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2019年10月

2019年10月12日 (土)

三流の営業マンはグリーン車で「作業」をする

 2019年10月11日、馬場恵峰先生宅からの帰路、最終列車の新幹線で小倉から広島、広島から新大阪までグリーン車の私の隣席に座った二人の営業マンが、パソコンを使いまくって「作業」して、うるさかった。静かなグリーン車内で、パソコンのキーボードを打つパシャパシャ音を立てるのは、マナー違反である。それが周りに迷惑をかけているのに気が付かないのは、ビジネスの最前線にいる営業マンとして失格である。そんな気配りができない営業マンでは仕事はできない。

 

作業と仕事

 頭を使わず、ルーチンワークをこなすのは、「作業」で、仕事ではない。そこから付加価値を生み出さないのは作業で仕事ではない。

 なおかつ、二人ともパソコンで見積書を作成、メールの作成、閲覧をしていて、隣の私からその金額やメール文面が丸見えの状態であった。企業秘密もあったものではない。二人とも広島市のIT関係の会社の人間である。そこまで隣席からパソコンの画面で見えてしまった。

 二人目の営業マンはLet’Noteのパソコンを、あまりに長時間、パシャパシャやっているので、さすがに私も我慢の限界にきて、苦情を言ったら、さすがに彼は黙ってパソコンをカバンに収納した。しかし一言もなしである。ちなみに一人目の営業マンは、DELLのノートパソコンであった。両者とも旧式のタイプであった。パソコンを見れば、その営業マンのレベルが分かる。私の所有している最新鋭のノートパソコンとは大違いである。

 

苦情の対応で人間が分かる

 私なら相手が苦情をいったなら一言、相手に詫びるのだが、彼にはそれがなかった。常識も礼儀もなかった。そういう低レベルの営業マンであった。そんなレベルの営業マンがグルーン車に乗っているのが不愉快である。そんな行動のさまで、営業成績が上がるとは思えない。その営業マンは肥満体であった。自分の体の管理が出来ない人間が、営業成績が良いとは思えない。そんな輩が隣に座ったのが運の尽きであったと、自分を慰めた。「彼は三流の営業マンである」と識別できる己を褒めてやりたい。逆の立場では惨めである。

 

私は音なしの構え

 私も電車内や待合室でパソコンを時々使うが、その場合はキーボードを打つ音を立てずに打つ。音なしの構えである。世間様に迷惑をかけてはいけないと思って、音を立てず高速にキーボードを打つ技を会社時代に身に着けた。

 私の会社勤め時代、研究開発部の室内では、管理職がワープロを駆使して資料を作成していた。そのキーボードを打つ隣席の課長は、いかにも仕事をしているのを見せびらかすように、わざと大きな音をキーボードを打っていた。私は長年、その騒音に悩まされていた。そこで自分だけは、他人に迷惑をかけまいと、音を立てずキーボードを打つ技を身に着けた。

 

超高速のAIワープロを活用

 私は、電車内での文章作成やメモは、もっぱら紙ばさみに挟んだA4の裏紙に、サインペンでなぐり書きをしている。その方が、アイデアが良くわく。手書きのメモは、いわば超高速のAIワープロである。自由な発想が生まれやすいと感じていて、パソコンと併用して愛用している。アイデアを形にした文字を打つのは容易である。それよりもアイデアを生むのが大変なのだ。

 

アイデア創出

 そのアイデアを考えている時、隣でパシャパシャの騒音をされたのでは、アイデア創造が邪魔されて、たまらない。だから今回、あえて苦情を言った。私は、日本の静寂の文化を守りたい。拝金主義者がキーボードを打つ騒音は、金儲けの暴走音である。人のことなど構っていられない。仕事のできないやつほど、声が大きいが、パソコンを打つ音も大きい。

 

2019-10-12   久志能幾研究所通信No.1365  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月11日 (金)

戒名を決定

 2019年10月10日、馬場恵峰先生と相談して、私の戒名を決定した。戒名は菩提寺の僧侶につけて頂いた。今から位牌を作り、墓誌に名前を彫る段取りをする。

 位牌は、私が死ぬまで半紙に包んで仏壇に収めて置く。

 墓誌に生前に戒名を彫る場合は、朱を名前に入れる。その朱も墨の朱である。その朱の寿命は10年ほどで、自然と褪せてくるので10年後に再度、朱を塗るのが必用である。ラッカーの赤では、変色はしないが、後からその色を落とすのが大変である。

 

戒名の意味

 戒名は、来世での己の名前である。葬式の時につける戒名は、事前打ち合わせが間に合わなかったので、僧侶が応急処置で付ける場合である。本来、生前につけるのが正規の手続きである。僧侶が事前に本人の生前の行動から見て、本人に最適の来世の修行での名前を付ける。葬式で死後につける場合は、遺族からその人の生前の行動を聞き込み、戒名を付ける。だからその場合は、本人は自分の戒名を知らない。

 戒名とは、その名の通り「戒め」の名前である。「その名前に恥ないように、来世で仏道を修行せよ」と引導を渡す僧侶が、死者に授ける名前である。

 現世の名前も、親が名前のような人物になって欲しいと命名する。しかし往々にその名のような人生を歩めない。こんどこそ、その名に恥じない行動を来世でせよと付けるのが戒名である。

 院号とは、来世で己の為に建てて頂く寺院の名前である。院号を貰うには、生前の功徳が必用で、格式の高いお寺さんでは、お金を払っても授けてもらえない場合がある。これはお金の問題ではない。

 

生前戒名の勧め

 皆さんも生前に戒名を付けてもらうことをお勧めする。そうすれば長生きできる。何事も事前の段取りが重要である。どうせ人間は絶対に死ぬ身で、必ず必要となる。

 私の段取りの良さは、この10月の消費税アップの前に、その段取りをして、お寺さんにお金を払ってあったこと。今回の2月の癌の手術前に私は葬儀と戒名の段取りをしておいた。今回、やっと戒名が決まったわけである。しかし今から手配する位牌代と墓誌に彫る手間賃には消費税のアップ分がかかる。少し残念? 

