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2023年12月 6日 (水)

『航空情報』誌の歴史に人生を重ねる

 

 雑誌も生老病死である。54年間、購読してきた雑誌『航空情報』(せきれい社)がこの12月号を最後に休刊となってしまった。この雑誌を、私は中学生の時から購読してきた。感無量である。飛行機の発達史は、私の成長と共にあった。

 

黒歴史

 途中、2001年、父が亡くなった時のドタバタと、定期購読をお願いしていた本屋の不誠実が重なり、2か月分が欠落している。しかし1969年4月号(2549号)から最終号2023年12月号(963号)までは、全て揃っている。2冊分の欠落分を後でバックナンバーとして取り寄せようとしたが、入手が叶わなかった。その号がないことは私の黒歴史である。

 1961年7月号から1969年3月号までは欠落はあるが、バックナンバーとして50冊を揃えた。約4年分である。

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 書棚になら58年分の『航空情報』誌
 

 定期購読していて、欠品の不手際を出した本屋はすぐ解約して、別の本屋で定期購読を始めた。その数年後、先の本屋から定期購読を再開して欲しいとの連絡がきた。私は36年間もその本屋で『航空情報』を定期購読していたのに、父が亡くなった時の不誠実な対応に怒り心頭で、私は再開を拒否した。その後、その本屋は大垣市から消えた。本屋として、商売道を間違えていたと思う。

 

 休刊は残念だが、購読を68年と10か月間も続けてきたことを、自分で自分を褒めてやりたい。当初は、両親がくれたお小遣いからの出費である。それを許してくれた両親に感謝である。

 継続は力なり。2冊欠本があることで、私が神ではなかった証?である。すこし安心である? 

 神とは完全無欠で「人ではない」存在である。要は「人でなし」である。人は神を目指してはならない。ちなみに「佛」の漢字も、「人」偏に、「非」を組み合わせた象形文字である。人に非ずと書いて「佛」である。

 人は、人間的な成長をして人間になることを目指すべきだ。人は動物として生まれて人間になる。人として欠点を持ったまま、長所をさらに良くして、人間としての円熟味を出す。そうすれば、欠点が人間味となる。

 

10年、偉大なり。

20年、畏るべし。

30年、歴史なり。

50年、神の如し。

 (中国の格言)

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 人生飛行の着陸

 飛行機は飛び立てば、何時かは必ず着陸せねばならぬ。そのとき美しい姿勢で着陸したい。生物も飛行機も生老病死である。

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 1965年3月号 この号から購読を始めた。当時 定価250円

 今、事故で話題のオスプレイと同じタイプである。

 垂直離陸技術はもう70年近く前からの技術である。

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 2023年12月号 この号で最終号 定価 1400円

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 1961年7月号 バックナンバーで集めたうちで一番古い号

 

2023-12-05  久志能幾研究所通信 2783号  小田泰仙

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2023年12月 1日 (金)

人生の大地を耕す

 

 工場は、社長がその工場の現場に足を運んだ回数分だけ良くなる。それでその工場の生産性がよくなる。それは、社長が現場で第三者の目で問題点を見付けて、指摘し改善をさせるから、生産性が上るからだ。トヨタ生産方式では現地現物が基本である。

 農地は、農民が数多く鍬を入れて耕した土地が豊かな実りを得る。耕せば、土地の内部の微生物が活性化して、土地が肥沃になるからだ。

 恋愛という大地だって、数多く会えば、自ずと相互理解と愛情が耕され、お互いが豊かになれる。

 

文化

 英語「culture」の訳語は「文化」である。その語源はラテン語の「colore」である。「colore」は、「耕す」、「住む」、「崇拝する」などの意味がある。この「耕す」という意味が、現在の「文化」と深い関連がある。耕すという行動によって、人間は自然に手を加え、自分たちに都合のよい土地に作り変えてきた。

 

 人生という大地は、その大地を自分の鍬(体験)で、耕してこそ、よい人生を創ることができる。その大地も、何度も何度も耕してこそ、よき人生経験を得て、人格が豊かになる。たった一度だけ鍬を入れただけでは収穫物は少ない。何度も耕してこそ豊かな収穫物が得られる。

 人が経験したことを、何度も振り返り、それでは、その時、どうすればよかったかと、何度も考えることが、人生経験を耕すことなのだ。それで思考が深まり、その後の人生で同じような経験に出会った時、良き行動がとれる。それだけ人生経験が豊富になり、人格が上がるのだ。そのめぐり合わせのご縁は、盲亀流木のご縁である。

 

