c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2019年8月23日 (金)

「自己チェックリスト」という仏様(2/5)

自己チェックリスト       1999.07.31

---変化---

分からなくても,とにかく前進しているか?

幸福は行動することによってもたらされる。

  行動しなければ何も生まれない。

潜在意識にひらめいたことは、直ちに実行せよ

不二の法門  考えるネタが無くなるまで考えています。

       ⇨ 色即是空・無念夢想

  万策が尽きるとも最低あと3案は用意せよ。

  仕方なしの諦めでは進展なし。

  投了は最後の最後迄粘ってから。それが次のステップに生きる。

  失敗しても最後まで踏みとどまる努力をしたか

  「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴がでる。

       いいかげんだと言い訳ばかり。」*5 

      自分の中にある可能性を最大限に信じよ

  愚痴、言い訳、ぼやき・悲観的言葉・落胆態度とは、次の手を封じるお呪い!

   ⇨ 現在は過去の因果因縁の積分値。他人の責任ではない。

すべて自分のまいた種。

  変化をさせたか、したか、新挑戦をしたか?

  人は変化を通して成長する。

   ⇨ 1日1項の変化。1日0.1歩でもいいから前進を。

  一ヵ月後に、上司へ自分の改善内容を説明できるか?

  課内の人不足、能力不足は禁句 

   ⇨  育てよ、不足でも始めてしまえ

  部下が働きやすい環境を作り、改善しています。

「一期一会」 出会いの種を蒔いています。

  出会いのチャンスは自分で作っています。

  今を最大限に生きる。それには自分自身の充実しかない。

管理者であるよりも、指導者として活動しています

  まず、自分の結論を出すこと。

  自己の価値観と自分で決断を。

  決断を人に任せれば、その人間に支配される。

  自分が主体となって,仕事を考えているか。

  他に流されていないか?

  一つ上のレベルの立場で仕事を?

  実務は課長まで,部長以上は別の仕事を

  決断・判断・職務を上司・部下に押しつけないこと。

  自分の職位での職務とは?

  人の目を気にしすぎ,気にしなさすぎはなかったか? 

  時には、鬼神をも恐ぬ決断を。

小さな変化を見逃しまいません。

 小さな変化に大きな問題が潜んでいる。

2番では駄目、何が何でも1番を目指しています。

一流では駄目、超一流*3を目指したか?     

  1番でなければ、この世では使い捨てにされる。

  同じ程度の能力者は掃いて捨てるほどいる。

目で見える状態に管理しているか?  

  測定できないものは管理できない。

常に困難な道を選べたか?  

  挑戦する意欲が人を大きくする

  安易な選択が障害を招く

何時,何処へ飛ばされてもいいように身辺整理を

  (机上,身の回り,引き出し)

  煩雑は凶を呼ぶ

他人との比較でなく、絶対価値との比較で考える

  比較するなら身近な回りとではなく、もっと広い世界との比較を

目標値の達成や資格を取得しても、それを継続

  勝って兜の紐を締めよ。それは途中の一通過点でしかない。

出来なかったことと、やらなかったことを混同していないか?

今の仕事が将来への布石になっているか?

 

2019-08-23   久志能幾研究所通信No.1311  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「自己チェックリスト」という仏様(1/5)

 約20年前、私が中間管理職の時代は、あちこち頭をぶつけ、叩かれ、何度も落ち込んで、忸怩たる思いに突き落とされた。あるプロジェクトの孤軍奮闘で、錦の御旗を掲げて、猪突猛進しても、ふと後ろを振り返ると、誰も付いてきていないことを発見して、何度泣いたことやら。

 その時、自分で自分の行動のチェクリストを作り、PDCAを回して、匍匐前進をして、敵の弾に当たらないように、地雷を踏まないように慎重に進んだ。中間管理職でも上になると、誰も助言をくれない。グローバル経済主義社会では、人の失敗は喜びなのだ。上司も自分のことが精いっぱいで、助けてくれない。団塊世代の私の代わりは、掃いて捨てる程、沢山いる。だから自分で自分を律するしかない。職位が上になるほど、風当たりが強くなるのは、自然の理である。

 

小川敏市長の無能経営

 小川敏市長は、そんなことはお構いなく、ノー天気に市政を「経営」しているようだ。羨ましい限りである。やりたい放題の18年間の市政で、結果として大垣市は衰退した。

 小川敏市長は、自分は頭がいいと思っているので、人の意見は聞かないし、自己チェックなどしないだろう。取り巻きは、ヒラメばかりのようで誰も諫言しない。骨のある人材は、左遷させた。だから有能なブレーンがいない。前小倉満市長と大違いである。これでは大垣が衰退するのも故あること。まるで韓国の文在寅大統領のようである。文在寅大統領は毒饅頭の「反日運動」を食べ、小川敏市長は毒入りギネス水饅頭を食べた。それで毒が回り、本人は幸せ、回りや大垣市民は不幸せである。