 来世に逝ってから、俺の名は何だっけ?というのは、みっともない。私は段取魔である。

 

一つ上の立場で

 宮仕えの時代でも、係長、課長、部長でも、現在よりも一段階上の立場に出世したらという意識で、会社や仕事を俯瞰して職務をこなすと人間的成長が早い。戒名を同じである。生前に一段上の意識で、佛の世界の段階の一段上を目指して人間界の修行をすべきだ。そうすれば人格が上がる。生前の戒名受会得はその練習となる。

 これからの人生は、娑婆の利害を超越して生きたいと思う。今から全力で死んだ気?になって、此の世を生きていく。死んだ身には、怖いものはない。

 人として、何をこの世に残すか。何を社会に貢献して生きていくかである。

 

2019-10-11   久志能幾研究所通信No.1364  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月10日 (木)

痴呆性アオリ運転の老人を一発で仕留める

201910716時ごろ、私の位牌の件で仏壇屋と相談するため、車で出かけた。その途中の交差点で、痴呆性と疑われる老人に無謀運転の強引な割り込みをされた。まるであおり運転手のような運転であった。

私は警告と怒りの意味で、「危ねいじゃねいか」と思いっきりクラクションを鳴らしたら、想定外に、一発で相手を撃破してしまった。私は滅多にクラクションなど鳴らさないので、吾ながらその威力に驚嘆した。

 

事態展開の異常さに驚嘆

私の車が直進走行中に、相手の車は強引に右折をしてきた。私は危険を感じてクラクションを鳴らした。相手は私のクラクションにびっくらこいて、交差点のど真ん中、私の進行方向の通路上に停止した。私が止まらなければ、そのまま衝突であった。私は予想運転をしていたので、余裕をもって停止した。相手は、止まった車内から私の顔を見て、バツの悪そうな顔をして頭を下げてから走りさった。相手車は、初老の男で1500㏄くらいカローラクラスの車であった。

P1130170sjpg  当日、私は追い越し車線を走行中、右手から強引な右折車が回り込んできた。

 

危機管理

まるで列車がトンネル内で火災の事故に会い、そこで急停車をして、無為無策で焼け死ぬような事態である。その場合は、火事の中を突っ切ってトンネルを抜けるのが危機管理運転である。それが出来ないとは、相手は認知症の気が少しあるようである。

クラクションの音に驚いて、何も考えず、交差点のど真ん中で停止をしたのだ。要は、相手は運転中でも何も考えておらず、回りを見ずに無意識に運転していたのだ。

道路は片側2車線、見通しの良い中央に水路があり広幅の道である。私はその先で右折するため、追い越し車線を走っていた。私は通常は追い越し車線を走らない。

 

運転免許証返上の勧め

最近はシルバーのマークを付けた車の無謀運転が目に余る。強引な割り込みや、無謀な右折行為である。時には一方通行路の逆走である。本人はその自覚がない。そうなったら早く運転免許証の返上が望ましい。家族もそれを知ったら、本人に説得しなければだめである。本人はその自覚がないのだ。

 

小川敏市長の無謀運転行政

大垣市の行政も、私が指摘しなければ、やりたい放題である。公金を使った行事遂行で会計報告無視の倫理違反、元気ハツラツでの県の騒音防止条例違反行為為計業務妨害の法律違反の疑いがある。公金を使った水饅頭の共食い記録挑戦は、全国的に恥ずかしい幼稚行為である。まともな神経ではやれない醜態である。元気ハツラツに炎天下で強制的な出演を強いて、園児児童を虐待する行為の横行である。小川敏市政は、小中学校のエアコン設備費用を己の給与にお手盛りして、生徒を夏の暑さに晒した。子供の命の危険が心配された。小川敏市長はそれの危険性を全く認識していない。

それから判断すると、小川敏市長は認知症の気があるのかもしれない。小川敏市長の市長返上が市民の為である。

 

戒名・位牌・墓誌の準備

現在、私の位牌を作るため、戒名を検討中である。今年中に、戒名を決定して、位牌を作り、その名を墓誌に彫る予定である。墓誌への揮毫は馬場恵峰先生にお願いする予定である。ただし小川敏市長の早期な市長退任を見届けないと、私も死ぬに死ねない。

ここでの別の大問題は、この状況がドライブレコーダーに記録されていなかったこと。この件の対応は、後日報告します。

 

2019-10-10   久志能幾研究所通信No.1363  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 9日 (水)

組織の主人公の心構え

 「うまく書こうと思わないこと。それではいつまでたっても書けない。今の実力で、良い紙を使い、良い筆で、良い環境で、真剣に、全力で書く。そうすれば残る。安い紙で書くから残らない。」  

  馬場恵峰師談 2012年12月14日

 

 私はこの言葉を聞いて、自分の仕事のやり方に照らして、その後の人生が変わった。まず出来ることを、出来る環境で、出来るだけ良い道具を使い、全力で取り組むようにした。道具には金を惜しまなかった。結果から見ると、安い買い物であった。人は何に金と時間と精力を使ったかで、人生(命)が決まる。そこから使命感が生まれる。己という組織の支配者は、己の心という主人公である。

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 「人間は偉くならなくとも、一個の正直な人間となって、信用できるようになれば、それでけっこうだ。真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば、“さよなら”で消えていく。このような人を偉い人と自分はいいたい」

 禅の研究と著述に96年の生涯を捧げた鈴木大拙博士の言葉

 

歴代の大垣市長の功績

 大垣市長として名を残さなくてもよい。100周年記念行事で、名誉を求めなくてもよい。ひたすら大垣市の為に働き、真っ黒になって働き、任期がこれば、さよならと言って消えていった。大垣市民が幸せになればよい。大垣市が発展すれば良い。歴代の大垣市長は、そんな気概で市長職を勤め、仕事に没頭した。そして大垣を発展させてくれた。歴代の市長は命を掛けて市長職を務めたから、1期か2期を務めて、現役で亡くなられている。不幸にして全員、現役で殉職された。

 

小川敏市長の執念

 それに対して、小川敏市長は、市長として名誉を残したい。長く市長を勤めたい。立派な市庁舎を作り、名を残したい。市制100周年記念行事を派手にやって、大垣市制100周年の市長として名を残したい。新聞紙上で、やっている姿を誇示したい。お祭りや市や行事で、やっている姿を市民に誇示したい。という執念で市長職を勤めているようだ。小川敏市長は、命を掛けて市長職を勤めていないので、だらだらと5期も18年間も継続している。行事に出て、市民に向かって手を振って時間を過ごしているだけのようだ。歴代市長に較べれば、楽なものだ。ギネスで水饅頭を食べてうつつを抜かしている。とても使命感に燃えて仕事をしているとは思えない。

 小川敏市長が、人の意見も聞かず、貧弱な経済知識で強引に市長職を務めた。東大の法学部を出ても、県の条例も守らなければ、義務としての会計報告の道義上の責任さえ果たさない。その結末は大垣の衰退である。そんな大餓鬼のようなエネルギーを逆噴射のように大垣市に与えた。そんな状況で5期も現職にしがみ付いているから、大垣市を衰退させた。大垣市の地価が半値に暴落した。大垣の未来を支える子供たちの教育を台無しにした。

 Wikipediaで調べても、小川敏市長の正の実績はほとんど記載がない。それは、万人が認める事実である。

 

仏教は人間の心を10段階に分ける。

 地獄(幸福を感ずることのできない世界)

 餓鬼(欲望の世界)

 畜生(倫理のない世界)

