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2024年11月18日 (月)

人は4度死ぬ、仕事とは後世への遺産

訂正 「知りたることを教えざるは…」の発言者

 久志能幾研究所通信、2024年11月16日の銃後の教え 健康で長生きするためにの中で、「知りたることを教えざるは 金を借りて返さざるが如し」の発言者を福沢諭吉と表記しましたが、私の勘違いで、正しくは、石川理紀之助でした。

 訂正します。間違いのご指摘ありがとうございました。

 以前のブログ、2022年9月16日 (金) 伝えるとは、學ぶこと で、この言葉の原作者を記述しているのに、それをすっかり忘れて福沢諭吉と勘違いしました。訂正して、お詫び申し上げます。

 

 それほどに、福沢諭吉翁の多くの言葉は私に影響を与えています。言葉とも人生の出会いです。その言葉と出会ったからこそ、福沢諭吉翁は私の中で、まだ生きています。福沢諭吉が死んでも、その言葉を覚えている人がいる限る、彼はまだこの世に生きています。私もそんな人生を歩みたいと思います。

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 下記は、先日の「みとりし講演会」で、私がお話しをした一部です。

人は4度死ぬ

 一度目の死は、生きる屍となった時(ベッド上で生き永らえている)

  75歳以上は、25%が認知症、半分は寝たきりか病院通い

  男性の健康寿命は70歳、女性は73歳

 二度目の死は、肉体が滅んだ時(医学的、法律的な死)

 三度目の死は、その人を覚えている人が、亡くなり、故人の遺品が忘れ去られた時

 四度目の死は、日本民族が滅んだ時

  だから日本人の魂と日本を守るべき

  過去70年間で、180以上の国が消滅した。

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下記は私の好きな言葉(福沢諭吉翁の言葉)

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2024-11-18  久志能幾研究所通信 2971号  小田泰仙

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著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2024年11月17日 (日)

銃後の教え 健康で長生きするために

人生は戦争だ。弾の飛び交う戦場での心得

 

15の人生訓 (銃後の教え)

 

1 時間は命と考える。

  ある人と面会1時間とは、その人の命の一時間を頂いていること。

  人生80年として、29,200日しかない。

   そのうち、幼児期の6歳まで、終末期の自由に動けない9年間を引くと人生は65年である。

  そのうち、自由に使える時間は1日8時間。

  だから一生で、実質7900日しか時間がない。

2 人生は全て縁から始まる。ご縁を大事にする。

   人生は縁起が全て。

   どんなモノにも原因・縁起がある。なぜ何故を5回繰り返せ。

   「縁が無いという縁なき人」と争わない。そっとその人から身を引く。

   お釈迦様でさえも「縁なき衆生、度し難い」と達観されている。

3 どんな事があっても、生きているだけ幸せと思え

  一つの命が生まれる確率は、1億円の宝くじが百万回連続で当たると同じ。

4 一生かかっても実現できない夢を持つ。

  棒ほど願って、針ほど叶う。

  千里の道も一歩から

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5 きょうようときょういくを持つ

  今日やるべき用がある。今日行くべきところがある。

  そのために、小さなことでよいので、地域貢献をしよう。

  「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」ではいけない。

 