 小川敏市長は、ドケチに徹して、小銭を稼いで大金を失っている。未来の大垣を失っている。小川敏市長は、人・モノ・金・情報を活用せず、予算をケチり、シルバー人材を首にして、大垣市役所職員を正規の業務以外にこき使い、園児達を金儲けのため炎天下で躍らせている。この18年間で約8,800人の小売商従業員の職を奪った。市民の不動産財産価値を半分に目減りさせた。大垣市民を不幸せにしている。それでいて無駄な宴会や祭り、派手な意味なきIT事業に無駄金を使っている。

 

人生経営とは

 皆さんも部下のある身なら、自己チェックリストを自作して、自分の人生経営することをお勧めする。最大の部下は己自身である。経営とは、自分の持てる経営資源(人モノ金時間)を、自分株式会社の社長として最大限に活用することである。特に人を活かすことが経営の要点である。その目的は、己を幸せにして、生き甲斐を創出することにある。

P1040034s

 馬場恵峰書

Dsc04554s

 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」

 

 次項(2/5~5/5)は、私の20年前の自己チェックリストである。今も活用中である。これは私の仏様、私を戒めてくれる魂(オニ)である。ご参考。

 

2019-08-23   久志能幾研究所通信No.1310  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月22日 (木)

AI時代に使う武器「5つの汗」

 人がかく汗には「体の汗」、「知識の汗」、「智慧の汗」、「心の汗」、「魂の汗」の5つがある。体の汗の仕事は、機械に取って変わられる。知識の汗の仕事は、コンピュータに置き換えられる。智慧と心と魂の汗をかく仕事が、人間の仕事である。心の汗の無い仕事は、付加価値のない仕事である。魂の汗のない仕事は、AIの機械に置き換えられる。それらの仕事に携わっていると失業する。

 

体の汗

 動いて「体の汗」をかいて仕事をするのは当たり前。なにせお客様からお金を頂いているのだから。汗をかかなければ月給泥棒である。人として汗をかいて体を動かさなければ、病気になる。なるべく楽をして、人を騙してでも金儲けしようとするから、世の中が荒んでくる。それが欧米のグローバル経済主義の本質である。

 

知識の汗

 先人が成し遂げた知識を学ぶことに汗をかきたい。そうすれば、先人の失敗の轍を踏まないですむ。先人の苦労の上に積み重ねて、より大きな成果が出せる。

 

智慧の汗

 それでもう少し「智慧の汗」をかいて仕事をすると、体力のいる作業が減り、仕事が効率的になり、より高品位な商品をお客さまに提供できる。智慧の汗をかかなければ、それは仕事ではなく、低賃金、低付加価値のルーチン作業である。それでは新しい付加価値は作れない。

 

心の汗

 その仕事に「心の汗」を付加すると、お客さまに感動を伝える仕事(商品)ができる。その汗とは、その仕事に対する思いと誠意から滲み出るものだ。どんな仕事でも、作る商品は後工程に対するサービスである。お客さまが感動しない商品を売っていては、競争の激しい時代、いつかは淘汰される。それは企業でも、役所でも、組織(含む家庭)でも、個人にもあてはまる冷酷な事実である。そうなると不幸になるのは会社、組織、個人、最後は家族が不幸になるのです。その責任は汗をかかなかった当人にある。心の汗をかくのにお金は不要である。

 

魂の汗

 その仕事は世のためになるのか。ご先祖が喜ぶのか。魂に問いかけたい。良いことなら、断じて行えば鬼神も退く。己は鬼が睨みつける刃のような視線に堪えられるか、自問したい、それだけ気迫で魂の汗をかけば、何事も成就できる。それがたとえ冷や汗でも、世のためになれば、良しとしたい。いくら成果が出ても、世のためにならないことでは、やったことにならない。

Dsc03540s

Dsc04282s

 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」、馬場恵峰書「不動心」

 

汗をかかない弊害

 今、マスコミを賑わしているリストラ、倒産事件や不詳事は、すべてこの5つの汗をかかなかったためである。汗をかかなかった人は、社会や人に責任転嫁する。そして、自分はかわいそうな存在ですと同情をもらうのだ。なにせ人に責任転嫁するのは楽なのだ。しかし、それは被害者の人生である。原因を自分に求めないと事態は解決しない。

 

小川敏市長は「無汗の王」

 大垣市が衰退した原因は、小川敏市長がこの5つの汗をかかなかったため。彼がやった施策は、無為無策で汗の匂いがない。やることが自己顕示欲の塊のようなことばかり。だから後工程の大垣市民は喜ばない。小川敏市長の政策は、市民税を無駄遣いし、市民の財産を目減させ、業者だけを喜ばせた。大垣市民は、小川敏市長の強行した行事には呆れはしても、感動はしない。だから大垣市は地価が半分以下になった。

