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2019年10月22日 (火)

忙しさの放置は、無能さの証し

 お忙し氏は、年中「忙しい、超いそがしい」と嬉しそうに走り回っている。その忙しさは見栄である。忙しいと走り回っている人は、「重要で緊急」な仕事よりも、「重要だが緊急でない」仕事を軽視しために起きる事象で忙殺されている。

 「重要だが緊急でない」仕事を日頃から計画的に進めれば、「重要で緊急」な事態は滅多に起こらない。忙しさを放置するのは、仕事ができない無能人である。忙しさを無くすのが危機管理である。仕事の平準化はトヨタ生産方式の基本である。

 

権限移譲なし

 お忙し氏は、手帳の予定蘭が真っ黒になるのを見栄で誇るかのように、下らない行事を詰め込んでいる。自分で自分の時間を浪費している。部下に任せるべき事項まで、自分で抱え込んで、部下の育成の機会もなくしている。肝心な時に、部下がその能力を発揮する教育機会を奪っている。

 出ない会議にも誇りを持つべきだ。お忙し氏は、会議に呼ばれないと不安になるようだ。懸案事項に対して、適任の人だけが参加すれば、会議の数は減り、効率も上がる。何も発言しない人や、存在感を見せつけるために、見栄で発言して会議の邪魔をする人をメンバーに入れても、組織自体の生産性は下がる。

 

携帯の不携帯

 私は最近、携帯電話を携帯しなくなった。普通の外出では携帯電話を持って行かない。帰宅後、着信を見て対応すれば、それで済んでしまう。私が自由業という条件もあるが、携帯を不携帯にして、余裕時間が生まれた。今までの携帯電話に奴隷のように拘束されることから、解放されて時間を自由に使っている。見栄の忙しさからの解放である。

 

小川敏の無能さ

 大垣市長の小川敏は、見栄で忙しいのを見せつけるが如く、全ての行事に参加して顔を売っている。それは、大垣市に対して何の付加価値も生まない。そんな些細な行事は、部下に任せて、大垣市の抱える課題の実現のため時間を割くべきなのだ。市長が見栄だけで作業をしているから、大垣市は没落した。

 大垣市にとって、重要だが緊急でない仕事は、大垣市の再建である。大垣の未来の設計と布石である。しかし小川敏にとって大事なことは、緊急で重要でない日頃のルーチン行事なのだ。そんな見栄だけの人間だから、常葉神社の大事な神事で居眠りをする。

 

小川市政終焉のカウントダウン

 2019年9月27日、大垣市新市長舎のカウントダウンボードの除幕式があった。新市庁舎は、決められた時間が来れば、カウントダウンボードの有無にかかわらず、計画通りに完成する。カウントダウンボードは不要である。

 それなのに、カウントダウンボードを作り、除幕式をするから、金がかかり、50人(裏方関係者を含めると100人余)の時間を奪い、無駄な金を使い、大垣市の没落作業のダメ出しをした。これは小川敏の売名行為と事前選挙活動なのだ。

 

時間の浪費

 小川敏は、時間なぞ無限にあるかのように、付加価値の薄い行事に時間をかけて奔走している。その無駄な労力を行事にかけた分だけ、大垣市が没落していく。なにせ知識はあっても智慧がない。だから大垣市の地価が半値に暴落しても、なす術がない。

 

頭がいいから反省しない?

 小川敏は、頭が良すぎるためか(智慧はない)己惚れているためか、一度決めたプロジェクトに間違いがあるはずがないと思い、その見直しもせず、18年間も、そのまま突走って来た。凡人の私なら、結果を見て「やり方が間違っているかも?」と自省してPDCAを回す。それがトヨタ生産方式である。私は小川敏の行動を他山の石としている。悪例の宝庫で感謝である。

 もしかしたら、市長は明日、死かもしれないのだ。市長も来年は70歳なのだ。70歳にもなれば脳死に値する認知症の発症率も20%に上がる。誰にも訪れるのが死である。激務の大垣市長は、歴代全員、現役で死んでいる。統計確率的に現役で死なない方が稀なのだ。小川に明日、仕事のためなら、死んでもいいという覚悟があるか疑問である。その覚悟があれば、愚劣な行事などやっていられまい。

Dsc07739s   馬場恵峰書

2019-10-22 久志能幾研究所通信No.1375  小田泰仙

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