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2024年8月29日 (木)

清富の12心得、清貧はダメ

 

 人生で豊かになる方法として、私は、下記を守っている。「大富豪」も「清貧」も目指さず、程よい「清富」を目指す。先年亡くなられた渡部昇一先生のような生き方が理想である。

 

1 生きる意味を知る

2 健康最優先

3 縁が全て

4 値切らない、余分に払う

5 安ものを避け、最高を求める

6 仁義礼智信を求める

7 義務を果たし、権利として人生を楽しむ

8 人生トレーダーを目指す。デイトレーダーはダメ

9 貧乏性を避け、合理的節約を選ぶ

10 時間の有限性を認識、時間は命とする人と付き合う 

11 情報の価値を認める 

12 浮利、腐利を追わず、根利を植える

 

 

 

私の具体的な実践例 

1 生きる意味をしる

  何のために生きているか知っているものは、どんな苦難をも耐えられる。それを知らないと人生の品質が向上しない。

  人生の使命を知る

 

2 健康最優先

  健康に生きててこそ清富である。

  人間として生かされている奇跡を大事にする。

 

3 ご縁が全て

 お釈迦様はこの世の全ては縁起に始ると仰せである。

 その人の本質的存在性ではなく、縁起が全てである。

 その人がどんな良い本質を持っていても、育て方、ご縁次第である。

 育てる親が泥棒では、本人が善人でも優秀な泥棒に育ってしまう。

 大才は袖すり合う縁も大事にする。

 縁ありて花開き、恩有りて実を結ぶ。

 世の中には、「縁のないという縁」がある。そんな縁からは遠ざからないと、身に危険が及ぶ。世の100人に一人はサイコパスである。サイコパスは、人の死など何とも思わない野獣である。ウサギが野獣に勝てるわけがない。脱兎のごとく逃げるが勝ちである。兵庫県斎藤知事に歯向かっても愚かである。

 

4 値切らない、余分に払う

 そうすれば、相手が勝手に最大限の値引きをしてくれる。

 私は行きつけの店と店員を決めている。「まけろ」と言ったことはない。

 それでいつも最大限の割引を受けている。

 お店でも「一見さん」では、値引き率が違う。

  私は、仕事をしてくれた職人さんには、少し多いお礼をする。

 気は心である。そうすると利子が付いて、後から返ってくる。

 

5 安ものを避け、最高を求める

   最高のものを求め、長く使う。

   安物買いの銭失いは避ける。

 

6 仁義礼智信を求める

  人として、人生を全うしたい

  それが出来ない人とは疎遠にする。

 

7 義務を果たし、権利として人生を楽しむ

  社会人としての義務を120%果たす。

  そこまでやってくれるのか、と相手を感激させる。

  息抜きとして、自分の趣味を楽しむ。責務ばかりでは長続きしない。

  仕事のためなら過労死を厭わず。私にとって仕事こそ人生である。

  仕事で死ねるなら本望である。

 

 1985年、スウェーデンの自動車工場に出張中に、担当機械が故障して徹夜で機械の修理をしたら、スウェーデン人から You are crazy. と言われた。機械は壊れて当たりまえ。それを徹夜なんて、と。西洋人とは日本人の価値観が違うのだ。私にも徹夜は当たり前であった。そこで新しい人生に目が覚めたが、日本に帰国して、すぐまた日本の価値観に戻ってしまった。やはり仕事こそわが命である。

 

8 人生トレーダーを目指す。デイトレーダーはダメ

  超短期にドンパチやっても、儲かるはずがない。

  儲かっても一時的で、最期はすってんてんとなる。

  それよりも、長期的な視点で人生投資である。

 

  遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す。 二宮尊徳

 

9 貧乏性を避け、合理的節約を選ぶ

  貧乏性は伝染病のように感染する。「気」は空気感染をする。

  豊かな波動を発する人と付き合うと、こちらの心も豊かになる。

  その逆は……

  無駄を省いて贅沢を。安ものを避け、最高を求める。

  最高のモノには職人の魂が籠っている。それが自分に乗り移る。

  だから私は、高いものを買って、長く使う。

 

10 「時間は命」

   時間の価値が理解できる人と付き合う 

   ある人と1時間面談するとは、その人の命を1時間頂くこと。

   殺時罪を犯してはならない。

 

11 情報の価値を認める 

  スパイには「情報は命」。スパイの最高刑は死刑である。

  モノやカネを盗んでも、死刑にはならない。

  それほどに情報は命に値する。

  情報をくれた人や人生の師にはお礼をしよう。

  最大の情報は、師が恵んでくれる。

  だからこそ「3年かけて師を探せ」である。

 

12 浮利、腐利を追わず、根利を植える

   天網恢恢疎にして漏らさず

   バクチの金、不正の金で財を成しても、何時かは露見する。

   それでは小金持ちにしかなれず、幸せには成れない。

 

   冬の日は、下へ下へと根を下ろせ  道元禅師

   

 

2024-8-29  久志能幾研究所通信 2924号  小田泰仙

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2024年8月28日 (水)

八事霊園を俯瞰して達観、男性の健康寿命は72歳

 

 愛知県がんセンター病棟8階の窓からは、名古屋市最大の八事霊園が目に入ってくる。天国に一番近い最上階の8階からこの八事霊園は見える。最上階の8階に入院する患者は、重症者か裕福な人が多いようだ。

 最近知りあいになった知人も、この病棟の下層階に入院したことあるという。当時、「8階にはどんな種族の人が入院しているのかしらと疑問に思っていた」という。確かに差額ベッドで1日32,000円である。私以外は、上級国民なのだろう。私には少し高いと思ったが、当初の予定は2週間のことだし、金を残して死んでも意味がないと思い、また故河村義子先生も同じ階に入院されたこともあり、この病室を選択した。

 部屋にトイレとお風呂まで付いてて、台所、応接セットまである。まあ相応の値段である。普通の部屋の2倍の広さである。

 結果、入院期間が延び、1か月になってしまったのは、想定外であった。しかし、静かに、自分の人生を見つめ直し、死生観を定めるには最適な環境ではあった。

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 一か月の入院中、一度もテレビのスイッチは入れなかった。

