小川敏市政、終焉のカウントダウン
吝嗇な市長が節約と放漫の区別がつかなくなったら、おしまいだ
地方紙が痴呆紙症になったら、おしまいだ
2019年9月27日、小川敏市長は大垣市役所の玄関に、新市庁舎完成までのカウントダウンボードを設置して、新聞社を呼んで除幕式を見せびらかし、記事にさせた。大垣の恥さらしである。
それが大垣市民にどういう付加価値を生むのか?
市民の誰が喜ぶのか?
何故、全経費8%カットと強制しながら、節約対象としないのか?
両新聞の紙面の縮小倍率は同じ。いかに岐阜新聞が痴呆的な報道を大々的にしているかが分かる。
岐阜新聞の「大垣市新庁舎 期待高まる」との表現は小学生の表現である。だれが期待しているのか、無責任な表現である。市民の誰も期待していない。期待しているのは利権がらみの業者だけ。こういうパターンがマスコミの洗脳教育である。こういう手法で、日本は太平洋戦争に追いやられていった。
カウントダウン表示設備の愚
なぜ、何の付加価値も生まないカウントダウンボードの設備に金をかけるのか。小川敏市長は節約と放漫の区別がつかなくなったのだ。認知症ではないのか。市長選6選に出るための売名行為亡者となったのか。
新聞記事では、カウントダウンボード除幕式に50名も参加とある。人件費の高い「経費」の塊が50人、それが1時間もボードの前に集まると、1万円×50人=50万円である。その50人は何の付加価値も生まない。大垣市職員の対応、エライさんの対応でその数倍の費用(税金)が消えている。それでどれだけ市民が幸せになったのだ。その分の時間を正規の仕事に投入すれば、大きな節約となる。それに小川敏市長は気が付かない。
地位の高い人物が50人もいて、誰もそれの問題点を言えない。全員が認知症ではないのか。それとも利権に胡坐をかいているのか。問題点を指摘できなければ、その地位の存在価値がない。税金だから、人の金だからと思っているとしか思えない。
電気代の無駄
いくらLED照明とはいえ、電気代がかかる。開庁時間以外も点灯する。誰も見ていない時間も点灯である。市民はそれを見ても、何の付加価値を生まない。何故、それが経費削減の対象とならないのか。小川敏市長はこれを市民が見て「希望を膨らませて欲しい」(岐阜新聞)と挨拶したが、正気の沙汰ではない。これを見て感じるのは、呆れと絶望感だけである。
大垣駅前通りの電灯の多くが長年、消えたままになっている。夜に大垣市中心街を歩くと恐いという市民の声である。実際に、年に5,6件の通り魔事件が大垣駅前通りで、起きている。夜、大垣駅前通りを歩いている老人を狙って、若者数人で後ろから襲い金品を奪う事件である。犯人は捕まらない。それだけ通りが暗くて危険なのだ。小川敏市長はそれを放置している。小川敏は、市民の安全など知ったことではないのだ。
文化都市大垣市を謳うのに、情けない話である。文化都市として絶望の極みである。その問題点は放置して、カウントダウンボードに電気代を使って「希望を膨らませて欲しい」と自慢するようでは、小川敏市長は認知症であるとしか言いようがない。もしくは、その疑いがある。または小川敏市長の6選に向けた事前選挙活動のようである。
フェンスが錆びだらけで恥さらし
地方紙の忖度
中日新聞も岐阜新聞も御用新聞として、小川敏市長の意向を垂れ流すだけである。マスコミの使命を果していない。それは小川敏市長の6選にむけた事前選挙活動の片棒を担いでいる。価値のない報道紙面分だけ、大事な情報が市民に伝えられていない。知らせるべきことを知らさないのもフェイクニュースである。
予算一律8%カット
なぜ大垣市行政の全予算の8%カットと市長の大号令をかけながら、小川敏市長自身の贅沢な欧州出張、元気ハツラツ市予算、電光掲示板カウントダウン装置、その除幕式は対象外なのか。己の欲望だけで生きるのは、畜生界の存在である。元気ハツラツ市、カウントダウン掲示盤除幕式は市長6選へ向けた事前選挙活動なのか。
シルバー人材の首切り
行政の予算一律8%カットで、スイトピアセンタの駐車場係のシルバー人材の首を切って、その仕事を市の職員に休日手当を払ってまでして、代行させている。市役所職員の年間給与はシルバー人材の2倍、3倍である。節約どころか、かえって経費が高くなっていることが計算出来ないまでに、小川敏市長は認知症になったのか。シルバー人材の首を切ってまで、経費を節約して、嬉しいのか。人の悲しみが分からないまで病状が悪化したのか。組織の長の最大の責務は雇用の確保、生活の保護である。
大垣市の経済政策の無為無策で、無能な市長の18年間で、大垣市商業の従業員の8000人の仕事を奪った。首切りも同然である。
市長の役目は、市民の幸せの実現である。小川敏市長はその逆をやっている。市長失格である。
スイトピアセンタ駐車場 2019年10月20日、10:55
やましい欧州出張?
