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2019年10月

2019年10月22日 (火)

忙しさの放置は、無能さの証し

 お忙し氏は、年中「忙しい、超いそがしい」と嬉しそうに走り回っている。その忙しさは見栄である。忙しいと走り回っている人は、「重要で緊急」な仕事よりも、「重要だが緊急でない」仕事を軽視しために起きる事象で忙殺されている。

 「重要だが緊急でない」仕事を日頃から計画的に進めれば、「重要で緊急」な事態は滅多に起こらない。忙しさを放置するのは、仕事ができない無能人である。忙しさを無くすのが危機管理である。仕事の平準化はトヨタ生産方式の基本である。

 

権限移譲なし

 お忙し氏は、手帳の予定蘭が真っ黒になるのを見栄で誇るかのように、下らない行事を詰め込んでいる。自分で自分の時間を浪費している。部下に任せるべき事項まで、自分で抱え込んで、部下の育成の機会もなくしている。肝心な時に、部下がその能力を発揮する教育機会を奪っている。

 出ない会議にも誇りを持つべきだ。お忙し氏は、会議に呼ばれないと不安になるようだ。懸案事項に対して、適任の人だけが参加すれば、会議の数は減り、効率も上がる。何も発言しない人や、存在感を見せつけるために、見栄で発言して会議の邪魔をする人をメンバーに入れても、組織自体の生産性は下がる。

 

携帯の不携帯

 私は最近、携帯電話を携帯しなくなった。普通の外出では携帯電話を持って行かない。帰宅後、着信を見て対応すれば、それで済んでしまう。私が自由業という条件もあるが、携帯を不携帯にして、余裕時間が生まれた。今までの携帯電話に奴隷のように拘束されることから、解放されて時間を自由に使っている。見栄の忙しさからの解放である。

 

小川敏の無能さ

 大垣市長の小川敏は、見栄で忙しいのを見せつけるが如く、全ての行事に参加して顔を売っている。それは、大垣市に対して何の付加価値も生まない。そんな些細な行事は、部下に任せて、大垣市の抱える課題の実現のため時間を割くべきなのだ。市長が見栄だけで作業をしているから、大垣市は没落した。

 大垣市にとって、重要だが緊急でない仕事は、大垣市の再建である。大垣の未来の設計と布石である。しかし小川敏にとって大事なことは、緊急で重要でない日頃のルーチン行事なのだ。そんな見栄だけの人間だから、常葉神社の大事な神事で居眠りをする。

 

小川市政終焉のカウントダウン

 2019年9月27日、大垣市新市長舎のカウントダウンボードの除幕式があった。新市庁舎は、決められた時間が来れば、カウントダウンボードの有無にかかわらず、計画通りに完成する。カウントダウンボードは不要である。

 それなのに、カウントダウンボードを作り、除幕式をするから、金がかかり、50人(裏方関係者を含めると100人余)の時間を奪い、無駄な金を使い、大垣市の没落作業のダメ出しをした。これは小川敏の売名行為と事前選挙活動なのだ。

 

時間の浪費

 小川敏は、時間なぞ無限にあるかのように、付加価値の薄い行事に時間をかけて奔走している。その無駄な労力を行事にかけた分だけ、大垣市が没落していく。なにせ知識はあっても智慧がない。だから大垣市の地価が半値に暴落しても、なす術がない。

 

頭がいいから反省しない?

 小川敏は、頭が良すぎるためか(智慧はない)己惚れているためか、一度決めたプロジェクトに間違いがあるはずがないと思い、その見直しもせず、18年間も、そのまま突走って来た。凡人の私なら、結果を見て「やり方が間違っているかも?」と自省してPDCAを回す。それがトヨタ生産方式である。私は小川敏の行動を他山の石としている。悪例の宝庫で感謝である。

 もしかしたら、市長は明日、死かもしれないのだ。市長も来年は70歳なのだ。70歳にもなれば脳死に値する認知症の発症率も20%に上がる。誰にも訪れるのが死である。激務の大垣市長は、歴代全員、現役で死んでいる。統計確率的に現役で死なない方が稀なのだ。小川に明日、仕事のためなら、死んでもいいという覚悟があるか疑問である。その覚悟があれば、愚劣な行事などやっていられまい。

Dsc07739s   馬場恵峰書

2019-10-22 久志能幾研究所通信No.1375  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

小川敏市政、終焉のカウントダウン

吝嗇な市長が節約と放漫の区別がつかなくなったら、おしまいだ

地方紙が痴呆紙症になったら、おしまいだ

 2019年9月27日、小川敏市長は大垣市役所の玄関に、新市庁舎完成までのカウントダウンボードを設置して、新聞社を呼んで除幕式を見せびらかし、記事にさせた。大垣の恥さらしである。

 それが大垣市民にどういう付加価値を生むのか?

 市民の誰が喜ぶのか?

 何故、全経費8%カットと強制しながら、節約対象としないのか?

0927  岐阜新聞

0927_2  中日新聞

 両新聞の紙面の縮小倍率は同じ。いかに岐阜新聞が痴呆的な報道を大々的にしているかが分かる。

 岐阜新聞の「大垣市新庁舎 期待高まる」との表現は小学生の表現である。だれが期待しているのか、無責任な表現である。市民の誰も期待していない。期待しているのは利権がらみの業者だけ。こういうパターンがマスコミの洗脳教育である。こういう手法で、日本は太平洋戦争に追いやられていった。

 

カウントダウン表示設備の愚

 なぜ、何の付加価値も生まないカウントダウンボードの設備に金をかけるのか。小川敏市長は節約と放漫の区別がつかなくなったのだ。認知症ではないのか。市長選6選に出るための売名行為亡者となったのか。

 新聞記事では、カウントダウンボード除幕式に50名も参加とある。人件費の高い「経費」の塊が50人、それが1時間もボードの前に集まると、1万円×50人=50万円である。その50人は何の付加価値も生まない。大垣市職員の対応、エライさんの対応でその数倍の費用(税金)が消えている。それでどれだけ市民が幸せになったのだ。その分の時間を正規の仕事に投入すれば、大きな節約となる。それに小川敏市長は気が付かない。

 地位の高い人物が50人もいて、誰もそれの問題点を言えない。全員が認知症ではないのか。それとも利権に胡坐をかいているのか。問題点を指摘できなければ、その地位の存在価値がない。税金だから、人の金だからと思っているとしか思えない。

 

