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2024年1月27日 (土)

法華経の教えで人生を哲学する

 

 この一年弱、私は石原慎太郎著 現代語訳『法華経』(全509頁)(玄冬舎)を一日2頁のぺースで音読してきた。その読破が先日に終わった。現在、二順目の読誦に入っている。また並行して音読していた漢文の真訓対照『法華三部経』三木随法編著(全461頁)(東方出版)も、やっと337頁まできた。

 現代語訳『法華経』を読破して、石原慎太郎の解説でお釈迦様の教えに納得させられた。

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  石原慎太郎著 現代語訳『法華経』(全509頁)(玄冬舎)

  『法華三部経』三木随法編著(全461頁)(東方出版)

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 三木随法編著『法華三部経』

   漢文の読み下し文でおおよその意味はわかる。

   般若心経の全漢文のお経に比べれば理解は容易である。

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 下記は石原慎太郎著 現代語訳『法華経』の解説部で、それを加筆編集して要約することで、法華経がよく理解できた。

 また三木随法編著の漢文真訓対照『法華三部経』の漢文の読み下し文と、石原慎太郎著現代語訳『法華経』と併行して読んだことで、内容の理解が深まった。

  法華経は、正式名を妙法蓮華経という。お経の中でも早い時期に作成されたといわれており、主に天台宗と日蓮宗で読み上げられる。曹洞宗でも、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」がお勤めのお経として読まれている。

 法華経では、「今を生きることが最も大切である」「人は皆平等であり、どのような人も隔たりなく成仏して極楽浄土に行ける」という、仏教の原点の教えが説かれてる。

 それがキリスト教やイスラム教の一神教と違うところである。一神教は、厳密な教えで、それに背くと、地獄にしか行くしかない。まるで洋服を着るようで、礼服に合わせて生活するような感じである。ところが仏教では、まるで和服を着るように、人間にあわせて、その体を包み込んでくれるようだ。なにせどんな悪人でも、何妙法蓮華経と唱えれば、極楽浄土へ行ける。今の社会のように多様性を認めた宗教である。

 聞けば天台宗と日蓮宗の宗徒でも法華経の全てを通して読んだ人は少ないという。それを石原慎太郎著の現代訳『法華経』で全て読破できて、嬉しい。それでその本質がよく理解できた。

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石原慎太郎著現代語訳『法華経』の解説部を要約

 法華経はお釈迦様が、長年その布教活動をされてきて、亡くなる直前に説かれた最終形の法話である。法華経は、人生を生きていくうえで存在と時間の意味を教えてくれる哲学書である。なぜ自分が存在するか。その存在が時間とともに変化することを寓話で説いた説法である。

 法華経の教えでは、死者は不滅である。悟りを得てこの世を去った者は不滅であり、永遠性を保った私たちの先祖だと説いている。確かにご先祖は自分の中に生きている。それが他の宗教と違うところである。だから仏教では、ご先祖を大事に敬う。

 

 お釈迦様の臨終の席で弟子たちが「これからお釈迦様の教えを守り抜く」誓いを立てるが、お釈迦様は、「お前たち弟子に頼ることはない」と否定をされる。そうすると、地面が割れ、無数の菩薩たちが現れ出る様が描写をされている。それこそ単なる死者ではなく、ご先祖、仏の教えを受け継いだご先祖が、地面の下から湧き出て、復活したことを示している。つまりこれは、私たちをご先祖と力強く結びつけている教えを示している。

 我々は長い時間をかけて、自分とは何か、佛はどこにいるのかと探し回っている。しかしその佛といお宝は、自分の中の存在している。まるで青い鳥を探して旅をしていたチルチルとミチルの兄妹。 青い鳥を探し求めるも、結局捕まえられず家に戻ってくる。その青い鳥は家に居たのだ。その童話と同じである。そのことを、多くに寓話を用いて衆生に説いているのが法華経である。

 

 ホーキンズ博士が日本で講演をされた際、石原慎太郎氏が博士に「貴方がいう宇宙時間で、瞬間的というのは、何年ですか?」と問うと、博士は即座に「百年」と答えられた。これは非常に暗示的な回答である。我々人間は、この宇宙空間での100年の人生など瞬間的にしか生かされていないことを示している。

 お釈迦様は宇宙という概念を把握して、その存在の危険性も予言されている。『法華経』で説かれている宇宙の無限の広がりの中、時間という観念は、日常の春夏秋冬という変化にそって考えられている。我々が考えている時間は、位相の違うものとしてお釈迦様は説かれている。これはアインシュタインが思いつき、証明した時間に関する真実と同じである。

 哲学とは、存在と時間を考えることであるとアリストテレスは言う。その存在を変えてしまうのが時間である。それをめぐる存在として第16「如来寿量品」で説かれている。

 

 『法華経』は、無限の宇宙にも教えが及んでいるし、アインシュタインが気づいて説いた位相の違う時間についても解き明かしている。

 

