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2024年8月 4日 (日)

人生づくりはトヨタ生産システムで

 

「トヨタのもの作り」の基本はトヨタ生産システムである。それは「もの(者・仕事・事象)作り」の基本である。その極意は人生でも同じである。人生づくりはもの作りと同じである。

 

豊田綱領

 一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

 一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

 一、華美を戒め、質実剛健たるべし

 一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

 一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

 

 人生で大事なことは、信じるもの(宗教)をもつこと。動物と人間の違いは、宗教の有無である。宗教の漢字の意味は「家」の「教え」である。ご先祖の教えである。トヨタ家の家訓は、豊田綱領である。日本国家の家訓は、日本憲法である。会社というお家の家訓は、社是である。社是のない会社はろくでもない会社である。

 いくら人事を尽くしても、それを超越した存在がある。それを人は神、佛、自然、運命、天ともいう。豊田綱領では神仏とご先祖を敬い、報恩感謝を忘れるなと言う。

 

整理整頓清潔清掃(5S)

 5Sはトヨタ生産システムおける人生の極意である。

 それを古来の日本では、仁義礼智信という。人脈の整理整頓(5S)をしよう。縁なき衆生は度し難し。悪縁を整理整頓しよう。腐れ縁が自分を不幸にする。

 戦略を練る場所(家)を5Sしよう。戦術より戦略が大事。そのため5S。

 人生計画を5Sしよう。自分に残された時間はそんなに多くない。人は生まれた時から死が約束されている。人生は3万日しかない。多くの人が残り時間を意識するのは、残りが5千日を切った頃だ。

  72歳が男性の健康寿命で、その後の9年間は医者通いか寝たきりである。最悪は認知症である。

  還暦を迎えると、筋肉量は、若い頃の半分である。一般的に30歳代くらいから少しずつ脳の萎縮が始まり、65歳くらいになると、CT画像で肉眼的に「明らかな萎縮がある」ことが分かるようになる。

 人は生老病死である。

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前工程は神様、後工程はお客様

 モノ作りで、前工程で決まったことに後工程の自分は何も言えない。前工程の製品規格は、製品設計段階で決められている。自分の担当工程で文句は言えない。

 人生のご縁は、人を育てる工程の前工程である。どんな環境でもご縁でも、自分の意志ではなんともならない。全て受け入れることから人生は始る。

 人が生まれる確率は、1億円の宝くじが百万回連続で当たると同じ確率である。(村上和雄筑波大学名誉教授談)

 そんな稀有の存在で、今の生まれた時代と場所は神仏が決めたと思うしかない。だから置かれた場所で花を咲かせるしかない。戦争中の日本、極貧の国に生れなかったことを喜ぼう。

 

先入れ先出し

 先入れ先出しとは、先に仕入れた材料から順番に使う。それが品質管理の原則である。 

 年功序列とは、先入れ先出しである。人を育てるには、抜擢人事や飛び級はご法度である。人を育てるには、地道に多くの経験をさせて育成するしかない。

 

日々改善

 どんな工程でも無駄を見つけて、一歩一歩改善していく。最初から完全なものはない。そういう鈍くさいことを繰り返して、トヨタはド田舎のトヨタから世界のトヨタになった。

 人生でも同じで、日々、同じことを繰り返しである。その中で露見した自分の欠点、問題点を少しずつ治していくしかない。

 ローマは一日にして成らず。大木も一日では大きくならない。

 

カンバン方式

 時期が来たら、黙々とそのカンバンを処理する。

 受験期が来たら、受験勉強をする。若い時に勉強しないと、頭が追い付かなくなる。

 定年のカンバンが来たら、潔く退く。そうやって組織の若さが保たれる。

 定年延長で会社にしがみ付くと、自分の元部下の上司から派遣社員扱いをされ、「生前火葬」の儀で、誇り高いプライドが燃やされる。定年後1年も経つと、精神はボロボロになり、5年間の定年延長を待たず辞めていく。

 死のカンバンが来たら、黙って受け入れ、この世を去っていく。お釈迦さまでもそうされた。家族が世間体を気にして、延命措置で生にしがみ付くから、死にゆく人を拷問の苦しみに追いやる。

 

現地現物

 どんな問題でも、自分の足で現地に行き、自分の目で状況を完全に把握する。これは人生のどんな状況でも同じ。それしか問題は解決しない。

 問題が起これば、飛行機を使ってでも、飛んでいけ。

 

5回の何故

 問題が起きて、対処療法で処置するから、問題が再発する。

 何故、なぜを5回繰り返して、真因を見付け、対処すること。

 私は自分のがんをそうやって治した。

 

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一桁、ゼロを一つとる、10倍の大きさで考える

 最初に小さく目標を立てると、大脳生理学的にそこまでしか人間の頭は努力しない。

 棒ほど願って針ほど叶う、それが人生だ。

 棒を願わねば、針ほども叶わない。

 

 

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2024-08-03  久志能幾研究所通信 2895号  小田泰仙

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2024年7月10日 (水)

人生を健全に生きる 「清く正しく美しく自然体」

 

 人生で一番大事なことは、人生を健全に生きること。

 健全とは、「清く正しく美しく自然体」である。これはオダ仏教の念仏でもある。

 

 「清く正しく美しく」とはトヨタ生産システムでいう5Sで、整理整頓清潔清掃である。健全とは、健康で自然体であること。健康とは、体と心が健やかである事。「全」とは頂いた命を全うすること。自然体とは、生老病死、春夏秋冬であり、宇宙根源の理に従うことである。

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人生のモットー

 宝塚歌劇団のタカラジェンヌのモットーは、「清く正しく美しく」である。

 自分は人生劇場の主人公である。お宝のような自分は、「宝ジェニー」(takara genuinee、私の造語)として、「清く正しく美しく、自然体」で人生劇を演じていきたい。

 

 人が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たると同じほどの確率である(村上和雄筑波大学名誉教授談)。そんな自分の存在はお宝である。それも今の時代の日本に生れたのは奇跡である。中国でなく、ロシアでもなく、アフリカでもなく、戦争をしていない今の日本の時代に生れた幸せである。少し間違えば、昭和初期に生れ、特攻兵にされたやも知れぬ。私のご先祖のお二人は、一人はシベリアの土になり、一人はビルマの土になった。昭和20年のことである。

 

「宝ジェニー」(takara genuinee、造語)

 「genuine」という単語は、本物の、真正の、真の、純粋な、心からの、という意味の形容詞である。物事が本来の姿や性質を持っていることを現す。人が心からの感情や態度を示すことを表す。

 「genuine」の語源は、ラテン語の「genuinus」で、「自然に生じた」や「本来の」を意味する。また、「genuinus」は「gen」(生まれる、生成する)という語根に由来する。この語源からも、genuineが本物や真正なものを指す。(「実用日本語表現辞典」を編集)

 

