ma_人生経営・会社経営 Feed

2023年7月25日 (火)

看取り士は観音菩薩、死をプロデュースする

 

 看取り士が自分の死をプロデュースする。看取り士は、自分の最期までぬくもりのある眼で観音菩薩のように見守ってくれる。観音菩薩様は、衆生の苦悩の声を聴けば馳せ参じ、慈しみの目で、衆生を見守って下さる聖者である。菩薩は仏様ではない。菩薩とは、阿耨多羅三藐三菩提を目指して仏道を修行している行者である。つまり観音菩薩とは我々の化身である。阿耨多羅三藐三菩提とは、この上なくすぐれ正しく平等である悟りの境地である。

Img_32292s

  聖観音菩薩像 大仏師松本明慶作

.

『みとりし』鑑賞

 7月23日、私は大垣イオンタウンで開催された自主上映会で映画『みとりし』を鑑賞した。主催者は「看取りステーション大垣ぬくもり」である。それは映画『おくり人』に相通じる内容であった。ストーリは、心に傷を負った若い女性が、看取り士として成長していく過程の姿である。特に40歳くらいの母親が、乳がんになり、夫と3人の子供を残して旅だった話では、臨終までの看取り士の貢献の様子には目頭が熱くなった。

 そこで私はそこで描かれた数例の臨終の姿から、多くの示唆を受け、自分の死を深く考えることになった。

 本映画は、2020年ロサンゼルス日本映画祭で三冠賞を受賞した。

.
看取りとは

 看取り士の仕事とは、死をプロデュースすることだ。「プロデュース」とは、日本においては、様々な方法を用いて目的物の価値をあげることを指す。

 プロデュースとは、映像作品、広告作品、音楽作品、ゲーム、アニメーションなど、制作活動の予算調達や管理をする行為、スタッフの人事などをつかさどり、制作全体を統括する職務である。その作品に関してのみの責任が求められる業務である。

 病院の医師は、死は敗北と言う。病院は生のために闘う場所であるからだ。しかし人は必ず死ぬ。死は生物の命の終わりであって、決して敗北ではない。どんな生物も生老病死である。死こそ、自分の人生劇場で最大のクライマックスである。一度限りの厳かなセレモニーである。しかしその死の床では、気力も体力も衰え、自分には全てを取り仕切る体力はなくなっている。それのプロデュースとお手伝いをしてくれるのが、看取り士である。

 

一日一生

 人は必ず死ぬ。生老病死は生物の宿命である。一日の過ごし方は一生を象徴している。毎日、朝起きて、一日を活動し、疲れはてて、夜寝る時、その日の憤怒の出来事に感情を高ぶらせて眠るより、一日の良き想い出に浸って、安らかに眠りについた方が、良いに決まっている。

 よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。

 よく働いた一生は、安らかな死を賜う。(ゲーテ)。

 同じように家族の為、社会の為によく働いた人生の最終場面で、共に暮らした家族からの感謝の念に包まれて、自分も家族に感謝して安らかに逝く。それをプロデュースしてくれるのが、看取り士である。

 

尊厳死

 最近、厚生労働省でも尊厳死の指針を出すことを検討するようになってきた。意識なくチューブにつなげられて、苦しんで死ぬより、人間として自宅で尊厳ある死を迎えたいという患者の意思を尊重する考えだ。また日本でも植物人間として生き永らえることの是非が論じられるようになった。

 単なる延命治療だけなら、その治療を止めて、自宅で死にたいという人も多い。だから自分の最期のシナリオは自分で決めておきたい。その際に、看取り士にあらかじめ相談しておけばよい。死は自分にとって初体験なのだから、先達の指導を受ければよい。

 

 

看取り士の仕事

 相談を受ける

 臨終の立ち合い

 看取りの作法の伝授

 

 看取り士の資格を取るには11時間の講習、費用は11万円程。その資格を取って、その職業に就くためではない。その知識があると、自分の死、家族の死に正しく向き合えるようになる。知人の某県会議員もその資格を取ったという。彼とは中学の同期である。私もその資格の取得を真剣に考えている。

 

看取り士とのご縁 

 私は4年前にガンになり入院手術をした。手術後、5年後の生存率は51%と担当医師より宣告された。退院した後、覚悟を決めて遺言書を書いた。戒名も授かった。戒名を墓誌に彫った。葬儀の段取りも決めた。死後50年間の法要の段取りもした。お墓は8年前に建立すみである。

 準備万端で後は死ぬだけ?だが、今回ご縁があり、死のプロデュースの必要性を知り合った看取り士の小川さんから教えてもらった。よく考えれば、死ぬ際の段取りがまだ出来ていなかった。人生劇場の最終場面でのプロデューサを手配漏れしていた。これも大垣市会議員選挙活動に首を突っ込んで得られたミス発見である。それもご縁である。ご縁はどこに転がっているやも知れぬ。ご縁に感謝である。

 

人生劇場

 看取り士は、臨終の際だけのプロデューサーである。自分の人生劇場の統括責任者は、自分である。より良き人生劇場で演じるために、最期まで出演して生涯現役で活躍したい。朝起きてまだ息をしていれば、まだやることがあるとの神仏のお告げである。その意を新たにした。

 

 ご案内

 上記と同じ自主上映会が岐阜市で7月30日に行われます。 

 詳細は下記パンフレットをご参照。

Photo

.