 小川敏市長の18年間にわたる無為無策で商店街が衰退した。市長就任時の2001年には、大垣市内で小売商店従業員(22,000人)が働いていたのに、2018年にはその約40%(約8,800人・回帰分析の推定値)が職を追われ、消えた。いわば大垣市のイビデン工業(単独3,525人)、太平洋工業(単独1,820人,グループ4,390人)が倒産して、その従業員が路頭に迷ったと同じなのだ。

 大垣経済は、そんな非常事態なのに、小川敏市長は、市政100周年記念行事の宴に酔い痴れ市民税3億4千万円の金をばらまいた。毒入り水饅頭の盃で乾杯(完敗?)である。市民税を浪費しても会計報告をしなくてマル秘にできるので、やりたい放題である。大垣市議会の一般質問でも、議員はヨイショの質疑ばかりである。地方紙も追求せず、黙認である。大垣市が寂れて当然である。

 

2019-08-22   久志能幾研究所通信No.1306  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月19日 (月)

108の夢 №3「10億円を稼ぐ能力を作る」

 最近、「死ぬまでにやりたい108の夢」の第三番目に「10億円を稼ぐ能力を作る」を追加した。

 なにも10億円を稼ぐとは言っていない。「稼ぐ能力を作る」である。その能力を作れば、自分の夢を語り、それに共感してもらい、その賛同者を得て、お金持ちの財力を借りることが出来る。そうすれば、10億円のプロジェクトも実現できるという理論である。

 その金を世のために使い、悪いことに使うのでなければ、お金は何とかなるものだ。それが自分の命を長くする糧となる。夢は棒ほど願って針ほど叶う。夢は大きく見るものだ。人は一生かけて、実現できないほどの大きな夢を持ち、それに向かって努力するのがよい。

 

皆で夢を叶える

 やりたいことを全て自分でやろうとするから時間がなくなる。人にやってもらえばよい。自分が生きている間に完成できなくても、後進に後の仕事を託して、自分の死後に完成でもヨシとして、プロジェクトを始めてしまえばよい。他人の金を当てにすればよい。それが世のためになるなら、実現するはずだ。天国からその出来栄えを観るのも楽しいもの。

 そのためなら、踏み倒すのも楽しいもの(?)。大丈夫、相手も保険に入っている(?)。誰も損はしない。飲み食いや利己の為に金を使うわけではない。後は野となれ山となれ。

 

命の値段

 ナポレオンと大石内蔵助と何方が多く稼いだかの問題がある。正解は大石内蔵助である。ナポレオンは敗戦後、セントヘレナに流され、そこで死んだが、誰も彼と死を共にしなかった。昼行灯と呼ばれた大石内蔵助は、同じ志の仲間の47士の命を預かり、吉良屋敷に討ち入り後、本懐を遂げて、死を共にした。つまり人の命、最低1億円の価値がある財産を預かったのだ。47億円を稼いだといえる。それは同じ志を共感したためである。人こそが、1のものを2にも10にもできる力を持つ存在なのだ。

Img_43532s

   馬場恵峰書画

 

2019-08-19   久志能幾研究所通信No.1301  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月16日 (金)

第三の眼を開く

 素晴らしい人生はないかもしれないが、すばらしく楽しむ生き方はある。

 毎日丁寧に生きれば、価値ある人生が生まれる。書道でも、今から頑張っても、うまい字は書けないが、丁寧に書法に則って字を書けば、下手でも読んでもらえる字が書ける。雑に書いた字は、誰も読んでくれない。馬場恵峰先生の教えである。

 雑にこなした人生では、素晴らしい人生は作れない。誰も振り返らない。私は、雑に生きている人とは縁を切っている。そういう人はご縁を大事にしないのだ。感謝をしないのだ。恩を仇で返す人なのだ。

4k8a02491s

 馬場恵峰書

 

死との闘い

 還暦を過ぎれば、毎日が死との闘いである。特に癌の手術を受け、余命宣告を受けるとなおさらである。既に会社で一緒に仕事をした仲間24人が、この世を去った。ビジネス戦争の戦死である。朝、生きて目が覚めるだけ、幸せである。それを感謝もせず起きるのは、恩知らずである。私は毎日、目が覚めると、体調が悪いか最悪の状態である。それでも目が覚めるだけ、幸せなのだ。目の覚めない仲間に較べれば。だから毎朝、仏壇に手を合わせ、お勤めをする。

 

 その最悪の状態で己は何ができるのか、己の心に刃を向けて考えることが、「忍」である。今日よりは、明日、何か自分を向上させるため、心に刃を向けて精進をしたい。それが人間の勤めである。人は畜生ではないのだ。その点で、無欲ではなく、貪欲になりたい。

P1050659s

 馬場恵峰書

 

「市民のために」やることは間違い

 己は世の支配者ではない。己の支配者は己でない。己の支配者は世間である。己は世間から生かされている儚い存在である。己の立場で、己の為にやるから、人生はうまくいかない。世の為、佛の為に、何をやれば喜ばれるかを考えて、世のために事をやるべきである。今まで生かしてもらった人生の恩返しをすべきである。やったことは自分に帰ってくる。