なぜ、緊急的な行事でもないフレンドリー都市訪問の欧州出張に、わざわざ十万石まつりをすっぽかす(結果としてそうなった)ようなご先祖や市民を侮辱する行動をとるのか。見えないものに敬意を払うのが高度な魂を持った人間界の生物だ。それが分からなくなったら畜生界の存在である。
認知症の対処は家族の責任
家族が言わなければ、誰も本人に言えない。なにせ相手は権力を持っている。小川敏市長は、いわば人事権という凶器を持った狂人のようなものなのだ。組織の部下は何も言えない。家族があり、生活がかかっているからだ。大垣市職員は、18年間のヒラメの宮仕え習性で、息を殺して生息している。だからまともな仕事が出来ず、大垣市は没落した。
家族も、大垣市長の痴態行事の様を女子大の学友から笑われていること知らないのだろうか。学友も知的レベルが高く教養も高いので、直接は言わないが、陰で笑っている。小川敏市長のギネス水饅頭共食いで痴呆的な笑い顔は、全国に流れ、恥さらしである。家族も有名大学出なのにそれが分からなければ、同じ認知症である。
人たらしの天才と言われた豊臣秀吉も、晩年は老害が酷く回りは悲惨な目にあった。多くの親族の生首が秀頼の為に切られた。若いころは、人の血を見るのが嫌いな秀吉も、歳とると残酷になった。彼も認知症の気があったようだ。信長の比叡山の焼き討ちでも、秀吉の率いる部隊は、極秘に多くの僧侶を見逃した。しかし人は老いる。自然界の理である。
認知症
私の知人の奥さんも認知症になってしまい、悲しい思いをしている。親身の付き合いがあるから人一倍に悲しい。表面的には、認知症とは分からないが、身近で細かい話をすると、話の内容が破綻して、認知症の病状が露見する。直接本人には、それを言えない。悲しいことである。
日本では65歳を超えると15%は認知症である。70歳にもなると20%が認知である。小川敏市長も来年は70歳である。市長職は、ルーチンワークが多くて、知的な作業はほとんどない。現在の小川敏市長の仕事ぶりは、認知になりやすい環境である。多くは決まった行事に出て手を振るだけで、後は座っているだけ、決まった挨拶をするだけ、頭は使わなくても済む仕事ばかりである。予算も節約第一でカットするだけで、未来の投資はしないので頭は使わない。楽なものだ。市議会も担当者が答弁してくれる。市会議員から突っ込まれても、「条令で決まっています、今後検討します」と言えば済んでしまう。常葉神社の祭事でも居眠りしていれば、行事はすんでしまう。居眠りでも、だれからのお咎めもない。
だから本人は認知症になっても気が付かない。それを知らしめるのは家族の責任である。それが大垣市民の為である。
生老病死
電光掲示板のカウントダウンを見て、つくづくと大垣市の衰退を感じた。大垣市の体は、経営層・市長(頭)と市役所現場(内臓)が遊離しているようだ。経営層は現場の正常な声を無視して、痴呆な命令を出す。現場はそれを拒否できない。それでは経営破綻である。
だから大垣市は平均地価が半値に暴落した。大垣駅前商店街の81%が閉店した。児童生徒一人当たりの教育費が県下最低レベルになった。それなのに大垣市職員の給与を県下一のレベルに上げた。しかし市民の不動産財産額は半分に目減りした。すべて小川敏市長の責任である。
人生は春夏秋冬である。若いころ秀才と呼ばれた青年も老いれば、騾馬に劣るのが自然界の法則である。老兵は死なず、ただ消え去るのみ、それが出来ない小川敏市長は、市長の座にしがみ付いて醜態を晒す。認知症の症状であるようだ。大垣の恥である。
ぼやき
私もこんな記事は書きたくない。文化、芸術関係のブログを書きたい。しかし現実を市民に知らしめないと、大垣市が益々衰退する。まず知ることから、行動は始まる。今までは市民が、小川敏市長と新聞社の偏向した報道に晒されて、知らされないできた。
2019-10-21 久志能幾研究所通信No.1374 小田泰仙
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