70にして69の非を知る

 そのご縁を当時の資料を見て、思い出し、自分の行動を疑似体験して反省する。そうやって私は過去50年分のスクラップ資料(再整理して現在、総計115個のボックスファイル。重量約1.1トン)を日々見直している。そうやって「70にして69の非を知る」を体感している。

 

 人間だもの、最初の出会い(経験)では失敗もあるだろう。次の出会いで、それを修正すればよいだけだ。私の人生は失敗だらけである。そのための過去の体験資料の見直しである。私は失敗の資料を大事に保管している。

 

久志能幾研究所通信  人生の譜面 振り返り

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

 

2023-11-30  久志能幾研究所通信 2780号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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2023年11月 2日 (木)

高齢者には「きょういく」と「きょうよう」が必要

 

 高齢者が人間として生きていくために必要なのことは、「今日行く」所がある「今日の用」があるである。それでこそ、人間として生きていける。それがないと、生きる屍として過ごすことになる。挙句に、妻から濡れ落ち葉扱いをされ、捨てられる(熟年離婚)。

 これは高齢者だけでなく、人間としても必要な素質だ。出不精者や引き籠リ、フリータの若者にも「きょういく」と「きょうよう」が必要だ。

 働き盛りの社会人でも、正規の会社業以外に、第二の人生の下準備で、やる事を作ることが必要だ。日曜日に家に籠ってテレビばかり見てゴロゴロしていては、定年後は認知症にまっしぐらである。65歳以上は15%が認知症である。入社したら、その40年後には会社生活の死が来ることは必然である。定年になってから、第2の人生の準備では、そのスタートが出遅れる。

 起きたけど、寝るまでとくに用もなし。

 生きてるけど、死ぬまでとくに用もなし。

 

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 馬場恵峰書


生きる意味

 何のために生れたのか、何のために生きるのか、やりたいことはないのか。

 なぜ死ぬのか。定年まで生きてこれたのは、社会的必要があって、定年まで社会から生かされていたからだ。生物は生殖を終わると、その生を終わる。カマキリの雄などは、生殖が終わると雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。サケも長い回流を終り、産卵を済ませると死ぬだけである。その肉は子供の栄養となる。雌の寿命が長いのは、子供を育てるために生きているからだ。

 男は定年後に自分で社会的な恩返しの道を探さないと、生き永らえるだけの存在になる。「生きているけど、死ぬまで特に用もなし」の存在に成り下がる。

 男が定年まで働けば、社会的な義務は果たしたことになる。子育ても終り、家のローンも終り、これからが本当の自分の人生なのだ。そのためにこそ、「今日行く」所がある、「今日の用」がある必要がある。なければ、自分で自分の用を作ることだ。それが不明なら、自分の才能や天命がどこにあるか、世間を歩いて探し回ろう。今からでも遅くない。世間を歩く距離と、出会うご縁の総量は比例する。ご縁の総量が多くないと、真の天命に出会えない。場数で勝負である。それを始めるのに、遅すぎることはない。

 

用を作る

 馬場恵峰師は中国に240回以上も旅行した。閑な隣人たちが「どげんして、そげん中国に何の用があるばってん」と噂していた。師曰く「用があるのではない。用を作りに行くのだ」と答えた。そこからご縁が生まれる。犬も歩けば棒に当る。出かけなければ、決してご縁にはぶつからない。そのご縁で、馬場恵峰師は中国浙江省に小学校を寄贈した。馬場恵峰師は「渓流希望小学校」の名誉校長先生である。その功績を含めて、馬場恵峰師は人口4230万人の浙江省で名誉市民賞を授与された。だから馬場恵峰師は94歳まで現役で活躍された。天が社会に必要と認めたのだ。

 

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「高齢者よ、大死を抱け」

 野垂れ死によりも、戦って死んだ方が死に甲斐がある。大プロジェクトを抱えて邁進し、途中で挫折してもいいではないか。そのプロジェクトの借金が返せなくても、どうせ相手も保険をかけている。高齢者の特権は「忍法踏み倒し」である。債権者もあの世までは追いかけてこない。安心して踏み倒せばよい。世のための踏み倒しなら、閻魔様も大目に見てくれよう。

 馬場恵峰師は60歳の時、社会貢献として大村市に「日中文化資料館」を建てた。家屋敷を担保に入れ、生命保険をかけ、1億円の借金を背負った。その借金を24年かけて返済した。完済時は84歳である。見習いたい行動である。その後ろ姿を見て弟子の2名は、同じく60歳以上の身で1億円以上の借金をして新事業を始めている。師の後姿の教示は素晴らしい。私も真似をする意向である。

 

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  日中文化資料館と図書館「三昧楼」  敷地350坪 大村市