 大餓鬼市長のように、「市民のために」ことを興すから愚政となる。それは実際には、己の利害の為に、目立つ為にやるだけで、市民の為にはならないのだ。リーダーは、やりたいことをやってはならない。リーダーとしてやるべきことをやらねば駄目なのだ。大餓鬼市長は、やるべきことをやらずに、愚政を18年間も続けるから、統治を任された市が衰退した。市民の立場に立って、市民の為になる行政をしなければダメなのだ。

 大餓鬼市長は、やってはいけないことを教えてくれた逆縁の仏様である。人として、そうしてはならないことを教えてくれた。知識があっても知恵がないとダメなのだ。

 自分の為にことを興すからうまくいかない。相手の立場になって、何をやるべきかを考えると、額の真ん中にある心眼(第三の目)が開く。それが文殊菩薩の智慧の眼である。それで世間が求める願いが観えるようになる。

Dsc06574s

 文殊菩薩  大仏師松本明慶作

 

2019-08-16   久志能幾研究所通信No.1298  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月12日 (月)

未来計画-4 人生を変える

 自分の人生・運命を変えたかったら、人、モノ、カネ、時間、情報、場、方法の全てを変えればよい。惰性で流されてきた人生を変えるには、7つ要素を全て変えればよい。5W2Hの問題である。

 サムソン電子は、李健熙が「女房と子供以外すべて変えろ!」と号令を出し、DRAM市場で東芝を抜いてついにシェア世界1位となった。しかしそれは変えてはいけない倫理観・道徳観まで偏向させてしまって、できたことである。

 変えるべきものと変えてはいけないものを見極めて、人生を変えよう。 

1.人

 付き合う人を変える。人は朱に交われば赤くなる。悪い縁に染まると、運命が暗くなる。悪縁の人間とは付き合わないこと。人は悪縁の中を歩いている。一歩間違えれば、地獄へ転落である。一夜明けたら、大成功してたという話はない。毎日毎日、悪縁の道に迷い込まないように慎重に正道を進む。孟母三遷の教えは、今も生きている。私も多くの悪縁を切ってきて、今の自分がある。良いご縁が自分の人生を開花させる。縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ。

 

Img_44132s

2.もの

 モノを買うとは、自分を買う事。人は自分に見合ったものしか買わない。商売人は、その人を値踏みして、その人に合ったものしか勧めない。安いものを買ってくるとは、自分をディスカウントして、自分の価値を下げることになる。少し背伸びをしてでも、高いモノを買うこと。

 私もモノを買う場合は、一番高いモノを買うことを心がけている。その方が長い目で見てお得なのだ。迷って時間を無駄にしては、高いモノにつく。良いモノを長く使う。そのために日頃節約して、無駄金を使わず金を貯めている。

 

3.カネ

 カネの使い方が、人生を変える。何に金を使ったかを見直そう。金で時間も買えるのだ。カネをきれいに使えば、お金がお友達を連れて帰ってきてくれる。お金も水も、流れないと腐る。あの世にはお金をもって行けない。

 

4.時間

 人生は寿命80歳として3万日しかない。60歳ならあと1万日しかない。時間をどう使うかが、人生の分かれ道である。人が一生の間に使える時間が「命」である。有限の資源である。今、自分が何に時間を取られているか分析しよう。

 

5.情報

 情報とは情けの報せ。諫言を大事にしよう。己の事を一番知っているのは、師であり、批判者である。

 

Img_63981s

6.場

 天の理、地の理を生かすべく、場を大事にしよう。風水も理にあった教えである。住む場所、働く場所、行きつけの場所を変えよう。

 

7.方法

 人、モノ、カネ、時間、情報、場という資源をどのように使うかで成果が違う。一番効率的な方法を選ぶべきだ。

P1020304s   馬場恵峰書

2019-08-12   久志能幾研究所通信No.1293 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月 6日 (火)

生きよう、今日も喜んで

 これは、平澤興語録『生きよう今日も喜んで』(致知出版社 1995年1000円)の題名である。これは私が病気になった知人に、いつもお見舞いとして贈る図書である。

 今年、私は癌を患い、手術後の療養中に、この書を久しぶりに読み直して、元気をもらった。病気とは、無理があって起こる体の故障である。その故障は軽くはなかったが、修復不能ではないのが、不幸中の幸いであった。病気に気付き、治療の機会に恵まれたのは、ありがたいことであった。

 病気というのは、無理をせずに長生きをする一つの過程である、と平澤師は言う。癌を患い、つくづくとそれを実感した。病気にならないと、本当の健康の意味は理解できない。

 本当にものを知るとは、賢くなることではなく、しみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて、それに感謝をすることだと知った。格物致知の世界である。

