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2020年10月17日 (土)

『極楽とんぼ』人力飛行機の頂点を目指して(1/2)

 

 自動車技術会中部支部は会誌として『宙舞』を発行している。その会誌に技術者達の挑戦する姿を伝えるシリーズ「挑戦」のコーナがあり、そこに人力飛行機「極楽とんぼ」の取り組みを取り上げた(2003年)。その記事の再編集・加筆版を掲載する。

 私は会誌の編集委員として、そのインタビューへの参加で、飛行機好きの私は、真っ先に手を上げて参加した。

 このインタビュー後、リーダの鈴木さんの挑戦ぶりに惚れこんで、しばらく「極楽とんぼ」の追いかけになってしまった。試験飛行の見学のため、飛騨エアパークや、調布飛行場、鳥人間コンテストにも足を伸ばしたという顛末つきであった。今まで仕事一筋であったが、これを機に飛行機に再度目覚めた出会いであった。

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   図2  日本記録更新時 2003年8月

 

シリーズ  -挑戦-   インタビュー

人力飛行機『極楽とんぼ』

   人力飛行機の頂点を目指して

  

1  ヤマハ発動機株式会社MC事業本部エンジン開発室 主査 鈴木正人

聞き手:小田 、

    吉川 誠(三菱自動車エンジニアリング(株))

         山本 信成(スズキ(株))

 

 チーム・エアロセプシーの人力飛行機「極楽とんぼ」が、2003年8月3日に10.9 kmを飛んで、公認日本記録を更新した。これの背景にはチームリーダー鈴木さんの30年に近い取り組みがあった。

 

人力飛行機との出会い

聞き手 人力飛行機に魅了されたのはいつごろでしたか。

鈴木  1975年の中学生の時に、本屋で見つけた航空雑誌の表紙に、日本大学の人力飛行機ストークスの写真が載っていました。0.1gでも軽く、精度は1㎜以下に抑えてとか、ストークスの技術の解説記事が書いてありました。それを見てすごいなと思って、自分で作ってみたいなと思いました。(図1)

聞き手 運命の出会いですね。1枚の写真、言葉、人との出会いでその後の人生が大きく変わるといったところでしょうか。

鈴木 ちょうど進学を考える頃ですね、その航空雑誌を見て、魅了されたのがきっかけですね。ああ、こういうのをやっている所があるんだと。もうここしかないなと思ったわけです(笑)。やりたいというか、作ってみたいというのは、技術屋の本能ですね。

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 図1 ストークス(日本大学 1975年)

 

聞き手  大学で研究された人力飛行機を、社会人になっても続けられた経緯は何でしたか。

鈴木  ヤマハに入社して人力飛行機を続けられるとは当然思っていませんでした。ところがヤマハは挑戦という姿勢に対して、こだわりを持っていますね(笑)。「少しはお金を使っていいから作ってみたら。ただしプライベートな時間で」といった経緯から始めました。

 最初は無名で、細々とやっていました。それが鳥人間コンテストに出場してテレビに出ますよね。この番組は視聴率が高いので、 結果として社内のファンが増えていきました。当初は良い結果が出せませんでした。そうしたら、「もうちょっとバックアップしてやるから、勝つまでヤレ」とか言われまして(笑)、「はあ?」という感じで、「エッ、いいんですか」(ニコッ)ということで、始めました。上の方が理解をしているので、ある部署に、「ちょっと面倒みてやれよ」みたいな成り行きでしたね。

聞き手  会社の目指す方向と合っていたわけですね。社員に対して夢を与えてくれるという会社のメッセージになりますね。

鈴木  そうですね。夢を実現させてくれる会社とのイメージ作りにもなりますし、僕はやりたいし、ギブ・アンド・テイクですね。会社とのベクトルが合っていますから、 「我々も生半可な気持ちではやりません。頂点を目指します」と宣言しました。その目指す目標は、最初は鳥人間コンテストの頂点、次は人力飛行機の世界の頂点ですね。それでだんだんやっているうちに、飛行機がレベルアップしてきて、琵琶湖対岸まで行ける可能性が見えてきました。初めて鳥人間コンテストに出た時って、目の前の対岸なんか、もう本当に景色でしたよ。「ああ、琵琶湖ってこんな景色で雄大だなぁ」なんて言っていたのが、まさか対岸に到達するなんて思いもしませんでした。それこそ地球で月を見ているようなものですね。(笑)

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 図3 日本記録更新時 2003年8月

 

集中とOFF

聞き手  メンバーの皆さんも含めて、どういう目的で推進されましたか。やっぱり好きだという?

