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2019年10月

2019年10月 2日 (水)

心臓病で余命2ヶ月宣告。延命に奔走

 20年間乗った愛車の心臓であるエンジンからの油漏れが止まらない。このままでは2か月後の車検が通らないことが判明した。エンジンはまだ12万キロの走行で、油漏れ以外は絶好調である。この愛車には、人生の粋も甘いも共にして、愛着がある。

 20年間の経年変化でエンジンのパッキン類が駄目になった。パッキンはエンジンの奥にある部分なので交換が難しいとの話である。もし修理するとすると、修理費用(工数)が60万円近くかかり、それで収まらない恐れもあり、ディーラからは、今の車を廃車にして新車を勧められた。

 

新車検討

 一時は現実に納得して新車を検討した。しかし新型カローラが3ナンバーになり300万円程である。1500㏄のハイブリット車アクアが270万円ほど、1000㏄の小型車が170万円ほどと、選定に迷いがでた。

 

車格と言う安全性

 新車に切り替える大きな抵抗が、車格のサイズダウンである。リッターカーが、いくらクラス最高の衝突安全性を謳っても、サイドエアバッグの装備や安全装置を謳っても、車格が違うと正面衝突で喧嘩をすると、負ける。一般論では、現在所有の2500㏄のクラスの車が一番安心である。

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車への設備投資の履歴

 安全装置では、現在の車に30万円ほどかけて、最新のイスラエル製の衝突防止装置も導入したばかりである。その製品は、中部地方では取り扱い店が2社しかなく、わざわざ豊田市まで出向いて取りつけた。

 ボデイも最近、全面塗装をして新車同然にしてある(30万円)。ナビも最新に入れ替えたばかり。ドライブレコーダーも万一の故障を想定して、2丁拳銃方式である。意外とドライブレコーダーの記録ミスは多い。それを私も経験している。

 白内障(?)になったヘッドライトの透明部樹脂も一式交換した。ヘッドライトの透明樹脂部は経年変化して、黄ばんでくる。いくら磨いてもその黄ばみは取れないので、一式交換した(10万円)。

 

結論

 迷いの挙句、約60万円(追加費用を10万円程と想定)かけてエンジンを分解して、油漏れを修理することにした。

 いまでに現在の愛車に設備投資が多大である。愛着もあり、修理を決断した。人間で言えば、愛車は寿命の2倍を生きた。その途中で心臓の大手術があっても自然なこと。人間様の私も大手術をしたばかり。そう思うと、大手術(エンジン分解)も致し方あるまい。

 整備士には、エンジンをオーバーホールするというまたとない経験の場を提供することになるので、社会的な貢献もできると判断した。

 約200~300万円かかる新車代金が、修理ですませれば60万円ですみ、あと5年程乗れるので、お得と判断した。まずお金よりも、車に愛着があるのが第一理由である。

 

基本方針

 良いものを大事に長く使うのは私の信条である。最初の選択で、長く使える製品(車)を選択するのが、第一の出発点である。その点で、20年前の選択は間違っていなかった。良いものは高いが、長く使える。結局お得である。

 自分は、頂いた命を全うする人生でありたい。己と言う人生の乗り物を、大事に大切に乗りたいと思う。己の体は、両親が与えてくれた大事な乗り物である。それを安易に乗りつぶしていないだろうか、反省したい。仏様からの警告が、病気と言うメッセージである。心して対応をしよう。

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 馬場恵峰書

 

2019-10-02   久志能幾研究所通信No.1355  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 1日 (火)

「力神」は吾なり、魂なり

 松本明慶大仏師は慶派の伝承者として、「人の心には、佛も住めば鬼も住む」という口伝を踏まえて仏像を作っている。日本では、鬼は身近な存在として共に暮らしを支えていた。家の鬼瓦を守り神として掲げるように、毛嫌いされる存在ではない。鬼嫁とか鬼婆との表現で負の表現もあるが、仕事の鬼、道を守る鬼とか、正の表現もある。鬼は身近な存在である。その鬼が云うと書いて「魂」である。己を見つめ叱ってくれる存在を明慶先生は「魂(オニ)」として仏像彫刻で表現した。下記の「魂(オニ)」は長く私の机の上から、私の勉強ぶりを監視してもらった。厳しい表情で睨んでもらった。大事な私の仏様である。

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 「魂(オニ)」 松本明慶大仏師作 

 

自分を支える存在

 自分を見えないところで支えているもう一人の存在こそ主人公である。自分は、顕在化された意識と潜在意識に支配されたもう一人の己が、行動を支配している。頭では考えていても、実際に行動に現れるのは潜在意識での行動が大部分である。何故あんなことをしたのかと後悔する時も、主人公の潜在意識がそれをさせている。その主人公が「魂(オニ)」である。

 そういう生活を過ごすのは、何十年と頭と体に沁み込んだ潜在意識の問題である。ご先祖や親から、何千回も教えられた習慣や考え方が潜在意識である。その意識の1割が顕在化して行動に表われるが、その9割の大部分は潜在意識として表には表れない。まるで海に浮かぶ氷山の一角のような存在である。

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鬼の役目

 自分の体とはご本尊である。鬼にはその行動の監視役の役目と、自分の体を守ってくれる2つの役目がある。自分の体を黙って支えて守ってくれる存在が力神である。それが体の免疫力であり、潜在意識で育てられた強靭な精神である。それがなければ、外部のばい菌で人間はすぐに死んでしまうし、精神がヤワでは社会の荒波にもまれて沈没してまう。

 鬼(力神)は何があっても自分を守ってくれるが、己が体を酷使する悪い生活をしてそれが限界を超えた時、病気の発病となる。誰のせいでもない。己の生活習慣の悪さが病気の原因である。精神がそれに負ければ鬱病になってしまう。運が悪いわけではない。人が悪いわけではない。己を守る仏様の「限界だよ」とのメッセージが病気なのだ。鬼が云うと書いて「魂」である。病気は己の魂が助けを求める叫びである。

 

佛の力

 自分が世を儚んで首を吊る時も、最後の最期まで、生きてくれよと血液を全身に送り、肺を動かしている働きが佛である。体を支える37兆個の細胞の働きを佛の力と言わずして、なんという。それも鬼の役目である。

 

佛の具現化

 仏師の松本明慶先生は「俺は夢の中でも仕事をしている。そこで浮かんだアイデアを起きてから、彫って形にする」と、先日、静岡伊勢丹の松本明慶仏像彫刻展の会場で私に言われた。そのアイデアを形にしたのが「力神」である。

 本来は、佛である力神は、岩の中に埋没して見えない。その岩を取り除くと、下図のように力神が己と言う御本尊(下図はお不動さん)を支えている。

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 「力神」松本明慶大仏師作

 「力神」と持ち上げている岩は一木彫り。上の不動明王は白檀製。

 写真は松本工房の許可を得て掲載しています。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-10-01   久志能幾研究所通信No.1354  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。