 修羅(闘争を好む弱肉強食の世界)

 人間(精神的な追及をするも、まだ物欲の強い世界)

 天上(人間以上に精神的な追及をするが、油断すると地獄に落ちる世界)

 声聞(いい人の教えを聞いて近づこうとする世界)

 縁覚(何かの機縁で自分から悟る世界)

 菩薩(自分が悟り、人をよくしていこうとする世界)

 仏 (10の世界の最高の段階)

 

市長の存在界

 小川敏市長は、その行動を観察すると、餓鬼か畜生か修羅の世界を生きているようだ。この10の世界は別々にあるのではない。一人の人間の中にいろいろな心の動きがある。人間は、時には地獄でも天上界の世界で生きることもある。そして人や組織は、その指導者の心の動きに合わせた人生を生きる。大垣市は、市長の生きざまでその姿を変える。畏るべきことである。大垣市を良くするためには、トップが心を調え、高めなければならない。

 それは市長だけの問題ではない。己の心の状態で、己の仏教での存在エリアが決まり、その世界が決まる。人間として生まれた以上、せめて人間界以上の界の進んで、成仏したいもの。

 

2019-10-09   久志能幾研究所通信No.1362  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 8日 (火)

「冷し飯食い」でガン防止、肥満防止

 「寿司飯やパスタサラダなど、加熱後に冷ました炭水化物に含まれる“難消化性デンプン”は、大腸がんを予防する可能性がある」とは、コロラド大学・がんセンターの研究グループが専門誌に発表した内容である。

 “難消化性デンプン”は分子の結合様式の関係で、消化酵素の分解作用を受けにくいので、胃での分解をスルーして腸に届くため吸収速度が遅くなり、血糖値の上昇も穏やかになる。

 また“難消化性デンプン”は、腸管内で発酵し、腸管内を覆う細胞のエネルギー減になる酪酸などの脂肪酸を産生する。酪酸は炎症を抑える作用がある。

 ラットを使った“難消化性デンプン”食材での実験では、結腸・大腸がんの損傷が減少した。

 ダイエットに成功した肥満ラットに、難消化性デンプンの食材を与えると、リバウンドが穏やかであった。

 お米を加熱してから室温以下に冷ました場合は、熱でバラバラになった分子が再結合して消化されにくくなる。その「冷し飯」には、難消化性デンプンが豊富に含まれる。しかし電子レンジ等で再加熱すると、元の木阿弥となる。

 だから肥満防止、癌防止には「冷し飯」状態で食べるのが、健康的である。残業で遅く帰宅した夫には、温かいご飯でなく「冷し飯」を食べさせるのが妻の愛である。妻は子供と一緒に温かいご飯を食べる。温かいご飯は美味しいので、つい沢山食べてしまい肥満になる? ご飯の糖質は、乳がん等の遠因となる。

 以上の項、『週刊ダイヤモンド』2013/03/23号 井手ゆき著「冷たい飯で大腸がんを予防」を基に記述。

 

人生の冷や飯

 私は、健康管理の為、冷えたご飯は電子レンジでチンしない。冷えたまま食べている。冷えていると、必然的によく噛んで食べるようになるので、健康によい。

 華やかな舞台でちやほやされ、ご馳走を振舞われると、舞い上がり、冷静に人生の糧を消化出来なくなりがちだ。心の糖尿病、頭の肥満肥大化になりがちである。私のサラリーマン時代も、人並みに栄枯盛衰に例えられる会社人生を送った。華やかに活躍した時代より、冷や飯を食わされた時代が、人間味あるれる人達と交流できて、一番人間的に成長したと思う。いろんな諸事を部外者として冷静に分析して眺められるからだ。

 その経験から、18年間の独裁的栄華を謳歌した小川敏市長の哀れな末路が私には見える。小川敏市政は、大垣市の癌のようなものである。癌細胞が大垣市を蝕み、大垣市の体力・活力を奪っている。既に大垣市の地価は半値に暴落し、大垣市の顔である大垣駅前商店街は、激ヤセして息も絶え絶えである。

 癌細胞は甘~い美味しいものが大好きである。一度、権力の座に就きその美味さを知ると、♪ やめられない、♪ 止まらない。水道水で冷やした水饅頭 ♪

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-10-08   久志能幾研究所通信No.1361  小田泰仙

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2019年10月 7日 (月)

祈りと宿命  小川敏市長への祟り

 祈りは己を謙虚にして、己の内面を見つめさせ反省を促す。

 祈りは、願いと宿命をつなぐ言霊のシャトルである。

 運命は宿命の子供である。

 祈りは、宿命に語り掛け、運命に新しい目覚めを促す。

 宿命は変えられないが、運命は変えられる。

 行動なき祈りは、戯言である。

 思考なき行動は、亡国である。

 感謝なき行動は、無礼である。

 感謝・報恩のある営みが、運命を変える。

 私は毎日朝晩、仏壇の前でご先祖に祈っている。

 ご縁に出会うのも運命である。良き運命でないとご縁に出会えない。

 縁ありて花開き 恩ありて実を結ぶ。

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 馬場恵峰書

 

書けることに感謝

 私は毎日、感謝の心でブログを書いている。それで皆さんに恩返しができれば幸せである。それを書く機会を与えられたことを感謝である。ブログを書くにも、健康で、情報があり、書く才能が有り、時間があり、気力とご縁がないと記事一つ書けない。言いたくても言えない人もいる。書きたくても健康を害して書けない人もいる。言いたくても、勤め先のお店が潰れて生活が困窮している人もいる。

 ブログを書けるのも全て仏様のご配慮である。毎回、手を合わせて書いている。どんな事象でも、神仏の気配を感じている。周りの事象に多くの気付きがあり、それを改善する案を考えよとの神仏からの啓示を受けている。

 

大垣市からの恩恵

 大垣市の行事からは多くの気付きがある。毎日が発見の日々である。大垣の行事が愚かであるほど、多くの気付きがある。小川敏市長は愚かさの天災(天才)である。小川敏市長は、愚かさの「意図注総合商社」のトップである。私には、小川敏市長が壊した大垣市を再興したいという願いがある。

 

見えないものに畏敬の念を持つ

 「一歩下がって師の影を踏まず」、「お天道様が見ている」、「天網恢恢疎にして漏らさず」のように、昔から先人は目に見えないものにも敬意を払っていた。運を良くしようと思う人は、目に見える世界だけでなく、目に見えない世界にも目を向ける。世の中は、プラスとマイナス、陰陽である。正の部分が多ければ、見えない陰の世界も同じだけ存在する。それが松下幸之助翁の説く「宇宙根源の理」である。

 

ユダヤ、トヨタ、平澤興先生の教え

 ユダヤ人は、貧乏な時からも、収入の1割を寄付に使っていた。金持ちになってから寄付をするのではない。貧乏な時も神様を信じて寄付を出していた。ユダヤ人は商売の正の部分だけでなく、見えない世界に寄付として投資をしていた。それがユダヤ人を多くの民族の中で一番の成功者に導いた。