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集  『報恩道書写行集』

     (久志能幾研究所刊)より

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キリスト教

 聖書は、キリストが愛を説いた一代記である。キリスト教の教義は後年、神学を基に付け足されて生まれた教義である。

 

イスラム教

 イスラム教はマホメットの高圧的な教えで、いわばマホメット家の家訓である。厳しい自然環境で生まれた家訓としてのイスラム教は、「目には目を、歯には歯を」と厳しい掟がある。温暖な地域で生まれた仏教には大きな寛容さがあるのとは大きな差である。

 

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 馬場恵峰先生宅で撮影   ‎2015‎年‎1‎月‎12‎日
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2024-01-27  久志能幾研究所通信 2810号  小田泰仙

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2024年1月17日 (水)

高観、昇龍が見る世界観

 

 高い位置、高い精神状態でないと見えない世界がある。小さな子供が見る世界と、大人が見る世界は違う。小さな子供(小人(ことな))が見る現象は表面的なことだけである。それに対して大人が見る世界は全く異なる。大人はその現象の向う側にダイヤモンド(智慧・知恵)を発見する。

 「観」という漢字の成り立ちは、コウノトリから見る目である。

 人間より、鳥よりも高く昇る龍が見る世界は、次元が違う。昇龍は高観を持って、この世の真実を俯瞰する。

 

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「観/觀」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)

https://okjiten.jp/kanji643.html

 

龍の目

 ある時、アインシュタインはエリザベス女王に問うた。「もしこの崖から飛び降りたら、どうなるでしょうか」と。エリザベス女王は、そんなことをすれば死んでしまうと思ったが、アインシュタインは、生死には眼中になく、純粋に物理学だけを考えていた。墜落時には無重力状態になる。彼はその状態を知りたかったのだ。彼に思考は龍になった。天才の思考は、凡人では思いつかない。常人よりも高い精神性で物事を考える。それが龍である。そしてアインシュタインは相対性原理を発見してノーベル賞を取った。龍がダイヤモンドを手にしたのだ。

 

 地獄であった強制収容生活が、実は極楽に行くための修行であったことを発見するのが昇龍である。まるでアウシュビッツから生還したフランクルの心境である。かれはこの試練が人生で何か意味があると信じて強制収容所生活をすごした。

 

  昇龍がガンの発症で見るのは、ガンという「病」の事象ではなく、ガンを発症させた自分の「気」であり、ガンになった真因である。多くの人は「病」だけに目を囚われる。龍の眼で見なければ、「気」は見えない。がんを突然の災難と考え、「なんで私だけが」と嘆き、治療は医者任せ、世を儚み、家に閉じこもって、ますます病状を悪化させる。昇龍の眼で、がんになった真因を探し、それの対策を打つ。それが高観での治療である。

 何でも元を絶たなきゃダメなのよ。なぜガンになった?

 なぜ何故を5回繰り返して、真因を探し、がんと向き合おう。それがトヨタ生産システムの考え方である。

 ガンは、自分生産工場が、間違った生産工程で生み出した不良品である。ガンの再発防止は、その間違いを正せばよいだけ。

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  昇龍  樋口ナオミ 画    Saganにて

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 中島法晃 画   「楽園」(下側)と「現象」(上側) Saganにて

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2024-01-16  久志能幾研究所通信 2804号  小田泰仙

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2023年12月15日 (金)

「ルシア祭の歌と忘年会」のご縁

 

 12月10日、ご縁がありスウェーデン協会主催の「ルシア祭の歌と忘年会」に参加してきた。私はスウェーデンには、1985年に5か月間程滞在した経験があり、懐かしさが一杯である。私にはルシア祭は初体験で楽しかった。忘年会もアットホーム的でよかった。出された料理も、スウェーデン特産の品が多く、美味しかった。美味しいというホット赤ワインも出されたが、禁酒中の私はパスであった。スウェーデンでの黒歴史を思い出した。

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スウェーデン滞在中の黒歴史

 私はスウェーデンで最初の現地の人との食事会のおり、アルコール度60度?の酒を乾杯として飲まされた。それはマイナス20℃で半ば凍っており、トローっとしていた。彼らは「スコール(乾杯)」と言って小さな杯を上げ一気に飲み干した。私もつられて一気に飲んだ。その酒は少し甘く美味しかった。しかしそれはダイナマイトであった。30分後、それは胃の中で爆発した。私は倒れてしまう醜態をさらした。ホテルの自室に担ぎ込まれたが、しばらく天井が回っていた。そうか!スウェーデンの天井は回るんだ!(笑)

 同席した3人の会社仲間は、海外出張の経験が多く、そういう酒の恐ろしさを知っていて、乾杯でもコップを舐めただけで飲まなかった。そんなことを知らない私はダイナマイトを飲み干した。知らないということは恐ろしい!

