死の気配 死活の演出 死後の法要
私は最近、生と死を真剣に考えるようになり、自分の死後の段取りを見直すことにした。「終活」ではなく、その後の「死活」である。
死後の段取りを再検討すると、死後50年間の法要が明確に決まっていなかった。それで11月28日に、菩提寺に行って、住職さんと打ち合わせをした。
私が5年前にがんになり、手術後、死後の各種段取りをしたが、約5年が経ったので、その見直しである。幸い、まだ死の気配がない?
何回忌まで、法事をするのか
誰の葬儀でも、何回まで法事をするのか、決めておいたほうが、当人も遺族にも良いだろう。生前にその意思を確認しておいた方が良い。
最近は7回忌で終りという家も増えている。通常は33回忌までが一般的である。50回忌まで勤める家は少ないようだ。当家では50回忌まできちんと執り行っているので、自分も50回忌までの手配をした。
2年前に祖父の100回忌が回ってきたので、ご縁と思い執り行った。今年は祖母の50回忌を執り行った。
法事のレベル決め
法事と言っても、親戚に集まってもらうわけではなく、お寺さんが私のためにお経を読んでくれるだけである。だからお花も特別な飾りもいらない。そう思って法要を簡素にしてもらうようにした。それで50年間で、約50万円の節約である。
その法事の目的は、自分に対してお経を上げてもらうだけではない。その時の法事と同時に、当家のご先祖代々の諸精霊にもお経をあげてもらうことになる。それが主目的である。
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置いて逝く遺産
この法事も自分がこの世に置いてゆく遺産である。それで安心して逝けるなら、幸せである。手を合わす対象があるということは、幸せである。カネと女と欲望だけの人生では空しい。それは畜生の人生だ。自分が此の世に生を受け、生きてこられたことに感謝することが人間としての務めである。病に倒れ、戦争で命を奪われたご先祖を思えば、自分は幸せである。手を合わす対象があると意識することが霊長類の資格だと思う。動物は、先祖に手を合わせない。
知人に私の33回忌に参列してくれませんかと(冗談で)お願いしたら、拒否された? そこまでは生きていないとか?(笑)
死後では自分では何もできない。しかし生前で、かつ元気であれば、そのプロジュースをすることが出来る。
今回の打ち合わせで、自分の存在が死後50年間の法要に値するか、今後の生き方を考えるよい機会となった。今から後世に何を遺すのか、課題が見つかった。
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葬儀
葬儀やり方も戒名も事前に決めた。墓誌に戒名も彫った。葬儀と戒名のお金も払った。看取りをされる段取りもした。看取り士の資格を取得中である。死亡の病名も決めた。老衰である(希望?)。
死に場所
死に場所も決めた。自宅である(希望?)。数多くのチューブに繋がれて、身動きできず、苦しみながら病院で死にたくはない。病院にとって死は敗北であるようだ。だから患者が苦しもうが、拒否しようが、家族の希望が有れば、延命治療を強行する。それは患者を苦しめるだけだ。どうせ死ぬのだから、安らかに逝かせて欲しい。
位牌を手配
来年、自分の位牌を手配することにした。そうすれば自分が納得出来る位牌になる。位牌の戒名で「○○院○○◎◎居士」と記された◎部を朱で書けばよい。没後、朱の部分を金箔で覆えばよい。それを仏壇の中ではなく、仏壇の横に置いておけばよい。
お墓は8年前に改建すみである。改建当時、自分も入ることは全く頭になかった。人は必ず死ぬのだ。それに思い足らず、自分でも愚かであったと思う。
戒名は既に頂いていて、墓誌にも刻字すみである。私はまだ生きているので、墓誌の戒名には朱を入れている。
遺影を準備
5年前の手術前に、覚悟して写真館で遺影の写真は撮った。CDに記録はしたが、それを正式の写真として印画することを忘れていた。うかうかすると、何処にしまったのか忘れてしまう。だから、印画を実施することにした。
家系図
お寺さんと打ち合わせをして、良かったことは、ご本尊様の扱いを決めたこと。位牌堂に入れる品を再確認できたこと。その中に家系図を入れることを住職さんから提案され、決めたこと。
その家系図は、お墓を改建する時、ふとしたご縁から1734年前の最古参のご先祖の記録が菩提寺の奥の蔵から出てきた。それから後の家系図を完成させたことができた。それで約150名のご先祖の家系図を作成した。その調査のため東奔西走で大変であった。今の体力ではとてもできない。お墓造りも同じである。今では中国の経済状態が激変して、今では当時のお墓を作れない。お墓の石の加工は中国でおこなった。まさにめぐり合わせを感じるこの頃である。
何ごとも、出来る時にやっておかないと、出来ない。だから死の準備は早い方がよい。だれにでも死は必然である。それもある日突然である。
死の気配
住職さんの話で興味深かったのは、最近の檀家さんの動向のお話しである。最近、立て続けにお別れに来られた檀家が数名いたという。自分で死期を悟り、お別れに菩提寺を訪れたという。実際、その後しばらくして、亡くなられたという。住職さんも、その気配をその人から感じたという。
ちなみに住職さんは私の顔色を見て、そんな気配はないという。それは今回、菩提寺を訪問して得た最大のご褒美である。
しかし油断大敵である。人の明日は分からない。なにせどんな人でも、70歳になれば、30歳台に比べ、筋力量、免疫力は半分に減っている。脳の体積も40歳台に比べれば、15%も減っている。脳の体積は40歳以降、年に0.5%ずつ減っていく。
80歳にもなれば、全員ががんを体内に持っている(老人医療の専門家・和田秀樹医師の話)。
どんな生物でも生老病死である。
何時までもあると思うな親と金、そして自分の命。
人生の日暮れは近い。人生の大事を急ごう。
死を意識することは、今を全力で悔いなく生きる事。
馬場恵峰書
2023-11-29 久志能幾研究所通信 2779号 小田泰仙
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