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 死を恐れず、健康を損なうことを恐れよ

  死は神仏の管理。健康は人の管理項目。

  自分の体の状態に無関心では簡単に病気になる。

7 金は人生劇場の入場料と心得る。

  カネを使って人生経験を詰めないと、詰まらない人生となる

  カネはあの世に持って行けない。死ぬ時にはゼロ円にしよう。

8 未来は変えられないが、過去は変えられる。

   過去の嫌な経験を修行として考える。

   それがあったから、今の自分に成長できた。

   そう思わない人が、人生を暗い末路にする。

9 利他の精神で生きる

   五右衛門風呂の定理で、やったことは自分に帰ってくる。

10 神仏ご先祖を敬う、神仏に頼みごとをしない

11 近い将来、壇上で講演している姿を思い描く

   知りたることを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し

                 (石川理紀之助

12 孤独を愛し、孤立を避ける

   孤独でないと、精神的成長ができない

    集団に群れれば、人格を育てられない。

13 ユーモアを忘れない。

    余裕なき人生は、地獄行き。

14 人生劇場の舞台では笑顔の仮面で

   舞台だからペルソナ(仮面)(ラテン語)を被って演技をしよう。

    そのうち、それが自分の性格となる。

   しかめっ面は、玄関に髑髏をぶらさげるようなもの。

   パーソナリティとは、ペルソナから派生した言葉

15 常に第三者の目を持て、冷静に

  どんな悲劇も一歩下がって眺めれば、喜劇である。

 

2024-11-16  久志能幾研究所通信 2970号  小田泰仙

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2024年11月16日 (土)

第4回みとりし講演会(2)、事実は小説よりも喜なり

 10月27日に第3回、11月7日に第4回「みとりし講演会」を開催した。平日でもあったので、参加者は各5名、4名と少なかった。しかし今回、奇跡のような出会いがあり、「事実は小説よりも奇(喜)なり」を経験した。奇ではなく、私には大きな喜びであった。

 

 第3回「みとりし講演会」の前日で、参加予定者は3名と少なかった。私が夕刻、帰宅した折、自宅前の広場で、近所の高齢の婦人が2名立ち話をしていた。それで藁にもすがる思いで、二人に翌日の「みとり講演会」の開催を再告知した。

 一人は参加する意思はなかったようだが、もう一人の方が「小田さんが一生懸命にやっているので、可哀そう(?)だから、一緒に出てあげよう」ともう一人をその日の夜、電話で誘い、講演会に参加してくれた。誘われたその一人が、この25年間、私が探していた北尾家の末裔の家であった。

 当日、私がプレゼン資料のパワーポイントで家系図を使い、命の継続の大事さを説明した。そうしたら、その一人が家系図のその人(北尾春圃)が自分の家系のご先祖だと言う。私はそんなつもりで我家の家系図を示したわけではなかった。結果として、それでその人が北尾家の末裔(私の祖母系の血筋)と結婚した家の人だと判明した。

 それもその家は、私の家から100mほど離れた場所で、同じ町内である。この50年間、それを知らずに、我が家族は住んでいた。

 その人の紹介で、第4回「みとりし講演会」で北尾家の本家の末裔が参加してもらうことになった。まさに奇跡のようなご縁である。

 

 一生懸命にやっていると仏様が、佛縁を授けて頂けるものと納得した。300年前のご先祖である北尾道仙を探し始めて、15年目に没年と生誕地(大垣)が分かり、お寺の過去帳でそれの確認が出来た。それで、2015年、北尾道仙のお墓を再建した。それから9年が経ち、道仙の父が北尾春圃であることが分かり、その末裔が見つかった。

 北尾道仙がどういう人物なのかを調べ始めて、25年目での発見である。奇跡は起こるものなのだ。私が「みとりし講演会」を始めなければ、起きなかった奇跡である。前日に、立ち話をしていた人に声をかけなければ起きなかったご縁である。

きちんとご先祖のお墓を再建し、ご先祖の法要を続けていたことに対する佛様からのご褒美でもあるだろう。

 

2024-11-16  久志能幾研究所通信 2969号  小田泰仙

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2024年10月15日 (火)

何故あの仲間たちは死んだのか?