電気代の無駄

 いくらLED照明とはいえ、電気代がかかる。開庁時間以外も点灯する。誰も見ていない時間も点灯である。市民はそれを見ても、何の付加価値を生まない。何故、それが経費削減の対象とならないのか。小川敏市長はこれを市民が見て「希望を膨らませて欲しい」(岐阜新聞)と挨拶したが、正気の沙汰ではない。これを見て感じるのは、呆れと絶望感だけである。

 大垣駅前通りの電灯の多くが長年、消えたままになっている。夜に大垣市中心街を歩くと恐いという市民の声である。実際に、年に5,6件の通り魔事件が大垣駅前通りで、起きている。夜、大垣駅前通りを歩いている老人を狙って、若者数人で後ろから襲い金品を奪う事件である。犯人は捕まらない。それだけ通りが暗くて危険なのだ。小川敏市長はそれを放置している。小川敏は、市民の安全など知ったことではないのだ。

 文化都市大垣市を謳うのに、情けない話である。文化都市として絶望の極みである。その問題点は放置して、カウントダウンボードに電気代を使って「希望を膨らませて欲しい」と自慢するようでは、小川敏市長は認知症であるとしか言いようがない。もしくは、その疑いがある。または小川敏市長の6選に向けた事前選挙活動のようである。

Dsc07673s  大垣市役所 玄関のカウントダウンボード

   フェンスが錆びだらけで恥さらし

 

地方紙の忖度

 中日新聞も岐阜新聞も御用新聞として、小川敏市長の意向を垂れ流すだけである。マスコミの使命を果していない。それは小川敏市長の6選にむけた事前選挙活動の片棒を担いでいる。価値のない報道紙面分だけ、大事な情報が市民に伝えられていない。知らせるべきことを知らさないのもフェイクニュースである。

 

予算一律8%カット

 なぜ大垣市行政の全予算の8%カットと市長の大号令をかけながら、小川敏市長自身の贅沢な欧州出張、元気ハツラツ市予算、電光掲示板カウントダウン装置、その除幕式は対象外なのか。己の欲望だけで生きるのは、畜生界の存在である。元気ハツラツ市、カウントダウン掲示盤除幕式は市長6選へ向けた事前選挙活動なのか。

 

シルバー人材の首切り

 行政の予算一律8%カットで、スイトピアセンタの駐車場係のシルバー人材の首を切って、その仕事を市の職員に休日手当を払ってまでして、代行させている。市役所職員の年間給与はシルバー人材の2倍、3倍である。節約どころか、かえって経費が高くなっていることが計算出来ないまでに、小川敏市長は認知症になったのか。シルバー人材の首を切ってまで、経費を節約して、嬉しいのか。人の悲しみが分からないまで病状が悪化したのか。組織の長の最大の責務は雇用の確保、生活の保護である。

 大垣市の経済政策の無為無策で、無能な市長の18年間で、大垣市商業の従業員の8000人の仕事を奪った。首切りも同然である。

 市長の役目は、市民の幸せの実現である。小川敏市長はその逆をやっている。市長失格である。

P1130185s 若い市役所職員が、休日出勤で駐車場の対応 

 スイトピアセンタ駐車場  2019‎年‎10‎月‎20‎日、‏‎10:55

 

やましい欧州出張?

 なぜ、緊急的な行事でもないフレンドリー都市訪問の欧州出張に、わざわざ十万石まつりをすっぽかす(結果としてそうなった)ようなご先祖や市民を侮辱する行動をとるのか。見えないものに敬意を払うのが高度な魂を持った人間界の生物だ。それが分からなくなったら畜生界の存在である。

 

認知症の対処は家族の責任

 家族が言わなければ、誰も本人に言えない。なにせ相手は権力を持っている。小川敏市長は、いわば人事権という凶器を持った狂人のようなものなのだ。組織の部下は何も言えない。家族があり、生活がかかっているからだ。大垣市職員は、18年間のヒラメの宮仕え習性で、息を殺して生息している。だからまともな仕事が出来ず、大垣市は没落した。

 家族も、大垣市長の痴態行事の様を女子大の学友から笑われていること知らないのだろうか。学友も知的レベルが高く教養も高いので、直接は言わないが、陰で笑っている。小川敏市長のギネス水饅頭共食いで痴呆的な笑い顔は、全国に流れ、恥さらしである。家族も有名大学出なのにそれが分からなければ、同じ認知症である。

 人たらしの天才と言われた豊臣秀吉も、晩年は老害が酷く回りは悲惨な目にあった。多くの親族の生首が秀頼の為に切られた。若いころは、人の血を見るのが嫌いな秀吉も、歳とると残酷になった。彼も認知症の気があったようだ。信長の比叡山の焼き討ちでも、秀吉の率いる部隊は、極秘に多くの僧侶を見逃した。しかし人は老いる。自然界の理である。

 

認知症

 私の知人の奥さんも認知症になってしまい、悲しい思いをしている。親身の付き合いがあるから人一倍に悲しい。表面的には、認知症とは分からないが、身近で細かい話をすると、話の内容が破綻して、認知症の病状が露見する。直接本人には、それを言えない。悲しいことである。

 日本では65歳を超えると15%は認知症である。70歳にもなると20%が認知である。小川敏市長も来年は70歳である。市長職は、ルーチンワークが多くて、知的な作業はほとんどない。現在の小川敏市長の仕事ぶりは、認知になりやすい環境である。多くは決まった行事に出て手を振るだけで、後は座っているだけ、決まった挨拶をするだけ、頭は使わなくても済む仕事ばかりである。予算も節約第一でカットするだけで、未来の投資はしないので頭は使わない。楽なものだ。市議会も担当者が答弁してくれる。市会議員から突っ込まれても、「条令で決まっています、今後検討します」と言えば済んでしまう。常葉神社の祭事でも居眠りしていれば、行事はすんでしまう。居眠りでも、だれからのお咎めもない。

 だから本人は認知症になっても気が付かない。それを知らしめるのは家族の責任である。それが大垣市民の為である。

 

生老病死

 電光掲示板のカウントダウンを見て、つくづくと大垣市の衰退を感じた。大垣市の体は、経営層・市長(頭)と市役所現場(内臓)が遊離しているようだ。経営層は現場の正常な声を無視して、痴呆な命令を出す。現場はそれを拒否できない。それでは経営破綻である。