 

本書を自宅に在庫

 この書は、字が大きく、小冊子で、病気の人でもすぐ読めて、読んだら元気になれる言葉が一杯書かれている。私はいつも病気見舞い用に10冊単位で購入して、家に在庫している。約20年前から、そうしている。自分が人生で悩んだ時、この書が勇気を与えてくれる。この書は、心の常備薬である。

 平澤興氏は、元京大総長で、本来ならノーベル賞を貰っても不思議でない業績を上げられた。

 

以下、その抜粋

ものを知る

 本当にものを知るということは、普通に考えるように、いわゆる賢くなることではなく、むしろしみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて、心からそれに頭を下げることだと思う。(p13)

 

朝に希望 夕に感謝

 今日一日の実行こそが、人生のすべてである。(p20)

 自ら燃える人は、人を燃やす力がある。思い切って遠慮せずに、人々に情熱を与えなさい。 (p25)

 

人生に無駄はない

 人生に無駄はない。しかし無駄にするか、しないかはその人の心がけによる。

 無駄の多い人ほど、苦労のし甲斐のない苦労をする。(p33)

 独創とは、いいつけられたことをやるだけではない。それはたんなる経験では駄目で、寝ても覚めても考え、ひたすら仕事に対して一層よりよきことを考え出すことである。

 ただ一生懸命に真面目にやるとか、熱心に仕事をするだけでは駄目で、独創とは与えられた仕事に生命をかけてよりよき道を見つけることである。

 絶えず新たしい事を考えて創造せよ。(p44)

 実行とは、覚悟をきめ、肚を据えて、目標に向かって進むことである。

 かしこいことを言うだけではだめである。実行が出来なければなにもならぬ。結局実行により成就する。(p44)

 

仕事は祈り

 仕事は祈りであるということは、自らの最善を尽くして、それ以上は神に祈るということである。

 仕事は祈りである。仕事は人生を内容づけ、価値づけるもので、人生の目的そのものといわれよう。(p48)

 

一流の人は明るい

 くよくよする人は、ストレスがたまって早死にをする傾向がある。(p70)

 大人は日に新たに、日々に新たに成長するものである。(p71)

 

道というもの

 人生は不思議そのもので、自分の工夫で生きておるのではなく、生かされて不思議な生命を生きておるのである。(p85)

 

生かされて生きる

 修養と人生、仕事と人生は一つである。

 人生をはなれた修養はない。また仕事をはなれて人生はない。(p91)

 

自己との対話

 自己との対話は、よく考えることである。

 よく考えることは、感謝することであり、拝むことである。(p106)

 

自らを拝む

 今日一日の生活、実行こそが人生のすべてである。

 この実行こそが、われわれに絶えざる希望と、道を求めてやまぬ情熱を湧きたたせてくれるのである。(p114)

 健康だけでは健康はわからない。一度その健康をこわして、しみじみと健康がわかる。健康のありがたさが本当にわかるのである。(p115)

 

一日生涯

 一期一会とは静かであっても、生命のかかった、そのうしろには燃えるような火があってこそ一期一会である。

 仕事でもよい、お茶を喫するのもよい、後ろに燃えている火がなければならない。

 明日のことはわからない。只今に生命をかけて打ち込む情熱が大事ある。

 自らを礼拝し、自らの心に頭を下げて、言葉を超えた無限のものにひたすらに頭を下げることである。(p123)

 

四苦即四喜

 病とは、無理があって起こる故障である。治療、修繕の出来る病気でなければ、故障即ち死ということになって大変である。

 そうではなく、故障の軽い中に病気に気付き、治療のチャンスがあたえられることはむしろありがたいことではないか。(p136)

 病気とはいうのは、無理をせずに長生きをする一つの過程と思われる。(p137)

 私は糖尿病のおかげで、そのため注意をしているので長生きをしているように思われる。病気は困るというより、考え方によれば、与えられた生命を無理なく長生きさせるためのものであり、それは喜びであり、感謝である。(p137)

Photo

Img_47301s

   馬場恵峰書

 

2019-08-06   久志能幾研究所通信No.1286  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年7月31日 (水)

「生前火葬から逃走」10年目の総括

 前職を定年退職して、その後の10年間を総括する。10年前の定年1年前に、定年延長せず、退職することを決断した。今、それから10年が経過した。その後の総括をすると、よくぞ定年延長なしを決断したと自分を褒めてやりたい。その時、定年後にやることを決めていたわけではない。

 

もし定年延長していれば

 もしそのまま定年延長をしていれば、会社人間の私は、以前の生活習慣、食生活のままでは、病気になって早く死んでいただろうと思う。前の会社の勤務状況では、心労からスキルス性の癌になった確率も高い。

 私の元部下は、松下電器に転職したが、その後の人員削減の嵐に巻き込まれてストレスからスキルス性胃癌になり55歳で亡くなった。

 また当時の生活習慣を継続していては、心筋梗塞、脳梗塞になった恐れもある。当時の会社で、一緒に仕事をした仲間が24人も次々と亡くなっている。多分、会社のブラック性のストレスの影響であろう。

