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2019年10月

2019年10月31日 (木)

南雲講座「命の食事」4 小川敏は大垣の癌細胞?

大垣が犯罪都市化、「皮」が市民を守る

 

街の明りは都市を犯罪から守る「皮」

 暗い夜道や電灯の切れた街は、犯罪の温床となる。市長の小川敏は、無駄な新市庁舎や愚劣な行事や効果のないIT化には金を浪費するが、大垣市の顔である大垣駅前商店街の街路灯や時計台の電灯には金をケチって、暗いまま放置している。大垣市中心街の夜は、一人歩きの老人を襲うガン細胞のような若者集団が跋扈している。多くの一人歩きの老人が集団で襲われて、金品を奪われている。それを放置して、小川敏市長は、大垣市を文化都市というが、お笑いである。小川敏は行政の責任者として無責任、無能である。(小田泰仙のコメント)

小川敏が犯罪を増長

 電灯一つの保守費をケチる小川敏が、市の犯罪の増加を助長している。小川敏こそが癌細胞?のようなものである。愚劣な毎月の減気ハツラツ市行事、一過性の私製100執念祈念行事、効果のないIT化に金を使うより、まず電灯一つの保守の基本的な市民を守る政策が必用だ。大垣駅前商店街が寂れて電灯代が払えないなら、それを補助するのが行政の役目である。市民を守る小さなこと一つが出来なくて、なにが市民を守る市長なのか。140年前に発明された電灯の一つさえも保守できない小川敏のIT化計画、ロボット化計画などお笑いである。どうせ保守費をケチッて稼働しなくなるのが目に見えている。(小田泰仙のコメント)

P1130260s 上写真の商店街の左半分(南側)の電灯が消えている。

 大垣駅前商店街の新大橋西側の南ブロック

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 奥の通りの電灯が消えている。

 大垣駅前商店街組合事務所の前の電灯も間引き点灯である。

 市民は暗くて怖ろしいので、歩く人がいない。これが大垣市中心地、17時の現状。

   2019‎年‎10‎月‎30‎日、‏‎17:05

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 大垣駅前商店街の新大橋の時計台

 時計面の照明が消えたまま。もう数年が経つ。

  2019年10月30日、17:02

 

 上図の写真で示されるように、大垣駅前商店街の中心地の一区画の商店が丸ごと、閉店して、アーケードの電灯が消えている。手前の区画の電灯は間引き点灯である。時計の電灯も数年前から消えたままである。暗い通りで犯罪も起きやすい。大垣市が商店街に代わって保守すべきである。大垣市は、街の防犯に責任がある。大垣共立銀行は、「郭町通り」を札束で名前だけ「OKB通り」に変えさせたが、こういうことにはカネは出さない。(小田泰仙のコメント)

 

大垣のなれの果て

 大垣市が2018年に公開した「大垣市未来ビジョン第一期計画」で、「未来創造戦略」の第一に「1 安心できるまちづくり」とある。現在は、大垣市の中心部の大垣駅前商店街の電灯が消え、犯罪多発である。大垣の顔である商店街の電灯一つにメンテの金を回さないドケチな小川敏市政に、その未来を語る資格などない。お笑いである。市民には悲しい笑いである。これが小川敏の唱える「安心できるまちづくり」の成れの果てである。裸の王様・バカ殿が居座る新御殿市庁舎だけは立派になり、庶民の街は日々寂れ行く。これが小川敏大垣市政18年の総血算である。(小田泰仙のコメント)

犯罪発生率

 大垣市の犯罪発生率は、県下ワースト6位である。児童一人当たりの教育費が大垣市より1.58倍も高い多治見市は、犯罪発生率が大垣市の2/3である。

 大垣市の人口一人当たりの犯罪発生率:1.688%、多治見市のそれは1.052%。

 小さな(癌を誘発する)火種が、癌細胞を増長し、10年後の大きな火種となる。「破れ窓理論」を小川敏の行政が実証している。

 大垣駅前商店街の81%が閉店したのも小川敏の悪政、無為無策の無能政治が原因である。だから大垣市の地価が半分に暴落した。大垣の顔が寂れた。児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。小川敏は大垣市の恥さらしである。市長は、市民の幸せをして、命を守ってこそ、その責任を果たす。(小田泰仙のコメント)