不健全な人生 

 そんな大事な体を、不自然な生活(悪食、贅沢、我儘、怠惰な生活)を送るから、病気になり、人生を健全に過ごせない。誤った生活習慣、食生活を送るから、病気になり、その結果、終末に多額の医療費を使うことなる。病人は、病気でない人が払っている税金(健康保険)を浪費する罪びとである。

 病気になって、3割負担で医療費を払っても、「俺は病気になっても人様に迷惑をかけていない」という輩は無知である。その医療費の7割は、病気でない人の税(健康保険料)から払われている。日本人が健康におうちゃくになったから、現在は医療費が50年前の5倍の37兆円に激増している。

 過剰医療で、死の直前の体が受け付けないのに、無為な点滴や胃瘻をされ、苦しみながらこの世を去る羽目になる。それは美しくなく、宇宙根源の理に反している。

 

現在の惨状

 この50年間で、医療費は4倍に増えたが、糖尿病は50倍になり、がんは5倍になり、認知症やアトピー性皮膚炎は激増した。その原因は、1945年の敗戦後、占領軍の陰謀で、旧来の良き生活習慣、食生活が破壊させられたことにある。今まで食べなかった小麦、植物油、砂糖、乳製品が大量に消費することが強要された。

 そう考えないと、50年前、10兆円もなかった医療費が37兆円まで膨張したのに、病人が5倍に増えたことが説明できない。医療費が5倍に増えれば、患者は5分の1になるべきだ。現実は5倍に激増である。喫煙率が5分の一になったのだから、肺がんは5分の一になったはず。それが5倍に増えている。(よしりんチャンネルの情報)

 

 日本の医療体制と生活習慣と政治環境が「健全」ではなくなった。病気に対して、西洋医学の対処療法に終始した結果が、現在の悲惨な状況である。

 

人の一生

 人生を健全に自然体で過ごすとは、生老病死の人生を歩む事だ。人生は春夏秋冬で、世の中で黙々と真っ黒になって働き、時期が来れば静かに去っていく。それが正しい人間の生き様である。

 小池百合子東京都知事の様に、8年間も成果のないまま、任期(寿命)が来ても椅子にしがみ付き、経歴詐称、選挙違反、倫理違反、汚職疑惑でまみれて、延命治療のように、政権の終末期を送るのは、反「清く正しく美しく、自然体」である。その都政が健全ではない、との神仏の声である。

 

健全な姿

 国も東京都も会社も家庭も自分も、健全にあるべき姿で経営すべきだ。時期がくれば、指導者も老い、世代交代をする。それが健全な組織である。

 日本政界も徳川家康や吉田茂が今の総理大臣で居座っていては困るだろう。自分も後100 年も生きたら家族、孫、ひ孫が困るだろう。

 

生老病死、春夏秋冬

 国政、都政、市政等、どんなものでも、生老病死、春夏秋冬である。夏の盛りが済めば、静かにその座を去る。それが出来ない小池百合子、岸田文雄は、醜態の極みである。

 死にたくない(辞めたくない)と、延命治療(権力の座にしがみ付く)に多額の金(税金)を使うのは、自然ではなく、健全ではない。素直な目で見れば、異常さがよくわかる。

 

 人は生れた当時は、純粋で、素直で、自然体で生きていた。それが人間界の中で過ごしているうち、自分を守るため、エゴになり、病気になり(病気になるのも自己防衛機能)、凶暴になり、嘘をつき、欲にまみれ、堕落にまみれ、素直な人間界から逸脱していった。それでは人生を健全に全うできない。

 

病気の真因

 病気になったのも、内なる自分が自分を守るために起こした現象である。昆虫等の生き物では、危機に遭遇した場合、体が硬直して仮死状態になって、敵を騙す手段がある。同じ現象が人間でも起きる。ショックで気絶するのも、同じ原因である。ストレスでうつ病になるのも、本来持っている自己防衛機能である。だから鬱病を薬で治すのは間違いだ。その真因を見付けないと病気は治らない。

 15年程前、私もうつ状態になった。医者に行けば、確実にうつ病と診断され、薬漬けにされることが分かっていた。それで、自分で治療法を調べて、自分で治した。

 無知は人生を闇にする。情報と智慧こそ、人生を生き抜く「人生の灯台」である。

 

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  チェルファーの燈台(シシリア島)  2011年 著者撮影

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 ガンや糖尿病は、食生活やストレス過多で、生活習慣が異常だとの神仏からの啓示なのだ。手術でがん患部を除去しても、真因を除去しないとがんが再発する。

 

自然界の原則

 真の自分を振り返り、その病気になっら、なぜなぜと5回繰り返して、その真因を見付け、対処しないと病気は治らない。西洋医学は、対処療法が主体である。それよりも心療的に内観をして、あるべき姿の「清く正しく美しく、自然体で」と人生を見直したい。

 

 いくら難病を完治しても、何時かは死ぬのが人間(生物)なのだ。それが自然界の掟である。それを無理やり延命治療するから、本人には拷問になる。

 

 「死ぬ時は、死ぬのがよい」と一休さんも言っている。それが自然であり、社会のためである。

 

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2024-07-10  久志能幾研究所通信 2876号  小田泰仙

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2024年7月 2日 (火)

「みとりし」上映後、死神が来たりて笛を吹く

 

 「みとりし」上映会で奇遇な縁が舞い込んだ。「みとりし」の上映会後、1週間が経ったころ、知人が「訪問したい」と電話をしてきた。用は何かと聞いてもハッキリ言わず口を濁すだけ。

 6月29日(仏滅)、木戸ホールの改造の打ち合わせを音響の専門家M氏とした後、16時頃、知人は二人連れで訪問してきた。連れの人とは面識が無い。名刺を見たら中小企業の社長であった。結論として二人とも死神だった。訪問目的はN宗への入信勧誘であった。

 

11年前の入会勧誘事件

 N宗の幹部信徒は、11年前にも自宅に押し掛けてきた。(ブログ参照)

 

久志能幾研究所通信 : 私はこれ(小指)で、※※をやめました (enjoy.jp)

 

 その信徒は自身で営業活動もしていた社長だったし、G経営研究会の元会長でもあったので、説明も弁舌サワヤカで、説得力があった。その信徒は、私への説得が難しいと悟り、後日、岐阜地区の親分の所(Y会計事務所所長)に私を連れていった。そこでその親分は仏教関係の資料を見せながら高圧的に入会を説得してきた。思わず入会の意思を示したが、後でネットを調べたら、とんでもない新興宗教団体であることが判明した。それで脱兎のごとく逃げた。

 

今回の入信勧誘事件

 その信徒が、先日の「みとりし」映写会の新聞記事で、私をカモと思い、押しかけてきたようだ。あな怖ろしや。ある美術館の館長さんの言葉では、「おださんはそのイベントで、有名人、金持ちと認定されたので喜ばしいく名誉なこと」だと。しかし名誉には危険が伴うのだ。

 11年前に比べると、今回はド素人のような入会勧誘内容であった。その社長も営業出身ではないようだ。私は懇々とその死神を諭して、お帰り頂いた。

 