  手前の松は、「迎客の松」

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2023-11-02  久志能幾研究所通信 2768号  小田泰仙

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2023年10月30日 (月)

祖母の50回忌、盲亀浮木の如し

 

 先日の10月28日、祖母の50回忌を執り行った。2年前に祖父の100回忌を執り行った。そのご縁に出会えるだけ幸せであると感じた。本来、出席する予定だった従弟は、昨年末、コロナで亡くなってしまった。健康でその歳まで生きていないと50回忌は執り行えない。祖母がいて、両親がいて、自分の生がある。

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歴史のIF、人生のIF

 もし東条英機が日米大戦を決意しなければ、もしルーズベルトが日本から戦争を仕掛けるように追い込む陰謀を画策しなければ、日米戦争は起きなかった。当時の米国は厭戦世論が蔓延し、ルーズベルトは戦争をしたいが、できず困っていた。

 日米戦争が無ければ、両親は出会うこともなく、私も別の家に生まれたかもしれず、祖母とのご縁もなかったろう。もし父がシベリア抑留でシベリアの土になっていたら、私の生は無かった。従弟の父はシベリアの土になった。

 一つに生が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回連続で当たると同じである(筑波大学村上和雄名誉教授談)。

 私は、太平洋戦争が終わった後の日本に、犬畜生でなく五体満足の人間として生れられたのだ。まるで「盲亀浮木のたとえ」と同じである。それこそが、いずこから来たご縁の恵みで、それが人の道のお宝である。その恵みに感謝するのが、人の道である。

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50回忌の意味

 そう思うと、自分が元気で、祖母の50回忌を執り行えるというのは稀有のご縁で、感謝である。今まで70年間も生きてきて、50回忌に参列したのは、今回を含めてたった2回である。

 祖母は5人の男子と1人の女子を生んだ。その内、2名が戦死である。その孫で50回忌に参列出来たのは、私だけである。他の孫(従弟)達は、既に死亡した者、昨年コロナで死亡した従弟、認知症になった人、入院中の人、老齢で動けない状態の人もあり、50回忌に参列が難しいのが現実である。それに思いを馳せると、盲亀浮木のたとえは、現実味を帯びてくる。最近の法事は3回忌で終りと言う家庭も多い。それを今回、50回忌を執り行えたのは幸せであると感じた。まさに一期一会である。これからも出会うご縁を大事にしていきたい。

 

盲亀浮木のたとえ

 盲亀浮木とは、大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度水面に浮き上がってきた時に、大海に漂っている穴の空いた流木に偶然首を突っ込むという喩え話である。

 出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えで、この出会いとは、人として命をいただく事の困難さ、更にその人がお釈迦様の尊い教えに出会う事の困難さ、人と人の出会いが非常に難しい事の喩えである。

 お釈迦様は、「こんなたとえ話は誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰られた。

このお話は『雑阿含経』に説かれている。

盲亀浮木のたとえ - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

https://yakushiji.or.jp/column/20201102/

 

 

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 いづくかの来たりし去り行く人の道 縁の恵みは生の寶なり

 (色紙に鉋の削りくずを貼って作成)

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 馬場恵峰書 (額の大きさ 126×46㎝)

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2023-10-30  久志能幾研究所通信 2766号  小田泰仙

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2023年10月15日 (日)

私の蓄財術、7つの財産

 

 お金は財産ではない。お金は銀行のコンピューター上に記録された数字の羅列でしかない。お金は人生劇場への入場料として必要である。そのためにお金を使わなければ、良い舞台に立てず、よい経験が得られず、良い人生を送れない。お金はチャンスを掴むための経費である。場末の安い劇場では、そこから得られる「利」は少ない。だから高くても良質な舞台を選ぼう。「利」とは仏様が与える恩恵である。

 現金だけ集めても、それを使わなければ、心の貧乏人である。お金は使ってなんぼである。必要な入場料を払わず、現金を掴んで離さなければ、良い舞台に立てない。真の財産は、新たな舞台に挑戦する勇気、それに躊躇しない逞しさと心の豊かさである。それを徳という。

 

1 人生経験という財産

 財産とは成功体験だけでなく、失敗経験もより大きな財産である。多くの失敗を犯し、流した涙と汗の分だけ、多くの智慧と徳が付き、結果として後年の成功を得られる。エリート呼ばれる上級国民が、人生後半でドジをやるのは、若い時に大事に保護されて、その失敗を経験していないからだ。自転車の訓練でも、最初に沢山転ぶと乗る技術が上手くなると同じだ。だから上級国民の末路は悲惨である。人生三大不幸の一つが、「若くして高台に登る」である。