 

 自分はこの人生劇場の主人公である。他の知人もまたその人の人生劇場の主人公である。

 この10年程かけて記述した(自分が主人公の)『自分史(人生という本)』(A4版で約700頁(400字詰め原稿用紙で約2,800枚)を読み直し、あの時、あの人は、何故死んだのかを考えている。

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 会社勤め38年間で、一緒に仕事をした仲間の20名余もが定年前に世を去った。その原因は何だったのだろう?と分析をした。

 またなぜ自分が生き延びられたかも考えている。


久志能幾研究所通信: 西部戦線異状なし  (enjoy.jp)

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2017/11/post-d9b4.html

 

寿命を全うできなかった理由 

1 会社には7人の敵がいることを知らなかった。

2 健康情報を軽視した。

3 生きる意味を知らなかった。

4 自分の体力を過信した。

5 自分がウサギなのに、ライオンに歯向かった

6 体調が悪いのに我慢して出勤していた。

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 事例 

1 会社には7人の敵がいることを知らなかった。

  私は、母から「男が外に出れば7人の敵がいる」と教えられた。

  それを認識しない仲間の一人は、そのために命を落とした。

 宮仕えでは、辞令一つでどこにでも飛ばされる。人事は、究極、上司の好き嫌い。

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2 健康情報を軽視した。

 将来を期待された若者であったが、独身時代の食生活が良くなかったようだ。結果として若年性認知症になり、40歳前後で世を去った。

 今検証すると、頭は良かったが健康に関する意識が疎かったようだ。多分、四毒を頻繁に摂っていたようだ。

 

3 生きる意味を知らなかった。

 第二次世界大戦後にシベリア抑留をした人が言うには、頑強な若者でも、生きる意味を失うと、あっけないほど早く死んだという。朝起きると、隣のベッドで若者が冷たくなっていたという。父もシベリア抑留を経験したが、生きて帰れたので、今の私の命がある。

 アウシュビッツ強制収容所から生還したヴィクトール・E・フランクル(『夜と霧』の著者)は、この収容所の生活も人生で意味がある経験と考え、全力で生きた。だから地獄の強制収容所から生還できた。

 1992年頃、バブル崩壊で前職の会社も大騒動になった。アホな経営者が「全社一丸となって頑張って乗り切ろう」と、知性を捨て、精神論丸出しで、事務職まで現場応援の緊急体制を取った。慣れない現場のライン作業で、私の仲間は家族を離れた臨時の寮で、ある朝、冷たくなっていた。多分、その現場応援という現実が生きる意味を打ち砕いたのだろう。経営者が犯した殺人であると思う。

 戦後の不景気に、松下幸之助社長は、仕事のない時期、従業員の勤務時間を教育と社内整備、掃除に当てたという。不景気が終わったら、業績は他社より格別して延びたという。それこそが経営者の判断だ。

 

4 自分の体力を過信した。

 その先輩は、頻繁にマラソンで体を酷使するわと、ハワイマラソンにも出るなど、体力を自慢していた。

 私は若い頃から、激しい運動は過酸化酸素が体をいためるからと注意をしていた。彼は笑って私の忠告を無視していた。

 彼には『スポーツは体に悪い』という本で紹介したが、無視された。激しい運動をすると体内に過酸化酸素が作られ、体を老化させる。

 彼は、還暦後に歯のインプラント手術もして歯を矯正した。彼はインプラントの危険性を調べなかったようだ。

 私も2013年頃、インプラントを歯医者より勧められた。手術直前にその危険性を知り、当日の手術2時間前にドタキャンした。危ないところだった。家のリフォーム工事を請け負ってくれた業者の人が、インプラントの危険性を教えてくれて、命拾いをした。その人が私の健康を気にして、連絡をしてくれた。これもご縁である。

 彼は70過ぎでガンになり、人知れず亡くなっていた。その死を知ったのは、死後半年後であった。死後のお参りにも行けず、心残りであったが、縁なき縁であったと思うことにした。

 

5 自分がウサギなのに、ライオンに歯向かった

 一年後輩の仲間は、上司に些細なことで盾ついて、後年、フランスの出先に飛ばされた。純粋な技術屋の彼には二の思い勤務だったようだ。現地で体を壊して、帰国後2年で返らぬ人となった。まだ50代前半である。

 上司は権力を持っている。逆らうとは、自分がウサギなのに、ライオンに歯向う事なのだ。宮仕えには鉄の掟がある。彼はそれを安易に考えたため、命を落とした。

 

