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2019年10月17日 (木)

小川敏市長に無能罪で神罰下る

 2019年10月13日、恒例の「大垣十万石まつり」が開催された。それに先立ち午前10時から、大垣藩開祖の戸田公を祀る「令和元年度常葉神社大祭神事」が常葉神社で執り行われた。

 小川敏市長の大垣市政への無能罪で、その「常葉神社大祭神事」と「十万石まつり」に出席不許可という、神罰が下った。小川敏市長は、台風19号の影響で欧州から帰国できず、神事と十万石まつりに参加できなかった。

 

悪事の露見

 今回の神事は、先年までの神事と比較で、小川敏市長の不敬な段取りと不潔な強欲心を露見させた。小川敏市長は利己主義、売名行為に憑りつかれて汚らわしい。その悪業が、この神事で露見した。神様はよく見ている。天網恢恢疎にして漏らさず、である。

 今までの小川敏市長の言動を見ていると、新聞紙面や行事への過剰な顔出しは、大垣市長選の6選を狙った事前選挙活動と思われる。その悪だくみも露見した。そう思うと、今までの全ての小川敏市長の異常な行動に納得がいく。

 

公式撮影の愚かさ

 常葉神社の例祭では、例年、市の公式撮影隊が来て、神事の後に全員の公式記録写真を撮る。それが今年は、公式写真撮影がなかった。小川敏市長不在のためである。そのためか、サクラの観客動員もなしである。

 つまり大垣藩開祖の戸田公を祀る神事後の記念撮影は、小川敏市長のための宣伝活動・事前選挙活動の一環であった。この神事には、戸田公のご子孫、大垣市市長(今年は副市長が代理)、大垣市議会議長、衆議院議員、教育長、大垣市役所経済部長等が参列している。本来、大垣市の公式行事として撮影すべきだが、小川敏市長不在なので、常葉神社での公式行事記録の撮影はなかった。だから今までが、恥ずかしい売名行為・事前選挙活動であった。

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2017年10月8日10:29 常葉神社の境内をサクラがウロウロ

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 2017年10月8日10:29 公式カメラマン   

P1030171s  2017年10月8日10:35   神事が終わって公式記念撮影

Dsc07238s2019年10月13日10:09 観衆が一人しかいない境内(神殿では神事中)、

公式カメラマンもいない

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危機管理が無能の愚かさ

 戸田公を祀る神事があるのに小川敏市長は、海外のフレンドリー都市シュッツガルト市の訪問である(推定)。伝聞では、本人は「当日までに帰国予定であったが、台風19号が来て、帰国の飛行機が間に合わなかった」と言い訳で言っているようだ。子供の言い訳である。

 大垣10万石まつりは、毎年、日時が決まっている大事な大垣の行事である。それを、わざわざそれの直前に大した用事でもない友好都市を訪問のため海外出張とは、戸田公の神事を重要視していない証拠である。大垣市長として最大の義務の行事を軽視したのだ。

 結果として天罰が当たって、飛行機が間に合わなかったのが冷酷な現実である。政治家は結果が全てである。台風19号が来ることは分かっていた。小川敏市長は、その臨機応変の対応が出来ないような無能な政治家であった。そういう運命のめぐり合わせは、市長の悪徳から来ている。運の無い市長である。友好都市の訪問より、350年続く大垣の開祖を祀る神事を軽視したことのバチ当たりである。組織の長として危機管理ができなかったのだ。

 

過去の危機管理の無能対応

 小川敏市長は、2017年のドローン墜落人身事故の無責任な事後対応、台風での室村町アンダーパス水没事故では放置対応、市役所の全面停電時の対応の醜態、久世川氾濫時の不祥事に災害視察をしましたと美談に変えて捏造してしまう醜態事件等は、危機管理として、今回の無能な対応と同じである。少しも進歩していない。

 思い起こせば、管直人元首相、村山富市首相の時、東日本大震災、阪神淡路大震災が起きて、二人の危機管理の無能さで多くの人命が失われた。小川敏市長も、ニュースで超大型台風が日本を襲うことが分かっていたので、事前の帰国が必要であった。それが長の危機管理である。幸いにも、中部地方は台風19号の直撃を免れたが、関東のような状況になっていれば、目も当てられなかっただろう。

 いわば親の法事を軽く見て、帰国できると安易に考えて、海外遊覧旅行に行ったようもの。戸田公は、大垣藩の開祖で、いわば大垣市長のご先祖である。その法事に、結果として出席できなかったのは「市長の任にあらず」と戸田公が啓示されたと同じである。市民として不幸である。

 

神事にサクラを手配する愚かさ

 2017年の時は、神事の最中、境内の多くの人がいた。今年は女性一人だけの観覧者であった。神社境内の外には数人の参拝者がいたが、境内内には入らなかった。つまり2017年度は、小川敏市長が参加すると、市長命令でサクラを神社境内に集合させた。それの悪だくみが、今回露見して笑ってしまった。

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2017年10月8日10:06 中で神事中 サクラがウヨウヨ居る

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2019年10月13日10:09 中で神事中  誰もいない