鈴木  まず好きだというのはありますけど、全員、技術屋集団なんですね。対岸へ到達するとか、高い目的意識があり、強い意思があるともうそこに突っ走らざるを得ない。自分たちが、今もトップレベルにいて、頂点を目指しているというプライドも重なっていますね。これがもうダメダメチームで、結果に対して正確な分析もできないようなフニャフニャのチームだったら多分続いてないと思います。かっちりしています、我々って。14人が活動する時は、決められた日時は全部守ります。我々は1年単位で、活動計画を決めて行動しています。

 製作期間でいくと、1月~4月末までは、「毎週金曜の夜と土曜の終日は全員参加で活動し、余程の理由がない限りは没頭する。それができないのならチームを去って下さい」というような暗黙の規約があります。そうやって集中して活動し、次の5~7月はテスト期間です。「金曜日の夜中とか土曜日の早朝1時に集まって、富士川でのテストフライトには 100%参加するように」と。そういうような徹底した中で、納得いくメンバーが残っています。自然とそうなりますね。目的意識が感化されますし、但しメンバーはすごくメリハリをつけて、それ以外のプライベートな関わり合いは、無いように心掛けているみたいです。チームワークというと、仲良し感覚やグループでの活動や、同じユニフォームを着てとかありますが、うちは違います。休みとか飛行機の集まり以外の時は、全くみんな勝手にやって、決められた時だけ集まって活動し、パッと去っていきます。(図5,6,7)

聞き手  まるで軍隊ですね(笑)。

鈴木  僕はプロフェッショナルな考え方と思っています。例えばスタジオミュージシャンは、電車でスタジオへ来て、さあ録音するよと言うまでフラフラしていて、ハイ、じゃあ今からやりますからと、譜面が配られると急に目つきが変わり、急にプロの顔になって、短時間でパーッと仕事を終えて帰っていくという姿ですね。「なんなんだ、あの人達は?」って言われてね。やっぱり1年中このことを考えていたら、自滅すると思います。だからOFFの期間と集中する期間との区別をハッキリつけています。

聞き手  私の聞いた話では、日本刀の切れ味の素晴らしさは、作る過程で、熱する時間と冷やす時間をおき交互に繰り返して鍛えるからだ。ずうっと熱してばかりだとおかしくなっちゃうと。人間も同じだよと。

鈴木  そうなんですよ。だから僕らも7月末の鳥人間コンテストに毎年出ている時は、その大会が終わると、帰ってきてすぐ反省会をやります。項目と失敗事項を書き出します。その課題の洗い出しが終わった時点で、「じゃあね」って言って2ヵ月か3ヵ月ぐらい、もうみんな勝手に散らばって、気持ちをすっきりさせます。

 そろそろ来年の計画でも立てるかって、冬ぐらいに次モデルの機体設計とか改良点を検討して、年明けから作り始めます。それの繰り返しをやってきました。だから年間のうちの3ヵ月間ぐらいは、飛行機から離れています。人力飛行機の関係で、一流のスポーツ選手と自転車選手と一緒だった時期がありました。その辺からこの知恵を学びました。だから1年中練習していれば、強い選手になるとは言えないようです。やっぱり、気持ちの切り替えが必要で、OFFを何ヵ月か取ると、本当に好きで、やりたいなあという想いがあると、「俺はやっぱり飛行機をやりたい」という気持ちがふつふつと湧いて来ます。そういう気持ちの時に始めて、また暫く、ちょっと辛いけど集中してやれるようになるわけです。

聞き手  でもOFFの時は意外と潜在意識があって、いろんなアイデアが湧きますよね。

鈴木  当然歩きながらも考えていますよ。ただ辛い日々とか、拘束された日々からは解放されますからね。

聞き手  あれって、辛いですか。

鈴木  結構入り込んでやっている時は、辛いと思うことはありますね。仕事が忙しくて板挟みになっている時や、突発の事柄が入ったりすると結構辛いですね。でもやりたいとの想いが大きなエネルギーですね。

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  図5,6,7  早朝のテストフライト(富士川)

 

2020-10-17 久志能幾研究所通信 1790  小田泰仙

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