そうすれば10年後に利子をつけて返してあげる」である。それを「お賽銭を入れた。人様以上に長くお祈りをしたので、直ぐに配当をくれ」では神も仏もあったものではない。神社仏閣は、お願いをしてお賽銭を入れればご利益がでてくる自動販売機設置場所ではない。そう信じている人は、お祈り時間が長い。

 

仕事とは祈りである

 幸福な人は、仕事をすることで、社会に貢献している。そして儲かれば税金を納めて、社会のお役にたっている。幸せな人は奪う人ではなく、与える人である。

 祈りの長い人は、棚ぼたを信じて口を空け、待つだけの人である。

 

祈りの長い人

 某老女のお祈り時間は約20分間余と長い。ご丁寧にお寺の入り口に自転車を置き、入口を封鎖してのお祈りである。お参りにくる人に迷惑になるので、私は注意したが、「片方が空いているので問題ない」と意地になって反論した。人様へのご迷惑は、お願いの祈りに没頭して眼中にはなかった。こうなっては仏様もお手上げだ。その後、隣の八幡神社でも同じように長時間のお祈りであった。そこでも東口鳥居のど真ん中に自転車を置いてのお祈りであった。

 南園堂の不空羂索観音様や大日入来様、延命地蔵菩薩様だけでは心もとないので、八幡神宮の天照大神様にも二股をかけている。二股をかけられては、観音様も気を悪くするでしょうに。

 

 祈りとは何かを考えよう。祈りとは自分を謙虚にする修行である。謙虚でなければ、周りが見えない。大義名分に囚われて、我々も同じようなことをしてないだろうか。

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信心深い利己の人

 私が、年に数十万円の商品を買っていた馴染みお店があった。そのお店のご主人は、非常に信心深いので、格別の親交があった。お供えのお花の保全の件でも教えてもらった。

 2017年頃、河村義子先生主催の演奏会の資金的支援を、この人にお願いに行った。子供たちを120名招待して「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトである。趣旨をご主人に話したが、支援はけんもほろろに断られた。それで彼が佛に信心深いのは、自分の幸せのためだけであって、利他の心は全くないことが判明した。それ以来、そのお店で商品を買うのを止めた。

 

資金集めの苦労

 当時、私は「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトのため、寄付を募って多くのお店を訪問したが、殆ど成果がなかった。それそれ以来、各所に寄付をお願いに回るのに虚無感を覚えて、その寄付集めの運動を止めた。それで私は持ち出しの支援をすることにした。毎回20万円の寄付である。

 勿論、大垣市はこの種の芸術活動への金銭的支援を全くしない。毎回支援をしてくれる市内の都市銀行でも、横並びで一口2万円の支援だけである。それも河村義子先生が直々頭取にお願いしてのこと。百貨店の事業部長に、何度も足を運んで支援をお願いしてが、結果は1万円だけの寄付であった。もう一軒はなじみの文房具店からであった。結局、私は2件しか寄付を集められなかった。子ども達の為に資金集めで奔走された河村義子先生の苦労がしのばれた。

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 TIMMコンサートで招待した子供たちにベーゼンドルファーの説明をする河村義子先生

 

 他力本願の祈りとは: 全能の神仏を超越し、ニュートン法則や相対性理論の宇宙法則を捻じ曲げて、己のためだけの欲望を願う行為。

                       ビアス

 

2020-08-20 久志能幾研究所通信 1714  小田泰仙

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