 

 約40年まえ、私が前職で主任として働いていた職場に、エリート扱いを受けた若手2人が異動してきた。二人ともエリート意識丸出しの鼻持ちならないやつであった。そして古参の非エリートの私を追い抜き、超厚遇をされるようになった。二人は会社から大学院に派遣され、博士号まで取らせてもらい、海外出張さえ最優先であった。同じ職場で、私は貧乏くじを引かされた。その10年後、贔屓していた上司はいなくなり、任されたプロジェクトが中止となり、その一人は会社を後ろ足で泥を掛けるように退社し、もう一人は会社に残ったが、後年、閑職で定年を迎えた。それが自分はエリートと自認もし、周りからもそう呼ばれた若者の末路であった。天網恢恢疎にして漏らさず、を実感した。

 

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2 師の教え、思い出

 人生の道を歩くうえで、師の教えがお宝であることに思い至る。それは人生道を歩く上の地図であり、コンパスである。それが無ければ人生道で迷う。16年間、人生道を教えて頂いた馬場恵峰先生には感謝しかない。

 それで私は約1000万円の金を使ったが、相応の学習財産ができた。約1000万円は16年間での九州までの交通費、宿泊費、師の書画購入代等である。馬場恵峰先生は中国に240回以上も行き、その旅費で約8,000万円が消えたという(一回の旅行で約30万円余である)。恵峰先生は「それで手元に何も残っていないが、経験・信用・人脈と言う財産が残った」という。私は師の後ろ姿から多くを学んだ。

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3 健康力

 健康でなければ、美味しいものも食べられないし、旅行もできない。毎日が憂鬱である。健康でないと、お金も使えない。お金を使うには、体力がいる。

 私ががんを罹患して、体力がなくなった。それを失って初めて、健康の重要さを痛感した。体力が無ければ、お金も使えない。健康でなければ、決して幸福になれない。死んでもいいから健康最優先である。

 

 

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 上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。

 馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。

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4 少しの友

 社長業をやっている知人から、年賀状が500通だ、知り合いが数百人いるとかの自慢話をよく聞く。そんな「友人」が500人いても、その「友人」と1時間話しあっても、合計で500時間が必要だ。その友好関係を維持するには膨大な時間とお金がかかる。そんな中途半端な名目だけの「友人」と付き合うことに時間を使っていたら、人生が終わってしまう。心を許した徳のある友人は数人で十分である。

 

5 少しのお金

 日本でお金と言われる代物は、日本銀行券である。それはあくまで、日本銀行が保証した、兌換券でしかない。日本銀行が保証しなければ、紙くずである。

 1947年、日本政府は新円を発行し、今まで持っていた円を使用不能にした。ほんの76年前のことだ。それで母の父(私の祖父)の退職金が紙くずとなった。だから母は、私に「政府を信用するな」と口を酸っぱくして教えた。

 国体が変われば、お金は紙くずとなる。その時に必要な財産とは、どんな時代、どんな社会でも生きていける才覚を養うことである。その時に、稼ぐことができる能力が、真の財産力だ。両親は、戦後の激動の時代を裸一貫からがむしゃらに働き、一財産を作り、私に残してくれた。

 お金は、当面の生活が出来る少々を持っていればよい。チャップリンは「人生で必要なものは、勇気と想像力と少しのお金」と言った。あの世にはお金を持って行けない。稼いだ「お金」は、自分の人生体験と能力向上に振り向ける。今は、明日を知れぬ激動の時代である。隣国からの日本侵攻、南海トラフ大地震が起きるやも知れぬ。その時にその持てる生きる力がものを言う。

 

 

6 社会貢献という財産

 社会に貢献したということは、天に貯金をしたことだ。それで将来、自分だけでなく、子孫にも利子(社会からの恩恵)が支払われる。

 先の大戦では、私の家系で叔父が2名、お国に命を捧げた。一人は極寒のシベリア、もう一人は灼熱のインパール作戦の地で亡くなった。父はシベリア抑留に人生の一時期を捧げた。それで今の日本がある。父がシベリアで死んでいたら、私の生はない。私はその恩恵を私は受けて生きている。毎日、感謝で仏壇に手を合わせている。

 馬場恵峰先生は、60歳の時、社会貢献として、家屋敷を担保に入れ、生命保険に入り、1億円の借金をして、日中文化資料館を建てた。その借金は24年かけて84歳の時、完済した。だから天は師を94歳まで現役で活躍させる恩恵を与えた。

 