 二人は勧誘に対して熱意もないし、説得の技術、勧誘のテクニックもなく、単にノルマで勧誘に来たようだ。それも過去の営業記録もなく過去の勧誘されていたことも知らないというお粗末な勧誘方法であった。

 

相手を占う

 相手は従業員数80名弱の中小企業の社長で、50~60歳代である。2代目のようで、一見全く苦労をしていないしまりのないの顔である。ボンボンのように見えた。少し異様な風貌で、決して付き合いたいとは思わない顔相である。

 そうか、知人はこんなレベルの人と付き合っているのか、と愕然とした。人は、付き合っている人でもその人格が評価される。ご用心、ご用心。

 私は観相学の知識があり、それで観相をするし、説得の占い(テクニカルライティングに則った評価)もする。資料占い、名刺占いもする。それからみると全ての項目で落第である。それでよく社長が勤まるかと呆れた。二代目だから社長に居座っているのだろう。だから新興宗教に引きずり込まれて、ノルマでいやいや勧誘をしているようだ。その営業?説明のレベルは、11年前よりかなり落ちていた。その宗教団体も化けの皮が剥がれてきて、会員の質も劣化してきたのだろう。

 

N宗教団体の実態

 それでも入会金38万円は変わらず、入会秘密儀式も京都で2日間と同じである。入会すると、なんだかんだと年間数十万円~数百万円をむしり取られる。その教団の本殿の建設費を信徒数で割ると、一人当たり1千万円以上となる。

 ご奉仕の名目で、遠方の教団御殿の早朝の時間指定の掃除に駆り出される。現地に行くまでの遠距離運転と掃除の労働の疲労で、帰宅時に交通事故を起こし、死亡している会員も多いとか。

 いわば統一教会やオウム真理教のごとく、搾取され殺される。まさに死神である。脱退しようとすると、信徒が大勢で押しかけてきて、「脱会すれば無間地獄に堕ちるぞ」と家の回りで大騒ぎをするという。

 一緒に大騒ぎをする信徒も、真面目に大騒ぎをしないと脱会を考えていると疑われる。そのため、疑いを避けるために必死に大騒ぎをせねばならぬ。この大騒ぎは、脱会しようとする信徒に、そんな気を起こさせないための見せしめの儀式でもある。

 オウム真理教の教団内でのリンチ殺人事件でも、一緒にリンチをしないと自分が殺されるので、必死にリンチに加わる。狂った宗教集団は、そんな怖ろしさがある。

 「無間地獄に堕ちる」には、正式には親殺し等の極悪非道の罪を犯さなければ、その地獄に行く資格がない。それを持ち出して脅迫するのはお笑いであり、無知の極みである。宗教の脱会の自由は日本国憲法で保障された権利である。

 なお正式の仏教では、勧誘行為は戒律で禁止である。入信希望者を拒みはしないが、寺院側からの勧誘は禁止である。自分の菩提寺が新規に檀家を募集しているなど聞いたことがない。勧誘禁止はキリスト教でも同じで、128派あるキリスト教でも、ごく少数派が勧誘をしているだけである。

 

撃破

 私の仏教知識と5トンの書籍の現物を見せつければ、仏教知識に素人のような二人を諭すのは、赤子の手をひねるようなものであった。二人は尻尾をまいて帰っていった。

 二人とも、仏教の本質とは何か、原始仏教と現代の仏教の差は何か、生きるとは何か、宗教とは何か、仏教の歴史、現地現物のあり方はと問うても、答えられない。彼らにはそんな知識も意識もなく、それを考えるという発想もなく、教団からの洗脳された教えをそのまま顧客?(カモ?)に伝えているだけだ。それでは相手を説得できない。

 

平安時代の貴族並み

 彼らがこの宗教団体に入ったのは、自身の病気や経営問題があり、解決のため安易な道を選んだのだろう。それは自身に災難が降りかかると、平安時代の貴族の様に、ご先祖様の祟り、悪霊が取りついたと思い、それを加持祈祷で解決しようとするのと同じである。新興宗教団体の教えは、その加持祈祷の類と同じである。

 我々は平安時代から1300年も経った現代に生きており、科学技術の恩恵を受け、その知識を持っている。なぜ病気になったか、なぜ経営が上手くいかないか、何故なぜを5回繰り返し、真因を探る手段を講じればよいだけだ。

 病気になったのは、生活習慣、食事習慣が間違っていただけだ。会社の業績が上がらないのは、経営が原理原則に則っていなかっただけだけだ。そう考えて自分で問題を解決しないと、新興宗教団体のカモとなる。

 

怖ろしさ 

 この宗教団体を、N宗と表現したのは、相手は強力なIT部隊を持っており、ネット上で都合の悪い情報があると、改ざんや削除をしてしまう。そんな怖ろしい団体であるから自衛せねばならぬ。Wikipediaや2チャンネルの情報でも改ざんしてしまう。だからネット上の情報は疑ってみないと騙される。私は目を付けられてネット攻撃を受けないため、N宗と表現した。この宗派の問題は『週刊新潮』が頻繁に取り上げている。

 

極楽ポイントで死の勧誘

 前回のリーウェイ勧誘もN宗も両方とも初期費用が38万円、39万円と絶妙な価格設定である。その価格帯が極楽ポイントのようだ。リーウェイ勧誘やN教勧誘が世に蔓延るのは、政治が悪い。政治が悪くなると、世が乱れ、人は安易な金儲けや宗教にその解を求めがちだ。怖ろしいことだ。

 オウム真理教事件が起きたのは、30年前だ。新興宗教団体の恐ろしさが解明されたのに、いまでも統一教会事件のような事件が起きる。統一教会のような団体に人生を狂わされると、安倍元首相暗殺という事件さえ起きる。安倍元首相の存在の有無が、日本国家の安全に影響する。そんな恐ろしさである。

 宗教狂団は貴方の財布を狙っている。ご用心、ご用心。看取られる前に「殺されて」は、安らかに死ねない。その宗派は、葬式となると、葬儀を取り仕切り、全ての香典を持ちさってしまうという。それはS学会と同じである。

 

救いと感謝

 11年前は、もりわじんの「招き猫」が死神の勧誘の危機から救ってくれた。今回は我家の三尊が見守って私を救ってくれた。三尊とは、松本明慶師に彫って頂いた虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩である。文殊菩薩の知恵と普賢菩薩の賢さで、物事を判断しよう。宇宙根源の理に従って生きよう。それを教えてくれる仏様達である。

 今回の事件で、知識と知恵で対処することが出来た。宇宙根源の法則に則って、人生とは何かを問い、邪悪な輩を追い返すことが出来た。感謝です。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像、虚空蔵菩薩像、文殊菩薩像

 

2024-07-02  久志能幾研究所通信 2872号  小田泰仙

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2024年6月30日 (日)

結婚式場の撮影体制に問題あり、仕事道具は命

 