 寒い国では強い酒が当たり前のようだ。アル中も多い。だから17時までは、酒類の販売は法律で禁止されている。

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ご縁の来訪

 その忘年会で、渡辺陽子さんの友人から今の日本が抱える「病気」を治すヒントを教えてもらった。

 

 スウェーデンの国土は日本の1.4倍、土地は湖だらけ、人口は日本の10分の一で、資源も乏しく、気候は厳しい、それでいて国は豊かで、一人当たりのGDPは日本の2倍近い。スウェーデンはこの200年間、戦争をしていない。この差は何? 

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黒発言?

 この忘年会参加のスウェーデンに滞在経験のある女性に、「スウェーデン女性はキレイな人が多いですね」と発言したら叱られてしまった。女性に対して、そういう表現はしてはいけないそうだ。女性に対して、美人かどうかなどの評価をしてはいけないそうだ。それがジェンダーフリーの考え方だそうだ。

 日本はまだまだ男社会のようだ。私みたいなオジサンはスウェーデンでは失格のようだ。

 それを教えてくれた日本女性は、「でも、男の人から美人だと言われる嬉しい」と本音を言ってくれた(笑)。この忘年会で、「日本で暮らして、良かった」と再確認した。世界は変な方向にむかっている。日本のジェンダーフリー法は、その女性が反対している。増税メガネの無節操政治の弊害である。

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 日本が抱えている課題の解決ヒントは、どこに転がっているかはわからない。来たご縁を大事にすると、向こうから新たなご縁が転がってくる。今回は、先月、Gallery Saganで人形展を開催した渡辺さん(私が敬愛する「魔女」さん)から頂いたご縁である。その方は渡辺さんの友人であった。渡辺さんから入手した「バイオリンを持つ少女」人形がご縁を運んでくれた。渡辺さんにお礼を言いたくて、「ルシア祭の歌と忘年会」に参加したのが、今回のご縁である。感謝である。

 来たご縁に遠慮はいらない、縁慮で行こう。

 私の方針は、来る縁は拒まず、去る縁は追わず。

 

久志能幾研究所通信  魔女からの贈物 夢見るバイオリン弾き少女

 

 その日本病の解決ヒントの解析は、別途報告します。今回は忘年会の報告です。

 

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 人形は渡辺さん製作

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 ルシア祭の歌を歌う子供達

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 スウェーデンの伝統の蝋燭

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  会場は名古屋・ダイニングバー フォーシーズンズ


 

聖ルチア聖人祭

 聖ルチア聖人祭は、キリスト教の聖人聖ルチアの聖名祝日を祝う行事で、12月13日に行われる。クリスマスシーズンのアドベント(待誕節)が始まるころに行われる。西方教会では伝統的に重要な聖名祝日で、スカンディナヴィア諸国と南欧が主として伝統的行事としている。

 16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日であり、スカンディナヴィア諸国では、12月13日に一家の子供の中で年長の少女が祝祭に参加する。

 

 少女は聖ルチアに扮してロウソクの冠を被り、ロウソクを手に持ち、同じ扮装をした少女たちと一緒に行進する。ロウソクは、生命を奪うことを拒む、火の象徴である。少女たちはナポリ民謡『サンタルチア』のメロディーを歌いながら部屋へ入ってくる。この歌はナポリの美しい港の情景を歌ったものだが、スカンディナヴィア諸国の詩ではルチアが闇の中から光と共に現れたという内容になっていて各地域の言語で歌われている。

 

 ユリウス暦によると、ルチア祭の夜は一年で最も夜が長い。雪が降る前の11月と12月の夜は非常に暗く長いことから、闇から光が現れたという考えが、特に北国で伝統的に支持されてきた。

  

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 ルチアの歌を歌う子供たち。スウェーデン

 

 スウェーデンでのルチア祭は、再生の意味を帯びる。ドイツで女児をもつプロテスタントの一家が、子供に『子供のキリスト』の扮装をさせクリスマス・プレゼントを手渡した、という行事が持ち込まれた。クリスマス・イヴに、子供の頭にロウソクのリースを飾り、飴やケーキを手渡す。白いドレスを着た女性が頭にロウソクを飾り、ルチアの日の朝に現れるという現在の内容と似ており、1700年代後半のヴェーネルン湖周辺の地方からゆっくりと国中に広がり、1800年代には全国で見られるようになった。聖ルチア祭はスウェーデンの休日ではないが、国で親しまれる行事である。

この項、ウィキペディア「聖ルチア聖人祭」を編集

 

2023-12-14  久志能幾研究所通信 2786号  小田泰仙

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2023年12月10日 (日)

『自分史資料と著作』編纂、50年間の振り返り

 

塞翁が馬

 先に50年分のスクラップファイルを再整理した。今度は、今まで項目別に並べていた自分の歴史資料を、時系列(年代順)に並べ直し、見直しながら当時のことを思い出し、あれこれと振り返っている。