 トヨタの社是でも「神仏を敬え」と説いている。それが田舎のトヨタを世界のトヨタにした。それが拝金主義の日産との違いである。

 元京大総長の平澤興先生は、弟子が万物尽きて泣きを入れに来ても、弟子に「神仏に祈ったか?」と諭した。

 

朕(小川敏)の前に神仏無し

 神仏を敬わない小川敏市長の大垣市は、無能の行政の顛末で、市長就任以来大垣市地価が18年間連続で下がり続け、市長就任当時から地価が半分に暴落した。こんな都市は全国にない。大垣駅前商店街が81%閉店して滅亡寸前となった。大垣市は衰退した。それになす術がない無能な小川敏市長である。それこそ神罰である。なにせご先祖を祀る神社の祭祀で、小川敏市長は朝の10時から居眠りである。神様も怒るはずである。

 世界で最初のドローンの墜落人身事故の事件も、大垣市の企画した行事で起こしている。それは小川敏市長の常盤神社での居眠り事件の後に起きている。祟りである。それなのにドローン業者が、大垣市から全責任を押し付けられて、生贄にされた。その責任逃れの顛末が、大垣市民として、恥ずかしい。罰が当たりますぞ。

 丸順の故今川順夫最高顧問から託されたシベリア抑留「恒久平和の碑」のお守りも、現在は放置され、荒れ放題である。小川敏市長は、今川氏に「大垣市としてこの碑を守っていく」と約束したが、それが反故になっている。私は故今川順夫氏から直接その話を聞いた。シベリア抑留で亡くなられた英霊への侮辱である。遺族の一人として怒りが沸き起こる。

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2017年10月8日、10:17 常盤神社 神事

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 恒久平和の碑  大垣公園内  悪戯された碑文

 

大失敗の「大垣市中心市街活性化計画」

 2016年から小川敏市政は「大垣市中心市街活性化計画」を推進して、大垣駅前に立派な複合ビルを建てた。その後の2年間で大垣駅前商店街の2割の40店舗が廃業した。すぐそのあとに創業109年の百貨店ヤナゲンが、廃業である。その複合ビルも、昼間は人通りがなくて、幽霊ビルのようである。結局、大垣駅前商店街の81%が、小川敏市長の無為無策無能政治で閉店に追いやられた(2019年9月)。

 この駅前再開発計画で駅前マンションビルに入居した住民は、ヤナゲンが目の前にあるから買い物に便利とマンションを買ったのと、大垣市に騙されたも同然である。この計画は大失敗である。祟りである。

  

神仏を敬わない顔つきは下品

 見えないものに畏敬を持つ人と、そうでない人の顔つきや行動が同じであるはずがない。食べ物にも神仏が宿ると言って、昔は米粒一つ粗末にしなかった。私はそういう躾を受けた。そういう美しい文化が日本にはある。同じ世代の小川敏氏は、私とは別の価値観で宇宙人のようである。宇宙人の鳩山氏とお友達かもしれない。

 現在の日本のテレビで、グルメ番組、大食い競争番組、食べ物で遊びをする風潮は、子供への教育上で芳しくないと思う。それと同じ下品なレベルが小川敏市政である。

 なにせ子供の教育は蔑ろにする小川敏市政である。小中学校のエアコン設備費を市役所職員の給与予算に振り向ける小川敏市長である。その結果、小中学校のエアコン設備率は2.1%で県下最低である。児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルである。子供にとっては祟りのように不幸である。

 

痴呆の祟り

 大垣市政100周年記念行事で、浅ましいギネス水饅頭共食い記録のために、市民税を使って興じるのは、倫理違反である。子供の教育上で問題である。

 南方の戦地で飢えて亡くなられた英霊の多くを祀る濃飛護国神社の前を封鎖して、見苦しい食いざまを全国に晒したのは、大垣の恥である。英霊からの天罰が当たると思う。

 だから僅か2週間後にその記録は簡単に破られた。1000万円の市民税が無駄となった。その記録を破った日大三島高校は、市民税の使用ゼロ円である。無価値なギネス記録を誇る小川敏市長の痴呆的な顔が全国に流れて、大垣の恥となった。これも祟りである。

小川敏市長は、日本中で笑われていることを認識できないまで、痴呆が進んでいる。自分の痴呆が分からなくなるほど、怖しいことはない。それも祟りである。本人だけが幸せである。大垣市民は不幸のどん底である。

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 濃飛護国神社

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   2018年6月3日 石川まさと大垣市市議会議長とギネス認定人と小川敏市長

行事予算1000万円の使用用途が非公開。追及する責務が市会議員にある。

検察官の責務がある議会が監査を受ける立場の市長と一緒に痴呆的に喜んでいる。

 

2019-10-07   久志能幾研究所通信No.1360  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 6日 (日)

自分への弔辞 臨死体験で死を學ぶ

 身辺整理で家中の資料を整理していたら、2000年に私が作成した私宛の弔辞が出てきた。その没年が2055年12月25日とある。享年105歳である。河村義子先生の命日と同じで、その偶然さに少し驚いた。弔辞を読んだ想定人物は、知遇の僧侶であった。

 当時、人生と会社内の人間関係で悩み、人間関係の研修をハシゴしていた。ある研修の中で、臨死体験の実習を受けさせられた。その研修に臨死体験があることは、内部暴露本で知っていたので驚きはしなかった。しかし、その準備をしていても、想定とは違った展開となり、結果として目一杯落ち込むことになった。死を前に、己は何と無力なのかを思い知らされた。死の修羅場では、「理」は無力であることを思い知った。死を前にあるのは、感情である。人を動かすのは「感」である。だから「感動」して人は動く。「理」では人は動かない。「理動」はないのだ。

 その「死」の模擬体験で、多くの気付きがあり、研修として自分宛の弔辞を書かされた。今回、整理して出てきたのはその弔辞である。それから20年が経って、その弔辞を読み返すと、その弔辞のように生きてきた自分を発見した。

 

死を學ぶ

 人生で学ばなければならないのは、自分の死である。それを学んでいないので、惨めな死を迎える。見苦しい老後を迎える。権力の座に執着して、醜い姿を晒す。

 人間は必ず死ぬ。それを前提に生きないから、生き方が曖昧になる。長く生きるのが、目的ではない。何のために生きるかを明確にすることが必要だ。いつかは死を迎える身で、死ぬときは立派に死にたいもの。

 私が受けた臨死体験研修では、不合格の死に方であった。本番で死ぬときは、そんなことがないようにと、それから生き方を変え、死に対して心の準備が出来たのは、よい研修であった。たぶん今度はスマートに死ねそうだ。覚悟が出来ると、人生で怖いものはなくなる。それからの生き方で、少々やり過ぎ、言いすぎの気になったのは愛嬌である。