2023-07-24  久志能幾研究所通信 2722号  小田泰仙

累積閲覧総数 391,171

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年7月12日 (水)

70年前のタイムカプセル(2)モノつくりの兆し

 

B707着陸写真のパネル

 私が高校生の時、クラブ活動として写真部に在籍し、小牧飛行場によく写真を撮りにいっていた。一眼レフに200mmレンズにつけて、着陸時の飛行機を撮っていた。当時はズームレンズはなく、固定焦点である。

 私は高校では写真部の所属なので、その写真を写真部の暗室で、自分で引き延ばし、現像して、パネルに貼って、学校の文化祭に出品した。そのパネルも手作りである。50年も経っているので、パネルに貼り付けた当時のガムテープが剝がれそうで、時代を感じる。フィルムの現像も学校の暗室で出来たが、手間がかかり過ぎるので、フィルムの現像だけは業者に出していた。しかし印画は自分達でやっていた。

 その写真パネルが70年前のタイムカプセルから出てきた。私のお宝である。懐かしさが一杯である。当時、そんな贅沢な遊びをさせてくれた両親に感謝である。

 飛行機を撮る趣味は、もう56年も続いている。

 

Dsc012011s

  B1サイズに引き延ばし   小牧空港で 1967年頃

       Canon PELLIX   FL200mmF3.5

.

ポスター「国際航空宇宙ショー1971年」

 私が大学生で、その会期中の1週間を、大学の授業を全て欠席して小牧飛行場に通った。その時、米海軍のブルー・エンジェルスが来日した。思い出深いの航空祭である。そのポスターもタイムカプセルから出てきた。お宝である。

 

Dsc011901s

.

模型づくりの遺品

 当時の未組立てのプラモデルも出てきた。当時のプラモデルの箱を見て懐かしさ一杯である。おこずかいでそれを買うこと黙認していた両親に感謝である。

Dsc01202s

Dsc01203s



 当時、私は機械系の模型作りの遊びが中心で、将来は飛行機の設計者を夢見ていた。しかし、能力的に航空機の分野に進むのは無理があった。名古屋大学の航空学科は、東大に入る学力がないと無理とのこと。また当時の経済界の状況で、卒業後に航空機関係の仕事に就くのが難しいとのこと。それで航空学科を諦め、工学部機械科に進学して、機械系の会社に入った。そこで人並み以上の努力をした。それで今の日本の産業界の発展に少しは貢献できたと自負している。当時は、まさに高度成長期の最中であった。

 

今の若者の夢

 今の若い子の将来の成りたい職業の調査では、ユーチューバーやゲームクリエイターになることが上位になっている。若者がスマホ、ネットで形ないものやゲームの世界の幻想に没頭しているからだろう。電車内でも若者がスマホをいじっているが、半分以上がスマホゲームに没頭している。

 しかし、今の若者の夢がユーチューバーやゲームクリエイターになることには、私は危惧している。それで今後の日本の発展にどういう貢献をするのか。ゲームに没頭し過ぎて、平気で人殺しまでする社会になっている。最近は岐阜陸自で乱射事件が起きたばかりである。ゲームばかりでは情操教育はうまくいかないだろう。私も学生時代、ゲームばかりしていれば、モノつくりの会社に入社しようとは思わないだろう。そういう点で、若いころの趣味は大事だと思う。

 人は一番多く見たものや多く考えたことから影響を受ける。その一番多く見るものを何にするかが、人生を創る要点である。私は若いころ、「人殺し」ゲームには手を出さなかった。それがよかった。

 

 

2023-07-12  久志能幾研究所通信 2717号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年7月 9日 (日)

70年前のタイムカプセル(1)教育の遺品

 

 押入れの中を整理していたら、70年前の資料や物品が出てきた。まるで70年前のタイムカプセルを開いた感じである。おもちゃ箱をひっくり返した様なワクワク感が出た。その中の物品を見て、当時の状況を思い出して、当時の両親の自分に対する想いに改めて感謝の念を抱いた。

 

 自分にとって大切な人が自分にしてくれた思いや魂が、資料や物品に籠っていた。その思いが染み込んでいたとも言える。世間では断捨離が大流行だが、私は断捨離に反対だ。私の方針は整理整頓清潔清掃である。断捨離をするとすっきりするかもしれないが、大事な想い出や魂まで捨てることだ。それは自分の歴史を捨てる事。思い出こそ、人生である。その思い出を共有するから家族である。頭の中の記憶だけでは、その思い出は風化していく。しかし形あるモノは何時までも残り、嘘をつかない。思い出は、かってに美化しすぎてしまうこともある。

 

下記はカプセルから出てきた思い出の品

 