6 体調が悪いのに我慢して出勤していた。

 朝、体調が悪いと会社を休んで病院に行ったら、そのまま帰らぬ人となった。

 部署的に、合併後の2つの会社のいがみ合いを調整する立場で、心労が絶えなかったのだろう。

 自分は人生の主人公である。仕事で体調が悪くなるようなら、その職場を去る決断をしても良いはずだ。彼はそれができなかった。

 

7 処遇に不満を持ち、会社を辞め、もっと地獄な会社に転職した。

 彼が会社を辞める時「あんなにがんばったのに」というぼやきをきいたことがある。どんなに努力をしても、その評価をするのは上司である。その冷酷な掟を彼は軽視したようだ。

 今の階段でうまくいかないのに、別の階段でうまくいくわけがない。まず今いる階段で、どうやってリカバリするかを考えるべきだ。彼はそれが出来なかった。

 彼は現状に不満を抱き、会社を辞め、地獄な会社に転職した。その会社はリストラの嵐が吹き荒れる寸前の会社であった。社内派閥争いの絶えない松下電器である。過酷な労働環境で(精神的に)、彼はスキルス性のガンになり、半年で命を落とした。

 なぜ今のままを我慢できなかったかと残念に思う。

 

何故、自分は生き延びられたか

 神仏の加護、ご先祖の加護があり、運が強かったと思うしかない。また私は若い頃から、毎朝の読経(修証義)を欠かさなかった。修証義は生きる哲学が述べられている。これを体得したのが良かったのだろう。

 これからも神仏ご先祖に感謝して生きようと決意した。

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2024-10-13  久志能幾研究所通信 2959号  小田泰仙

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2024年10月12日 (土)

最高の人生は「今日無事」から、おから人生を避ける 

 

 先日、ディジュリドゥの師に、私が「10年後にご先祖の300回忌を執り行うために頑張っている」と話したら、諌められた。

 師は以前に脳梗塞で倒れ、一時心肺停止となったという。そこから奇跡的に生き返ったが、障害等級2級の後遺症が残った。それをなんとかディジュリドゥを使ってのリハビリで社会復帰できた。その師が私に下記のように諫めた。

 

 「貴方(私)が、10年後のご先祖の300回忌を目指して頑張ると言うが、それでは必ずどこかで無理をする。それが体には悪い影響を与える。50歳を過ぎると、若い時のような頑張りは出来ない。過度な頑張りが体に負荷をかける」、と。

 

 自分の過去を振り返り、思ったことは、人の明日は分からない、である。私の仕事仲間も多く定年前に亡くなっている。だからがんを経験し、その治療過程で多くの学びを得た。

 今日と明日を考え、今日を感謝して大事に生きる。その毎日の積み重ねで、結果として10年が経つのは良い。しかし10年後を目指して生きると、どこかで無理をして破綻する。

 

体への負荷

 師の言葉で私も目が覚めた。私がガンになったのは、頑張り過ぎたためだ。ガンのかなりの原因は、ストレスと食事の油断であった。他山の石として、多くの仲間が還暦前にこの世を去った実例を思い出した。

 まず今日を心穏やかに人間として生きる。ストレスなく、自分の37兆個の細胞にストレスを与えない食事をする。四毒の食事をしない。毒のある人間関係を送らない。夜更かし等の体に負荷をかける生活をしない。利他の心で生きる。そこから始めよう。

 

蟻の穴から堤も崩れる

 毎日の点が繋がって線になる。線が繋がって、面となる。面が重なり立体をつくる。それば人生の形である。つまり人生は毎日の点から成っている。点が大切なのだ。

 

 その点が、添加物のない、良質な点(正しい生活)に積み重ねの点であれば、丈夫な線となる。一か所でも不良品の点があれば、全体が崩れてしまう。

 それはまるで中国のおから工事の建造物のようだ。レンガ造りの建屋は、小さなレンガブロックを積み重ねて創られる。そのレンガが一つでも不良品であれば、レンガ造りの建屋は何時か崩壊する。