 生死をさ迷うと、テレビを見たい気分ではない。

 愚劣が番組しかやっていないテレビは見る気になれない。

  

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  ガンセンター8階からの展望  向うに八事霊園が広がっている。

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 手術後、少し元気になって、病院内を体力回復のため歩き回った。病棟の1階ロビーに設置されている山本眞輔作「生生流転」に魅了された。毎日、この娘に会うためロビーに通った。この娘を見つめていると何故か心が落ち着く。命は限りがあるが、その命は連綿とつながっていく。人の運命のその手の上にある。それを象徴した像である。この病院に相応しい像である。

 

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 朝の6時半ごろ、1階ロビー、まだ病院は開いていない 

 「生生流転」は静かにたたずむ

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死生観

 八事霊園を1か月間、眺め続けて、「生生流転」像を毎日眺めつづけて、死生観がさだまった。人は生老病死である。ガンにはなったが、すぐ死ぬわけではない。また、がんが治っても何時かは死である。がんにならなくても、何時かは死である。

 だから頂いた命を大事にしたい。がんになってしまったことは致し方ない。今からでも遅くないので、病後のできる対策は全て打つ、不合理な手は打たない、である。だから抗がん剤治療は薬剤医師とけんか別れをして拒否をした。抗がん剤治療は、ガン部摘出後の「病院方針の標準治療」である。抗がん剤治療を受けないと、命の保証はしないと脅された。それでも拒否である。

 

 私は技術者であるから、事象があれば、それが起きた原因を探すのが習性である。トヨタ生産システムでは、なぜ何故と5回繰り返すのが鉄則である。それで何とか5年を過ごした。

 

健康状態の確認

 私が、がんセンターに入院中は毎日、体重、体温、食事量を記録用紙に記録させられた。病人だから仕方がないと割り切って従った。

 日本人男性の寿命は81歳だが、健康寿命は72歳である。それ以上は病院通いや寝たきり、認知症になる歳である。要は72歳以上の高齢者は半病人である。

 私は現在、その歳を超えてしまった。それを鑑み、ヘルスメーターを更新した。自分の体調の異常の早期発見のため、体の測定値の血圧、体温等の20項目を毎朝に、毎夜に測定して、記録を眺めている。この項目はタニタのヘルスメーターで表示される項目である。自分が半病人だと自覚し、すこしでもそれを改善しようという意思でデータを眺めると、その記録行為は苦痛ではない。

 

予防保全

 そのデータから、異常を早期に発見するのは良いことだ。病気になってからでは遅いのだ。トヨタ生産システムで言えば、予防保全である。機械は必ず故障する。機械だって生老病死である。その予兆は事前に出てくるので、対策を打つことである。

 自分が入院して、毎日点滴をされ、検査をされると思えば、入院せず、自宅で記録だけなら苦にならない。入院すると、健康の有難さを痛感する。

 

 

2024-08-28  久志能幾研究所通信 2922号  小田泰仙

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2024年8月23日 (金)

100年先、1000年先を考える

 

 今、自分が行動しようとしていることが、100年後、1000年後に子孫に役立つかを考えて、行動したい。

 今年の地蔵盆祭りのお下がりを、子供の将来を考えて、お菓子から文房具に変えた。その時は、100年後、1000年後を考えたわけではないが、子供の将来には良いと信じて変えた。子供がその文房具を使って、創造性や勤勉性、学びの習慣を少しでも付加できれば、将来、日本を背負って立つ青年の教育に役立つはずだ。

 今読んでいる本で、「100年先、1000年先を考えよ」という言葉に出会った。言葉との出会いもご縁である。その言葉に勇気づけられ、お下がりの文房具への変更を「独断で」実行した。町内には事後報告である。

 

 自治会長として何も変えず、今まで通りにするなら、一番楽である。批判もされない。変えれば軋轢が出てくる恐れもある。しかし変えなければ、何も進歩はない。自分の利害を捨てて、今の自分の行動が日本の100年後、1000年後に役立つかを考えたい。利己的な行動では、日本は良くならない。やることは小さなことで、今の行動で効果が出なくても、100年後に少しでも効果があると信じられるなら、やるべきだと信ずる。

 

英霊

 今から80年前、太平洋戦争末期、特攻、兵役、外地進攻で、多くの日本人が命を捧げた。特に特攻隊員は銃後の老いた親、新妻、子供を考えて、命を捧げた。それがあり、戦後、米国は自らの命を犠牲にした精神性に恐怖を感じて、恐る恐る占領政策を行った。それが無ければ、もっと悲惨な占領政策が行われただろう。

 欧米が植民地にしたアジア諸国は、そういう抵抗が無かったので、植民地支配は凄惨を極めた。その残酷な植民地支配を破壊した日本はアジア諸国からは感謝されている。だから英霊の死は、決して無駄ではない。中共が日本を非難しているのは、中共が、欧米と同じ支配階級で、人民を抑圧する立場であったからだ。

 戦争中に命を捧げた英霊は、結果として100年先、1000年先の日本を考えて戦ったことになる。

 

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 馬場恵峰書

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英霊に院号

 私の家系も2名が戦死している。それがあるから今の私がいる。それがあり、2015年、自家のお墓を改建する際、戦死した叔父の位牌をつくり直した。その叔父の法要は既に50回忌も終わっているのに、である。その際、住職様が院号として「護國院」を授けられた。住職様も英霊に院号を付けるのは名誉だと言われ、そのお金は請求されなかった。子孫がそれを見て、なんらかの誇りを得るはずだ。それが100年先、1000年先の日本のためになるだろう。

 

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現状の憂い

 今の堕落した政治家たちは、自分の利害しか考えていない。今の利権政治家や売り上げ至上主義の経営者、社員は、もう日本人ではない。グローバル経済主義狂というウイルスに侵されてゾンビと化した。拝金至上主義に洗脳された人の仮面を被ったゾンビが跋扈している。だから失われた30年が生まれた。

 この現象の責任は、国民が政治に無関心になり、異常な政治家に投票した選挙民にある。もっと目を見開き、正しく議員を選ぶべきだ。

 