 だから年初に、私が癌を宣告され、手術に際しても動じることはなかった。淡々と死の準備だけは済ませた。しかし当時は、ひどく落ち込み、心にかなりの傷を負った。元に戻るのに1年程を要した。今にして、その痛み目を会って良かったと思う。何事も痛い目に逢わないと成長しない。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-10-06   久志能幾研究所通信No.1359  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年10月 5日 (土)

大垣市の悲惨な末路、25年後「兵どもが 夢の跡」

2010年当時の回想

 毎日、私が大垣の「ミニ奥の細道」を歩いていると、サラリーマン時代に仕事の上でビジネス戦争を交わした仲間のことが思い出される。そんな思い出が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」(岩手県平泉町)、

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」(山形県・立石寺)

Photo   大垣「四季の路」

 そんな仕事上でのチャンバラも今は昔である。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのもせいぜい1週間である。長い人生を思えば人間の絶頂期の数年は、蝉が鳴く期間と同じであろう。どんなに騒々しく働き栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病魔に襲われ亡くなったビジネス戦士を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせ、上記の俳句を詠ったのであろう。自分はよくぞ無事に還暦を迎えられたと神仏に感謝したい。

 

会社の末路

 その帰属した会社さえグローバル競争時代を迎え、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命だ。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘っていたのか、歩きながら考えている。

 人生は旅であると芭蕉は詠う「旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る」。それが実感として伝わってくる。

 

四半世紀後(2045年)の回想

 100年弱の人間の歴史は、大垣市の長い歴史にとってはごく一瞬である。私が25年前(2019年)当時、真摯に大垣市政への批判・改善提案をしたことは懐かしい思い出である。これは、2001年に小川敏氏が市長に就任してから、約半世紀後の大垣市の姿である。その悲惨な状況が見えてくる。

 その当時の小川敏市長も理に合わない働きかたで、倒れてしまった。大垣市長職は、激務で無理な働き方であった。無理とは「理」がないのだ。松下幸之助翁は宇宙根源の「理」にあった経営をすべしと教えた。

 市長の死因は、功名心に溢れすぎた性格の為、無意味な行事に出すぎで、出しゃばり過ぎ、肥満と美食による高脂肪体質、高血圧からくる病気であったようだ。当時の大垣市長の外見を見れば、誰でもそう診断するだろう。市長が「仕事」をしていれば、まだ救いがあったが、彼は単なる「作業」しかしていなかった。彼は付加価値の生まない作業ばかりしていた。それの精神的負荷も大きかったのだろう。

 大垣市長の職は激務である。歴代の市長は全員現役で死んでいる。その職を長期間務めるのは自殺行為であった。各種の行事への顔出しと挨拶で、休日もないので、体を休めるときがない。

 

市長の役目

 私が大垣市長なら、そんな形式的で付加価値を生まない時間は、副市長に任せて、自分は25年後、50年後の大垣市のビジョンを考え、その実現への種まきに時間を使う。当時の小川敏市長の愚かさが、四半世紀経ってますます明らかになった。当時の小川敏市長は、知識が中途半端で、智慧は全くなかった。口先だけは達者であった。市民はそれに騙された。

 

当時の小川敏市長の愚策

 当時の小川敏市長は、御用新聞の痴呆新聞社を巻き込んで、毎日のように、「私はこんなにやっています」と新聞紙面に顔を出していた。ピエロのような活動ぶりの宣伝が、他人事ながら、懐かしい笑い話の思い出である。その仕事をもっと減らせば、もっと長生きできたのにと思う。

 

ITにのめり込んだ小川敏市長

 その昔(2019年9月)、大垣市民病院で新しく導入した会計システムのトラブルがあり、会計業務が止り、市民病院待合室がJR事故で駅構内が大混雑するが如き状態になった。IT化に頼り過ぎて、逆に混乱の元を作ったのだ。トラブル時に抜け道を作る智慧さえない業者にシステムを作らせたのが原因である。この事態から、その四半世紀後の怖しい姿が予想されていた。

 

大垣市役所の末路

 その昔(2019年)、当時の小川敏市長が電子化市役所と大見えを切ったシステムは、その保守管理が大変で、お金もかかり、毎年10%の保守費が重く大垣市財政にのしかかっている。何かあるとすぐ止まってしまう。それも10年も経てば、全て作り直しである。また膨大な費用が発生した。システムを導入する時は、そんなことを、当時の小川敏市長は口が裂けても言わなかった。

 そのシステムの利用に高齢化した大垣市住民は対応できず、市役所に来る老人に職員が一人一人対応しなくてならない。職員の工数が膨れ上がって、行政がマヒ寸前である。

 なにせ老人はスマホも何も使えない。なにせ僅か200円の証明書発行費用の徴収に訳の分からないシステムを使わないと、証明書がもらえない。25年経った今でも、ロボットに少し違った質問をすると、幼児並みの対応かできない。正常な大人なら対応できるが、認知症が20%も及ぶ老人には無理である。それに付け込んで、儲かっているのはIT業者だけという有様である。今も昔も行政と業者との癒着はなくならない。

 

人口減対策に無策

 大垣市の人口も、2045年には予想よりも多く3万人も減り、老人ばかりとなった。当時の小川敏市長は、それを食い止めるためと「大垣未来ビジョン」を高い金を投入して作成したが、総論の列挙だけで、その具体的な対策案は、何処にも記述がなかった。当時の小川敏市長は「言うだけの市長」であった。

 

子供への投資を削った都市の悲惨な末路

 当時の小川敏市長は「子育て日本一」を目指すと言いながら、実際はその資源を市役所職員の給与に振り向け、児童生徒の一人当たりの教育費は県下最低レベルに落とした。それを当時の小川敏市長は口が裂けても言わない。その咎が2045年の今、ボディブローのように効いてきた。その当時の責任者である小川敏市長も今はいない。そのツケを大垣市民が払っている。

 

大きすぎる大垣市新市庁舎

 当時の小川敏市長は「口先だけの魔術師」と言われていた。結果として、現在(2045年)大垣市の人口に対して大きすぎる市庁舎となっている。当時でも岐阜市より5割も贅沢な状況であった。現在(2045年)は、当時の小川敏市長の無為無策の無能政治の後遺症で、大垣市人口が激減し、産業が衰退して、地価が暴落し、税収が激減し、市庁舎の維持管理費が大変である。人口減、産業衰退の原因を当時の小川敏市長が作り出した。それが大垣市民の負担となっている。

 

駅前マンションの貧民窟化

 当時の小川敏市長が、人口増のために段取りした駅前マンションは、夢見た通りに林立した。しかし、マンションの住民の子供は成長して他市に行き、大垣市には老人ばかりが残り、医療費介護費が市の財政に重くのしかかる。駅前に商店街が消滅したので、その住民は買い物難民となっている。