 あの時、こうすればよかったとの後悔の念と、あの時に回りから反対されたけど強行してよかったという達成感がある。あの時の失敗があったら、後年の失敗が避けられたというめぐり合わせを感じる。その歴史跡から人生は塞翁が馬であることを古希を過ぎて初めて実感する。

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人生最大の決断

 今思うと、私の最大の決断は母の反対を押し切って、地元を離れて三河地区の企業に就職したこと。それで私の人生が大きく広がった。狭い世界の大垣に居座っていれば、その後の人生は狭い範囲でしか広がらなかっただろう。母は一人息子の私を地元に置きたかったのだが、私はその束縛を嫌い、母の元から飛び出した。障子を開けて外に出てよかったと50年間の結果を見て思う。

 障子を開けてみよ、世界は広いぞ   豊田佐吉翁

 それは私の人生のボタンの正しい掛け方であったようだ。ボタン一つの掛け違いで、人生は暗転する。そのボタンを掛ける位置を巡り、大学の指導教官が母を説得してくれた。そのご縁に感謝である。

 人生は努力だけでなく、最初の選択が最重要なのだ。

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浦島太郎物語

 しかし前職で定年を迎え、大垣に帰郷した時、両親は既にこの世にいなかった。40年ぶりの故郷に住み始めると、回りは様変わりで浦島太郎の心境であった。

 私は若い頃、桃太郎として鬼が島に鬼退治に出かけて、多くの闘いで戦果を挙げた。いつしか40年が経ち、私は浦島太郎になって故郷に帰ってきた。玉手箱を開けたら、自分が老人になっていることを教えられた。それが私の人生の表と裏の世界の旅物語である。

 人生を生きていくための拠り所は、自分自身だけだ。それが長い旅から得た教訓である。それは私の両親からの教え(家の教え=宗教)である。

 「全ての出来事は、自分に意味があり」、「人生は因果応報」、「人智を超えた冥資、冥助あり」が人生の結論である。

     冥資:知らない間に受ける仏の加護

     冥助:目に見えない助け

 「浦島太郎物語」とは我が人生物語 - 久志能幾研究所通信

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自分の歴史資料とは、

学校卒業アルバム   卒業アルバムは全て保存している

表彰記録       小学校時の絵画の表彰状がある

セミナー参加の記録  業務だけでなく、自費で受けた研修も多い

趣味の記録      飛行機、美術品取集である。

雑誌への投稿記録   1960年代『かたえくぼ』に投稿を始めた

当時の写真アルバム  高校生の時からカメラを始めた

受験失敗の記録    受験の失敗があり、今の私がいる

大学の卒論      卒論の学友の一人は既に他界した

入院記録       1976年の入院記録から保存  

両親の資料      両親の苦労が資料に残っている。

           だから贅沢はできない。

失恋の記録、

相続関係資料、

親戚の資料      親戚の不祥事は、他山の石である。

家系図        1734年没のご先祖から約150名の歴史を記載。

お墓造りの記録    6つのお墓を3つに統合した記録である。

高額商品の購入記録  最初の高額商品は500万円のパソコン

師の記録       師と水先案内人を混同したことが懐かし

旅行の記録、

海外出張の記録    スウェーデンに5か月の出張滞在が初体験、

出版資料等である。

 

30年目の反省

 今ままでは日々の失敗の反省はする。それまでである。しかし、30年前の反省はあまりしてこなかった。今、この資料を見ながら当時の行動を振り返っている。それも第三者の目(上司の眼、同僚の眼、部下の眼)で、自分の黒歴史を振り返っている。そういう観点でその事件を俯瞰すると新たな発見がある。さらに佛の目でならと、見方を追加している。佛の目は時間と社会的通念を超えた眼である。

久志能幾研究所通信   人生の大地を耕す

 

人生の部品・縁

 文章や小説、論文は推敲した回数だけ、良い作品に成長する。自分の人生も同じである。自分事件の振り返りは、より良い人生を構築するための鍛錬工程である。人生はやっつけ仕事ではダメである。出会いのご縁を何度も振り返り、次の縁をより良くするためには、起縁の元を調べることが必要だ。この振り返りを経て、今後の人生が改善される。これは良き反省の機会である。それらの自分史資料を見直していると、自分の成長具合も分かる。

 

 自分人生と言う建物は、小さな自分事件(部品、縁)の積み重ねである。その小さな事件を再度見直して、強固な部品に磨き上げ、強化すれば、自分人生という建物は強靭な構造物になる。そのためにはその事件を何度も見直して鍛える工程(分析、反省、振り返り、鍛錬)が必要だ。

 どんな建物も土台がしっかりしていないと、砂上の楼閣となる。その土台は両親の働く後姿から学んだ。両親に感謝である。

 

