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2019年10月 5日 (土)

大垣市の悲惨な末路、25年後「兵どもが 夢の跡」

2010年当時の回想

 毎日、私が大垣の「ミニ奥の細道」を歩いていると、サラリーマン時代に仕事の上でビジネス戦争を交わした仲間のことが思い出される。そんな思い出が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」(岩手県平泉町)、

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」(山形県・立石寺)

Photo   大垣「四季の路」

 そんな仕事上でのチャンバラも今は昔である。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのもせいぜい1週間である。長い人生を思えば人間の絶頂期の数年は、蝉が鳴く期間と同じであろう。どんなに騒々しく働き栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病魔に襲われ亡くなったビジネス戦士を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせ、上記の俳句を詠ったのであろう。自分はよくぞ無事に還暦を迎えられたと神仏に感謝したい。

 

会社の末路

 その帰属した会社さえグローバル競争時代を迎え、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命だ。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘っていたのか、歩きながら考えている。

 人生は旅であると芭蕉は詠う「旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る」。それが実感として伝わってくる。

 

四半世紀後(2045年)の回想

 100年弱の人間の歴史は、大垣市の長い歴史にとってはごく一瞬である。私が25年前(2019年)当時、真摯に大垣市政への批判・改善提案をしたことは懐かしい思い出である。これは、2001年に小川敏氏が市長に就任してから、約半世紀後の大垣市の姿である。その悲惨な状況が見えてくる。

 その当時の小川敏市長も理に合わない働きかたで、倒れてしまった。大垣市長職は、激務で無理な働き方であった。無理とは「理」がないのだ。松下幸之助翁は宇宙根源の「理」にあった経営をすべしと教えた。

 市長の死因は、功名心に溢れすぎた性格の為、無意味な行事に出すぎで、出しゃばり過ぎ、肥満と美食による高脂肪体質、高血圧からくる病気であったようだ。当時の大垣市長の外見を見れば、誰でもそう診断するだろう。市長が「仕事」をしていれば、まだ救いがあったが、彼は単なる「作業」しかしていなかった。彼は付加価値の生まない作業ばかりしていた。それの精神的負荷も大きかったのだろう。

 大垣市長の職は激務である。歴代の市長は全員現役で死んでいる。その職を長期間務めるのは自殺行為であった。各種の行事への顔出しと挨拶で、休日もないので、体を休めるときがない。

 

市長の役目

 私が大垣市長なら、そんな形式的で付加価値を生まない時間は、副市長に任せて、自分は25年後、50年後の大垣市のビジョンを考え、その実現への種まきに時間を使う。当時の小川敏市長の愚かさが、四半世紀経ってますます明らかになった。当時の小川敏市長は、知識が中途半端で、智慧は全くなかった。口先だけは達者であった。市民はそれに騙された。

 

当時の小川敏市長の愚策

 当時の小川敏市長は、御用新聞の痴呆新聞社を巻き込んで、毎日のように、「私はこんなにやっています」と新聞紙面に顔を出していた。ピエロのような活動ぶりの宣伝が、他人事ながら、懐かしい笑い話の思い出である。その仕事をもっと減らせば、もっと長生きできたのにと思う。

 

ITにのめり込んだ小川敏市長

 その昔(2019年9月)、大垣市民病院で新しく導入した会計システムのトラブルがあり、会計業務が止り、市民病院待合室がJR事故で駅構内が大混雑するが如き状態になった。IT化に頼り過ぎて、逆に混乱の元を作ったのだ。トラブル時に抜け道を作る智慧さえない業者にシステムを作らせたのが原因である。この事態から、その四半世紀後の怖しい姿が予想されていた。

 

大垣市役所の末路

 その昔(2019年)、当時の小川敏市長が電子化市役所と大見えを切ったシステムは、その保守管理が大変で、お金もかかり、毎年10%の保守費が重く大垣市財政にのしかかっている。何かあるとすぐ止まってしまう。それも10年も経てば、全て作り直しである。また膨大な費用が発生した。システムを導入する時は、そんなことを、当時の小川敏市長は口が裂けても言わなかった。

 そのシステムの利用に高齢化した大垣市住民は対応できず、市役所に来る老人に職員が一人一人対応しなくてならない。職員の工数が膨れ上がって、行政がマヒ寸前である。

 なにせ老人はスマホも何も使えない。なにせ僅か200円の証明書発行費用の徴収に訳の分からないシステムを使わないと、証明書がもらえない。25年経った今でも、ロボットに少し違った質問をすると、幼児並みの対応かできない。正常な大人なら対応できるが、認知症が20%も及ぶ老人には無理である。それに付け込んで、儲かっているのはIT業者だけという有様である。今も昔も行政と業者との癒着はなくならない。

 

人口減対策に無策

 大垣市の人口も、2045年には予想よりも多く3万人も減り、老人ばかりとなった。当時の小川敏市長は、それを食い止めるためと「大垣未来ビジョン」を高い金を投入して作成したが、総論の列挙だけで、その具体的な対策案は、何処にも記述がなかった。当時の小川敏市長は「言うだけの市長」であった。