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 350坪の敷地に建つ日中文化資料館  大村市

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5 賢さという財産

 いくら知識・智慧・財産があっても賢くないと、それを使いこなせない。賢くないと、頭の良さは悪知恵となり、周りに害毒をまき散らす。木原誠二、ジャニーズ喜多川のように。

 日本のエリートと呼ばれる類は、知識はあっても智慧と徳が無い。ましてや賢さもない。更に公僕と言う意識は皆無である。記憶テストで高得点だけを取った東大出のエリートが日本滅亡の政策をごり押ししている。今の日本の停滞の原因は、トップの堕落が原因である。己の蓄財に熱心で、日本を泥船化して、一緒に沈んでいくことに気が付かない。その結果、増税邁進、中韓迎合、保身の無為無策、世論無視である。木原誠二問題、統一教会問題、ジャニーズ性加害事件、谷町の闇、宝塚歌劇団問題、等はエリート政治家の利権が関係している。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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6 素直さという財産

 いくら幸運に恵まれても、驕ってしまえば、衰退である。素直に置かれた状況を受け入れる素直さ、回りの人の意見を聞ける素直な能力も大事な財産である。どんな状況でも、生きていることに感謝である。

 

7 宗教力

 宗教の「宗」とは家の「ウ冠」と神への捧げものを表す「示」からなる象形文字である。つまり宗教とはその家の教えである。仏教やキリスト教は、大量生産に相当する大手企業と同じである。家の家訓は家庭料理と同じである。それはご先祖が何代にも亘って作り上げてきた教えである。2000年前は、それらの大規模宗教団体が成立していないので、各家の教えが宗教であった。要は家庭料理である。毒のある外食(新興宗教団体)よりも、家庭料理(家の家訓)を大事にしよう。それは財産である。母や父の教えを守る。それも宗教力である。

 

 

2023-10-15  久志能幾研究所通信 2759号  小田泰仙

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2023年10月11日 (水)

死神や 来りしならば 感謝砲 

 

 死神には、「でも」も「だって」も通じない。

   死神が来たら、感謝の気持ちで迎えよう。

  「でも、まだ死にたくない」「だって、まだ若いから死ぬを許して」と泣きついても死神は聞く耳を持たぬ。

 

死は解釈次第

 死は誰にでも訪れる。死はいつも突然であり、死神は必ず来る。死神も手ぶらでは、あの世に帰らない。だから死に対しては、その下準備をしておくべきなのだ。

 死神が来るのも、事故に遭うのも、病気になるのも、良きご縁に出会うのも、全て同じである。郵便ポストが赤いのも、死神がくるのも、みんな自分が悪いのだ。死と言う出会いの縁をどういう風に解釈するかの違いである。全ての出会いには意味がある。だからどんな良縁、悪縁が来ても、感謝で受けとめるのが最良の差し手である。それを素直に受けとめないから、不幸になる。師の死が、弟子の奮起になることもある。明治維新は吉田松陰の死が大きく影響した。

 この世で起きる出来事は単なる事実で、そこには善悪はない。それを人がどう解釈があるだけである。交通事故に遭遇しても、それに反省して、再発防止を講じて次に想定された悲惨な事故を回避できれば、逆に幸運と言える。スピード違反で捕まっても、それで将来の死亡事故が回避されたと思えばよい。よくぞ捕まえてくれたと、感謝である。

 私が1994年、ニューヨークでケチャップ泥棒にあい、もう少しで盗難被害にあうところであった。当人は不幸だが、やったほうは、カモに出会ったと思って幸運だったろう。やった犯人には、目の前をカモがネギをしょって歩いていた、ラッキー、である。それはブロードウェイ5番街でお昼時に起きた事件だが、それがニューヨークの貧民街で起きれば、そこの住人には、当たり前の事象、やられた方が、馬鹿なのだ。あくまで盗難事件という事実があるだけだ。それをどう解釈するかは、人間社会の勝手である。

 

生死に善悪なし

 それと同じで、生死も事実があるだけで、それに善悪はない。もし人が死ななければ、地球上で人間が溢れ、食料難で人類が滅亡してしまう。老いた親が死ななければ、家族が介護で疲れ果てて、家庭が破綻してしまう。昔はそれを防ぐため、姥捨て山という風習が存在した。それほど昔の人は悲惨な生活をしていた。それに比べれば、今は幸せなのだ。

 人が永遠に死ななければ、宇宙根源の理に反することになる。死んでくれてありがとう、である。

 There are no facts. Only interpretenision.