 その人生でのご縁は、自分の人格に見合った縁にしか出会えない。俳聖芭蕉は、門人につねづね次の言葉を語っていた。

「句になるとするとあり。内をつねに勤めて物に応ずれば、その心の色、句となる。内をつねに勤めざるものは、ならざるが故に、私意にかけてするなり」

 毎日の生き方は、自分の人格の成長具合で、生まれる俳句(出会える縁、事件)が変わる。だから自分を成長させないと、よい人生は作れない。

 

物理的な分量

 その資料の総重量は約1,800㎏である。別のスクラップファイルは84冊で約840㎏である。残りの図書の総重量は、推定2.4トンで、これら蔵書の総重量は約5トンである。この2年間で、書棚を12個買い入れた甲斐があった。

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 上図は書庫の左半分部。この裏側の右半分部には約2.5 トン分の蔵書。

 天井の波板(音響上の対策)は、ここが元ピアノ室であったためである。

 元いた「猫足のピアノ」は出世して、別のピアノ室に異動となった。

 ピアノが異動したからこそ、この場所が空いて、書棚が6個も置けた。

 部屋だって、生老病死である。

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  「自分史ライブラリ」の総重量は約1,800㎏

  50年分の『航空情報』誌も並ぶ

  久志能幾研究所通信  『航空情報』誌の歴史に人生を重ねる

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 スクラップファイル

 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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2023-12-09  久志能幾研究所通信 2785号  小田泰仙

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2023年12月 8日 (金)

伊勢神宮参拝、国の安泰を祈願、無 china

 

 2023年12月7日、伊勢神宮へ参拝に行ってきた。私はいつも12月の大安に参拝をしている。私は、年末年始の大混雑時には参拝しない。

 神様だって年末年始は忙しい。神様の事を思い、混雑を避けてのお参りである。たまには、神様の忙しさに配慮してあげよう。

 神様の下には、神宮の運営を支える人たちが多くいる。その人達のためである。

 言い換えれば、仕事の平準化である。トヨタ生産方式である。

 

中国人団体が消えた

 今回は、初めての仏滅の日で参拝であった。今回、例年と違うと気が付いたことは、いつもは目障りで、大声で騒ぐ中国の団体客がいなかったこと。そのため気持ちよく静かに参拝ができた。中国の経済状態停滞している影響のようで、中国人が来日してこないようだ。

 以前に北陸の永平寺に参拝した時も、境内の立ち入り入り禁止区域まで、中国人が傍若無人に立ち入っていた様を目撃して苦々しく思った。

 

 今回は中国人団体の代わり韓国人の家族連れや仲間とのグループが、大きな声で話していたこと。神聖で静寂な場所であることをわきまえて欲しいと、苦々しく思った。まあ中国人の団体客よりは、人数が少なく目立たないので、何とか許容範囲である。

 

仏滅と神事は関係なし

 またお日柄が仏滅のためか、いつもの参拝者よりも人出が少ないようだが、それでもそこそこの人出である。お陰で、内宮の垂れ幕内への参拝も、待ち人は私一人でゆったりと行えた。

 70にして、やっと「伊勢神宮参拝は大安の日」という呪縛から解脱できた。70にして69の非を知る、である。

 伊勢神宮の境内で見た現実を、日本人としてその伝統を守れと言う神の声として聴いた。 

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 宇治橋を渡って、大通りへ    ‎2023‎年‎12‎月‎7‎日、‏‎11:17

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 私は大通りに並行する庭園内小道を歩く

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 五十鈴川の手洗い場   これだけ少ない人出は初めて見た

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 内宮の階段下   これより上は撮影禁止


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    馬場恵峰書  小田の蔵軸

 これと同じ書を、2018年10月20日、馬場恵峰師は伊勢神宮に奉納された。

 私にも贈って頂いた。

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赤福の値上がり

 少し驚いたのは赤福のお店で、いつものように赤福ぜんざいを食べたら700円であったこと。以前は確か500円前後であったのに、700円への値上がりである。物価高騰の影響がここにも出ていた。700円ならランチが食べれるのにと思ってしまった。たかが、ぜんざい、されどぜんざい、である。庶民のささやかな楽しみである。値上げは痛い。

 

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神の啓示

 この件でも増税クソメガネを連想してしまった。腐敗した政党には、国民がノーを突き付けないと、目が覚めないようだ。唯々諾々と学会のいうまま投票する洗脳された人々に対抗するには、我々がしっかりと目を覚まさないと、日本は滅びる。

 

郷に入れば郷に従わず

 移民に私は大反対である。日本に来る移民の問題は、日本文化になれ従わず、彼ら独自の村を形成し、日本社会と断絶した社会を作ってしまうこと。川口市のクルド人問題でもその弊害が明らかだ。まるで治外法権の社会が日本国内に出来てしまうようだ。