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 「大垣未来ビジョン」 p3 2018年発行

 一番目の「安心できるまちづくり」が大嘘

Dsc08045s  広報おおがき  2019年10月1日号 

 大垣新市庁舎の完成宣伝と「小さな火種」の啓示。

   因縁的な皮肉的な紙面構成である。

 

2019-10-31 久志能幾研究所通信 No.1385  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年10月30日 (水)

南雲吉則講座「命の食事」3   皮ごと食べる

食えん人間も皮ごと丸のみ

 私は南雲吉則先生の著書を数年前に読んでから、果物はなるべく皮ごと食べるようにしている。皮の部分に抗菌作用があるためである。健康に良いはずの果物でも皮を剥いて食すれば、それは単なる糖質の塊になってしまう。糖質は癌の大好物である。

 私は、リンゴ、ナシ、ブドウ、ミカン、柿、レモンは皮ごと食べる。キュウイ、レモンも皮ごと食べるが、輸入品は船便の倉庫で殺虫材を塗布されていて、それが付着した皮を食することになるので、輸入のキュウイやレモンは食べない。国産のキュウイ、レモンは皮ごと食べている。

 メロンとスイカだけは、皮を食べられない。今年、私は癌になり、メロンをお見舞いにもらって、その美味しさに病みつきになった。しかし、メロンこそ、中央部の糖質だけを食べるので、良くないことに気が付いた。まさかメロンの皮を食べるわけにはいかない。

 ミカンの皮は陳皮といって、漢方薬の原料である。皮と実の間の綿のような繊維質部も漢方薬の原料である。捨てるのはもったいない。

 今回の南雲吉則先生の講座で、40名ほどの受講生中で、「ナシを皮ごと食べている人は?」と質問があり、私だけが皮ごと食べている結果となった。それは私が南雲吉則先生の著書で、そのことを知って、それを実行していたため。

 

ジュースはダメ

 ジュースは皮を取り、果物の細胞を砕いて作るので、果物の糖分が露出していて、体内に取り込むと、糖質の吸収が早すぎて、血糖値を急激に上げる。またパックのジュースは防腐剤も入っている。またパックのジュース類は、一度、煮てあるので、生きた栄養素が無くなっている。塩分や口触りを良くするため砂糖も入っている。だから良い食べ物でないので、私は果物のジュース類は取らない。非効率でも果物は生でかじっている。私はジューサーを捨てた。

 

体積当たりの皮の量

 ミニトマトは、普通のトマトより、体積当たりの皮の体積が大きい。ブドウでも巨峰よりも小さなブドウの方が、皮の体積比率が大きい。そういう果物の食べるとよい。

 

元を断たなきゃ

 癌は早期発見、早期治療では治らない。癌にならないことが最優先である。そのためには、癌になる原因を取り除くことが、重要である。元を断たなきゃダメなのだ。果物の皮は、その元を防いでくれる。果物の皮を剥ぐと、果物は人間の細胞を襲う凶器になる。

 

食えん人間は面の皮が厚い

 人間長生きしようとするなら、人を食わねば長生きできない。そこに人生の抗菌物質が入っている。その中でも面の皮の厚い人間は、噛み応えがある。かまなくてもよい、彼らを丸飲みすればよい。人間社会で生きていく上で、彼らの多くの厚かましさを参考にすべきだ。それを真似するつもりもないが、それと付き合う智慧は身に着けるべきだ。あの神経なら鬱病になる事もなかろう。そうならない生き方を学ぶべきだ。

 人皆師である。ああなってはならないという教えである。食えん人間も、皮を剥けば、虚弱な人間である。虚勢で面の皮を厚くしていないと、彼らも生きていけいないのだ。可哀そうな人たちなのだ。

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 馬場恵峰書

 

2019-10-30 久志能幾研究所通信 No.1384  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月29日 (火)

終活 戒名 人生15分前の行動

 私は、日程表に基づいた行動で、電車でも1本前、2本前に乗り、会議でも15分前に集合、と早め早めの準備、行動を心がけている。

 2019年10月29日、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらう為、日帰りで長崎県大村市に出かけた。人生を80年間として、一生の行事の15分前とは、300日前に相当する。だから人生では1年単位で考えて、その準備をするのが最善である。死ぬ数年前に葬式を想定して、戒名を決め、先生に揮毫をしてもらい、それを墓誌に刻む。葬式の手配は、2月の手術前にすませた。お寺さんにお金も支払い済である。では、墓誌への戒名の記載は、いつやるのか、今でしょう。だから今日、九州に出かけて、戒名を揮毫して頂いた。