 自分の体は37兆個の細胞の積み重ねで出来ている建造物である。その細胞積み重ね構造をおから工事にしてはならない。

 

蟻の穴

 蟻の穴から堤も崩れる。(韓非子)

 たかが蟻の穴ぐらいと思って油断していると、堅固につくった堤防でも崩れることがある。些細(ささい)な欠陥がもとになって、天下の大事を招くこともあるというたとえである。

 人生も点の集まりだ。その一点(病気をして、いい加減な生活で)が崩れると、人生が崩壊するやも知れぬ。ご用心ご用心。

 

大凶

 中国の占いの世界でも、最高の人生とは、何もない平凡な人生である。波乱万丈で最後に成功しても、その人生は「大凶」である。

 「毎日、真っ黒になって働き、時が来れば静かに世を去っていく」、そういう人が国の宝であると安岡正篤師はいう。

 

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 「今日無事」の書   馬場恵峰書

 

2024-10-12  久志能幾研究所通信 2958号  小田泰仙

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2024年9月17日 (火)

鳴かぬならトヨタ教。信長・秀吉・家康を凌駕

 

ホトトギス 鳴かぬなら 殺してしまえ   信長

ホトトギス 鳴かぬなら 鳴かせて見せよう 秀吉

ホトトギス 鳴かぬなら 鳴くまで待とう  家康

ホトトギス 鳴かぬなら 鳴かぬもまたよし 松下幸之助

ホトトギス 鳴かぬなら 何故なぜ五回   トヨタ教

 

 トヨタ生産方式では、鳴かぬ原因を「何故なぜを5回繰り返し」で真因を見つけて問題を解決する。

 「鳴かぬなら」を「この病気が治せないなら」に置き直して、その真因を探せば、人生が変わる。

 

縁尋機妙 多逢聖因

  良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある。いい人に交わっていると良い結果に恵まれる。(安岡正篤師の言葉)

 私はガンの治療を通して、ガン治療がいまだ混迷の時代で、多くの医療機関が模索の中で、よい医者と多く出会い、良い本と多く出会い、この「縁尋機妙 多逢聖因」を体感した。

 

 癌専門医でも、まだガンの原因が分かっていない。だから癌専門医も医院によって治療方法が違う。医師もガンになる時代である。日本人の2人に一人ががんになる環境である。

 だからガンを治すには、多くの良い医師の意見を聞き、多くの専門書を読んで、自分自身で正しい答を出すことだ。多くの医師に逢えば、どんな医師が良い医師なのかがわかってくる。なぜ何故を繰り返し、正解を求めて全国を探し回ることだ。多くの縁と交わるうち、その中から良い縁が発展していく様は誠に妙なるものがある。良きご縁で次の解決策のヒントが見つかる。

 先日、船戸クリニックで、ディジュリデュ演奏家の小坂師に出会ったのも縁尋機妙多逢聖因である。

 

久志能幾研究所通信

薬膳の洗礼(4)縁起、脳幹を揺さぶられる

 

 

ガン専門医をたずねて三千里

 私はがんセンターでの標準治療の抗がん剤治療を拒否して、薬剤医とけんか別れをした。命の保証はしないと脅されたが、決意は変わらなかった。

 それからガンの再発防止治療を全国で探し回った。癌関係の本も50冊ほど集めて研究した。東京目黒区、名古屋市伏見、福岡県久留米市、岐阜県養老町の病院へも足を運び、ガンの再発防止治療を模索した。

 お陰様で手術5年後、まだ生きている。当初の5年後生存率は51.6%であった。同じ病気の人が、5年後、2人に一人は死ぬ状態であった。トヨタ生産方式教の念仏「何故なぜを5回繰り返し」の教えに感謝である。仏教での世界は必ず因果応報である。事象が起きれば、その因が必ず存在する。それを「何故なぜを5回繰り返し」て見つけるだけだ。

 