 マンション住民は大垣市の自治会には入らず、意識は名古屋市民である。勝手なことばかり言って、大垣市の為にならない。マンション住民は、大垣の自治会に入っていないので、共同募金活動にも参加しない。

 老朽化したマンションを建て替えるにも、権利者が戸数分だけ存在して、マンションの建て替えは不可能で、駅前再開発の最大の障害となった。そのマンションは朽ちる一方である。大垣駅前が、老人が徘徊する幽霊ビル通りになっている。

 

IT負債

 今(2045年)の市長は、当時の小川敏市長が遺した負の遺産の処理で大変である。当時の小川敏市長が効率化の悪いITシステムばかり作って、大垣罪政の重荷である。元小倉満市長が作ったハコモノの維持管理は大変であるが、それ以上に、格好だけのIT化システムに金を投じた小川敏市長の負の遺産は、大垣市にとって時限爆弾となった。

 法学部を出たのに、法律を正しく守ることもまともに理解できない頭で、IT化を業者が言うがままに導入した咎である。「IT化に溺れた当時の小川敏市長を騙すのは、赤子の手をひねるようなもの」と当時のIT業者はあざ笑う。 

 

「大垣未来ビジョン」

 「大垣未来ビジョン」の実態は、当時の小川敏市長のように、見てくれだけの無為無策のビジョンであった。小川敏市長は口先だけで、一部だけを誇張して立派なことをぶち上げるが、実質的に虚言が多かった。それの一例が「子育て日本一を目指す」であった。実際は、県下最低レベルの教育への財源の振り向けであった。

 当時の小川敏市長時代の全ての期間、ずっと地価は下がり続けた。それが何よりの証拠である。地価は行政の通信簿である。神のごとき正しい市場の評価である。松下幸之助翁は、世間からの評価を「神の評価」と言った。過去の大垣市には、小川敏市長ほど成績の悪い市長は存在しなかった。東大卒だけが看板の化石のような政治家であった。

 2045年の大垣市は、駅前は老人だけの幽霊マンションビル、人通りのない大垣駅前商店街、老人ばかりの市街地、病院・介護施設ばかり繁盛している。人口は減少、地価は下落、産業も衰退である。こんな大垣市に誰がした?

 私は、上記のような状況にならないようにブログで問題提起、解決策の提案をしている。これは大垣市だけの問題ではない。大垣市以外の皆さんの都市でも同じ問題が存在する。もっと自分の地方都市に対して問題意識を持って欲しい。自分が市長ならどうするかを考えて欲しい。

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 「大垣未来ビジョン」の表紙

 25年後の大垣市の姿がこんなわけがない。市民を馬鹿にしている。これで高いデザイン料を市民税から払っている。その業者との癒着さえ疑ってしまう。

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 大垣市の人口予測

 人口減少は予測しているが、その対策はどこにも書いていない。絵にかいた餅である。

「大垣未来ビジョン」p4 より 

Dsc07123s  25年後の実現

 2019年10月6日12時05分のお昼時、その先の大垣駅前通りは元気ハツラツ市で数万人の人出である。しかしその直ぐ西側の通りで、大垣駅前に再開発計画で建設したマンション兼商業ビルやヤナゲン跡にできたマンション前は、人通りが全くない。25年後、このマンションの住民が老人になり、子供達が成人して大垣市から出ていくと、老人だけが徘徊する廃墟のような市内となる姿である。

 

2019-10-05   久志能幾研究所通信No.1358  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 4日 (金)

成長のため脱皮する 脱皮なき大垣市DR体制

 成長の為には、間違った道、道具、方法、衣装に囚われるのも手である。成長して、間違ったことを気が付いたら、その道を変え、道具を捨て、方法を変え、衣装を脱ぎ捨てて脱皮をすればよい。人間は間違えて、脱皮の痛みを覚えないと真の道が見えない。

 

私の脱皮

 何回もダイエットに失敗して、逆に太り、スーツが着れなくなり新しいスーツに着替えるのが「脱皮」である。私も50年前の入社当時は、体重60キロ前後であったが、いつしか脱皮を繰り返し、80キロ近くまで太ってしまった。何度も脱皮をしてしまった。多くのスーツを捨てた。

 ダイエットを試みても、痛い目を合わないから、ダイエットが成功しない。私は今年、癌が見つかり、手術後、生活習慣を変えて、8か月間で体重が17キロ減り、腹囲が17センチ減った。服がだぶだぶになり、今回は正しい「脱皮」が出来た。それで50年前よりも体重が減ってしまった。痛みの伴う脱皮である。しかし、今までの間違った生活習慣を正しい方向に修正することが出来た。今までの悪い生活習慣を捨てることで、心身とも脱皮ができて健康になる基礎ができた。今は癌になったことを感謝している。

 

試行錯誤

 服を着てみて、自分に合わなければ、それを捨てればよいのだ。着て見ないとそれも分からない。問題は、合わない服をそのまま長く着て、それに気が付かないこと、捨てる勇気がないことである。人間だもの、間違って当たり前。その間違いを捨てる勇気を持たないから、人生で沈没する。

 

大垣市の没落原因

 頭の良いエリートと呼ばれる人(記憶力の良い人。記憶力だけのテストで良い点を取った人)は、減点主義の権現で、間違いをしないように、問題が起こらないようにと、物事を進めるから、事態が膠着状態に陥る。現在の日本経済停滞の原因である。間違いかもしれないが、やって見てダメなら変えればよいのだ。通称で頭の良い人はそれが出来ない。

 大垣市では、間違ったことが分かっても、それを変えると責任問題となるとして、もしくはメンツの問題で、間違ったことを何年も続けるから、大垣市が没落した。元気ハツラツ市の開催や都市再開発事業がその例である。

 

小川敏市政とトヨタの違い

トヨタの設計審査

 トヨタやトヨタグループで、開発やプロジェクトを行う場合に、小川敏市政とトヨタのやり方に大きな違いがある。それは設計審査(DR:デザインレビュー)というチェック機能が有るか無いかの差である。

 設計審査では、関係部署の責任者が忌憚のない意見を言い、それを設計や開発事項、プロジェクトの計画に反映させる。それを何回も回して製品に仕上げる。開発担当者として設計審査を受けると、参加者から言われ放題で神経がズタズタになる。私も開発責任者として、その修羅場の洗礼を何回も受けた。それでも製品になった後で、品質問題が出るよりはましである。下手をすると死亡事故にでもなれば、開発責任者は殺人罪も問われかねない。タカタのエアバッグ事件では、殺人罪が適用された。車両や車の部品における開発設計審査は、人の命に影響するので、それほどに真剣である。

 