 

何時までもあると思うな、親とカネ

 先生も93歳である。何時までも揮毫をして頂けるわけではない。早め早めの行動が、安心を生む。故河村義子先生のように、死は突然なのだ。自分の死はある程度予測がつくが、親の死や、特に師の死は突然で、往々に茫然自失に陥る。いつまでも、あると思うな、親とカネである。

 

墓誌の書き方 

 先生は、今までの8名の戒名の後に、私の戒名を揮毫した。私が4年前に自家の墓を改健して、ご先祖の8名の菩提を弔った意味で、墓誌全体のバランスをとって、私の戒名は少し太い字で揮毫をしたという。単に戒名を書けば良いわけではないのだ。

 

元気をもらう

 93歳の恵峰先生に私の戒名の揮毫をしてもらい、深夜に自宅に帰着した。先生宅の滞在時間は3時間であった。当日は、朝5時50分に家を出て、23時の帰宅である。恵峰先生に戒名を書いてもらって元気になった。先生の元気な姿を見ていると、おちおち死んでなんかいられない。

 書家の師に戒名を揮毫してもらえるのもご縁である。稀有なご縁として有り難いことだと感謝している。

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 墓誌の戒名を揮毫中の馬場恵峰先生

 

2019-10-29 久志能幾研究所通信 No.1383  小田泰仙

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2019年10月28日 (月)

南雲吉則師講座「命の食事」2 若い女性のガン

若い女性癌患者は、男性の3倍

 日経の記事で「若いガン患者のうち女性が75%を占める」との記事が出ていた(2019年10月18日)。その原因に頭をひねっていたが、10月25日の南雲吉則先生の講座を聞いて、合点がいった。

 

原因推定

 私は、その原因を、女性は皆で甘い菓子を食べる頻度が多い為と推定した。精製した小麦粉と砂糖の塊のお菓子は、ガンの大好物なのだ。それに対して同年代の男性は、飲み屋でお酒の方を選ぶだろう。新聞はスポンサーに気兼ねをしてその原因を明言しない。私は、若い女性のガンに対する無知と新聞社の読者の健康より企業の利益優先の体質に癌の原因を見た。(小田泰仙のコメント)

 

私の事例

 私は甘党で、お酒は飲まないが、お饅頭は大好きであった。それが私の癌の遠因となったようだ。今では、その害毒を知ってから、月に1度か2度程度に限定してお饅頭を食べている。私のピアノの先生も甘い物は好きであったようだ。それも癌の遠因だろう。美味しいものには毒があるのだ。(小田泰仙のコメント)

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      日本経済新聞 2019年10月18日

 

2019-10-28 久志能幾研究所通信 No.1382  小田泰仙

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2019年10月27日 (日)

南雲吉則先生の講座「命の食事」1

がん死亡率を半減させる食事と生活検定

 

 2019年10月25日、南雲吉則先生の講座「命の食事」(2回コース)が、NHK文化センター岐阜教室で開催された。私は、今まで多くの医師とガン関係の図書に接してきたが、今回初めて、癌の本質とその治療方法を解説される医師に出会った。説明内容に論理性と説得力とあり、先生に付いていこうと決断した。今までも南雲先生の書籍の多くを読んでいて、私には内容は納得できて、理解している事項であった。しかし生で話を聞くと、そのインパクトは大きい。

 この講座では、南雲吉則著『命の食事』(主婦の友社 1300円)を元に解説された。

 

南雲吉則先生の使命

 乳がん死亡者数は、この30年間で3倍になった。私のピアノの先生も、10年前に乳がんになった。それが遠因で、別のガンを併発させ、結果として昨年末に亡くなられた。私もガンになり、年初に手術を受けた。人ごとではない。

 南雲先生は、乳がん専門医として、これからの30年間で、がん死亡率を下げるため、対策をして、その指導と啓蒙活動をするのを使命として、現在、全国を走り回っているという。 

 

日本人のガン

 日本人のガンは、この30年間で、3倍に増えた。今も増加中で、現在、2人に一人が癌になる時代である。あと数十年で、日本人の全員が癌になるとの予想がある。我々の世代で、それを食い止めないと、子孫が被害を受ける。

 癌の原因は、間違った食事と間違った生活習慣である。このままでは、日本人の全員が、癌になるか認知症になってしまう。南雲先生は、その対策をこの講座で、栄養学と統計学の面から解説する。