2024-08-23  久志能幾研究所通信 2912号  小田泰仙

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2024年8月 9日 (金)

ご先祖探し、三千里の道中で出会った仏様たち 

 

 私は300年前のご先祖に辿り着くのに、三千里の道のりと25年の歳月を要した。その途中で、多くの仏様から貴重な教えを頂いた。その仏様の一人が、青山俊董師である。

 

 叔母の北尾自孝和尚(京都市祇園「東景寺」)は、愛知専門尼僧堂で青山俊董師から指導を受けて尼僧になった。青山俊董師は、称号「大教師」を曹洞宗では初めて尼僧として授与された。偉いお方である。

 私は北尾自孝和尚から青山俊董師のサイン本を多く頂いた。

 私はその本を何回も熟読して、生きるとは、仏教とは、を多く学んだ。馬場恵峰先生が講義で言われたことと重なって、その教えが自然と頭に入ってきて、自分の血と肉になった。

 青山俊董著『『典座教訓』講話』(1995年初版)などは、何回読んだか分からないほど熟読した。印象に残った文をB5カードにも書き写した。道元禅師のいう「生活のすべてが修行である。第一に食事作りは仏道修行そのもの」という考えがすとんと腑に落ちた。

 青山俊董師の講演テープは、通勤途上の車中で、何回も聞き、その教えは、体に染み込んでいる。感謝である。

 青山俊董師からは、三千里の道草で多くの智慧を授かった。青山俊董師に会うのにも25年の歳月が必要であった。

 

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青山俊董師との出会い

 2019年、私は東京のセミナー(致知出版社主催)で青山俊董師にお会いできると思い、セミナーに申し込んだ。しかし、その後、私にがんが見つかり、入院手術することになり、それが叶わなかった。その時は、まだご縁が熟していなかったようだ。

 

大興寺での法話会

 この春(2024年3月10日)、岐阜県揖斐川町の大興寺での法話会で、私は青山俊董師に初めてお目にかかることが出来た。青山俊董師は御歳91歳である。元気なうちにお会いできて幸せであった。特別に別室でお会いして、お話をさせていただいた。感謝である。

 青山俊董師とお会いできたのは、長年の疑問点解決の始まりの啓示であったようだ。

 

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2024-08-09  久志能幾研究所通信 2900号  小田泰仙

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2024年8月 8日 (木)

人生のお宝と幸福

幸と福

幸せは自分で創るもの

 創るものだから血みどろの闘いが必要だ。

 小さな幸せを多く積み重ねていく生き方こそ、賢者の生き方だ。

 効率ばかり、金儲けばかり考えている生き方は、餓鬼の生き方だ。

 

福は神仏からの授かりもの

 それはご先祖が血みどろの闘いで勝ち得たお宝で、それの恩恵はご先祖が創ったお宝の利子である。

 裕福だった家が2代目で潰れるのは、幸を作らず、福だけを浪費して喰い潰すからだ。

 漢字の「福」とは、神への捧げものを置く台を象形文字で現した「ネ」、捧げものを表した旁からなる象形文字である。

 神さまが分け与えてくれるものは酒である。福という漢字は酒さかだるをそれぞれ意味し、二ふたつを合あわせて作つくられている。神さまに捧ささげた酒を自分の酒だるにいただく(神福)ことを福とした。

  だから「福」という漢字には「神さまから授さずかる助け」という意味もある。

 

 

幸福とは

 幸福とはご先祖と自分が作り出すお宝の五重塔である。第一階は世のなかの無数の佛たち、第二階はご先祖、第三階は自分、第四階は子孫である。第五階は来世の佛の世界である。

 

人生のお宝とは

 人生でのお宝とは、ヒルティによれば普通の思慮ある人が手に入れることができるもので、下記の項目だという。

 

  道徳の高い人格、高い精神的な教養、愛の精神、誠実ある性格、仕事の能力、仕事の楽しみ、健康な肉体、幸せな家庭、少数の友人、少々の財産、である。

 

私の考えるお宝

 私が考えるお宝とは、上記に追加して、「今日の用」、「今日行く所」、「天命としての仕事」と死生観である。

 

「きょうよう」と「きょういく」がお宝

 「起きたけど、寝るまで特に用もなし」では認知症へまっしぐらである。お陰さまで、私は自治会長としての仕事があるから、ボケている暇がない。

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天命

 天命としての仕事は、お金儲けではない。生計をたてるために稼ぐための労働は、金をもらわねばならぬ。しかし仕事はお金のためではない。仕事とは、経験を得るため、思い出を作るため、自分の成長のため、世間への報恩感謝の行為である。

 

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死生観 

 死生観とは、何時死んでもよいと、今を精一杯生きようとする覚悟である。それこそが生きることを意味化させるお宝である。それが有れば、いつ死んでも悔いのない。どんなことが起きても、無敵の護身の宝刀である。

 

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2024-08-08  久志能幾研究所通信 2899号  小田泰仙

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2024年8月 4日 (日)

人生づくりはトヨタ生産システムで

 

「トヨタのもの作り」の基本はトヨタ生産システムである。それは「もの(者・仕事・事象)作り」の基本である。その極意は人生でも同じである。人生づくりはもの作りと同じである。

 

豊田綱領

 一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

 一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

 一、華美を戒め、質実剛健たるべし

 一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

 一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

 

 人生で大事なことは、信じるもの(宗教)をもつこと。動物と人間の違いは、宗教の有無である。宗教の漢字の意味は「家」の「教え」である。ご先祖の教えである。トヨタ家の家訓は、豊田綱領である。日本国家の家訓は、日本憲法である。会社というお家の家訓は、社是である。社是のない会社はろくでもない会社である。

 いくら人事を尽くしても、それを超越した存在がある。それを人は神、佛、自然、運命、天ともいう。豊田綱領では神仏とご先祖を敬い、報恩感謝を忘れるなと言う。

 

整理整頓清潔清掃(5S)

