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2023年11月24日 (金)

生と死を考える 戦時下の生と死と現在

 

 2023年10月14日、「生と死を考える会」で籠原明子氏の「戦時下における生と死と現在 (古川会長との対談形式)」の講演が行われた。約40名の参加者であった。

 戦前戦中の政府の無責任な政策で、国民が生死をさ迷った現実を籠原明子氏と古川会長が対談で紹介された。彼女は、1946年、家族が満州から引き揚げてきた時、まだ4歳の少女だった。古川秀昭会長は旧満州で生まれ、2歳の時、旧満州から引き揚げてこられた。

 私は満州移民政策の情報をおぼろげにしか知っていなかったので、その現実の悲惨さに驚いた。多くの日本人も知らないと思う。マスゴミ界でもタブーの話のようだ。それを紹介する。

 

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結論と戒め

 似非エリートどもは、自分の頭で考えず、外国の手法を取り入れて、立身出世しようとする。そんな輩が国に指導層に立つと、国を滅ぼすことになる、実際にそうなった。そういう話である。

 現代でも同じようなことが行われている。我々はしっかりと覚醒しないと殺される。現代でも利権まみれの政治家、官僚が日本を滅びに道に引導している。

 岸田は「日本で一番偉くなりたい」だけの目的で首相になった。日本をこうしたいなどというビジョンは皆無であった。増税クソメガネと揶揄される彼は、増税の政策ばかりで、日本の未来への施策は無為無策で、国民の生活を貧困化させている。彼は日本国を崩壊に導いている。増税クソメガネは、上級官僚と上級国民だけがいい思いが出来る国にしたいようだ。米国は30年前に比べて給与は2倍になったが、日本のそれは逆に30年前よりも下がっている。

 今年、日本では公費での葬祭費が過去最高の110億円を超えた。その件数が52,2561件(2023年10月速報値)となり、昨年度より7.7%も増え、無縁仏が激増している。だれがこんな情けない国にしたのだ。

 

満州移民政策、棄民政策

 昭和15年、満州への400万人の移民計画を、軍部のエリートが立案した。それは、西洋諸国の植民地政策を真似して手柄にしよとした似非エリートどもの仕業である。

 

 政府の半ば強引な移民政策で、27万人が満州に開拓農民として移住した。もしソ連と戦争になったら、棄民として移民させた国民を捨てる計画であった。移民者は各県にその数が割り当てられた。その移民先の満州の土地には当然、そこに住んでいた中国人がいる。その中国人の土地を極めて安い値段で買い叩き、元の住民を追い出した。それでは中国人に恨まれて当然である。同じ手法で、欧米列強はアジアを植民地化していった。日本の軍部はその手法を真似したのだ。

  政府は、中国人は劣った人種だと入植者に洗脳教育をして送り込んだ。だから入植者は、そういう目で相手を見て接した。入植者の子供もそういう風に教えられて、子供が現地の中国人を見下していた。

 終戦後、立場が変わり、そういう中国人たちがが恨みを持って日本人達を襲ってきた。そうでなく普通に接した人たちは襲われなかった。襲われる村とそうでない村とにきれいに分かれたと言う。因果応報を端的に表す事象である。因果応報は極限状態の時、現れるようだ。

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 満州の和泉村開拓団に302人が入植した。冬は零下30度まで気温が下がる厳しい土地である。敗戦後、生きて日本に帰れたのは155人だけ

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敗戦の混乱 

 昭和20年8月9日、ソ連が満州に攻め込んできた後は、ソ連と周りの中国人が全て敵となった。昭和20年8月15日に正式に終戦を迎え、昭和21年10月まで、流浪した日本人は帰還の船に乗るまで、約1年間を極寒の中国国土で乞食同然の状態で、逃げ出した開拓地から港まで約1000キロの道を放浪のように歩いたという。

 当時、攻めてきたロシア兵に若い女性を貢いで、村民の命を守ったという悲惨な現実を見なければならない。それで身ごもり、自ら命を絶った娘さんも数多くいたようだ。それを強いた村長を責めることはできまい。そういう状況に陥らせた国のトップの責任である。

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 旧満州は平均気温 2℃~8℃ , 最低気温は -20℃~‐40℃

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 多くの引揚者は、中国各地で生きるために乞食同然の生活を1年程過ごさねばならなかった。旧満州に移民した人の4割(約108,000人)が現地で悲惨な最期を迎えた。そして多くの中国残留孤児が現地に残された。2022年8月1日現在、永住帰国した中国残留邦人とその家族は20,911人。

 満州に日本の未来があると騙して、強制的に満州に移民させた政府の高官の傲慢さの犠牲となった国民の末路である。それを宣伝した当時の新聞社にも責任がある。政府高官の傲慢さに国民がツケを払った形だ。

 

旧満州政策83年後の現在

 戦時中の昭和19年は、280万人が生まれた。しかし令和5年の現在、新生児は80万人台である(令和3年、新生児は 811,604人)。このままでは日本は滅亡である。

 前述の悲惨な経験があるから、籠原明子氏は、このまま死んでなんかいられない、現状の日本の何とかせねば、との思いで著書に記した。

 

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 籠原あき著『あなたはどこにいるのか』春秋社 1800円

 

 2023年の現代でも、昔と同じ構成の特権階級の施策で、国民が悲惨な生活を強いられている。昔とその構造は変わっていない。それを我々は変えて行かねばならぬ。少子高齢化になったのは、政治の問題である。

 

 日本のマスゴミの汚い話と合わせて考えると、日本を何とかせねばとの思いを新たにした。この話は、マスゴミに多くの責任があるが、この話はマスゴミの恥部のようで、「皆には黙っていよう」と口裏を合わせ、報道をしないようだ。だから多くの日本人がこの事実を知らない。私も知らなかった。

 

 我々がやるべきことは、先人の苦労、過ちを真摯に見つめ、自分はどうすべきかを考えることなのだ。それが無念の死を遂げたご先祖を供養することだ。人間は同じ過ちを何度も繰り返している。せめて同じ誤った道を通らないことだ。政治に関心を向けることだ。日本が世界地図から消滅しないために、意思表示をすることだ。

 

 

2023-11-24  久志能幾研究所通信 2777号  小田泰仙

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