 だから大垣市は平均地価が半値に暴落した。大垣駅前商店街の81%が閉店した。児童生徒一人当たりの教育費が県下最低レベルになった。それなのに大垣市職員の給与を県下一のレベルに上げた。しかし市民の不動産財産額は半分に目減りした。すべて小川敏市長の責任である。

 人生は春夏秋冬である。若いころ秀才と呼ばれた青年も老いれば、騾馬に劣るのが自然界の法則である。老兵は死なず、ただ消え去るのみ、それが出来ない小川敏市長は、市長の座にしがみ付いて醜態を晒す。認知症の症状であるようだ。大垣の恥である。

 

ぼやき

 私もこんな記事は書きたくない。文化、芸術関係のブログを書きたい。しかし現実を市民に知らしめないと、大垣市が益々衰退する。まず知ることから、行動は始まる。今までは市民が、小川敏市長と新聞社の偏向した報道に晒されて、知らされないできた。

 

2019-10-21 久志能幾研究所通信No.1374  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月20日 (日)

今のうち、生きているうち

 2019年10月19日、手術後8か月が経過して、体調も良くなってきたので、友人と名古屋のホテルでバイキング形式の昼食を共にした。食べる量を抑えたつもりであったが、食欲があり美味しかったので、油断してつい食べ過ぎたようだ。食の2時間後、全てを吐いてしまった。

 つくづくと体力のなさと病後の回復の遅さを感じた。自分の体を会社に例えると、経営層(頭)と現場(内臓)が遊離していることを痛感した。経営層は現場の声を無視して、命令を出す。まるで以前に務めた会社の経営状態のようである。それでは経営破綻である。

 人生は春夏秋冬である。人間の体にも春夏秋冬がある。その人生の春夏秋冬で、厳冬前の晩秋を感じた。いつまでも元気であるわけではない。いくらでも食べられた日が懐かしい。今は、食べたくても食べられない。お金があっても体力的に食べられない。

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 馬場恵峰書

 

出羽三山

 人生では、今のうち、生きているうちなのだ。それを実感して、やるべきこと、やりたいことを急ごうという気になった。急に今日、出羽三山に行きたくなり、書店でガイドブックを探して見付け、計画を立て、日程を決め、ホテルの予約をした。出羽三山は修行の山なので、一般的なガイドブックには、それが載っていなくて探すのに苦労した。

 いままで出羽三山行きは、気になっていた。しかし行きたくても、自然の春夏秋冬で、もうじき冬である。すでに現地は雪も降っている。現地のバスは10月末までの運行である。お金と時間と意思があっても、自然が行くことを許してくれなくなる。体が言うことが効かない。私もいつまでも生きていられるわけでもない。何事も、今のうち、生きているうちなのだ。

 

奥の細道

 松尾芭蕉は出羽三山の月山に白衣(死に装束)で、登頂している。芭蕉の「奥の細道紀行」の転換点が月山への登頂であった。芭蕉は死を意識して月山に登った。芭蕉は、生まれ変わった人間として、下山をした。「奥の細道」の記述も、この地を境に、がらっと文面が変わる。

現在、馬場恵峰書『奥の細道』を編集・出版の準備を始めた。

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  馬場恵峰書『奥の細道』

 

2019-10-20 久志能幾研究所通信No.1373  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月19日 (土)

危機管理 ドライブレコーダーの二重化

 2019年10月7日、右折車の強引な割り込み状況が、ドライブレコーダーに記録されていなかった事象で、危機管理として私は対応した。

 私の過去の経験では、自車で4度の事故・事故寸前の状況が、累計3台のドライブレコーダー中で、2度も録画されていなかった事例がある。それでドライブレコーダーの製品をネットで検索すると、かなり多くのその類の報告が見つかった。

 一番大事な時の記録がされないのは、危機管理上で問題である。だから二重の体制が必要と判断した。

 

製造メーカの問題

 原因はドライブレコーダー自体と記録媒体SDカードの問題であるようだ。今回は信頼できると信じていたメーカ・富士通テンの製品がエラーを起こした。その富士通テンは、一部上場企業なので、一般的な弱小メーカよりは信頼できると判断していた。この件をディーラーに報告すると、保証期間内なので機器を交換するという。それで安心はしたが、保安部品として二重の体制が必要と判断して、もう一台のドライブレコーダーを追加することにした。

 

SDカードの問題

 この件を量販店で確認すると、ドライブレコーダーのSDカードは、消耗品扱いで、一定期間ごとに交換すべきという。その件は知っていたが、まだ使用期間上で、その寿命に達してはいなった。富士通テンの標準付属のSDカードは高耐久性のSDカードではなかつた。今回はSDカードの問題ではないようだが、安全を見て、高耐久性・高信頼性のドラレコ専用のSDカードに入れ替えた。ドライブレコーダーのSDカードは過酷な使い方をされる。タクシー運転手は、SDカードを消耗品として一ダース単位で買って交換しているという。

 

ガイドブックとのご縁

 今回、たまたま書店に行ったとき、その店頭で『初めてのドライブレコーダー選び 最新ガイド2020』(八重洲出版 1320円)が目に飛び込んできたので、即購入して、新規に買うドライブレコーダーを選定した。

 今回は、最近のあおり運転事故の話題性を考慮して、前後の2カメラ方式のドライブレコーダーを選定した。コムテック製で、約3万6千円。コムテックは、私は認識がなかったが、ドライブレコーダーに技術を特化して開発しているメーカのようだ。ディーラーにその信頼性を確認して、選定した。

 これで前側は2台のカメラ、後方が1台のカメラとなる。危機管理として万全をとれば、事故は起こらない。

 

危機管理とは

 「危機管理」の「管」とは、竹のクダのことである。だから「管」はまっすぐに筋を通すの意味に転じた。宇宙根源の「理」を通して、危機にならないようにするのが危機管理である。人の作った機器は壊れるのが自然の理である。それを想定して二重のドライブレコーダーを装備するのが危機管理である。

 

2019-10-19   久志能幾研究所通信No.1372  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月18日 (金)

小川敏市長、公金4億円を使い裏の事前選挙活動?