 5Sはトヨタ生産システムおける人生の極意である。

 それを古来の日本では、仁義礼智信という。人脈の整理整頓(5S)をしよう。縁なき衆生は度し難し。悪縁を整理整頓しよう。腐れ縁が自分を不幸にする。

 戦略を練る場所(家)を5Sしよう。戦術より戦略が大事。そのため5S。

 人生計画を5Sしよう。自分に残された時間はそんなに多くない。人は生まれた時から死が約束されている。人生は3万日しかない。多くの人が残り時間を意識するのは、残りが5千日を切った頃だ。

  72歳が男性の健康寿命で、その後の9年間は医者通いか寝たきりである。最悪は認知症である。

  還暦を迎えると、筋肉量は、若い頃の半分である。一般的に30歳代くらいから少しずつ脳の萎縮が始まり、65歳くらいになると、CT画像で肉眼的に「明らかな萎縮がある」ことが分かるようになる。

 人は生老病死である。

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前工程は神様、後工程はお客様

 モノ作りで、前工程で決まったことに後工程の自分は何も言えない。前工程の製品規格は、製品設計段階で決められている。自分の担当工程で文句は言えない。

 人生のご縁は、人を育てる工程の前工程である。どんな環境でもご縁でも、自分の意志ではなんともならない。全て受け入れることから人生は始る。

 人が生まれる確率は、1億円の宝くじが百万回連続で当たると同じ確率である。(村上和雄筑波大学名誉教授談)

 そんな稀有の存在で、今の生まれた時代と場所は神仏が決めたと思うしかない。だから置かれた場所で花を咲かせるしかない。戦争中の日本、極貧の国に生れなかったことを喜ぼう。

 

先入れ先出し

 先入れ先出しとは、先に仕入れた材料から順番に使う。それが品質管理の原則である。 

 年功序列とは、先入れ先出しである。人を育てるには、抜擢人事や飛び級はご法度である。人を育てるには、地道に多くの経験をさせて育成するしかない。

 

日々改善

 どんな工程でも無駄を見つけて、一歩一歩改善していく。最初から完全なものはない。そういう鈍くさいことを繰り返して、トヨタはド田舎のトヨタから世界のトヨタになった。

 人生でも同じで、日々、同じことを繰り返しである。その中で露見した自分の欠点、問題点を少しずつ治していくしかない。

 ローマは一日にして成らず。大木も一日では大きくならない。

 

カンバン方式

 時期が来たら、黙々とそのカンバンを処理する。

 受験期が来たら、受験勉強をする。若い時に勉強しないと、頭が追い付かなくなる。

 定年のカンバンが来たら、潔く退く。そうやって組織の若さが保たれる。

 定年延長で会社にしがみ付くと、自分の元部下の上司から派遣社員扱いをされ、「生前火葬」の儀で、誇り高いプライドが燃やされる。定年後1年も経つと、精神はボロボロになり、5年間の定年延長を待たず辞めていく。

 死のカンバンが来たら、黙って受け入れ、この世を去っていく。お釈迦さまでもそうされた。家族が世間体を気にして、延命措置で生にしがみ付くから、死にゆく人を拷問の苦しみに追いやる。

 

現地現物

 どんな問題でも、自分の足で現地に行き、自分の目で状況を完全に把握する。これは人生のどんな状況でも同じ。それしか問題は解決しない。

 問題が起これば、飛行機を使ってでも、飛んでいけ。

 

5回の何故

 問題が起きて、対処療法で処置するから、問題が再発する。

 何故、なぜを5回繰り返して、真因を見付け、対処すること。

 私は自分のがんをそうやって治した。

 

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一桁、ゼロを一つとる、10倍の大きさで考える

 最初に小さく目標を立てると、大脳生理学的にそこまでしか人間の頭は努力しない。

 棒ほど願って針ほど叶う、それが人生だ。

 棒を願わねば、針ほども叶わない。

 

 

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2024-08-03  久志能幾研究所通信 2895号  小田泰仙

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2024年7月10日 (水)

人生を健全に生きる 「清く正しく美しく自然体」

 

 人生で一番大事なことは、人生を健全に生きること。

 健全とは、「清く正しく美しく自然体」である。これはオダ仏教の念仏でもある。

 

 「清く正しく美しく」とはトヨタ生産システムでいう5Sで、整理整頓清潔清掃である。健全とは、健康で自然体であること。健康とは、体と心が健やかである事。「全」とは頂いた命を全うすること。自然体とは、生老病死、春夏秋冬であり、宇宙根源の理に従うことである。

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人生のモットー

 宝塚歌劇団のタカラジェンヌのモットーは、「清く正しく美しく」である。

 自分は人生劇場の主人公である。お宝のような自分は、「宝ジェニー」(takara genuinee、私の造語)として、「清く正しく美しく、自然体」で人生劇を演じていきたい。

 

 人が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たると同じほどの確率である(村上和雄筑波大学名誉教授談)。そんな自分の存在はお宝である。それも今の時代の日本に生れたのは奇跡である。中国でなく、ロシアでもなく、アフリカでもなく、戦争をしていない今の日本の時代に生れた幸せである。少し間違えば、昭和初期に生れ、特攻兵にされたやも知れぬ。私のご先祖のお二人は、一人はシベリアの土になり、一人はビルマの土になった。昭和20年のことである。

 

「宝ジェニー」(takara genuinee、造語)

 「genuine」という単語は、本物の、真正の、真の、純粋な、心からの、という意味の形容詞である。物事が本来の姿や性質を持っていることを現す。人が心からの感情や態度を示すことを表す。

 「genuine」の語源は、ラテン語の「genuinus」で、「自然に生じた」や「本来の」を意味する。また、「genuinus」は「gen」(生まれる、生成する)という語根に由来する。この語源からも、genuineが本物や真正なものを指す。(「実用日本語表現辞典」を編集)

 

不健全な人生 

 そんな大事な体を、不自然な生活(悪食、贅沢、我儘、怠惰な生活)を送るから、病気になり、人生を健全に過ごせない。誤った生活習慣、食生活を送るから、病気になり、その結果、終末に多額の医療費を使うことなる。病人は、病気でない人が払っている税金(健康保険)を浪費する罪びとである。