 移民推進で、大混乱やテロを招いている欧州の二の舞を招いてはならない。欧州の混乱は他山の石である。

 そういう外国の輩は、神聖な伊勢神宮でも大騒ぎをする。日本古来の伝統など知ったことではないのだろう。本来、郷に入っては郷に従う、が人間として基本の行動である。日本人はそうしてきて、周りとの軋轢を避けてきた。海外からの移民にはそんな感覚はないだろう。同じ日本人でも、土地や育ちが違うと軋轢が生じるのは、周知のことだ。ましてや人種が違えば、その軋轢は巨大だ。

 

日本企業の強欲

 日本企業もその戦犯である。企業は、移民を安い賃金でこきつかうのを目的に、移民政策を賛成している。結果として日本人の平均賃金が下がってしまい、いつまでも日本経済がデフレ経済から脱却できず、日本人が貧しくなってしまう。

 日本企業は自分で自分の首を絞めている。日本には失業者が175万人もいる。それなのに、(実質)移民の外人労働者が10月現在182万人も働いている

失われた30年

 要は、政府の経済政策が失敗であったことが判明したのに、今いる失業者を無視して、その穴埋めの外人労働者を入れるという愚策に走った。それは派遣業者の利権の為である。国内企業は、安い労働者を使いたいだけ、目先のことしか考えていない。30年前に、外国の安い労働力を求めて海外に工場を移したと同じ行動である。それが自分自身の首を絞めてきた。だから失われた30年が生まれた。

 政府は国民の生活を無視して、利権に走り、国を滅亡に導いてきた。政府は狂っている。

 

 だからその対策は、移民に賛成する議員、増税を推進する政党には投票しないことだ。竹中平蔵の様にその利権を狙って移民産業を推進している。海外で有名経済学者は国の発展には移民が必要と言っているが(日経新聞はその記事を掲載して暗に移民政策を後押ししている)、いまだかって移民で栄えた国は歴史上に存在しない。国民として移民に反対しよう。

 1000年続いたローマ帝国も、国民が国を守る気概がなくなり、政治家は堕落して、軍事には外国の傭兵を使い、国民は飽食に明け暮れ、その結果としてローマ帝国は滅んだ。

 自民党政治家のパーティ券疑惑の堕落を見ると、人ごととは思えない。

 

2023-12-08  久志能幾研究所通信 2784号  小田泰仙

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2023年12月 6日 (水)

『航空情報』誌の歴史に人生を重ねる

 

 雑誌も生老病死である。54年間、購読してきた雑誌『航空情報』(せきれい社)がこの12月号を最後に休刊となってしまった。この雑誌を、私は中学生の時から購読してきた。感無量である。飛行機の発達史は、私の成長と共にあった。

 

黒歴史

 途中、2001年、父が亡くなった時のドタバタと、定期購読をお願いしていた本屋の不誠実が重なり、2か月分が欠落している。しかし1969年4月号(2549号)から最終号2023年12月号(963号)までは、全て揃っている。2冊分の欠落分を後でバックナンバーとして取り寄せようとしたが、入手が叶わなかった。その号がないことは私の黒歴史である。

 1961年7月号から1969年3月号までは欠落はあるが、バックナンバーとして50冊を揃えた。約4年分である。

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 書棚になら58年分の『航空情報』誌
 

 定期購読していて、欠品の不手際を出した本屋はすぐ解約して、別の本屋で定期購読を始めた。その数年後、先の本屋から定期購読を再開して欲しいとの連絡がきた。私は36年間もその本屋で『航空情報』を定期購読していたのに、父が亡くなった時の不誠実な対応に怒り心頭で、私は再開を拒否した。その後、その本屋は大垣市から消えた。本屋として、商売道を間違えていたと思う。

 

 休刊は残念だが、購読を68年と10か月間も続けてきたことを、自分で自分を褒めてやりたい。当初は、両親がくれたお小遣いからの出費である。それを許してくれた両親に感謝である。

 継続は力なり。2冊欠本があることで、私が神ではなかった証?である。すこし安心である? 

 神とは完全無欠で「人ではない」存在である。要は「人でなし」である。人は神を目指してはならない。ちなみに「佛」の漢字も、「人」偏に、「非」を組み合わせた象形文字である。人に非ずと書いて「佛」である。

 人は、人間的な成長をして人間になることを目指すべきだ。人は動物として生まれて人間になる。人として欠点を持ったまま、長所をさらに良くして、人間としての円熟味を出す。そうすれば、欠点が人間味となる。

 

10年、偉大なり。

20年、畏るべし。

30年、歴史なり。

50年、神の如し。

 (中国の格言)

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 人生飛行の着陸

 飛行機は飛び立てば、何時かは必ず着陸せねばならぬ。そのとき美しい姿勢で着陸したい。生物も飛行機も生老病死である。

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 1965年3月号 この号から購読を始めた。当時 定価250円

 今、事故で話題のオスプレイと同じタイプである。

 垂直離陸技術はもう70年近く前からの技術である。

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 2023年12月号 この号で最終号 定価 1400円

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 1961年7月号 バックナンバーで集めたうちで一番古い号

