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2019年8月15日 (木)

カテゴリー追加「m_河村義子先生の歩んだ道」

 2019年8月13日、故河村義子先生の初盆に当たり、先生宅のご霊前にお参りをしてきた。ご主人とお話しをして、河村義子先生の生前を偲び、「音楽の道で、やりたいことを全てやり切って幸せだ」と言われたことを二人で思い出して、改めて感慨にふけった。4年前、義子先生がドイツ演奏旅行から帰国後「やりたいことをやり切ったので、もう死んでもいい」と言われたのを聞いた時、何を大げさなと思ったが、ご逝去後、その病気のことを知り、その言葉に納得したことを思い出した。

 このブログで、河村義子先生に関する記事を書いてきたが、先生の病気のことを知らないでよかったと思う。知っていれば、書くトーンが変わっていたと思う。

 

自分の人生に重ねて

 河村義子先生の人生を振り返り、自分の人生と重ね合わせると、私も人よりも多くの仕事の機会に恵まれ、それをやらせてもらって、幸せだと思う。日本の高度成長期、会社も儲かっていたので、やりたいことがやれた。その成果を手に入れることが出来た。バブル崩壊後に入社した若者と比較して、自分は幸せだと思う。

 定年後もほぼやりたいことやれた。会社生活の後遺症で今年癌になったが、名誉の病として誇りに思う。還暦近くで多くの仲間がこの世を去っていった。若い人も入れると一緒に仕事をした仲間の24人が世を去った。サラリーマンで中間管理職の病死は多いのだ。それだけ体を酷使して、ストレスに晒されて働いてきたのだ。私は最悪の状態の寸前で、あの世への階段を踏み止まれたのは仏様のお陰だと思う。

 

原稿

 ご主人に現在作成中の写真集「河村義子先生の歩いた道」のゲラ版を見てもらった。年末に完成予定で進めている。

 今回、その原稿の元のブログの原稿を、カテゴリー「河村義子先生の歩んだ道」に集約しました。

添付ファイル 記事リスト「河村義子先生の歩んだ道」_20190815.pdfをダウンロード

 読みたい記事は「タイトル名」「タイトル名 久志能幾」で検索してください。

 順次、カテゴリー「m_河村義子先生の歩んだ道」に集約します。現在、集約中につき1週間ほど時間猶予をください。

 

2019-08-15   久志能幾研究所通信No.1297  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

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