 病気になって、3割負担で医療費を払っても、「俺は病気になっても人様に迷惑をかけていない」という輩は無知である。その医療費の7割は、病気でない人の税(健康保険料)から払われている。日本人が健康におうちゃくになったから、現在は医療費が50年前の5倍の37兆円に激増している。

 過剰医療で、死の直前の体が受け付けないのに、無為な点滴や胃瘻をされ、苦しみながらこの世を去る羽目になる。それは美しくなく、宇宙根源の理に反している。

 

現在の惨状

 この50年間で、医療費は4倍に増えたが、糖尿病は50倍になり、がんは5倍になり、認知症やアトピー性皮膚炎は激増した。その原因は、1945年の敗戦後、占領軍の陰謀で、旧来の良き生活習慣、食生活が破壊させられたことにある。今まで食べなかった小麦、植物油、砂糖、乳製品が大量に消費することが強要された。

 そう考えないと、50年前、10兆円もなかった医療費が37兆円まで膨張したのに、病人が5倍に増えたことが説明できない。医療費が5倍に増えれば、患者は5分の1になるべきだ。現実は5倍に激増である。喫煙率が5分の一になったのだから、肺がんは5分の一になったはず。それが5倍に増えている。(よしりんチャンネルの情報)

 

 日本の医療体制と生活習慣と政治環境が「健全」ではなくなった。病気に対して、西洋医学の対処療法に終始した結果が、現在の悲惨な状況である。

 

人の一生

 人生を健全に自然体で過ごすとは、生老病死の人生を歩む事だ。人生は春夏秋冬で、世の中で黙々と真っ黒になって働き、時期が来れば静かに去っていく。それが正しい人間の生き様である。

 小池百合子東京都知事の様に、8年間も成果のないまま、任期(寿命)が来ても椅子にしがみ付き、経歴詐称、選挙違反、倫理違反、汚職疑惑でまみれて、延命治療のように、政権の終末期を送るのは、反「清く正しく美しく、自然体」である。その都政が健全ではない、との神仏の声である。

 

健全な姿

 国も東京都も会社も家庭も自分も、健全にあるべき姿で経営すべきだ。時期がくれば、指導者も老い、世代交代をする。それが健全な組織である。

 日本政界も徳川家康や吉田茂が今の総理大臣で居座っていては困るだろう。自分も後100 年も生きたら家族、孫、ひ孫が困るだろう。

 

生老病死、春夏秋冬

 国政、都政、市政等、どんなものでも、生老病死、春夏秋冬である。夏の盛りが済めば、静かにその座を去る。それが出来ない小池百合子、岸田文雄は、醜態の極みである。

 死にたくない(辞めたくない)と、延命治療(権力の座にしがみ付く)に多額の金(税金)を使うのは、自然ではなく、健全ではない。素直な目で見れば、異常さがよくわかる。

 

 人は生れた当時は、純粋で、素直で、自然体で生きていた。それが人間界の中で過ごしているうち、自分を守るため、エゴになり、病気になり(病気になるのも自己防衛機能)、凶暴になり、嘘をつき、欲にまみれ、堕落にまみれ、素直な人間界から逸脱していった。それでは人生を健全に全うできない。

 

病気の真因

 病気になったのも、内なる自分が自分を守るために起こした現象である。昆虫等の生き物では、危機に遭遇した場合、体が硬直して仮死状態になって、敵を騙す手段がある。同じ現象が人間でも起きる。ショックで気絶するのも、同じ原因である。ストレスでうつ病になるのも、本来持っている自己防衛機能である。だから鬱病を薬で治すのは間違いだ。その真因を見付けないと病気は治らない。

 15年程前、私もうつ状態になった。医者に行けば、確実にうつ病と診断され、薬漬けにされることが分かっていた。それで、自分で治療法を調べて、自分で治した。

 無知は人生を闇にする。情報と智慧こそ、人生を生き抜く「人生の灯台」である。

 

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  チェルファーの燈台(シシリア島)  2011年 著者撮影

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 ガンや糖尿病は、食生活やストレス過多で、生活習慣が異常だとの神仏からの啓示なのだ。手術でがん患部を除去しても、真因を除去しないとがんが再発する。

 

自然界の原則

 真の自分を振り返り、その病気になっら、なぜなぜと5回繰り返して、その真因を見付け、対処しないと病気は治らない。西洋医学は、対処療法が主体である。それよりも心療的に内観をして、あるべき姿の「清く正しく美しく、自然体で」と人生を見直したい。

 

 いくら難病を完治しても、何時かは死ぬのが人間(生物)なのだ。それが自然界の掟である。それを無理やり延命治療するから、本人には拷問になる。

 

 「死ぬ時は、死ぬのがよい」と一休さんも言っている。それが自然であり、社会のためである。

 

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2024-07-10  久志能幾研究所通信 2876号  小田泰仙

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2024年7月 2日 (火)

「みとりし」上映後、死神が来たりて笛を吹く

 

 「みとりし」上映会で奇遇な縁が舞い込んだ。「みとりし」の上映会後、1週間が経ったころ、知人が「訪問したい」と電話をしてきた。用は何かと聞いてもハッキリ言わず口を濁すだけ。

 6月29日(仏滅)、木戸ホールの改造の打ち合わせを音響の専門家M氏とした後、16時頃、知人は二人連れで訪問してきた。連れの人とは面識が無い。名刺を見たら中小企業の社長であった。結論として二人とも死神だった。訪問目的はN宗への入信勧誘であった。

 

11年前の入会勧誘事件

 N宗の幹部信徒は、11年前にも自宅に押し掛けてきた。(ブログ参照)

 

久志能幾研究所通信 : 私はこれ(小指)で、※※をやめました (enjoy.jp)

 

 その信徒は自身で営業活動もしていた社長だったし、G経営研究会の元会長でもあったので、説明も弁舌サワヤカで、説得力があった。その信徒は、私への説得が難しいと悟り、後日、岐阜地区の親分の所(Y会計事務所所長)に私を連れていった。そこでその親分は仏教関係の資料を見せながら高圧的に入会を説得してきた。思わず入会の意思を示したが、後でネットを調べたら、とんでもない新興宗教団体であることが判明した。それで脱兎のごとく逃げた。