珠算能力検定合格證書 7級~9級(昭和35年) 当時10歳

 当時、私は、大衆浴場の二階の大部屋のそろばん教室「大石高等速算学校」(大垣市林町)に通っていた。天井の低く広い教室であったのが記憶にある。自分で希望して通ったのではなく、両親が通わせたのだ。周りの仲間がそろばん教室に通っているので、大事な息子も世間に遅れてはならずと、通わせたのだろう。本人は周りの雰囲気に巻き込まれてソロバンを習っていた。

 

絵画コンテストの入選賞状

 当時、小学生の私は、水彩画で各コンテストに先生から言われるまま応募をして、入選作は数え知れずである。せいぜい入選までだが、それでも実績はあった。両親はなぜか絵画教室に通わせてくれた。自分達にはなかった情操教育をさせたかったのだろう。賞状は多く残っているが、肝心の作品は1枚も残っていない。それが心残りである。当時はカメラがなかったのだ。

 今思うと両親は私の教育に人一倍熱心であった。父は尋常小学校を出ると、すぐ丁稚奉公に出されて、苦労をしてきた。父も絵を描くことは好きであった。その思いを息子にはさせたくないとの思いであったと思う。当時はまだまだ貧しかったのだ。

 

 その賞状の束の中に挟まった「寄生虫卵検査検査証明書」(社団法人 岐阜日日新聞社会事業団)も出てきた。たぶん私が小学校低学年の時だろう。宛先は「保護者殿」である。裏面に「明るい家庭に郷土の新聞 岐阜日日新聞」とある。この裏面を見ると、当時の社会情勢が垣間見える資料である。

 当時は私の家族は紡績工場の社宅住まいで、トイレも汲み取り式で、トイレットペーパーなどはなく、古新聞で拭いていた。お風呂も社宅住宅地内にある共同の大風呂である。まだまだ貧しい日本社会であった。

 そんな環境で、息子の教育には力を入れてくれた両親であった。その後、中学に入ると英語塾、学習塾に通うことになった。それがあるから今の自分がある。感謝である。

 

T定規

 中学の図工の学科と大学の製図で使ったT定規が2本出てきた。中学用のT定規は、父が作った布製の袋に入っていた。大学でつかったT定規はビニール袋に入っていたが、50年も経っているので、ぼろぼろになっていて捨てた。しかし父の作った布製の袋はまだしっかりしていた。今にして父の愛情を感じた。

 後日、ドラフターを買って貰ったので、T定規は使わなくなった。それでも捨てずに保管していた自分を褒めてあげたい。そのドラフターは処分してしまったが、昨年、中古で再度入手をした。やはり私には技術者の血が流れている。

 

Dsc01192s

 下のT型の布袋が父の製作(父は内職で洋裁をやっていた)

.

大学時の製図実習の図面 22枚

 当時、ドラフターを使って、鉛筆手書きの図面をケント紙に実習として描いていた。その出来を見ると、「いい仕事してますね」という思いである。今からではとても捨てられない。正式のファイルボックスに保管予定である。

 

1s

Dsc011971s

 

2023-07-06  久志能幾研究所通信 2716号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年7月 7日 (金)

古希を過ぎたら毎年、死亡企画書を書こう

 

年度人生企画書

 私は毎年、その年の人生企画書を書いてきた。年初に、前年の反省をして、その年のやるべき人生計画を立て、目標値を決めていた。

 会社でも部門長を任されると、会社の年度方針に合わせて、自分の部署の企画書を書かねばならぬ。それと同じで、定年退職して、自分人生有限会社の社長になったなら、その年の人生企画書を書かねば、目標の無いないだらけた生活となってしまう。だから還暦以降も、年度企画書に沿って頑張ってきた。

 しかし古希を目前に、がんを患ってその人生企画書を書く元気をなくした。それでも何とか、人生企画書を書いて生き延びてきた。

 

年度死亡企画書

  毎年の人生企画書とは、毎年、成長する目標値を決めて精進することだ。しかし成長が、無限に続くわけではない。人生でもいつかは終りが来る。会社でも無限に成長するわけではない。無限に成長する細胞とは、がん細胞である。

 古希を過ぎ、死期に目覚めて、今まで書いてきた人生企画書を死亡企画書に変えることにした。要は死ぬまでの生き方の計画である。まあ死亡企画書の別名は、体力維持企画書である。

 良く死ぬとは、良く生きることだ。人生で最大で最後のプロジェクトが自分の死である。その準備にやり過ぎることはない。人生二度なしであるからだ。生涯現役を全うするには、相応の準備が必要だ。その計画が死亡企画書である。

 ヒトも細胞も生老病死である。ヒトも成長のピークを迎えると、人間の筋肉量は年に1%ずつ減少していく。40歳以降、脳の容積は年に0.5%ずつ減る。古希を迎えると、筋肉量も体力も若い頃の半分になっている。それは頭脳細胞でも同じである。ただし、語彙力等の思考能力は成長を続ける。そのピークは、60~70歳という。それは学び続けた人だけである。そうしないと認知症になる。65歳の認知症患者は、その年代の15%に及ぶ。