トヨタ教の念仏

 トヨタマンは金太郎飴と呼ばれる。飴の何処を切っても、金太郎が顔をだす。トヨタマンは豊田綱領、トヨタ生産方式に帰依しそれを愚直に守っている。そうしてド田舎のトヨタが世界一の自動車メーカになった。トヨタ教の念仏「効験あらたか」である。

 

豊田綱領

  • 一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし
  • 一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
  • 一、華美を戒め、質実剛健たるべし
  • 一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
  • 一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

 

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2024-09-17  久志能幾研究所通信 2943号  小田泰仙

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2024年9月10日 (火)

患者の脈を診て、会社の相を見て、経営診断

 

 私の11世代前の祖先の北尾春圃は、患者の脈を診て病名を当てたという名医であった。北尾春圃は、患者の体の経営状態を診断した。

 その血が私に影響するようで、自分は相手の観相、行動、言動を見て、おおよその人間像を当てる自信がある。しかしそれは常識の範囲である。多くの人は欲に釣られて、常識の目が曇らされているだけである。私は名前のように、仙人のような生活をしているから、素直な目で視るから、ものごとがよく見える。

 

 だから、おかしな相手から見えない背後霊?(警報信号)が出ているのが見えたら、その縁を遠ざけている。それで今まで多くの危険な縁を避けることができた。獲物の狙うように寄ってきた宗教狂団(阿含宗、N仏宗、統一教会、りーウェイ、太陽光パネル販売狂)の誘いにも、確固たる信念で拒否できた。それで破産の危機を救われた。

 

会社診断、人物診断

 自分は会社の社是、役員の言動、社員の行動、会社の行動、下請けの仕事を見て、その会社のレベルを見ている。その手法で、大垣ガス㈱の腐敗体質を見抜いた。それで大垣ガスを止め、オール電化にした。

 

 自分はその都市の行政を見て、市長の人格、市制のレベルを見る判定した。それで前大垣市長には辞めてもらった。

 

 数年前、M会社のオーナから、会社の診断を依頼された。その会社の経理分析をしたら、不正が疑われた。調査分析したのは、公的な会社の四半期ごとの会社報告書だけである。それを基に詳細を現場で調査中に、その側近(オーナの娘婿の元警察関係者)から脅迫されて、身を引いた。

 知人の地方銀行元支店長に相談したら、「相手は闇の勢力につながっているので、個人で闇夜にその筋から狙われたら防ぎようがない。闇夜に刺されてそのままだよ。警察も不審死として扱うだけだよ。身を引いた方が良い」と。それで助言に従って、その調査から身を引いた。

 その後、その会社は経営不振になり、人員整理を行い、結果として、同業の会社に吸収されて、会社名が変わった。経営者も変わった。

 

サイコパス対応

 会社の財務、経営者、経営の姿を見れば、おおよそ会社が診断出来る。しかし、危ない会社とは、個人では「君子危うきに近寄らず」で身の安全を計った方がよい。個人で立向かうのは無謀である。

 例えば、今話題の兵庫県斎藤知事に、個人で歯向かうのは、ウサギがライオンの歯向かうようなもの。相手は権力と金を持っている。相手はサイコパスである。人に死をなんとも思っていない。サイコパスは、自分が被害者だと思い込んでいる。然るべき対策をして歯向かわないと、殺される。サイコパスの知事のせいで兵庫県職員が2名も亡くなった、殺人と同じである。

 

 

 私の見立て通り、その会社は2年後、崩壊した。上場の株式会社である。

 その関連会社のディーラが、現在、ビッグモーターのような不祥事を起こしているようだ。私もその被害を間接的に受けた。会社が変わっても、幹部が変わらないから、その会社の体質も変わらないようだ。

 

常識の話

 こういう診断は、特別の能力ではなく、常識で考えれば分かる話である。欲に釣られて相手に洗脳されるから、真実が見えなくなる。素直な目で、状況を観察しよう。

さらに財務の知識、経営の知識、心理学の知識、人相学、観相学、手相、体型学、の総合知識が有れば、冷静に人も会社も詳しく診断できる。

 こういう診断で、選択を迷っている羊の一人でも犠牲者が減れば、社会の役に立つ。

 