 

仏様のメッセージ

 今年、私は今年、癌を患い手術をうけた。定年後のストレスの少ない生活のせいで、遅延性の癌であったのが不幸中の幸いであった。定年延長で、従来のままの生活をしていたら、スキルス性の癌に罹った確率も高かった。癌になったお陰で生活習慣を見直すことができた。病気は神仏からの啓示である。即死の病気(心筋梗塞や脳梗塞、交通事故死)でなければ、病気とは執行猶予のついた懲役刑なのだ。悔い改め、生活を改善しなさいとの仏様のメッセージである。

 

生前葬

 会社で定年を迎えて会社に残ると、使用済み放射性物質ならぬ、いわば「使用済み人材」の扱いを受ける。定年退職を「生前葬」だと定義する定年小説『終わった人』(内館牧子著)まで現れている。私は、そんな会社の物差しで測られたくない。私は還暦後の自分の道を探した。まだ棺桶に入れられるのは早い。会社に残れば「生前火葬」である。生涯現役が天の思し召しである。

Photo

 内館牧子著『終わった人』講談社

 

生前火葬

 定年退職の生前葬後に続いて、会社に残ると生前火葬である。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだからと、部長、課長の肩書は無用として剥奪され、無地の名刺で、白い経帷子の派遣社員扱いの制服を着せられる。建前上は、部長、課長待遇であるが、職制表からは抹殺されて、立場がない。

 そして自分より能力の低い部下が、上司僧侶として引導が渡される。派遣社員扱いの処遇で働く地獄界の火の海に落とされ、そこで自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。

 派遣社員からも、職位権限がないので軽んじられる。2,3年も務めると、焼きもちの火よりも強烈で、長時間の火葬に嫌気がさす。

 満期の5年の火刑に堪えられる人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと続かない。

 その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻が残り、生前火葬が終了する。気骨ある骨も残らない。あとは徘徊の人生が待っている。

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩の教え

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を目の前で見て、定年退職する決断をした。その元部長は逆縁の菩薩であった。定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になると確信した。定年後の第二の人生の立ち上げには体力も気力もいる。その大事な時期を生前火葬で灰にされてはかなわない。生前葬が終わったら、その後は、「人生の主」として歩みたい。

 

生前火葬の損益計算

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は1/3に激減する。それでも年金よりは倍近い年収である。定年後の計画がないならそれも可である。しかし年間1,800時間の自由時間が奪われる。年金生活に対して、プラス150万円程を稼ぐために、1,800時間の自由時間を引導僧侶の上司に貢ぐことになる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。会社にとっては、経験豊かな人材を使用済み人材として格安でこき使える。

 自分の老計・死計を考えると、定年延長は、正しい選択ではないと判断した。それで、私は早期入棺・生前火葬から逃亡した。

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。私は上司の悪魔のような絡め手の引き留めを振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃走後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、そのご縁も生まれなかった。

 

定年後の取り組み

 定年後、国家資格を取ろうと猛勉強をした。毎日、図書館の学習室に9時から17時まで籠って、大学受験の時より勉強をした。本来なら受かって当然のはずであったが、試験に受からないので、脳の異常(記憶力低下)を疑い、調査を始めた。ネットで病気を推定して、名医を探して、九州・久留米の先生を探り当てた。そこで病気を特定して治療に取り組み、本来なら心筋梗塞、脳梗塞になる寸前であった病状を改善した。要は血管内に溜まったプラークが原因であった。これも、国家資格を取る決断と真剣に受験勉強をしなければ、出会えなかったご縁である。仏様が、試験の不合格という啓示で、病気を治す取り組みを始めさせてくれた。

 

人生の主

 人生は、自分が主として、生を全うしたい。「主」とは、王座に燈火である「、」を灯すと書く。自分の人生が、人生の奴隷であってはならない。

 王座に座る己は、自分の体の主人であるから、その状態を見てあげるのが上司の勤めである。自分は人生劇場の主人公なのだ。自分の体の不調を早く感知して、対応する。それで自分の人生劇の主役の務めが全うできる。

024k8a10811s

  馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-07-31   久志能幾研究所通信No.1278  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年7月26日 (金)

人生高速道路を走る(1/3)光の国へ 

 自分の人生の目的地はどこか?

 人生高速道路を走る自分(車)の性能は?

 どの走行レーンを選択して走るか?