 生物が永遠に成長するはずがない。だからその宇宙根源の理を受け入れ、いかに静かに穏やかに下山をするかである。ヒトは生を受け、人生飛行に飛び立つ。しかしいつかは着陸せねばならぬ。その着陸(死)を遅く、穏やかにする取り組みをする。それを美しくしたい。それが人生飛行の着陸の美学である。

 

体力低下防止の取り組み

 できることは、その年々減少していく筋力、体力の減少速度をいくつに抑えるかを企画することだ。何も企画しなければ、無為に筋力が年1%ずつ減少して、フレイル、サルコペニアになって、寝たきりになってしまう。フレイルとは虚弱の意味である。サルコペニアとは、高齢になるに伴い、筋肉の量が減少していく現象である。

 私も還暦のころは楽に歩けたウォーキング距離(8㎞)が、今は歩けない。それが加齢現象である。使わない器官は退化するが生物の原則だ。だからなるべく筋力を使う生活をするよう意識する。その運動の企画をする。意識しないと、それが出来ない。生涯現役を目指すためには、必須の取り組みである。

.

 脳の掃除

 衰えゆく各機能の中で、精神のみが向上できる。人間としてそれをどこまで高めるか企画をして精進したい。

 スマホばかりに没頭すると、脳のフレイルになってしまう。それは脳の糖尿病である。ネット情報の99%はゴミ情報である。そんなゴミにまみれれば、認知症にまっしぐらである。自分で考えて、アウトプットを出し続ける。それが認知症防止、老化防止、脳フレイル防止である。

生前葬

 自分が死んでから、親しい人に弔ってもらっても、本人は嬉しくない。それより、生前に酒を酌み交わして、今まで親交の数々を思い出す方がよい。相手も何時死ぬかも知れぬ。人の明日は分からない。だから親しい人とは、個別に生前葬として宴席を設けたい。年初にその計画を企画しよう。

 自家の墓は、築60年で痛んできたので、私が65歳の時、改建した。よく考えれば、自分も入る墓である。だから手配済である。

戒名

 私は、ガンを患って退院後すぐ戒名を授けてもらい、墓誌に彫った。私は葬儀費用、50年分の法事費用も払ってしまった。準備万端である。

 死後に戒名を授かるのは、応急処理である。生前に住職様と相談して決めておくべきである。

弔辞

 50歳ごろ、研修で臨死体験をさせられた時、自分あての弔辞を書かされた。それを見直している。それこそが、これからの生き様の企画である。

献体

 養老孟司先生の話しでは、若い死体は稀有だが、老人の死体は有り余っているようだ。解剖医は若い死体を探している。だから私の死後は、病理解剖などせず、そっとして欲しいと思う。

 私は、臓器移植が自然界の理に反していると思うので、それもやらない。

 

着陸

 着陸は美しく決めたい。ガソリン(財産)を余分に持っていると、重すぎて地面に激突する。還暦までは、蓄財に励むべきだが、古希をすぎれば、減財を考えるべきだ。財産を持って彼岸には行けない。老人がお金をあと5%余分に使えば、日本の景気は回復する。お金を使うには体力と気力が要る。気が付いた時は、体力と気力が無くなっている。

 だから身軽に美しく、静かに着地したいもの。着地姿勢の美しさが、生き様の全てを表している。ガソリンを遺しすぎて、遺族が醜い相続争いをするのは、醜態である。身近な親族で、その様を見て呆れた。

 

Img_64311s

  着陸は美しく決めたい。   セントレアで撮影(著者)

.

 2023-07-06  久志能幾研究所通信 2715号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年6月29日 (木)

自作カミオカンデで女神の閃き、神尾噛出

 

 私の書庫には、5トンの図書が蔵書として保管されている。スーパーカミオカンデには5万トンの水を蓄えた円筒形水タンクが設置されている。そのスーパーカミオカンデの水重量の1万分の一の5トンの図書で埋まった書庫に、50年分の800Kgの情報スクラップ(雑誌・新聞の切り抜き、講演資料、チラシ等のスポット資料)を80個のファイルボックスを蓄えた。1個のボックスファイルは約10Kgである。それが私の極小カミオカンデ実験室である。それを私は「神尾噛出」と名づけた。

.

神尾噛出

 雑誌はドイツ語でZeitschrift (die Zeitschrift{女性名詞})である。女神は後髪が無く、やってきた幸運の女神は前髪を掴まねばならないとされる。しかし旬の過ぎた雑誌は、昔の女の様に過去の女神であり、その女神には、前髪も後髪もなく、あるのは尻尾だけである。その尻尾を掴んで噛めば、良き閃きを得ることが出来る。それはハレー彗星の尻尾をつかむような行為である。ハレー彗星の尻尾は、その軌道により、太陽光の風が変わり、それにより光って見えている。過去の雑誌記事は、現代の風に当って、過去の光とは別の光を出している。それを掴めば創造的な発想が出来る。(おだ仏教の新説?)

.