 

「狂った食事」(南雲先生の表現)

 癌になるのは、癌が喜ぶ「狂った食事」と「狂った生活」をしてきたからだ。

狂った食事とは、

 精製した糖質の食事

 悪い油を使った食事

 塩分過多の食材

 化学調味料を使った食事

 

狂った生活とは、

 タバコ、酒、ストレス過大の生活

 不規則な生活

 運動不足

 

ガンの遠因は太り過ぎ

 栄養素の肥満影響度

  タンパク質はいくら食べても太らない。

  糖質を摂ると太る。

  脂肪とタンパク質を摂ると痩せる。

  脂肪と糖質を一緒に摂ると、すごく太る。

   肉だけを食べても太らないが、肉とご飯を食べると、すごく太る。

   鰻とタレのかかった極旨のご飯を食べると、メチャメチャ太る。

   美味しいものには毒がある。

 

糖質は、肥満と糖尿病と動脈硬化の原因となる。  

糖質の第4の問題点は、癌の原因となる事。

 精製した糖質を摂ると、癌は成長する。逆に言うと、低糖質の食事をするとガンは成長できない。

 精製した糖質の「白物5品目」は絶対に摂らないこと。それは、白米、パン、麺、小麦粉と砂糖で作った菓子、ジャガイモである。

 

癌の原因は悪い油の摂り過ぎ

 サラダ油はオメガ6の油。台所にあるサラダ油は、すぐ捨てること。もったいないとの問題ではない。オメガ3の油を摂る。

塩、化学調味料もガンの原因

 スナック菓子には塩(グルタミン酸ナトリウム)が多量に入っている。それは依存症の源。だから止められない、止まらない!

 化学調味料も依存性があり、なかなかやめられない。だからラーメン店には行列が出来るが、蕎麦屋には行列はできにくい。ラーメンの汁は化学調味料の塊である。 

 

2019-10-27 久志能幾研究所通信 No.1381  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月26日 (土)

人生道、下山途中で一休み

茶屋で一休み

 霊山羽黒山の2,446段の石段を下山する途中に、一休みできる茶屋がある。道中の半分の位置で、「二の坂」上り口付近である。ついつい餅に目がくらんで、茶屋に入った。そこの茶席から、鶴岡市の平野が見渡せる絶景の場所である。私はそこで風景を見ながら休息して、餅と抹茶を食した。

 「杵つき力餅2個の抹茶セット」で600円、「杵つき力餅5個と抹茶セット」で850円であったが、山を下りてきてお腹がすいたので、杵餅5個セットを選択した。しかしそれは私には少々量が多すぎて、選択を間違えたようだ。食い意地に反省である。人生の下り坂では、食べる量(入力)は半分でよいのだ。何時までも若くないのだ。

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Dsc07872s_2 「二の坂」上り口付近

Dsc07842s   茶屋

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芭蕉翁三日月塚

 この茶店の直ぐ近くに松尾芭蕉の「芭蕉翁三日月塚」がある。芭蕉は、元禄2年(1689年)に、この場所を訪れ「涼しさや ほうの三日月 羽黒山」の句を詠んでいる。それに因んで命名された塚である。

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芭蕉翁三日月塚

 

何を残すのか

 長い人生で、山を下るとき、今まで歩いてきた行程を振り返り、一時、ゆっくりとお茶を食する余裕があっても良いものだ。今までの人生の振り返りもせず、一目散に目的地を目指すのは、味気がない。

 私の定年後2年目の2012年4月、学友・F君が死去した。享年63歳。癌の発病後4ヶ月で死去であった。彼は卒研仲間で、大手自動車に入社して、定年後の再雇用中であった。「そろそろ自分の時間が欲しい」との元気な姿の写真の入った年賀状を頂いた矢先のこと。「久しぶりに食事でもどう?」と家に電話をしたら、先日亡くなったと言われて絶句した。

 

脳が支配する時代

 私の同期24名中、退職時に在籍していたのは8名のみ。後は退職、転籍である。その他、部下でうつ病になったのが3名。精神異常が1名。周りの職場を見るとうつ病者は数知れず。私も退職前の一時期、陰湿ないじめでうつ病寸前になった。病院に行けばうつ病と診断されるのが明白であったので、関係の本を読み漁り自力で直した。