 

2024-09-10  久志能幾研究所通信 2938号  小田泰仙

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2024年9月 4日 (水)

賢者の言葉「「90歳になったら、家を建ててはいけないという法律でもあるのですか?」

 

 ピアニストの室井さんは、90歳で家を新築した。周りから散々反対をされて、彼女は「90歳になったら、家を建ててはいけないという法律でもあるのですか」と逆切れ(?)して家を新築した。彼女は現在100歳で、現役のピアニストである。

 この言葉に高齢者の私はどれだけ勇気づけられたことか。家だけではない。高齢者が夢を抱いて、その実現に向けて取り組む。それを支えてくれる言葉である。

 馬場恵峰先生は、60歳の時、家屋敷を担保に入れ、1億円の借金を背負って、日中友好資料館を建てた。24年かけて、その借金を返済した。その後ろ姿で、勇気を貰える。

 今が闇でもよい。闇から光に向かって歩く時、人は生き甲斐を感じる。止っていては、ニュートンの第一法則で、永遠に止まったままだ。自分でダイナモを回さないと、永遠に止まったままだ。

 

私の夢は、地震に強い家を建てること。

  南海トラフ巨大地震発生の危険性が高まる中、私は家の新築計画を立てている。

 順序として家の土台、家の構造方式を検討している。

 内装など、後からどうにでもなる。まず基礎(下積み)からである。

 内装は、人間で言えば、お化粧や服装である。後からどうにでもなる。

 

 家を造るための検討項目を、一つ一つ解決していく。

  まず現地現物で、各ハウスメーカで問題点を比較して課題を解決していく。疑問が出れば、まずハウスメーカの展示家屋を見に行く。フットワークが大事なのだ。頭も悪く忖度してくれる援助者もいない私は、その弱点をフットワークで補うしかない。

 それで多くのハウスメーカのモデルハウスを見学して、多くの知見を得た。各ハウスメーカの得意点、問題点が明らかになった。太陽光パネルや全館空調雄の問題点も明らかになった。ハウスメーカの思想も明らかになった。

 力と財力なき高齢者は行動だけが、取り柄である。知識は力である。

 

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 下の絵は玲愛作「まだ夢をみれますか」 、上の書は馬場恵峰書

 私の書斎の机に着くと、目に飛び込んでくる風景。

 玲愛さんの絵が問いかけてくる、「まだ夢をみれますか?」と。

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2024-09-04  久志能幾研究所通信 2931号  小田泰仙

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2024年9月 3日 (火)

夢の実現方法、特急列車の罠でお鼻が高くなる

 

夢のない人生は、奴隷の人生。動物の生き方と同じ。

まず希望(志)を強く思う事。

 松下幸之助翁は成功の秘訣を「二階に上がりたいと強烈に願う事」と言う。

 

その夢の実現の為の計画を立てよ。

 そのために正しい順序を経て実行せよ。順序を誤ってはダメ。

 それは神社に祈願の参拝で、先に祈願してから手を洗うようなもの。

 ご不浄で先に紙を使ってから、用をたすようなもの。

 やはり人生は下積みから一歩一歩、上り続けるしかない。

  それをKKのように、下積みの階段を上らず、高すぎる下駄で、高台に昇るから、世間から反感を招いたうえに、転ぶから同情が集まらない。

 

夢の罠に乗せられて

 私の会社時代、私を飛び越していったエリート二人の若者は、入社当初から役員になれると思い込んでいた。そういう環境で入社したようだ。彼らは、会社から博士号をとるため大学に派遣されて、高い下駄を履きすぎて、お鼻も高くなった。