情報のシャワー

 スーパーカミオカンデでは、ニュートリノがたたき出した荷電粒子が、水中の光の速度よりも速く水中を走ると、チェレンコフ光が放出される。スーパーカミオカンデは、それを観測している。

 私はそれと同じように、50年分の情報のシャワーを浴びることで、脳細胞に刺激を与えて、新しい閃き得ようと試行錯誤している。この2か月間で、2回、それに目を通した。その資料に目を通すことで、50年分の情報、経験知が頭をよぎっていき、当時のことが目に浮かぶ。

 スーパーカミオカンデには光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている。それに対して、ヒトの大脳には約160億個、小脳で約690億個、脳全体では約860億個の細胞が有る。情報に接することで、脳細胞がセンサとなって反応しているはずだ。センサの数では「紙緒感出」はスーパーカミオカンデより巨大である。

 それは私の創造活動である。過去の情報や経験やモノの記憶が頭の脳みそを掠めている。その情報を分解して、再結合して、新しいモノを生み出す。それこそが創造の定義そのものである。

 

知見

 またその50年分の資料をふりかえることで、下記の知見を得た。

  あの努力があったから、今の自分がある。

  あの取り組みはやり過ぎだった。

  あの努力は不要だった。

  もう少し別の取り組みが出来たはず。

  その失敗は、自分がまだ成長していなかったからだ。

  あの失敗があったから成長できた。

  当時の苦い経験は、よき成長の為の栄養剤であった。

  10年、20年のスパンで見ると、因果応報の法則が当てはまる。

  一歩前に出た勇気は、20年後に実を結ぶ。

  全てのものは生老病死である。

 

 この作業で過去の人生を0.2度ほどやり直した気がする。「人生二度なし」であり、人生のやり直しはできないが、見直し、出直しは何度でもできる。死ぬ日でも、新たな出直しはできる。どんなことでも出直しに遅すぎることはない。

 

Dsc02459s

 これで56個のボックスファイル。2023年5月当時で、合計80個のファイル数だった。  

Dsc01174s

  ボックスファイル

Dsc01173s

Dsc01175s

 以前80個あったボックスファイルを70個に整理   2023年6月28日

Dsc01176s

 50年分の資料からまとめた個別テーマファイル

Dsc01177s

 100年分の我が家の写真記録


039a12113s

 .

スーパーカミオカンデ

 スーパーカミオカンデは、世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置です。1991年に建設が始まり、5年間にわたる建設期間を経たのち、1996年4月より観測を開始しました。スーパーカミオカンデ実験は、東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設を中心に、日本、アメリカ、ポーランド、韓国、中国、スペイン、カナダ、イギリス、イタリア、フランス、ベトナムの約50の大学や研究機関から約230名の研究者が参加する国際共同研究として行われています。

スーパーカミオカンデ検出器は、5万トンの水を蓄えた、直径39.3m、高さ41.4mの円筒形水タンクと、その壁に設置された光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーなどから構成されています。岐阜県飛騨市神岡鉱山内の地下1000mに位置しています。

スーパーカミオカンデ 公式ホームページ  より

https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/

 

2023-06-29  久志能幾研究所通信 2711号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年6月13日 (火)

初体験 ロイヤル・スィーツルーム

 

 2011年9月11日、東北地方に出かけたときの経験談である。当時、まだ東日本大震災から半年しか経っておらず、人はあまり観光に行かないだろうと思い宿泊ホテルも現地でなんとかなるはずと思いこみ、安易な気持ちで出かけた。しかしその時が、月曜日が敬老の日で3連休の最初に当たり、また現地でお祭りもあったため、どのホテルも満室で宿が確保できなかった。駅の宿案内で当夜の宿を探してもらったが、全く宿が無い。

 途方に暮れていたが、宿案内の方が、粘り強く探してくれて、某ホテルのスィートルームなら空いていて、定価の半額でよければ、提供するという。それは通常のビジネスホテルの約10倍の値段である。まあ野宿よりましかと、かなり迷ったがそのホテルでの宿泊を決めた。ホテル側も、空き部屋で置くより少しでも売り上げがある方が良いのだろう。

 

何でも一桁変えて挑戦

 結果として極楽の気分で宿泊出来た。その一夜、よい仕事も出来て、よい経験ができた。トヨタ生産システムを作った大野耐一氏も、何でも一桁変えて挑戦しろという。それを思うと良き経験であった。

 

ロイヤル・スィーツルーム

 このロイヤル・スィーツルームは、皇族やVIPや新婚さんよりも、ビジネスでの会議でも多く使われているようだ。普通のスィーツルームは普通の部屋の2倍の大きさ、ロイヤル・スィーツルームは普通の部屋の4倍の大きさである。そして仕事用の机がある。それが一番の価値があるとおもう。豪華なソファーセットや大型テレビもあったが、私は全く使わなかった。酒も当然、飲まない。当日の夜、快適に仕事をしただけである。

 