式場の映像機器の不備

 私は映像、写真分野に興味あるので、今回の結婚式場の記録方法に興味を抱かされた。二人との事前打ち合わせでビデオ撮影は、結婚式場側に任せることにして、私はスチールカメラを2台持ちで対応することにした。

 当日にその機材を確認して、結婚式場の機材の選定と撮影体制に問題があることが判明した。この世界は撮影技量が高い低いではなく、機材の性能差で出来栄えが支配される。それは戦争時と同じだ。いくら士気が高くても、性能の良い兵器の前には、無力である。仕事とは戦争である。だから私は道具に拘っている。道具は命なのだ。

 大事な姪の結婚式だ。二人の一生で一番大事な一瞬を、一番良い道具で、出来る限り最高の状態で記録に残してあげたい。そんな想いを込めて私は撮影した。思い出こそ人生なのだ。その記録の価値が分かるのは30年後なのだ。

 結婚式場の映像は、スチールカメラにも力を入れるべきだ。動画と同等の資材を投入すべきである。現状の人員を2倍にして、カメラにも投資をすべき。

 結婚式場もサービス産業として、どれだけ顧客満足を高めるため、そこに力を注ぐかでどうかで一流とそれ以外に分類される。顧客の真のニーズを把握しないと、結婚式場の未来はない。これは経営の問題である。結婚式場の社長の問題である。

 

スチールカメラ

 当日に確認したら、結婚式場側のスチールカメラはCANON5D markⅢ(2008年12月発売、2230万画素)の一眼レフである。担当カメラマンは一人で撮影している。この機種は一眼レフのシャッター音が響く。厳粛な結婚式の場では静粛であるべきなのに、と思った。

 そのレンズはCANON 70~200mmF4である。永遠に残る一生に一度の写真を撮るのだから、F4の普及型のレンズではなく、F2.8 の一段上の上級レンズにして欲しいと思う。結婚式場はそれで商品価値を高めるのだ。

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  カメラマンは一人、CANON5DmarkⅢ ,レンズは 70~200mm F4

 

ビデオカメラ

 結婚式場側のビデオカメラは、約60万円のプロ用機材で、2台を2人で撮影している。この機材は、私が欲しいと思う垂涎の的のビデオ機材である。しかし価格が高く、私には手が出ない。

 私所有の愛用ビデオカメラはパナソニック製の約10万円の機材である。結婚式場側のビデオ機材は流石ではある。

 

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 ビデオ担当は二人。

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 私には垂涎のビデオカメラ

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  ビデオ担当は二人。

  リムジンの中にも一人のカメラマンが撮影中

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  ビデオ担当は二人。


 二つの機材を比較するとスチールカメラがあまりにお粗末である。担当カメラマンは結婚式業界が不景気で、カメラに予算を回してもらえないと嘆いていた。

 カメラマンは一人で孤軍奮闘していた。まるで戦争末期に、米軍の物量と最新兵器の量に押されて苦労をしていた日本兵のように見えた。

 それの根本原因は日本経済停滞の元凶である政治が悪いのだ。国民はもっと政治に関心を持つべきで、最低でも投票に行くべきだ。

 

 

私の機材

 私は2018年、河村義子先生の演奏会を撮影するため、一眼レフCANON5DmarkⅢからミラー音のないミラーレスカメラに切り替えた。レンズは 70~200mm F2.8である。演奏会会場では、一眼レフのシャッター音はご法度である。

 私の使用機材は、Sony α7RⅣ+24~105mmレンズ(2021年12月発売、6100 万画素)とSONY α9+70~200㎜F2.8レンズ(2017年5月発売、2420 万画素)の二丁拳銃で、撮影をした。両機種とも無音のミラーレスである。特にSONY α9は暗い場所で、動きの激しいバレエ演劇も撮影可能な動態用高感度カメラである。

 感度を10,000以上に上げても色つぶれもなく、ノイズもほどんどない。

 

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   SONY α9+70~200mm F2.8

   SONY α7RⅣ+24~105mm F4

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 バレエ公演の撮影サンプル  2018年12月8日 クリスマスコンサート(リハーサル)

           大垣音楽堂  林葉子バレイアカデミー、河村義子先生 音楽監修

  動きの激しく暗い中での撮影には,無音のSONY α9が必須である。

  ISO12,800   シャッター速度 1/1000  絞りF4

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ディジタルカメラの世界

 スチールカメラとビデオカメラを見れば、式場がどこに力を入れているかが明白である。結婚式場は映像に力を入れている。

 ディジタルカメラは、パソコンと同じで日進月歩である。1年毎に新製品が出る世界である。それが16年前の一眼レフカメラとは絶句である。CANON 5DmarkⅢは、確かに当時は最先端のカメラで、私も使っていた機種である。しかしCANON 5DmarkⅢの後継ミラーレス機を待っていても、なかなか発売されなかった。私はしびれを切らして、私はCANONからSONYのミラーレス機に変えた。今までのレンズ資産があるので、切り替えは大変だった。

 演奏会で撮影するためは、シャッター音のない、高感度が許容できる、新しいミラーレス機が必要であった。レンズ性能はCANONに分があるが、CCDではSONYに軍配が上がる。またCANONは開発力があるが、大企業ゆえに新製品を出す速度が、SONYに負けて遅い。

 また馬場恵峰先生の書画を撮影するためには、高画質のカメラが必要で、そのためCANON 5DmarkⅢからSONY α7RⅣに機種を変えた。出版にも対応するので、少しでも高画質な機種が必要である。

 

思い出

 思い出としてビデオも良いが、それを再生する時、長時間を要する。写真なら、パラパラとめくって瞬時に当時の思い出にふけることが出来る。映像業界の人は、15分以上の映像には価値がないという。だから長時間の映画が廃れ、短時間の映像のYouTubeが流行っている。

 だから私は、高性能のスチールカメラでの撮影に拘っている。ビデオは早送り機能もあるが、ディスク上の映像だと、早や送りの機能に制限がありイライラする。

 私の書庫に昔のカセットテープやビデオテープを保存しているが、その音声記録を再生することは滅多にない。しかし昔の写真集は頻繁に見直している。写真は一目見れば、当時の記憶が鮮明に思い出される。ビデオや音声テープではそうはならない。聞くには、時間を確保して構えなければならぬ。

 

覚悟

 昔の思い出に浸る時は、年老いていて、人生の残り時間が少ない時なのだ。その時間は有効に使いたい。

 死ぬ時には、昔の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ると言われる。その時に昔のビデオが再生されるわけではないようだ。やはり思い出の記録は写真である。

 

 

 

2024-06-28  久志能幾研究所通信 2871号  小田泰仙

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2024年6月 6日 (木)

二人への祝辞  経営、創造、啓示

 

 2024年6月2日、姪が結婚式を挙げた。自分の娘が結婚したように嬉しく思い、乾杯の音頭で祝辞を述べた。

 二人は4年前に籍を入れたのだが、コロナ禍で結婚式が出来ず、今回の結婚披露宴となった。

 私にも結婚式参列は四半世紀ぶりである。世の風潮で結婚式への参列が減ってしまった。寂しい限りである。

 