 日本の企業も、グローバル経済主義の影響で拝金主義が横行し、社員が不幸に陥ぅている現実がある。それを防ぐのが責任者の勤めである。しかし役員・部長は成果主義に染まり、部下や10年後の会社のことは眼中に無い。利己に染まった脳が支配する世界である。「仲間を助け、後世にDNAを伝承する」という魂を重んじた日本は、今はない。会社がおかしくなれば、日本国もおかしくなる。それが現代の日本の姿である。私はなんとかしたいと模索をしている。

 

霊山の言霊

 魂の声が聞こえるのが、霊山の雰囲気である。その地で、人生は、一歩一歩、その意味を考えながら歩みたいもの。目的地である「死」は決まっている。山路の終着地は麓であるが、それが旅の死である。どんな「旅」にも終りとしての「死」がある。会社であれば「定年」が死である。第二の人生にも、真の終りがある。それまでに、何を後世に残すのかである。享楽的に残り人生を下っても、虚しさだけが残る。脳は快楽を求めても魂は、それを求めていない。

 

認定書

 この場所で記帳をすると、「霊山羽黒山の2,446段の石段を踏破」の認定証を頂ける。無料であるが、そのお店に寄らないと、それを提供されないので、無料とはいいがたい。しかしこの二の坂を登ってもきても、下ってきても、認定書は頂ける。

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2019-10-26 久志能幾研究所通信 No.1380  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月25日 (金)

引き上げられた死体には手がなかった(改訂)

水没事故の凄惨状況、20年前と変わらず

「台風19号「車中死」が3割」

 上記表題の記事が、日本経済新聞の社会面に掲載されていた(2019年10月24日)。台風19号で、死亡が確認された84人のうち、3割(25人)が車で移動中の「車中死」とみられることが分かった。

 25人が、車を運転中に崩壊道路から川に転落したり、車が水没して水圧でドアが開けられず、車中で死亡した。

 私が20年前の危機管理として、対策した車内ハンマー装備の必要性を2017年にブログで公開したが、あまり認知されていないようなので、再度、このブログで啓蒙活動をする。

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日本経済新聞 2019年10月24日

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水没事故の凄惨さ

 2003年頃、ビスタ刈谷店の松本透課長(当時)から聞いた怖~いお話である。実話である。

 1992年頃、この課長さんの友人の知り合いが、知多の佐布里池に車ごと落ちる事故を起こした。事故を起こしたのは二十歳過ぎの男性で、若いガールブレンドも同乗していた。事故は昼間に起きて、それを目撃した仲間が助けようと水中に潜り、内部で窓ガラスを必死に叩いている2人を発見した。しかし水中のため車外からでもドアを開くことができず、結局、警察に助けを求めた。警察が車を引き上げた時は、すでに2人共死亡していた。恐ろしいことに、引き上げられた男性の手が無くなっていた。

 男性は車が水没してから脱出しようと、必死に窓ガラスを割るため、手の甲で叩き続けた結果、手の骨が全て砕けてしまい、結果として引き上げたときに手がないという凄惨な姿となった。

 

車の安全設計が仇

 最近の自動車の車内には、安全化設計と軽量化設計のため、ガラスを割ることができる部品は車内に存在しない。また事故を想定した強度設計の車のガラスが、人間の手で割れるわけがない。また水没の場合、水圧でドアは開かないし、電気も駄目になるので、パワーウイドウも開かない。悲惨である。

 2000年10月の愛知県下の記録的な水害時も、刈谷の主婦が自動車ごと用水に水没して、死亡したとの痛ましい事故が身近で起こっている。

 

ハンマー兼ハサミ搭載の必要性

 この種の事故の自己防衛手段として、車内搭載のハンマーが必要である。さらに車が横転した場合の脱出時には、このハンマーにハサミ機能が必要となる。横転して車が火災になった場合、車から脱出できないと、生きたまま焼かれることになる。

 

火災の危険性

 国土交通省の発表では、平成25 年に発生した車両火災事故件数は1,220 件、前年の平成24 年は1,099 件で、毎年1,000 件以上の車両火災事故が継続して発生している。冒頭に話は30年程前の話であるが、状況が変わっているわけではない。むしろ電気自動車・ハイブリット車の普及、電子機器の増加に伴うバッテリーの高容量化で、車両火災の危険性は増している。

 

水没の危険性

 車は水没に弱く、車がドア下面から30cmも水没すると、脱出の緊急性が増す。それが60cmになると、ほぼ脱出は困難になる。車輪が浮いた状態では、更に状況が悪くなる。(JAFの調査)