 小川敏市長は、元気ハツラツ市を2011年から、大垣駅前商店街の活性化の効果がないのに、それどころか商店街衰退の元凶になっているのに、止めようとせず、9年間も強引に続けている。さらに2年後まで開催の計画が決まっているようだ。

 私はそれを続ける理由を考えて悩んでいた。それは小川敏氏の市長選6選に向けての事前選挙活動であるとの結論に達した。だから中止しないのだ。

 現職の市長は選挙に強い。立場をフル活用して顔と名前を売れる。小川敏市長は、元気ハツラツ市をフル活用して、芸人ショーやイベントを開催して、顔を出して名前を売っている。それは事前選挙活動なのだ。

 くだらない事業で小川敏市長は、岐阜新聞社や中日新聞社を呼んで、記事にするのがおかしなレベルの事業まで、顔写真付きで記事にさせている。それも事前選挙活動と考えれば、納得できる。ようは小川敏はせこいのだ。知能犯なのだ。

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 なんで大垣スィーツの表彰式に市長が出てくるのか。それは事前選挙活動として顔を売るため。‎2018‎年‎3‎月‎4‎日

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いずみ鉄道との姉妹鉄道調印式

 なんでそんな公式の姉妹鉄道調印式を元気ハツラツ市の会場でするのか。なんで大垣と遠く離れた千葉県夷隅郡大多喜町のいずみ鉄道と姉妹鉄道協定を結ぶのか。大垣市の養老鉄道とは営業的に全く利益につながらない話である。それは、元気ハツラツ市の会場で調印式をして、事前選挙活動として顔を売るため。‎2017‎年‎10‎月‎1‎日

 

狡猾な手口

 小川敏市長は、大垣市長選前の2年をかけて、事前に隠密のように選挙運動をして名前を売り、大垣財界、市内の大手企業から推薦を取り付けてしまう。正式に市長選挙が告示されても、その時は、小川敏氏は市内大手企業の多くから推薦を取り付けているので、対立候補がなす術もなく選挙に出られない。それで小川敏氏は、連続3回も無投票当選に持ちこみ、市長の座を狡猾に獲得したようだ。

 

身内が泣いて止める?

 それは小川敏氏が政治家として選挙に出る時、身内の人間が、「政治家になるのは止めてくれ」と、泣いて止めたという伝聞がある。その吝嗇の身内は、「政治には金がかかる、選挙にはもっと金がかかる」として泣いて止めたのだ。だから小川敏氏は、選挙で金のかからないように、事前に選挙2年前から準備をして、狡猾に市内の全団体の推薦を取ってしまい、無投票にする作戦を考えたようだ。小川敏氏は身内思いである。

 

狡猾に公金を事前選挙活動に使う?

 大垣の活性化には効果のない「元気ハツラツ市」では、毎回、大垣市役所職員の約30名が動員される。大垣駅前商店街の特定の商売の活動に、公金の人件費が使われるのだ。一回当たり100万円の補助金が、大垣市から元気ハツラツ市の実行委員会に投入される。それが約10年間続くと、大垣市からの名目上の補助金総額は、約1億円である。市民税である。

 

市役所職員の人件費計算

 しかし、その他に30人分の人件費が隠れて投入されている。その総額は10年で3億円である。補助金を合わせて合計で4億円である。市長権限で市役所職員を使って、事前選挙活動として顔を売るのは、公金横領のような行為である。

 企業の原価計算で言えば、一人1日、10万円の経費が掛かっている。大垣市役所平均年収685万7112円を250日で割ると、一人一日当たり約2万7千円の費用である。しかし、元気ハツラツ市での業務は、正規の業務以外の人件費である。休日割り増し手当、退職金、年金を含めると、原価計算上は、一人1日、10万円の費用として計算するのが妥当である。企業でも、間接費(管理間接部門費用、守衛費用、設備投資、保健管理費用、退職金費用、年金費用等)で原価の約2倍の費用と計算しないと、企業は収支が成り立たない。役所も同じである。

 だから元気ハツラツ市を10年間も開催すると、一日当たり30人×10万円×10回×10年で、3億円の出費である。補助金を含めて4億円である。本来、市の職員として、やる必要のない業務である。そのため、本来の市の業務に支障が出ているはずである。

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 元気ハツラツ市中央ステージ 騒音発生部隊。大垣市の職員である。回りは半住宅地である。県騒音防止条例違反である。

 2019年10月6日、2017‎年‎10‎月‎1‎日 

 

 その4億円は小川敏市長の事前選挙活動の裏資金であると認定しても良いだろう。なにせ、元気ハツラツ市は、大垣駅前商店街の活性化にならず、むしろ衰退の元凶となっているのだから。小川敏氏が市長に就任して、商店街の81%が閉店した。それを敢えて元気ハツラツ市を継続するのは、小川敏市長の裏の事前選挙活動だから、止められないのだ。だから、大垣市商店街組合から元気ハツラツ市の縮小の依頼が来ても、小川敏市長は門前払いである。

 

8%の削減通達、元気ハツラツ市だけは対象外

 大垣市役所内では、全予算の8%削減が小川敏市長から通達されているとの伝聞がある。しかし、元気ハツラツ市はその削減対象外と聞く。それも次回の市長選挙がある2年先まで、今と同じペースで元気ハツラツ市の開催が決まっているという。小川敏市長にとって、元気ハツラツ市の開催は、大事な事前選挙活動だから、予算の削減はできるはずがないようだ。

 

小倉利之氏に理事長資格なし

 元気ハツラツ市の実行責任者の小倉利之理事長は、大垣駅前商店街の店主や近辺の住民の大多数が「元気ハツラツ市を止めて欲しい」との声である。その要望を市に出すが、小倉利之理事長は、商店街に店を持たないので、嘆願の熱意がなく、いつも大垣市担当部署から門前払いを受けて、「市が言うことを聞いてくれなかった」と言い訳をするようだ。大垣市の担当職員も、己の出世がかかっているので、小川敏市長の意向を受け、忖度で拒否である。それに小倉利之理事長も、小川敏市長に忖度しており、要望を通す気などさらさらないからだ。組合員の声を反映する力のない理事長は、その座にいる資格がない。

 

元気ハツラツ市の被害

 大垣駅前商店街の店主や入口近辺の商店主は、元気ハツラツ市の当日は、車が大垣駅前商店街の裏の路地に入れず商売活動ができないという。だから大多数の商店も住民も元気ハツラツ市に反対している。元気ハツラツ市のステージでの拡声器を使った騒音で、商売をしても客との会話ができず、商売に障害が出ている。それは、為計業務妨害罪である。また県の騒音防止条例違反である。その騒音で、うるさくて赤ちゃんが泣き寝かせられない、夜勤の人が寝られないと近くのマンション住民が泣いている。