 これ以降、スィーツルームの利用に躊躇がなくなった。後年、この経験から馬場恵峰先生ご夫妻をお泊めする時、スィーツルームを躊躇なく利用できた。普通のホテルのスィーツルームはおおよそ普通の部屋の5倍程度の値段である。それで先生への感謝の気持ちが表せる。

 

地方都市のスィーツルーム

 地方のシティホテルのスィーツルームは精々一泊5万円から20万円程である。その気になれば泊まれない部屋ではない。ごくたまのイベントで感謝の意味の接待なら、使う価値がある。

 スィーツルームと言っても、華美で豪華な装飾に部屋ではなく、ビジネスライクに合理的で、広く使い勝手がよい部屋であるだけである。会社の会議用にも使われているようだ。やはり、そういう事情は現地現物で見てみないと分からないものだ。

 

 その後、地元のホテルのスィーツルームで、1年に1度、人生の棚卸しをするために使うことになった。それは12年前の投資から得られた経験資産である。スィーツルームを使うと言うのも智慧という資産なのだ。スィーツルームを使ってそれに見合った付加価値を生めばよいだけだ。

 

01img_6196s

02img_6199s

03img_6143s

04img_6157s

05img_6148s

06img_6150s

07img_6173s

08img_6190s

09img_6206s

10img_6186s

 ペントハウスからの展望


 

2023-06-13  久志能幾研究所通信 2702号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年6月 7日 (水)

丁寧な仕事、丁寧な人生

 

 字は丁寧に書けばうまくなる。一点一画を注意して書けばうまく早くなる。字は早く書くと下手になる。速記者は字をうまく書けない。

  2006年5月28日 馬場恵峰師

 

仕事

 仕事は丁寧にこなせば、仕事の能力が上がる。一仕事、一作業を注意してこなせばスキルも上がりスピードも上がる。仕事をスピードだけを重視してこなすと雑になる。

 10年前、自宅のリフォーム工事を宮大工さんにしてもらった。仕事の速度はそんなに速くないが、仕事は丁寧であった。10年経った今でも、ガタも何もない。

 しかしそれ以前に若い大工にやってもらった工事は、仕事の仕上がりは早かったが、出来栄えは雑であった。二度と仕事を頼みたいとは思わない。

 

人間関係

 人との付き合いでも、誠実に丁寧に付き合った人とは長く付き合っている。雑な付き合いしかしてくれなかった人には、裏切られ、短期間に交際が終わった。

講師という仕事

 20年前、私は新入社員教育で、新人研修講座の統括責任者として、各講座の専門担当者に講師をお願いして研修を進めていた。私は統括責任者として各講座を必ず視察をした。講座の時間に、その教室に出向き、後で講義ぶりを観察した。全部で約30講座の講師の講義ぶりを全て観察した。それを7年間続けた。

 本来なら、その講座を専任の講師に任せれば、それで私の仕事は終わりである。しかし私はこだわって、講師の仕事ぶりを観察した。そこで判明した事実は、「仕事がいいかげんな講師は、講義もやっつけ仕事である。人は、日頃の生き方・仕事ぶりが、人を教える仕事に現れる。」である。

 

 当年、いい加減な講義をした講師には、次年度の講師依頼はしなかった。要はクビである。「新人技術者教育講座」の運営は私の仕事の作品である。その講座の完成度向上が私の使命であったからだ。

 

 私には人を観る修行となった。その結論として、一事が万事で、一緒に仕事をしたくない人の判別材料となった。

 そんな講師を反面教師として、自分の講義は真剣に対応した。それで今の自分がある。

 人生の最大の仕事とは、自分の人生を作る仕事である。自分という建物の完成には、自分の成長が必要だ。死の床で後悔しないため、丁寧に自分を作ろう。

 

Img_0572s1

 私の講義風景

Img_0552s

 他の講師の講義風景

 全講義を観察するため、後ろからそっと視察した。 

 

 

2023-06-07  久志能幾研究所通信 2698号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2023年6月 3日 (土)

人生の年貢をトヨタ生産方式で納める

 

 カンバン方式とは、トヨタの「トヨタ生産方式」で運用されている道具である。車や車の部品を効率良く生産するための一つの道具である。このシステムでは、よいクルマをより安く、早く顧客に届けるために、あらゆるムダを徹底的になくして生産することを目指している。

 この「かんばん」のカードには何時、何処で、誰が(どの部署が)、どれだけ生産するかが記載されている。部品箱1つ1つに「かんばん」がついていて、カンバンで指示された部品を生産するとその「かんばん」を付けてその部品を次工程に流す。

 

 トヨタ生産システムでは、まず顧客から出発して、各工程で、「この工程は顧客に対してどのような付加価値を生み出しているか」と問いかける。(p54) 稲垣公夫訳

 ジェフリー・K・ライカ―「ザ・トヨタウェイ」

 The_toyota_wat_1

.

人生の顧客とは

 人は動物として生まれ、人としての使命を果して世を去る。それはトヨタ生産システムと全く同じである。それで自ずとやるべきことが明確になる。自分の人生の顧客とは、死の床で自分の人生の満足度を味わう自分自身である。

.