 乾杯の祝辞で新郎新婦にお願いしたことは以下3点。

  家庭を経営して欲しい、

  二人で創造して欲しい、

  神仏の啓示を真摯に受け入れて欲しい。

 

経営

 経営とは、持てる資源を最大限に使って新しい利益(りやく)を出すことである。「利益(りやく)」」とは仏教用語で、仏の教えに従って得られた恵みや幸せのことを指す。それから経済用語「利益(りえき)」という言葉が生まれた。

 会社でも合併(merger)をして新しい会社として新しい道を歩むことがあるが、往々に持てる資源を活用できず、成長できないケースが多々ある。私の前職の会社がそうであった。結婚(marriage)も同じで、2つの人生有限会社が、合併して新しい家庭を作り、利益を生み出すことだ。会社の合併と同じである。

 経営が上手くいかないと、二人の持てる資源を有効に活用できず、逆に相殺される場合も多い。それは経営破綻である。

 自分を経営するとは、仏の教えに従い、自分の持てる資源を最大限に活かして、人生を生きる事。美味く生きれないのは、自分の人生を経営していないのだ。

 資源とはお金の財産のことだけではない。自分が使える資源の全てである。親、師、友人の支援、ご縁も全て資源である。今まで学んで来た知識、経験も資源である。お金はそのうちの一部に過ぎない。二人の持つ資源を統合して最大限の成果を出す。それが経営である。

 

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創造

 創造は発明とは違い、誰でも出来る。発明は、全く新しいことを見つける事。創造とは、今までの事象を分解、再統合して新しいことを作り出すこと。例えば、エジソンの電球は発明だが、ソニーのウォークマンは創造である。ウォークマンの技術には、新しい技術はない。今まで開発されて来た旧来の技術の分解、再統合である。それで新らしい概念の音楽を聴く機器を創造した。

 創造の「創」の偏は傷である。それも刀の受けた切り傷である。つくりのりっとう偏「リ」は刀と砥石の象形文字である。刀で切り傷を受け、血が噴き出す傷口に焼酎を吹きかけ、さらしを巻いて止血をする。そこから新しい細胞が生まれてくる。その細胞は、今までの細胞よりも強固な組織である。それが創造である。

 価値観の違う二人が一緒になれば、衝突もあるだろう。そこから新しい価値観を作り出す。それが創造だ。

 二人の前には大きな白いキャンパスが置かれている。二人の違う絵の具で人生というキャンパスに新しい絵を描き、人生を創造して欲しい。

 

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神仏の啓示

 私は5年前にガンになり、余命宣告を受けた。もし今までのままの生活、医師の言う通りにやっていれば、この乾杯の音頭の席にはいないであろう。

 もしあの時私がガンにならなくても、あのままの生活なら、別の病気で倒れていただろう。今はがんに感謝である。

 ガンは「死ね」と言っているわけではない。「今のままの生活ではダメ。変えろ」と言っているだけである。それが病気(神仏)からのメッセージである。

 

 価値観の違う二人が一緒になるのだから、一緒に生活すれば、問題が起きて当たりまえ。長い結婚生活では、病気や事故が起きて当たりまえ。問題や病気が起きたら、何故なぜを5回繰り返し、真因を見付けて欲しい。対処療法で解決しては、また同じような問題が再発する。真因を見付けて、それを無くす考え方をして欲しい。それが神仏からの啓示である。

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 ご縁があったのも神仏からの啓示である。病気になるのも、事故に遭うのもご縁である。それを神仏からの啓示として前向きに解釈して、生き方を改善して欲しい。二人で幸せを創造してほしい。

 お二人の幸せと皆様のご多幸と健康をお祈り申し上げます。

 

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2024-06-06  久志能幾研究所通信 2863号  小田泰仙

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2024年5月26日 (日)

人は佛の子、オダ仏教の五教義

 

 オダ仏教の本殿は泰観院で、曹洞宗の末端の最末端寺である。住職は私、信徒1名(私)の個人経営の小さなお寺である。泰観院とは、近い将来、私のために建ててもらう来世のお寺の名前である(戒名の院号)。その寺院名は菩提寺の住職様が決めた。だから私はオダ仏教の教祖である。

 

教義

 その教義は「春夏秋冬、生老病死、万有引力、F=mα、E=mc²」の5つである。人類は自然界の法則や宇宙根源の法則を、神、佛といっているだけである。地域によって風土が違うので、その名前が神となったり、佛となったり、キリスト教になったり、それを運命とも言う。人間は有史以来、その神仏を崇めている。それが土着の宗教である。それがユダヤ教、自然物崇拝の神道等である。それに比べれば、キリスト教やイスラム教は土着の宗教から派生した新興宗教である。

 仏教で、それらの教えを集約したお経で説いたのが般若心経である。その結論は色即是空、空即是色である。そこでは春夏秋冬も生老病死も超越している。しかしその色(現世の現象)は、前述の5つの原則で動いている。しかしその実態は空である。

 

 「法」とは、サンズイ(水)が「去る」と書いて「法」である。水は上から下に去る。それは何時でも何処でも誰にでも通用する法則である。「春夏秋冬、生老病死、万有引力、F=mα、E=mc²」が、すべてを支配している。人はそれを神仏という。

 

日本の美しい私

 その原則を道元禅師は下記の和歌で表現した。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」

 それを川端康成はノーベル賞授賞記念講演の冒頭でこの歌を引用して『美しい日本の私―その序説』として「本来の面目」の中でこの和歌を詠じた。これは大自然(神仏)のあり様を和歌の形で表現しただけである。

 

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」より  久志能幾研究所刊

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自然は春夏秋冬、それこそ神である。

 生物も自然界も春夏秋冬で生老病死である。どんな教祖もこの原則から逃れていない。

 

万有引力

 どんな人も物体も万有引力でお互いに引かれてきた。そこから人間の歴史が生まれた。そこに縁が生じ、花が咲き、実が結ぶ。縁を活かすには、正しい道を歩む事。それが「縁あって花開き 恩有って実を結ぶ」である。

 

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F=mα

 自然界の物質、人間は、ニュートンの第一法則に従い、止っているものは永遠に止まっている。動いているものは永遠に動いている。人間の行動も同じである。人の運命を変えるには、F=mαで、少し力が必要だ。加速度のある生き方が世界を変える。

 加速度とは、意思を込めて動く時に発生する現象である。それが「天は自ら助くる者を助く」である。

 

E=mc²  

 E=mc²は,アインシュタインが特殊相対性理論から導いた式である。アインシュタインが発見したのではなく、昔から存在していて、アインシュタインが理論で証明しただけである。ニュートンの第一法則もニュートンが作ったのではなく、昔から存在していたのを発見しただけだ。これは「微量な物質にも,膨大なエネルギーが秘められている」ことを意味する。どんな微力な人でも、(心の)速度が大きければ、大きなエネルギーを出せることを意味する。

 