 事実はない。解釈の違いがあるだけ。  ニーチェ

 人が出来ることは、死が訪れても感謝の気持ちで迎える、である。生があっても感謝である。宇宙根源の理で、生も死も同一の事象である。

 いくら若くして死んでも、幼児時期に死ななかったのは、幸せなのだ。私の家系でも、幼児時期に、死んでいる子が多くいる。それに比べれば青年まで生きられたのなら、大幸運である。ましてや還暦をすぎれば、いつ死んでも超幸運である。還暦まで生きれば、1億円の宝くじが2百万回、連続で当たったと同じ確率である。そう思うと、死は自然と受け入れることが出来る。

 そのためには、いつ死んでもいいように、今日のやるべきことをやって、一日を終える。そして人生の使命を果たすべく、一つ一つ確実にやる事こそが、生あるものとしての勤めであろう。

 

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Photo

 馬場恵峰書

2023-10-11  久志能幾研究所通信 2756号  小田泰仙

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2023年9月29日 (金)

巡礼 小貫善二作陶展 練り込みとウツ病、ヒトラーと薬物

 

練り込み

 岐阜河原町 gallery Saganで開催された小貫善二作陶展で、小貫さんから面白いお話しを伺った。

  陶芸における練り込みは、気の遠くなるほど手間のかかる手法である。数種類の違った陶土を重ね合わせていき、作品の模様を作る。それを小貫さんは、万華鏡で見たイメージを、陶土の模様に変えていくという高度な手法を編み出した。

 

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 小貫善二作 練り込み器  in Sagan


技法 練り込み器

 練り込みは、色の異なる粘土を組み合わせ、練り込み模様を作り出す手法である。この技法では、色粘土の組み合わせ方で様々な模様を作り出す。練り込みの色は、通常の粘土の組み合わせで色を作る。また粘土に色顔料を加えて色を作り出す手法もある。

 

 小貫さんは、「練り込みの器を作る時は、あまりに手数がかかり過ぎるので、鬱になりそう」という。だから途中で限界を感じると、製作を止めると言う。だから氏が鬱病になったことはない。それは動物的本能であるようだ。小貫さんの練り込みの陶器を見て、会社時代の鬱病を思い出した。

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器の大きさ

 ところがそういう危機状態でも盲進してしまうのが、現代サラリーマンの哀しい性である。本能よりも理屈や世間体、上司の目だけを優先して生きているサラリーマンたちである。働き過ぎで体が拒否をしているのに、さらに働いて鬱病になってしまう。それは価値観の違う上司に気を使って、働くからだ。自分を殺しての生き方では病気になってしまう。それは自分の生きる軸がなく、他人任せで、なおかつ自分の器が小さいからだ。

 芸術家の小貫さんは、人間として生きている。自分の生き方の軸を持っているから、他人に慮ることもない。小貫さんの行動と比較すると、現代のサラリーマンは人間性を失っている。どちらが進化した人間であろうか、考えてしまう。

 

人生の課題

 人間的にレベルの低い上司の左右されないような大きな人間の器を作る修行をしよう。それが人間に一生かけて課せられた課題である。人間社会で生きて行くと、周りに色んな人間に出会う。その中でどう生きるかが問われる。

 

鬱とは

 「鬱」という字は、樹に葉が生い茂り過ぎた状態を表している。要は、その木の能力以上の葉をつけたので、全体の生命力が弱くなっている状態である。それでも見栄や頭だけで生きていると、体の危険信号を感知できなくなり、そのまま突っ走って鬱病になってしまう。それが現代の状況だ。

 

現代の闇

 私が技術管理課の課長職であった時、鬱病の部下を数人抱えることになった。実戦部隊で倒れた技術者を、その上司が管理課なら閑だろうと私の課に異動させた。そのせいで私は鬱病の勉強をする機会を得た。私はそれで10冊ほどの本を読んで鬱病の研究をした。

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 患者が心療内科の病院に行くと、100%うつ病として診断される。そしてその患者の上司の私でも、部下の病状の情報が全く入らなくなる状態になる。患者の守秘義務を守ると言う大義名分で、患者の情報は伝えられず、上司は医師にも会えない。そういう状態に上司は置かれる。

 医師は、密室状態なので、安心して?患者を薬漬けにすることが出来る。ますます鬱病は治らない。鬱病は薬では治らない。病気になったのは、能力以上に負荷が大きかったのだから、鬱状態を治すには、負荷を減らして人間らしい生活に戻せばよいだけだ。しかしそれでは病院は儲からないので、患者を薬漬けにする。日本の医療の闇である。 