 だから36度の炎天下で児童を元気ハツラツ市の中央ステージで踊らせても、それを中止できないのだ。

 その総括として、大垣市の地価が半値に暴落した。小川敏市長はそんなことは知ったことではないのだ。自分の市長6選のほうが大事なのだ。

Dsc06959s 元気ハツラツ市のステージで訳の分からない歌詞を拡声器で拡大し絶叫するフォーク歌手。聞くに堪えない。観客は2人のみ。他は関係者である。後側で拡声器のアンプを操作している人間も大垣市役所の職員である。すぐ近くにマンションがあるし、この商店街の裏手は住宅地である。県の騒音防止条例に違反は明白である。

 2019年10月6日 

 

2019-10-18   久志能幾研究所通信No.1371  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月17日 (木)

終活 位牌の手配が栗キントンの誘惑で迷走

 私の戒名が決まったので位牌の手配をしようと、2019107仏壇屋に相談に行った。そこで大体の方向性を決めて帰宅した。

 翌日、一度自宅に来て欲しいと思い仏壇屋に電話をしたら、店主が不在であったので、留守番に店主が帰ったら電話を欲しいと言付けを頼んだ。

 

ご縁の信用金庫

 その後、このお店から電話はなかった。このお店の店員の教育・躾がなっていないようだ。その小さなことで、お店の全てが評価される。私は、こういう小さな事象で付き合うお店や人物を評価している。店員が店主に、客の言付けを伝えなかった。もしくは店主が電話をするのを忘れた。それだけで10万円の商談が無くなったのだ。

 

神仏の啓示

 位牌の件で折り返し電話がなかったことは、位牌はまだ早いとの神仏からの啓示と解釈した。だから、私は位牌の手配を中断した。

 またこの仏壇屋に行く途中で、認知症みたいな老人に強引な右折をされ、クラクションを鳴らしたら、相手が交差点の中央で止まってしまい、私が前に進めなかった事件も、その啓示だと解釈した。

 ご縁とは、小さな事象で大きく左右される運命である。だから私は神仏のメッセージは大事にしている。

 

位牌の生前手配中止

 見栄で作る位牌の手配を止めて、その金額を音楽活動や社会福祉関係に寄付することにした。その余りのお金で、美味しい栗きんとんを食べることにした。そのほうが、世のため人の為になる。自分もよき思いが出来る。位牌は、白木で作った応急的なものでよいと判断した。

 大切なことは、死後、何を世に残すかである。世の中に価値観のあるモノを残して逝きたい。個人的な高価な位牌では、それが叶わない。墓誌への戒名の追加は、親戚との関係があるので、計画通りに実行する。

 

経済とは

 それよりも生前、お金を沢山稼いで、沢山使って世の中にお金を回すことが重要だ。お金を抱え込んで、預金通帳を眺めながら過ごすのは、反社会的行動だ。それでは日本経済の活性化にならない。お金は使ってなんぼの世界である。お金は、人生経験を得るために使う。お金は貯めるものではない。お金は社会を生き抜く通行手形である。お金はあの世に持って行けない。生前中という有効期限付きである。

 「経済」とは、仏教用語で、「経世済民」の略である。「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。経済観念の無き、企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は畜生の餌漁りである。つまりみんなで仲良くご飯が食べられる社会の体制を言う。グローバル経済主義では、特権階級や一部の富裕層だけが、美味しいものを独り占めする体制である。だから、それを「経済」とは言うのは間違いである。いうなれば「グローバル畜生主義」である。

 

小川敏市長の経済音痴

 経済の何たるかを知らない小川敏市長は、この18年間で、節約ばかり強要して、大垣経済の活性化の為の投資をしなかった。それが大垣の商業を衰退させ、それに従事する従業員の8,000人の職を奪う政策を取った。みんなで仲良く食べていかれなくなったのだ。それは「経済」ではない。畜生の仕業である。

 それでも特権階級の市役所職員だけがいい思いをしている。大垣経済は衰退しても、大垣市職員の給与は、岐阜県下一の給与水準である。岐阜市のそれよりも高いのだ。大垣市職員の平均給与は、大垣市民の2倍である。小川敏市政の経済政策が間違っているのが明白である。

 

小川敏市長の経営無能

 小川敏市長は、大垣市民の不動産財産価値を半減させ、市民を貧乏にした。それでも小川敏市長は、大垣市制100周年記念行事で3億5千万円も散財である。それも自分の6選への事前選挙活動の自己PR活動としか思えない振る舞いである。まるで大餓鬼の独裁者である。

 小川敏市長は6選に向けて、元気ハツラツ市を事前選挙活動に利用しているようだ。元気ハツラツ市を開催するほど、己は顔を売れる。しかし大垣駅前商店街は衰退していく。小川敏市長は狡猾だが、大垣市の経営では無能である。

 小川敏市長は豪華な大垣新市庁舎を建設中である。官は栄え、民は貧する。

 

2019-10-17   久志能幾研究所通信No.1370  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

小川敏市長に無能罪で神罰下る

 2019年10月13日、恒例の「大垣十万石まつり」が開催された。それに先立ち午前10時から、大垣藩開祖の戸田公を祀る「令和元年度常葉神社大祭神事」が常葉神社で執り行われた。

 小川敏市長の大垣市政への無能罪で、その「常葉神社大祭神事」と「十万石まつり」に出席不許可という、神罰が下った。小川敏市長は、台風19号の影響で欧州から帰国できず、神事と十万石まつりに参加できなかった。

 

悪事の露見

 今回の神事は、先年までの神事と比較で、小川敏市長の不敬な段取りと不潔な強欲心を露見させた。小川敏市長は利己主義、売名行為に憑りつかれて汚らわしい。その悪業が、この神事で露見した。神様はよく見ている。天網恢恢疎にして漏らさず、である。

 今までの小川敏市長の言動を見ていると、新聞紙面や行事への過剰な顔出しは、大垣市長選の6選を狙った事前選挙活動と思われる。その悪だくみも露見した。そう思うと、今までの全ての小川敏市長の異常な行動に納得がいく。

 

公式撮影の愚かさ

 常葉神社の例祭では、例年、市の公式撮影隊が来て、神事の後に全員の公式記録写真を撮る。それが今年は、公式写真撮影がなかった。小川敏市長不在のためである。そのためか、サクラの観客動員もなしである。