 

人生50年から100年へ

 人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり。ひとたび生を享け滅せぬ者のあるべきか。

 織田信長は、幸若舞いの「敦盛」を好んで舞った。下天とは、倶舎論に人間の50年は、四天王においては、一日一夜にあたる、という句からとっている。

 現在、日本人の平均寿命は80歳を超えている。100歳以上の人が日本に10万人も存在する。科学的な理論では人間の寿命は125歳である。

 道程が50年から100年に2倍になれば、目標値も高くしたので高速道路を走らないと、日暮れまでに目的地に辿り着けない。人生の行程が2倍になったのだ。人生で相応の心構えがないと、途中でエンスト、ガス欠、高速道路の逆走である。その目的地が明確でないと、道に迷う。

 

人生の目的地

 人は生まれた場所から、死ぬ場所までを走る過程が4つに分かれる。自分の選択する過程はどれか?

 光の国から光の国へ

 闇の国から光の国へ

 光の国から闇の国へ

 闇の国から闇の国へ

 

 どこを目指すのか? その過程はどれでもよい。一歩一歩、光の国への方向に歩けばよい。その過程が幸せの道だ。

 自分が闇の国に生まれても、志を立て、精進して、良き師に出会い、自分の乗る車を性能アップさせれば、光の国に行ける。光の国に行けるように精進するのが「修身」である。

 自分を自動車に例えて、人生の高速道路を走るには、相応の装備が必要である。昔のように徒歩で歩いていては、距離を稼げない。

Photo

   豊田工機のカタログより

  

車の整備

 自動車のシステムを己に例えて、人生の高速道路を走ることを考えた。

 

ナビゲーションシステム

 人生道を走るには、正しい師の導きがあって、光の国にたどり着ける。やみくもに走っても、時間ロスが大きい。師の選択は第一優先である。努力よりも選択が大事である。3年かけて師を探せ。トラブル時、叱って正しい道を教えてくれるのが、真の師である。

Img_43851s

039a09441s

   馬場恵峰書

タイヤの軸心:

 タイヤの軸心がブレていると、振動して高速度で回らない。振動とは廻りとの軋轢である。軸とは、自分の価値観である。自分の価値観を明確にしないと、人間社会で軋轢を生む。そのために修身を学ぶ。

 

プロペラシャフト:

 プロペラシャフトはエンジンである己の意志の伝達、目的達成手段、(コミュニケーション)である。自分の意思を正しく「伝」えて、相手の心に「達」しないと、人生目標が達成できない。コミュニケーション能力を高めるべし。テクニカルライティングを学べ。

 

操舵システム:

 パワステは進む道の選択手段である。コンプライアンス(遵法精神)がしっかりしていないと、フラフラして誤った道を選んでしまう。少しの賄賂で道を誤ってしまう。

 

エンジン:

 エンジンとは意志、魂である。エンジンが始動しないと何処にも行けない。エンジンが回転速度を上げないと、速く走れない。まず己の心に火を付けよ。

 

後輪:

 後輪とは駆動力(欲望)を地面に伝える道具である。それが空回りしては、人生ロスである。前輪の方向決めがないと、欲望に任せて何処に行くか分からない。向上心、欲望、ハングリー精神というエンジン馬力がないと前進できない。

 

4WD:

 四駆は、4輪への適正駆動力配分装置である。人生のバランス感覚、精神のタフさが、人生の泥濘からの脱却のために必要な機能である。視野を大きく取り、トラブル時の対応力を付けて人生道を走ろう。

 

衝突防止装置

 衝突防止装置等のお金で解決できる「眼」には、投資を惜しまないこと。それが危機管理意識である。

P17_13_0607111e20190726

   車の図は豊田工機のカタログより

 

走るレーンを選択

 高速道路には、走行車線と追い越し車線がある。人を押しのけ、そこのけそこのけと追い越し車線ばかり走る人生であっていいのか。

 たまには親の死に目に会いたいと速度違反で走る人もいる。そんな人には道を譲ってあげよう。利他の精神で、人生道を走りたい。

 どんなに飛ばしても、目的地に着く時間はそんなに変わらない。どうせ目的地は「死(浄土)」である。悠久の時間から見れば、人生の60年も90年も変わらない。焦っても致し方あるまい。焦れば事故の元である。焦ってコンプライアンス違反で賄賂を貰っても、交通反切符を切られる。天網恢恢疎にして漏らさず、で何時かは閻魔様に捕まる。

 走るなら「王道」である。修身で走るべきは、獣道でも脇道でも非常用走行車線でもない。正々堂々と王道を走ろう。

 

最終目的

 目的地の「死」に到達が目的ではない。その道を走る過程で、自分の魂を浄化して、後世にその昇華物を遺すのが人生目的なのだ。だから高速道路ではなく、一般道を地道に走る人生もある。どれが正しい道というわけではない。百人いれば百人の道がある。自分の選んだ道に誇りを持とう。

 

2019-07-26   久志能幾研究所通信No.1272  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年7月23日 (火)

大垣市の葬列(2/6)~市制100周年記念で命を浪費

 過去から学び、今日の為に生き、未来に対して希望を持つ。大切なことは、何も疑問を持つたない状態に陥らないようにすることである。

      アルバート・アインシュタイン

 Learn from yesterday, live for today, hope for tommorrow. The important thing is not to stop questioning.