人生の納期

 トヨタ生産システムではカンバン方式で、必ず納期が決まっている。死ぬ時に死なないと、他人に迷惑をかける。100歳でも構わないが、寝たきりの長生きでは、自分も不幸、周りも不幸である。人の人生では、必ず死という納期がある。納期厳守はトヨタ生産システムの要である。死ぬ時には、死ぬのが良いのだ。

 だから納期(死)から数えて、今何をすべきか、よりよい付加価値を生み出すために何を今すべきかを考えるのがトヨタ生産システムである。それが人間と動物を分けるものである。だから人間は自分の使命を自覚して、納期(死)前にやるべきことをやる。

 .

人生のカンバン

 人生はカンバンと言う目に見えない仕組みで運ばれる。出生、入学、学業、卒業、就職、結婚、第一の仕事、定年、定年後の第二の仕事、死、のカンバンである。時が来れば嫌でもそのカンバンが回ってきて、その工程をこなして、後工程に流さねばならぬ。

 指定されたカンバンを処理できないと人生が行き詰まる。「就職浪人」とは、その「就職」というカンバンを処理せず、放置した状態である。なぜ就職できなかったか、なぜ何故を5回で追求しないと、後工程が全うできない。

 「死のカンバン」が来れば、受けなければならぬ。例えば、「定年」はその仕事の期間が終わりという「死のカンバン」である。「定年」というカンバンは就職した時、60歳での納期として、あらかじめ発行されている。請求しなくても神仏が発行する「お迎え」と言う名のカンバンが80 歳前後にやってくる。

.

自工程完結

 自分に出来ることは、納期内に自分の工程で改善を繰り返し、最大限の付加価値を付けて、納期通りに後工程に流すことである。それを自工程完結という。

 トヨタでは前工程は神様、後工程はお客様である。前工程の出来栄え(宿命)は、相手が神様だから文句は言えない。自工程で何とかするしかない。それが運命を拓くことである。

 自工程で問題が起これば、何故なぜを5回繰り返して真因を見付け、問題を解決する。原因と真因を分けて解決しないと、対処療法では問題が再発する。

 

 そしてトヨタ生産システムを支える考えが、豊田綱領である。要は、全社一丸となって誠実に職務に尽くせ、研究と創造で智慧を出し、時代の先を行け、贅沢禁止、質実剛健、仲良く、家庭的美風で。神仏を尊崇、報恩感謝を為すべしである。

 トヨタマンはそれを愚直に守って、トヨタはド田舎の豊田自動車から世界のトヨタになった。

 自分の人生も同じようにトヨタ生産システムで運営すれば成功する。

 

 

豊田綱領

豊田佐吉翁の遺志を体す

一、上下一致 至誠業務に服し 産業報国の実を挙ぐべし

一、華美を戒め 質実剛健たるべし

一、温情友愛の精神を発揮し 家庭的美風を作興すべし

一、神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし

 

 2023-06-02  久志能幾研究所通信 2696号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年5月 3日 (水)

自分編集の解体新書は重量800㎏

 

 私は新聞、雑誌、週刊誌、月刊誌を再編集して一つの書として読んでいる。私には、新聞や週刊誌などが、貴重な情報源である。しかし読むべき箇所、残しておくべき箇所は数ページだけである。それをそのまま残せばかさばってしまう。またそれを次に読むとき、余分のページまで見なければならぬ。それを避けるため、必要なページだけ切り抜いて、A4クリアシートに挟んで、読んだ時間順に10㎝幅のA4ボックスファイルに放り込んでいる。

 1つのボックスファイルで約10㎏。その数が80個、総重量で約800キロである。それを随時入れ替えながら繰り返し読んでいる。その資料が不要と判断すれば、そのファイルだけ廃棄である。だからこの新書は日日更新されている。これは世界唯一の私が編集する現世情報の「解体新書」である。

 

Dsc02459s

 これで56個のボックスファイル

.

『解体創智』

 わずか数百円の雑誌や週刊誌で、全てのページに読む価値が詰まっているはずがない。本でも同じである。僅か千円ほどの本で、読むべきか所は数頁だけである。

 数センチの分厚い月刊誌『文芸春秋』でも項目別に分割してバラバラにすれば、厚み数ミリの資料になる。それをA4クリアシートに入れれば良いだけである。

 私は必要な記事を雑誌から切り抜きしてファイルしている。本は必要な個所を抜き書きして京大カード化している。それを40年間の継続して、現在、約64冊、総重量で約640キロ、京大カードは1万枚に「成長」した。私が読破した本や雑誌を解体し、まとめて編集して作り上げた。これは私だけの世の中の雑学の解体新書である。これを『解体創智』と名付けた。

 その中には10年分の"International Herald Tribune"紙も含まれる。私が奈良県の勤務地に転勤になった時、この英字新聞を購読した。聞けばその市での購読者は私一人であったという。この英字新聞は私の英語の師の後藤悦夫先生からの推薦であった。その構文が、テクニカルライティングの勉強になるとの理由である。

 この『解体創智』の各ページは、有名な著者の記事やゴーストライターが書き上げた名文が並んでいる。なかなかに人生の訓言や戒めの言葉も多く、読みごたえがある。健康情報も下ネタさえもある。その中から、有名人の記事や、流行の話題を別ファイルにまとめている。それから私の著作活動のヒントを得ている。

 更に、参加した講演会資料、演奏会、購入した機器のカタログ、大事な領収書もクリアシートに入れて放り込んである。この資料群は、いわば私の行動の歴史の記録でもある。それを読み返すと、当時、こういうことをしていたとの日記にもなっている。

 

P1100993s

 厚み26mmの『文芸春秋』でも、特集部だけを切り取ると厚み4mmのファイルになる。

.