 

車の横転時の危険

 私は車の横転時に、車内からシートベルトを外して脱出する難しさを検証したビデオを見た。車は横からぶつけられると簡単に横転する。

 最近、電気系統の配線が多くなった車には、火災事故が多いという。横転した場合は、自分の体重のためシートベルトが体に食い込み、簡単にシートベルトのロックが外せない状況が実験で分かってきた。その場合は、シートベルトを切って脱出するしか方法がない。いくら自分で運転に気をつけても、信号無視の車に横からぶつけられると、簡単に車は横転する。側面からぶつけられると、ドアが開かなくなり、火災になれば悲惨である

 それで、1998年からこのハンマー兼ハサミを自車に装備した。

 

危機管理として対応

 私は松本さんの話を聞いて、すぐ車にハンマーを乗せた。ただし乗せただけで、固定をしていないと駄目である。この種の事故の場合は車の姿勢がどうなっているか保証の限りでなく、その非常時にハンマーがどこかに飛んで行っていて、それに手が届く保証は全くない。これは運転席近くにキチンと固定すべきだ。

 人によってはカナヅチやナイフをこの目的で装備している人もいるが、車のガラスを割るのに、普通のカナヅチでは芳しくない。なにせ車のガラスは、事故を想定した強化ガラスである。少々の衝撃では割れず、単にヒビが入るだけである。ガラスを割る機能として、ハンマーの先端は90度の鋭角さが必要である。

 最近のニュースで、異常者が石で被害者のフロントガラスを割ろうとするドライブレコーダーの映像が流れた。その映像では、フロントガラスにヒビが入るだけで、割れなかった。もしこれが、先端の尖ったハンマーで叩くなら、フロントガラスは、粉々になるはずである。そのように車のガラスが設計されている。

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     車搭載のハンマーの形状

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保安部品として

 カーパーツショップに行くと、いろんな種類のハンマー製品が売られているが、これは保安部品と考えて、純正品が勧められる。サイドパーティーの部品でも値段の差は、車の価格、己の命の値段から見れば微々たるもの。私の購入したトヨタ純正部品で、定価3,800円(当時)。

 

人生の危機管理

 幸福はお金で買えないが、不幸は少々のお金と決断で避けることができる。お金があってもそれに投資をするとの決断がないと、不幸は避けられない。わずか2,3千円のことだ。これはお金の問題でなく、考え方と決断の問題である。保険としてこのハンマーを使わずに、その役目を終えることほど幸せなことはない。これが危機管理の鉄則である。またこのハンマーは他車の事故の救援にも使える。事故はどんな場合も悲惨である。2000年に車を更新した時、このハンマーを外して、新しい車にそのまま付け直した。これは一生ものだ。2019年の今も、このハンマーは現役である。

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 自車に搭載したハンマー

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 松本店長さんの話では、現在でもこのハンマーの存在を知っている人は稀で、あまり装備をしていないという。それは2003年当時の話しであったが、現在でもそれは変わっていない。

 車のカタログにも、このハンマーの記載は隅に小さく載せてあるだけとか。本来なら標準装備にすべき保安部品である。

 自動車会社に対して、「ハンマーを標準装備にするべき」と声を大にして言いたい。また、車を買う時、このハンマーを勧めてくれないようなディーラーからは、車を買うべきではない、と言いたい。

 

自分の身は、自分で守れ。

 トヨタ自動車「中興の祖」石田退三氏曰く「自分の城は自分で守れ」。

 

2019-10-25 久志能幾研究所通信 №1379   小田泰仙

初稿 2017年6月23日

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

旅の峠・人生の峠 死出の旅

松尾芭蕉の旅

 松尾芭蕉の「奥の細道」の旅は、芭蕉が最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で、旅の峠を迎えた。芭蕉は山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂まで8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て、頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。

 奥の細道は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。1994年、芭蕉三百年恩忌で「奥の細道全集」を書かれた馬場先生も、この峠を境に、巻を分けて構成された。

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 馬場恵峰先生と「奥の細道全集」上下巻 2011‎年‎9‎月‎14‎日

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039a31731s_2  馬場恵峰書 「奥の細道」全集

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私の「奥の細道」紀行

 小さな私的な人生でもドラマがあり、人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で11名にも及ぶ。還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。