 

 小川敏市長は、このギネス挑戦「水饅頭共食い」に何の疑問も持たなかったのだろうか。それが大垣の未来に対してどんな価値があると思って実施したのだろうか。この明白な愚行に疑問を持たなければ、市長の資格はない。

 

葬列1:浅ましい水饅頭の共食い

 大垣市の知性と節約心と羞恥心が「死」を迎えた行事であった。大垣市制100周年記念行事で、浅ましくお饅頭を食べさせ合って、その数でギネス記録とした。しかし大垣市の付加価値を高めることにはならなかった。「アホな大垣市長が食い合いの浅ましい行事をやった」というニュースが全国に広まり、大垣の恥を全国に知らしめただけだ。それを嬉しそうに報道する新聞・マスコミもその知性レベルの低さを露見させた。それが報道に値するのかの判断ができないまでに、マスコミのレベルが落ちていた。だからフェイクニュースが氾濫する。

 そのわずか2週間の記録居士(誇示?)のために、市民税900万円が消えた。この行事の成果の付加価値額を小川敏市長は市民に報告する義務がある。

 大垣市民はわずか100円の水饅頭と400円程の升の為に、4千人ほど(関係者含む)が、3時間も炎天下に拘束された。日本の時間(命) の損失である。この水饅頭は葬式饅頭であった。

 

日本の命(時間)のロス

 参加者3,246人×60分×3時間×100円/分=58,428千円

 関係者100人×4時間×60分×2回×100円/分=5,800千円

 直接費用のロス : 行事費用 900万円

   そのうち、440万円が使途不明金

   そのうち、120万円がギネス社に支払い

 

 〆て、約7千万円の大垣の時間(命)の損失である。もっと大垣の未来のために、その命を使って欲しかった。もっと有意義なことに使えただろうと言いたい。アホな大垣市をカモにしたギネス社だけがニンマリである(市長を小ばかにしたようなギネス社社員の笑みと目つきが魅力的?  さすが大英帝国の末裔である。狙った財布は逃しません。)

2dsc01978

大垣市をディスカウント

 この行事は、時間給100円となり、市民労働をディスカウントしたことになる。多くの市役所の部長や関係者が強制的に動員された。市民税を無駄遣いして、なにが「アーン」だ! 税金を返せ!

 お饅頭を食べさせ合ってのギネス記録は、大垣の付加価値を棄損している。時間とお金の無駄遣いであった。こんな小川敏市長の意識だから、大垣市の地価が半分に下落するのだ。

 

英霊に対して侮辱

 濃美護国神社を封鎖しての水饅頭食い合いのイベントは、大垣とお国のために命を捧げた英霊への侮辱であった。喜んだのは、業者とギネス社と、甘い汁を吸った取り巻きだけであると推定される。

 

恥を知らない大垣市

 大垣市役所は、その葬列の記録居士の垂れ幕を1年近く年度末の3月まで大垣市庁舎ロビーに飾っていた。恥の上塗りである。その記録は、僅か2週間後に、三島日大高校の学園祭の行事で、「コロッケ食べ合い」に破られたのだ。それも三島市が使った経費はゼロ円である。大垣市民として、恥ずかしいたらありゃしない。

 佐藤一斎は「自分の物は粟一粒でも無駄にするな。他人の物は菜っ葉一枚でもとるな(言志四録・老至録18)」と説いた。江戸時代の大垣の賢人・江馬蘭斎は、硯の水さえ井戸水では勿体ないと雨水を使って墨を擦った。小川敏市長は人の金だと思って、市民税を使い放題である。

 

詳しくは下記ブログ記事を参照ください。

 

2018-0604

大垣の痴呆行事「乞食行列」で記録達成 - 久志能幾研究所通信

 

2018-0606-

フェイクニュース「水まんじう食べさせ合いギネス世界記録®」

2018-0608-

田口利八氏が草葉の陰で泣いている - 久志能幾研究所通信

2018-0611-

大垣の水まんじゅうフェイクニュースが痴呆拡散 - 久志能幾研究所通信

2018-0612-

「水まんじゅうギネス挑戦」予算が怪しい - 久志能幾研究所通信

2018-0614-

新幹線内殺傷事件と大垣・水まんじゅう食べさせ合いギネス世界記録®は ...

2018-0616-

日本はギネス社の植民地にされた - 久志能幾研究所通信

2018-0619-

呪いとしての「ギネス社の理念」 - 久志能幾研究所通信

2018-0621-

サルにも取れるギネス世界記録 - 久志能幾研究所通信

一部リンクが上手く貼れず、リンク先に飛ばない項目があります。

申し訳ありませんが、その場合は、タイトルをドラッグ&コピーして、検索エンジン欄に張り付けて検索してください。

264k8a11051s

 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

 

2019-07-23   久志能幾研究所通信No.1269  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。