 

2023-12-05  久志能幾研究所通信 2783号  小田泰仙

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2023年12月 1日 (金)

人生の大地を耕す

 

 工場は、社長がその工場の現場に足を運んだ回数分だけ良くなる。それでその工場の生産性がよくなる。それは、社長が現場で第三者の目で問題点を見付けて、指摘し改善をさせるから、生産性が上るからだ。トヨタ生産方式では現地現物が基本である。

 農地は、農民が数多く鍬を入れて耕した土地が豊かな実りを得る。耕せば、土地の内部の微生物が活性化して、土地が肥沃になるからだ。

 恋愛という大地だって、数多く会えば、自ずと相互理解と愛情が耕され、お互いが豊かになれる。

 

文化

 英語「culture」の訳語は「文化」である。その語源はラテン語の「colore」である。「colore」は、「耕す」、「住む」、「崇拝する」などの意味がある。この「耕す」という意味が、現在の「文化」と深い関連がある。耕すという行動によって、人間は自然に手を加え、自分たちに都合のよい土地に作り変えてきた。

 

 人生という大地は、その大地を自分の鍬(体験)で、耕してこそ、よい人生を創ることができる。その大地も、何度も何度も耕してこそ、よき人生経験を得て、人格が豊かになる。たった一度だけ鍬を入れただけでは収穫物は少ない。何度も耕してこそ豊かな収穫物が得られる。

 人が経験したことを、何度も振り返り、それでは、その時、どうすればよかったかと、何度も考えることが、人生経験を耕すことなのだ。それで思考が深まり、その後の人生で同じような経験に出会った時、良き行動がとれる。それだけ人生経験が豊富になり、人格が上がるのだ。そのめぐり合わせのご縁は、盲亀流木のご縁である。

 

70にして69の非を知る

 そのご縁を当時の資料を見て、思い出し、自分の行動を疑似体験して反省する。そうやって私は過去50年分のスクラップ資料(再整理して現在、総計115個のボックスファイル。重量約1.1トン)を日々見直している。そうやって「70にして69の非を知る」を体感している。

 

 人間だもの、最初の出会い(経験)では失敗もあるだろう。次の出会いで、それを修正すればよいだけだ。私の人生は失敗だらけである。そのための過去の体験資料の見直しである。私は失敗の資料を大事に保管している。

 

久志能幾研究所通信  人生の譜面 振り返り

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

 

2023-11-30  久志能幾研究所通信 2780号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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2023年11月 2日 (木)

高齢者には「きょういく」と「きょうよう」が必要

 

 高齢者が人間として生きていくために必要なのことは、「今日行く」所がある「今日の用」があるである。それでこそ、人間として生きていける。それがないと、生きる屍として過ごすことになる。挙句に、妻から濡れ落ち葉扱いをされ、捨てられる(熟年離婚)。

 これは高齢者だけでなく、人間としても必要な素質だ。出不精者や引き籠リ、フリータの若者にも「きょういく」と「きょうよう」が必要だ。

 働き盛りの社会人でも、正規の会社業以外に、第二の人生の下準備で、やる事を作ることが必要だ。日曜日に家に籠ってテレビばかり見てゴロゴロしていては、定年後は認知症にまっしぐらである。65歳以上は15%が認知症である。入社したら、その40年後には会社生活の死が来ることは必然である。定年になってから、第2の人生の準備では、そのスタートが出遅れる。

 起きたけど、寝るまでとくに用もなし。

 生きてるけど、死ぬまでとくに用もなし。

 

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 馬場恵峰書


生きる意味

 何のために生れたのか、何のために生きるのか、やりたいことはないのか。

 なぜ死ぬのか。定年まで生きてこれたのは、社会的必要があって、定年まで社会から生かされていたからだ。生物は生殖を終わると、その生を終わる。カマキリの雄などは、生殖が終わると雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。サケも長い回流を終り、産卵を済ませると死ぬだけである。その肉は子供の栄養となる。雌の寿命が長いのは、子供を育てるために生きているからだ。

 男は定年後に自分で社会的な恩返しの道を探さないと、生き永らえるだけの存在になる。「生きているけど、死ぬまで特に用もなし」の存在に成り下がる。

 男が定年まで働けば、社会的な義務は果たしたことになる。子育ても終り、家のローンも終り、これからが本当の自分の人生なのだ。そのためにこそ、「今日行く」所がある、「今日の用」がある必要がある。なければ、自分で自分の用を作ることだ。それが不明なら、自分の才能や天命がどこにあるか、世間を歩いて探し回ろう。今からでも遅くない。世間を歩く距離と、出会うご縁の総量は比例する。ご縁の総量が多くないと、真の天命に出会えない。場数で勝負である。それを始めるのに、遅すぎることはない。

 