小川敏市長の絶対君主体制

 小川敏市政では、トヨタにはあるチェック機能がない。市政の中で小川敏市長が18年間の絶対権力を握っているので、誰も小川市長の方針ややり方に反対できない。なにせ市長は人事権を握っているからだ。部下には生活がかかっている。18年間もその悪影響を市役所内に及ぼすと、当時40歳の中堅どころの職員でも、60歳に手が届くまで影響を受ける。若手も上役のそぶりを見て、その影響を受けて、市役所内で、モノが言えない状態に陥る。だれも大垣市役所内を良くしようとは思わなくなる。事なかれ主義が横行し、ヒラメ体質になる。だから長期政権は、必ず腐敗する。

 小川敏市長が管轄する都市再開発や街おこしプロジェクトでは、最初からうるさい関係者は除外して、その会議の場に呼ばず、関係ない人から形式的に意見だけ聞いて恰好をつけ、身内だけで物事を決めて遂行する。だから、元気ハツラツ市のように、やればやるほど大垣駅前商店街が衰退する始末となる。小川敏市長はメンツの為、その方式を変えようとはしない。小川敏市政の失敗は必然である。だから大垣市の没落は、必然であった。

 

タカタの絶対君主体制

 タカタの社長も、部下から開発したエアバックの問題点を指摘されていたが、それを無視した。それを指摘した部下を左遷させた。それ以来、誰も問題点を言えなくなった。

 タカタのエアバックは、米国で死亡事故を起こし、米国で殺人罪まで問われる事態となった。それでもタカタの高田社長は責任を感じなかった。タカタは2017年6月、負債総額1兆円を超えて製造業としては戦後最大の経営破綻をした。

 

大垣市の間違い

 大垣市民は、間違った市長を選んだから、大垣市が没落した。それは大垣市の長い歴史で、ささいな事項である。小川敏市長は、大垣市にとって間違った市長なのが分かったので、それを捨てて、正しい政策を実行する市長に変えればよいだけである。東大を出ただけの智慧なき市長では、ダメということが分かったのが、大垣市の知見となった。良い経験である。それが大垣市民の智慧となった。

 お天道様は何でも見ている。一時的には長期政権で栄華を極めても、必ず天罰があたる。天網恢恢疎にして漏らさず、である。私は、小川敏市長に、いつか「その日」が来るのを楽しみにしている。いつか、私の晩年に大垣市街を歩きながら下記の俳句を詠む日がくるだろう。

 夏草や 兵どもが 夢の跡 (芭蕉)

 

2019-10-04   久志能幾研究所通信No.1357  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 3日 (木)

小川敏大垣市政、赤い羽根共同募金をつまみ食い?

 大垣市では、毎年、各家庭に半強制的に赤い羽根共同募金400円の寄付が割り当てられる。それは各自治体に割り当てられ、各自治体の班長さんが各家庭を回って集金する。班長さんが各家庭を集金に回ってこれば、世間体として出さないわけにはいかない。また多くの自治会では、最初から自治会費の中に組み込まれて、大垣市に納金される。自分の意思とは関係なしに寄付がされてしまう。それは強制的募金となり憲法違反であるという判例が2007年8月に大阪高裁で出されている。

 大垣市の寄付金総額は、400円×66,564世帯=26,618,400円である。

 

 この事例は大垣市だけでなく、全国の都市で行われていると思われる。皆さんは、募金の実態を知らなさすぎる。旦那はそんなことは奥さんに任せ切りである。奥さんは、自治会に任せていて関心がない。行政は、それを付け込んで闇に隠している。

 

上から視線

 行政からの募金依頼文書に、「募金目標金額 22,549,000円」とある。募金は善意の行為である。それを半強制募金で、集金目標値を掲示するなど不遜である。大垣市お役所の上から視線の頭が見え隠れする。

 岐阜県共同募金会大垣市会は、大垣市の外部団体である。市の職員と同じである。

 

添付ファイル 大垣市からの募金依頼書akaihane.jpgをダウンロード

 

大垣市の業務改悪?

 大垣市の職員の給与は、県下一の高給で、岐阜市よりも総額で年間1.3億円も人件費が高い。行政の改革をして、さらにその岐阜市より高い給与分を見直せば、すぐ共同募金額など浮いてしまう。そうすれば赤い羽根共同募金活動など不要となる。寄付金に依存しない財政体制、それが正しい行政である。

 そもそも共同募金活動の支援先の社会福祉活動は、行政が税金で賄うべきもので、市民の募金に頼るのが乞食根性である。行政の怠慢である。小川敏市長が市民税を無駄遣いしているから、社会福祉活動への資金が不足するのだ。

 

無駄遣いの実態

 例えば、大垣市職員の給与で、適正給与から比較して年間1億3439万円も多く、働きに対して多すぎる。それは毎年なので、小川敏市政18年間で、総額24億円も無駄遣いである。

  6,857,112円-6,729,844円=1,272,600円(年間給与差)

  (大垣市職員年間給与-岐阜市職員給与)  

 大垣市職員給与の総差額

 (6,857,112円-6,729,844円)×1056人=134,395,008円

      (大垣市職員給与 - 岐阜市職員)×(大垣市職員数)

 18年間の人件費費用の差額  134,395,008円×18年=24億円

 

 大垣市職員の働きが良いならまだしも、岐阜県下最低の働き方と最悪の成果で、大垣市を衰退させ、大垣市の地価を半値に暴落させた。大垣駅前商店街を81%閉店させた。大垣の教育を最低レベルにした。大垣の文化芸術活動を最低にした。

 その都市の地価は、行政の成績の通信簿である。大垣市は地価に比較して、大垣市職員の給与が高すぎる。地価が下がったのだから、給与を下げるべきだ。まるで会社に大損害を与えて、お手盛りで給与を上げ、ボーナスをせしめるみたいである。民間企業ではありえない。そんなことをすれば、倒産である。

 

大垣市政の無駄遣い金額

 大垣市制100周年記念行事で3億5千万円も無駄遣いである。なんで大垣市制100周年だからと言って100個の行事を遂行する必用があるのか。小川敏市長は、正気の沙汰とは思えない。小川敏市長は人には「節約。節約」と言って、己は放漫散財経営である。それでいて会計報告はマル秘である。業者から金を貰っているのではと、下衆の勘繰りをしてしまう。

 大垣市新市庁舎の建設で40億円も無駄遣いである。大垣市民一人当たり7697円の負担だが、岐阜市は6367円の負担ですんでいる。大垣市新市庁舎は岐阜市よりも5割も豪華なのだ。没落した大垣市として、分不相応に贅沢なのだ。小川敏市長は人の金だと思って、市民税を使いまくっている。

 

