今のうち、生きているうち
2019年10月19日、手術後8か月が経過して、体調も良くなってきたので、友人と名古屋のホテルでバイキング形式の昼食を共にした。食べる量を抑えたつもりであったが、食欲があり美味しかったので、油断してつい食べ過ぎたようだ。食の2時間後、全てを吐いてしまった。
つくづくと体力のなさと病後の回復の遅さを感じた。自分の体を会社に例えると、経営層(頭)と現場(内臓)が遊離していることを痛感した。経営層は現場の声を無視して、命令を出す。まるで以前に務めた会社の経営状態のようである。それでは経営破綻である。
人生は春夏秋冬である。人間の体にも春夏秋冬がある。その人生の春夏秋冬で、厳冬前の晩秋を感じた。いつまでも元気であるわけではない。いくらでも食べられた日が懐かしい。今は、食べたくても食べられない。お金があっても体力的に食べられない。
馬場恵峰書
出羽三山
人生では、今のうち、生きているうちなのだ。それを実感して、やるべきこと、やりたいことを急ごうという気になった。急に今日、出羽三山に行きたくなり、書店でガイドブックを探して見付け、計画を立て、日程を決め、ホテルの予約をした。出羽三山は修行の山なので、一般的なガイドブックには、それが載っていなくて探すのに苦労した。
いままで出羽三山行きは、気になっていた。しかし行きたくても、自然の春夏秋冬で、もうじき冬である。すでに現地は雪も降っている。現地のバスは10月末までの運行である。お金と時間と意思があっても、自然が行くことを許してくれなくなる。体が言うことが効かない。私もいつまでも生きていられるわけでもない。何事も、今のうち、生きているうちなのだ。
奥の細道
松尾芭蕉は出羽三山の月山に白衣(死に装束)で、登頂している。芭蕉の「奥の細道紀行」の転換点が月山への登頂であった。芭蕉は死を意識して月山に登った。芭蕉は、生まれ変わった人間として、下山をした。「奥の細道」の記述も、この地を境に、がらっと文面が変わる。
現在、馬場恵峰書『奥の細道』を編集・出版の準備を始めた。
馬場恵峰書『奥の細道』
2019-10-20 久志能幾研究所通信No.1373 小田泰仙
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