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2023年11月26日 (日)

魔女からの贈物 夢見るバイオリン弾き少女

 

 Gallery Saganで開催されていた「渡辺陽子人形展」で、渡辺さんが作る人形に何か惹かれ、「バイオリンを持つ少女」を入手した。

 美術品は講釈抜きに、自分が気に入れば楽しめばよいと思う。蓼食う虫も好き好きである。芸術の「芸」は「草冠」と「云」からなり、「云」は匂いのことである。つまり匂い草の象形文字である。匂いは、特定の時代、特定に環境、特定の人の場合のみに通用するものである。それが芸術である。だからゴッホの作品は、時代が変わらないと評価されなかった。

 きっと私は魔女の渡辺陽子さんに魔法をかけられたのだろう。渡辺さんは魔女の様に神出鬼没で(魔出魔没?)、人と話し込んでいると思ったら、いつの間にか、ほうきに乗ってどっかに飛んで行ってしまっている? 私は敬意をもって、渡辺さんを「魔女」と呼んでいる。

 

 当初、この娘をピアノの上に飾ろうと思って入手した。「彼女」は何故かこの人事異動?を拒否して、今も居間のテーブルの上に鎮座している。彼女は夢見るような目つきで遠くを見つめている。

 

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夢を見続ける

 私も叶わぬ夢を見続けている。夢があるだけ幸せなのだ。夢なき人生は虚しい。その夢を実現するために、前に向かって歩くのが人生なのだ。それも一生かかっても実現できない大きな夢を抱いて人生を歩くべきだ。夢の実現のため、道なき道を歩いてきた後ろに道が出来る。

 漢字の「道」の語源は、魑魅魍魎が住むと言われた古代中国の城壁の外を「生贄の生首」を魔除けとしてぶら下げ、恐る恐る歩いて出来た跡を「道」と称した象形文字である。シンニュウは、十字路の象形文字である。

 直ぐに実現できてしまう夢は、真の夢とは言わない。それは単なるルーチンワークである。

 人は全く可能性のない事を夢見ない。少しでも可能性があるから、夢として思い浮かぶのだ。誰も自分にアメリカ大統領になる夢を持てとは言わないし、自分もなりたいという夢は抱かない。

 どうせ夢を抱くなら「倍の大きさではなく、一桁大きい夢を抱け」が、トヨタ式の考えである。大法螺と言われてもよい。実現すれば、法螺ではなくなる。

 

 永眠してしまえば、夢を見ることが出来ない。夢を見ることは生きている証。生きているのに、夢を見ないのは、病院のベッドの上で生き永らえていると同じ。それは死んだ人生だ。夢を見るのに、齢は関係ない。老人だからこそ、今までの経験を元に大きな夢を持とう。実現できなくても、後継者がそれを叶えてくれる。

 

 夢の世に 夢みし夢は 夢ならで 

 夢見ぬ夢こそ 夢と知れ

 

 

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 馬場恵峰書

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2023-11-26  久志能幾研究所通信 2778号  小田泰仙

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