 つまり大垣藩開祖の戸田公を祀る神事後の記念撮影は、小川敏市長のための宣伝活動・事前選挙活動の一環であった。この神事には、戸田公のご子孫、大垣市市長(今年は副市長が代理)、大垣市議会議長、衆議院議員、教育長、大垣市役所経済部長等が参列している。本来、大垣市の公式行事として撮影すべきだが、小川敏市長不在なので、常葉神社での公式行事記録の撮影はなかった。だから今までが、恥ずかしい売名行為・事前選挙活動であった。

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2017年10月8日10:29 常葉神社の境内をサクラがウロウロ

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 2017年10月8日10:29 公式カメラマン   

P1030171s  2017年10月8日10:35   神事が終わって公式記念撮影

Dsc07238s2019年10月13日10:09 観衆が一人しかいない境内(神殿では神事中)、

公式カメラマンもいない

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危機管理が無能の愚かさ

 戸田公を祀る神事があるのに小川敏市長は、海外のフレンドリー都市シュッツガルト市の訪問である(推定)。伝聞では、本人は「当日までに帰国予定であったが、台風19号が来て、帰国の飛行機が間に合わなかった」と言い訳で言っているようだ。子供の言い訳である。

 大垣10万石まつりは、毎年、日時が決まっている大事な大垣の行事である。それを、わざわざそれの直前に大した用事でもない友好都市を訪問のため海外出張とは、戸田公の神事を重要視していない証拠である。大垣市長として最大の義務の行事を軽視したのだ。

 結果として天罰が当たって、飛行機が間に合わなかったのが冷酷な現実である。政治家は結果が全てである。台風19号が来ることは分かっていた。小川敏市長は、その臨機応変の対応が出来ないような無能な政治家であった。そういう運命のめぐり合わせは、市長の悪徳から来ている。運の無い市長である。友好都市の訪問より、350年続く大垣の開祖を祀る神事を軽視したことのバチ当たりである。組織の長として危機管理ができなかったのだ。

 

過去の危機管理の無能対応

 小川敏市長は、2017年のドローン墜落人身事故の無責任な事後対応、台風での室村町アンダーパス水没事故では放置対応、市役所の全面停電時の対応の醜態、久世川氾濫時の不祥事に災害視察をしましたと美談に変えて捏造してしまう醜態事件等は、危機管理として、今回の無能な対応と同じである。少しも進歩していない。

 思い起こせば、管直人元首相、村山富市首相の時、東日本大震災、阪神淡路大震災が起きて、二人の危機管理の無能さで多くの人命が失われた。小川敏市長も、ニュースで超大型台風が日本を襲うことが分かっていたので、事前の帰国が必要であった。それが長の危機管理である。幸いにも、中部地方は台風19号の直撃を免れたが、関東のような状況になっていれば、目も当てられなかっただろう。

 いわば親の法事を軽く見て、帰国できると安易に考えて、海外遊覧旅行に行ったようもの。戸田公は、大垣藩の開祖で、いわば大垣市長のご先祖である。その法事に、結果として出席できなかったのは「市長の任にあらず」と戸田公が啓示されたと同じである。市民として不幸である。

 

神事にサクラを手配する愚かさ

 2017年の時は、神事の最中、境内の多くの人がいた。今年は女性一人だけの観覧者であった。神社境内の外には数人の参拝者がいたが、境内内には入らなかった。つまり2017年度は、小川敏市長が参加すると、市長命令でサクラを神社境内に集合させた。それの悪だくみが、今回露見して笑ってしまった。

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2017年10月8日10:06 中で神事中 サクラがウヨウヨ居る

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2019年10月13日10:09 中で神事中  誰もいない

 神事は10時から10時30分まで

 

陵王に叱られる小川敏市長の愚かさ

 私は神殿内の「陵王の舞」を、今回正式に見た。2017年の時、小川敏市長が居眠りして、陵王が「居眠りするな、起きろ!」と指さして舞った仕草は、今回は、なかった。その居眠りしていた小川敏市長が不在の為である。それは舞い人のアドリブであったのが判明した。今年は、市長代理で副市長が出席した。副市長は居眠りしなかったので、正規の「陵王の舞」であった。

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2017年10月8日 神事  「市長! 起きろ!」のアドリブの舞 

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2017年10月13日 神事 正規の「陵王の舞」、小川敏市長が不在で軽やかな舞

 

岐阜新聞の忖度・迎合の愚かさ

 岐阜新聞の片隅に、「小川敏市長 終日 フレンドリーシティ訪問などに伴うヨーロッパ出張」と小さく報道がされていた。どこに何時まで、どんな行事なのかは全く報道がない。いつもは大々的に小川敏市長の動向が報道されるのに、この報道ぶりは違和感を覚える。欧州の遊行都市なら、シュッツガルド市しかない。それを岐阜新聞は報道しない。何故? 新聞社も小川敏市長もやましい気持ちがあるので、口止めにしたのだろう。岐阜新聞は報道の基本原則(5W2H)を放棄している。これでは購読に値しない。

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 岐阜新聞西濃地域欄 2019年10月8日 

 

小川敏市長への神罰

 誰のお陰で今の大垣市が発展したのか。戸田公が350年前から、大垣藩を人財育成に取り組み、大垣市を他市よりも129倍も多く博士を生む街として育てた。大垣は「美濃の小京都」と謳われて繁栄した。

 それが今は、大垣は「中部の掃きダメ」になっている。小川敏市長が、節約と称してトイレ・街路の掃除費を節約して、日本一汚い街にしてしまった。経済政策を間違えて(経済音痴)、大垣駅前商店街の81%が閉店してしまった。大垣の地価が半値に暴落してしまった。児童生徒の教育費を、県下最低レベルに下げてしまった。大垣の未来を背負う児童生徒を炎天下36度の環境で踊らせた。児童生徒の教室のエアコン設備率を県下最低レベルのまま放置した。治水を放置して、2年前の台風被害では市民の命を危険に晒した。

 これらに対する戸田公からの小川敏市長への警告の神罰である。

 

「神事に出るな」という啓示

 小川敏市長は、戸田公の御恩を忘れて、その功績を無視して、欧州への公金を使った遊びの出張である。この1年も前から決まっている神事の日を狙ったように、超大型台風が来ることが事前に分かっていながら、欧州の友好都市にこの時期に行くのは、戸田公に対して不敬である。それで十万石まつりに帰ってこれなかったのは、神罰である。神様から「市長として不要、神事に出るな」との啓示である。