 

今回の入信勧誘事件

 その信徒が、先日の「みとりし」映写会の新聞記事で、私をカモと思い、押しかけてきたようだ。あな怖ろしや。ある美術館の館長さんの言葉では、「おださんはそのイベントで、有名人、金持ちと認定されたので喜ばしいく名誉なこと」だと。しかし名誉には危険が伴うのだ。

 11年前に比べると、今回はド素人のような入会勧誘内容であった。その社長も営業出身ではないようだ。私は懇々とその死神を諭して、お帰り頂いた。

 

 二人は勧誘に対して熱意もないし、説得の技術、勧誘のテクニックもなく、単にノルマで勧誘に来たようだ。それも過去の営業記録もなく過去の勧誘されていたことも知らないというお粗末な勧誘方法であった。

 

相手を占う

 相手は従業員数80名弱の中小企業の社長で、50~60歳代である。2代目のようで、一見全く苦労をしていないしまりのないの顔である。ボンボンのように見えた。少し異様な風貌で、決して付き合いたいとは思わない顔相である。

 そうか、知人はこんなレベルの人と付き合っているのか、と愕然とした。人は、付き合っている人でもその人格が評価される。ご用心、ご用心。

 私は観相学の知識があり、それで観相をするし、説得の占い(テクニカルライティングに則った評価)もする。資料占い、名刺占いもする。それからみると全ての項目で落第である。それでよく社長が勤まるかと呆れた。二代目だから社長に居座っているのだろう。だから新興宗教に引きずり込まれて、ノルマでいやいや勧誘をしているようだ。その営業?説明のレベルは、11年前よりかなり落ちていた。その宗教団体も化けの皮が剥がれてきて、会員の質も劣化してきたのだろう。

 

N宗教団体の実態

 それでも入会金38万円は変わらず、入会秘密儀式も京都で2日間と同じである。入会すると、なんだかんだと年間数十万円~数百万円をむしり取られる。その教団の本殿の建設費を信徒数で割ると、一人当たり1千万円以上となる。

 ご奉仕の名目で、遠方の教団御殿の早朝の時間指定の掃除に駆り出される。現地に行くまでの遠距離運転と掃除の労働の疲労で、帰宅時に交通事故を起こし、死亡している会員も多いとか。

 いわば統一教会やオウム真理教のごとく、搾取され殺される。まさに死神である。脱退しようとすると、信徒が大勢で押しかけてきて、「脱会すれば無間地獄に堕ちるぞ」と家の回りで大騒ぎをするという。

 一緒に大騒ぎをする信徒も、真面目に大騒ぎをしないと脱会を考えていると疑われる。そのため、疑いを避けるために必死に大騒ぎをせねばならぬ。この大騒ぎは、脱会しようとする信徒に、そんな気を起こさせないための見せしめの儀式でもある。

 オウム真理教の教団内でのリンチ殺人事件でも、一緒にリンチをしないと自分が殺されるので、必死にリンチに加わる。狂った宗教集団は、そんな怖ろしさがある。

 「無間地獄に堕ちる」には、正式には親殺し等の極悪非道の罪を犯さなければ、その地獄に行く資格がない。それを持ち出して脅迫するのはお笑いであり、無知の極みである。宗教の脱会の自由は日本国憲法で保障された権利である。

 なお正式の仏教では、勧誘行為は戒律で禁止である。入信希望者を拒みはしないが、寺院側からの勧誘は禁止である。自分の菩提寺が新規に檀家を募集しているなど聞いたことがない。勧誘禁止はキリスト教でも同じで、128派あるキリスト教でも、ごく少数派が勧誘をしているだけである。

 

撃破

 私の仏教知識と5トンの書籍の現物を見せつければ、仏教知識に素人のような二人を諭すのは、赤子の手をひねるようなものであった。二人は尻尾をまいて帰っていった。

 二人とも、仏教の本質とは何か、原始仏教と現代の仏教の差は何か、生きるとは何か、宗教とは何か、仏教の歴史、現地現物のあり方はと問うても、答えられない。彼らにはそんな知識も意識もなく、それを考えるという発想もなく、教団からの洗脳された教えをそのまま顧客?(カモ?)に伝えているだけだ。それでは相手を説得できない。

 

平安時代の貴族並み

 彼らがこの宗教団体に入ったのは、自身の病気や経営問題があり、解決のため安易な道を選んだのだろう。それは自身に災難が降りかかると、平安時代の貴族の様に、ご先祖様の祟り、悪霊が取りついたと思い、それを加持祈祷で解決しようとするのと同じである。新興宗教団体の教えは、その加持祈祷の類と同じである。

 我々は平安時代から1300年も経った現代に生きており、科学技術の恩恵を受け、その知識を持っている。なぜ病気になったか、なぜ経営が上手くいかないか、何故なぜを5回繰り返し、真因を探る手段を講じればよいだけだ。

 病気になったのは、生活習慣、食事習慣が間違っていただけだ。会社の業績が上がらないのは、経営が原理原則に則っていなかっただけだけだ。そう考えて自分で問題を解決しないと、新興宗教団体のカモとなる。

 

怖ろしさ 

 この宗教団体を、N宗と表現したのは、相手は強力なIT部隊を持っており、ネット上で都合の悪い情報があると、改ざんや削除をしてしまう。そんな怖ろしい団体であるから自衛せねばならぬ。Wikipediaや2チャンネルの情報でも改ざんしてしまう。だからネット上の情報は疑ってみないと騙される。私は目を付けられてネット攻撃を受けないため、N宗と表現した。この宗派の問題は『週刊新潮』が頻繁に取り上げている。

 

極楽ポイントで死の勧誘

 前回のリーウェイ勧誘もN宗も両方とも初期費用が38万円、39万円と絶妙な価格設定である。その価格帯が極楽ポイントのようだ。リーウェイ勧誘やN教勧誘が世に蔓延るのは、政治が悪い。政治が悪くなると、世が乱れ、人は安易な金儲けや宗教にその解を求めがちだ。怖ろしいことだ。