 ヒトラーは専属医モレルにより薬物依存にさせられ、それが原因で、ヒトラーは正常な判断が出来なくなり、第二次世界大戦を凄惨な状況に陥れた。その真の原因はヒトラーの精神を安定させようと投与された薬物であった。ヒトラーは自分の健康には最大の注意を払う真面目な菜食主義者でもあった。そのヒトラーを薬物が襲った。医師は依存性はないとヒトラーを騙して薬物を処方した。いくら悩みがあっても、それは薬では治らない。ヒトラーの病状は、薬物の怖ろしさを見せつける実証実験であった。それは現代の鬱病治療となんら変わらない。脳内への血流への異物の侵入には、鉄壁の防御があるが、薬物の侵入に対しては無防備である。

 

 

鬱病候補者

 うつ病は真面目で責任感が強い人がなりがちである。かのチャーチルでも鬱病になった。エーワン精密の梅原勝彦社長も鬱病になった。日経ビジネスにその記事が出ていた。私は梅原勝彦社長の講話を松下幸之助経営塾で聴いてから、氏に親近感を抱いた。氏は私の会社の機械を使っているとかで、機械の良さを褒めてくれた。嬉しいことだ。

 

鬱病研究

 私も一時鬱状態になった時、病院には行かず、自分で治した。病院に行けば必ず、鬱病と診断され、薬漬けにされることが分かっていた。それは自分の部下の為に、鬱病の原因と治療を研究していたから判明したことだ。そのお陰で、鬱状態を自分で治すことができた。情けは人の為ならず、である。

 当時の会社の保健婦は「小田さんは、軽い鬱状態だから、薬を飲めば、すぐよくなりますよ」とほざいていた。私は、保健婦も医師も信じず、真因はなぜかと、何故なぜを5回繰り返して、追及した。「トヨタ生産システム教」の賜物である。

 

 

2023-09-29  久志能幾研究所通信 2751号  小田泰仙

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2023年9月22日 (金)

炎天下 お墓の花台 拷問架、観音菩薩は羂索で救う

 

 お盆の時に墓参りで、お墓にお花を供えると、炎天下の強い日差しに加えて、ステンレス製の花受け内の水が炎天下で熱湯状態になっており、その水温は60度を超える。それではお花はすぐダメになる。まるで灼熱地獄の拷問架に生き物を晒すようなものだ。お花が熱中症になっている。

 そのなむごいお供えをご先祖は望んでいるだろうか。その花の命の美くしさでお墓を飾っている。お花だって生き物だ。地獄を見るために生まれてきたわけではない。仏教は生物の殺生を忌み嫌う。たまにはお花の立場でものごとを考えたい。

 お墓が地元にあり、毎日お水を補給して、面倒を見れればまだしも、お墓が遠方のお寺の墓地に在り、年に数回しか墓参りが出来なければ、上記の状況になる。

 私は、年に数回しか墓参りに行けないので、墓参り時は、お花を供えない。お花を供えれば、後始末で、お寺さんに迷惑をかけることになるからだ。

 

お花の手入れ

 奈良の興福寺の別院として大垣には南圓堂が有る。その入口横にお地蔵様が祀られている。興福寺の別院は全国で大垣だけである。毎年、地蔵盆祭りの時は、興福寺から管長か副管長がみえて読経をされる。

 このお地蔵尊のお守り役の人から聞いたお花の手入れの話しである。その方は、毎朝、地蔵尊に供えられているお花の茎をブラシで擦って、水垢を拭っている。当然毎朝、水を替える。お花をダメにするのは、茎に着いた雑菌が増殖して腐敗するからだ。それを毎朝、除去すればお花が長持ちするという。

 人間だった同じだ。まとわりつく腐敗した輩が自分をダメにする。付き合う人を選ばないと、自分の人生がダメになる。人生でも人間関係は5S(整理整頓清潔清掃)が必要だ。

 

 私が地蔵尊のお花当番の時、同じ手法で、供えられたお花を1か月間もたせたことがある。それは8月ではなく、2月であったが、それで1か月間もお花の命が持ったのだ。

 自宅の仏壇のお花も同じ手法で、お花の手入れをしている。

 

不空羂索観音菩薩

 この南圓堂の御本尊は不空羂索観音菩薩である。この仏様は、迷える衆生を地獄から羂索ですくい上げてくださる。

 お花の茎を毎日、洗ってお花を地獄から救うのも小さな菩薩行である。自分が菩薩になって世を救う稽古をしようと思う。

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 南圓堂 地蔵盆祭り 2011‎年‎8‎月‎24‎日

 読経は興福寺副貫主様

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 不空羂索観音菩薩

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 南圓堂 大般若経転読法会 2012年7月10日

  右手の僧侶が興福寺貫主様 

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     大垣 南圓堂

 

2023-09-22  久志能幾研究所通信 2745号  小田泰仙

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2023年9月 9日 (土)