 神事は10時から10時30分まで

 

陵王に叱られる小川敏市長の愚かさ

 私は神殿内の「陵王の舞」を、今回正式に見た。2017年の時、小川敏市長が居眠りして、陵王が「居眠りするな、起きろ!」と指さして舞った仕草は、今回は、なかった。その居眠りしていた小川敏市長が不在の為である。それは舞い人のアドリブであったのが判明した。今年は、市長代理で副市長が出席した。副市長は居眠りしなかったので、正規の「陵王の舞」であった。

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2017年10月8日 神事  「市長! 起きろ!」のアドリブの舞 

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2017年10月13日 神事 正規の「陵王の舞」、小川敏市長が不在で軽やかな舞

 

岐阜新聞の忖度・迎合の愚かさ

 岐阜新聞の片隅に、「小川敏市長 終日 フレンドリーシティ訪問などに伴うヨーロッパ出張」と小さく報道がされていた。どこに何時まで、どんな行事なのかは全く報道がない。いつもは大々的に小川敏市長の動向が報道されるのに、この報道ぶりは違和感を覚える。欧州の遊行都市なら、シュッツガルド市しかない。それを岐阜新聞は報道しない。何故? 新聞社も小川敏市長もやましい気持ちがあるので、口止めにしたのだろう。岐阜新聞は報道の基本原則(5W2H)を放棄している。これでは購読に値しない。

Photo

 岐阜新聞西濃地域欄 2019年10月8日 

 

小川敏市長への神罰

 誰のお陰で今の大垣市が発展したのか。戸田公が350年前から、大垣藩を人財育成に取り組み、大垣市を他市よりも129倍も多く博士を生む街として育てた。大垣は「美濃の小京都」と謳われて繁栄した。

 それが今は、大垣は「中部の掃きダメ」になっている。小川敏市長が、節約と称してトイレ・街路の掃除費を節約して、日本一汚い街にしてしまった。経済政策を間違えて(経済音痴)、大垣駅前商店街の81%が閉店してしまった。大垣の地価が半値に暴落してしまった。児童生徒の教育費を、県下最低レベルに下げてしまった。大垣の未来を背負う児童生徒を炎天下36度の環境で踊らせた。児童生徒の教室のエアコン設備率を県下最低レベルのまま放置した。治水を放置して、2年前の台風被害では市民の命を危険に晒した。

 これらに対する戸田公からの小川敏市長への警告の神罰である。

 

「神事に出るな」という啓示

 小川敏市長は、戸田公の御恩を忘れて、その功績を無視して、欧州への公金を使った遊びの出張である。この1年も前から決まっている神事の日を狙ったように、超大型台風が来ることが事前に分かっていながら、欧州の友好都市にこの時期に行くのは、戸田公に対して不敬である。それで十万石まつりに帰ってこれなかったのは、神罰である。神様から「市長として不要、神事に出るな」との啓示である。

 2017年10月8日、戸田公の神様は、愚かな小川敏市長が悪政を正さないので、陵王に扮して「陵王の舞」を啓示として舞ったのだ。それなのに、小川敏市長は居眠りである。

 

リーダーに必要とされる能力

 一葉落ちて天下の秋を知る。リーダーは、小さな事象から、組織の命運を占い、組織が幸せになる方向に決断をしなくてはならぬ。それがリーダーに課せられた義務である。愚かな小川敏市長は、一葉が落ちるくらいでは気が付かず、最大級の台風にあおられないと、気が付かない。残念だが、今の小川敏氏は、それさえも気が付く能力がない。早く、己の人生の秋の到来を思い知れ

 

参考「陵王の舞」

 蘭陵王は、雅楽の曲目の一つ。管絃にも舞楽にも奏される。左方(唐楽)に属する壱越調の一人舞で、華麗に装飾された仮面を被る勇壮な走り舞。答舞は納曽利。

 林邑の僧である仏哲が日本にもたらしたものと言われ、元は沙陀調であったが日本で壱越調に転調した。中国風の感じが残ると言われる美しい曲。

 北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇姿を歌に歌ったのが曲の由来とされている。

由来: この曲の由来となった伝説によると、高長恭はわずか五百騎で敵の大軍を破り洛陽を包囲するほどの名将であったが、「音容兼美」と言われるほど美しい声と優れた美貌であったため、兵達が見惚れて士気が上がらず、敵に侮られるのを恐れ、必ず獰猛な仮面をかぶって出陣したと言う。男性がこの舞を舞うときは伝説に則して竜頭を模した仮面を用いる。

 この伝説に対応する史実としては、北周が兵を発して洛陽を包囲した時、援軍を率い城門の前に到着したものの城内の人間が敵の策謀を疑って門を開けなかったため、高長恭が兜を脱ぎ、顔を晒したところ、類いまれな美貌にその正体を悟った門兵が扉を開き、無事に包囲を破って洛陽の解放に貢献したという記述が『北斉書』などの史書に見える。

  この項、wikipedia 2019/10/16 を編集

 

2019-10-16   久志能幾研究所通信No.1369  小田泰仙

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