 

子供への投資を削った都市の悲惨な末路

 当時の小川敏市長は「子育て日本一」を目指すと言いながら、実際はその資源を市役所職員の給与に振り向け、児童生徒の一人当たりの教育費は県下最低レベルに落とした。それを当時の小川敏市長は口が裂けても言わない。その咎が2045年の今、ボディブローのように効いてきた。その当時の責任者である小川敏市長も今はいない。そのツケを大垣市民が払っている。

 

大きすぎる大垣市新市庁舎

 当時の小川敏市長は「口先だけの魔術師」と言われていた。結果として、現在(2045年)大垣市の人口に対して大きすぎる市庁舎となっている。当時でも岐阜市より5割も贅沢な状況であった。現在(2045年)は、当時の小川敏市長の無為無策の無能政治の後遺症で、大垣市人口が激減し、産業が衰退して、地価が暴落し、税収が激減し、市庁舎の維持管理費が大変である。人口減、産業衰退の原因を当時の小川敏市長が作り出した。それが大垣市民の負担となっている。

 

駅前マンションの貧民窟化

 当時の小川敏市長が、人口増のために段取りした駅前マンションは、夢見た通りに林立した。しかし、マンションの住民の子供は成長して他市に行き、大垣市には老人ばかりが残り、医療費介護費が市の財政に重くのしかかる。駅前に商店街が消滅したので、その住民は買い物難民となっている。

 マンション住民は大垣市の自治会には入らず、意識は名古屋市民である。勝手なことばかり言って、大垣市の為にならない。マンション住民は、大垣の自治会に入っていないので、共同募金活動にも参加しない。

 老朽化したマンションを建て替えるにも、権利者が戸数分だけ存在して、マンションの建て替えは不可能で、駅前再開発の最大の障害となった。そのマンションは朽ちる一方である。大垣駅前が、老人が徘徊する幽霊ビル通りになっている。

 

IT負債

 今(2045年)の市長は、当時の小川敏市長が遺した負の遺産の処理で大変である。当時の小川敏市長が効率化の悪いITシステムばかり作って、大垣罪政の重荷である。元小倉満市長が作ったハコモノの維持管理は大変であるが、それ以上に、格好だけのIT化システムに金を投じた小川敏市長の負の遺産は、大垣市にとって時限爆弾となった。

 法学部を出たのに、法律を正しく守ることもまともに理解できない頭で、IT化を業者が言うがままに導入した咎である。「IT化に溺れた当時の小川敏市長を騙すのは、赤子の手をひねるようなもの」と当時のIT業者はあざ笑う。 

 

「大垣未来ビジョン」

 「大垣未来ビジョン」の実態は、当時の小川敏市長のように、見てくれだけの無為無策のビジョンであった。小川敏市長は口先だけで、一部だけを誇張して立派なことをぶち上げるが、実質的に虚言が多かった。それの一例が「子育て日本一を目指す」であった。実際は、県下最低レベルの教育への財源の振り向けであった。

 当時の小川敏市長時代の全ての期間、ずっと地価は下がり続けた。それが何よりの証拠である。地価は行政の通信簿である。神のごとき正しい市場の評価である。松下幸之助翁は、世間からの評価を「神の評価」と言った。過去の大垣市には、小川敏市長ほど成績の悪い市長は存在しなかった。東大卒だけが看板の化石のような政治家であった。

 2045年の大垣市は、駅前は老人だけの幽霊マンションビル、人通りのない大垣駅前商店街、老人ばかりの市街地、病院・介護施設ばかり繁盛している。人口は減少、地価は下落、産業も衰退である。こんな大垣市に誰がした?

 私は、上記のような状況にならないようにブログで問題提起、解決策の提案をしている。これは大垣市だけの問題ではない。大垣市以外の皆さんの都市でも同じ問題が存在する。もっと自分の地方都市に対して問題意識を持って欲しい。自分が市長ならどうするかを考えて欲しい。

Photo

 「大垣未来ビジョン」の表紙

 25年後の大垣市の姿がこんなわけがない。市民を馬鹿にしている。これで高いデザイン料を市民税から払っている。その業者との癒着さえ疑ってしまう。

Photo_2

 大垣市の人口予測

 人口減少は予測しているが、その対策はどこにも書いていない。絵にかいた餅である。

「大垣未来ビジョン」p4 より 

Dsc07123s  25年後の実現

 2019年10月6日12時05分のお昼時、その先の大垣駅前通りは元気ハツラツ市で数万人の人出である。しかしその直ぐ西側の通りで、大垣駅前に再開発計画で建設したマンション兼商業ビルやヤナゲン跡にできたマンション前は、人通りが全くない。25年後、このマンションの住民が老人になり、子供達が成人して大垣市から出ていくと、老人だけが徘徊する廃墟のような市内となる姿である。

 

2019-10-05   久志能幾研究所通信No.1358  小田泰仙

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