以上の5つの法則に則って、各宗派の経典が書かれている。

 仏教の教義は、「万物は移り変わる、ただ精進せよ、結論は死」である。時間と存在を哲学的に定義した法典である。温暖な地で生まれた宗教だから温和な教えである。

 キリスト教の教義は、「知ること、愛すること、そうすれが神の子になれる」である。愛がテーマである。

 イスラム教の教義は、「(人は弱い存在だから)コーランの教えを守れ、そうすれば天国に行ける」である。それは厳しい自然環境(砂漠地帯)の中で生き抜くための先人の知恵でもあった。いわば頑固おやじの教えである。厳しい環境下で生まれた宗教だから、一番厳しい戒律である。厳しくしないと生きていけない。だから目には目を、歯には歯を、である。

 

 その教義は、キリスト教、イスラム教、仏教、どの宗教も共通である。神仏の切り口が違うだけで、その本質は同じである。いわば神仏とは茶筒で、その切り方次第で、見え方が違うだけである。茶筒を横に切れば円、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円である。その違いを理解せず、口から泡を出して言い合い、殺し合いをしているのが今までの宗教戦争である。それが人間の愚かさである。

 宇宙飛行士が地球を周回する宇宙船からその地域を眺めれば、数十秒で通過する地帯に、多くの宗教がいがみ合っている。それを見て、人間の愚かさを悟って人生観が激変した宇宙飛行士も多い。 

 もともと一つの教えであったのに、細かく分派して、その違いで言い争いをしている。仏教では13宗56派がある。キリスト教でも128の分派がある。それを神の名のもとに殺し合いをするのは、愚かすぎる。どの宗派も、前述の5つの原則を元にしているだけである。

 

 私は与えられた生を全うするため活きている。合掌

 

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」より  久志能幾研究所刊

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2024-05-26  久志能幾研究所通信 2862号  小田泰仙

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2024年5月15日 (水)

癌になって悟る、乳癌予防で朝風呂を、朝シャンや半身浴は不可

 

 私は朝起きると、乱れたベッドを整え、枕カバーを取り換え、シーツの上のバスタオルを取り換える(シーツ交換は毎日ではない)。自分が今日一日、人生戦士として最高の状態で闘うための大事な儀式である。

 続いて朝風呂に入る。それは乱れたベッドを整えると同じく、今日一日の仕事という神聖な活動のために体を整える大事な儀式である。いわば斎戒沐浴であり、生前湯灌でもある。いわば一日のベッドメーキングである。

 その最大の目的は体を温めて免疫力を高め、ガンの再発防止である。頂いた命を全うする方策である。生は偶然だが、死は必然である。

 

1 斎戒沐浴、生前湯灌

 男は外に出れば、7人の敵がいる。女は1001人の詐欺師に狙われている。テレビCMで、あれ食えこれ飲めと拝金主義者が襲ってくる。美味しいものには毒がある。それは遅延性の毒物である。

 ネット上では詐欺メールが氾濫である。

 宗教狂団が貴方の財布を狙っている。有り金全部を巻き上げられて首を吊る。逆恨みで元首相が暗殺される。

 政府の拝金議員が裏金作りで、増税で生活苦である。政府の失策で失われた30年、不景気蔓延、会社は倒産、年間の自殺者はいまでも、2万人を超える。

 国内失業者が100万人いても、売国奴議員は外人労働者を増やし、移民政策をごり押しである。それが原因で益々国民の賃金が下がる。生活苦で首を吊るしかない。

 こんな世情では何時倒れるやも知れぬ。不慮の事故に巻き込まれるかもしれない。若い女性にガンが急増している。その時、清潔な姿で死にたい。そのための生前湯灌である。

 

2 体温を上げる

 お風呂はシャワーでなく、肩まで浴槽に10分間、しっかりと浸かる。目的は、体を温め、免疫力を高め、老廃物を外に出すことである。

 お風呂に入ることをガンの継続治療、ガン予防の治療と考えれば、我慢して継続できる。5年前のガン治療の辛い日々を思い起こすと、再発防止の治療と思えば我慢できる。人は痛い目に逢わないと目が覚めないのだ。

 私はガンになり、余命宣告をされたお陰?で、今までの狂った生活習慣を改めることができた。今までの生活習慣のままなら70歳前後で死んでいたと思う。それをガンになって、置かれた状況を分析し、心を改め、生活習慣と食生活を一変することで、108歳まで生きる自信ができた。

 今までの人生は試行錯誤の迷いの人生であった。がんになり全てを悟った。ガン宣告は死刑宣告ではなく、悟りを与えてくれた仏様からの啓示であった。

 迷って百年 悟って一日である。

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乳がん激増

 乳がんの女性でも、直接乳房を熱いお湯に晒せば、ガンの治療、予防にもなる。私はがんの手術後、ガンの再発防止のため船戸クリニックの船戸崇先生からでビタミンC療法と腹部を温める治療を受けた。それと同じである。ガンは38.5℃以上で死滅する。微熱で体温が高い結核患者にガンはない。体温が低い人ががんになりやすい。

 日本では、女性の乳がんは40年前に比べて4倍の激増ぶりである。その原因の一つはお風呂に入らず、シャワーだけですませている若い女性が多くなったということだ。それが原因で低体温の体になっているようだ。だから乳がんが増えた。

 病気は弱いところから発症する。女性は乳がん、男性は前立腺がんである。

 

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  働き盛りの女性の乳癌が増加---日経ビジネス2016-0208号-

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3 老廃物を出す 

お風呂の浸かると全身に約1トンの水圧がかかる。それがふくらはぎに溜まった老廃物が静脈血管に押し出され、その血液が腎臓に送られ、そこで濾過され尿となる。それで疲労が取れる。だからふくらはぎは第二の心臓とも言われる。私は入浴時、ふくらはぎをもんでいる。

 シャワーだけではその効果がなく、半身浴では水圧が低くなるので、その効果が低い。また半身浴では、下半身は温まるが、上半身の乳房を冷やすことになるので、乳がん対策に逆効果である。

 どんな器でも、まず中身を出さないと、新しいモノは入れられない。だから浴槽に浸かって、体に溜まった老廃物を外に出す。この作用は夜のお風呂の方がその排出仕事量は多い。だから私は朝晩、お風呂に浸かる。

 

4 頭の中をリセットする

 頭の中も同じである。古い考えや教えをそのまま持っていたら、考え方が固定して、柔軟な考えが出来ない。お風呂で、裸になり頭を真っ白にして、浴槽座禅をするつもりで10分間、浴槽に浸かる。裸でモノを考えると(瞑想だからあまり考えない)、世間の揉め事がバカらしく見える。そのたった10分間の瞑想を我慢できない忍耐力では、何事も全うできまい。そうすると、今日一日の神聖な仕事に新たな気持ちとなれる。そのあとシャワーで水を浴びる。まさに斎戒沐浴である。

 水で体を冷やすのは、体の外側の血管内の血流が冷えると、お風呂で温めた血流が体の深部の血管に流れる。それで内臓を温めて、ガン予防ができる。

 