 オウム真理教事件が起きたのは、30年前だ。新興宗教団体の恐ろしさが解明されたのに、いまでも統一教会事件のような事件が起きる。統一教会のような団体に人生を狂わされると、安倍元首相暗殺という事件さえ起きる。安倍元首相の存在の有無が、日本国家の安全に影響する。そんな恐ろしさである。

 宗教狂団は貴方の財布を狙っている。ご用心、ご用心。看取られる前に「殺されて」は、安らかに死ねない。その宗派は、葬式となると、葬儀を取り仕切り、全ての香典を持ちさってしまうという。それはS学会と同じである。

 

救いと感謝

 11年前は、もりわじんの「招き猫」が死神の勧誘の危機から救ってくれた。今回は我家の三尊が見守って私を救ってくれた。三尊とは、松本明慶師に彫って頂いた虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩である。文殊菩薩の知恵と普賢菩薩の賢さで、物事を判断しよう。宇宙根源の理に従って生きよう。それを教えてくれる仏様達である。

 今回の事件で、知識と知恵で対処することが出来た。宇宙根源の法則に則って、人生とは何かを問い、邪悪な輩を追い返すことが出来た。感謝です。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像、虚空蔵菩薩像、文殊菩薩像

 

2024-07-02  久志能幾研究所通信 2872号  小田泰仙

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2024年6月30日 (日)

結婚式場の撮影体制に問題あり、仕事道具は命

 

式場の映像機器の不備

 私は映像、写真分野に興味あるので、今回の結婚式場の記録方法に興味を抱かされた。二人との事前打ち合わせでビデオ撮影は、結婚式場側に任せることにして、私はスチールカメラを2台持ちで対応することにした。

 当日にその機材を確認して、結婚式場の機材の選定と撮影体制に問題があることが判明した。この世界は撮影技量が高い低いではなく、機材の性能差で出来栄えが支配される。それは戦争時と同じだ。いくら士気が高くても、性能の良い兵器の前には、無力である。仕事とは戦争である。だから私は道具に拘っている。道具は命なのだ。

 大事な姪の結婚式だ。二人の一生で一番大事な一瞬を、一番良い道具で、出来る限り最高の状態で記録に残してあげたい。そんな想いを込めて私は撮影した。思い出こそ人生なのだ。その記録の価値が分かるのは30年後なのだ。

 結婚式場の映像は、スチールカメラにも力を入れるべきだ。動画と同等の資材を投入すべきである。現状の人員を2倍にして、カメラにも投資をすべき。

 結婚式場もサービス産業として、どれだけ顧客満足を高めるため、そこに力を注ぐかでどうかで一流とそれ以外に分類される。顧客の真のニーズを把握しないと、結婚式場の未来はない。これは経営の問題である。結婚式場の社長の問題である。

 

スチールカメラ

 当日に確認したら、結婚式場側のスチールカメラはCANON5D markⅢ(2008年12月発売、2230万画素)の一眼レフである。担当カメラマンは一人で撮影している。この機種は一眼レフのシャッター音が響く。厳粛な結婚式の場では静粛であるべきなのに、と思った。

 そのレンズはCANON 70~200mmF4である。永遠に残る一生に一度の写真を撮るのだから、F4の普及型のレンズではなく、F2.8 の一段上の上級レンズにして欲しいと思う。結婚式場はそれで商品価値を高めるのだ。

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  カメラマンは一人、CANON5DmarkⅢ ,レンズは 70~200mm F4

 

ビデオカメラ

 結婚式場側のビデオカメラは、約60万円のプロ用機材で、2台を2人で撮影している。この機材は、私が欲しいと思う垂涎の的のビデオ機材である。しかし価格が高く、私には手が出ない。

 私所有の愛用ビデオカメラはパナソニック製の約10万円の機材である。結婚式場側のビデオ機材は流石ではある。

 

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 ビデオ担当は二人。

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 私には垂涎のビデオカメラ

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  ビデオ担当は二人。

  リムジンの中にも一人のカメラマンが撮影中

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  ビデオ担当は二人。


 二つの機材を比較するとスチールカメラがあまりにお粗末である。担当カメラマンは結婚式業界が不景気で、カメラに予算を回してもらえないと嘆いていた。

 カメラマンは一人で孤軍奮闘していた。まるで戦争末期に、米軍の物量と最新兵器の量に押されて苦労をしていた日本兵のように見えた。

 それの根本原因は日本経済停滞の元凶である政治が悪いのだ。国民はもっと政治に関心を持つべきで、最低でも投票に行くべきだ。

 

 

私の機材

 私は2018年、河村義子先生の演奏会を撮影するため、一眼レフCANON5DmarkⅢからミラー音のないミラーレスカメラに切り替えた。レンズは 70~200mm F2.8である。演奏会会場では、一眼レフのシャッター音はご法度である。

 私の使用機材は、Sony α7RⅣ+24~105mmレンズ(2021年12月発売、6100 万画素)とSONY α9+70~200㎜F2.8レンズ(2017年5月発売、2420 万画素)の二丁拳銃で、撮影をした。両機種とも無音のミラーレスである。特にSONY α9は暗い場所で、動きの激しいバレエ演劇も撮影可能な動態用高感度カメラである。

 感度を10,000以上に上げても色つぶれもなく、ノイズもほどんどない。

 

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   SONY α9+70~200mm F2.8

   SONY α7RⅣ+24~105mm F4

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 バレエ公演の撮影サンプル  2018年12月8日 クリスマスコンサート(リハーサル)

           大垣音楽堂  林葉子バレイアカデミー、河村義子先生 音楽監修

  動きの激しく暗い中での撮影には,無音のSONY α9が必須である。

  ISO12,800   シャッター速度 1/1000  絞りF4

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ディジタルカメラの世界

 スチールカメラとビデオカメラを見れば、式場がどこに力を入れているかが明白である。結婚式場は映像に力を入れている。

 ディジタルカメラは、パソコンと同じで日進月歩である。1年毎に新製品が出る世界である。それが16年前の一眼レフカメラとは絶句である。CANON 5DmarkⅢは、確かに当時は最先端のカメラで、私も使っていた機種である。しかしCANON 5DmarkⅢの後継ミラーレス機を待っていても、なかなか発売されなかった。私はしびれを切らして、私はCANONからSONYのミラーレス機に変えた。今までのレンズ資産があるので、切り替えは大変だった。