 2017年10月8日、戸田公の神様は、愚かな小川敏市長が悪政を正さないので、陵王に扮して「陵王の舞」を啓示として舞ったのだ。それなのに、小川敏市長は居眠りである。

 

リーダーに必要とされる能力

 一葉落ちて天下の秋を知る。リーダーは、小さな事象から、組織の命運を占い、組織が幸せになる方向に決断をしなくてはならぬ。それがリーダーに課せられた義務である。愚かな小川敏市長は、一葉が落ちるくらいでは気が付かず、最大級の台風にあおられないと、気が付かない。残念だが、今の小川敏氏は、それさえも気が付く能力がない。早く、己の人生の秋の到来を思い知れ

 

参考「陵王の舞」

 蘭陵王は、雅楽の曲目の一つ。管絃にも舞楽にも奏される。左方(唐楽)に属する壱越調の一人舞で、華麗に装飾された仮面を被る勇壮な走り舞。答舞は納曽利。

 林邑の僧である仏哲が日本にもたらしたものと言われ、元は沙陀調であったが日本で壱越調に転調した。中国風の感じが残ると言われる美しい曲。

 北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇姿を歌に歌ったのが曲の由来とされている。

由来: この曲の由来となった伝説によると、高長恭はわずか五百騎で敵の大軍を破り洛陽を包囲するほどの名将であったが、「音容兼美」と言われるほど美しい声と優れた美貌であったため、兵達が見惚れて士気が上がらず、敵に侮られるのを恐れ、必ず獰猛な仮面をかぶって出陣したと言う。男性がこの舞を舞うときは伝説に則して竜頭を模した仮面を用いる。

 この伝説に対応する史実としては、北周が兵を発して洛陽を包囲した時、援軍を率い城門の前に到着したものの城内の人間が敵の策謀を疑って門を開けなかったため、高長恭が兜を脱ぎ、顔を晒したところ、類いまれな美貌にその正体を悟った門兵が扉を開き、無事に包囲を破って洛陽の解放に貢献したという記述が『北斉書』などの史書に見える。

  この項、wikipedia 2019/10/16 を編集

 

2019-10-16   久志能幾研究所通信No.1369  小田泰仙

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2019年10月15日 (火)

何故、そうなったか? 真因を探す

 日本政府は少子高齢化で、その対策で移民導入だ、と単純発想の議論で騒々しい。大垣市も25年後に人口が20%減るという予想である。その人口の減少率を5%に抑える前提の「取らぬ狸の皮算用」として「大垣未来ビジョン」の白々しい議論で騒々しい。大垣市は、その人口減少対策は全く考えていない。あるのは机上の空論だけである。

 

対策ばかりの議論

 日本政府も大垣市も、対策ばかりに議論とカネの投資が集中して、なぜそうなったかの原因追及が全くない。それにかこつけて、空き巣泥棒のような対策ばかりが横行する。その対策事業に利権が絡み、汚職がらみの仕事が横行する。それで益々問題が複雑化して、解決が難しくなっている。

 それの象徴的事象が、欧州の移民問題、欧州の混乱、テロの横行、社会の混乱、格差社会の拡大、貧富の拡大、中間層の没落である。

 なぜそうなったの原因を追究しないと、真の対策は打てない。それに目をつぶるから、ますます混乱である。

 

大垣市の問題

 なぜ、大垣市が少子高齢化になった? なぜ大垣市が衰退したのか? なぜ大垣市の地価が半値に暴落した? 大垣市の近隣他市の地価が上がっているのに、なぜ大垣市だけ地価が下がり続けるのか? なぜ、大垣市の児童生徒一人当たりの教育予算が県下最低になった? なぜ経済効果のない元気ハツラツが継続されるのか? なぜ大垣駅前商店街の81%が閉店しても、大垣市は何も手を打たないのか?

 

自分の人生に当てはめて

 なぜ自分はこうなってしまったのか? それを考えず、そうなった対策に追われては、自分を見失うことになる。まず、なぜそうなったかの真因を突き止めないと、自分も変われない。

 なぜ自分は病気になったか? それを追求せず、生活習慣を変えず、薬だけを飲んでいるから、また病気が再発する。 

 なぜ試験、開発、人間関係等に失敗したのだ? その原因を追究しなから、また失敗する。

 

 何故、なぜを繰り返して、真因を探すべきだ。そうなった原因を追究せず、応急的に対策ばかりするのは間違いである。考えて、考えて、死ぬまで考えたい。何ごとも真因を探さないと、解決はできない。

 

2019-10-15   久志能幾研究所通信No.1368  小田泰仙

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2019年10月14日 (月)

仕事一筋人間の末路は、認知症・短命化

 認知症は脳の進化である。認知症は、生存に必要な機能だけを残し、不要な機能やストレスを感じる機能を捨てて、何時でも幸せと感じる脳になった状態をいう。人は生物として環境に適応する仕組みを供えている。

 癌患者には認知症が少ない。一方、認知症患者には癌の発症が少ない。強いストレスを感じやすい人は、免疫細胞の機能が低下する結果、癌になりやすい。認知症になってストレスに鈍感になり、免疫細胞が活性化した人は癌になりにくいようだ。

 

私の死望原因

 要は、物事に鈍感の人は、癌になりにくい。私は今年初、癌が見つかり手術をした。だから私は、精神的に鈍感ではなく、喜ぶべきことなのだ。それが幸せかどうかは、悩ましいところである。鈍感で癌にならない人も、うらやましい。その排反事象で、認知症の危険がある。

 認知症になっても、本人はそれも自覚できないので幸せである。しかし家族を地獄に突き落とす。認知症は脳死である。私は死ぬなら、老衰死を望みたいが、それが叶わないなら脳死よりもガン死を選択したい。

 

認知症になる人

 真面目に仕事一筋で生きてきた人、周りとのつながりを持たないで生きてきた人、知的な仕事をしてきた人、社会的地位の高い人が、その役割を失ったとき認知症の症状が進むようだ。警察署長や校長先生が認知症になりやすいという。彼らは頭を使わず、気ばかりを使って生きてきた。それから解放されると、認知症発症の条件が整う。自分に価値がないと感じるストレスから自らを解決するため、自己生存本能で、自分の脳を自分が壊していく。それが認知症である。

 

人間の寿命

 人間が生殖後にも生きているのは、生物学的に稀有なこと。多くの生物は、生殖が終わると死んでいく。カマキリの雄は、生殖後に子を育てる栄養の為、雌に頭から食われてしまう。