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2024-05-15  久志能幾研究所通信 2859号  小田泰仙

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2024年3月 5日 (火)

モノを捨て過ぎると、人間ではなくなる

  

 モノがない究極の部屋が監獄の独房室である。

 モノがない究極の部屋が病院の霊安室である。

 今、断捨離、ミニマリストが流行している。私はそれを疑問視している。モノがあり過ぎるのは問題だが、モノを捨て過ぎて、モノが無さ過ぎるのも問題である。モノには思い出が詰まっている。その思い出を捨てると、その記憶も薄れていく。モノがあるから、記憶を保持される。そしてそのモノから当時を振り返り、反省して、自分の人生の品質の向上が出来る。

 

 夫婦でも、親子でも共通の記憶があるから、夫婦であり、親子である。記憶を無くした相手とは、話が合わない。記憶喪失になった肉親は、家族とは思えない。姿かたちは確かに肉親だが、行動は全くの異星人になっている。

 

自分を買う

 モノを買う、モノを保管する、それは自分を買い、自分の歴史を創っているのだ。モノには自分の人生史が詰まっている。

 動物はモノを溜め込まない。動物はモノに興味がない。動物が執着があるのは、食いものだけである。高度な精神性があるヒトのみが、モノを残す習性をもつ。

 

蒸留水

 私は家の中に何もないミニマリストと付き合いたいとは思わない。ミニマリストの目的は、カネを使わないことのようだ。そんな人間は、薄っぺらな人間だと思ってしまう。そんな人といると、まるで無菌室のクリーンルームに放り込まれたような感じで、心が休まらない。まるで蒸留水を飲まされているようなものだ。蒸留水など飲めたものではない。蒸留水は自分の大事な要素まで吸収されてしまい、病気になる。ミネラルの豊富な人間味あふれた人と付き合おう。

 

 蒸留水を飲み続けると、人体が持つミネラルやその他の成分を溶かして排出させてしまう。それが原因で、カルシウムや鉄などの必須栄養素であるミネラル類が不足して、免疫力を低下させる危険性がある。 

 

5Sと文化

 ミニマリストになれというのは、単に5S(整理整頓清潔清掃)が出来ていないだけである。5Sが出来れば、モノがあってもゴミ屋敷になることはない。

 

 家の中に文化の香りのない場所は、野蛮な場所である。文化の反対語は野蛮である。家に絵の一枚も飾っていないミニマリストは野蛮人である。文化人なら好きな絵を飾っている。それでその人に文化度が分かる。「文化」の英語は「「culture」であるが、その語源は「耕す」である。心を耕さない人は、野蛮人の脳である。

 

 私は心を耕そうと、あちこちの美術館、画廊を訪れて、目と心を耕している。それが心と共鳴すると、その絵をつい買ってしまう。そしてモノが増えるのだ。ミニマリストの反対の極致である。その絵を買うとは、その芸術家を応援することだ。それが文化活動への参加だと思う。フィレンツェで花開いたルネッサンスは、銀行家メジッチ家の支援があって、芸術の花が開いた。芸術にはお金がかかるのだ。それで一銭の儲けにもならない。無駄をすることが、芸術で心の耕作である。ミニマリストには理解不能の境地である。

 人の精神が昇華すると、祈りとなる。芸術家は、芸術の神様に祈りを捧げる。動物は決して祈りはしない。ミニマリストはそういう境界には無感心であろう。

 

 

2024-03-05  久志能幾研究所通信 2840号  小田泰仙

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2024年1月29日 (月)

死ぬ前に 会っておこう あの人に

 

 人は還暦を過ぎると、いつ死んでも不思議ではない。

 10年ほど前に、一緒に卒業研究をした学友から年賀状をいただいた。「そろそろゆっくりしたいね、一度会いたいね」とのコメントがあったので、4月ごろ、家に電話をしたら、1か月前に亡くなったと…. 死因は、急性の癌であった。享年62歳

 2年前に年賀状を頂いた高校の学友に連絡を取ろうとしたが、この2年間、全く連絡が取れなかった。今年の1月に、5年ぶりに開催された高校同窓会で、彼の死去を知った。享年71歳

 5年前に私のピアノの先生が亡くなられた。享年61歳。

 3年前に、馬場恵峰先生が亡くなられた。享年94歳。

 一昨年、音信がなかった叔母が亡くなった。享年86歳。

 一昨年末、従弟がコロナで急死した。享年77歳。

 

 そう、人は還暦を過ぎると死亡率が急増する。だから死ぬ前に、会いたい人には会っておこう。自分も明日が分からない。

 

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 馬場恵峰書

  良き桜が咲いた、明日花見に行こうと思ったら、春一番がきて、散ってしまった。

  いい花が咲いた、明日見に行こうと思ったら、夜に雨が降り、散ってしまった。

  今やるべきことを今やろう。会いたい人に会っておこう。

  人生は長いようであっという間でもあり、時間だけは無常に流れ続ける。

  自分も何時散るか分からない。

  人は生老病死。

  出会いは一期一会

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厚生労働省:平成20年人口動態統計月報年計(概数)の概況 によれば

 40歳代前半の人の死亡率は  121.6      

 70歳代前半の人の死亡率は 1 671.5

      平成20年で、10万人当たりで

 

厚生労働省:平成20年人口動態統計月報年計(概数)の概況 (mhlw.go.jp)

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai08/kekka3.html

 

 つまり70歳代前半の死亡率は、40歳代前半の死亡率に対して、13.5倍である。70歳代前半の10万人に対して死亡者は1 671.5人、つまり同年代の人の1.6%の人がその年に亡くなる。

 つまり高校の同窓生400人中で、毎年6.4人が亡くなる。5年毎に同窓会を開けば、その時に32人の訃報に接することになる。それは自分の訃報かもしれない。人の訃報を聞いただけ、幸せかもしれない。明日は我が身なのだ。だからこそ、会いたい人には、早めにあっておこう。

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自問自答

 ただし、その人が本当に会いたい人ですか? 会うのに値する人ですか? 1時間相手と会うとは、その人の人生時間を1時間奪うこと、自分の残り少ない人生時間を1時間消費する事。その人がそれに値するか、自分にその価値が有るか自問しよう。その価値が出るように今かからで遅くないから人間的魅力を上げよう。

 

 仏法の掟は、生あるものは全て生老病死である。「法」と言う漢字は、水(さんずい)が上から下に「去る」と書いて、「法」である。重力のある地球上での宇宙根源の理である。

 

 

 

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 馬場恵峰書

 

 

 

下記の記事を更新しました。

 備蓄品リスト、トイレットペーパーを追記しました。

 

2024-01-29  久志能幾研究所通信 2812号  小田泰仙

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宗教を哲学する

 下記は私が今まで多くの著書を読んで得た私なりの宗教の解釈である。私の解釈だから正否は論外である。誰にも正否は分からない。

 哲学とは、存在と時間を考えること。

 

