老年よ 大死を抱け
日本国がまだ若かった頃、クラーク博士は「少年よ 大志を抱け」の言葉を残して、札幌農学校を去った。
若かった日本国も高齢化社会を迎えた。今、オダ仏教の教祖は、
「老年よ 大死を抱け」と言葉を変えた。
「死ぬまでに実現できないほどの大きな夢を持つこと」、それが若さを保つ秘訣である。大きな夢を持つ人は、人生が青春である。青春は齢の過少ではない。精神の若さである。青春は生涯現役でなければ、実現できない。その夢に向かって活動する人は、社会に大きな貢献をする。その死は大勢の人から惜しまれる。それが大死である。
この世で最大の大死はお釈迦摩様の入滅である。その時は弟子と一緒に動物たちも悲しんで泣いたと言う。私の師であった馬場恵峰先生、馬場三根子先生、河村義子先生の葬儀には1000人近い人が弔問に訪れた。それだけ多くの社会的な貢献をした証しである。
馬場恵峰書 日中文化資料館蔵
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六道
六道で、自分が人間に生れたことを喜ぼう。六道とは、仏語で衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいう。畜生のサルとヒトのDNAの構成を比較すると、98.5%は同じであると言われる。
それが自分はヒトとして生まれることが出来た。それは一億円の宝くじが連続で百万回も当たる確率と同じである。それもこの日本で、この時代に生れた。戦中に生れれば、学徒動員で特攻を命じられたかもしれぬ。隣国で生まれなかった幸せを喜ぼう。隣国では政府に反対すれば死刑である。ウイグル族に生れれば、強制収容に送られ、生きたまま臓器摘出である。
また時期が戦争中ならシベリア抑留となり、強制労働に従事されたやも知れぬ。シベリア抑留の初期は、ソ連側も準備不足で、捕虜の死亡率が80%とも言われる。アウシュビッツ強制収容所と同じ死亡率である。私の父と叔父は終戦後、シベリア抑留をさせられた。父は幸い生きて帰国できた。しかし叔父はシベリアの土になった。もう一人の叔父はインパール作戦で戦死した。残った遺品は、一枚の死亡通知書だけである。
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ご先祖供養
私には、先の戦争は遠く昔の話ではない。このご先祖の為に、8年前の2015年、お墓を改建した。インパール作戦で戦死した英霊に、院号を付けて頂き、その位牌を作り、墓誌にも刻印した。
よく考えたら、そのお墓は、自分も入るお墓である。がんの手術後、覚悟を決め戒名も頂いた。我が家の墓誌にその戒名を刻んだ。まだ私は生きているので、その戒名に朱墨を入れた。葬儀の段取りもした。死後50年間の法要の段取りもした。そのお金も払った。遺言状も書いた。後は死ぬだけだから、これで雑事に煩わされず安心して、死ぬまで大きな夢に向かって邁進することが出来る。
遺品整理
それで安心して、断捨離はせず、所有品の整理整頓・廃棄を進め、そのうえで欲しいものを買いまくっている? 2年前に別宅の事務所も買った。お金は残しても意味がない。お金は記号である。それを使って付加価値を生み出して、なんぼの価値である。そのモノが自分の生活を効率的にして、幸せな時間を生み出す道具になると判断できれば、私は躊躇せず投資として買いまくってる。それは小品の台所用品や事務用品で安い製品ばかりである。
命を使い切る
この日本でこの時代に生れたこの僥倖を使って、大きな夢に向かって命を全うしたい。生は偶然だが、死は必然である。嫌だといっても、時期が来れば彼岸からお迎えに来てくれる。それまで命を使い切りたい。
若さ維持
人は意欲を失うと、急速に老化が進む。大きな夢を持ち、それの実現のため頭を絞り知恵をだすことは、老化防止には最適だ。自分で自分を駆り立てなければ、老いて朽ちるだけである。
夢の実現に向けて、その途中で死んでも構わない。夢が実現できなくても構わない。その夢が未来の光である。その光に向かって歩き続ける過程が生きている証なのだ。その過程で多くの学びとご縁がある。それが人生のお宝で、生きた証である。
老年期が、生き永らえるだけの期間ではあってはならない。それでは「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」である。それは死んだ人生だ。それこそボケの促進剤だ。私は最期まで社会に付加価値を与え続ける人間でありたいと精進している。94歳で亡くなられた馬場恵峰先生がそうであったように。
馬場恵峰書
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2023-09-09 久志能幾研究所通信 2738号 小田泰仙
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