闇の寄付集金活動

 募金活動をするにもお金がかかる。寄付金額の19.9%が寄付を集める費用で消える。それはご苦労さん会やキャッシュバック等で、闇に消えるお金も多い。担当職員の給与や使い道は未公開である。やましいことがあるようで、今だかって公開されたことはない。

 赤十字募金では、募金を集めた組織に、褒賞として、寄付金額の8%のお金がキャッシュバックが与えられる。その金は闇に消えるようだ。赤い羽根共同募金でも同じであると推定される。 

Photo 社会福祉法人岐阜県共同募金会の共同募金の説明パンフレットより

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上の表を抽出すると、下記である。

平成30年度の共同募金の支出総括表(単位 円)

1. 共同募金配分金        318,628,271

   赤い羽根募金分配金            249,820,882

   歳末助けあい募金分配金       68,807,389

2.  募金運動推進費等                  55,485,000

   県共同募金会運動推進費      20,138,505

   県共同募金会職員給与諸手当 19,308,495

   市町村運動推進費              16,308,000

3.  中央共同募金分担金                2,120,000

4.  次年度運動受備金・分配予備費 21,617,424

  合計           397,850,695      

 

 上記の赤字部分が募金の集金費用である。全体の19.9%を占める。この募金活動が無ければ、それを純粋に市の費用に振り向けることが出来る。本来、市の職員の正規業務にすべきである。共同募金のお金の約2割を誰かがつまみ食い?している。いわばピンハネ?である。

 

赤い羽根の経緯

 赤い羽根共同募金活動は、日本の戦後の混乱期に戦災者への募金の象徴としてはじまった。GHQの指示でこの募金活動を行う際、自主的な募金団体が立ち上がるまでの暫定措置として自治体等で募金を行った。それが暫定組織のまま現在に至っている。現在の経済大国の日本でそれが存続するのがおかしく、化石のような存在である。それに利権で群がっている輩がいるから存続しているようだ。

 

園児の生き血を吸う

 大垣市は、未就学児の園児を共同募金活動のダシに使っている。2019年10月1日、大垣駅北側の大規模小売店舗に行ったら、その店中のステージで園児が共同募金活動の手伝いをさせられていた。募金の内容を理解出来ない園児に、募金活動の手助けをさせるのは、園児への洗脳教育である。それは園児の教育妨害である。

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   なぜ園児を募金活動に駆り出すのか。園児の意思とは無関係に誰かの利権のために行われる。それは教育への冒涜である。それをダシに誰かが、給与を貰い、キャシュバックをフトコロに入れ?、ご苦労さん会で、美味しいものを食べている。会計報告はない闇の世界である。何かおかしい。

大垣市は教育不毛地帯

 ただでさえ、大垣市は児童生徒への教育体制が最低なのだ。幼稚園、小中学校のエアコン設備率が県下最低で、児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。小川敏市長は子供への教育を軽視している。子供達の心を育てる情操教育への投資もほとんどない。

 小川敏市長は、その教育費用を大垣市職員の給与に振り向けて、県下一の給与にしてしまった。それでいて、自分達の役所の業務改革をせず、無駄な金を使いまくっている。だから大垣市は没落した。赤い羽根共同募金活動に園児をかりだすのは、ピンハネではないのか? いわば園児の生き血を吸っているようなものだ。

 赤い羽根共同募金活動の資金は社会福祉活動に向けられると言うが、本来、税金で賄うべき事業を、募金と言う追加税金で賄っているようなものである。

 大垣市は他市よりも税金が年間12万円以上も高い(刈谷市と比較)。市役所の職員の給与は、その成果に比較して目が飛び出るほど高い。

 

大垣市職員の働きは最悪

 その都市の地価は市政の通信簿である。市政が正しく回っていれば、都市の経済も成長して、地価も高くなる。市政が怠慢だと、経済が衰退して地価も下がる。

 大垣市は職員が怠慢で働かず、大垣市を小川敏市長の手下として、大垣市を没落させた。この18年間で大垣の地価を半分に暴落させ、大垣駅前商店街を消滅寸前まで追い詰めたのに、大垣市職員は県下一の給与を稼いでいる。自分の給与を下げず、さらに赤い羽根共同募金活動で、税金のように強制的に金を集めるのは憲法違反である。福祉国家として、その事業は税金で賄うべきだ。

 小川敏市長は、公式行事の使用用途をマル秘にして平然としている。また募金活動の憲法違反状態を理解できないようだ。法学部を卒業した小川敏市長がこれを理解できないようなので、どうしようもない。政治家として無能である。

 その異常さは韓国文在寅政権を上回る。韓国では市民の文政権への反対デモが多発しているが、大垣市では、地方紙が小川市政の不都合なことを故意に報道せず、ヨイショ記事を氾濫させてそれを隠すので、市民は実体を知らされない。だから、反対運動も起こらない。その手口は、文在寅政権を上回る。

 

参考

大垣市議の年収   942万円 全国115位

大垣市役所職員年収 685万円  全国67位( 全国792市中で上位)

           岐阜県下一位(岐阜市より多い)

岐阜市役所職員年収 672万円 (全国117位)岐阜県下二位

岐阜市民の年収   344万円 全国170位

大垣市民の年収   320万円 全国280位

 

大垣市地価平均        前年比変動率

2001年[平成13年]   12万4222円/m2  -7.98%  下落 小川敏市長就任

2002年[平成14年]   10万8425円/m2  -10.10%  下落

2003年[平成15年]   9万6470円/m2   -9.65%  下落

 2004年[平成16年]   8万3482円/m2   -8.56%  下落

2005年[平成17年]   7万3836円/m2    -7.04%  下落  小川敏市政2期目

2006年[平成18年]   7万2277円/m2    -4.20%  下落 

2007年[平成19年]   6万8535円/m2   -1.85%  下落

2008年[平成20年]   6万9942円/m2   -0.16%  下落

2009年[平成21年]   7万1687円/m2   -1.40%  下落 小川敏市政3期目

2010年[平成22年]   6万7237円/m2   -2.82%  下落

2011年[平成23年]   6万5702円/m2    -2.36%  下落

2012年[平成24年]   6万3941円/m2    -2.41%  下落

2013年[平成25年]   6万3216円/m2    -2.13%  下落 小川敏市政4期目

2014年[平成26年]   6万1898円/m2    -1.31%  下落

2015年[平成27年]   6万1495円/m2   -0.78%  下落

2016年[平成28年]   6万0585円/m2    -0.57%  下落

2017年[平成29年]   6万0692円/m2    -0.50%  下落 小川敏市政5期目

2018年[平成30年]   6万1540円/m2    -0.39%  下落

2019年[令和元年]   6万2036円/m2     -0.47% 下落

 大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

※変動率は、各地点の変動率の平均となる。(平均地価の変動率ではない)

  https://tochidai.info/gifu/ogaki/

 

2019-10-03   久志能幾研究所通信No.1356  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。