 しかし製造ニーズの環境が変わり、任されたプロジェクトが中止になってしまった。その結果、一人は恩有る会社に後足で泥をかけるように辞めて、大学に戻ってしまった。

 もう一人は、会社に残ったが、依怙贔屓する上司の専務がいなくなると、閑職に飛ばされ、精神を病んでしまった。高すぎるゲタに当たって下痢をしたのだ。

 

人生最大の三不幸の一つは、「若くして高台に昇る」である。

 彼らは人生の基本である順序を間違えたのだ。

 幸い、私は依怙贔屓も受けず、失敗に右往左往しながら、どん臭く道を歩き、飛び切りの出世はしなかったが、転ぶことはなかった。多くの泥臭い失敗で、大きな経験知を得ることが出来た。だからこそ平凡で地道な人生こそ価値があると実感した。

 

千里の道も一歩からと思う事

 千日(3年)の修行を鍛、万日(30年)の修行を錬という。つまり30年の鍛錬が成功を生む。目先の利に囚われるから、道に迷う。

 人は必ず死ぬ宿命を抱えて、佛(あるべき姿)になるために千里の人生道を歩む。それが菩薩行である。どれだけ佛に近づくのか、人に与えられた課題である。

 

10年は偉大なり。20年は畏るべし。30年は歴史なり。50年は神の如し。

    (鍵山秀三郎)

 

まず一歩を踏み出すこと。

  何時か、今度で、と踏み出しを先延ばしするから夢が実現しない。

  何時なのか? 「今」でしょう。明日の命は分からないのだ。

  人の性能(?)とは、フットワークの軽さだと私は信じている。

 

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2024-09-03  久志能幾研究所通信 2930号  小田泰仙

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2024年9月 2日 (月)

「DIE with 魂の遺作 & 少々の金」が上、「DIE with ZERO」は中、下は......

 

 大金を遺して死んでは、ただ働きして奴隷として死ぬのと同じ。

 遺産の大金は、遺族間でいさかいの元、子供を堕落させる。

 ジョブズは自分の健康を省りみず働き、240億ドル(約3.8兆円、1ドル=160円換算)の財産を残して、56歳で亡くなった。死因はすい臓がんである。彼は3兆円分のタダ働きをして亡くなった、と同じである。

 

 体はカネを稼ぐための道具である。その道具の健康管理と保守点検を放置して、それ対してお金と時間を使わないと、天から罰を受ける。体は天からのリース品である。

 お金は人生劇場での各歌劇に出してもらうための経費だ。お金を使わないと良いオペラに出演できないし、良い配役も得られない。良いご縁にも出会えない。その場所に出向くにもお金がかかる。それをケチるから、良い出会いにも恵まれない。

 人間として生まれた以上、ご先祖から頂いた体で、健康で働き、稼いだお金を自身の成長のために使い、世に尽くして、後世に役立つものを遺して死んでこそ、生きた証がある。

 

 お金はあの世には持って行けない。お金を使うのにも時間と体力が必用だ。何億円も稼いでも、生きている間に使い切れにない。

 その前に稼げない現実がある😿、それにつけても金の欲しさよ……。

 

 必要以上にカネを稼いで貯めるのは、ただ働きと同じである。それよりも自分の人生を有意義に使うことに時間を使った方が良い。時間は有限なのだ。人は生老病死である。生は偶然だが、死は必然である。死ぬ時にサムマネー(葬式代)が有ればよい。

 

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 馬場恵峰書

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偉大なる遺産

 最良のお金の使い方は、自分の魂を成長させ、その魂を後世に遺すこと。魂とは、日本人の歴史である。自分の思想に共感してもらえる弟子を遺すこと。例えば、佐藤一斎、渡部昇一、馬場恵峰先生等である。

 この知的巨人は、カネを遺さなかったが、偉大な遺作を数多く残した。それに影響を受けた人を多く生み出した。

 この3名の師は、今でも私の読書の世界ではまだ生きている。多くの魂に響く教えを頂いた。感謝

 

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 言葉は佐藤一斎、書は馬場恵峰  陶板への書

 

2024-09-02  久志能幾研究所通信 2929号  小田泰仙

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