 人間だけが生殖後も40年間も生きている意味を考えたい。また女性は出産後、子供が成長しても、男性よりも長く生きる。それは孫の世話をするのに生き甲斐を感じるためではないか。

 それに対して男性は、会社定年になると、女性よりももっと早く死ぬ。社会から必要とされなくなったと感じて、頭が反応して死ぬのではないか。定年後も社会の為に働いている人、必要とされる人は、長生きである。

 

馬場恵峰先生の実例

 馬場恵峰先生は現在93歳で、頭もシャープで、現役である。朝から深夜まで、書を書きまくっている。なにせ「無職だから、やることが多すぎて暇がない」とぼやかれる。「有職なら、決められた仕事を期限までにやれば、それで終わりである。私は無職なので、やることが次から次と出てきてそれが山積みである」という。

 その作品の撮影記録係の私は、九州の先生宅に行くたびに、膨大な作品が出来上がっているので、撮影が追いつかず、途方に暮れている。私も先生の作品の撮影をすませないと、死ぬに死ねない。撮影の後の編集作業も大変だ。それが、私が死なない理由であろう。私も社会から生かされている。感謝。

 

もう一本の道

 馬場恵峰師は「在職中に、本業の仕事以外に、もう一本の道を歩いておけ」と説かれる。それは、仕事とは関係のない分野が良い。芸術文学等の教養を高める道が良い。

 そうでないと定年後、何もやることのない人生となる。それでは自分からは何もできない人間が出来上がる。そういう人間が認知症になる。そんな人間になってはならない。50歳になって、本業以外の道を見付けておくと、定年後にそれが花開く。それは金儲けの為ではない。自分の為、社会の為である。それが自分を社会から生かしてもらう糧となる。「だから私(恵峰)は93歳の今でも、社会から現役として生かされている」と言われる。

 馬場恵峰師は、1977年から今まで42年間で、240回余も中国に自費で行った。一回の旅費30万円として7千万円ほどが消えた。その金は残っていないが、その智慧が頭に残っている。

 恵峰師は60歳の時、社会奉仕として、家屋敷を担保にして1億円の借金で、日中文化資料館を建設した。その借金は24年間かけて、84歳の時、完済できた。

 今でも月に8回の書道塾、月1回の講演をされている。

1  日中文化資料館(敷地350坪) 平成元年 建設

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 三昧楼(付属図書館) 平成五年 建設

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何の為に生きるか、学ぶのか

 知識を得るためではない。智慧を身に着けるためである。智慧の中で一番大事なものが教養である。知識では金儲けできない。智慧がないと、商品を買ってもらえない。教養がないと、人間ではなくなり、認知症になる。

 人間の生き方にも多様性が問われる。仕事だけ一本道の偏食の人生では、寂しい人生となる。人を愛し、花や自然を愛で、芸術を愛する人間として生きたい。

P1070221s  馬場恵峰師 「生き活き教養塾」で 2019年10月10日

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 2019年10月11日

 

2019-10-14   久志能幾研究所通信No.1367  小田泰仙

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2019年10月13日 (日)

幼稚が痴呆を幇助 サービス業の生産性を向上せよ

添乗員が幼稚で、結果として騒音暴力に

 2019年10月10日、馬場恵峰先生宅を訪問するため、京都から博多まで新幹線のグリーン車を利用した。その時、鹿児島旅行のツアーの老人たちの団体が同乗していた。まるで老老介護である。ガイドする側の添乗員が幼稚なのだ。

 問題は、2人の添乗員が、車内をうろうろして、各席毎に座った団体客に旅行の案内をしていたこと。その説明の声がうるさいのだ。仕事ぶりが幼稚なのだ。

 何故、私がグリーン車に乗るかというと、静かな環境で執筆仕事や思考、休息をしたいためである。普通車だと子供の声や、大人の話し声で結構騒々しく、それが邪魔される。

 その中年女性の添乗員の説明の声が煩わしく、くどいので、私も切れて、「うるさいではないか」と苦情を言った。添乗員が説明している旅行の相手は年長者で人生の経験者なのだ。

 私の怒声に、さすがに相手も平謝りで、その説明をやめた。もう一人の添乗員で責任者と思われる30歳代くらいの男性も、私の怒りに頭だけは下げて恐縮していた。その男性は、博多に着くまでに、ペットボトルを老人たちの団体に配るだけの仕事で、そのほかの時間はボケーとしていた。

 私が博多駅で降りる時、その団体を見ていたら、博多の駅構内で一時的に集合して、添乗員が旗を持って先導して乗り換えの九州新幹線に乗り換えに向かっていた。まるで幼稚園の集団旅行である。

 

日本のサービス業の生産性

 労働生産性は、「会社が生み出した付加価値(≒売上-仕入原価)」÷「その会社の労働者の総労働時間数」で計算される。そのサービスが生み出す、1時間あたりの付加価値の大きさである。

 

 日本のサービス業の生産性は、米国の半分以下である。この姿をみて納得した。こんなレベルの仕事では、生産性は上がらないのも故ある事。要は、提供するサービスの質と量が、価値の低いレベルなのだ。

 彼らのサービス業の仕事の仕方が論理的ではない。頭を使った仕事をしていない。周りの空気を見ないで仕事をしている。まさにKYである。相手のレベルと段取りのレベルが低い。年長者を子ども扱いで、事をすませるから、回りに迷惑をかける。添乗員はそれに気が付いていない。何も仕事をしない添乗員を旅行に随行させている。その費用は旅行代金に含まれる。これでは旅行費用も高くなり、旅行会社の生産性は上がらない。

 

生産性向上の為

 旅行する相手は年長者の大人で、グリーンの指定席に座って鹿児島まで行くので、現地集合でよいはずだ。乗り換えは博多駅のみである。出発駅で指定券さえ客に渡せば、後は客にお任せでよいのだ。到着した目的地では、提携した現地の旅行会社のガイドに任せればよい。それで日本のサービス業の生産性が上がるはずである。要は付加価値のない仕事に、時間とカネをかけているので、日本のサービス業の生産性が上がらないのだ。それは全てのサービス業の仕事に言える。今回の添乗員の姿を見て、旅行会社の世話にはなるまいと決意した。

 日本もこれからは、サービス業の生産性を上げないと、少子高齢化の時代、豊かになれない。

 

2019-10-13   久志能幾研究所通信No.1366  小田泰仙

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