創造とは

 創造とは、過去のアイデアの解体と結合の産物である。新発明は、天才だけに可能だが、創造は凡人でも可能である。ソニーのウォークマンだって、過去の技術を再分解して再統合した産物である。決して新しい発明があったわけではない。音楽レコード盤は発明だが、ウォークマンは創造である。

 創造の「創」とは、「倉(きず)」と「リ」(砥石と刀)から作られた象形文字である。このきずとは刀傷である。刀傷で出来た傷跡に焼酎を吹きかけ、さらしを巻いてなにくそと頑張る姿が、創造の世界である。その傷口から新しい細胞が生まれて、傷口を埋めていく。傷だらけにならねば、新しものは生まれない。

 週刊誌、雑誌、新聞記事は人間模様の傷口の歴史である。その人類の失敗記録から、新しい智慧が生まれる。その失敗は、他人が自分の代わりにしてた貴重な失敗記録である。それを他山の石として活用しよう。それが智慧となる。

 

 

2023-05-03  久志能幾研究所通信 2679号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

 

2023年4月25日 (火)

余命宣告 HDの死

  ハードディスクの寿命は約5年である。私のディスクトップパソコンを使い始めて約6年が経ち、HⅮに少し異常が出てきた。HⅮ診断ソフト(CrystalDiskInfo 無料ソフト)を使って確認すると、警告の黄色表示である。間もなくハードディスクが寿命を迎えることが分かった。

 それで死ぬ前に(壊れる前に)、内臓HⅮのデータを別のHⅮに移行し、内臓HⅮを入れ替えた。

 そのHⅮ診断ソフトで警告が出た時に、量販店でHⅮを確保して(取り寄せに時間がかかる)、交換時期を探っていた。HⅮがクラッシュしてからでは遅いのだ。HⅮの死は必然である。今日の12時にPCをエディオンさんに持ち込み、その5時間後に修理が完了した。

 準備万端で、早め早めの対応が危機管理である。これが突然のHⅮクラッシュでは悲惨である。HⅮは壊れて当たりまえである。今まで、私は数度のHⅮクラッシュを経験している。そうなれば大事なデータが失われてしまう。蓄積したデータは自分の人生の記録なのだ。それを失うとは、人生を失うに等しい。

 

E20230403

      CrystalDiskInfo の診断画面

. 

生老病死

 どんなものにも寿命がある。世の全てのものには生老病死がある。花の命は1日、HⅮは5年の命、冷蔵庫なら10年、会社人生は38年、人の寿命は81歳、健康寿命は72歳である。

 どんなものでもおおよその寿命は分かっている。その寿命が尽きる前に、やるべきことをやっておこう。長生きできても、100歳では思うように体が動かせない。己の体が衰弱しきった1か月前では、何処にも行けない。そもそも死の直前では、気力も萎えて、何もできない。美味しいものも食べられない。だから死の2年前までに、やるべきことをやっておく。それが死計である。人が死ぬことは、必然である。

 

 人として、生命が誕生するのは、1億円の宝くじが連続で百万回当たると同じくらいの偶然である(筑波大学名誉教授村上和雄)。しかし死は100%必然である。だからその得難い幸運を手に入れたのだから、死ぬ前にしっかりと楽しもう。還暦まで働けば、社会への義務は果たせた。後はやりたいことをやって、楽しもう。楽しみながら世の中に貢献しよう。

 

 還暦後は、奴隷生活を送るのを止めよう。共産党や新興宗教団体の奴隷生活から逃げ出そう。奴隷生活の共産党員も高齢化で、今回の統一選挙で、91議席も議席を減らした。同じ理由で、東京都練馬区議選では、鉄の結束の公明党が4人落選である。全国では12名の落選である。

 大垣市の住民も、村社会からの奴隷扱いの強制投票圧力を受ける。それから目を覚まさないと、奴隷のままで人生を終わる。地域利権者の候補だけに投票しては、大垣市は良くならない。

 

 死の前までに楽しいことをやっと置かないと、死の床で後悔する。自由人として、自分の意思を明確にしないと、死の床で後悔する。

 いつやるの? 今でしょう! 時間は命である。人の命は日々尽きていく。人の明日は分からない。

 

 1

   馬場恵峰書

2023-04-25  久志能幾研究所通信 2675号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。