 演奏会で撮影するためは、シャッター音のない、高感度が許容できる、新しいミラーレス機が必要であった。レンズ性能はCANONに分があるが、CCDではSONYに軍配が上がる。またCANONは開発力があるが、大企業ゆえに新製品を出す速度が、SONYに負けて遅い。

 また馬場恵峰先生の書画を撮影するためには、高画質のカメラが必要で、そのためCANON 5DmarkⅢからSONY α7RⅣに機種を変えた。出版にも対応するので、少しでも高画質な機種が必要である。

 

思い出

 思い出としてビデオも良いが、それを再生する時、長時間を要する。写真なら、パラパラとめくって瞬時に当時の思い出にふけることが出来る。映像業界の人は、15分以上の映像には価値がないという。だから長時間の映画が廃れ、短時間の映像のYouTubeが流行っている。

 だから私は、高性能のスチールカメラでの撮影に拘っている。ビデオは早送り機能もあるが、ディスク上の映像だと、早や送りの機能に制限がありイライラする。

 私の書庫に昔のカセットテープやビデオテープを保存しているが、その音声記録を再生することは滅多にない。しかし昔の写真集は頻繁に見直している。写真は一目見れば、当時の記憶が鮮明に思い出される。ビデオや音声テープではそうはならない。聞くには、時間を確保して構えなければならぬ。

 

覚悟

 昔の思い出に浸る時は、年老いていて、人生の残り時間が少ない時なのだ。その時間は有効に使いたい。

 死ぬ時には、昔の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ると言われる。その時に昔のビデオが再生されるわけではないようだ。やはり思い出の記録は写真である。

 

 

 

2024-06-28  久志能幾研究所通信 2871号  小田泰仙

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2024年6月 6日 (木)

二人への祝辞  経営、創造、啓示

 

 2024年6月2日、姪が結婚式を挙げた。自分の娘が結婚したように嬉しく思い、乾杯の音頭で祝辞を述べた。

 二人は4年前に籍を入れたのだが、コロナ禍で結婚式が出来ず、今回の結婚披露宴となった。

 私にも結婚式参列は四半世紀ぶりである。世の風潮で結婚式への参列が減ってしまった。寂しい限りである。

 

 乾杯の祝辞で新郎新婦にお願いしたことは以下3点。

  家庭を経営して欲しい、

  二人で創造して欲しい、

  神仏の啓示を真摯に受け入れて欲しい。

 

経営

 経営とは、持てる資源を最大限に使って新しい利益(りやく)を出すことである。「利益(りやく)」」とは仏教用語で、仏の教えに従って得られた恵みや幸せのことを指す。それから経済用語「利益(りえき)」という言葉が生まれた。

 会社でも合併(merger)をして新しい会社として新しい道を歩むことがあるが、往々に持てる資源を活用できず、成長できないケースが多々ある。私の前職の会社がそうであった。結婚(marriage)も同じで、2つの人生有限会社が、合併して新しい家庭を作り、利益を生み出すことだ。会社の合併と同じである。

 経営が上手くいかないと、二人の持てる資源を有効に活用できず、逆に相殺される場合も多い。それは経営破綻である。

 自分を経営するとは、仏の教えに従い、自分の持てる資源を最大限に活かして、人生を生きる事。美味く生きれないのは、自分の人生を経営していないのだ。

 資源とはお金の財産のことだけではない。自分が使える資源の全てである。親、師、友人の支援、ご縁も全て資源である。今まで学んで来た知識、経験も資源である。お金はそのうちの一部に過ぎない。二人の持つ資源を統合して最大限の成果を出す。それが経営である。

 

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創造

 創造は発明とは違い、誰でも出来る。発明は、全く新しいことを見つける事。創造とは、今までの事象を分解、再統合して新しいことを作り出すこと。例えば、エジソンの電球は発明だが、ソニーのウォークマンは創造である。ウォークマンの技術には、新しい技術はない。今まで開発されて来た旧来の技術の分解、再統合である。それで新らしい概念の音楽を聴く機器を創造した。

 創造の「創」の偏は傷である。それも刀の受けた切り傷である。つくりのりっとう偏「リ」は刀と砥石の象形文字である。刀で切り傷を受け、血が噴き出す傷口に焼酎を吹きかけ、さらしを巻いて止血をする。そこから新しい細胞が生まれてくる。その細胞は、今までの細胞よりも強固な組織である。それが創造である。

 価値観の違う二人が一緒になれば、衝突もあるだろう。そこから新しい価値観を作り出す。それが創造だ。

 二人の前には大きな白いキャンパスが置かれている。二人の違う絵の具で人生というキャンパスに新しい絵を描き、人生を創造して欲しい。

 

Photo.

神仏の啓示

 私は5年前にガンになり、余命宣告を受けた。もし今までのままの生活、医師の言う通りにやっていれば、この乾杯の音頭の席にはいないであろう。

 もしあの時私がガンにならなくても、あのままの生活なら、別の病気で倒れていただろう。今はがんに感謝である。

 ガンは「死ね」と言っているわけではない。「今のままの生活ではダメ。変えろ」と言っているだけである。それが病気(神仏)からのメッセージである。

 

 価値観の違う二人が一緒になるのだから、一緒に生活すれば、問題が起きて当たりまえ。長い結婚生活では、病気や事故が起きて当たりまえ。問題や病気が起きたら、何故なぜを5回繰り返し、真因を見付けて欲しい。対処療法で解決しては、また同じような問題が再発する。真因を見付けて、それを無くす考え方をして欲しい。それが神仏からの啓示である。

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 ご縁があったのも神仏からの啓示である。病気になるのも、事故に遭うのもご縁である。それを神仏からの啓示として前向きに解釈して、生き方を改善して欲しい。二人で幸せを創造してほしい。

 お二人の幸せと皆様のご多幸と健康をお祈り申し上げます。

 

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2024-06-06  久志能幾研究所通信 2863号  小田泰仙

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