 私は大垣に帰郷した2010年9月から毎日、「四季の路」を雨の日も雪の日も歩き続け、16カ月後の2011年末に累計で2,400kmを歩いた。芭蕉が東京深川から大垣までの道中とほぼ同じ距離である。別に意識をしたわけではない。ただ毎日、5kmを継続して歩いた。芭蕉は160日をかけて「奥の細道」を歩き、私は500日弱をかけて2,400kmを歩いた。その後も数年間は、「朝の旅」で歩き続けていた。

     

人生の下り坂

 その後、私は大病をして、人生の峠を迎えた。今、人生の峠を越え、山を下る道を歩いている。今回、思いついて、羽黒山に詣でた。2019年10月24日、羽黒山の山頂までバスで行き、三神合祭殿を参拝してから麓の随山門まで、2446段の石段を歩いて下りてきた。距離にして1700メータ、2時間の下山路であった。

 三神合祭殿は月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿である。ここに参ると3つの山に参拝したと同じご利益があるという。

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 羽黒山 山頂の三神合祭殿  2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎11:55

 

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 羽黒山 ニの坂  合計2,446の石段が続く。私は、この道を下った。

   2019年10月24日‏‎、13:25

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山道の途中の全部の神社に参拝

 羽黒山の山道には、山頂の「三神合祭殿」から麓の「門前の宮」、「随神門」まで、大小合わせて21社ほどの神殿、祠、社がある。その全ての神仏に寄って、生かされていることへのお礼を述べて手を合わせた。このため、全行程で2時間も時間がかかった。当日の朝にホテルを出る前は、斎戒沐浴としてお風呂に入り、冷水を浴びて身を清めて現地に向かった。

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 葉山衹神社   2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎13:28

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 麓の随神門   2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎14:06

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下山の難しさ

 人生登山では、登るより、下るのが難しいし、体力と気力、知性がいることを実感した。上りは体力に任せて皆と一緒に、一気に登れる。しかし下るには、足元を注意して慎重に下りないと、石段を踏み外す。下るときは、登るときほど、体力がないのだ。私が下る最中で出会った登りの若い人が、上まで行き、その後の下りの行程で、私を追い抜いて行った。その若い人が、山を下る方が膝にきて辛いと言っていた。

 羽黒山の下山では、足場の幅狭い石段で、時には足を横に向けないと石段を踏み外す。その危険性は上る時よりも大きい。それで登るよりも多くの時間を要した。下山の終了寸前で、膝がガクガクになってしまった。

 

智慧

 登山は、上るより下る方が大変であるとは、知識として知っていた。今回、下山のつもりではなく、山頂より少し降りて、そこで写真を撮ってから戻る予定で山頂を出発した。ところが勢いで、そのまま下山してしまった。引き返せない所で、この件に気が付いたが既に引き返すには遅かったのが実情である。実際に痛い目をあって身に付くのが智慧である。今回、これを体得した。

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   馬場恵峰書 2017年仲夏

 

下山で命を落とす

 私の会社時代の仲間の多くが、今までの人生の登り調子で還暦後を過ごして命を落とした。体が変わっているのに、今までの山に登る調子で、山を下りて、人生の遭難をしたのだ。

 私ももうじき70である。病み上がりでもあるし、それを意識して、慎重に山を下りた。ガイドブックでは羽黒山の石段は、2446段で、1,700メータの距離、必用時間は60分とある。途中で全社に参拝したためもあるが、私は下山に3時間弱も要した。

 今回の旅は、新潟に前泊して、山形県の鶴岡駅前を2019年10月24日10:42発のバスに乗り、羽黒山山頂駅に11:35に着き、そこから下山して、麓の随神門駅から14:35発のバスに乗り、鶴岡駅前に15:08に着いた。当日の深夜23時、自宅にたどり着いて、今回の羽黒山への参拝PJを終えた。

 

松尾芭蕉は死に装束で登頂

 松尾芭蕉も「奥の細道」の紀行で、この山を登り下りた。時に45歳である。頭を白木綿の宝冠で包み浄衣(死に装束)に着替えての登頂である。芭蕉は「奥の細道」の紀行を大垣で結び、その後、伊勢神宮の式年遷宮に参拝して、5年後に伊賀で亡くなっている。享年50歳。松尾芭蕉は、人生の覚悟の旅として「奥の細道」を歩いた。当時は、人生50年の時代である。45歳と言えば、今では70歳くらいだろう。自分の齢に重ねて、人生を思う。