一神教の怖ろしさ

 一神教は、独裁政治と同じで、かなり危険である。ヒトラー、金正恩、毛沢東、習近平と独裁者には、その遺徳を広めるには限界があり、力でしか人民を支配できない。その独裁者も何時かは老いる。老いて死んだ後、残るのは人民支配方法だけである。その一つが共産主義、恐怖政治である。

 共産主義では支配者の党首のみが一番偉いので、その上にいく宗教の教祖の存在は許されない。共産国家では宗教は禁止である。だから中国共産党はダライ・ラマの存在を許さなかった。ダライ・ラマはインドに亡命した。

 ある意味で中国共産党も一神教の宗教である。だから中国共産党は共産党の教義に忠実で、妥協もなく、怖ろしい。

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共産主義黒書

 この100年間で、共産主義は約一億人を虐殺した。旧ソ連2,000万人、中国6,500万人、ベトナム100万人、北朝鮮200万人、カンボジア200万人、東欧100万人、ラテンアメリカ145万人、アフリカ170万人、アフガニスタン150万人(合計、約一億人)この数字は、それぞれの国で、共産主義体制になったために無残にも殺された人の数である。

(『共産主義黒書 ―犯罪・テロル・抑圧― 〈コミンテルン・アジア篇〉』著者 ステファヌ・クルトワ ジャン=ルイ・パネ ジャン=ルイ・マルゴラン〔著〕/高橋武智〔訳〕 体裁 A5判  414頁 発行 2006年7月25日)

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日本自治区?

 媚中派の国会議員は国賊者である。そいつに投票する人の気が知れない。中国共産党の最終目標は、日本占領、天皇陛下の処刑である。

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   上図は、中国外務省から流出したと言われる2050年極東マップ」である。

  2050年極東マップの真実 | 致知出版社公式アメーバブログ (ameblo.jp)

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除名処分

 日本共産党内でも黒茶番が行われている。絶対君主の党首に異論を唱えたら、除名処分であった。要は日本共産党は一神教の共産主義教である。除名処分は共産主義教を象徴した出来事である。

 日本共産党京都南地区委員会常任委員会は、2023年2月5日、松竹伸幸氏の除名処分を決定し、京都府委員会常任委員会が2月6日に承認し、除名処分が確定しました。(「しんぶん赤旗」2023年2月7日(火)より)

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ソ連共産党消滅

 一神教は絶対だから、その体質は時間が経っても変化しない。生まれ、そのまま死んでいく。ソ連共産党は何も変わらず、100年経たずに消滅した。(ソ連共産党は1912年に生まれ、1991年に解散した)

 民主主義は日々変化している。

 仏教での教えでは、人は時間と共に変化する。生まれ、成長し、老いて、死んで、佛になる。生老病死である。輪廻転生である。

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パレスチナ紛争 

 現在、パレスチナ近辺で、イスラエルとハマスの間で凄惨な争いが起きている。ハマスは宗教集団である。一神教同士の争いは妥協点がないので、解決の目途がない。一神教の弊害である。

 一神教は、絶対的な断定で人を判別し、時間の概念もないので、悪人は永遠に悪人であり地獄行きしかない。善人のみが天国に行ける。それは永遠に変化しない。これでは救いがない。

 ミケランジェロの「最後の審判」の絵はそれを象徴している。ロダンの「考える人」像は、その風景を見て悩んでいる姿である。

 それに対して、仏教の閻魔大王の裁きとは対照的である。閻魔大王は、地蔵菩薩の仮の姿で、被告人の弁護もしてくれる。そこに仏教での救いがある。そこから地蔵菩薩信仰が生まれた。

 仏教では、時間が経つと、生まれ変わりで輪廻転生する思想である。悪人でも地獄での「刑期?」が終わると、輪廻転生で、生まれ変わることができる。それが一神教と全てのモノには佛性があるという仏教の考えとの差である。

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 「考える人」像

  大垣興文地区センター前に設置されている

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 螺旋階段を眺める考える人

 螺旋階段を見て、自分は天国に上るのか、地獄に下るのか、を考えている?
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異教徒

 キリスト教では、教祖の教えを信じていない人種は、異教徒であり、異教徒は人間ではないので、殺しても罪にならない。16世紀のローマ法王は、そういう免罪符を十字軍に与えた。だから十字軍は敵国で残虐の限りを尽くした。宗教戦争はそういう恐ろしさがある。

 一神教では多様性を認めていないのだ。

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西洋列強の植民地政策 

 第二次世界大戦前、欧米が植民地獲得競争でもその思想が大きく影響している。要は植民地の原住民はキリスト教徒ではないので、人間ではないのだ。だから支配者は植民地の現地人に非道の限りをした。

 もし日本人が欧州の一員で、キリスト教徒なら、アメリカは原爆を広島長崎に落さなかった。当初、原爆はドイツが目標だったが、原爆が完成してもアメリカはドイツには落とさなかったはずだ。

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英国の植民地政策 

 英国は、自国の綿産業育成のため、インドから綿の栽培を強制して、インド人から自営の農作を禁止し、インド人を餓死させた。1943年、「人為的」に起きたベンガル飢饉では300万人が餓死し、英植民地インドにおける暗黒の歴史となっている。時の英国の指導者はチャーチルであった。彼がこの件で、その過ちを認めている回想録はない。彼にとって、インド人は人間ではないのだ。インド人はローマ法王が認めた異教徒であった。

 英国のインド支配の始まりは1757年のプラッシーの戦いからで、1770年にベンガル大飢饉で1000万人以上の餓死者が出た。その後の19世紀で350回の飢餓が発生し総餓死者3000万人以上。そして20世紀に入ってからは二つの世界大戦が起こり、インドは物的・人的に大英帝国を支える為、搾取をされ続けた。

 

 戦後、ビルマの捕虜収容所での事件である。英国兵は倉庫へのビルマ人の侵入者を射殺しても、死んだとは言わず、endと言った。ある時、ビルマの捕虜収容所の倉庫に侵入した現地人を英国兵は平然と射殺した。その後、彼は射殺死体を足で蹴り、「死んだ」ではなく「end」と言った。Endだから人間としての葬式も後始末も不要である。ゴミ扱いなのだ。Endなのだ。これは会田雄二著『アーロン収容所』(中公新書)に記載されている。元京都大学教授・会田雄二氏が捕虜として体験した事実である。英国人にとってビルマ人は異教徒で、人間ではないのだ。

 仏教は全てのモノに佛が宿る。一神教とは別世界の考えである。仏教は争いを好まない。一神教では、未登頂の世界最高峰の山に登れば、「自然を征服した」と豪語する人間を生み出した。それが一神教の本質を象徴している。仏教は自然の中(ご先祖を含めて)の一部が己であるとの教えである。己は全宇宙からの支えで生かされていると考えるのが法華経の教えである。仏教には自然を征服すると言う考えはない。

 

2024-01-28  久志能幾研究所通信 2811号  小田泰仙

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