人生道、下山途中で一休み
茶屋で一休み
霊山羽黒山の2,446段の石段を下山する途中に、一休みできる茶屋がある。道中の半分の位置で、「二の坂」上り口付近である。ついつい餅に目がくらんで、茶屋に入った。そこの茶席から、鶴岡市の平野が見渡せる絶景の場所である。私はそこで風景を見ながら休息して、餅と抹茶を食した。
「杵つき力餅2個の抹茶セット」で600円、「杵つき力餅5個と抹茶セット」で850円であったが、山を下りてきてお腹がすいたので、杵餅5個セットを選択した。しかしそれは私には少々量が多すぎて、選択を間違えたようだ。食い意地に反省である。人生の下り坂では、食べる量(入力)は半分でよいのだ。何時までも若くないのだ。
芭蕉翁三日月塚
この茶店の直ぐ近くに松尾芭蕉の「芭蕉翁三日月塚」がある。芭蕉は、元禄2年(1689年)に、この場所を訪れ「涼しさや ほうの三日月 羽黒山」の句を詠んでいる。それに因んで命名された塚である。
芭蕉翁三日月塚
何を残すのか
長い人生で、山を下るとき、今まで歩いてきた行程を振り返り、一時、ゆっくりとお茶を食する余裕があっても良いものだ。今までの人生の振り返りもせず、一目散に目的地を目指すのは、味気がない。
私の定年後2年目の2012年4月、学友・F君が死去した。享年63歳。癌の発病後4ヶ月で死去であった。彼は卒研仲間で、大手自動車に入社して、定年後の再雇用中であった。「そろそろ自分の時間が欲しい」との元気な姿の写真の入った年賀状を頂いた矢先のこと。「久しぶりに食事でもどう?」と家に電話をしたら、先日亡くなったと言われて絶句した。
脳が支配する時代
私の同期24名中、退職時に在籍していたのは8名のみ。後は退職、転籍である。その他、部下でうつ病になったのが3名。精神異常が1名。周りの職場を見るとうつ病者は数知れず。私も退職前の一時期、陰湿ないじめでうつ病寸前になった。病院に行けばうつ病と診断されるのが明白であったので、関係の本を読み漁り自力で直した。
日本の企業も、グローバル経済主義の影響で拝金主義が横行し、社員が不幸に陥ぅている現実がある。それを防ぐのが責任者の勤めである。しかし役員・部長は成果主義に染まり、部下や10年後の会社のことは眼中に無い。利己に染まった脳が支配する世界である。「仲間を助け、後世にDNAを伝承する」という魂を重んじた日本は、今はない。会社がおかしくなれば、日本国もおかしくなる。それが現代の日本の姿である。私はなんとかしたいと模索をしている。
霊山の言霊
魂の声が聞こえるのが、霊山の雰囲気である。その地で、人生は、一歩一歩、その意味を考えながら歩みたいもの。目的地である「死」は決まっている。山路の終着地は麓であるが、それが旅の死である。どんな「旅」にも終りとしての「死」がある。会社であれば「定年」が死である。第二の人生にも、真の終りがある。それまでに、何を後世に残すのかである。享楽的に残り人生を下っても、虚しさだけが残る。脳は快楽を求めても魂は、それを求めていない。
認定書
この場所で記帳をすると、「霊山羽黒山の2,446段の石段を踏破」の認定証を頂ける。無料であるが、そのお店に寄らないと、それを提供されないので、無料とはいいがたい。しかしこの二の坂を登ってもきても、下ってきても、認定書は頂ける。
2019-10-26 久志能幾研究所通信 No.1380 小田泰仙
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