Dsc07785s ‎  羽黒山の三神合祭殿境内にある松尾芭蕉の像

  2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎11:48

2019-10-25 久志能幾研究所通信No.1378  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年10月24日 (木)

手帳のリストラ

書庫で身辺整理として、保存してある過去の手帳を見直したら、その分量の多さに閉口した。その多くは、日程部以外のメモ帳部の大部分が白紙なのだ。過去30年間分ほど、実に無駄なことと反省した。持ち運びもかさ張るし、無駄な白紙を持て余していた。

手帳で必要な機能は、見開きで2頁の毎月の予定部で、それが1年間分だけあればよい。それに一年のカレンダーと数頁の白紙部だけで、24頁、2頁、10頁で計20枚程もあればそれですんでしまう。

手帳は行動の司令塔である。その司令塔が肥満では、行動が鈍る。それで薄い形式の手帳を探したら、最適の手帳がみつかり、それに切り替えた。価格は800円。今までの普通の手帳よりも500円も安い。薄いので、持ち運びも、手帳の保存のスペースも節約できる。

年初に医師から余命2年を宣告されたが、2020年中は生きている予定として、先日、2020年度の手帳を購入した。

 

VA効果

希望として後、38年間生きると仮定して、捕らぬ狸の皮算用計算をすると、年間500円節約で、

500円×38年=19,000円の節約である。

手帳が薄いので、探すページにアクセスするにも、時間が節約できる。一日4回、手帳を捲ると仮定して、一回5秒節約できるとすると、

5秒×4回×365日×38年÷60秒×100円=462,333円の節約である。

100円は一分間のトヨタ生産方式での時間レートである。時間は命なのだ。

 

残り時間を意識

今まで使いもしない機能満載の手帳を、考えもせず、メーカの都合で使っていた。今後は、自分の意思を明確にして、身近な機器・備品を選定していきたい。人生の残り時間を意識すると、手帳が変わる。

 

2019-10-24  久志能幾研究所通信No.1377  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月23日 (水)

おいらは朝寝、朝酒、朝湯が大好きだ♪

朝寝

 私は朝寝が大好きではあるが、加齢現象で朝早く目が覚めて、何時までもベッドにいられない。やることが頭に浮かんで、ベッドから起きてしまう。それでも六時間は熟睡出来て、深夜に一度もトイレに起きないので幸せである。

睡眠を削ると病気になる。現在は、昼寝も欠かさない。宮仕えの時代は、睡眠時間を削って働いていた。その咎が10年後、ガンの罹患となって帰ってきた。体はそのことを覚えていて、10年後に復讐する。全て己が己の体をいじめたためである。誰のせいでもない。

 

朝酒

 朝酒は、欠かさない。私は糖分ゼロ%のヨーグルトに、甘酒30ccを入れて食べている。血管内のプラーク付着防止のため、かかり付けの医師の指示である。

 アルコールは少量でも、発がん物質である。私は完全禁酒している。

 糖分も発がん性物質である。だから甘酒も30ccに制限している。お饅頭も栗きんとんも禁止である。美味しいものには毒がある。

 

朝湯

 私は毎朝、お風呂に入るのを欠かさない。夏と秋冬は週に34度の頻度で、夜もお風呂に入る。冬は朝晩のお風呂である。

 その後、水シャワーを頭から浴びて、皮膚を鍛えている。

冷えは万病の原因となる。シャワーは使わず、体を温めるため、必ず、お風呂に肩まで浸かる。時間も10分以上は浸かる。癌のかかり付けの医師の指示では、15分以上、お風呂に入ることを推奨されているが、朝晩2回入浴するので10分間としている。

癌は体が冷えると増殖しやすい。体が冷えると免疫力も低下する。体温が上がると免疫力が向上する。例えば結核患者は、熱を持っているので、癌にならないという。

私は起床時、必ず、体温を測り、記録している。低体温体質は、癌になりやすい。食事にも気を付けて、体が温まる食材を選んでいる。体を冷やす食材は禁止である。

 

健康

小原庄助さんは、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、身上をつぶしたというが、楽天的な生活で、ガンにはならなかったのだろう。幸いなことに、私は身上をつぶしていない。活動的な社会活動は、健康でないとできない。死んでもいいが、健康を維持しないと生きていけない。健康でないと、単に生き永らえるだけになってしまう。

 

2019-10-23 久志能幾研究所通信No.1376  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。