用を作る

 馬場恵峰師は中国に240回以上も旅行した。閑な隣人たちが「どげんして、そげん中国に何の用があるばってん」と噂していた。師曰く「用があるのではない。用を作りに行くのだ」と答えた。そこからご縁が生まれる。犬も歩けば棒に当る。出かけなければ、決してご縁にはぶつからない。そのご縁で、馬場恵峰師は中国浙江省に小学校を寄贈した。馬場恵峰師は「渓流希望小学校」の名誉校長先生である。その功績を含めて、馬場恵峰師は人口4230万人の浙江省で名誉市民賞を授与された。だから馬場恵峰師は94歳まで現役で活躍された。天が社会に必要と認めたのだ。

 

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「高齢者よ、大死を抱け」

 野垂れ死によりも、戦って死んだ方が死に甲斐がある。大プロジェクトを抱えて邁進し、途中で挫折してもいいではないか。そのプロジェクトの借金が返せなくても、どうせ相手も保険をかけている。高齢者の特権は「忍法踏み倒し」である。債権者もあの世までは追いかけてこない。安心して踏み倒せばよい。世のための踏み倒しなら、閻魔様も大目に見てくれよう。

 馬場恵峰師は60歳の時、社会貢献として大村市に「日中文化資料館」を建てた。家屋敷を担保に入れ、生命保険をかけ、1億円の借金を背負った。その借金を24年かけて返済した。完済時は84歳である。見習いたい行動である。その後ろ姿を見て弟子の2名は、同じく60歳以上の身で1億円以上の借金をして新事業を始めている。師の後姿の教示は素晴らしい。私も真似をする意向である。

 

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  日中文化資料館と図書館「三昧楼」  敷地350坪 大村市

  手前の松は、「迎客の松」

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2023-11-02  久志能幾研究所通信 2768号  小田泰仙

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2023年10月30日 (月)

祖母の50回忌、盲亀浮木の如し

 

 先日の10月28日、祖母の50回忌を執り行った。2年前に祖父の100回忌を執り行った。そのご縁に出会えるだけ幸せであると感じた。本来、出席する予定だった従弟は、昨年末、コロナで亡くなってしまった。健康でその歳まで生きていないと50回忌は執り行えない。祖母がいて、両親がいて、自分の生がある。

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歴史のIF、人生のIF

 もし東条英機が日米大戦を決意しなければ、もしルーズベルトが日本から戦争を仕掛けるように追い込む陰謀を画策しなければ、日米戦争は起きなかった。当時の米国は厭戦世論が蔓延し、ルーズベルトは戦争をしたいが、できず困っていた。

 日米戦争が無ければ、両親は出会うこともなく、私も別の家に生まれたかもしれず、祖母とのご縁もなかったろう。もし父がシベリア抑留でシベリアの土になっていたら、私の生は無かった。従弟の父はシベリアの土になった。

 一つに生が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回連続で当たると同じである(筑波大学村上和雄名誉教授談)。

 私は、太平洋戦争が終わった後の日本に、犬畜生でなく五体満足の人間として生れられたのだ。まるで「盲亀浮木のたとえ」と同じである。それこそが、いずこから来たご縁の恵みで、それが人の道のお宝である。その恵みに感謝するのが、人の道である。

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50回忌の意味

 そう思うと、自分が元気で、祖母の50回忌を執り行えるというのは稀有のご縁で、感謝である。今まで70年間も生きてきて、50回忌に参列したのは、今回を含めてたった2回である。

 祖母は5人の男子と1人の女子を生んだ。その内、2名が戦死である。その孫で50回忌に参列出来たのは、私だけである。他の孫(従弟)達は、既に死亡した者、昨年コロナで死亡した従弟、認知症になった人、入院中の人、老齢で動けない状態の人もあり、50回忌に参列が難しいのが現実である。それに思いを馳せると、盲亀浮木のたとえは、現実味を帯びてくる。最近の法事は3回忌で終りと言う家庭も多い。それを今回、50回忌を執り行えたのは幸せであると感じた。まさに一期一会である。これからも出会うご縁を大事にしていきたい。

 

盲亀浮木のたとえ

 盲亀浮木とは、大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度水面に浮き上がってきた時に、大海に漂っている穴の空いた流木に偶然首を突っ込むという喩え話である。

 出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えで、この出会いとは、人として命をいただく事の困難さ、更にその人がお釈迦様の尊い教えに出会う事の困難さ、人と人の出会いが非常に難しい事の喩えである。

 お釈迦様は、「こんなたとえ話は誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰られた。

このお話は『雑阿含経』に説かれている。

盲亀浮木のたとえ - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

https://yakushiji.or.jp/column/20201102/

 

 

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 いづくかの来たりし去り行く人の道 縁の恵みは生の寶なり

 (色紙に鉋の削りくずを貼って作成)

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 馬場恵峰書 (額の大きさ 126×46㎝)

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2023-10-30  久志能幾研究所通信 2766号  小田泰仙

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