老年よ 大死を抱け

 

 日本国がまだ若かった頃、クラーク博士は「少年よ 大志を抱け」の言葉を残して、札幌農学校を去った。

 若かった日本国も高齢化社会を迎えた。今、オダ仏教の教祖は、

「老年よ 大死を抱け」と言葉を変えた。

「死ぬまでに実現できないほどの大きな夢を持つこと」それが若さを保つ秘訣である。大きな夢を持つ人は、人生が青春である。青春は齢の過少ではない。精神の若さである。青春は生涯現役でなければ、実現できない。その夢に向かって活動する人は、社会に大きな貢献をする。その死は大勢の人から惜しまれる。それが大死である。

 この世で最大の大死はお釈迦摩様の入滅である。その時は弟子と一緒に動物たちも悲しんで泣いたと言う。私の師であった馬場恵峰先生、馬場三根子先生、河村義子先生の葬儀には1000人近い人が弔問に訪れた。それだけ多くの社会的な貢献をした証しである。

 

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 馬場恵峰書  日中文化資料館蔵 

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六道 

 六道で、自分が人間に生れたことを喜ぼう。六道とは、仏語で衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいう。畜生のサルとヒトのDNAの構成を比較すると、98.5%は同じであると言われる。

 それが自分はヒトとして生まれることが出来た。それは一億円の宝くじが連続で百万回も当たる確率と同じである。それもこの日本で、この時代に生れた。戦中に生れれば、学徒動員で特攻を命じられたかもしれぬ。隣国で生まれなかった幸せを喜ぼう。隣国では政府に反対すれば死刑である。ウイグル族に生れれば、強制収容に送られ、生きたまま臓器摘出である。

 また時期が戦争中ならシベリア抑留となり、強制労働に従事されたやも知れぬ。シベリア抑留の初期は、ソ連側も準備不足で、捕虜の死亡率が80%とも言われる。アウシュビッツ強制収容所と同じ死亡率である。私の父と叔父は終戦後、シベリア抑留をさせられた。父は幸い生きて帰国できた。しかし叔父はシベリアの土になった。もう一人の叔父はインパール作戦で戦死した。残った遺品は、一枚の死亡通知書だけである。

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ご先祖供養

 私には、先の戦争は遠く昔の話ではない。このご先祖の為に、8年前の2015年、お墓を改建した。インパール作戦で戦死した英霊に、院号を付けて頂き、その位牌を作り、墓誌にも刻印した。

 よく考えたら、そのお墓は、自分も入るお墓である。がんの手術後、覚悟を決め戒名も頂いた。我が家の墓誌にその戒名を刻んだ。まだ私は生きているので、その戒名に朱墨を入れた。葬儀の段取りもした。死後50年間の法要の段取りもした。そのお金も払った。遺言状も書いた。後は死ぬだけだから、これで雑事に煩わされず安心して、死ぬまで大きな夢に向かって邁進することが出来る。

 

遺品整理

 それで安心して、断捨離はせず、所有品の整理整頓・廃棄を進め、そのうえで欲しいものを買いまくっている 2年前に別宅の事務所も買った。お金は残しても意味がない。お金は記号である。それを使って付加価値を生み出して、なんぼの価値である。そのモノが自分の生活を効率的にして、幸せな時間を生み出す道具になると判断できれば、私は躊躇せず投資として買いまくってる。それは小品の台所用品や事務用品で安い製品ばかりである。

 

命を使い切る

 この日本でこの時代に生れたこの僥倖を使って、大きな夢に向かって命を全うしたい。生は偶然だが、死は必然である。嫌だといっても、時期が来れば彼岸からお迎えに来てくれる。それまで命を使い切りたい。

 

若さ維持

 人は意欲を失うと、急速に老化が進む。大きな夢を持ち、それの実現のため頭を絞り知恵をだすことは、老化防止には最適だ。自分で自分を駆り立てなければ、老いて朽ちるだけである。

 夢の実現に向けて、その途中で死んでも構わない。夢が実現できなくても構わない。その夢が未来の光である。その光に向かって歩き続ける過程が生きている証なのだ。その過程で多くの学びとご縁がある。それが人生のお宝で、生きた証である。

 

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 老年期が、生き永らえるだけの期間ではあってはならない。それでは「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」である。それは死んだ人生だ。それこそボケの促進剤だ。私は最期まで社会に付加価値を与え続ける人間でありたいと精進している。94歳で亡くなられた馬場恵峰先生がそうであったように。

 

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 馬場恵峰書

2023-09-09  久志能幾研究所通信 2738号  小田泰仙

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