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2019年8月16日 (金)

第三の眼を開く

 素晴らしい人生はないかもしれないが、すばらしく楽しむ生き方はある。

 毎日丁寧に生きれば、価値ある人生が生まれる。書道でも、今から頑張っても、うまい字は書けないが、丁寧に書法に則って字を書けば、下手でも読んでもらえる字が書ける。雑に書いた字は、誰も読んでくれない。馬場恵峰先生の教えである。

 雑にこなした人生では、素晴らしい人生は作れない。誰も振り返らない。私は、雑に生きている人とは縁を切っている。そういう人はご縁を大事にしないのだ。感謝をしないのだ。恩を仇で返す人なのだ。

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 馬場恵峰書

 

死との闘い

 還暦を過ぎれば、毎日が死との闘いである。特に癌の手術を受け、余命宣告を受けるとなおさらである。既に会社で一緒に仕事をした仲間24人が、この世を去った。ビジネス戦争の戦死である。朝、生きて目が覚めるだけ、幸せである。それを感謝もせず起きるのは、恩知らずである。私は毎日、目が覚めると、体調が悪いか最悪の状態である。それでも目が覚めるだけ、幸せなのだ。目の覚めない仲間に較べれば。だから毎朝、仏壇に手を合わせ、お勤めをする。

 

 その最悪の状態で己は何ができるのか、己の心に刃を向けて考えることが、「忍」である。今日よりは、明日、何か自分を向上させるため、心に刃を向けて精進をしたい。それが人間の勤めである。人は畜生ではないのだ。その点で、無欲ではなく、貪欲になりたい。

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 馬場恵峰書

 

「市民のために」やることは間違い

 己は世の支配者ではない。己の支配者は己でない。己の支配者は世間である。己は世間から生かされている儚い存在である。己の立場で、己の為にやるから、人生はうまくいかない。世の為、佛の為に、何をやれば喜ばれるかを考えて、世のために事をやるべきである。今まで生かしてもらった人生の恩返しをすべきである。やったことは自分に帰ってくる。

 大餓鬼市長のように、「市民のために」ことを興すから愚政となる。それは実際には、己の利害の為に、目立つ為にやるだけで、市民の為にはならないのだ。リーダーは、やりたいことをやってはならない。リーダーとしてやるべきことをやらねば駄目なのだ。大餓鬼市長は、やるべきことをやらずに、愚政を18年間も続けるから、統治を任された市が衰退した。市民の立場に立って、市民の為になる行政をしなければダメなのだ。

 大餓鬼市長は、やってはいけないことを教えてくれた逆縁の仏様である。人として、そうしてはならないことを教えてくれた。知識があっても知恵がないとダメなのだ。

 自分の為にことを興すからうまくいかない。相手の立場になって、何をやるべきかを考えると、額の真ん中にある心眼(第三の目)が開く。それが文殊菩薩の智慧の眼である。それで世間が求める願いが観えるようになる。

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 文殊菩薩  大仏師松本明慶作

 

2019-08-16   久志能幾研究所通信No.1298  小田泰仙

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