第4回みとりし講演会(2)、事実は小説よりも喜なり
10月27日に第3回、11月7日に第4回「みとりし講演会」を開催した。平日でもあったので、参加者は各5名、4名と少なかった。しかし今回、奇跡のような出会いがあり、「事実は小説よりも奇(喜)なり」を経験した。奇ではなく、私には大きな喜びであった。
第3回「みとりし講演会」の前日で、参加予定者は3名と少なかった。私が夕刻、帰宅した折、自宅前の広場で、近所の高齢の婦人が2名立ち話をしていた。それで藁にもすがる思いで、二人に翌日の「みとり講演会」の開催を再告知した。
一人は参加する意思はなかったようだが、もう一人の方が「小田さんが一生懸命にやっているので、可哀そう(?)だから、一緒に出てあげよう」ともう一人をその日の夜、電話で誘い、講演会に参加してくれた。誘われたその一人が、この25年間、私が探していた北尾家の末裔の家であった。
当日、私がプレゼン資料のパワーポイントで家系図を使い、命の継続の大事さを説明した。そうしたら、その一人が家系図のその人(北尾春圃)が自分の家系のご先祖だと言う。私はそんなつもりで我家の家系図を示したわけではなかった。結果として、それでその人が北尾家の末裔(私の祖母系の血筋)と結婚した家の人だと判明した。
それもその家は、私の家から100mほど離れた場所で、同じ町内である。この50年間、それを知らずに、我が家族は住んでいた。
その人の紹介で、第4回「みとりし講演会」で北尾家の本家の末裔が参加してもらうことになった。まさに奇跡のようなご縁である。
一生懸命にやっていると仏様が、佛縁を授けて頂けるものと納得した。300年前のご先祖である北尾道仙を探し始めて、15年目に没年と生誕地(大垣)が分かり、お寺の過去帳でそれの確認が出来た。それで、2015年、北尾道仙のお墓を再建した。それから9年が経ち、道仙の父が北尾春圃であることが分かり、その末裔が見つかった。
北尾道仙がどういう人物なのかを調べ始めて、25年目での発見である。奇跡は起こるものなのだ。私が「みとりし講演会」を始めなければ、起きなかった奇跡である。前日に、立ち話をしていた人に声をかけなければ起きなかったご縁である。
きちんとご先祖のお墓を再建し、ご先祖の法要を続けていたことに対する佛様からのご褒美でもあるだろう。
2024-11-16 久志能幾研究所通信 2969号 小田泰仙
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